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2019年12月17日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その79




 P.47 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
武州秩父郡
ぶしゅうちちぶぐん

弘化三年午十一月
こうかさんねんうまじゅういちがつ

願人 五人
ねがいにん ごにん

扱人 二人
あつかいにん ふたり

相手七人代兼
あいてしちにんだいけん

七左衛門殿
しちざえもんどの

佐左衛門殿
ささえもんどの



(大意)



(補足)
 喧嘩両成敗、内済(和解)となりました。
2018年「飯能郷土館収蔵資料目録8(収蔵文書目録その3)」の解説に
「本史料では出訴から内済までが一冊にまとめられているので、江戸時代の典型的な流れを簡潔に知ることができる」とあるように、当時の争いの様子が興味深く読むことができました。

 坂戸の戸口村の狼藉が「酔狂」とされているのが、江戸時代の出入りではよくみられるともありますが、落とし所としては、どちらの立場にもあることだろうから、わかってやってくれと説得しやすいのでしょう。
 示談になったものの、果たしてその後はどうなったか野次馬根性が刺激されるところです。

「桴出入諸願書井相手方詫書等写」は今回で終了となります。


2019年12月16日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その78




 P.46 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
無之  候得共   熟  談 内 済 相 調   候   上 者御扱   人 中  御
これなくそうらえどもじゅくだんないさいあいととのいそうろううえはおあつかいにんちゅうご

弥(親)切 も忝     存  候   間  往々  互  二睦 間敷 御突 合  申度
しん  せつもかたじけなくぞんじそうろうあいだおうおうたがいにむつまじくおつきあいもうしたく

候   間  書 面 渡  置 申  所  如件
そうろうあいだしょめんわたしおきもうすところくだんのごとし



(大意)
でもないでしょうが、十分に話し合い示談がととのいましたうえは、扱い人の
ご親切に感謝しておりますし、先々お互いに仲良くお付き合いしたいと存じます
ので、書面にしてお渡ししておきたい所存このとおりでございます。


(補足)
「候得共」、もう読み損なうことはなくなりました。3文字で1文字のようなものです。
「弥切」、「弥」は「親」の書き間違いだとおもいます。
「忝」(かたじけない)、次に「存候間」とくるので、推測できますが・・・
「往々」、よくある様が多くは好ましくない事態について用いるとあります。ここでは今後の意味でしょう。
「御突合」、たしかに(おつきあい)と読めますが、なんとも直接的な感じです。でもピッタシな漢字です。薄く削り取った無垢板を反りがこないように作った板に貼ってこしらえた板を突板といますが、まさにこの使い方と同じです。



2019年12月15日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その77




 P.46 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
有之  候   筈 已来 共 桴  川 下 之節 ハ川 筋 村 々
これありそうろうはずいらいともいかだかわさげのせつはかわすじむらむら

儀二付 其 御村 方 御世話二も相 成 勝 二も有之  候
ぎにつきそのおむらがたおせわにもあいなりがちにもこれありそうろう

間  此 段 宜   御聞 取 可被成  候   併   我 等者弁  へ候  儀二も
あいだこのだんよろしくおききとりなされべくそうろうあわせてわれらはわきまえそうろうぎにも



(大意)
あるはずでしょうとも、今後共桴川下げのときは川筋の村々
を通ることになりますのでみなさまの村のお世話になることも多いかと存じます
ので、これらのことよろしくお聞き入れくだされますよう、またあわせて私どもがわきまえることでも


(補足)
「筈」が「ハ」+「者(変体仮名)」に見えてしまいます。
「節」、「筈」の「竹」冠とは全然異なります。
「筋」、この「竹」冠も前のふたつとは異なります。
「勝」、うーん、読めません。
「取」、これはだいたい読むことができるのですが、どうしてこじんまりと小さいのでしょう。
「等」、ここの「竹」冠も前者3つと異なってます。いろいろあるもんです。


2019年12月14日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その76





 P.45 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
發 起 り与申  者其 御村 方 之衆  中  市帰 り酒 狂
はつおこりともうすはそのおむらかたのしゅうちゅうしかえりすいきょう

被致  候   人 も数 多有之  桴  乗 人 之内 桴  繋  畄 酒 給
いたされそうろうひともあまたこれありいかだのりびとのうちいかだつなぎとめさけたまい

声 高 之挨 拶 致  候   哉も無覚束   若 左様 之儀も
こえだかのあいさついたしそうろうやもかくそくなくもしさようのぎも



(大意)
今回のこの一件の起こりは戸口村の大勢の方々が市の帰り、ひどく酒に酔った
人が沢山おりました。桴川下げした者も桴を繋ぎ留め酒を飲んでおり
大声で挨拶をしましたが、皆様はそのことをはっきりとは覚えていませんでした。もしこのようなことが


(補足)
「初発」、はじまり。起こり。
「衆中」(しゅうちゅう、しゅちゅう、しゅぢゅう)読みはどれでもよさそう。大勢の人々。「衆」のくずし字はとても簡略化されています。
「哉」だけだと?ですが「候哉も」となれば読めます。
「若」、何度か出てきたので読めました。


2019年12月13日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その75




 P.45 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
差 入 申  一 札 之事
さしいれもうしいっさつのこと

我 等共 ゟ 貴殿 方 へ相 懸 り候   一 条  御吟 味中  之所
われらどもよりきでんがたへあいかかりそうろういちじょうごぎんみちゅうのところ

御扱   人 中  格 別 之御厚 情  を以  御立 入 被下  候   二付 ハ初
おあつかいにんちゅうかくべつのごこうじょうをもっておたちいりくだされそうろうにつきはしょ


(大意)
差入申一札之事(お渡しする書面についてのこと)
私たち(桴の坂石村)よりあなた方(戸口村)への訴訟の一件は裁判中ではございますが
扱い人方々の格別のご厚情をもってとりなしてくださいました。


(補足)
「吟味」は刑事関係、「出入」は民事関係と江戸時代の裁判を調べるとあったりしますが、どうも曖昧なようで、調査中、裁判中の意味であることも多いです。
「立入」、深く入り込んで関わる。ここでは双方を取り持ってくれたということ。


2019年12月12日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その74




 P.44 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
武州秩父郡
ぶしゅうちちぶぐん

坂石村
さかいしむら

忠右衛門殿代兼
ちゅうえもんどのだいけん

保兵衛殿
やすべえどの

坂石町分
さかいしまちぶん

吉蔵殿
きちぞうどの

坂元村
さかもとむら

弥次郎殿
やじろうどの

南川村
みなみかわむら

均平殿
きんぺいどの


(大意)



(補足)
 (その2)にのところで、「御奉行所 久須美佐渡守様」と出てきました。
前回の「江戸の奉行所と公事宿・公事師」に(「武鑑」嘉永二年 1849年 幕府の役職一覧表)があり
「久須美佐渡守」を見つけました。「御勘定奉行」「道中御奉行」にあります。



 余談ですが、この武鑑を良くながめると、右側上部の町御奉行のところに
あの桜吹雪で有名な遠山左衛門尉様とありました。このときは南町御奉行でした。

 訴えを起こすのは良いのですが、やはり莫大な経費がかかるようで、訴えてはみたもののそれらの費用に耐えられず、早々に内済(示談)になることが多いようでした。
今回のこの件も8月に訴え、11月には内済で結審しています。

 写しはもう1件続きます。



2019年12月11日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その73




 P.43 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
利三郎
りさぶろう

久五郎
きゅうごろう

右七人惣代
みぎしちにんそうだい

七左衛門
しざえもん

佐左衛門
ささえもん

同州比企郡毛塚村
どうしゅうひきぐんけづかむら

扱人六人代兼
あつかいにんろくにんだいけん

瀬兵衛
せえべえ

同州秩父郡南村
どうしゅうちちぶぐんみなみむら


どう

藤兵衛
とうべえ


(大意)



(補足)
「同州比企郡」「同州秩父郡」、「州」のくずし字が異なってます。
「(取)扱人」、 和解(内済、示談)の仲介者(町村役人・公事宿の主人・下代・公事師等)
「扱人六人代兼」、扱い人6人の代表を兼ねて、という意味でしょうか。

 下記の資料が江戸時代の裁判のしくみなどの参考になります。
宮原賢一氏の「江戸の奉行所と公事宿・公事師」
http://web1.kcn.jp/gyoseishoshi/ronkou1.pdf


2019年12月10日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その72




 P.42 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
武州  入 間郡 戸口 村
ぶしゅういるまぐんとぐちむら

弘 化三 年 午 十  一 月
こうかさんねんうまじゅういちがつ

佐七
さしち

利助
りすけ

寅五郎
とらごろう

萬五郎
まんごろう

佐十
さじゅう


(大意)



(補足)
あらためて「間」のくずし字をみると、原型はなくなっているけど、必ず読むことができる字のひとつです。
「寅五郎」「萬五郎」、おなじ「郎」のはずなのにくずし字が異なってます。ひとつは「ら」、もうひとつは「戸」+「巾」。

 弘化3年(1846年)も幕府はてんやわんやのときで、この7年後にはペリー率いる黒船がやっってきます。このようなときでも、田舎の村の日常の出来事から生じた争いごとの裁判をしているわけです。幕府崩壊の危機など感じることのできないのどかなといっては失礼ですが、庶民の普段の生活意識はこんなものだったのだろうと感じる次第です。


2019年12月9日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その71




 P.42 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
相 成 候   様 可致候      且 又 此 末 不実 之所 業  致  間敷 旨
あいなりそうろうよういたすべくそうろうかつまたこのすえふじつのしょぎょういたすまじくむね

を以  熟  段 二相 成 候   二付 為後日   一 札 入 置 申  所 依而
をもってじゅくだんにあいなりそうろうにつきごじつのためいっさついれおきもうすところよって

如件
くだんのごとし


(大意)
行えますように致します。なお今後も今回のようなことを起こさぬようにするということで
示談になりましたので、後日のため文書としてここに提出いたします。


(補足)
「熟段」では辞書になくネットでも検索できません。「熟談」ならばヒットしました。漢字の意味そのままです。 1.納得がいくように十分話し合うこと。「熟談して決める」2.話し合って紛争などの折り合いをつけること。示談。和談。

 示談にはなったものの、この地域はこのあとも大雨などで何度も被害にあってます。
実際はどうだったか、気になるところです。


2019年12月8日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その70




 P.41 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
儀者若 御普請 有之  候   節 ハ其 場所 相 除  其 外 ハ
ぎはもしごふしんこれありそうろうせつはそのばしょあいのぞきそのほかは

最寄 宜 敷 場所 へ御勝 手次第 御繋  畄 置 乗 人 方
もよりよろしきばしょへごかってしだいおつなぎとめおきのりびとかた

止宿  者勿 論 川 下 之節 ハ聊    無差支    川 下ケニ
ししゅくはもちろんかわさげのせつはいささかもさしつかえなくかわさげに



(大意)
ときには、もし堤防の修繕をしている場合はその箇所を避け、その外の
近くの都合のよい場所へご自由に繋ぎ留めおきください。筏の船頭さんが
宿泊することは勿論、川下げを行うときは少しも差し支えなく川下げが


(補足)
「若」(もし)、「艹」に「右」なんだけど、読めませんでした。
「聊」(いささか)、よく出てきますが、これ一文字だと?ですが、「〜節ハ聊〜」とつなげてながめると読めそう。

 今後については、堤防の修繕箇所を避けること以外は宿泊することも筏をどこに繋ぎ留めることもご自由にして結構ですと、揉み手をしながらまるで商人のように受け入れを勧誘しているかのようであります。



2019年12月7日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その69




 P.41 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
荷主 方 損 毛 無之  様 可致   旨 を以  左之扱   人  相 頼
にぬしかたそんもうこれなきよういたすべしむねをもってさのあつかいにんをあいたより

厚  詫 入 候   所  格 別 之御勘 弁 を以  御承  知被下  忝
あつくわびいれそうろうところかくべつのごかんべんをもってごしょうちくだされかたじけなく

存  候   然  上 者向 後桴  川 下 被成候    節 ハ村 方 地先之
ぞんじそうろうしかるうえはこうごいかだかわさげなされそうろうせつはむらかたちさきの



(大意)
荷主たちに損害のないようにすることを下記の扱い人にお願いします。
心からお詫び申し上げますので格別のお許しをたまわりお聞き入れくださり感謝に
たえません。然る上は今後筏川下げをされるとき村の近くに繋ぎ留める(ときには)


(補足)
 農地を守るために堤防を壊されてはたまらぬと、大変な剣幕ながら冷静な筆致で先の訴え状には切々と記されていました。しかしここに至って、手のひらを返すとはまさしくこのことのようです。
酔狂であったとはいえ、何から何までこちら側で元通りにして返すし、狼藉を働いたことを全面的に認め、謝罪を受け入れてくれたことに感謝しています。
 さらに、今後のことについても述べてゆきます。
きっと、奉行所から強い指導があり、仲間の名主たちとの話し合いの結果にちがいありません。

「御勘弁」、「弁」があるのでその上の「勘」のくずし字が読めました。
「承」、ここでも中央の部品は「了」+「三」ではありません。
「忝」、わかりそうで読めませんでしたが、改行して「存候」と続くので(かたじけなく)と予想できます。
「節」、「竹」冠が「以」のくずし字にそっくりです。


2019年12月6日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その68




 P.40 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
御吟 味奉請     候而者   当 惑 之廉 有之  先 非後 悔
ごぎんみうけたてまつりそうらいてはとうわくのかどこれありせんぴこうかい

相 弁  へ切 流  散 乱 紛 失 致  候   木品 不残  取 揃  藤縄
あいわきまえきりながしさんらんふんしついたしそうろうきしなのこらずとりそろえふじなわ

等 都而我 等方 二而差 出し素 々 之通 り桴  二組 立
とうとてわれらがたにてさしだしもともとのとおりいかだにくみたて


(大意)
裁判を継続してはどうしてよいかわからないこともあり、過去の過ちを後悔し
反省しております。筏など切り流しバラバラにし紛失させた材木や品々などは残らず取り揃え、藤縄なども私たちで用意いたし、元あったとおりに筏を組み立て


(補足)
「廉」(かど)、「〜のかどで捕える」。理由として取り上げる事柄、点。
「有之」、じっとみていると、確かに(これあり)だとおもうのですが、初見では?でした。
「先非」、はじめての言葉でした。過去に犯した過ち。前非。
「切流散乱紛失」、かなりの破壊行動をしたことがわかります。
「残」と「揃」の旁のくずし字がひらがなの「お」のようで、まったく同じです。
「藤」は何度かお目にかかっているのに読めないなぁ。
「都而」(とて)、当て字でしょうが、「都」が読めませんでした。
「藤縄等」「我等」、同じ「等」のくずし字が全く異なってます。使い方や意味によりくずし字が変わるようです。

 筏を組むときに使っていたのが藤縄だったのですね。
吾野の山あいにある坂石村などでは藤縄はきっと常備されていたこととおもいますが、戸口村のようなところにあったのでしょうか。それとも縄屋さんがあって販売していたのかもしれません。
竹籠や竹ザル専門の店がありましたし、あけびや藤やつる状の丈夫なもので編みいろいろなものを作っていましたからそれほどの苦労なく手に入れることができたのでしょう。

さて「先非後悔相弁え」た戸口村はどうなるのでしょう。



2019年12月5日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その67




 P.40 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
易所 業  ニおよひ候   二付 先 般
 しょぎょうにおのびそうろうにつきせんぱん

久須美佐渡守様   へ被成御出訴   御尊 判 頂  戴
くすみさどのかみさまへごしゅっそさなれごそんぱんちょうだい

被相付   奉恐入       当 時御吟 味中  二御座候   所  此 上
あいつけられおそれいりたてまつりとうじごぎんみちゅうにござそうろうところこのうえ


(大意)
ことをしてしまいました。そのため先日
久須美佐渡守様へ訴え出られ御尊判を頂戴し
恐れ入っております。その時は裁判中でありましたが、これ以上



(補足)
「および」、ここの「よ」は「与」の変体仮名。
「御尊判」、訴状の裏に押された評定所一座(ふつう、寺社奉行四人、 町奉行二人、公事方勘定奉行二人、合計八人)の印判のこと。



2019年12月4日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その66




 P.39 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
繋  畄メ番 小家補理乗 人衆番  致被居     候   所  我 等
つなぎとめばんごやほりのりびとしゅうばんいたしおられそうろうところわれら

大 勢 坂 戸市へ罷  出致酒狂     帰路右 小家へ立
おおぜいさかどしへまかりですいきょういたしきろみぎこやへたち

寄 彼 是 申  懸 桴  乱 妨 二切 散 し其 外 品 々 不容
よりあれこれもうしかけいかだらんぼうにきりちらしそのほかしなじなよういならず



(大意)
繋ぎ留めました。番小屋を設置し筏の船頭たちなどが見張りをしていましたところへ、私どもが
大勢で坂戸市へでかけ酒に酔い帰りにこの番小屋へ立ち寄り
あれこれと難癖をつけ筏を乱暴にバラバラにしてしまいました。そのほかの材木などもとりかえしのつかない


(補足)
 おやおや戸口村の人たちがしたこと、いよいよ訴えられて隠しきれずに自白?しだしました。
酔っ払った上での出来事だったのだと、まぁいわば開き直っているようです。

 筏が川下げのときにバラバラにならないように頑丈に縛り付けられます。川下げ中に筏がバラけてしまったら船頭の命が危うくなります。その筏をバラしてしまったのですから、刃物がなければできるわけがありません。酔っ払っていた?とはいえ計画的で悪意がなければできることではありません。

 戸口村の訴え状を読んだ限りでは、非は筏を勝手に留めた坂石村のほうにあるとおもいましたが、
どうもわたしは裁判官にはなれそうもありません。


「衆」、くずし字は簡略化されて「流」の右側に似てます。
「番」、何度も出てきてます。「釆」が「半」のようになってます。
「家」と「我」のくずし字がとても似てます。
「酒」が読みにくい。
「帰路」、「帰」はわかりますが、「路」はどうも苦手。
「彼是」(あれこれ)と読むのでした。


2019年12月3日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その65




 P.39 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
入 置 申  一 札 之事
いれおきもうしいっさつのこと

当 七 月 十  三 日 貴殿 方 桴  我 等村 方 二而日暮 二
とうしちがつじゅうさんにちきでんがたいかだわれらむらかたにてひぐれに

およひ候   二付 村 役 人 へ被成御届   河 縁 へ桴  十  三 艘
およびそうろうにつきむらやくにんへおとどけなされかわぶちへいかだじゅうさんそう


(大意)
入置申一札之事
当七月十三日、あなたがたが筏川下げを行ったとき、わたしたちの村のところで日暮れに
なってしまったため、村役人へ届け出て川縁へ筏13艘を



(補足)
「入置申一札之事」という新しい書状の控えとなりました。
日付は弘化3年11月、戸口村から坂石村への書状となります。
裁判はどうやら示談(内済)になったようで、戸口村からの詫状証文のような形になってます。

「入置申一札之事」、読みは(もうしいれおき)(いれおきもうし)どちらでしょう。
「一札入れる」とは「保証約束謝罪などの意を文書にして,相手方に差し出す。念書を入れる」と辞書にあります。

「貴殿」、「貴」のくずし字が特徴的。「殿」、「殳」が下側にきてます。


2019年12月2日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その64




 P.38 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
弘化三年
こうかさんねん

午十月
うまじゅうがつ

坂石村
さかいしむら

保兵衛代
やすべえだい

南川村
みなみかわむら

組頭
くみがしら

均平
きんぺい

御奉行所様
おぶぎょうしょさま



(大意)


(補足)
弘化三年午十月はネットの換算表で調べると西暦1846年11月19日より12月17日となります。
今日は2019年12月2日ですので、約173年前の出来事です。

 さて、この訴え合戦、どうなるのでしょう?


2019年12月1日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その63




 P.37 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
御吟 味之程 偏  二奉願上       候   以上
ごぎんみのほどひとえにねがいあげたてまつりそうろういじょう

林部善太左衛門御代官所
はやしべぜんたざえもんおだいかんじょ

武州秩父郡
ぶしゅうちちぶぐん


(大意)
ご吟味のほどひとえにお願い申し上げます。
林部善太左衛門御代官所
武州秩父郡

(補足)
「林部」、「部」この一文字だけだったら読めません。

 次頁に組頭均平の名前が出てきます。
最後の2行は均平さんの住む坂石村が、代官林部善太左衛門の管轄する幕府直轄領で均平さんがそこの組頭であることを示しています。
 幕府領の場合はこのように管轄する代官の名前を書きます。
また「御代官所」とは役所の建物施設をさすのではなく、代官の管轄領域を意味します。
「御支配所」と記されることも多いです。



2019年11月30日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その62




 P.37 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
間  此 段 奉申上       候   幾 重二も無證據   二而内 済 仕   候
あいだこのだんもうしあげたてまつりそうろういくえにもしょうこなきにてないさいつかまつりそうろう

儀者当 惑 仕    候   間   何 卒 格 別 之以
ぎはとうわくつかまつりそうろうあいあだなにとぞかくべつの

御憐慇      前 書 之次第 乍恐    御賢 察 被成下
ごれんびんをもってぜんしょのしだいおそれながらごけんさつなしくだされ


(大意)
これらのことを申し上げました。何度も申し上げますが証拠もなく内々で済ましてしまう
ことは当惑してしまいますのでなにとぞ格別の
お情けをくだされること前述したとおりでございます。熟慮していただき


(補足)
「此」、このくずし字だけをみていると「無」にみえてしまいます。しかしこの10文字下に「無」があり、比べるとやはり違いますね。

3,4行目はお役所に向けての定型文です。


2019年11月29日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その61




 P.36 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
御奉行  所 様 御吟 味二可相成   品々  之由 ニ而御糺  二
おぶぎょうしょさまごぎんみにあいなるべくしなじなのよしにておただしに

不相成  旨 御道 御案 内 相勤   候   者 ゟ 聢 与承  知仕
あいならずむねおみちごあんないあいつとめそうろうものよりしかとしょうちつかまつり

依而 ハ右 等 之儀慥  之證  據与可相成   与奉存候(間)
よってはみぎとうのぎたしかのしょうことあいなるべきとぞんじたてまつりそうろう


(大意)
御奉行所様が念入りに調べるべき証拠の品々でしょうから、これらの証拠品について問い調べる
ことはされないと道案内をした者からはっきりと承りました。
したがって、これらの品々は確かな証拠となるとおもわれますので


(補足)
「御奉行所様御吟味」、「御糺二」はよいとしても、「御道御案内」と「御」のオンパレード。
「御道」、ここの「道」はごく普通の字になってます。くずし字になると原型をとどめません。
「聢与」(しかと)、「耳」偏ですがそうはみえません。
「承」、くずし字は「様」の右半分みたいな感じ。「羊」+「水」のようでもあります。
「依而如件」(よってくだんのごとし)のように定型文で頻出。ここでは「依而ハ」と「ハ」がついているので(よりては)としたいのですが、通常の読みにしました。

 河原に筏の丸太や材木などの品々が散らかったままになっているのを証拠として戸口村の者どもを取り調べとっちめてやってください。ということを訴えているのですが、前半2行の言い回しがどうもしっくりきません。筏や諸材木が散乱していることを糺されることはないと理解しました。


2019年11月28日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その60




 P.36 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
未 夕有之  其 上 右 乱 妨 之砌 り関 東 御取 締  御
いまだこれありそのうえみぎらんぼうのみぎりかんとうおとりしまりご

出役 様 方 最寄 村 方 御廻  村 先 二而御聞 込 ミニ
でやくさまがたもよりむらかたおまわりむらさきにておききこみにて

相 成 御手入 可相成   所  戸口 村 ゟ 送訴 二罷  出候  上  ハ
あいなりおていれあいなるべくところとぐちむらよりそうそにまかりでそうろううえは



(大意)
いまだあり、その上前述の乱暴の際に関東御取締御
出役様方がもよりの村を見廻り聞き込みをし
調査されるべきところ、戸口村よりも訴えが出されてしまいました。そうなってしまった以上



(補足)
「出役」(しゅつやく、でやく)、読みをいつも悩むのですが、どちらでもよさそうです。
「最寄」、「最」のくずし字は「日」が「宀」、下部はそのまま「取」になってます。
「聞込ミニ」、「ミニ」がとても小さく、この2行後の「御糺二」の「二」はもっと小さい。
「聞」のくずし字はとても特徴的なので読み間違えません。
役職に「御」がつくのはよいとしても、そのあと「御」が3つもあります。


 戸口村からも訴え状が出ていたのでした。
坂口村の均平さんから訴えられて、戸口村の七左衛門さんが答弁書を提出しました。
その後に、七兵衛さんが均平さんを訴えでたようです。
それに対する答弁書がこの書状ということなるのでしょうか。