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2025年5月18日日曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その28

奥付・広告 個人蔵

裏表紙

(読み)

(大意)

(補足)

『BOOKS ON CRÊPE PAPER』とあって、すでに出版したちりめん本広告の見開き2ページとなっています。

 裏表紙は他のちりめん本では絵があって楽しかったのですが、このちりめん本では無地でした。残念。

 さて、次回より『江漢西遊日記』巻四から再開します。

 

2025年5月17日土曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その27

P25 個人蔵

(読み)

なし

(大意)

なし

(補足)

 寄席囃子(よせばやし)とか出囃子(でばやし)とよばれている、太鼓や三味線などで賑やかに奏でる。ここでは大太鼓と三味線。現在でもまったく同様にしています。

 子どもが踊りでも披露するのでしょうか、左手に桃色の扇を広げて高座に上がるところのよう♪振り袖に橙色の濃淡がきれい、裾は明るい桜色。

 三者がとても丁寧に描かれているのが印象的であります。

 板戸のような引き戸があって、これどうなってるのでしょう?

 

2025年5月16日金曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その26

P24 個人蔵

(読み)

The room shook with thunders of ap-

plause, when he left the platform. I was

touched and gratifed at the same time,

for it almost seemed as though the ova-

tion, coming from Asiatics, was partly

meant for me, since I, too, was European.

I hastily left the room anxious to intro-

duce myself and congratulate my friend

with all my heart, bUt he had already

gone, to avoid the triumphant reception

awaiting him in the street. Leaping into

a jinrickisha, I drove to his hotel, having

fortunately procured his address. Alas!

I arrived about as opportunely as Offen-

bach's carbineers: the bird had flown.

He had gone by the midnight - train to

fulfil an engagement in an important town

in the South.

Osman Edwards.

Tokyo.

(大意)

 彼が壇上を去ったとき会場はわれんばかりの拍手喝采で揺れた。わたしは感動し同時に感謝した。その拍手喝采は彼と同じヨーロッパ人のわたしにとって、アジア人から認められているようにおもわれ、意味のあるものだったからである。

 わたしはいそいで寄席を出て、彼に自己紹介をして、誠心誠意今夜の公演の素晴らしさを讃えようとしたが、かれはすでに去ってしまっていた。街なかで彼の出を待っている聴衆を避けるためだろう。

 人力車に飛び乗り、彼のホテルへととばした。幸いにも住所は入手してあった。あぁっ、わたしはオッフェンバックのカービン銃隊のように折よく到着した。

 が、鳥は飛び去ってしまっていた。彼は南部の大きな街での興行のために真夜中の列車に乗って行ってしまったのであった。

  オスマン・エドワーズ、

東京にて。

(補足)

「オッフェンバックのカービン銃隊」、オッフェンバックのいずれかの喜歌劇の中の出てくる場面のひとつをたとえているのでしょうけど、不明であります。

 快楽亭ブラックは結局つかまえることはできずに、神戸で高座を見るにとどまってしまいました。

 現在、ブラックに関する本も何冊か出版され、またネットでもいろいろ確かめることができます。写真もありました。

 この当時、日本語を習得し、プロとして高座にあがる英国人がいて、人気があったということは、とてもとても興味深いことです。

 

2025年5月15日木曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その25

P23 個人蔵

(読み)

denser, and more than one was talking

loudly of the celebrated, foreign hanashika,

At last, then, I had caught him! I

entered and had the good fortune to hear

him for the first time.

I was astounded.

(大意)

さらに大声でその著名な外国の噺家のことをはなしていた。

 そしてついに、わたしはかれをつかまえた!

中に入り、幸運にもはじめてかれの噺しを聞くことができた。

 驚愕した。

(補足)

 地味なテーブル掛けを自然な感じでなじむように描いているところがうまいですね。急須と湯呑、当時は必ず脇に置かれるものだったようです。

 堂々たる講釈ぶりで、見栄えがします。実際にこのようにして、また先に紹介した『落語家_懐かしき人たち』の中にあるブラック氏の語り口そのままの文章に、この姿を重ねるとちょっと感動します。

 

2025年5月14日水曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その24

P22 個人蔵

(読み)

hot springs, situated in a mountain - district

at a height of 2,500 feet.  The hotel-

servant showed me a room, saying " This

room, Sir, has just been occupied by a

fellow - country man of yours,"(to most

Japanese all foreigners are English,) " the

 celebrated hanashika, Mr. B..." " And

where is he ? I cried wildly. " He

went away, Sir, yesterday." In could not

ascertain in what direction. Some months

afterwards I happened to be at Kobe, a

large town about 376 miles from the

capital. After dinner I was strolling through

the picturesque and crowded streets of that

liveley port, when suddenly, passing before

a yosè, I caught sight of the portrait of

my evasive friend, conspicuous among

many others on the enormous poster.

He was to recite that evening. Every

minute the crowd at the door grew

(大意)

 ホテルの従業員が部屋を見せて言うには、「お客様、この部屋はあなたと同じお国の方がお泊りになっていました」(ほとんどの日本人にとって外国人といえば英国人のことなのだが)、「著名な噺家である某B様で」「で、彼はどこにいる?」わたしは大声で叫んだ。「かれは昨日お発ちになられました、お客様」。どちらへ向かったかは確かめることはできなかった。

 数カ月後、わたしは神戸にいた。そこは首都から376マイル離れた大きな街である。夕食後、わたしは活気ある港町の絵のように美しくにぎやかな通りを散歩していた。ある寄席の前を通り過ぎたとき突然に、巨大な看板のなかで誰よりもひときわ目立って、わたしから逃げ回っているかのような友人の似顔絵が目に入ったのだった。彼はその晩、高座に上がることになっていた。刻々とドアの前の人だかりはこくなっていき、

(補足)

 はじめて見るような単語も多く、ひとつひとつ調べてみるも、意味が今ひとつ?いつもながら文章全体の流れをつかんで、意味がよくわからない部分にあう訳を当てはめ埋めてゆくような作業を繰り返しました。 

2025年5月13日火曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その23

P21 個人蔵

(読み)

the very moment, when

 I thought to overtake

 him, for his profession

drives him from place to

 place like a wandering

Jew.  In the June of

last year I arrived one

 day at Ikao, a 

 fashionable

     summer

     resort

       with

(大意)

昨年6月のある日、わたしは標高750mの山間にある高級な伊香保という温泉地にいた。

(補足)

 伊香保温泉の一室からの山のながめ、昨年夏の旅行で描いた1枚といわれても、誰もがうなずいてしまうくらいの、空気感。

 煙草盆は寄席で案内人が持っていたものと同じです。側板のくり抜きは指を掛けられるようにするためのようです。

 奥の黒い塊は、黒電話ではなく鞄でしょう。

欄干に温泉でいくらか汗をかいた浴衣をほしかけてあるのが温泉風情です。

 

2025年5月12日月曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その22

P20 個人蔵

(読み)

the shores of Nippon? He has grown

up in the midst of this delicate people; an

artist himself, he has fallen in love with

this artistic race, with this beautiful land;

others have been seduced and captivated,

while he has been wholly and solely

absorbed. I had been haunted for a

long time by a secret longing to become

acquainted with this phenomenon, dilettante,

or outcast 一 I know not what to call

him 一 for whom cherished а strange

admiration mingled with sympathy and

curiosity. I wished to question him, to

study him, to turn over page after page

of his life, as one might be a book or a

document. What interesting things might

be learned from such a man! How much

he must know about Japan, so little known

yet!  Many a time on my travels I had

searched for him and was always eluded at

(大意)

 芸術家である彼はこの繊細な国民のなかで育った。彼はこの芸術的な民族、美しい国土に恋に落ちてしまった。彼以外の他の人たちも惹きつけられ魅了されてしまっていたが、彼は完全に心からそれらのことを自分のものにしてしまっていたのだ。

 わたしは長いこと、彼のことを、奇人、好事家、もしくは、はみ出し者など、なんとよんでいいのかわからないのだが、知り合いになりたいという密かなおもいにとりつかれていた。そんな彼にたいして、わたしは共感と好奇心の入り混じった複雑なあこがれをもち続けていた。

 わたしは彼に質問をして、かれについて研究してみたいとおもった。彼の人生を、まるで一冊の本や文書のように、いちページいちページめくってみたいとおもった。このような人物から、どんな興味深い事柄を学ぶことができるだろうか!かれはまだほとんど知られていない日本について一体どれほど知っていることだろうか。

 わたしは旅先で何度も彼を探したのだがそのたびごとに、さまよえるユダヤ人のような彼の職業のためか、先んじて捕まえたと思ったその瞬間に、逃げられてしまっていた。

(補足)

 文章が「;」や「,」、または「ー」などで続けられ、いささか散文的であり、わかりにくいところがありますが、まずは全体の意味をとらえてからという読み方で、理解するしかありませんでした。それでもまぁ何を言いたいかはぼんやりとわかります。

 

2025年5月11日日曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その21

P19 個人蔵

(読み)

mode of life. I imagine that he has

almost forgotten his mother-tongue and

became a naturalised Japanese citizen some

years ago. At present he is a man of

about forty, who manipulates his adopted

language with the ease not only of an

accomplished scholar but of a veritable

virtuoso, displaying infinite talent. More-

over, he is an artist, who by remaining

in Europe would assuredly have cut an

excellent figure there. Only those, who

have studied the most difficult of lan-

guages,一Japanese一 who have lifted,

however slightly,the veil, which covers its

mysterious idiom, can understand how this

man must have worked to arrive at such

perfection. Surely, the peculiar case of

this Englishman must be unique. By

what accident, through what vicissitudes of

fortune,was this European stranded on

(大意)

 わたしは彼が母国語を忘れたのではないかとおもっている。また数年前に彼は日本に帰化した。現在彼は40歳前後の男であり、熟達した学者というだけでなく、正真正銘の名人、無限の才能を発揮していて、帰化した国の言葉を自由に操っている。

 さらに、彼は芸術家であり、もし欧州に残っていれば間違いなく際立った業績をそこに刻み込んだろう。

 もっとも習得が困難な言語、日本語を学んだものだけが、またその日本語は神秘的な言語で、覆われているベールをほんの少し持ち上げようとしたものだけが、この男があのような完璧さに達するためにどのような研鑽を積まなければならなかったを理解することができるのである。

 確かに、この英国人の特異な事実は特別のことだったに違いない。いったいどのような出来事があって、またはどのような運命の導きによって、この欧州人は日本という土地にとどまることになったのであろう。

(補足)

 当時というか今でも、「the most difficult of lan-guages,一Japanese一 」のように日本語は外国人が習得するには難しい言語といわれています。しかし、言語学関係の書物を読んでみますと、特に難しい言語ではないようです。むしろ文法的には簡単であるというふうにも記されていました。

 確かに、漢字・ひらがな・カタカナなど表記される記号が多いので、それに振り回され、難しく感じてしまうのでしょうね。 

2025年5月10日土曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その20

 

P18 個人蔵

(読み)

ment at each yosè (for in one evening they

will appear at five or six different establish-

ments) does not extend beyond a fortnight.

Often they are summoned to the houses

of rich persons, who desire to give their

guests a particular treat; in such a case

they receive from three to ten yen for their

performance.

 I will conclude this short study of the

hanashika with a curious fact. This as-

sociation of artists includes among its mem-

bers 一 you would scaresly believe it一an

Englishman, Mr.B. ....;how he came

to Japan no-one knows. He is always

moving from one important town to an-

other; his name heads the bills of the

best yosè; he has married a woman of the

country, by whom he has several children,

and has given up entirely his European

habits in order to adopt the Japanese

(大意)

 彼らのそれぞれの寄席での契約は、一晩に5,6ヶ所の高座に上がるのであるが、2週間をこえることはない。しばしば噺家たちは金持ちの家に招かれ、かれらの招待客に特別な出し物をすることを求められることがあり、そのような場合でも噺家たちが受け取る報酬は3円から10円である。

 わたしは最後にとても興味を引く事実をもって、この短い噺家の研究をしめくくりたいとおもう。

 この芸術家協会の中に、あなたはとても信じられないであろうが、英国人某B氏がいる。かれがどのように日本にやって来たのか知っている人は誰もいない。かれはいつも主要な街を転々としている。大きな寄席の演目のトップに名を連ねている。日本の女性と結婚し子どもを数人もうけ、日本の生活様式に慣れ親しむようヨーロッパの習慣は完全に断ち切っている。

(補足)

「 Mr.B. ....」、快楽亭ブラックのこと。中表紙見返しの寄席入口の2階の看板に「英國人ブラツク」とあります。『落語家_懐かしき人たち』という本にブラック自身の当時の落語界にたいする考えがのっています。 

 ブラックのお墓は横浜外人墓地にあるらしいです。

 

2025年5月9日金曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その19

P17 個人蔵

(読み)

his audience. At pathetic moments, when

the traitor is on the point of being seized,

or the lovers of being at length reunited

after a long separation, he stops....." To

be continued to-morrow night" he says

quietly, bows, and disappears. And the

next night the audience returns to know

if the traitor has really been taken and

whether the lovers were actually reunited.

 The hanashika is a true artist, at

times a distinguished writer like HAKUEN

and ENCHO, who are also shin-uchi of un-

paralleled ability. The best known, after

HAkUEN and ENCHO, are ENRIN, JOEN, RIUSHI,

Kösan, and HAKUZAN. When a hanashika

enjoys the favour of the public, he makes

as much as a hundred yen (£ 10) a month.

Some receive no fixed salary, but take sixty

per cent of the receipts, while the impresario

takes the remaining forty. The engage-

(大意)

 裏切り者がまさに捕まえられるときや、あるいは長い間、離れ離れになっていた恋人同士が再会するというその一番よいところで、彼は噺をやめ、間(ま)をとって「ちょうど時間となりました。続きはまた明日の晩に」と静かに言って、お辞儀をして、下がる。

 そして、翌日の夜、観客は裏切り者はその後確かに捕まり連れ去られたのか、あるいは恋人同士は本当に再会できたのかどうかを知りたくて戻って来る。

 噺家は真の芸術家であると同時に、ハクエン(伯円 (講釈師松林伯円))やエンチョウ(円朝)のようなすぐれた作家でもある。かれらは並ぶもののない才能をもち、真打ちでもある。

 ハクエンとエンチョウにつづくもっとも知られているのは、エンリン(燕林(講釈師桃川燕林))、ジョエン(如燕(桃川如燕))、リュウシ(柳枝)、コサン(小さん)、ハクザン(伯山(講釈師神田伯山))である。

 噺家が大衆の人気になると、一月に百円(£10(十ポンド))程度も稼ぐ。固定給を受け取らずに、高座収入の6割を取るものもいる。興行主は残りの4割ということになる。

(補足)

 現在でも、講釈師は噺の一番いいところで「〽ちょうど時間となりました〜〜♪」の決め台詞で噺を切っています。ここにあげられている講釈師たちは、今活躍している講釈師の2,3(or4)世代前くらいですから、芸風がころっと変わるわけがありません。

 

2025年5月8日木曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その18

P16 個人蔵

(読み)

His gestures, though re-

strained,

are striking and his

diction is perfect. He

excites and subjugates

(大意)

 彼の手振り身振りは、緊張感があるのだが印象的であり、その語りは完璧なのである。観客をワクワクさせたりまた圧倒する。

(補足)

 いっせいに出入り口に殺到するお客さんたち、履物の木札を差し出しています。一番左の茶色のフロックコートを着た方、この姿を見るとどうしても、父方の祖父を思い出してしまいます。色も同じでした。

 出入り口敷居のところにあった、盛り塩は片付けられてしまったよう。ドアの格子部分が異様に背が高いのですけど・・・

 

2025年5月7日水曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その17

P15 個人蔵

(読み)

Reaching out his hand from time to time,

he seizes the kettle and pours himself out

a cup of warm water, which he drinks in

a very leisurely manner so as to re-

cover breath and choose his

next phrase.

(大意)

 時折、手を伸ばし、やかんを手にとり、茶碗に湯を注ぐ。彼はゆったりとした動作で飲むのだが、それはまるで息を整え、次の言葉をさがすためにしているようにも見える。

(補足)

 真打ちの高座(羽織には柄が入ってます)、背筋をキリッと伸ばし、おもむろに白湯を飲むながら今夜のお客さんたちを右から左、上から下へとゆっくり眺めわたします、絵師もうまいものです。古風な昔の高座を演出して、現在の浅草演芸場でやっているといわれても、何の違和感もありません。

 しかし、お客さんたちは当時の方々。最前列、右から二人目と三人目は年寄り夫婦のように見えます。女性の方が少し背中が丸くなっているのでそうなのかと、そしてその左隣に孫でしょうかね、絵師は人物をよく見ています。

 

2025年5月6日火曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その16

P14 個人蔵

(読み)

A second zenza takes his place, followed

by a second interlude, and so the pro-

gram proceeds. Towards ten o'clock the

shin-uchi comes, bows with the assurance

of a man, who knows his audience,

and begins his story. He modulates

his voice to suit the incidents and passes

from laughter to tears, from emphasis to

fury, according to the characters,whom

he represents and with whom for the

moment he is identified.Every class in

society with its virtues and its vices 一

especially, its vices 一encounters his criticism,

and mothers-in-law come off as badly as in

other countries. His storics are generally

very long and occupy ten, twenty, some-

times thirty performances. Often his com-

ments verge on impropriety and he lays

stress on risky scenes, knowing that his

audience delights in and expects them.

(大意)

 代わって、二人目の前座が登場し、二度目の幕間が続き、そのようにして出し物は進行してゆく。10時になる頃、真打ちが登場し聴衆に一瞥をくれると、堂々とした所作でお辞儀をし、はなしをはじめる。

 彼は噺の出来事にあわせて、滑稽なことから悲しい感情まで声の調子をかえ、また噺に出てくる人物の性格に応じて、さらにあるときには登場人物にすっかりなりきって、表情や感情を強調してみたり怒りを爆発させてみたりする。

 社会のあらゆる階層には美徳と悪徳があり、特に悪徳はかれの噺の舌鋒の的となる。そして継母は他のどこの国でもおなじように、ひどい目に合うこととなる。

彼の噺は概して大変に長い。10回20回ときには30回にも及ぶ。しばしば彼の話しぶりは無作法になったりもする。彼は観客がどうしたら喜んだり、何を期待しているのかを知っているので、きわどいところではそのような緊張感を持つよう仕向けているのである。

(補足)

 テレビで現在寄席を定期的に放送しているのは、チバテレビの「浅草お茶の間寄席」くらいだろうか。ついさきごろまでTVKで放送されていたのを見ていたが、室内アンテナにしたので見ることができなくなってしまいました。

 地デジで見ることができるようにどこかの局で放映してくれないかな。 

2025年5月5日月曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その15

P13 個人蔵

(読み)

otoshi-banashi, amusing little stories and

very short, which only take half an hour

at most. Then,to vary the program,

comes an interlude or nakairi. Either the

samisen sends forth its plangent notes to

every corner of the room or perhaps

a prestidigitator, a tezuma, performs his

tricks and swallows swords, which reap-

pear in the shape of eggs in the hat of

some gentleman in the audience. Mean-

while the zenza has slipped away in haste

to recite his otoshi-banashi in a different

locality, where another audience awaits him.

(大意)

 前座たちは長くても30分程度の短い愉快な小話を語る。それから、出し物に変化をつけるために、幕間または中入りとなる。その間、物悲しい三味線の音色が寄席の小屋の隅々にまで鳴り響いたり、あるいは手妻とよばれる奇術師が芸を披露したり、剣を飲み込んでそれが再び、聴衆の中のある紳士の帽子の中から卵の形のようなものとなってあらわれるようなものを見せたりもする。その間に、前座は急いでそこから抜け出て、彼を待っている他の聴衆の寄席に行って落とし噺を演じる。

(補足)

 挿絵の寿司がうまそうで、つられて調べてみました。

このように重ねて盛られているのを「積み込み」というのだそうです。浮世絵に描かれる寿司はきまって積み重ねられているとあります。

 またこのような文章もありました。『天保8年(1837年)より刊行された『守貞謾稿』には図入りですしが紹介されている。一番上が握りの玉子、2番目は玉子の巻きずし。今と違って魚介より玉子が重宝された時代背景がうかがわれる』。この挿絵でも玉子が一番上にきていますね。

 詳しくは以下HPをご覧ください。

 味の素食の文化センター『賑やかな宴席の料理(春)林綾野(はやしあやの)』。

 https://www.syokubunka.or.jp/publication/column/experts/post004.html

 

2025年5月4日日曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その14

 

P12 個人蔵

(読み)

You accept, therefore, the delicious bever-

age (which is not sugared, of course,

and generally draws a grimace from the

European) and pay in advance for your

seat your cushion, and your cup of tea.

If you have a fancy to indulge in an

orgy, you may just as well offer yourself

sundry delicacies, - such as little balls of

rice soaked in vinegar and wrapt in a

slice of fish, dried sea-weed, radish, tiny

morsels of cuttle fish, and other dainties.

 But now everyone is silent, for the

fine curtain has risen and a hanashika ap-

pears. He is quite young, a débutant,

or, as they say here, a zenza; the consum-

mate artist, the shin-uchi, is reserved until

last, as the pièce de résistance, since he

is more likely to elicit the applause of

the audience, and, above all,to make

them come again. The zenza relates

(大意)

 それゆえ、あなたはおいしい飲み物(もちろん、砂糖は入ってなく、欧州人にとってはおおむね顔をしかめるようなものだが)を受けとりますが、それらは前もって席料として、お茶と座布団の料金として支払ってあります。

 あなたがもしもっと豪華にやりたいのならば、様々な珍味、それらは酢で湿した米を球状にしたものに、魚を薄切にしたものや、乾燥した海藻や大根、小さな切り身にした甲イカ、その他おいしいものを巻き付けてあるものを注文すればよろしい。

 しかし誰もが今は、すばらしい幕が上がり、噺家があらわれるのを待って、静かにしている。その人物は異様に若く、デビューしたばかりなのか、客たちは彼のことを前座と言い、修行を積んだ噺家を真打ちと呼び最後の舞台をまかされている。真打ちは料理で言えばメインディッシュであり、聴衆の喝采をあびやすいだろうし、そしてなによりも、再び寄席に足を向けさせることができるからである。

(補足)

 P13のお寿司だけを切り抜きました。 

 文中の説明通り、おいしそうです。今なら寿司桶ですが、この当時は仕出しはお皿だったのでしょう。思い出しましたが、ちょっと前でも寿司屋からではなく、魚やをかねた仕出し屋からお寿司を注文すると、必ずお皿に盛ってありました。

 配達するには、寿司桶のほうが重ねることができますからほとんどがそうなってしまったのかも。お皿に盛るのはご近所さんだけになってしまったのでしょうか。

 百年以上前のお寿司をカラーで見ることができるなんて、なんか不思議であります♪

 

2025年5月3日土曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その13

P11 個人蔵

(読み)

nasai (Deign to accept).' You are not

offered tea to prevent you from sleeping

through the most interesting performance,

which is about to take place (that would

be indecorous to the last degree), but

simply because it is the custom, as every-

one drinks tea, and you would be thought

an eccentric person, if you refused.

(大意)

 あなたはこれから行われる、ある程度不適切なところがあるかもしれないが、もっとも興味深い演芸の最中に居眠りをしてしまわないように、お茶が供されるのではない。簡単に言ってしまえば、単に習慣なのだ。多くの人たちがお茶を飲んでいるときにあなただけがもし断れば、あなたは風変わりな人だとおもわれるだろう。

(補足)

 地元の名士風の人や、ちょんまげ姿の人もいますし、特にご婦人方はお化粧をしてるのか、顔がことのほか白くなっています。日本髪も美しい。

 座敷席ならではのにぎやかさです。

 

2025年5月2日金曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その12

P10(P11) 個人蔵

(読み)

なし

(大意)

なし

(補足)

 P10P11は見開きで、その8では2階席の様子でした。今回は1階席、開演前の様子でしょうか。煙草盆と座布団を持ってきた案内係の半纏は一見無地のように見えますが、拡大すると柄が入っています。その後ろの黒の羽織を着ている御婦人も同じような柄入りです。遠目からは黒無地に見えても、近づくと何らかの柄が入っているというおしゃれ。

 左隅では、左手を振り上げて何かわめいている男性の表情が、顎がはずれそう。すぐ後ろには、家族で来たのか男の子女の子母親祖母という雰囲気です。

 どうでもよいこととおもいますけど、煙草盆の側面の窓は何のためにあるのでしょうか?意匠ではなさそうだし・・・

 

2025年5月1日木曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その11

P9 個人蔵

(読み)

the gift of some local Macaenas, who wishes

to be talked about, since his name is

embroidered on it in large letters, that

everyone as well as the recipient, be he

artist or impresario, may know of his

generosity. Close to the Platform is a

hibachi, or small brazier, indispensable and

ubiquitous, supporting on its ardent coals

a copper kettle, or yakan. Directly you

have settled down in your place, one of

the numerous naka-uri* approaches and

smilingly prostrates herself at your feet;

then offers you a velvet or leather

cushion according to the season and a

tabakobon, in which you will find a small

porcelain edition of the hibachi, serving to

light your pipe; and a tiny bamboo tube,

which answers the purpose of a spittoon.

Gently and gracefully she offers you a

cup of tea with the words, 'O-agan-

 * Waiter, mostly female.

(大意)

 そののれんは地元の後援者の贈り物で、自分の名前を大きな文字でのれんに刺繍して、知ってもらおうと願っているのである。贈られた者だけでなくたくさんの人たち、また芸人や興行主は後援者のその気持ちをよく理解している。

 台のそばにはヒバチもしくは小さい火鉢があり、欠くことのできぬどこにでもあるものである。火鉢の中の真っ赤な炭の上には銅製のやかんがのっている。

 自分の席に腰を下ろすとすぐに大勢のナカウリ(ウエイター、たいていは女性)のうちの一人がやって来て、にこやかにあなたの脚元にひれ伏す。そして、季節に応じてベルベットか皮の座布団とtabakobonを差し出す。煙草盆の中には磁器製の火鉢があることに気づくだろう。それはパイプに火を付けたり、また小さな竹筒のようなものは吸い殻を落とすためのものである。

 ナカウリの彼女は「おあがんなさい(おがりください)」という言葉とともに、そっと優雅にお茶を供する。

(補足)

 はじめてみる単語がたくさんあります。しかし、日本人には馴染のある寄席風景で何を説明しているかがある程度わかっているので、いくらかはなるほどなとおもいつつ読み進めます。

「spittoon」は辞書に「たんつぼ」とありました。吸殻入れのはずです。でも・・・。

 

2025年4月30日水曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その10

P8 個人蔵

(読み)

Here are functionaries with homely but

slightly haughty manners, worthy citizen of

the neighbourhood, accompanied by whole

families, and some of the populace as well,

-all waiting patiently for the entertainment

to begin, as they smoke diminutive pipes

and sip tea. It is very simple, this room,

like all Japanese rooms. At the further

end is a small platform, allotted to the

hanashika, and behind it the performers'

entrance, half-hidden by a costly curtain,

(大意)

 ここには、親しげだがどこか高慢な感じの役人風の者もいれば、近所の善良な市民や家族全員を連れてる者、そして同じくいろいろな人々たちが、開演を辛抱強く、煙草をふかしたり、お茶をすすったりしながら待っているのである。この部屋は他の日本の部屋などと同じように、大変に簡素なつくりになっている。

 奥まったところには、噺家のための小さな台があり、その後ろには演者たちのための出入り口があって、高価そうなのれんで半ば閉ざされています。

(補足)

 前のページで煙草盆のわきにあるのを下足札としましたが、ここでは「〼五番」とあって、座る場所の札になっています。はて?(「〼」は枡記号(一升枡の形に斜め線)で、フォントでも定着しているようです)

 床が薄緑になっているのは、畳のようで、それに座布団。大きめの急須と茶碗もあります。

 

2025年4月29日火曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その9

P7 個人蔵

(読み)

tatami, those mats of dazzling cleanliness,

on which Japanese existence is passed.

Finally, you mount a staircase, very shining,

very polished, to the nikai or first floor,

where you are greeted from every quarter

at once with a second chorus of ' Irasshai!' 

The whole room is at your disposal; you

may sit, where you please, or rather, where

you can, for most seats are filled, as a rule,

from the commencement.

(大意)

日本人は輝くくらいに拭かれて清潔な畳というマットの上で生活しているからである。

 寄席小屋では最後に、ピカピカに磨きあげられて輝いている階段を上がり、二階(一段目の床)へ行く。一斉に四方八方から二度目のいらっしゃいの合唱で迎えられる.

 部屋全部が自由席で、どこに座ってもよい。というのも、ほとんどの席は、大抵の場合、最初から埋まってしまっているからだ。

(補足)

 その6で「大人口十」の意味が不明としました。調べたり考えたり、💡っとひらめきました。読みはそのままできっと「おとなくちじゅう」です。意味はこの「口」というのは助数詞で一口(ひとくち)、二口(ふたくち)などのように使います。なのでこの大人口というのは大人ひとりということで、十は十銭ということ。大人一「人」十銭の「人」を一口噺にひっかけて大人口十と寄席風にしたものとおもわれます。

 観客の後ろには、煙草盆やお茶のお盆、下足札もあります。江戸後期から明治に日本にやってきた西欧では上流階級に属するような人たちが、一様に驚いたのが日本の一般庶民の着物の色柄のシックさで、そのセンスの良さに感嘆しています。

 観客の薄ろ姿だけでも、地味ではありますが一人ひとりの色柄を変えていて、女子は娘の髷もあれば、御婦人の丸髷も数種類あるようにおもわれます。女の子もちらっと見えています。絵師・彫師・摺師の三者がとても優れていることがわかります。

 わたしが小学校入学したときの学級の保護者との記念写真では、母親たちは全員着物姿でありました。