2025年5月16日金曜日

JAPANESE STORY-TELLERS その26

P24 個人蔵

(読み)

The room shook with thunders of ap-

plause, when he left the platform. I was

touched and gratifed at the same time,

for it almost seemed as though the ova-

tion, coming from Asiatics, was partly

meant for me, since I, too, was European.

I hastily left the room anxious to intro-

duce myself and congratulate my friend

with all my heart, bUt he had already

gone, to avoid the triumphant reception

awaiting him in the street. Leaping into

a jinrickisha, I drove to his hotel, having

fortunately procured his address. Alas!

I arrived about as opportunely as Offen-

bach's carbineers: the bird had flown.

He had gone by the midnight - train to

fulfil an engagement in an important town

in the South.

Osman Edwards.

Tokyo.

(大意)

 彼が壇上を去ったとき会場はわれんばかりの拍手喝采で揺れた。わたしは感動し同時に感謝した。その拍手喝采は彼と同じヨーロッパ人のわたしにとって、アジア人から認められているようにおもわれ、意味のあるものだったからである。

 わたしはいそいで寄席を出て、彼に自己紹介をして、誠心誠意今夜の公演の素晴らしさを讃えようとしたが、かれはすでに去ってしまっていた。街なかで彼の出を待っている聴衆を避けるためだろう。

 人力車に飛び乗り、彼のホテルへととばした。幸いにも住所は入手してあった。あぁっ、わたしはオッフェンバックのカービン銃隊のように折よく到着した。

 が、鳥は飛び去ってしまっていた。彼は南部の大きな街での興行のために真夜中の列車に乗って行ってしまったのであった。

  オスマン・エドワーズ、

東京にて。

(補足)

「オッフェンバックのカービン銃隊」、オッフェンバックのいずれかの喜歌劇の中の出てくる場面のひとつをたとえているのでしょうけど、不明であります。

 快楽亭ブラックは結局つかまえることはできずに、神戸で高座を見るにとどまってしまいました。

 現在、ブラックに関する本も何冊か出版され、またネットでもいろいろ確かめることができます。写真もありました。

 この当時、日本語を習得し、プロとして高座にあがる英国人がいて、人気があったということは、とてもとても興味深いことです。

 

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