P6 東京国立博物館蔵
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(読み)
山 路 ニ入 かや生 して木少(スクナ)し峠(トヲケ)ニ至 リて
やまみちにいりかやしょうじてき すくな し とおげ にいたりて
室 積 と(ト)云フ処 を一 目尓見おろ春甚 タお
むろづみと いうところをひとめにみおろすはなはだお
毛しろき所 なり爰 ハ長 州 防 州 能堺 ナリ
もしろきところなりここはちょうしゅうぼうしゅうのさかいなり
岩 国 領 柳 井津より五里能路 なり爰 ヨリ
いわくにりょうやないつよりごりのみちなりここより
案 内 能人足(ニンソク)をかえ春山 を下リて人 家アリ
あんないの にんそく をかえすやまをおりてじんかあり
昼 喰 せんとて柿(カキ)など賣ル家 ニより茶 を乞(コフ)
ちゅうじきせんとて かき などうるいえによりちゃを こう
て喰 事春此 所 邊 土故 尓喰 店 なしさて
てしょくじすこのところへんどゆえにしょくてんなしさて
爰 ハ家 千 余軒 あり昔 シ聖 空 上 人 と云
ここはいえせんよけんありむかししょうくうしょうにんという
出 家能墓(ハカ)あり舩 かゝ里能処 故 尓遊 女 あり
しゅっけの はか ありふながかりのところゆえにゆうじょあり
遊 女 家(ヤ)尓大 黒 屋ゑび春や能二軒 ハ其
ゆうじょ や にだいこくやえびすやのにけんはその
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室 積 の圖
むろづみのず
豊 後山
ぶんごやま
象 の鼻 山
ぞうのはなやま
普賢 山
ふげんやま
性 空 上 人 碑
しょうくうしょうにんひ
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海 蔵 寺
かいぞうじ
元 信 筆 捨 松
もとのぶふですてまつ
江ノ浦
えのうら
柴 カヤ
しばかや
国 木山
くにきやま
(大意)
略
(補足)
「室積」の古地図。普賢寺や海蔵寺が確かめられます。
古地図は1738年ですので、それからちょうど50年後が「室積の圖」となって、ほとんどかわっていません。「爰ハ家千余軒」とありますが、当時は近隣では大きな街であったようです。
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