2025年5月24日土曜日

江漢西遊日記四 その6

P6 東京国立博物館蔵

P8P9

(読み)

山 路 ニ入 かや生  して木少(スクナ)し峠(トヲケ)ニ至 リて

やまみちにいりかやしょうじてき  すくな し  とおげ にいたりて


室 積 と(ト)云フ処  を一 目尓見おろ春甚  タお

むろづみと   いうところをひとめにみおろすはなはだお


毛しろき所  なり爰 ハ長  州  防 州  能堺  ナリ

もしろきところなりここはちょうしゅうぼうしゅうのさかいなり


岩 国 領  柳 井津より五里能路 なり爰 ヨリ

いわくにりょうやないつよりごりのみちなりここより


案 内 能人足(ニンソク)をかえ春山 を下リて人 家アリ

あんないの   にんそく をかえすやまをおりてじんかあり


昼  喰 せんとて柿(カキ)など賣ル家 ニより茶 を乞(コフ)

ちゅうじきせんとて  かき などうるいえによりちゃを  こう


て喰  事春此 所  邊 土故 尓喰  店 なしさて

てしょくじすこのところへんどゆえにしょくてんなしさて


爰 ハ家 千 余軒 あり昔 シ聖  空 上  人 と云

ここはいえせんよけんありむかししょうくうしょうにんという


出  家能墓(ハカ)あり舩 かゝ里能処  故 尓遊 女 あり

しゅっけの  はか ありふながかりのところゆえにゆうじょあり


遊 女 家(ヤ)尓大 黒 屋ゑび春や能二軒 ハ其

ゆうじょ  や にだいこくやえびすやのにけんはその

P8P9

室 積 の圖

むろづみのず


豊 後山

ぶんごやま


象 の鼻 山

ぞうのはなやま


普賢 山

ふげんやま


性  空 上  人 碑

しょうくうしょうにんひ

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海 蔵 寺

かいぞうじ


元 信 筆 捨 松

もとのぶふですてまつ


江ノ浦

えのうら


柴 カヤ

しばかや


国 木山

くにきやま

(大意)

(補足)

「室積」の古地図。普賢寺や海蔵寺が確かめられます。 

 古地図は1738年ですので、それからちょうど50年後が「室積の圖」となって、ほとんどかわっていません。「爰ハ家千余軒」とありますが、当時は近隣では大きな街であったようです。

 

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