2026年5月31日日曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その1

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

河 蝦

可ハゑび

かわえび


川 海老を取 尓ハ竹 の簀を可ぎ能手尓立 まハしおき

可ハゑび とる  多け す

かわえびをとるにはたけのすをかぎのてにたちまわしおき


夜尓入 て其 可多ハら尓て松 明 をふれバ其 火のひ可り

よ    その      多いまつ

よにいれてそのかたわらにてたいまつをふればそのひのひかり


尓つれて打 よるを玉 あミ尓てすくひ取 也 凡  川 へ水 のお多る時

         多ま           およそ

につれてうちよるをたまあみにてすくいとるなりおよそかわへみずのおたるとき


川 者゛多尓て可ゞりをたけバゑび多 くより来 る也 手網 尓てすくひ取 べし

                          てあミ

かわば たにてかがりをたけばえびおおくよりきたるなりてあみにてすくいとるべし

(大意)

(補足)

「竹の簀を可ぎ能手尓立まハしおき」の仕組みがとての丁寧正確に描かれています。

 日本中のどこの川でもとれたのでしょうか、どこどこの名物なりと地名が特定されていません。

 子どもをあやしている御婦人ふたりはやはり前帯です。でんでん太鼓みたいなおもちゃを手にしています。子どもはあぶちゃんだけして下はスッポンポン。

 

2026年5月30日土曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その17

P32 国文学研究資料館蔵

(読み)

道 明  寺干 飯

とうミやうじ本しいひ

どうみょうじほしいい


河州  道 明  寺ハ菅 相  丞  の伯母君 の開基 尓て今 も

可し うとうミやうじ 可んせ うぜ う をハきミ 可いき

かしゅうどうみょうじはかんしょうじょうのおばきびのかいきにていまも


尼 寺 奈り此 寺 より出る本しいひ名 物 也 上  白 米 をむし

あまてら                       者くまい

あまでらなりこのてらよりでるほしいいめいぶつなりじょうはくまいをむし


阿げ磨 尓て細 可尓引 王り袋  尓つめて出須

  うす  こま  ひき  ふくろ

あげうすにてこまかにひきわりふくろにつめてだす


夏 暑 季者らひ尓水 尓ひ多して用 由

なつしょきばらいにみずにひたしてもちゆ

(大意)

(補足)

「道明寺」、『どうみょうじ だうみやう― 【道明寺】① 大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の寺。山号,蓮土山。聖徳太子の河州尼寺建立の願に応じて,菅原氏の祖,土師八島連(はじやしまのむらじ)が自邸を寺としたものという。のち菅原道真のおば覚寿尼が入住。本尊十一面観音像は国宝。旧称土師(はじ)寺。②「道明寺粉」の略。また,それで作った餅菓子。③「道明寺糒(ほしい)」の略』

「干飯」、『ほしいい ―いひ【干し飯・乾し飯・糒】飯をかわかして保存用としたもの。水にひたして柔らかにするとすぐ食べられる。ほしい。かれいい。かれい。季夏』

「河州」、『かしゅう ―しう 【河州】河内(かわち)国(① 旧国名の一。大阪府南東部に相当。五畿内の一。河州(かしゆう))の別名』

「磨」、『ま 【磨】漢字〔原義は,ひきうすの意〕① する。すりへらす。すりへる。「磨滅」② みがく。「研磨」「琢磨」③ きたえる。はげむ。「練磨」「切磋琢磨(せつさたくま)」』

 道明寺と道成寺、なんかまぎらわしい。なんか変だなとおもいながら読み進めていて、しばらくして道成寺と間違えているのに気づきました、お恥ずかしい😥間違いついでにもうひとつ、「干飯」をこの歳になるまでずっと「ほしい」と読んでいました。「ほしいい」だったのですね😥

 画には「磨尓て細可尓引王」るところがありません。

尼さんがはいているスカートみたいなのは「こしごろも【腰衣】僧尼が腰にまとう黒色の襞(ひだ)のある裳のようなもの。裙子(くんす)」というのだそうです。

 道明寺の桜餅が食べたくなりました。


 

2026年5月29日金曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その16

P30P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

天 満市  側 松 茸 市

てんまいちの可ハまつ多けいち

てんまいちのがわまつたけいち


大 坂 天 満橋  の北 つめより天 神 橋  の北 徒゛めの間  是 を

    てんま者゛し き多    てんじん者゛し

おおさかてんまば しのきたづめよりてんじんば しのきたづ めのあいだこれを


天 満市 の町  と云 青 物 干 物 等 能大 市 毎 日

      て う   あをもの可んぶ川とう     まい尓ち

てんまいちのちょうというあおものかんぶつとうのおおいちまいにち


毎 夜繁 昌  也 松 多けの頃 殊 尓賑 ハし松 茸 市 ハ夜 なれハ

まいよ者んしやう       ころこと 尓き

まいよはんじょうなりまつたけのころことににぎわしまつたけいちはよるなれば


松 明 を

多いまつ

たいまつを


と本゛して商  ふ播 州  能勢勝 尾等 能山 々 よりおび多ゝしく出ツ又

     あき奈      のせ可つをとう やま

とぼ してあきなうばんしゅうのせかつおとうのやまやまよりおびただしくいずまた


丹 波より多 く来 る◯京  都尓ハ高 倉 通  錦  下 ル町  尓

多ん者         きやうと  多可くらとをり尓しき

たんばよりおおくきたる きょうとにはたかくらとおりにしきくだるちょうに


松 茸 市 阿り

まつたけいちあり


甚  多繁 昌  也 京  い奈り山 高 雄山 龍  安 寺等 能

                   た可を  里やうあんじ

はなはだはんじょうなりきょういなりやまたかおやまりょうあんじとうの


松 茸 名 物 也

まつたけめいぶつなり

(大意)

(補足)

「北つめより」、「北」のくずし字は超初心者が春夏秋冬を学ぶときに、どうしてこれが「北」なのだと驚くくずし字です。「添」の「天」の中にある部品と同じ形です。「北」とは別の漢字と理解して覚えたほうがよさそう。

 松明3本の明かりの中、ひとりは縁台に立ってセリの音頭をとり、もう1人は籠に入った松茸を仲買人たちに見せているところ。指のかたちでセリ値を示しているようです。

 部屋の奥では黒い海苔巻のようなものがありますが、何でしょうコレ?

籠の中の松茸を見ると、すべてカサが開ききってしまって、現在の椎茸のように見えます。当時は天然の松茸は椎茸よりもたくさんとれていて、椎茸のほうが高級品でなかなか口にできなかったと言われています。

 

2026年5月28日木曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

奥 州 仙 臺 紙 子

おうし うせんだい可ミこ

おうしゅうせんだいかみこ


仙 臺  可ミこ地紙 徒よく能 もミぬきてこしら由る

せん多゛い   ち可ミ   よく

せんだ いかみこじがみつよくよくもみぬきてこしらゆる


故 やハら可尓てつやよし奥 州  ハ木綿 春く奈き

由へ                毛めん

ゆえやわらかにてつやよしおうしゅうはもめんすくなき


故 中  人 以下ハお本く紙 子をきる也 夜具も大 可多ハ

                     やぐ

ゆえちゅうにんいかはおおくかみこをきるなりやぐもおおかたは


紙 子尓てこしら由る也

かみこにてこしらゆるなり


◯其 外 諸 国 紙 子の名 物 肥後八 代 紙 子 播 磨紙子

 その本可しよこく可ミこ めいふ川ひごやつしろ    者りま

 そのほかしょこくかみこのめいぶつひごやつしろかみこ はりまかみこ


紀州  花井紙 子 美濃十  文 字 大 坂 松 下 一閑  紙 子

きし う奈ゐ    ミの志゛うもんじ お本さ可まつし多いつ可ん

きしゅうないかみこ みのじゅうもんじ おおさかまつしたいっかんかみこ

(大意)

(補足)

「花井」、フリガナは「奈ゐ」となってます。「は」を忘れたかも。しかし「けい」とも読むとありました。

 麻・生糸・木綿などを細くより合わせて糸にしてそれら経糸緯糸で織ったのが布生地。紙も楮苧やそれに適した植物繊維でできていますが糸にして織ったものではなく、細かくして溶かしたものを梳いて生地にしたものが紙。ですので紙を衣類にして着るといっても植物性繊維でできているので、その点は違いはありません。

 紙子の衣類を手にしたことがありますが、ちょっとゴワゴワしているような感じがするだけで、日常に着るのならば問題はなさそう、渋柿を塗るので風をとおさず、防寒着になったとのこと。

 この画では、生地づくりの工程を描いていて、衣類の加工はつぎの工場にまわすのでしょう。

 

2026年5月27日水曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その14


P26P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

河 内小山 團扇

可ハちこや万うち王

かわちこやまうちわ


柄ハ丸 竹 尓て志ぶうち王也 大 小  いろ\/有 名 物 尓て貴人

ゑ まる多け                          き尓ん

えはまるたけにてしぶうちわなりだいしょういろいろありえいぶつにてきにん


高 家へも召 上 られ又 農 工 商  買 の人 \/尓も賞  翫  せら

可うけ  めし阿け                    しやうくハん

こうけへもめしあげられまたのうこうしょうばいのひとびとにもしょうが んせら


るゝ團扇 也◯和州  奈良團扇 又 名 物 也

るるうちわなりわしゅうならうちわまためいぶつなり


小山 ハつよ起を専 とし奈良ハ花

        せん     く王

こやまはつよきをせんとしならはきゃ


奢 を㐧 一 と須其 外 京  大 坂 尓も此 細 工多 し◯

しや                    このさいくお本  

しゃをだいいちとすそのほかきょうおおさかにもこのさいくおおし


肥前 小城團扇 又 名 産 也 六 月

ひせんおき

ひぜんおきうちわまためいさんなりろくがつ


十  五日 此 所  の祇園 祭  有 参 詣 の人 か奈ら須゛みやげ尓

            きおんまつり阿りさんけい

じゅうごにちこのところのぎおんまつりありさんけいのひとかならず みやげに


買 て隣  近 所 能進 物 と須

可い と奈りきんしよ

かいてとなりきんじょのしんもつとす

(大意)

(補足)

「小山」、このフリガナに変体仮名「万(ま)」が使われてます(とおもいます)。「ま」の変体仮名はほとんどが「満」で、「万」はめずらしい。

「志ぶうち王」、『しぶうちわ ―うちは【渋〈団扇〉 】柿渋を表面に塗った団扇。丈夫なので,火をおこすときなどに使った。季夏』

「和州」、『わしゅう ―しう 【和州・倭州】大和(やまと)国の別名』

「花奢」、「華奢」(かしゃ。きゃしゃ)でしょう。

「進物」、「進」のくずし字(「彳」+「と」)は「近」(「亻」+「と」)とそっくりです。

 団扇屋さんの看板はやはり「団扇」(小山團いろ\/)。

渋団扇の作り方はいまでも全く同じです。すっかりプラスティックの安物になってしまいましたが、渋団扇ほしいなぁ。お値段は目がまんまるくらいなってしまうけど、買おうかなぁ♪

 出来上がった団扇をかさねて置いてある棚の窓は格子窓なのでしょうか。おしゃれです。

 

2026年5月26日火曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その13

P24P25 国文学研究資料館蔵

(読み)

伊吹 艾草

いぶきもぐさ

いぶきもぐさ


伊吹 山 ハ近 江美濃両  国 尓かゝり多る大 山 奈り和薬

いぶきやま 於ふミミの里やうこく      多いさん  王やく

いぶきやまはおおみみのりょうごくにかかりたるたいさんなりわやく


お本く出ツ中 尓も毛くさ名 物 也 古哥尓もよめり餘国

                  こ可     よこく

おおくいずなかにももぐさめいぶつなりこかにもよめりよこく


のよも起゛より莖 ふとく其 長 さ麻 のごとし山 下 の民 家尓是 を

       くき        あさ         ミん可 これ

のよもぎ よりくきふとくそのながさあさのごとしやましたのみんかにこれを


かり取 てよくつきぬきもミぬきもぐさとて賣 也 其 白 きこと

                    うる

かりとりてよくつきぬきもみぬきもぐさとてうるなりそのしろきこと


雪 能ごとし◯下 野 国 日 光  山 のふもと標 地 原 の

由き     しもつけく尓尓川くハうさん    しめち可者ら

ゆきのごとし しもつけくににっこ うさんのふもとしめじがはらの


艾  又 名 物 也 是 毛

もくさまためいぶつなりこれも


歌 尓よめり〽只 たのめ志めち可原 能さしもぐさ我 世の中 尓阿らんかきりハ

う多によめり ただたのめしめじがはらのさしもぐさわがよのなかにあらんかぎりは

(大意)

(補足)

「近江」、「近」のくずし字は「イ」+「と」をくっつけたような形。

「〽只たのめ志めち可原能さしもぐさ」、

読み方: なほたのめ しめじがはらの さしもぐさ わがよのなかに あらんかぎりは

作者: 清水観音(清水寺の観音の託宣として伝わる歌)

収録: 新古今和歌集(巻第二十 釈教歌)現代語訳「それでもやはり(私を)頼りにしなさい。しめじが原のさしも草(のように胸を焦がして悩むことがあっても)、私がこの世にいる限りは(あなたを見捨てはしない)」

しめぢが原: 現在の京都・山科付近にあったとされる野原(標野)。

さしも草: もぐさの原料となるヨモギのことで、「燃える」や「思い焦がれる」という意味の掛詞として和歌によく用いられます。

背景: 苦難や悩みを抱えて清水寺に参詣した人に、観音様が「私がいるから安心して頼りなさい」と励ましを与える内容となっています。また、おみくじの和歌としても用いられています。以上AIによる概要でした。なんでも答えてくれますが、ときどきとんでもない間違いをしますので要注意です。しめぢが原が京都となってますけど、さて?

 もぐさ(艾)とよもぎ(蓬)は「原料」と「加工品」という関係です。よもぎはキク科の植物であり、その葉の裏にある綿毛だけを集めて乾燥・精製したものが「もぐさ」です。もぐさは、お灸の熱源として使われます。

 ちょうど今頃、伸び始めたよもぎを手でもぎながら収穫して、草餅をよく作りました。あんこは缶詰ですけど。素手でよもぎを摘むと指先が真っ黒になっていい香りですが、しばらくは指先はよごれたままです。

 伊吹山は京都に出かけるとき、到着間近、右側に見えて山が迎えてくれました。

関西では伊吹山、関東では武甲山がセメントの産地で山の形が変わるくらい削り取られてます。

 

2026年5月25日月曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その12

P22P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

奈良晒

奈らさらし

ならさらし


麻 の最 上  ハ南 都也 近 国 より其 品 数 々 出れとも染 て色

あさ さいじやう 奈んと  きんごく  そのし奈可ず      そめ いろ

あさのさいじょうはなんとなりきんごくよりそのしなかずかずでれどもそめていろ


よく着て身尓まとバ須汗 をはじく故 尓世尓奈良

  き ミ     あせ    由へ よ 奈ら

よくきてみにまとばずあせをはじくゆえによになら


晒  とて調  宝 春る也 極  の字うるし判 ハ生平 の時 能改  め判 なり

さらし  ちやう本う            者ん きひら とき あら多 者ん 

さらしとてちょうほうするなりきわめのじうるしばんはきひらのときのあらためばんなり


晒  阿げての改  め判 ハ南都 御呉服 尺 巾 

                  ごふくさし者ゞ

さらしあげてのあらためばんはなんとおごふくさしはば


壱 尺  壱 寸 長 六 丈  七 尺  五寸 と

いっしゃくいっすんたけろくじょうななしゃくごすんと


朱 印 有 四 尺  切 を取 てあまり五丈  四 尺  有◯

し由ゐん       きれ

しゅいんありよんしゃくきれをとりてあまりごじょうよんしゃくあり


木津晒  奈らと同 し

きづ

きづさらしならとおなじ


然  共 染 て地やハら可に着心   奈らのことく尓志よりつき奈くて心  よ可ら須

        ぢ     きごゝろ

しかれどもそめてぢやわらかにきごごろならのごとくにしょりつきなくてこころよからず

(大意)

(補足)

「最上」、「最」のくずし字は「宀」+「取」。

「南都」、『なんと【南都】① 京都を北都というのに対し,奈良のこと。 ↔北都

② 比叡山延暦寺を北嶺というのに対し,奈良の興福寺のこと。「―の大衆(だいしゆ)ひた甲(かぶと)七千余人」〈平家物語•4〉』

「生平」、『きびら【生平・黄〈帷子〉】さらさない麻糸で平織りにした布。男子の夏物,特に羽織に用いた。季夏』

「着心」、『きごころ【着心】→着心地(きごこち)に同じ』

 麻糸を織って布にするのも大変だったとおもいますが、この画のようにそれらを晒す工程もこれまたとんでもなく手数をかけたのでしょう💦

 

2026年5月24日日曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その11


P20P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

有 馬籠 細 工

ありま可ごさいく

ありまかございく


摂 州  有 馬日 本 㐧 一 の温 泉 尓て四時湯 治の人 お本く

せつし う   尓つ本ん     おんせん  しじとうぢ

せっしゅうありまにっぽんだいいちのおんせんにてしじとうじのひとおおく


繁 昌  の地奈り此 所  の人 竹 細 工尓妙  を得ていろ\/能

者んしやう ち                め う ゑ

はんじょうのちなりこのところのひとたけざいくにみょうをえていろいろの


竹 籠 を徒くり出春有 馬籠 とて名 物 奈り湯 治の人 買 求 めて家

                             可いもと  いへ

たけかごをつくりだすありまかごとてめいぶつなりとうじのひとかいもとめていえ


徒゛とゝ春◯駿 河 の府中  又 竹 籠 の名 物 有 

      する可゛ ふち う

づ ととす するが のふちゅうまたたけかごのめいぶつあり


其 細 工よし有 馬細 工尓

そのさいくよしありまざいくに


まけ須゛おとら須゛関  東 能人 ハ有 馬籠 ハ名も志ら須

         くハんとう

まけず おとらず か んとうのひとはありまかごはなもしらず


駿 河籠 を賞  翫  春る也

      しやうくハん

するがかごをしょうか んするなり

(大意)

(補足)

「細工」、くずし字「ユ」になっています。

「四時」、『しじ【四時】① 春・夏・秋・冬をいう。四季。しいじ。「頂には―雪あり」〈日本風景論•重昂〉② 朝・昼・夕・夜の四つの時。しいじ』

「家徒゛と」、『いえづと いへ― 【家苞・家裹】家に持って帰るみやげ。「―遣らむたづき知らずも」〈万葉集•4410〉』

 今は、竹細工や籠などはお土産屋さんでどうにか見られるだけになってしまいました。つい最近までは商売でそれらの専門店があったのですが、使われることがほとんどなくなってしまい、やっていけなくて店じまいしてしまってます。

 わたしが子どもの頃は、商店街のどの店も籠をつかっているのはあたりまえで、八百屋さんなどでは天井から吊るした籠が現金入れとなってぶら下がってしました。

 昨今プラスティック製品の弊害がようやくさけばれ、海洋汚染の筆頭にあげられています。竹細工はたいていの日常で使うものならば作ることができて、その技を伝えることは今ならばまだ間に合うのではないでしょうか。

 身近にある竹を使うこともなくなってしまい、竹藪が全国のどこでもはびこってしまいこれまた問題になっています。竹細工がいかに使われてきていたかをしめすものであります。

 ここでは有馬籠や駿河籠が名物とありますが、竹細工は身分に関係なく人々の日常生活の必需品でしたから、全国津々浦々どこにでも工房はありました。


 

2026年5月23日土曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その10

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

宮 嶋 舟 祭

ミやじまふ年まつり

みやじまふねまつり


神事 六 月 十  七 日 神輿 舟 尓て御旅 所 へ渡 り給 ふ

じんじ           ミこし    お多びしよ 王多

じんじろくがつじゅうしちにちみこしぶねにておたびしょへわたりたもう


宮 嶋 ゟ 一 里

みやじまよりいちり


む可ひ尓地の御前 とてお旅 有 神輿 お清 の時 鳥 井の内 尓て

    ち こぜん           きよ

むかいにちのごぜんとておたびありみこしおきよのときとりいのうちにて


管  弦  あり還  御 尓ハ長 濱 のお戎  へ御より管 弦

くハん个゛ん  くハんぎよ  奈可者ま  へひす

か んげ んありか んぎょにはながはまのおえびすへおよりかんげん


おハりて大 元 大 明  神 へ御より

おわりておおもとだいみょうじんへおより


同 管 弦 阿りて本 社 へ御帰 り也 舟 の可ざりハ

         本んしや  かへ

どうかんげんありてほんしゃへおかえりなりふねのかざりは


灯 籠 のまハり桜  の作 り花

とうろう    さくら

とうろうのまわりさくらのつくりばな


阿り灯 籠 ハ多゛んせん可゛多と角 阿んどうと也

                可く

ありとうろうはだ んせんが たとかくあんどうとなり


や可多の上 能宝  珠 尓も火

       本゛うし由

やかたのうえのぼ うじゅにもひ


をとも須なり御供 舟 いろ\/のちやんちん其 外 徒くり物 有

をともすなりおともぶねいろいろのちゃんちんそのほかつくりものあり


海 上  一 里半 者゛可りつゞく也

可いしやう

かいじょういちりはんば かりつづくなり

(大意)

(補足)

「大元大明神」、(おおもとだいみょうじん)『中国地方(広島県・岡山県・山口県など)を中心に、山の神や地域の根本となる神様として祀られている呼称です。厳島神社の摂社である宮島の大元神社や、岡山県内の神社などで信仰されています』。

 いやいや、力作大作であります。現在でも行われている神事で、YouTubeで見ることができます。色がついていたら、提灯やぼんぼりや宝珠の灯りがきれでしょうね。

 左端手前の舟に「御神燈」とあります。

 

2026年5月22日金曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

安藝宮 嶋 濱 市

あきミやじま者まいち

あきみやじまはまいち


宮 嶋 本 名  ハ厳  嶋 と云 弁 才 天 の社  有 百  八 十 間 能

ミやじま本んミやう いつくしま   べんざゐてん やしろ

みやじまほんみょうはいつくしまというべんざいてんのやしろありひゃくはちじっけんの


回  廊 石 の鳥 居阿り塩 時 尓ハく和いらう能下 を塩 さし

くハいらういし とりゐ  し本とき

か いろういしのとりいありしおどきにはか いろうのしたをしおさし


の本゛る也 毎 年 二度の大 市 あり春 ハ三 月 十  三 日 より

      まい袮ん

のぼ るなりまいねんにどのおおいちありはるはさんがつじゅうさんにちより


四月 八 日まで夏 ハ六 月

しがつようかまでなつはろくがつ


十  四 日より七 月 七 日迄 也 諸 国 より商  人お本く集  りて

                   しよこく  あきんど   あつま

じゅうよっかよりしちがつなのかまでなりしょこくよりあきんどおおくあつまりて


賑   奈る市 也 三 月 六 月 十  六 日

尓ぎや可

にぎやかなるいちなりさんがつろくがつじゅうろくにち


十  七 日 十  八 日 神 事の能 阿り六 月 十  七 日

              じんじ のう

じゅうしちにちじゅうはちにちじんじののうありろくがつじゅうしちにち


御神 事の船 祭  有 次 の繪尓見え多り

     ふ奈まつり阿りつぎ ゑ

ごしんじのふなまつりありつぎのえにみえたり

(大意)

(補足)

 おおきなそろばんを手にして商談をしている人たちが二組みえます。ここでの商習慣なのでしょうね。

 船の上に長い板状のものが支えられてのっています、櫂(かい)でしょうか。

 浜ではガラクタを売ったり、箱物かお皿かわかりませんけど販売していて賑やかです。

 

2026年5月21日木曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

京  深 草 陶器

きやうふ可くさか和らけ

きょうふかくさかわらけ


人 皇 二十  二代 雄 略  天 皇 十  七 年 尓土師 連  吾笥と

           由う里やく            者しのむらしあけ

じんのうにじゅうにだいゆうりゃくてんのうじゅうしちねんにはじのむらじあけと


云 人 土器  の細 工人 を山 城  国 伏 見村 尓置 るゝ由

    可和らけ さいく          ふしミ   お可  よし

いうひとかわらけのさいくびとをやましろのくにふしみむらにおかるるよし


国 史尓見え多り其 時 の細 工人 今 の世まで傳 りて伏 見海 道 能

こくし                     つ多     可いどう

こくしにみえたりそのときのさいくびといまのよまでつたりてふしみかいどうの


土商  さいく西 行  行 脚 のす可゛多或  ハ狐  牛 の多ぐひ

       さいきやうあんぎや         きつ袮うし

どしょうさいくさいぎょうあんぎゃのすが たあるいはきつねうしのたぐい


其 外 いろ\/

そのほかいろいろ


の人 形  うつハ物 ホ を徒くりて家業  とす其 由来 久 しきこと成 へし

                  可个゛う    由らい

のにんぎょううつわものなどをつくりてかぎょうとすそのゆらいひさしきことなるべし


庭 訓 尓も深 草 の土器  師とあれハ久 しき名 物 奈る事 知 へし

ていきん  ふ可くさ 可わらけし

ていきんにもふかくさのかわらけしとあればひさしきめいぶつなることしるべし

(大意)

(補足)

「陶器(か和らけ)」、フリガナの変体仮名「和」はカタカナ「ハ」かもしれません。

「人皇」、読みは「じんこう」「じんのう」「にんのう」、いずれもOK。『神武天皇以後の天皇〔神代(じんだいorかみよ)と区別した意味で〕』。

 作業場のそとには「西行行脚のす可゛多或ハ狐牛の多ぐひ其外いろ\/の人形うつハ物ホ」が並べられています。

 二人の職人さんの前にあるのは轆轤(ろくろ)ではなさそうです。ということは作っている器のようなものは手びねりでこしらえているのでしょうか。

 

2026年5月20日水曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その7

P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

天 王 寺牛 儈

てん王うしうしいち

てんのうじうしいち


備前 備 中  の国 お本く牛 を飼 て子を産 須則   

びぜんびつち う      うし 可い   うま す奈ハち

びぜんびっちゅうのくにおおくうしをかいてこをうますすなわち


これを大 坂 天 王 寺

これをおおさかてんのうじ


尓おくる天 王 寺孫 右衛門と云 者 牛 市 のつ可さ奈り此 人 の

         まご        うしいち

におくるてんのうじまごえもんというものうしいちのつかさなりこのひとの


印 形  奈个れバ諸 国 尓賣 買 すること叶 ハ春゛こと也

ゐんぎやう    しよこく うり可い

いんぎょうなければしょこくにうりかいすることかなわず ことなり


年 中  備前 備 中  より牛 を引

袮んぢ う

ねんじゅうびぜんびっちゅうよりうしをひき


来ること日々尓たえ須゛毎 年 霜 月 尓牛 市 阿り近 郷  の

           まい袮んしもつき       きん可゛う

くることひびにたえず まいねんしもつきにうしいちありきんご うの


百 姓   思 ひ\/ 尓

ひやくせ う

ひゃくしょうおもいおもいに


牛 を引 来 りて互   尓交 易 賣 買 春これを

   ひきき多  多可゛ひ 可うゑき

うしをひききたりてたが いにこうえきうりかいすこれを


牛 博  労 と云 春べて牛 を商  ふ尓

  者゛くろう         あき奈

うしば くろうというすべてうしをあきなうに


直段  相 定   る時 ハ互  尓牛 尓米 を可ましむ

袮多゛んあいさ多゛ま

ねだ んあいさだ まるときはたがいにうしにこめをかましむ


是 を賣 買 の證  拠とする可や

        せ うこ

これをうりかいのしょうことするかや

(大意)

(補足)

「近郷」、このくずし字はセットで覚えます。

「互」のくずし字、はじめて見たような。

 牛はまるまる肉付きよく、柄もみなことなって描かれています。牛の用途はもちろん食べるのではなくまた乳を絞るのでもなく(牛やヤギの乳を飲んでいたそうでもありますが)、農耕や大八車で荷をひかせたり、労働のためでした。

 鳥居や松、また家には縄のれんを描くなどやはり絵描きです。

 

2026年5月19日火曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

加賀笠

可ゞ可゛さ

かがが さ


菅 笠 国 々 よりお本く出れども中 尓も加賀を上  品 と須㐧 一

すげ可さく尓                     本ん

すげがさくにぐによりおおくでれどもなかにもかがをじょうぼんとすだいいち


菅 の色 白 く糸 ぬひこま可尓して其 格 好 よし哥 尓ハ難 波

   いろしろ いと          可川可う  う多  奈尓ハ

すげのいろしろくいとぬいこまかにしてそのかっこうよしうたにはなにわ


菅 笠 名 物 也 万 葉 集  に押 てるや奈尓波春可゛笠お起ふるし

          まんやうし う おし

すげがさめいぶつなりまんようしゅうにおしてるやなにわすがかさおきふるし


後 ハ誰 きん笠 な

のち 多可゛

のちはたがきむかさな


ら奈くに又 延 喜式 尓摂 津 国 笠 縫 氏とあり

      ゑんぎしき         ぬひ

らあくにまたえんぎしきにせっつのくにかさぬいしとあり


今 大 坂 玉 造  の東  深 江村 の

      多まつくり ひ可しふ可えむら

いまおおさかたまつくりのひがしふかえむらの


民 も川者ら菅 笠 をぬひて家業  と須い尓しへの伝 来 な類遍゛し

多ミ            可け う       でんらひ

たみもっぱらすげがさをぬいてかぎょうとすいにしえのでんらいなるべ し

(大意)

(補足)

「菅」、「艹」と「宮」で、「宮」のくずし字がちゃんと「友」のようになっています。

「押てるや〜」、『おしてる難波菅笠置き古し後は誰が着む笠ならなくに(おしてるなにはすがかさおきふるしのちはたがきむかさならなくに)。照り渡る難波の菅で作った笠を着けもせず古びさせて、後に誰か着ける人がいるような笠でしょうか』

 子どもが猫をなでています。この本で猫はめずらしい。菅笠をおさめる竹籠、これを編むのも(菅笠より)大変だったはず。黒い着物を端折っている人の脚は相変わらずかえる脚で下手くそだけど、御婦人三人の線はやわらく描かれています。脇には針山と糸があり、縫い台もあって、こうやって一日中働いていたのでしょう。台の上にあるへの字の黒いものは菅笠の頭に取り付ける飾りかもしれません。

 

2026年5月18日月曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

松  煙 取  図

せ うゑんとりのづ

しょうえんとりのず


肥 松 の由ゑん奈り又 ハ灰 墨 とも云 これを取 尓ハ四方 障  紙

こへまつ         者いすミ       とる  し本うしやうじ

こえまつのゆえんなりまたははいずみともいうこれをとるにはしほうしょうじ


尓て可こひ其 中 尓ハ棚 を可き其 上 を土 尓てぬりて肥 松 尓火を

     その奈か  多奈     うへ つち

にてかこいそのなかにはたなをかきそのうえをつちにてぬりてこえまつにひを


つけてまどゟ 入 其 かゞりの个ふり上 の方 尓たまるを者きて取 也

                  うへ

つけてまどよりいれそのかがりのけぶりうえのほうにたまるをはきてとるなり


是 を松  煙 と云 本

           本ん

これをしょうえんというほん


油煙 といふハ油  火のかゞりの个ふり也

由ゑん    あふらひ

ゆえんというはあぶらひのかがりのけぶりなり


是 も棚 をこしらへ多 く油  火をともし障  紙

これもたなをこしらえおおくあぶらびをともししょうじ


尓てかこひて其 上 尓たまるを取 也◯又 太 平 墨 奈ど尓春る

                     多いへいずミ

にてかこいてそのうえにたまるをとるなりまたたいへいずみなどにする


下品  能松  煙 ハ肥 松 の煙  尓

げ本゛ん            个ふり

げぼ んのしょうえんはこえまつのけぶりに


あら須゛瓦  やきの竃 のごときに志つらひて松 の雑 木をたきて

    かハら   可ま             ざうき

あらず かわらやきのかまのごときにしつらいてまつのぞうきをたきて


其 上 尓たまる煤 を者らひ取 也

        すゝ

そのうえにたまるすすをはらいとるなり

(大意)

(補足)

 インクや鉛筆などが出現するまでは、紙と墨はなくてはならない必需品というものをこえた存在でした。墨は後半の説明にある竃の中で松を燃やしてその天井にできる煤をはらって作るものとばかりおもっていましたが、障子で囲った中からつくる製法は初耳で、ちょっと驚きです。

 今でも竃の中での製法は僅かですが続けられていて、それが「太平墨奈ど尓春る下品」の墨であるとは、現在では高級品扱いです。

 黒い着物の職人さんは鳥の羽毛のようなもので煤をはらっています。

 

2026年5月17日日曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

松 前 昆 布

まつまへこんぶ

まるまえこんぶ


奥 州  松 前 の海 中  の石 尓つきて生  須゛長 さ数丈  海 上  尓

をうし うまつまへ 可いち う いし    せ う  奈可゛すしやう可いしやう

おうしゅうまつまえのかいちゅうのいしにつきてしょうず ながさすじょうかいじょうに


う可び出るを長  柄の鎌 尓て舟 より是 を切 て取 阿げ

      奈可゛ゑ 可ま  ふ年  これ きり とり

うかびでるをなが えのかまにてふねよりこれをきりてとりあげ


人 家のや袮尓本す也 又 家 のや袮を昆 布尓てもふく也 ◯若 狭昆 布

しん可          いゑ               王可さ

じんかのやねにほすなりまたいえのやねをこんぶにてもふくなり わかさこんぶ


王可さ能海 より出 る尓あら須゛松 前 より伝 へて古ゝ尓てこしらへて売 也

    うミ                徒多           うる

わかさのうみよりいずるにあらず まつまえよりつたえてここにてこしらえてうるなり


名 物 と奈れり◯松 前 より乾 鱖 鯡  干海鼡串 鮑 ホ 多 くい徒゛る

               可らざけ尓しんい里こくし可い

めいぶつとなれり まつまえよりからざけにしんいりこくしがいなどおおくいず る

(大意)

(補足)

「乾鱖」、『からざけ【乾鮭】サケの腹を裂いて内臓を除き,塩をふらずに陰干しにしたもの』。

「ホ」はもちろん「等」の略字。

 ある日の浜の風景をきりとった画、現在でもかわってません。子どもをあやしておばあさんに見せています。その奥の部屋には小さな竈(かまど)があります。

 若かりし頃、何度か北海道を旅しました。霧多布だったかなぁ、どこだろう、切り立った岬に打ち寄せる波に2,30メートルくらいある長い身をまかせるように、たゆたゆとゆれる昆布を見たときは驚き、感動したものでありました。

 

2026年5月16日土曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

伊豫牛蒡

いよご本゛う

いよごぼ う


ふとくして其 味 よし長 さハ三 四 尺  も阿り

     そのあち              

ふとくしてそのあじよしながさはさんよんしゃくもあり


牛蒡 の名 物 也 城  州

    めいぶ川  じやうし う

ごぼうのめいぶつなりじょうしゅう


八幡 牛 蒡名 物 尓て其 名高 しといへとも其 大 いさ伊予

やハ多         その奈               よ

やわたごぼうめいぶつにてそのなたかしといえどもそのおおいさいよ


牛蒡 尓及 バ須◯牛蒡 の実を大 力 子と云 

    およ         多いりきし

ごぼうにおよばず ごぼうのみをだいりきしという


ねぶと腫 物 尓其 実を一 粒 のめハ

   者れもの

ねぶとはれものにそのみをひとつぶのめば


早 速 志由も川の口 阿きてうミを出須也

さつそく

さっそくしゅもつのくちあきてうみをだすなり


中 華 尓ハ牛蒡 の其 苗 のミを

もろこし        奈へ

もろこしにはごぼうのそのなえのみを


賞  翫  して其 根ハ人 お本く食  せぬよし本 草 綱 目 尓見由

しやうくハん  その袮      しよく    本んざう可うもく

しょうが んしてそのねはひとおおくしょくせぬよしほんぞうこうもくにみゆ


假使 項 羽の力  阿りとも鋤 なくてハ牛蒡  ぬき可゛多し

多とひ可うう ち可ら    すき    こ本゛う

たいいこううのちからありともすきなくてはごぼ うぬきが たし

(大意)

(補足)

「伊予牛蒡」、『愛媛県(伊予国)で古くから栽培されていたとされる、長さが約90〜120cmにも達する極めて太く長い巨大なごぼう』

「伊豫」、『いよ 【伊予】① 旧国名の一。愛媛県全域にあたる。予州』

「城州」、『じょうしゅう じやうしう 【城州】山城(やましろ)国の別名』『やましろ 【山城】① 〔古くは「山背」「山代」とも書かれた〕旧国名の一。五畿内の一。京都府の南東部に当たる。城州(じようしゆう)。② 京都府南部,木津川市の地名。木津川中流右岸を占め,野菜・タケノコ・茶などを産する』

「城州八幡」、『現在の京都府八幡(やわた)市の古い呼び名(山城国八幡)』。

「大力子」、『花の後の種子はゴボウシ(牛蒡子)、またはアクジキ(悪実)ダイリキシ(大力子)と称し薬用にする。 漢方では、発汗、利尿、解毒、消炎・排膿を目的に腫れ物の内服に用いる』。牛蒡の実が漢方薬に使われているとは、全く知りませんでした。

「ねぶと」、『ねぶと【根太】背中・腿部(たいぶ)・臀部(でんぶ)などにできるはれもの。黄色ブドウ球菌の感染により,毛包が炎症を起こし,膿(う)んで痛む。固根』

「賞翫」、『しょうがん しやうぐわん【賞翫・賞玩】(名)スル 〔古くは「しょうかん」とも〕① 事物の美しさ・良さなどを味わい楽しむこと。めでること。「織部の皿を―する」② 食べ物のうまさを味わうこと。賞味。「お俊が呉れし菓子―するに」〈いさなとり•露伴〉』。作者はこの言葉が好きなようで、たびたび出てきています。

 またまたでたぁ~、超巨大な蕪の画が以前にありました。今回は牛蒡です。こんなでかいのあるわけないだろ!っておもいつつ、じっとながめていると、う〜ん🤔・・・もしかしたら、ほんとにあったのかもしれないと、おもってきてしまう・・・、画の力!

 むしろの上で作業しているのはごぼうの実をとって、干しているのでしょうか。

 

2026年5月15日金曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その2

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

大 和三輪素 麺

やまとミ王そうめん

やまとみわそうめん


名 物 なり細 きこと糸 能ことく白 きこと雪 能

めいふ川  本そ   いと    しろ   ゆき

めいぶつなりほそきこといとのごとくしろきことゆきの


ごとし由で天ふとら須゛余国 より出 るそうめん

           よこく  いづ

ごとしゆでてふとらず よこくよりいずるそうめん


の及 ぶ所  尓阿ら須゛又 阿波より出るもの名 産 奈り三輪そうめん尓

 およ ところ     ま多あ王      めいさん  ミ王

のおよぶところにあらず またあわよりでるものめいさんなりみわそうめんに


おとら須゛それ三輪ハ大 己 貴 のみこと能神 社 有 御神 躰 ハ山 尓て

          於本あ奈むち     しんじや阿りこしん多い やま

おとらず それみわはおおあなむちのみことのじんじゃありごしんたいはやまにて


鳥 居者゛可り尓て社  ハなく参 詣 の人 お本き由へ三輪の町 繁 昌  也

とりゐ      やしろ   さんけい           まち者んぜ う

とりいば かりにてやしろはなくさんけいのひとおおきゆえみわのまちはんじょうなり


旅 人 をとむる者多ごや尓も名 物 奈りとてそうめん尓てもて奈須也

多びびと

たびびとをとむるはたごやにもめいぶつなりとてそうめんにてもてなすなり

(大意)

(補足)

「三輪」、「車」偏が特徴的なくずし方です。

「雪」、ふりがながなければ読めません。

「阿波より出るもの名産奈り」、徳島県つるぎ町(旧半田町)の名産「半田そうめん(阿波半田手延そうめん)」のことでしょうか。これもうまいです。

「大己貴のみこと」、『おおあなむちのかみ おほあなむち― 【大己貴神・大穴牟遅神】大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。おおなむちのかみ』

 現在でもまったく同じ工程の作業で手延べ素麺を作っていることに驚きます。延ばして素麺を乾燥させている画が見事です。

 うしろの木は柳でしょうか、新芽のようにみえます。素麺は乾燥して寒い時期(上半身裸の職人さんもいます)に作りますから、2月か3月頃の制作風景ではないでしょうか。

 

2026年5月14日木曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その1

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

住吉宝市

すミよした可らのいち

すみよしたからのいち


播 州  住 吉 太 神 宮 毎 年 九月 十  三 日 

     すミよしたいしんぐうまい袮ん

ばんしゅうすみよしたいしんぐうまいねんくがつじゅうさんにち


宝  の市 とて大 神 事

          じんじ

たからのいちとてだいじんじ


有 社 務社 司大  祢宜のこら須゛出  仕尓て神 供 阿り大 坂

  しゃむしやし多゛い袮ぎ     し由川し  じんぐう

ありしゃむしゃしだ いねぎのこらず しゅっしにてじんぐうありおおさか


堺  其 外 の村 ゝ より参 詣 の人 おび多ゝし

さ可ひ           さんけい       

さかいそのほかのむらむらよりさんけいのひとおびただし


商  人ま須物 尺 奈とを専    尓

あきんと  ものさし   もつ者゜ら

あきんどまずものさしなどをもっぱ らに


賣 参 詣 の人 吉 兆  なりとて買 て帰 る也

うる       きつて う    可 い可へ  

うるさんけいのひときっちょうなりとてかいてかえるなり


委   ハ住 吉 名 勝 志尓見由

くハしく すミよしめうせうし

くわしくはすみよしめいしょうにみゆ

(大意)

(補足)

 おなじような画をみたなとおもって調べたら「日本山海名物圖繪巻之三その8住吉浦汐干」でした。

「神供」、『じんく【神供】〔「じんぐ」「じんぐう」とも〕① 神への供え物。お供物(くもつ)。② 密教で,護摩(ごま)をたくとき,壇を設けて十二天ならびに鬼神などに供物をささげること』

「住吉名勝志」、「勝」のふりがなの「せ」と「う」の間にもう一字あるのですけど、よくわかりません。

 住吉大社は商売繁盛のご利益もあって、(画の左下で売っている)升や物差しは「正直に量る」という意味で縁起が良いとされ、商売人から庶民まで買い求めたとのことであります。

 松の葉が扇子の骨のように見えてきます。

 

2026年5月13日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その21

P38 国文学研究資料館蔵

(読み)

晒  臘

さらしらう

さらしろう


蝋 ハ黄櫨の木の実也 蒸 籠 尓てむしたゞら可し

   ハじ      せいろう

ろうははじのこのみなりせいろうにてむしただらかし


臼 尓てつき蝋 と須薩 摩 国 備 中  国 奥 州  会 津等

うすにてつきろうとすさつまのくにびっちゅのくにおうしゅうあいずとう


より多 く出春外 諸 国 尓もあり又 唐 よりわ多るなり

よりおおくだすほかしょこくにもありまたからよりわたるなり


さらし蝋 ハ京  大 坂 尓て右 の黄蝋 をさらして白 蝋 と春る也

さらしろうはきょうおおさかにてみぎのきろうをさらしてはくろうとするなり

(大意)

(補足)

「黄櫨の木」、ハゼノキの別名。

「たゞら可し」、『ただらか・す 【爛らかす】ただれるようにする。ただらす。日葡』『ただ・れる【爛れる】① 炎症や傷などのため,皮膚や肉が破れ,くずれる。「薬品で―・れた皮膚」「腰もかがまり目も―・れにけり」〈竹取物語〉』

 ここでは櫨の実を、柔らかくしてくずれるくらいに蒸し上げるの意、だとおもいます。

 若い頃何度か会津を旅しました。そのときにお土産で購入した絵蝋燭をいまでも大事にしています。また十数年前の京都旅行ではお店の名前は忘れましたが小さな和蝋燭をお土産に購入しました。

 和蝋燭は櫨の実がとれれば、ここに記されている通りの手順で個人でもそれほど難しくなく作ることができます。

 

2026年5月12日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その20

P36P37 国文学研究資料館蔵

(読み)後半

差 引 春る也 虎 市 にハ別 尓取 引 場と云 毛の一 ケ所 有 て

さしひきするなりとらいちにはべつにとりひきばというものいっかしょありて


古ゝ尓てけし合 須奈り米 市 のことハ米 穀 賣 買 出  世車  と

ここにてけしあいすなりこめいちのことはべいこくうりかいしゅっせぐるまと


云 書 尓くハしく見え多れハ爰 尓ハ略  須やりくり両  替 の手代 小者

いうしょにくわしくみえたればここにはりゃくすやりくりりょうがえのてだいこもの


毎 夜よひの間  に諸 方 をまハりてすめ合 尓行 也

まいよよいのあいだにしょかたをまわりてすめあいにゆくなり


爰 尓顕  須所  能繪これ也

   あらハ

ここにあらわすところのえこれなり


出入 四ツ切  かバやき 米 相 場表  の躰

でいりよつぎり かばやき こめそうばおもてのてい

(大意)

(補足)

「米穀賣買出世車」、『宝暦8年(1758年)頃に刊行された、江戸時代の堂島米市場における米相場の売買法や心得を解説した書物です。赤松閣(東白)が撰し、米取引で財を成すための極意を車に例えて図解した、当時の投資家向け教本』。

 ここの画は文中にもあるとおり『両替の手代小者毎夜よひの間に諸方をまハりてすめ合尓行也爰尓顕須所能繪』なので、月代(さかやき)の髷はかバやき屋の親父の他3人だけです。あとはみな若衆髷(わかしゅまげ)というのかな、それに筆を差しています。

 提灯のおおいをおろし明るくして何をしているのかとよく見ると、おちんちんを見せているアホがいます。また相撲でもしているのか背負投げのようなもので取っ組み合って遊んでいます。提灯にはみな屋号が入っていて「すめ合」に右往左往。

「すめ合」、『江戸時代における「両替屋(りょうがえや)」の業務において、「すめ合(すめあい)」は、毎晩のように諸方(各方面)を回って取引をまとめる行為を指す言葉。両替屋の手代や小者が、夜の間に得意先などを回って、商取引の債権・債務の相殺や、資金の融通(すめ合い)を行うこと。江戸時代の商業において、手形を用いて商人同士の貸し借りを相殺する、実質的な金融の安定化機能(手形清算)の一部』。

 かバやき屋、ひらいたうなぎをまるまる一匹焼いていますけど、当時大坂ではこんなふうにしていたのかねぇ?

 

2026年5月11日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その19

P36P37 国文学研究資料館蔵

(読み)前半

大 坂 北 濱 米 市

おおさかきたはまこめいち


正  米 市 阿り帳  合 米 市 有 正  米 市 とハ

しょうまいいちありちょうあいこめいちありしょうまいいちとは


現 米 の賣 買 奈り帳  合 米 とハ通 用

げんまいのばいばいなりちょうあいまいとはつうよう


米 尓て差 引 して利損 を者かる也 帳  合 米 ハ

まいにてさしひきしてりそんをはかるなりちょうあいまいは


加賀二百  俵  筑 前 三 百  俵  を一商と

                      ひとあき奈い

かがにひゃっぴょうちくぜんさんびゃっぴょうをひとあきないと


定 む又 虎 市 といふあり是 ハ二十 石 徒゛ゝの賣 買 也 やりくり

さだむまたとらいちというありこれはにじっこくず つのばいばいなりやりくり


両  替 屋五十 軒 あり帳  合 米 を引 請 て高 下の直段 を

りょうがえやごじっけんありちょうあいまいをひきうけてこうげのねだんを

(大意)

(補足)

「大坂北濱米市」、『江戸時代に大坂の北浜(のちの堂島)で栄えた米の取引市場であり、淀屋が創始した「淀屋の米市」を起源とします。1697年に堂島へ移転して堂島米会所となり、世界で初めての「組織的な先物取引」が行われた場所として知られています』。

 電信などない時代、どのように遠方まで相場の値段を知らせあったのか調べたことがあります。飛脚などよりもっと早い方法を使っていました。のろしです。それらをいくつもつなぎあって、あっという間に西にも東にも相場の状況は届いていたのでした。もうひとつは伝書鳩、これもははやかったとおもいますが、のろしほどの信頼性はなかったかもしれません。

この「北」のくずし字は学んでないとまず読めません。「北」という漢字とは別物と考えたほうがよいかとおもいます。

「正米」、『しょうまい しやう―【正米】① 取引所で実際に取引される米。また,その取引。実米。 ↔空米(くうまい)

② 本物の米。現物の米。「―を年に二百俵貰ふて」〈福翁自伝•諭吉〉』

「帳合米」、『ちょうあいまい ちやうあひ― 【帳合い米】江戸時代,大坂堂島の米市場で行われた米売買の方法。売買と同時に米の受け渡しをすることなく帳面の上だけで売買する』

「虎市」、『とらいち‐そうば‥サウば【虎市相場】 江戸時代、大坂の堂島米市場で行なわれた米相場の一つ。百石以下の取引ができなかった帳合相場に対し、十石以上ならどれだけでも扱えるところに利点があった。初め堂島新地の竹藪の中で行なわれたところからともいう。虎市。』

 絵の右上隅、出入四ツ切とある札のところに立つ丁髷兄さん(丁稚小者ではなさそう)、この出入四ツ切の意味に悩みました。よくわからないので推理するしかありません。ここの出入り口は夜の四ツ、つまり22時頃までしかダメですよという意味なのかなと、う〜ん🤔・・・


 

2026年5月10日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その18

P34P35 国文学研究資料館蔵

(読み)

薩 摩大 嶋 黒 砂糖

さつま於ゝしまくろさとう

さつまおおしまくろさとう


甘 蔗 と云 草 俗 尓砂糖 黍 と云 莖 ハ竹 尓

可んしや           きび   くき

かんしゃというくさぞくにさとうきびというくきはたけに


似て葉ハ黍 尓似多り実奈し古 根ゟ 苗 を

    きび

にてははきびににたりみなしふるねよりなえを


生  春゛此 葉を取 てよくたゝきく多゛きて煎 じつめ石 灰 を加 へてか多め

しょうず このはをとりてよくたたききだ きてせんじつめせっかいをくわえてかため


多るを黒 砂糖 と須百  姓  多 くこれをつくりて年 貢尓納 む菓子を

                          袮んぐ

たるをくろざとうとすひゃくしょうおおくこれをつくりてねんぐにおさむかしを


製 春るに専   これを用 由唐 より王多る黒 砂糖 よりハ

     もつ者ら

せいするにもっぱらこれをもちゆとうよりわたるくろざとうよりは


色 も黒 く味 阿しゝ唐

いろもくろくあじあししとう


尓て白 砂糖 氷  砂糖 をこしら由る毛皆 此 草 也

にてしろざとうこおりざとうをこしらゆるもみなこのくさなり


日本 尓てハ黒 の外 ハ白 ハ不出来

にほんにてはくろのほかはしろはできず

(大意)

(補足)

「甘蔗」、『かんしょ【甘蔗】〔「かんしゃ(甘蔗)」の慣用読み〕サトウキビの別名』。この歳までサトウキビは「かんしょ」だとおもってました。

 いちいち指摘しなくてもよいとはわかってはいるのですけど、一番左端の男の人の座り方、腰から下が前向きに見えます。気になって気になって・・・

 ちょうど頁をまたいでしまっている、絞り器。いろいろな作業に使われていて、日本の伝統的な器具だとおもいます。

 ちょうど今、我が家では白砂糖ではなく、茶色いサラサラの「沖縄の砂糖」を使っています。ヨーグルトにかけたり、トーストのとけたバターの上にかけたり、おいしいです。

 

2026年5月9日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その17

P32P33 国文学研究資料館蔵

(読み)

塩 浜

し本者ま

しおはま


海 邊の鹵 地をけづり能 奈らして平  可奈らしめ海 より

    可多           太いら

うみべのかたちをけずりよくならしてたいらかならしめうみより


うし本をくミてこれへま起可けよく日尓可ハ可しさらへ

うしおをくみてこれへまきかけよくひにかわかしさらえ


尓て可き奈らしよくされたる時 桶 へいれて水 尓たれ其 水 を

にてかきならしよくされたるときおけへいれてみずにたれそのみずを


釜 尓うつして松 葉尓てたく也 海 より潮  をくむ皆 女  の所 作

                    うし本

かまにうつしてまつばにてたくなりうみよりうしおをくむみなおんなのしょさ


なりあるひハ所  尓よりて樋 を可けて潮  を塩 濱 へ取 も阿り

             と由

なりあるいはところによりてとゆをかけてうしおをしおはまへとるもあり


諸 国 海 邊より多 く塩 出るといへ共 播 州  赤穂 の塩 を名 物 と須

                          あこ

しょこくうみべよりおおくしおでるといえどもばんしゅうあこうのしおをめいぶつとす

(大意)

(補足)

「鹵地」、『鹵地(ろち)とは、塩分を多く含み、作物が育たないやせた土地(塩鹹地:えんかんち)を指す言葉です。天然の塩が産出する土地、特に内陸部の荒れ地を指す場合が多く、転じて「不毛の地」という意味でも用いられます。「鹵」は「塩」を意味し、古代中国では特に西方の内陸部にある塩分を含んだ土地を指した』。用例は「鹵獲(ろかく)」など

「さらへ」、『さらえ さらへ【杷・杈・欋】→さらい(杷)に同じ』『木または竹製の農具。柄が長く,先に歯のついた熊手(くまで)のような形のもの。木製のものは土をかきならすのに用い,竹製のものはごみ・落ち葉などをかき集めるのに用いる』。一番下の女の人が肩にしょっているT字のものがそれ。

 砂の上に塩水をまいて日に干してあるのを細かいツブツブで描いてあり、これはこの絵師の得意技なのですけど、彫師の腕の見せ所です。格子で掘るより大変そうです。

 職人たちの着物の柄が皆異なっていますけど、こんなのはどうってことないのかもしれません。


 

2026年5月8日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その16

P30P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

大 坂 瓦  屋町 瓦  師

    可ハらや

おおさかかわらやまちかわらし


大 坂 東  高 津西 高 津の地青 土 尓して性  よし

おおさかひがしたかつにしたかつのちあおつちにしてしょうよし


瓦  尓やきて色 うつくしくつよし古  へ仁 徳 天 王 の

かわらにやきていろうつくしくつよしいにしえにんとくてんのうの


旧  都尓て「高 きや尓の本゛りて見れバ个ふり多川民 の可満どは

きゅうとにて たかきやにのぼ りてみればけぶりたつたみのかまどは


賑  ひ尓个りとよまセ給 ふ古跡 尓て今 も瓦  やの煙  多え須゛賑  し

                                  尓ぎハ

にぎわいにけりとよませたもうこせきにていまもかわらやのけむりたえず にぎわし


聖  徳 太 子天 王 寺建 立  の時 も此 地の土 をとらせて

しょうとくたいしてんのうじこんりゅうのときもこのちのつちをとらせて


瓦  と奈さし免

かわらとなさしめ


給 ふと也 此 所  の瓦  日本 最 上  尓て

なもうとなりこのところのかわらにほんさいじょうにて


諸 国 の城 館  尓も皆 此 瓦  を用 ひらる

     しろや可多

しょこくのしろやかたにもみなこのかわらをもちいらる

(大意)

(補足)

「青土」、「青」のくずし字はどうも苦手です。色は虹の7色赤橙黄緑青藍紫を基本としてくずし字を学びますが、青は毒のようにみえてしまって、う〜ん🤔。

「可満どは」、この「は」は変体仮名「波」かもしれません。

 左から二人目の職人さんの脚、なんとも奇妙な構え、腰から下が前を向いているようです。部屋の外には薪や枝葉が山盛りです。

 

2026年5月7日木曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

豊 後 河 太郎

ぶんごの可王


形  五六 歳 の小  児のごとく遍 身尓毛阿りて猿 尓似て眼春る

                 そうミ

かたちごろくさいのしょうじのごとくそうみにけありてさるににてめする


どし常 尓濱 邊へ出て相撲 を取 也 人 を恐 るゝこと奈しされ

           すもう

どしつねにはまべへでてすもうをとるなりひとをおそるることなしされ


共 間ぢ可くよれバ水 の中 に飛 入 也 時 としてハ

どもまじかくよればみずのなかにとびいるなりときとしては


人 にとりつきて水 中  へ引 入レて其

ひとにとりつきてすいちゅうへひきいれてその


人 を殺 春事 阿り河 太郎 と相撲 を取 多る人 ハ

ひとをころすことありかわたろうとすもうをとりたるひとは


たとへ勝 ても正  氣を失  ひ

たとえかちてもしょうきをうしない


大 病  をうくると云 志きミ能抹 香 水 尓てのましむれバ

                まつ可う

たいびょうをうくるというしきみのまっこうみずにてのましむれば


正  氣尓成 と也 河太郎

しょうきになるとなりかわたろう


豊 後 国 尓多 し其 外 九  州  の中 所  々  尓有 関 東 尓多 し

ぶんごのくににおおしそのほかきゅうしゅうのうちところどころにありかんとうにおおし


関 東 尓てハ河 童  と云 也

       可ハ王らハ

かんとうにてはかわわらわというなり

(大意)

(補足)

「开」+「久」のフォントはありませんでした。

「志きミ能抹香水尓てのましむれバ」、『シキミ(樒)はアニサチンなどの毒を含み、特に猛毒である果実が中華料理で多用される八角に似ているため、誤食されやすい危険な有毒植物である』ので、この文章を信じてはいけません。

 川の土手に流れ留めの杭をつけた籠があります。川漁にも見えますが、これは土手の擁護のためで、中に石がはいっているはずです。

 河童(かっぱ)は明治になっても、広く信じられている生き物でした。昔は河で命を失う人たちが多く、亡骸が行方不明になり、それらは河童の仕業と信じられていたことと無関係ではないとおもいます。

 

2026年5月6日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その14

P26P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

天 王 寺干 蕪

     本し可ぶら

てんのうじほしかぶら


摂 州  東  成 郡 天 王 寺領  内 かぶらの名 産 也 百  姓

せっしゅうひがしなりぐんてんのうじりょうないかぶらのめいさんなりひゃくしょう


おほく可ぶらを植 て奈ま奈るをも市 尓出 須

                   い多

おおくかぶらをうえてなまなるをもいちにいだす


然 し専   本し可ぶらとと奈して是 を賣 極 月 より正  月

し可 もつ者ら

しかしもっぱらほしかぶらととなしてこれをうるごくげつよりしょうがつ


までの間  ハ竹 垣 を高 くこしらへて是 を本春也 又 此 を所  木津

までのあいだはたけがきをたかくこしらえてこれをほすなりまたこれをところきづ


今 宮 といふあ多り専   干 蕪 を出す木津今 宮 のかぶらハ真 丸 く

                                まんまる

いまみやというあたりもっぱらほしかぶをだすきづいまみやのかぶらはまんまるく


天 王 寺ハ少 し細 長 し木津今 宮 ハ天 王 寺能可ぶら尓ハ及 バ須゛

         本そ

てんのうじはすこしほそながしきづいまみやはてんのうじのかぶらにはおよばず

(大意)

(補足)

「極月」、12月の異名。1月から11月まで、それぞれきいたこともないような異名がついています。

「宮」のくずし字はよくでてきて特徴的。「宀」or「亠」+「五のくずし字」のような形です。

 この本の絵師、長谷川光信は人物や生き物の描写はとんでもなく下手くそですが、細かいところの描写は執拗で得意なようです。ここでは竹竿に干してある蕪、まるで蕪ひとつを判子にしたものをポンポンポンと竹竿にそって押していったように(ほんとうにそうしたかも)描いています。

 何もかも手作業だけしかなかった時代、今でも基本的農作業は同じです。

 干蕪はおじやおかゆにいれたらおいしそう♫

 

2026年5月5日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その13

P24P25 国文学研究資料館蔵

(読み)

摂 刕  平 野飴

     ひらのあめ

せっしゅうひらのあめ


大 坂 天 王 寺の東  平 野ノ町 より出る飴 名 物 也

                       あめ

おおさかてんのうじのひがしひらののまちよりでるあめめいぶつなり


風 味よし小  児尓

ふうみよししょうじに


用 ひて毒 奈し薬  地黄 煎 奈り◯飴 の製 法 ハもち米 をこハ

        く春りぢ王うせん

もちいてどくなしくすりじおうせんなり あめのせいほうはもちごめをこわ


めし尓むし米 一 升  尓水 一 升  のつもり尓て

めしにむしまいいっしょうにみずいっしょうのつもりにて


右 の強 めしを水 尓つけ置 大 麦 の

   こハ

みぎのこわめしをみずにつけおきおおむぎの


もやしの粉 米 一 升  尓六 合 のつもりを以 て

もやすのこなこめいっしょうにろくごうのつもりをもって


右 のめし能上 尓ふり可け棒 尓て

みぎのめしのうえにふりかけぼうにて


よくつきませ翌  日布 袋  尓てこれをこし釜 尓入 てぬるき火尓て袮り

      あくる

よくつきまぜあくるひぬのぶくろにてこれをこしかまにいれてぬるきひにてねり


つめる也 袮り前 可多なるハ志るあめ也 袮りつめ多るを地黄 煎 といふ

つめるなりねりまえかたなるはしるあめなりねりつめたるをじおうせんという

(大意)

(補足)

「地黄煎」、『じおうせん ぢわう―【地黄煎】① 地黄の根を煎じた汁。薬用。② 地黄を加えて練った水飴(みずあめ)。くだり飴。「摺粉に―入れて焼(たき)かへし」〈浮世草子・世間胸算用3〉』

 浅草に見世前でトントコトントコ拍子よく飴を切って販売している飴屋さんがあります。どうやらその起源がこの平野飴だそうです。

 近所の二人組がお土産に買ったのでしょうか、飴を経木(きょうぎ)に包んでいます。

 

2026年5月4日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その12

P22P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

漆   製 法

うるしのせい本う

うるしのせいほう


漆  の木尓鎌 尓て切 目をつくれバ其 切 目より汁 ふき出るを竹

うるしのきにかまにてきれめをつくればそのきれめよりしるふきでるをたけ


遍゛ら尓てこそげ取 也 こそげ入れるうつ者物 尓茶 の濃きせんし汁 を

べ らにてこそげとるなりこそげいれるうつわものにちゃのこきせんじじるを


入 くるミ能油  を加 えて其 上 へ漆  をこそげいるれバ

いれくるみのあぶらをくわえてそのうえへうるしをこそげいるれば


漆  やけ春゛してよしといへり

うるしやけず してよしといえり


凡  漆  を取 尓ハ至  て本そき木ハ汁 奈し

およそうるしをとるにはいたってほそききはしるなしまたかくべつのろうぼくも


又 格 別 の老 木 も王るし和州  吉 野

またかくべつのろうぼくもわるしわしゅうよしの


紀州  熊 野うるし能名 所 也 其 外 諸 国 より出 うるし能木の実ハ

きしゅうくまのうるしのめいしょなりそのほかしょこくよりでるうるしのきのみは


取 て蝋 尓春る也

とりてろうにするなり

(大意)

(補足)

 国産漆を維持または増産に向けて植林をすすめているそうですが、現状はほぼ100%中国産です。国産漆は目玉がとびでるほどに高価です。

 日本には昔から漆のように日本の気候に適したすぐれた塗料が使われていました。漆や柿渋や米糠油などなど。しかしウレタンなど化学塗料が大量に廉価で(しかもそのれらの性能はすぐれていて)輸入され出回ると、その手軽さからあっというまに、国産塗料を駆逐してしまいました。

 化学塗料が安価に大量に販売されている中にあって、なんとか自然塗料を絶えさせないためには、塗料の使い分けを積極的にすすめていくしかないとおもいます。

 当時はこの画のように小さな切れ目を入れて汁をとっていたようでうが、その後は幹に螺旋になるように切れ目を入れていたようです。

 

2026年5月3日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その11

P20P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

京  西 陣 織 屋

   尓しぢんおりや

きょうにしじんおりや


京  都尓て織 出須織 物 甚  多゛功 奢 尓て唐 織 尓まけ須゛

                   可うしや

きょうとにておりだすおりものはなはだ こうしゃにてからおりにまけず


中 尓も羽二 重ハもろこし尓もまさりてこまや可也 其 品ゝ

なかにもはぶたえはもろこしにもまさりてこまやかなりそのしなじな


大概   緞 子 繻 珍  金 襴  縮 緬  紗綾  綸 子

 可゛い どんす しゆちん きんらん ちりめん さあや 里んず

たいがい どんす しゅちん きんらん ちりめん さあや りんず


繻 子 毛 織 紋絹   光後 茶宇  光絹   竜  紋  熨斗目

し由す もうる もん个ん ぬめ ちやう 者ぶ多へ 里 うもん のしめ

しゅす もうる もんけん ぬめ ちゃう はぶたえ りゅうもん のしめ


天鵞 絨 錦   綾  紗  茶 丸  白 呂 兜羅綿

びろうど 尓しき あや しや ちやまる しろろ とろめん

びろうど にしき あや しゃ ちゃまる しろろ とろめん


片 色  練  絵絹  篩  絹

可多いろ 袮り ゑきぬ ふるひきぬ

かたいろ ねり えきぬ ふるいきぬ


高 機

た可者多

たかばた


金 緞 今

きんいり

きんいりいま


織 の類  此 機

おりのたぐいこのはた


尓ておる也 空

      そら

にておるなりそら


引 とて上 の方

びきとてうえのほう


尓て地紋を

にてじもんを


あやどる奈り

あやどるなり

(大意)

(補足)

「空」のくずし字はすっかり忘れていたのか、はじめてのような気もします。

「空引」、『空引機(そらびきばた)は、複雑な紋織物を織るために古代から明治時代まで使われた日本の伝統的な手織機です。高機(たかばた)の上部に鳥居状の大きな枠(綜絖:そうこう)を持ち、紋を出すために糸を引き上げる操作が特徴です。ジャカード機が普及する前に、西陣織などで用いられた高度な機です』とAIの概要です。

 説明文にもあるように、小僧が上にのって紋を出しているようです。機織りの職人と二人一組で織り出すのでしょうか。

 緯糸をバンバンと打ち込む大きな櫛みたいのは「筬(おさ)」というそうです。それを吊り下げている上部のところが位置を変えられるように出っ張りが6個あるのがわかります。

 職人の膝下に、織りだしている生地の柄ができあがりつつあります。

 膨大な張ってある経糸ととおして、向こう側が透けて見える箇所があって、彫師、摺師の腕の見せ所です。

 とんでもなく精巧な織り機です。

 

2026年5月2日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その10

 

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

江戸浅 草 紫菜

  あさくさのり

えどあさくさのり


此 のり元ト武州  品 川 の海 尓生  春゛品 川 の町 尓て製 多るを

こののりもとぶしゅうしながわのうみにしょうず しながわのまちにてせいたるを


品 川 のりと云 浅 草 のりハ品 川 尓て取 多るを此 所  尓て

しながわのりというあさくさのりはしながわにてとりたるをこのところにて


製 し多る也 浅 草 のり仕上ケ宜 しくきよら可尓して名 物 也 

せいしたるなりあさくさのりしあげよろしくきよらかにしてめいぶつなり


其 外 下 総 の

そのほかしもうさの


葛西 のり出雲 の十六島  皆 々 名 物 也

かさい      うつぶるい

かさいのりいずものうっぷるいみなみなめいぶつなり


猶 餘国 よりも多 く出ツ通 して紫 菜 と云

                 あまのり

なおよこくよりもおおくいずつうじてあまのりという


又 河 苔 と云 も有 駿 府冨士川 より出るを冨士のりと云

  可ハのり

またかわのりというもありすんぷふじがわよりでるをふじのりという


下 野 日 光 山 の川 ゟ

しもつけにっこうさんのかわより


出るを日 光 のりと云 肥後の菊 地川 ゟ 出ルを菊 池のり

でるをにっこうのりというひごのきくちがわよりでるをきくちのり


同 国 水 前 寺のり何 れも河 のり也

どうこくすいぜんじのりいずれもかわのりなり


品 川 の沖 尓て取

しながわのおきにてとる


のりのち起゛れて

のりのちぎ れて


磯 へ打 よするを

いそへうちよするを


子共 の仕事 尓

こどものしごとに


是 を春くひ取 て

これをすくいとりて


浅 草 能商  人 へ賣 也

あさくさのしょうにんへうるなり

(大意)

(補足)

 「のり」はもちろん「海苔」ですが、ここの「紫菜」は当て字でも雰囲気があります。

「あまのり」とも読ませています。

「水前寺」のくずし字がすぐに読めたら、もう超初心者卒業まじか♫

 まだ養殖は行われてなかったようで、すべて天然海苔でした。

 

2026年5月1日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

堺  庖  丁

さ可ひ本゛うちやう

さかいぼ うちょう


泉 州  堺  の津山 上 文 珠 四郎 庖 丁  鍛冶の名 人 也 正  銘

せんしゅうさかいのつやまがみもんじゅしろうぼうちょうかじのめいじんなりしょうめい


黒 打 と云 刃金 のき多ひよく切 あぢ格 別 よし出刃

       者可年                で者゛

くろうちというはがねのきたいよくきれあじかくべつよしでば


薄 刃 指 身庖 丁  ま奈箸  た者゛こ庖 丁

うす者゛さしミ       者゛し

うすば さしみぼうちょうまなば したば こぼうちょう


何 れも皆 名 物 也◯荘 子尓いハく

            そうじ

いずれもみなめいぶつなりそうじにいわく


庖 丁  能 解 牛  庖 丁  ハもと料  理人 の名也

     よくとくうしを

ほうちょうよくとくうしをほうちょうはもとりょうりにんのななり


其 人 つ可ひ多る刃物 奈れバ

         者

そのひとつかいたるはものなれば


とてつゐ尓庖 丁  を刃物 の名と奈せりむ可し何 人 可さ可しくもろこし能

           者

とてついにほうちょうをはもののなとなせりむかしなんびとかさかしくもろこしの


故事をとりて名付 そめけん今 ハ俗 尓通 して其 名ひろま礼り

こじをとりてなずけそめけんいまはぞくにつうじてそのなひろまれり


(大意)

(補足)

「正銘」、『しょうめい しやう―【正銘】〔由緒正しい銘がある意〕ほんもの。「正真―のダイヤモンド」』

「庖丁解牛」、『『荘子』養生主篇に登場する寓話「庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)」は、料理人の丁(てい)が文恵君(ぶんけいくん)のために、牛の骨と肉の隙間を見極めて自在に牛を解体する話。技術を超えた「道(どう)」の境地に達することで、刃を傷めることなく、余裕を持って物事を成し遂げ、生を養う(養生)知恵を伝えている』とAIの概要より。

 看板は「黒折 山上文殊四郎 正銘」。