2019年12月31日火曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その12




 P.8

(読み)
又 よく
またよく

者゛りぢゝ
ば りじじ

可りてもちを
かりてもちを

つ起ける尓ミ奈
つきけるにみな

き多奈起
きたなき

ものと奈りし可バ
ものとなりしかば



(大意)
又、欲張り爺が借りて餅をついたところ
全部汚い物になってしまったので


(補足)
「者(は)」と「春(す)」のくずし字をよく間違えてしまいます。
「者(は)」のくずし字は「む」の下側が流れて右下がりになるような感じ、
「春(す)」のくずし字は「十」+「て」のような感じです。

句読点もなくまた不自然に行をまたいで言葉が続いたりでわかりにくのですが、助詞としてつかわれる「尓(に)」が文章の区切れであることが多いようです。
「いぬ【尓】そ奈へんとせし【尓】」、「可りてもちをつ起ける【尓】ミ奈」など。

またカタカナの「バ」(〜すれば、〜したので)も区切りの目安になります。


 うん十年前、高校生のとき、京都は宇治、萬福寺で一切経の版木を見たときの感動は今も忘れません。桜の版木に整然と少しもすり減ってなく勢いと力がり、文字に触れる指先が切れそうなくらいキレのあるものでした。鉄眼和尚の執念です。

 この豆本は木版多色刷りで5色くらいつかってます。5枚彫らなければならないことになります。
豆本の版木はきっとよく目にする錦絵の大きさの板に2,3頁分くらいいっぺんに彫るのでしょうか、見てみたいものです。


2019年12月30日月曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その11




 P.8

(読み)
[つゞき]
 つづき

いぬ尓そ奈へんと
いぬにそなえんと

せし尓
せしに

のこら須゛
のこらず

こ者゛んと
こば んと

奈りこの
なりこの

う春を
うすを


(大意)
犬に供えようとしたところ
残らず小判になりました。
この臼を


(補足)
最初に2行に「尓」があります。「不」や「ふ」のようにみえます。
「のこら須゛」、「す」がここでは「須」ですが、「う春を」では「春」です。
「奈りこの」、「奈り」で「。」。

 この婆さんは、すでにP.2で出てきています。着物の柄が異なっていること以外他は同じものを着ています。ここでもやはり裸足です。でもタスキはして餅をつく準備はしています。
水桶は倒れて流れこぼれ、臼からはほんとに汚さそうなものが飛び散っています。

 ここの小判があふれる内容は、前頁の絵なのですが、見開きの左側のP.9ではこの絵の内容の記述となります。小判と汚なき物の対比を、読者が前頁に戻ってその絵を見比べながら、効果的に配置したのでしょう。



2019年12月29日日曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その10




 P.7

(読み)
多り正  じ起ぢゞハ可奈しミきを 合
たりしょうじきじじはかなしみきを

合きりう春となして
 きりうすとなして

もちをつ起
もちをつき


[つぎへ]


(大意)
正直じじは悲しみ、木を
きって臼をこしらえ
餅をつき


(補足)
「多り正じ起ぢゞハ」、「多り」で句点「。」です。
「可奈しミきを」、「可奈しミ」で読点「、」です。「可」は「う」にそっくりなのですが、左下の文章「う寿となして」の「う」をみると、そっくりではなく同じになってます。
「合」に似た記号が右上左下にあります。このマークはなんの図案なのでしょうか。「春」の変体仮名は「十」+「て」のような感じ。

 正直爺さん満面の笑み、かかとをそろえ左手をいっぱいに広げてやや引き加減、右手に杵を下げて、歌舞伎一場面で見栄を切っているよう。

 臼からあふれているのは小判です。
爺さんのほうは婆さんにくらべると、餅つきの格好をしていません。ちゃんちゃんこ着てるし。
ちゃんちゃんこと小判の色使いが同じなのがおかしいです。
婆さんは裸足なのに、爺さんは上等な足袋をはいて雪駄みたいのを履いてる。ずいぶんと違う。
うしろの真ん中左側に半分白いかたまりがありますが、つきおわったお餅かもしれません。

 P.6、P.7の見開きです。



2019年12月28日土曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その9




 P.6

(読み)
[つゞき]
つづき

ゆ起て
ゆきて

本りてミれ
ほりてみれ

バき多奈起ものいで
ばきたなきものいで

多る尓者らを多ち
たるにはらをたち

いぬをふちころしきのし多へうめ
いぬをふちころしきのしたへうめ


(大意)
て行って掘ってみましたところ
きたない物が出てきてしまいましたので腹が立ち
犬をぶち殺して木下に埋めました。


(補足)
 その6 P.3からのつづきです。
その7、その8の見開きがどうしてその箇所にはさまれているのかがよくわかりません。
物語のつながりとしては、このP.6で間違いはないのですが、どうも釈然としません。
 でも、昔話にはそれぞれいろいろな版があり、はなしの筋もそれぞれです。
この花咲か爺でもこの綱島蔵版ではこうなのでしょう。

「バき多奈起ものいで」、ここの変体仮名の「い」の元の漢字がわかりません。それとも「の」と「い」の間にある「〃」のようにみえるのは「可゛(が)」なのでしょうか。
意味は「きたなきもの【が】いでたるに」で通じます。
他の頁の「い」をしらべると現在のひらがな「い」と同じですので、「い」の上に「可゛(が)」があると見たほうがよさそうです。

「者らを多ち」、現在なら「腹がたち」と助詞「が」になるか、「腹をたて」になるでしょう。
「いぬをふちころし」、「ふ」に濁点がついていませんが、あるとしたほうが意味が通じます。

 物語の内容とこの頁の絵が一致していませんが、この次の頁の話の内容になってます。
餅つきをしている場面です。おばあさんはホッカムリをし、たもとはタスキをかけてまとめ、裾は端折り、小さな前掛けをしてます。湯気が白いのでもち米を蒸しているのでしょうか。。水桶もちゃんと脇にあります。表情は幸せそう、両手をあげて喜んでいます。


2019年12月27日金曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その8




 P.5

(読み)
正じ起ぢゝ
しょうじきじじ

可れき尓
かれきに

者奈をさ
はなをさ

可せてあ
かせてあ

ま多の本
またのほ

ふびを多
うびをた

もう
もう


(大意)
正直な爺は枯れ木に花を咲かせて
たくさんの褒美を(殿様は)お与えくださいました。


(補足)
 絵は横画面の見開きなのでパノラマ感がより引き立ちます。



 このあたりまで読みすすめてくると、変体仮名などはだいたい出尽くしてきました。
むしろ、文章の区切りや改行による単語のつながりの不自然さなどのほうがやっかいです。

「者奈をさ」、最後の「さ」は次行につながり、「さかせて」。
「可せてあ」、最後の「あ」も次行につながり、「あまたの」。
「ま多の本」、最後の「本」も次行につながり、「ほふびを」。
文末も「たもう」。

 お侍さんの頭の部分の色刷りがずれてしまってます。その上の山の端も空の紅色が重なってます。
このお侍さん、「殿、ご覧なされ。見事にございますなぁ」といってるような感じ。
正直爺の右手がヒトデみたいで指先がみなとんがってます。

 色ズレも目立ちますが、豆本でも全く手をぬいてません。
色使いがやはりきれい。

【20191229追記】
 ここのP4P5が急にこの部分にあるのがよくわかりませんでした。
何度も全体の話を読み返しました。

 この物語は誰でもがよく知っている話で、最後に見事に花を咲かせる結末を意識的に最初の方に持ってきて、読者の皆さんはこの話が最後にこうなるのをご存知ですよねと惹きつける効果をねらってのことだろうと考えるようになりました。

 P4P5ともによくみると、それぞれの絵の中央に折りジワがあります。半分に折ってそれを開いて横長の大きい絵になるようにしています。画面は2倍になってさらに横長ですからパノラマ感はいっそうの広がりをもって、読者の目は左右に移動します。

 これを見せておいて、さぁそれではこうなるまでの物語を続けましょうという凝ったつくりにしたのでしょう。心憎いですね。







2019年12月26日木曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その7




 P.4

(読み)
なし

(大意)
なし

(補足)
 その6の[つづき]はP.6へとつながって、P.4とP.5は別場面のようです。
P.5は正直爺が枯れ木に花を咲かせて、殿様から褒美をもらっている場面なのですが、P.4ではその殿様御一行の絵だけとなってます。P.4、P.5は見開きの頁になります。

 殿様は脇差をさし、扇をふって「あっぱれあっぱれ、見事じゃ」とでも褒めているようです。
小姓は大太刀を直接手にすることなく、ちゃんと布をあてています。他の家来たち5人の衣装も裃姿もあれば羽織姿もいます。そして松の木の下には駕籠が置かれています。

 小姓はまだ月代にしてません。ちょんまげは3名、羽織を着ている方の頭髪がよくわかりません。


2019年12月23日月曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その6




 P.3

(読み)
それをミてうらや満
それをみてうらやま

しくおもひてい
しくおもいてい

ぬを可りて
ぬをかりて

や満へつれ
やまへつれ

[つぎへ]
 つぎへ


(大意)
それを見てうらやましくおもい
犬を借りて山へ連れ


(補足)
P.2とP.3が見開きになっていて、この頁はその左側部分。
見開きにしてみると、こんな感じになります。



 豆本とはいえ、なかなかのパノラマ感があります。
一番左側の木が右側に丸く反り、枝葉が右頁の左上まで描きこまれ、空の空間のつながりも強調されてます。

「それをミて」、「そ」が「た」のように見えてしまいます。この「そ」は「曽」の変体仮名。
「しくおもひてい」、行末の「い」は次行につながって「いぬ(犬)」です。
長方形の中は「つぎへ」と右上から左下に記されています。このあとの頁の[つづき]につながります。

 欲張り爺は鋤を振り上げ、右足でワンコの首を押さえつけ殴りつけています。
ワンコは苦悶の表情。

 この欲張り爺、どうやら左利きのようです。錦絵の画面効果を考えてのことだと思います。
右利きで描いてしまうと体が右前になりどうしても体や顔の表情などが左腕に隠れてしまいます。
体の正面をこちらに見せるにはこの構えしかないので、結果左腕を上部に持ってきたのでしょう。


2019年12月22日日曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その5




 P.2 7行目〜

(読み)
そのところ
そのところ

を本り
をほり

てミれバいろ
てみればいろ

ゝの多可らもの
いろのたからもの

いで多りと奈り
いでたりとなり

の与く
のよく

者゛りぢゝい
ばりじじい


(大意)
その場所を掘ってみたところ、いろいろな宝物が出てきました。
隣の欲張り爺は


(補足)
「そのところ」、「ろ」が下部の丸いところだけのようにみえますが、よくみるとちゃんと上の部分もあります。
「を本り」、「本」は「ほ」。見た目は「不」にそっくり。
「てミれバいろ」、「ミ」としましたが?。「み」は「美」や「見」があてられますが、この「ミ」の一画目のところに斜め棒があります。よくわかりません。
「バ」のところで文章の区切りになります。

「いろ」の繰り返し記号「く」が次行につながっているのでわかりにくです。
「ゝの多可らもの」、「も」は「毛」「茂」「裳」などがります。ここの「も」はどれでしょう?
「いで多りと奈り」、句点がないのでどころで切れるか前後を読まないとわかりません。「いで多り」できれます。
「の与く」、「の」は助詞です。「与く」は次行にかかります。「の」の上に「一」がありますが挿絵の木の枝の一部でしょうか。

 挿絵の隙間に文章を連ねているので、文章の区切りがいっそうわかりにくくなってます。
ひとまずは全体を読んでみるしかありません。

 おばあさんの顔を拡大してみると、なんか見てはいけないもの、とんでもないものをみてしまったというような、怖い目つきになってます。

 山裾の茅葺き農家数軒はのどかです。


2019年12月21日土曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その4




 P.2 6行目まで

(読み)
ちゝい
じじい

や満へ
やまへ

つれ由起
つれゆき

し尓いぬ
しにいぬ

こゝ尓とゞ満り
ここにとどまり

うご可ぬ由へ
うごかぬゆへ



(大意)
爺(じじい)が山へ犬を連れて行ったところ
犬がここだよととどまり動かなくなりましたので


(補足)
「ちゝい」、濁点がありません。
「や満へ」、「ま」の変体仮名は「未」「万」「満」などがありますが、ここでは「満」だとおもいます。
「し尓いぬ」、「し尓」(しに)で文章は切れます。「いぬ」は次の行にかかります。
「うご可ぬ由へ」、「ぬ」は「奴」で、ひらがなの「ぬ」と「奴」の筆順は同じです。

この頁P.2と次頁P.3は見開きになってます。
この人物は正直婆(ばば)でしょうが、裸足で裾を端折りなんとも言えぬ雰囲気をただよわせてます。

 山向の空の景色を赤と黄茶色or黄檗色のような渋い色で横縞に表現しています。斬新です。


2019年12月20日金曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その3




 P.1 8行目〜最後

(読み)
可いてあり
かいてあり

个る可゛ぢゝ者゛ゝとも
けるが ぢゝば ゝとも

このいぬをこの与ふ
このいぬをこのよふ

尓可王由可゛り个れハいぬも
にかわゆが りけれハいぬも

与く奈じミ个るあると起
よくなじミけるあるとき

(大意)
飼っていたのですが、爺婆ともに
この犬を自分の子どものようにかわいがっていました。
犬もとてもなついていました。ある時

(補足)
「可いて」と「このいぬを」の「い」が異なってますが、両方とも「以」の変体仮名でしょう。
「王」(わ)、変体仮名は「己」のようなかたち。
「由」(ゆ)、これは由の書き順通りに筆を運ぶとなんとなく「ゆ」になります。
「个れハ」、「け」には「計」「介」「个」などがあります。「n」に似てます。「ハ」は「ば」です。「〜すれば」の「ば」とおなじ用法です。「者」(は)と区別のためカタカナの「ハ」を使っているのだとおもいます。
「与」(よ)、「よ」はほとんど「与」がもとです。これも「与」の書き順どおりに運筆すると「よ」になります。
「与く奈じミ个る」、「ミ」がカタカナになってます。「し」はその上の字に重なることがほとんどで「な」の左側にかぶっています。濁点が「奈」の下にあります。
物語の最初、「む可しゝ」のところでも、「可」の左側に「し」がかぶっていて、「可」が「し」の内側にきてしまっています。
文章はここできれます。

 現在では文章の区切りは句読点(句点「。」、読点「、」)で読みやすくしたり意味を間違えないようにしてます。明治以前では句読点はありませんでした。分かち書きという文章作法もありましたが、たいていはべた書きです。

「あると起」、「起」(き)。「畿」が使われることも多く、こちらのほうがくずしてゆくと「き」のかたちに近いようです。


 爺が鋤(すき)で土を掘ったらお宝がたくさん出てきました。喜びで踊っているようです。金銀それに赤い木の枝みたいなのは赤珊瑚です。過去もお宝でしたが、現代ではもっともっと希少で貴重なものになってます。


2019年12月19日木曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その2




 P.1 最初〜7行目

(読み)
む可しゝ
むかしむかし

ある可多い奈可
あるかたいなか

尓正じ起
に正じき

奈ぢゝ
なぢぢ

者゛ゝあり
ば ばあり

このうち尓いつ
このうちにいつ

ひ起のこいぬ
ひきのこいぬ




(大意)
むかしむかし、ある片田舎に正直な爺と婆がおりました。
この家で一匹の子犬を


(補足)
 変体仮名がたくさん出てきますが、使われる字はそれほどたくさんあるわけではないので
すぐに慣れるはずです。

「か」(可)の変体仮名はひらがなの「ろ」や「う」のようになります。そしてまわりの字より小さい。
「た」(多)の変体仮名は独特で、似ているひらがなはなさそう。「さ」の一画目を除いたのに似てないこともない。
「な」(奈)、変体仮名に使われる漢字は通例ふたつみっつあって、なおさらこんがらがるのですが、そのつど調べるのが一番です。
「に」(尓)、助詞の「に」はほとんどの場合「尓」が使われいます。
「正」、ここでは漢字「正」のくずし字。
「き」(起)、「紀」のように見えますが、「糸」偏ではなく「走」偏です。
「は」(者)、「者」のくずし字は助詞の「は」として頻出ですので、一層簡略化されてます。
「ぢぢばば」、「゛」がなければ「ちちはは」となってしまいます。「ちちはは」にシワ(濁点)がふえれば「ぢぢばば」になるのです。
「いつひ起の」、「つ」は促音になるので小さくなるはずですがこの時代ではそのままです。「ひ」は「ぴ」と「°」がつくはずですが、これもこの時代はそのまま。

 それにしてもきれいな色使いです。
歌舞伎の舞台や役者の衣装の色模様は錦絵の色使いの元になるもので、歌舞伎役者が見得を切ったときをそのまま錦絵にして当時は写真やブロマイドの代わりとして販売していたのでしょう。
歌舞伎は動く錦絵です。

 ワンコはちっとも子犬ではなく丸々肉付きよくとても可愛がられているようです。


2019年12月18日水曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その1




 P.0 表紙

(読み)
昔  咄 し花 咲 ぢゝい
むかしばなしはなさかじじい

綱 島 蔵 版
つなしまぞうはん


(大意)
むかしばなしはなさかじじい
つなしまぞうはん

(補足)
 世界中に手のひらにのるようなものから切手くらいまでのいろいろな豆本があります。
ここでは明治19年の豆本。およそ12cm✕9cmほどの手のひらサイズの大きさです。
国立国会図書館からダウンロードしました。

 表紙は錦絵摺りとあり、殿様が小姓を連れ満開の桜を見上げています。
作画者は綱島亀吉編集、版元は綱島亀吉出版です。

「ぢぢ」はいまでは「じじ」と書きますが、わたしの明治生まれの爺様は
お年玉の表書きには「ぢぢ」と書いてありました。

それにしても分類ラベルをなんで殿様の頭に貼るのかね。


2019年12月17日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その79




 P.47 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
武州秩父郡
ぶしゅうちちぶぐん

弘化三年午十一月
こうかさんねんうまじゅういちがつ

願人 五人
ねがいにん ごにん

扱人 二人
あつかいにん ふたり

相手七人代兼
あいてしちにんだいけん

七左衛門殿
しちざえもんどの

佐左衛門殿
ささえもんどの



(大意)



(補足)
 喧嘩両成敗、内済(和解)となりました。
2018年「飯能郷土館収蔵資料目録8(収蔵文書目録その3)」の解説に
「本史料では出訴から内済までが一冊にまとめられているので、江戸時代の典型的な流れを簡潔に知ることができる」とあるように、当時の争いの様子が興味深く読むことができました。

 坂戸の戸口村の狼藉が「酔狂」とされているのが、江戸時代の出入りではよくみられるともありますが、落とし所としては、どちらの立場にもあることだろうから、わかってやってくれと説得しやすいのでしょう。
 示談になったものの、果たしてその後はどうなったか野次馬根性が刺激されるところです。

「桴出入諸願書井相手方詫書等写」は今回で終了となります。


2019年12月16日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その78




 P.46 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
無之  候得共   熟  談 内 済 相 調   候   上 者御扱   人 中  御
これなくそうらえどもじゅくだんないさいあいととのいそうろううえはおあつかいにんちゅうご

弥(親)切 も忝     存  候   間  往々  互  二睦 間敷 御突 合  申度
しん  せつもかたじけなくぞんじそうろうあいだおうおうたがいにむつまじくおつきあいもうしたく

候   間  書 面 渡  置 申  所  如件
そうろうあいだしょめんわたしおきもうすところくだんのごとし



(大意)
でもないでしょうが、十分に話し合い示談がととのいましたうえは、扱い人の
ご親切に感謝しておりますし、先々お互いに仲良くお付き合いしたいと存じます
ので、書面にしてお渡ししておきたい所存このとおりでございます。


(補足)
「候得共」、もう読み損なうことはなくなりました。3文字で1文字のようなものです。
「弥切」、「弥」は「親」の書き間違いだとおもいます。
「忝」(かたじけない)、次に「存候間」とくるので、推測できますが・・・
「往々」、よくある様が多くは好ましくない事態について用いるとあります。ここでは今後の意味でしょう。
「御突合」、たしかに(おつきあい)と読めますが、なんとも直接的な感じです。でもピッタシな漢字です。薄く削り取った無垢板を反りがこないように作った板に貼ってこしらえた板を突板といますが、まさにこの使い方と同じです。



2019年12月15日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その77




 P.46 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
有之  候   筈 已来 共 桴  川 下 之節 ハ川 筋 村 々
これありそうろうはずいらいともいかだかわさげのせつはかわすじむらむら

儀二付 其 御村 方 御世話二も相 成 勝 二も有之  候
ぎにつきそのおむらがたおせわにもあいなりがちにもこれありそうろう

間  此 段 宜   御聞 取 可被成  候   併   我 等者弁  へ候  儀二も
あいだこのだんよろしくおききとりなされべくそうろうあわせてわれらはわきまえそうろうぎにも



(大意)
あるはずでしょうとも、今後共桴川下げのときは川筋の村々
を通ることになりますのでみなさまの村のお世話になることも多いかと存じます
ので、これらのことよろしくお聞き入れくだされますよう、またあわせて私どもがわきまえることでも


(補足)
「筈」が「ハ」+「者(変体仮名)」に見えてしまいます。
「節」、「筈」の「竹」冠とは全然異なります。
「筋」、この「竹」冠も前のふたつとは異なります。
「勝」、うーん、読めません。
「取」、これはだいたい読むことができるのですが、どうしてこじんまりと小さいのでしょう。
「等」、ここの「竹」冠も前者3つと異なってます。いろいろあるもんです。


2019年12月14日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その76





 P.45 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
發 起 り与申  者其 御村 方 之衆  中  市帰 り酒 狂
はつおこりともうすはそのおむらかたのしゅうちゅうしかえりすいきょう

被致  候   人 も数 多有之  桴  乗 人 之内 桴  繋  畄 酒 給
いたされそうろうひともあまたこれありいかだのりびとのうちいかだつなぎとめさけたまい

声 高 之挨 拶 致  候   哉も無覚束   若 左様 之儀も
こえだかのあいさついたしそうろうやもかくそくなくもしさようのぎも



(大意)
今回のこの一件の起こりは戸口村の大勢の方々が市の帰り、ひどく酒に酔った
人が沢山おりました。桴川下げした者も桴を繋ぎ留め酒を飲んでおり
大声で挨拶をしましたが、皆様はそのことをはっきりとは覚えていませんでした。もしこのようなことが


(補足)
「初発」、はじまり。起こり。
「衆中」(しゅうちゅう、しゅちゅう、しゅぢゅう)読みはどれでもよさそう。大勢の人々。「衆」のくずし字はとても簡略化されています。
「哉」だけだと?ですが「候哉も」となれば読めます。
「若」、何度か出てきたので読めました。


2019年12月13日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その75




 P.45 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
差 入 申  一 札 之事
さしいれもうしいっさつのこと

我 等共 ゟ 貴殿 方 へ相 懸 り候   一 条  御吟 味中  之所
われらどもよりきでんがたへあいかかりそうろういちじょうごぎんみちゅうのところ

御扱   人 中  格 別 之御厚 情  を以  御立 入 被下  候   二付 ハ初
おあつかいにんちゅうかくべつのごこうじょうをもっておたちいりくだされそうろうにつきはしょ


(大意)
差入申一札之事(お渡しする書面についてのこと)
私たち(桴の坂石村)よりあなた方(戸口村)への訴訟の一件は裁判中ではございますが
扱い人方々の格別のご厚情をもってとりなしてくださいました。


(補足)
「吟味」は刑事関係、「出入」は民事関係と江戸時代の裁判を調べるとあったりしますが、どうも曖昧なようで、調査中、裁判中の意味であることも多いです。
「立入」、深く入り込んで関わる。ここでは双方を取り持ってくれたということ。


2019年12月12日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その74




 P.44 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
武州秩父郡
ぶしゅうちちぶぐん

坂石村
さかいしむら

忠右衛門殿代兼
ちゅうえもんどのだいけん

保兵衛殿
やすべえどの

坂石町分
さかいしまちぶん

吉蔵殿
きちぞうどの

坂元村
さかもとむら

弥次郎殿
やじろうどの

南川村
みなみかわむら

均平殿
きんぺいどの


(大意)



(補足)
 (その2)にのところで、「御奉行所 久須美佐渡守様」と出てきました。
前回の「江戸の奉行所と公事宿・公事師」に(「武鑑」嘉永二年 1849年 幕府の役職一覧表)があり
「久須美佐渡守」を見つけました。「御勘定奉行」「道中御奉行」にあります。



 余談ですが、この武鑑を良くながめると、右側上部の町御奉行のところに
あの桜吹雪で有名な遠山左衛門尉様とありました。このときは南町御奉行でした。

 訴えを起こすのは良いのですが、やはり莫大な経費がかかるようで、訴えてはみたもののそれらの費用に耐えられず、早々に内済(示談)になることが多いようでした。
今回のこの件も8月に訴え、11月には内済で結審しています。

 写しはもう1件続きます。



2019年12月11日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その73




 P.43 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
利三郎
りさぶろう

久五郎
きゅうごろう

右七人惣代
みぎしちにんそうだい

七左衛門
しざえもん

佐左衛門
ささえもん

同州比企郡毛塚村
どうしゅうひきぐんけづかむら

扱人六人代兼
あつかいにんろくにんだいけん

瀬兵衛
せえべえ

同州秩父郡南村
どうしゅうちちぶぐんみなみむら


どう

藤兵衛
とうべえ


(大意)



(補足)
「同州比企郡」「同州秩父郡」、「州」のくずし字が異なってます。
「(取)扱人」、 和解(内済、示談)の仲介者(町村役人・公事宿の主人・下代・公事師等)
「扱人六人代兼」、扱い人6人の代表を兼ねて、という意味でしょうか。

 下記の資料が江戸時代の裁判のしくみなどの参考になります。
宮原賢一氏の「江戸の奉行所と公事宿・公事師」
http://web1.kcn.jp/gyoseishoshi/ronkou1.pdf


2019年12月10日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その72




 P.42 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
武州  入 間郡 戸口 村
ぶしゅういるまぐんとぐちむら

弘 化三 年 午 十  一 月
こうかさんねんうまじゅういちがつ

佐七
さしち

利助
りすけ

寅五郎
とらごろう

萬五郎
まんごろう

佐十
さじゅう


(大意)



(補足)
あらためて「間」のくずし字をみると、原型はなくなっているけど、必ず読むことができる字のひとつです。
「寅五郎」「萬五郎」、おなじ「郎」のはずなのにくずし字が異なってます。ひとつは「ら」、もうひとつは「戸」+「巾」。

 弘化3年(1846年)も幕府はてんやわんやのときで、この7年後にはペリー率いる黒船がやっってきます。このようなときでも、田舎の村の日常の出来事から生じた争いごとの裁判をしているわけです。幕府崩壊の危機など感じることのできないのどかなといっては失礼ですが、庶民の普段の生活意識はこんなものだったのだろうと感じる次第です。


2019年12月9日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その71




 P.42 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
相 成 候   様 可致候      且 又 此 末 不実 之所 業  致  間敷 旨
あいなりそうろうよういたすべくそうろうかつまたこのすえふじつのしょぎょういたすまじくむね

を以  熟  段 二相 成 候   二付 為後日   一 札 入 置 申  所 依而
をもってじゅくだんにあいなりそうろうにつきごじつのためいっさついれおきもうすところよって

如件
くだんのごとし


(大意)
行えますように致します。なお今後も今回のようなことを起こさぬようにするということで
示談になりましたので、後日のため文書としてここに提出いたします。


(補足)
「熟段」では辞書になくネットでも検索できません。「熟談」ならばヒットしました。漢字の意味そのままです。 1.納得がいくように十分話し合うこと。「熟談して決める」2.話し合って紛争などの折り合いをつけること。示談。和談。

 示談にはなったものの、この地域はこのあとも大雨などで何度も被害にあってます。
実際はどうだったか、気になるところです。


2019年12月8日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その70




 P.41 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
儀者若 御普請 有之  候   節 ハ其 場所 相 除  其 外 ハ
ぎはもしごふしんこれありそうろうせつはそのばしょあいのぞきそのほかは

最寄 宜 敷 場所 へ御勝 手次第 御繋  畄 置 乗 人 方
もよりよろしきばしょへごかってしだいおつなぎとめおきのりびとかた

止宿  者勿 論 川 下 之節 ハ聊    無差支    川 下ケニ
ししゅくはもちろんかわさげのせつはいささかもさしつかえなくかわさげに



(大意)
ときには、もし堤防の修繕をしている場合はその箇所を避け、その外の
近くの都合のよい場所へご自由に繋ぎ留めおきください。筏の船頭さんが
宿泊することは勿論、川下げを行うときは少しも差し支えなく川下げが


(補足)
「若」(もし)、「艹」に「右」なんだけど、読めませんでした。
「聊」(いささか)、よく出てきますが、これ一文字だと?ですが、「〜節ハ聊〜」とつなげてながめると読めそう。

 今後については、堤防の修繕箇所を避けること以外は宿泊することも筏をどこに繋ぎ留めることもご自由にして結構ですと、揉み手をしながらまるで商人のように受け入れを勧誘しているかのようであります。



2019年12月7日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その69




 P.41 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
荷主 方 損 毛 無之  様 可致   旨 を以  左之扱   人  相 頼
にぬしかたそんもうこれなきよういたすべしむねをもってさのあつかいにんをあいたより

厚  詫 入 候   所  格 別 之御勘 弁 を以  御承  知被下  忝
あつくわびいれそうろうところかくべつのごかんべんをもってごしょうちくだされかたじけなく

存  候   然  上 者向 後桴  川 下 被成候    節 ハ村 方 地先之
ぞんじそうろうしかるうえはこうごいかだかわさげなされそうろうせつはむらかたちさきの



(大意)
荷主たちに損害のないようにすることを下記の扱い人にお願いします。
心からお詫び申し上げますので格別のお許しをたまわりお聞き入れくださり感謝に
たえません。然る上は今後筏川下げをされるとき村の近くに繋ぎ留める(ときには)


(補足)
 農地を守るために堤防を壊されてはたまらぬと、大変な剣幕ながら冷静な筆致で先の訴え状には切々と記されていました。しかしここに至って、手のひらを返すとはまさしくこのことのようです。
酔狂であったとはいえ、何から何までこちら側で元通りにして返すし、狼藉を働いたことを全面的に認め、謝罪を受け入れてくれたことに感謝しています。
 さらに、今後のことについても述べてゆきます。
きっと、奉行所から強い指導があり、仲間の名主たちとの話し合いの結果にちがいありません。

「御勘弁」、「弁」があるのでその上の「勘」のくずし字が読めました。
「承」、ここでも中央の部品は「了」+「三」ではありません。
「忝」、わかりそうで読めませんでしたが、改行して「存候」と続くので(かたじけなく)と予想できます。
「節」、「竹」冠が「以」のくずし字にそっくりです。


2019年12月6日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その68




 P.40 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
御吟 味奉請     候而者   当 惑 之廉 有之  先 非後 悔
ごぎんみうけたてまつりそうらいてはとうわくのかどこれありせんぴこうかい

相 弁  へ切 流  散 乱 紛 失 致  候   木品 不残  取 揃  藤縄
あいわきまえきりながしさんらんふんしついたしそうろうきしなのこらずとりそろえふじなわ

等 都而我 等方 二而差 出し素 々 之通 り桴  二組 立
とうとてわれらがたにてさしだしもともとのとおりいかだにくみたて


(大意)
裁判を継続してはどうしてよいかわからないこともあり、過去の過ちを後悔し
反省しております。筏など切り流しバラバラにし紛失させた材木や品々などは残らず取り揃え、藤縄なども私たちで用意いたし、元あったとおりに筏を組み立て


(補足)
「廉」(かど)、「〜のかどで捕える」。理由として取り上げる事柄、点。
「有之」、じっとみていると、確かに(これあり)だとおもうのですが、初見では?でした。
「先非」、はじめての言葉でした。過去に犯した過ち。前非。
「切流散乱紛失」、かなりの破壊行動をしたことがわかります。
「残」と「揃」の旁のくずし字がひらがなの「お」のようで、まったく同じです。
「藤」は何度かお目にかかっているのに読めないなぁ。
「都而」(とて)、当て字でしょうが、「都」が読めませんでした。
「藤縄等」「我等」、同じ「等」のくずし字が全く異なってます。使い方や意味によりくずし字が変わるようです。

 筏を組むときに使っていたのが藤縄だったのですね。
吾野の山あいにある坂石村などでは藤縄はきっと常備されていたこととおもいますが、戸口村のようなところにあったのでしょうか。それとも縄屋さんがあって販売していたのかもしれません。
竹籠や竹ザル専門の店がありましたし、あけびや藤やつる状の丈夫なもので編みいろいろなものを作っていましたからそれほどの苦労なく手に入れることができたのでしょう。

さて「先非後悔相弁え」た戸口村はどうなるのでしょう。



2019年12月5日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その67




 P.40 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
易所 業  ニおよひ候   二付 先 般
 しょぎょうにおのびそうろうにつきせんぱん

久須美佐渡守様   へ被成御出訴   御尊 判 頂  戴
くすみさどのかみさまへごしゅっそさなれごそんぱんちょうだい

被相付   奉恐入       当 時御吟 味中  二御座候   所  此 上
あいつけられおそれいりたてまつりとうじごぎんみちゅうにござそうろうところこのうえ


(大意)
ことをしてしまいました。そのため先日
久須美佐渡守様へ訴え出られ御尊判を頂戴し
恐れ入っております。その時は裁判中でありましたが、これ以上



(補足)
「および」、ここの「よ」は「与」の変体仮名。
「御尊判」、訴状の裏に押された評定所一座(ふつう、寺社奉行四人、 町奉行二人、公事方勘定奉行二人、合計八人)の印判のこと。



2019年12月4日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その66




 P.39 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
繋  畄メ番 小家補理乗 人衆番  致被居     候   所  我 等
つなぎとめばんごやほりのりびとしゅうばんいたしおられそうろうところわれら

大 勢 坂 戸市へ罷  出致酒狂     帰路右 小家へ立
おおぜいさかどしへまかりですいきょういたしきろみぎこやへたち

寄 彼 是 申  懸 桴  乱 妨 二切 散 し其 外 品 々 不容
よりあれこれもうしかけいかだらんぼうにきりちらしそのほかしなじなよういならず



(大意)
繋ぎ留めました。番小屋を設置し筏の船頭たちなどが見張りをしていましたところへ、私どもが
大勢で坂戸市へでかけ酒に酔い帰りにこの番小屋へ立ち寄り
あれこれと難癖をつけ筏を乱暴にバラバラにしてしまいました。そのほかの材木などもとりかえしのつかない


(補足)
 おやおや戸口村の人たちがしたこと、いよいよ訴えられて隠しきれずに自白?しだしました。
酔っ払った上での出来事だったのだと、まぁいわば開き直っているようです。

 筏が川下げのときにバラバラにならないように頑丈に縛り付けられます。川下げ中に筏がバラけてしまったら船頭の命が危うくなります。その筏をバラしてしまったのですから、刃物がなければできるわけがありません。酔っ払っていた?とはいえ計画的で悪意がなければできることではありません。

 戸口村の訴え状を読んだ限りでは、非は筏を勝手に留めた坂石村のほうにあるとおもいましたが、
どうもわたしは裁判官にはなれそうもありません。


「衆」、くずし字は簡略化されて「流」の右側に似てます。
「番」、何度も出てきてます。「釆」が「半」のようになってます。
「家」と「我」のくずし字がとても似てます。
「酒」が読みにくい。
「帰路」、「帰」はわかりますが、「路」はどうも苦手。
「彼是」(あれこれ)と読むのでした。


2019年12月3日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その65




 P.39 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
入 置 申  一 札 之事
いれおきもうしいっさつのこと

当 七 月 十  三 日 貴殿 方 桴  我 等村 方 二而日暮 二
とうしちがつじゅうさんにちきでんがたいかだわれらむらかたにてひぐれに

およひ候   二付 村 役 人 へ被成御届   河 縁 へ桴  十  三 艘
およびそうろうにつきむらやくにんへおとどけなされかわぶちへいかだじゅうさんそう


(大意)
入置申一札之事
当七月十三日、あなたがたが筏川下げを行ったとき、わたしたちの村のところで日暮れに
なってしまったため、村役人へ届け出て川縁へ筏13艘を



(補足)
「入置申一札之事」という新しい書状の控えとなりました。
日付は弘化3年11月、戸口村から坂石村への書状となります。
裁判はどうやら示談(内済)になったようで、戸口村からの詫状証文のような形になってます。

「入置申一札之事」、読みは(もうしいれおき)(いれおきもうし)どちらでしょう。
「一札入れる」とは「保証約束謝罪などの意を文書にして,相手方に差し出す。念書を入れる」と辞書にあります。

「貴殿」、「貴」のくずし字が特徴的。「殿」、「殳」が下側にきてます。


2019年12月2日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その64




 P.38 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
弘化三年
こうかさんねん

午十月
うまじゅうがつ

坂石村
さかいしむら

保兵衛代
やすべえだい

南川村
みなみかわむら

組頭
くみがしら

均平
きんぺい

御奉行所様
おぶぎょうしょさま



(大意)


(補足)
弘化三年午十月はネットの換算表で調べると西暦1846年11月19日より12月17日となります。
今日は2019年12月2日ですので、約173年前の出来事です。

 さて、この訴え合戦、どうなるのでしょう?


2019年12月1日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その63




 P.37 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
御吟 味之程 偏  二奉願上       候   以上
ごぎんみのほどひとえにねがいあげたてまつりそうろういじょう

林部善太左衛門御代官所
はやしべぜんたざえもんおだいかんじょ

武州秩父郡
ぶしゅうちちぶぐん


(大意)
ご吟味のほどひとえにお願い申し上げます。
林部善太左衛門御代官所
武州秩父郡

(補足)
「林部」、「部」この一文字だけだったら読めません。

 次頁に組頭均平の名前が出てきます。
最後の2行は均平さんの住む坂石村が、代官林部善太左衛門の管轄する幕府直轄領で均平さんがそこの組頭であることを示しています。
 幕府領の場合はこのように管轄する代官の名前を書きます。
また「御代官所」とは役所の建物施設をさすのではなく、代官の管轄領域を意味します。
「御支配所」と記されることも多いです。