2026年5月1日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

堺  庖  丁

さ可ひ本゛うちやう

さかいぼ うちょう


泉 州  堺  の津山 上 文 珠 四郎 庖 丁  鍛冶の名 人 也 正  銘

せんしゅうさかいのつやまがみもんじゅしろうぼうちょうかじのめいじんなりしょうめい


黒 打 と云 刃金 のき多ひよく切 あぢ格 別 よし出刃

       者可年                で者゛

くろうちというはがねのきたいよくきれあじかくべつよしでば


薄 刃 指 身庖 丁  ま奈箸  た者゛こ庖 丁

うす者゛さしミ       者゛し

うすば さしみぼうちょうまなば したば こぼうちょう


何 れも皆 名 物 也◯荘 子尓いハく

            そうじ

いずれもみなめいぶつなりそうじにいわく


庖 丁  能 解 牛  庖 丁  ハもと料  理人 の名也

     よくとくうしを

ほうちょうよくとくうしをほうちょうはもとりょうりにんのななり


其 人 つ可ひ多る刃物 奈れバ

         者

そのひとつかいたるはものなれば


とてつゐ尓庖 丁  を刃物 の名と奈せりむ可し何 人 可さ可しくもろこし能

           者

とてついにほうちょうをはもののなとなせりむかしなんびとかさかしくもろこしの


故事をとりて名付 そめけん今 ハ俗 尓通 して其 名ひろま礼り

こじをとりてなずけそめけんいまはぞくにつうじてそのなひろまれり


(大意)

(補足)

「正銘」、『しょうめい しやう―【正銘】〔由緒正しい銘がある意〕ほんもの。「正真―のダイヤモンド」』

「庖丁解牛」、『『荘子』養生主篇に登場する寓話「庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)」は、料理人の丁(てい)が文恵君(ぶんけいくん)のために、牛の骨と肉の隙間を見極めて自在に牛を解体する話。技術を超えた「道(どう)」の境地に達することで、刃を傷めることなく、余裕を持って物事を成し遂げ、生を養う(養生)知恵を伝えている』とAIの概要より。

 看板は「黒折 山上文殊四郎 正銘」。

 

2026年4月30日木曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

住 吉 浦 汐 干

すミよしうらし本ひ

すみよしうらしおひ


三 月 朔 日 ごろゟ 十 日比 まで大 汐 尓てさし引 多 し

さんがつついたちごろよりとおかころまでおおしおにてさしひきおおし


取 分 三 月 三 日ハ

とり王けさんがつみっかは


潮 干とて貴賤 群 集 する也 堺  住 吉 浦 

しおひとてきせんぐんじゅするなりさかいすみよしうら


凡  三 里者゛可りひ可多と

およそさんりば かりひがたと


成 見 物 の男 女 沖 に出て蛤   を取 也

           おき

なるけんぶつのだんじょおきにでてはなぐりをとるなり


又 所  の人 ハ多 く取 て見 物 の人 へも賣 奈り

またところのひとはおおくとりてけんぶつのひとへもうるなり


春べて潮 干ハ入 海 の分 ハ何 方 も同 し事 也

すべてしおひはいりうみのぶんはいずかたもおなじことなり


然  共 堺  浦 住 吉 浦 の塩 干其 名高

しかれどもさかいうらすみよしうらのしおひそのなたか


し尼  崎 浦 の塩 干甚   よし砂 海 にて貝 類 を取 こと自由 也

しあまがさきうらのしおひはなはだよしすなうみにてかいるいをとることじゆうなり


江戸にてハ品 川 の汐 干

えどにてはしながわのしおひ


尓ぎや可奈り此 浦 尓ハ比目魚多 くして塩 の多まり尓居るを

            ひらめ

にぎやかなりこのうらにはひらめおおくしてしおのたまりにいるを


見 物 の人 取 てたのしミと須

けんぶつのひととりてたのしみとす

(大意)

(補足)

「さし引」、『② 増減すること。㋐ 潮の満ち干。㋑ 体温の上がり下がり。』

 この本が出版されたのが宝暦4年で『1754年(宝暦4年)の旧暦3月3日は、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に換算すると1754年4月24日』なので、ちょうど今頃となります。蛤をとって、そのままひな祭りの蛤のお吸い物にしたのかもしれません。

 人の多さもさることながら、着物の柄がほとんどことなっているのに驚かされます。にているものもどこか違っています。

 松林にかくれて、大きな鳥居がみえます。一人ひとりを見ているとあきませんね。

 

2026年4月29日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その7

P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

池 田 炭

いけ多゛すミ

いけだ すみ


摂 州  池 田炭 ハ一 倉 と云 里 尓て檞  尓てやきて池 田能市 尓

           ひとくら       くぬき

せっしゅういけだすみはひとくらというさとにてくぬぎにてやきていけだのいちに


出須也 此 炭 竈  ハ地を本りて其 上 尓むろを造 り跡 先 に

だすなりこのすみかまどはちをほりてそのうえにむろをつくりあとさきに


口 をあけ中 へくぬ木をつミ入 てやく也 やき可げんを見てふ多を春るなり

くちをあけなかへくぬぎをつみいれてやくなりやきかげんをみてふたをするなり


ふ多おそ个れハ炭 損 じてあしく又 早 个れバふ春本゛りて阿しゝとかく

ふたおそければすみそんじてあしくまたはやければふすぼ りてあししとかく


ふ多の可げん大 事也 凡  焼 炭 諸 国 より多 く

ふたのかげんだいじなりおよそやきすみしょこくよりおおく


出 といへ共 池 田を最 上  と須

           さい

でるといえどもいけだをさいじょうとす

(大意)

(補足)

「」、『ふすぼ・る 【燻る】① 燃えないで煙がたつ。くすぶる。「明王の御頂より,猛火―・りいで,五体をつつめたまふ」〈曽我物語7〉② (煙などのために)すすける。すすけて黒ずむ。「以ての外に―・りたる持仏堂にたてごもり」〈平家物語3〉』

 調べてみると、現在でも生産されていました。お茶炭で有名なんですね。切り口が菊の花のように美しいのも特徴なようで、ここの絵でも切り口に蓮の穴のように白く見えています。

 

2026年4月28日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

讃 岐平 家蟹

さぬきへいけ可尓

さぬきへいけがに


蟹 の甲 尓目鼻 口 阿り人 の面  のごとし俗 説 尓平

可尓 かう  者奈       おもて

かにのこうにめはなくちありひとのおもてのごとしぞくせつにへい


家の一 門 讃 岐の国 八嶋 の浦 尓て源   九郎 義 経 尓

けのいちもんさぬきのくにやしまのうらにてみなもとくろうよしつねに


せめ本ろぼさる其 怨 㚑  かにと成 多るとて平 家蟹 といふ愚案

         おん里やう

せめほろぼさるそのおんりょうかにとなりたるとてへいけがにというぐあん


春゛る尓此 蟹 の類 諸 国 尓阿り播 州  尼  崎 尓武 文 蟹 と云 有

                                         多けぶん

す るにこのかにのるいしょこくにありばんしゅうあまがさきにたけぶんかにというあり


秦  の武 文 の怨 㚑  奈りと云 又 嶋 村 蟹 といふ有 豊 後長 門尓ハ

者多゛

はだ のたけぶんのおんりょうなりというまたしまむらかにというありぶんごながとには


清 経 蟹 と云 皆 俗 説 奈り中美尓も鬼 蟹 とて此可尓阿り

きよつ年             うら

きよつねかにというみなぞくせつなりうらにもおにがにとてこのかにあり


讃 岐圓 座和柔  尓して奇麗 なりこの国 の名 物 也

   ゑんざやハら可   きれい

さぬきえんざやわらかにしてきれいなりこのくにのめいぶつなり

(大意)

(補足)

「中美」、『場所:「中美(なかみ/なかうら)」という地域(特定の沿岸部)。

内容: 中美にもこの「鬼蟹」が存在し、平家の怨霊が宿っているという伝承がある』、AIの概要でした。

 平家蟹が、蕪や大根のときもそうでしたが、巨大!

漁師の足元の網の目の細かさ、また円座の縄のより、これを彫ったのかとおもうとクラクラしてきます。

 

2026年4月27日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

樟  脳 製 法

しやうのうせい本う

しょうのうせいほう


く春能木と云 毛の二品 阿り樟 ハ木の心 赤 黒 く香  徒よし楠 ハ香

              く春   しん

くすのきというものにしなありくすはきのしんあかぐろくかおりつよしくすはかおり


すく奈し木の心 赤 黒 可ら須゛是 尓ハ大 木 多 しくさりてハ岩 と

すくなしきのしんあかぐろからず これにはたいぼくおおしくさりてはいわと


成 也 樟  脳 ハ樟 の根を者徒り取 て其 こけらを

          くす

なるなりしょうのうはくすのねをはつりとりてそのこけらを


釜 尓て煎 春゛る也 小屋の内 尓

かまにてせんず るなりこやのうちに


廿   四釜 を可けニ通  尓する也 一 通  尓十  二釜 づゝ

にじゅうしかまをかけにとおしにするなりひととおしにじゅうにかまずつ


せ奈可合 せ尓して間  三 尺  者゛可り

せなかあわせにしてあいださんじゃくば かり


あけ其 間  を往 来 春るやう尓こしら由る也 

あけそのあいだをおうらいするようにこしらゆるなり


釜 のふ多ハ鉢 也 釜 と鉢 との間  を

かまのふたははちなりかまとはちとのあいだを


土 尓ぬりていきのおざるやう尓する也 

つちにぬりていきのおざるようにするなり


其 ふ多へたまり多る露 則   樟  脳 奈り

そのふたへたまりたるつゆすなわちしょうのうなり


釜 ぬししやうのう改  むるてい

かまぬししょうのうあらたむるてい

(大意)

(補足)

 説明文には一列12釜でそれが二列で24釜をかけるとあります。しかし絵では一列に5釜で、そのおくに同じ(ものとおもわれる)一列があるようなので全部で10釜になります。

 わたしが何か勘違いしているのかもしれません。う〜ん🤔・・・

 

2026年4月26日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

越 前 奉 書 紙

    本うしよ

えちぜんほうしょし


奉 書 余国 よりも出れども越 前 尓及 ぶ物 奈し

ほうしょよこくよりもでれどもえちぜんにおよぶものなし


越 前 奉 書 其 品 多 し・大 廣・御前 廣・本 政

                         本んまさ

えちぜんほうしょそのしなおおし おおひろごぜんひろほんまさ


・間 政 ・上  判・真草 ・半草  ・刮 ・外 口・大 鷹・中 た可・小引

 あいまさ      まくさ 者んくさ こそ

 あいまさ じょうはんまくさ はんくさ こそ そとぐちおおたかなかたか こびき


・つや奈し・雲 紙・尺 長 ・間尓あひ・鳥 の子・薄 やう・中 やう

          たけ奈可

 つやなし くもがみたけなが まにあい とりのこ うすよう なかよう


何 れも紙 の性  よくつや有 てつよし凡  日本 より紙 お本く出る中 尓

いずれもかみのしょうよくつやありてつよしおよそにほんよりかみおおくでるなかに


越 前 奉 書 美濃ノ奈をし関 東 の西 ノ内 程 村 

                        本ど

えちぜんほうしょみののなおしかんとうのにしのうちほどむら


長 門ノ岩 国 半 紙尤   上  品 也

ながとのいわくにはんしもっともじょうひんなり

(大意)

(補足)

「奉書」「越前奉書」、「書」のくずし字がことなっていますが、どちらも「書」。

「西ノ内」、『にしのうちがみ【西の内紙】和紙の一。コウゾで漉(す)いたやや厚手のもの。茨城県常陸大宮市西野内で産した。傘紙・版画用紙などに用いられ,明治時代に投票用紙に指定され知られた』

「程村」、『ほどむらがみ【程村紙】楮(こうぞ)で作った厚手上質の和紙。栃木県那須烏山市(下野国程村)で産する。西の内紙に似る。明治期には輸出もされ書画の印刷用に用いられた』

「岩国半紙」、『いわくにばんし いはくに―【岩国半紙】岩国地方に産する,コウゾを原料とした上質の半紙。天正年間(1573〜1592)につくり始められた。岩国紙(いわくにがみ)』

「美濃ノ奈をし」、『みのがみ【美濃紙】楮(こうぞ)で漉(す)いた和紙。古く奈良時代から用いられた。美濃の武儀郡(現在の美濃市)から多く産出され,中世以降全国に普及。紙質は丈夫で厚く虫食いにも強く,文書の写し・書状の包み・障子紙などに用いる。書院紙。直紙(じきし)。みの』

 おかしな脚の構えの絵もなく、作業工程や出荷の様子も丁寧に描かれています。ここに描かれている作業をするまでが実は大変な時間と手間がかかっています。詳しくはこのBlogでもアップしてある『紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)』をご覧ください。

 わたしの在住している地域で有名な和紙に『埼玉県小川町周辺で生産される「小川和紙」は、1300年の歴史を持つ伝統的な手漉き和紙です。特に楮(こうぞ)100%の「細川紙(ほそかわし)」は、強靭で毛羽立ちにくい最高級の障子紙や書道・工芸用として知られています』があります。

 

2026年4月25日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

越 前 福 井石 橋

ゑちぜんふくゐいし者し

えちぜんふくいいしばし


橋 半 分 は石 尓てつくり半 分 ハ木尓て徒くれ里甚

はしはんぶんはいしにてつくりはんぶんはきにてつくれりはなはだ


奇観  奈り橋 づめ尓当 国 の名 物 とて蓑 笠 を

きくハん                  ミの可さ

きか んなりはしずめにとうごくのめいぶつとてみのかさを


賣 商  人 有 ◯凡  石 橋 ちいさきハ諸 国 尓阿れ共 大 奈るハまれ也

うるしょうにんあり およそいしばしちいさきはしょこくにあれどもだいなるはまれなり


京  三 條  の大 橋 ハ橋 杭 を石 尓てせらる是 太 閤 秀 吉 公 

              者しくい

きょうさんじょうのおおはしははしくいをいしにてせらるこれたいこうひでよしこう


増 田

ました


右衛門  ?  長 盛 に命 じて奉行  たらしむ

うえもんのじょうながもりにめいじてぶぎょうたらしむ


則   ぎ本゛うし由尓銘 阿り

           めい

すなわちぎぼ うしゅにめいあり


又 甲 州  尓奇異の石 橋 あり徂徠 先 生 の峡  中  紀行 尓見え多り

        きゐ       そらい

またこうしゅうにきいのいしばしありそらいせんせいのきょうちゅうきこうにみえたり

(大意)

(補足)

「京三條の大橋ハ橋杭」、ふたつの「橋」の「呑」の部分がことなっています。

「奇異」、「異」は「己」+「大」。

「ぎ本゛うし由」、『ぎぼうしゅ【擬宝珠】→ぎぼし(擬宝珠)1に同じ』

「峡中紀行」、『江戸中期の儒学者・荻生徂徠が宝永3年(1706年)に甲斐国(山梨県)を訪れた際の紀行文』

 今までとは違う絵師が描いたのではないかとおもうくらい(実際、違うかもしれません。脚の構えが今までのものとはことなっています)の出来栄えです。

橋の中央は石ではなく木になっているのがわかります。橋詰ではなるほど箕や笠を売っています。いろいろな身分の人が描かれています。水量も豊富。