2026年7月30日木曜日

大日本物産圖會その39

P39 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P39_1

(読み)

對馬  國 海鼠 取 之図

つしまのくになまことりのず


生海鼠(ナマコ)熟海鼠(イリコ)金海鼠(キンコ)海

    なまこ     いりこ     きんこ


鼠腸(コノワタ)種 数の製 法 あり天

   このわた しゅすのせいほうありて


皇 国 諸 洲  より出すといヘ

こうこくしょしゅうよりだすといえ


ども支那尓ハ甚   稀 尓して

どもしなにははなはだまれにして


最  も珍 重  すといへり沖 中

もっともちんちょうすといえりおきなか


尓て漁  する尓ハ舩 の舳(トモ)耳

にてりょうするにはふねの  とも に


あミをつけて者し連バ自

あみをつけてはしればし


然 と入  奈り海 底 の石 に

ぜんとはいるなりかいていのいしに


つ起多るをとる尓ハ熟生鼠

つきたるをとるにはいりこ


の汁 又 は鯨  のあぶらを水

のしるまたはくじらのあぶらをすい


面 尓流 せバ水 底 透明(スキトホ)りて

めんにながせばみずぞこ   すきとお りて


見える然 して多満あミ尓

みえるしかしてたまあみに


て是 をすくふ奈り

てこれをすくふなり

(大意)

(補足)

「然して」、『しかして【然して・而して】(接続)〔副詞「しか」に動詞「す」の連用形「し」,助詞「て」の付いた語〕そうして。こうして。それから。文章に用いる。「大いに破壊して―改修せざるべからざるもの多々あるなり」〈偽悪醜日本人•雪嶺〉』

「日本史の宝箱」(中公新書)P68[能登名産ナマコの小桶]に『十六世紀半ば成立の故実書「年中恒例記」では、能登守護から将軍への恒例の献上品として確認される。』とあります。また海鼠腸50桶を年賀としていたとも別の史料に記されているとあります。

 おもしろいのは海鼠腸を「桶」と数えることです。なぜなのか?先程の本をお読みください。

 このような漁では箱メガネがこの当時、すでに出回っていたとおもうのですが、竹筒に「鯨のあぶらを水面尓流」すほうが手っ取り早かったのでしょうか。

 漁師たちがみな海鼠とりに集中しているさまがちょっと愉快(命をかけた漁なのに不謹慎でゴメンナサイ)でもあります。手前三人の中央の漁師の茶色の濃淡のついた着物がおしゃれです。籠の感じもそのまま手にできそうでうまいなぁ。

 小浪たつ舟まわりの沖中の海面の青藍の濃淡が本物のようにみえて、摺師の技ですね。さらに沖には帆掛け船がどこやら出かけるところであります。

 

2026年7月29日水曜日

大日本物産圖會その38

P38 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P38_1

(読み)

同 煙草 葉製 造 之圖

どうたばこはせいぞうのず


八 九月 頃 種 を下 し三 月 尓至 り

はちくがつごろたねをくだしさんがつにいたり


て移植(ウツシウヱ)六 月 頃 葉薄 黄と奈る

て   うつしかえ ろくがつごろはうすきとなる


尓随  ひて根尓近 き葉を二三 枚

にしたがいてねにちかきはをにさんまい


摘(ツミ)とるこれを元 葉といふ中  品

  つみ とるこれをもとばというちゅうひん


なり後 中  真 の二葉 をつむ

なりのちちゅうしんのにようをつむ


これを中  葉 といひて上  品 也

これをちゅうようといいてじょうひんなり


残 り枝 茎 を挍(はかり)てをりと里

のこりえだくきを  はかり ておりとり


陰乾(カケホシ)尓するもの下品 なり

   かげぼし にするものげひんなり


つミとりたる薬を揃(ソロ)へて薦(コモ)を

つみとりたるはを  そろ えて  こも を


被(オホ)ひ黄色 尓変 するを度(ド)とし

  おお いきいろにへんするを  ど とし


て二三 葉 づゝ縄(ナハ)尓可け又 日尓本し

てにさんようずつ  なわ にかけまたひにほし


夜つ由尓さらし後 巻 て細刻(キザム)奈り

よつゆにさらしのちまきて   きうざ なり

(大意)

(補足)

「同」、『大隅国』。鹿児島県。

「度とし」、詞書きに何度も出てきている表現です。目処(めど)にしての(漢字は異なりますが)度。

 とてもにぎやかで楽しさあふれる画、登場人物がそれぞれの仕事をしていてその動きの一瞬をとらえている絵師のうまさもさることながら、左の「ぜんまい刻み機」(ネットで調べると実物の写真があります)という器具を正確に、まるで営業マンが説明で使う見取り図のよう描いています。

 奥の庭に干してあるのは魚のひらきではなく、たばこの葉。暖簾に裏返しの「萬屋」はすでにでてきた画のおなじような暖簾に使われていました。版元錦栄堂(萬屋)の大倉孫兵衛の屋号です。

 ひとつひとつの品物や作業、人物の表情を細かに見ていて、飽きませんね。

 

2026年7月28日火曜日

大日本物産圖會その37

P37 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P37_1

(読み)

大 隅  國 煙草 培 養 之圖

おおすみのくにたばこばいようのず


煙草(タバコ)ハ元 南  アメリカの産 尓し

   たばこ はもとみなみあめりかのさんにし


て我 国 慶 長  十  年 ホルトガル人

てわがくにけいちょうじゅうねんぽるとがるじん


持 来 りて長 嵜 へ植(ウヱ)附 たるを

もちきたりてながさきへ  うえ つけたるを


初 として培養(ハイヤウ)せざる国 奈しと

はつとして   ばいよう せざるくになしと


雖(イヘ)とも就中   大 隅 ノ國 部上

  いえ どもなんかずくおおすみのこくぶこう


野 の舘(タテ)薩 摩の出水(イツミ)摂 州  石

ずけの  たて さつまの   いずみ せっしゅういし


津武蔵 の秩 父丹 波山 本 上 総の小糸 等 より出す物 を尤

ずむさしのちちぶたんばやまもとかずさのこいととうよりだすものをもっとも


上  等 と須此 草 性 辛(カラ)くして

じょうとうとすこのそうせい  から くして


収採(シ ユサイ)の後 虫 の付 患(ウレヒ)奈しと雖 とも

   しゅうさい ののちむしのつく  うれい なしといえども


成 長  乃時 ハ却(カヘツ)て虫 の付 事 夥(オヒタゝ)しく

せいちょうのときは  かへっ てむしのつくこと  おびただ しく


毎 朝 虫 をとらされバ其 葉を網(アミ)のごとく奈すもの也

まいあさむしをとらざればそのはを  あみ のごとくなすものなり

(大意)

(補足)

「大隅国」、鹿児島県。隅州(ぐうしゅう)。

「慶長十年」、1605年。日本にいつ頃から喫煙の習慣が広まったかは不明確なのだそうですが、16世紀末の南蛮人渡来以降というのが有力な説のようです。

「就中」、『なかんずく ―づく【就中】(副)〔「中(なか)に就(つ)く」の転。漢文訓読に由来する語〕』。なんども使われてますが、確認のため。

「大隅ノ國部」、大隅の国分か。

 日清戦争(1894‐1898)の戦費調達のため1898年政府はたばこの専売制を開始しました。さらに日露戦争(1904-1908)では1904年に完全専売制へと移行しました。驚くことに日露戦争期の国家予算(歳出)に占める軍事費の割合は82.3%(1905年時点)に達していました。たばこ売買はそれら軍事費のいったんを大きく支えていたのです。

 母の実家は農家でした。多くの農家が隠れてたばこを自家用のために栽培していて、母のおじいさん(あたまは丁髷のままでした)は刻みたばこを煙管につめて一服していたとのことです。ちょうど日露戦争頃のことでした。

 画の構図は何度か出てきているものと同じで定番といっても差し支えないとおもいます。小さな百合のようなきれいな白い花が咲くのですね。


 

2026年7月27日月曜日

大日本物産圖會その36

P36 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P36_1

(読み)

日  向 國 樟  脳 製 之圖

ひゅうがのくにしょうのうせいのず


樟脳(シヨウノウ)ハ當 國 宮 崎 郡  諸 村

   しょうのう はとうごくみやざきこおりしょそん


尓て製 す楠(クス)尓楠(クス)と樟(クス)の二

にてせいす  くす に  くす と  くす のに


種(シユ)有り則  チ樟 の根を細(サイ)末

  しゅ ありすなわちくすのねを  さい まつ 


尓者すり釜(カマ)尓入 て煎(セン)じ出

にはすり  かま にいれて  せん じだ


春釜 の上 に冷水(ヒヤミツ)を入連多る

すかまのうえに   ひやみず をいれたる


箱 をお起釜 中 湯の騰(ワク)尓

はこをおきかまなかゆの  わく に


随(シタガ)ひ蒸発(ジヨウハツ)して箱(ハコ)の底(ソコ)ニ凝(コ)

  したが い   じょうはつ して  はこ の  そこ に  こ


着(チヤク)春是 則   樟  脳 也 支那(シナ)人 是 を

  ちゃく すこれすなわちしょうのうなり   しな じんこれを


精製(セイ\/)して龍脳(リ ウノウ)と奈須といふ

   せいせい して   りゅうのう となすという

(大意)

(補足)

「日向国」、宮崎県。

 画全体の色の配置がきれいです。山から流れてくる川の水、それを引き入れている釜の上の箱の中の水、また山の茶色の濃淡が凹凸の感じをうまく出し、そのなかに川の水の色と同じ職人たちの半纏、籠をかつぐ人たちにも同じ水色をつかってます。籠の黄色や山の土の茶色が水色と補色になっていて、うきあがってみえて映えます。釜からあがる煙はあまり丁寧に描いてなさそう。

 居間に楠の一枚板を2枚おいてあります。たまにお客さんがやってくると、檜の香りがしますねといわれることがあって、楠なんですよと伝えると、どっちもいい匂いと納得してくれます。

 樟脳といえば箪笥の中に入れる防虫剤をすぐにおもいだします。しかしもうひとつあります。縁日で小さな水を張ったプールに、小さな船の後ろに樟脳をくっつけて浮かべると勢いよく進んでいくのです。スクリューもなにも動力がないのに、とても不思議でした。

 

2026年7月26日日曜日

大日本物産圖會その35

P35 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P35_1

(読み)

日 州  緑  礬 製 之圖

にっしゅうりょくばんせいのず


緑(ロヨ)礬 ハ山 谷より磐石(ハンセキ)を掘(ホリ)

  りょくばんはさんやより   はんせき を  ほり


出し則  ち白 きハ明礬(ミヤウバン)と奈し

だしすなわちしろきは   みょうばん となし


其 色 青 きを粉 尓奈して水 を

そのいろあおきをこなになしてみずを


そゝぎ腐廃(フハイ)し多るを伺(ウカゞ)ひ

そそぎ   ふはい したるを  うかが い


て是 を釜 尓入 てせんじ

てこれをかまにいれてせんじ


その泡(アハ)をとりて乾(カハカ)し多る

その  あわ をとりて  かわか したる


毛能なり上  等 ハ紺手(コンデ)と

ものなりじょうとうは   こんで と


呼(トナヘ)て薬(ヤク)用 と奈し下等 ハ浅(アサ)

  となえ て  やく ようとなしかとうは  あさ


黄(キ)手と呼  て染汁(ソメシル)尓用 ゆ

  ぎ てととなえて   そめしる にもちゆ

(大意)

(補足)

「日州」(にっしゅう)、日向国。宮崎県。

「堀」、岩を「掘る」の意味なので正確にはこっちの手偏「扌」。ここの土偏「土」はお城の「堀」。

 わたしが子どものころ、家に大きい袋いっぱいの明礬(みょうばん)があって、夏になると母はその袋に手を突っ込んで、明礬を握りしめ、脇の下とその周辺に塗り込んでいました。なので夏の母の脇の下周辺は白粉(おしろい)を塗ったように白かったのを思い出しました。

 現在では各種メーカーから様々な制汗剤や消臭剤などが販売されていますが、薬局で購入する明礬一袋のほうがずっと安上がりで、効果は絶大です。

 季節は春から夏のよう。女、子どもがひとりもいません。鉱山なので厳しい労働環境だったのでしょうか。

 

2026年7月25日土曜日

大日本物産圖會その34

P34 国立国会図書館デジタルコレクション蔵


P34_1

(読み)

同 刈 揚之圖

どうかりばのず


農 家の婦女 子笠 を并 へ袖 をつら

のうかのふじょしかさをならべそでをつら


ねて唄 をう多ふて苗 をうゑる是 を

ねてうたをうたうてなえをうえるこれを


早乙 女といふ扨 うゑ付 の後 度

さおとめというさてうえつけののちたび


々 手入連をして秋 尓至 り花

たびていれをしてあきにいたりはな


も散り穂もそろひて用 水 を抜

もちりほもそろいてようすいをぬき


日 光 尓田を干 て鎌 を以 て刈

にっこうにたをほしてかまをもってかり


とり竿 尓可けて五 日本ど干シ

とりかさにかけていつかほどほし


稲把(イナコキ)尓て古きおとし颺(トウ)扇(ミ)に

   いなこぎ にてこきおとし  とう   み に


と本し篩(フルイ)尓可けま多とうミ尓

とおし  ふるい にかけまたとうみに


て精 粗を区分 し木臼 に可け

てせいそをくぶんしきうすにかけ


てすり多て万斛簁(まんごくどおし)尓て精

てすりたて    まんごくとおし にてせい


粗を別け升 尓斗 りて俵

そをわけますにはかりてたわら


尓をさむ

におさむ

(大意)

(補足)

 画は緑から黄金色一色の秋になりました。

「同刈揚之圖」、前回と同じで「肥後国」、熊本県。

小さな赤札が3枚あります。

右側「稲コキ」、穂先から籾をおとす。脱穀。

中央「カラ竿尓て打」、同じく籾落とし。

左側「颺扇」(とうみ)、脱穀したものに混じっている様々なものを風をあてて(手動扇風機です)吹き飛ばし選別する。

 さらにその左側にある直方体の上に入れ口がある器械が「万斛簁」で籾の大きさをより分ける。松の木の奥に見えている笠を重ねてあるのが、「竿尓可けて五日本ど干シ」てある刈り取った稲。

 わたしの母の実家は農家でした。子どものころよくあずけられていましたので、これらの器械が納屋に置いてあるのを目にしました。これらの作業はみな手作業で人力でしたが、しばらくして1960年過ぎころより急速に機械化されていったようにおもいます。

 これら作業のあとは、最後に箒で丁寧に掃き、籾を集めて一粒も無駄にしません。一粒でも他の籾と同じように手間かけて育てたのだよと、母の口癖でした。

 

2026年7月24日金曜日

大日本物産圖會その33

P33 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P33_1

(読み)

肥後 國 田植  図

ひごのくにたうえのず


皇 國 の米 産 地球  中  第 一 等 と須

こうこくのべいさんちきゅうじゅうだいいっとうとす


就中   美濃肥後伊勢尾張 遠

なかんずくみのひごいせおわりとおとう


江肥前 日  向山 城 大 和駿 河伊

みひぜんひゅうがやましろやまとするがい


豆近 江三河 を上  等 とす米 ハ

ずおおみみかわをじょうとうとすこめは


粳(ウルチ)糯(モチ)の二称  尓して八 十  八 夜

  うるち   もち のにしょうにしてはちじゅうはちや


前 後尓種子を俵  尓包 ミ池 沼

ぜんごにたねをたわらにつつみいけぬま


尓十  五六 日 浸(ヒタ)し水 より揚 て湯

にじゅうごろくにち  ひた しみずよりあげてゆ


を灌(そそぎ)むしろをお本ひ芽(モヤシ)二

を  そそぎ むしろをおおい  もやし に


分本どいづるを度とし天

ぶほどいずるをどとして


苗 代 尓散 布しのち五十

なえしろにさんぷしのちごじゅう


日 本ど経て苗 三 四 寸 のび多

にちほどへてなえさんよんすんのびた


るを玉 苗 といひてこれをうゑ

るをたまなえといいてこれをうえ


つけの期と須

つけのきとす

(大意)

(補足)

「肥後国」、熊本県。

「地球中第一等」、「地球」という表現が江戸時代後期より庶民にも広まって、明治時代には様々な書物や子どもの読本などにも使われ始めました。

 畔道に母娘が裾を端折って田植えの様子を見ています。田植えするお姉さんたちはきれいな着物に赤襷、これはもちろん今で言う写真用。実際はツギハギだらけの田植えをしやすいような実用本位の着物です。

 2枚の小さな札があって、薄茶色には「田植」、赤のは「畔タカヤス」とあります。

 畔道のわら籠に入っているのが玉苗。