2026年6月10日水曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その11

P20P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

鰮  網

いハしあミ

いわしあみ


い者しあミハ大 小  二網 奈り大 をま可せと云 

                       いふ

いわしあみはだいしょうにあみなりだいをまかせという


小  を者ちだと云 此 二

          この

しょうをはちだというこのに


あミを一里四方 へ引 也 其 うけをあ者゛と云 うけづ奈の中 程 尓

   ちりよ本う ひく  その              奈可本と

あみをちりしほうへひきなりそのうけをあば といううけづなのなかほどに


舟 二そうつけてあミの一 所 へよりぬやう尓

ふねにそうつけてあみのいっしょへよりぬように


両  方 へかぎ尓て引 也 網 舩 の

里やう本う         あミふ年

りょうほうへかぎにてひくなりあみふねの


先 尓立 舟 ハまあミさ可阿ミとて二艘 也 其 舟 尓けん保゛うとていハしを

さき 多川             そう

さきにたつふねはまあみさかあみとてにそうなりそのふねにけんぼ うとていわしを


ぬけぬやう尓後 へ追 者 四五人 有 ◯伊与の宇和嶋 い王し多 し関  東

      あと おふ毛の          う王しま      くハんとう

ぬけぬようにあとへおうものしごにんあり いよのうわしまいわしおおしか んとう


尓てハ総 州  銚 子浦  より多 く出る丹 後より出るいハし

        て うしうら

にてはそうしゅうちょうしうらよりおおくでるたんごよりでるいわし


名 物 也 風 味よし

      ふうミ

めいぶつなりふうみよし

(大意)

(補足)

「けん保゛う」、『つきんぼう ―ばう【突きん棒】海面を泳いでいるマグロ・カジキなど大形の魚を銛(もり)で突き刺してとる漁法。また,それに用いる銛をつけた棒。「―漁」』のことではないかとおもいます。

 2艘の舟の艫(とも)に鳥居の形に似たものがありますが、どんなふうにつかったのでしょう?

 ちょうどイワシのうまい時期になってきました。入梅いわしなどといわれてます。脂がのって身がふっくらとして、刺身を生姜醤油で食べます。

 

2026年6月9日火曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その10

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

梭 魚兒

可ますこ

かますこ


かま須といふ魚 の子也 又 ハい可奈ご共 云 

      うを こ         ともいふ

かますといううおのこなりまたはいかなごともいう


摂 州 尼  崎 兵  庫

せつしうあまがさきひやうご


の浦 尓て多 く取 也 是 を取 網 ハ春べあミと云 外 まハり

 うら              あミ        そと

のうらにておおくとるなりこれをとるあみはすべあみというそとまわり


ハ索 尓てあミ其 次 ハ藁 蕊 尓てあミ真 中 ハ苧網 也 徒奈十  四筋

 奈ハ         王らしべ    まん奈可 を          すじ

はなわにてあみそのつぎはわらしべにてあみまんなかはおあみなりつなじゅうしすじ


人 数 十  四人 まあミさ可阿ミとて綱 舟

にんずうじゅうよにんまあみさかあみとてつなぶね


二艘 あり外 尓舟 二そう付

 そう  本可      つくる

にそうありほかにふねにそうつくる


也 四 艘 の舟 にもやいをつけ四方 取 まハして綱 を入るゝ也 かま須

                し本うとり

なりよんそうのふねにもやいをつけしほうとりまわしてつなをいるるなりかます


ごを煎 じ油  を取 其 せんじがらを市 へ出してかますごとて賣 也

  せん あぶら           いち だ        うる

ごをせんじあぶらをとりそのせんじがらをいちへだしてかますごとてうるなり

(大意)

(補足)

「可ますこ」、『かますご【叺子】〔関西で叺に入れて出荷するからとも,魳(かます)の子に似ているからともいう〕いかなご。こおなご』。『かます【叺】わらむしろを二つ折りにして作った袋。穀物・塩・石灰・肥料などを入れる。かまけ。』

「王らしべ」、『わらしべ【藁稭】稲の穂の芯(しん)。わらすじ。わらすべ。みご。また,わらのくず』。ついでに『わらしべちょうじゃ ―ちやう― 【藁稭長者】昔話の一。一本のわらしべから次々と価値の高いものに交換して,ついに長者になるという話。「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」にも収められており,全国に類似の話が残っている』

「苧」、『お を 【麻・苧】① アサの古名。「―の畠あり」〈宇治拾遺物語•12〉② アサやカラムシの繊維を紡いだ糸。「―をよりて」〈土左日記〉』

「四艘の舟にもやいをつけ」、『もやいぶね もやひ―【舫い船】互いにつなぎとめた船。また,岸につなぎとめた船。むやい船』。『もやいづな もやひ―【舫い綱】船と船,あるいは船を岸につなぐ綱。遣手(やりて)。手安綱(てやすづな)。もやい』

 なかなかの大作です。漁の様子がよくわかります。おしむらくは、網の目を通して透けるように刷ってほしかった。とても残念😢

 すべ網を全部細かい麻糸や木綿糸で編んで部屋に吊るせばかや『【《蚊帳》 ・蚊屋】蚊を防ぐために寝床を覆う寝具。目の粗い麻・木綿などの布で作り,四隅をつって覆う。かちょう。「―を吊(つ)る」季夏「起きて見つ寝て見つ―の広さかな」浮橋』になります。

 

2026年6月8日月曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

海人

あま

あま


海士とも蜑 と毛書 也 世尓ハ蜑 といへバ女  尓限 り多るやうに

あま  あま  可く           おん奈 可ぎ

あまともあまともかくなりよにはあまといえばおんなにかぎりたるように


思 へども男  あまも有 也 海人と書 ハ男 女 能通 称  なり

おも   おとこ   ある             つうせ う

おもえどもおとこあまもあるなりあまとかくはだんじょのつうしょうなり


者多゛可尓て海 中  へ飛 入 鮑  貝  を取 也 籠 尓奈王を徒けて海 底

      可いち う とびいりあハび可゛い     可ご       うミそこ

はだ かにてかいちゅうへとびいりあわびが いをとるなりかごになわをつけてうみぞこ


へ持 行 あハび貝 を取 入 ゝ也 あま海 上  尓あ可゛れバ

 もちゆき               可いしやう      

へもちゆきあわびがいをとりいるるなりあまかいじょうにあが れば


則   奈ハを引 て

す奈ハち   ひき

すなわちなわをひきて


其 籠 を舟 へ取 入るゝなり海人の身春ぎさ満\゛/有 舟 尓て釣 針

その可ご ふ年                   あり    つり者゛り

そのかごをふねへとりいるるなりあまのみすぎさまざ まありふねにてつりば り


尓て鯛 をも釣 奈りよ能つ年ハ鯛 ハ網 尓て取 又 釣 尓も能かゝる奈り

  多い  つる          あミ          よく

にてたいをもつるなりよのつねはたいはあみにてとるまたつりにもよくかかるなり

(大意)

(補足)

「よ能つ年ハ鯛ハ網尓て取又釣尓も能かゝる」、変体仮名「能」(の)と「能(よく)かゝる」では形が異なっていて使い分けています。

 昨日、鴨居の鯛の話をしました。わたしは若かりし頃、その鴨居の鯛釣りの名人漁師の手ほどきを受けたことが何度かあります。鯛の一本釣りです。この画では釣り竿をつかってますが、一本釣りでは腕に釣り糸をもって手繰るようにして糸を上下させます。まさしく一本勝負。釣り上げるとすぐに注射といって針で鯛の浮袋をさします。そして急いで濱の組合の生け簀に全速力で戻ります。舟の生け簀では弱ってしまうのです。

 また、漁師はそれぞれ自分のポイントというものを秘密にして持っています。なので他の漁師が後をつけてくると、そのポイントには行きません。親子でも教えません。一代限りのポイントなのです。海上ですからポイントに着くには昔ながらの方法でした。いわゆる三角測量です。東京湾ですから、たいていの漁師は三浦半島で一番高い山である大楠山、今では年に何回しか見えませんが、昔はたいてい見えていた筑波山、それと観音崎灯台など、それらで位置決めをしていたそうです。今ではGPSで一発。

 鯛が赤いのは、海老が好物で食べるからですね。名人も海老で釣ってました。海老は鴨居の対岸である千葉は富津などでから仕入れてきてました。この海老、食ってもうまく天ぷらでもフライでもほんとにうまかったなぁ。

 海女さんが左手に持っているのはあわびおこしなどといわれているものでしょう。岩場に引っ付いている鮑をこれで引っペがします。チャンスは一回限りで、ヘマをすると鮑は岩に強力にくっついてしまって、はがすのが困難になるし、無理にはがそうとすると鮑の身を痛めてしまいます。

 わたしは大工道具のかすがいを使ってました。カゼ(ウニのこと)をとるにも必需品でした。

 

2026年6月7日日曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

章魚

たこ

たこ


大 だこ小だこ小八梢魚。望 潮魚。百距     阿り

       くもだこ いひだこ て奈可゛多゛こ

おおだここだこくもだこ いいだこ てなが だ こあり


播 州  明 石たこの名 物 也

     あ可し

ばんしゅうあかしたこのめいぶつなり


但 馬の大 だこ甚  多大 奈り牛 馬 を取 夜 舟 の中 へ手をさしのべて

たじま             うしむま とるよるふ年

たじまのおおだこはなはだだいなりうしむまをとるよるふねのなかへてをさしのべて


人 の有 無 をさぐるといへり◯たこを取 尓ハ

   ある奈き

ひとのあるなきをさぐるといへり たこをとるには


たこ壺 をいくつも徒奈尓つけて桐 の木

  つ本           きり き

たこつぼをいくつもつなにつけてきりのき


の切 口 をうけ尓つけて降  置 一 日 一 夜過 て引 あぐれバ

 きりくち       おろしおき      やすぎ ひき

のきりくちをうけにつけておろしおきいちにちいちやすぎてひきあぐれば


つ本゛の内 尓たこ入 て居る也

    うち      ゐ

つぼ のうちにたこいりているなり


海 中  尓て人 尓すゐ徒けバ者奈れず人 の徒者゛けを以 て

可いち う                      もつ

かいちゅうにてひとにすいつけばはなれずひとのつば けをもって


於とせバよく於徒るといふ

おとせばよくおつるという

(大意)

(補足)

「徒者゛け」、『つば・く 【唾く・唾吐く】

つばきをはく。「其の玉器に―・き入れたまひき」〈古事記•上訓〉』

 明石は鯛も名産です。東では三浦半島は鴨居の蛸と鯛が有名で、江戸時代は鴨居の鯛は大奥に献上されたといわれています。

 近年では蛸もすっかり高級品となってしまい、国内産の蛸を店頭で見かけることはほとんどなくなってしまいました。

 

2026年6月6日土曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その7


P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

摂 州  尼  崎 鳥 貝

せつし うあま可さきとり可゛い

せっしゅうあまがさきとりが い


鳥 貝 といふもの昔  ハ奈可りし尓五六 十  年

         む可し

とりがいというものむかしはなかりしにごろくじゅうねん


来 尼  崎 の浦 より出 其 者じめハ毒 有 とて

らい      うら          どくあり

らいあまがさきのうらよりでるそのはじめはどくありとて


人 くハざりし可゛二三 十  年 この可多ハ甚  多゛

ひとくわざりしが にさんじゅうねんこのかたははなはだ


賞  翫  する事 となれ里

しやうくハん  こと

しょうが んすることとなれり


され共 下品 の貝 奈る故 貴人 奈どの料  理尓ハ用 ゆること奈し此 貝

                    りやうり  もち      この可い

されどもげひんのかいなるゆえきじんなどのりょうりにはもちゆることなしこのかい


を取 尓ハ可ごあミを舟 のとも尓つけて舟 尓ハ帆を可けて風 尓従  ひ

 とる                ふ年  本    可せ し多が

をとるにはかごあみをふねのともにつけてふねにはほをかけてかぜにしたがい


者せ由く籠 網 土 砂 と共 尓鳥 貝 をかき入 て取 也

    可ごあミ

はせゆくかごあみつちすなとともにとりがいをかきいれてとるなり


蜆  蛤   を取 尓大 がい同し

志ゝミ者まくり    多い

しじみはまぐりをとるにたいがいおなじ

(大意)

(補足)

 鳥貝を取っているところの画があって、帆柱や帆を綱を張りめぐらして固定しています。実際にこのようにしていたのでしょう。小舟の中の漁師はやけに大きく、布袋様のよう。

 濱に乗り上げてる舟には手伝いの子どもが、こんな小さな子が手伝っていたのでしょうか?

 子どもが手にしているのは櫂(かい)、濱で引き上げていく漁師が持っているのが櫓(ろ)。櫓の扱いのほうが難しいので子どもはまだ櫂で修行中。

 子どものうしろ、ともの中央が欠けていますが、ここに櫓をのせます(櫓杭)。

 なお、文中に鳥貝は下品とあって、これは当然当時のことで、現在では高級品。めったに食せなくなっています。

 

2026年6月5日金曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

蜆  貝

志ゝミ可い

しじみがい


海 と河 との塩 ざ可ひ尓多 く生  須又 湖 水  尓も阿り

             おゝ しやう   ミ川゛うミ

うみとかわとのしおざかいにおおくしょうずまたみず うみにもあり


小蜆  を取 て泥 池 の中 尓やし奈ひおけバ年 をへて甚

        どろいけ           とし   者奈者多゛

こしじみをとりてどろいけのなかにやしないおけばとしをへてはなはだ


お本きくなりて味 よしといへり蜆  を取 尓ハ竹 籠 をこしらへ

       あぢ              多け可ご

おおきくなりてあじよしといえりしじみをとるにはたけかがをこしらえ


底 尓袋  網 を付 て水 中  をかきて取 也 土 砂 と共 尓

そこ ふくろあミ つけ              つちす奈

そこにふくろあみをつけてすいちゅうをかきてとるなりつちすなとともに


袋  の中 へ入 て

ふくろのなかへいりて


志ゝミハ袋  の中 尓残 り土 砂 ハ袋  あミよりもれてのく也 身志ゞ

           のこり                   ミ

しじみはふくろのなかにのこりつちすなはふくろあみよりもれてのくなりみしじ


ミハ貝 を釜 尓てたき水尓由りて貝 殻  を去 てむきみとする也

     可ま         可い可゛ら さり

みはかいをかまにたきみずにゆりてかいが らをさりてむきみとするなり

(大意)

(補足)

 現在は、袋網のかわりに金属の籠で砂底をかき取るようにして行っていますが、やっていることはおなじです。

 

2026年6月4日木曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

江鮒 引 網

ゑふ奈ひきあミ

えふなひきあみ


鯔  河 本゛らあり海 本゛らありちいさき時 をすべて江鮒 と云 也

本゛ら可ハ     うミ         とき

ぼ らかわぼ らありうみぼ らありちいさきときをすべてえふなというなり


是 をとるハ地引 阿ミ也 長  さ三 町  者゛可り尓引 廻 して両方

これ    ぢびき    奈可゛             まハ  里やう本う

これをとるはじびきあみなりなが ささんちょうば かりにひきまわしてりょうほう


の徒奈手尓人 阿ま多かゝりて磯 へ引 よせて玉 阿ミをもてすくひ取 也 春べて

              いそ      たま

のつなてにひとあまたかかりていそへひきよせてたまあみをもてすくいとるなりすべて


江鮒 ハ海 と川 との潮 ざかひ尓多 くある也

           しを    お本く

えふなはうみとかわとのしおざかいにおおくあるなり


泥 川 尓生  ずるハ肉 あ可く脂  多 し

どろ   せ う   尓く   あふら

どろかわにしょうずるはにくあかくあぶらおおし


砂 川 尓生  ずるハ肉 白 くあぶら春く奈しゑぶな正 字は撥尾魚と書

す奈

すなかわにしょうずるはにくしろくあぶらすくなしえぶばせいじはいな とかく

(大意)

(補足)

「鯔」、『ぼら【鯔・鰡】スズキ目の海魚。全長約70センチメートル。体はほぼ円筒形で,頭部は縦扁する。背面は灰青色で腹面は銀白色。出世魚で成長とともに呼称が変わり,オボコ・イナ(撥尾魚)・ボラ・トドなどの順に大きくなる。食用。釣りの対象魚。胃は肥厚してボラのへそと呼ばれ,また卵巣の塩漬けをからすみと称する。世界の温・熱帯の沿岸に広く分布し,汽水域や淡水域にも入る』

「玉阿ミ」。『たもあみ【攩網】竹や針金の口輪のついた袋状の網に長い柄をつけたもの。魚をすくい取るのに使う。たも。』

 引き網の綱に浮き代わりに材木が結ばれています。

 北斎が波頭のくだけるさまを独特な形に表現してから、ほとんどの絵師たちはそれをまねるようになりましたが、ここではまだかわいらしい水玉の感じ。これはこれでよし。

 冬になると大阪湾でとれたボラの刺身が出荷されて、私の住んでいる田舎の山間のスーパーにも並びます。やすくて脂がのっていてうまいです。ボラはバカにされますが、食べてみれば目からウロコの魚であります。