2026年5月23日土曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その10

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

宮 嶋 舟 祭

ミやじまふ年まつり

みやじまふねまつり


神事 六 月 十  七 日 神輿 舟 尓て御旅 所 へ渡 り給 ふ

じんじ           ミこし    お多びしよ 王多

じんじろくがつじゅうしちにちみこしぶねにておたびしょへわたりたもう


宮 嶋 ゟ 一 里

みやじまよりいちり


む可ひ尓地の御前 とてお旅 有 神輿 お清 の時 鳥 井の内 尓て

    ち こぜん           きよ

むかいにちのごぜんとておたびありみこしおきよのときとりいのうちにて


管  弦  あり還  御 尓ハ長 濱 のお戎  へ御より管 弦

くハん个゛ん  くハんぎよ  奈可者ま  へひす

か んげ んありか んぎょにはながはまのおえびすへおよりかんげん


おハりて大 元 大 明  神 へ御より

おわりておおもとだいみょうじんへおより


同 管 弦 阿りて本 社 へ御帰 り也 舟 の可ざりハ

         本んしや  かへ

どうかんげんありてほんしゃへおかえりなりふねのかざりは


灯 籠 のまハり桜  の作 り花

とうろう    さくら

とうろうのまわりさくらのつくりばな


阿り灯 籠 ハ多゛んせん可゛多と角 阿んどうと也

                可く

ありとうろうはだ んせんが たとかくあんどうとなり


や可多の上 能宝  珠 尓も火

       本゛うし由

やかたのうえのぼ うじゅにもひ


をとも須なり御供 舟 いろ\/のちやんちん其 外 徒くり物 有

をともすなりおともぶねいろいろのちゃんちんそのほかつくりものあり


海 上  一 里半 者゛可りつゞく也

可いしやう

かいじょういちりはんば かりつづくなり

(大意)

(補足)

「大元大明神」、(おおもとだいみょうじん)『中国地方(広島県・岡山県・山口県など)を中心に、山の神や地域の根本となる神様として祀られている呼称です。厳島神社の摂社である宮島の大元神社や、岡山県内の神社などで信仰されています』。

 いやいや、力作大作であります。現在でも行われている神事で、YouTubeで見ることができます。色がついていたら、提灯やぼんぼりや宝珠の灯りがきれでしょうね。

 左端手前の舟に「御神燈」とあります。

 

2026年5月22日金曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

安藝宮 嶋 濱 市

あきミやじま者まいち

あきみやじまはまいち


宮 嶋 本 名  ハ厳  嶋 と云 弁 才 天 の社  有 百  八 十 間 能

ミやじま本んミやう いつくしま   べんざゐてん やしろ

みやじまほんみょうはいつくしまというべんざいてんのやしろありひゃくはちじっけんの


回  廊 石 の鳥 居阿り塩 時 尓ハく和いらう能下 を塩 さし

くハいらういし とりゐ  し本とき

か いろういしのとりいありしおどきにはか いろうのしたをしおさし


の本゛る也 毎 年 二度の大 市 あり春 ハ三 月 十  三 日 より

      まい袮ん

のぼ るなりまいねんにどのおおいちありはるはさんがつじゅうさんにちより


四月 八 日まで夏 ハ六 月

しがつようかまでなつはろくがつ


十  四 日より七 月 七 日迄 也 諸 国 より商  人お本く集  りて

                   しよこく  あきんど   あつま

じゅうよっかよりしちがつなのかまでなりしょこくよりあきんどおおくあつまりて


賑   奈る市 也 三 月 六 月 十  六 日

尓ぎや可

にぎやかなるいちなりさんがつろくがつじゅうろくにち


十  七 日 十  八 日 神 事の能 阿り六 月 十  七 日

              じんじ のう

じゅうしちにちじゅうはちにちじんじののうありろくがつじゅうしちにち


御神 事の船 祭  有 次 の繪尓見え多り

     ふ奈まつり阿りつぎ ゑ

ごしんじのふなまつりありつぎのえにみえたり

(大意)

(補足)

 おおきなそろばんを手にして商談をしている人たちが二組みえます。ここでの商習慣なのでしょうね。

 船の上に長い板状のものが支えられてのっています、櫂(かい)でしょうか。

 浜ではガラクタを売ったり、箱物かお皿かわかりませんけど販売していて賑やかです。

 

2026年5月21日木曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

京  深 草 陶器

きやうふ可くさか和らけ

きょうふかくさかわらけ


人 皇 二十  二代 雄 略  天 皇 十  七 年 尓土師 連  吾笥と

           由う里やく            者しのむらしあけ

じんのうにじゅうにだいゆうりゃくてんのうじゅうしちねんにはじのむらじあけと


云 人 土器  の細 工人 を山 城  国 伏 見村 尓置 るゝ由

    可和らけ さいく          ふしミ   お可  よし

いうひとかわらけのさいくびとをやましろのくにふしみむらにおかるるよし


国 史尓見え多り其 時 の細 工人 今 の世まで傳 りて伏 見海 道 能

こくし                     つ多     可いどう

こくしにみえたりそのときのさいくびといまのよまでつたりてふしみかいどうの


土商  さいく西 行  行 脚 のす可゛多或  ハ狐  牛 の多ぐひ

       さいきやうあんぎや         きつ袮うし

どしょうさいくさいぎょうあんぎゃのすが たあるいはきつねうしのたぐい


其 外 いろ\/

そのほかいろいろ


の人 形  うつハ物 ホ を徒くりて家業  とす其 由来 久 しきこと成 へし

                  可个゛う    由らい

のにんぎょううつわものなどをつくりてかぎょうとすそのゆらいひさしきことなるべし


庭 訓 尓も深 草 の土器  師とあれハ久 しき名 物 奈る事 知 へし

ていきん  ふ可くさ 可わらけし

ていきんにもふかくさのかわらけしとあればひさしきめいぶつなることしるべし

(大意)

(補足)

「陶器(か和らけ)」、フリガナの変体仮名「和」はカタカナ「ハ」かもしれません。

「人皇」、読みは「じんこう」「じんのう」「にんのう」、いずれもOK。『神武天皇以後の天皇〔神代(じんだいorかみよ)と区別した意味で〕』。

 作業場のそとには「西行行脚のす可゛多或ハ狐牛の多ぐひ其外いろ\/の人形うつハ物ホ」が並べられています。

 二人の職人さんの前にあるのは轆轤(ろくろ)ではなさそうです。ということは作っている器のようなものは手びねりでこしらえているのでしょうか。

 

2026年5月20日水曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その7

P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

天 王 寺牛 儈

てん王うしうしいち

てんのうじうしいち


備前 備 中  の国 お本く牛 を飼 て子を産 須則   

びぜんびつち う      うし 可い   うま す奈ハち

びぜんびっちゅうのくにおおくうしをかいてこをうますすなわち


これを大 坂 天 王 寺

これをおおさかてんのうじ


尓おくる天 王 寺孫 右衛門と云 者 牛 市 のつ可さ奈り此 人 の

         まご        うしいち

におくるてんのうじまごえもんというものうしいちのつかさなりこのひとの


印 形  奈个れバ諸 国 尓賣 買 すること叶 ハ春゛こと也

ゐんぎやう    しよこく うり可い

いんぎょうなければしょこくにうりかいすることかなわず ことなり


年 中  備前 備 中  より牛 を引

袮んぢ う

ねんじゅうびぜんびっちゅうよりうしをひき


来ること日々尓たえ須゛毎 年 霜 月 尓牛 市 阿り近 郷  の

           まい袮んしもつき       きん可゛う

くることひびにたえず まいねんしもつきにうしいちありきんご うの


百 姓   思 ひ\/ 尓

ひやくせ う

ひゃくしょうおもいおもいに


牛 を引 来 りて互   尓交 易 賣 買 春これを

   ひきき多  多可゛ひ 可うゑき

うしをひききたりてたが いにこうえきうりかいすこれを


牛 博  労 と云 春べて牛 を商  ふ尓

  者゛くろう         あき奈

うしば くろうというすべてうしをあきなうに


直段  相 定   る時 ハ互  尓牛 尓米 を可ましむ

袮多゛んあいさ多゛ま

ねだ んあいさだ まるときはたがいにうしにこめをかましむ


是 を賣 買 の證  拠とする可や

        せ うこ

これをうりかいのしょうことするかや

(大意)

(補足)

「近郷」、このくずし字はセットで覚えます。

「互」のくずし字、はじめて見たような。

 牛はまるまる肉付きよく、柄もみなことなって描かれています。牛の用途はもちろん食べるのではなくまた乳を絞るのでもなく(牛やヤギの乳を飲んでいたそうでもありますが)、農耕や大八車で荷をひかせたり、労働のためでした。

 鳥居や松、また家には縄のれんを描くなどやはり絵描きです。

 

2026年5月19日火曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

加賀笠

可ゞ可゛さ

かがが さ


菅 笠 国 々 よりお本く出れども中 尓も加賀を上  品 と須㐧 一

すげ可さく尓                     本ん

すげがさくにぐによりおおくでれどもなかにもかがをじょうぼんとすだいいち


菅 の色 白 く糸 ぬひこま可尓して其 格 好 よし哥 尓ハ難 波

   いろしろ いと          可川可う  う多  奈尓ハ

すげのいろしろくいとぬいこまかにしてそのかっこうよしうたにはなにわ


菅 笠 名 物 也 万 葉 集  に押 てるや奈尓波春可゛笠お起ふるし

          まんやうし う おし

すげがさめいぶつなりまんようしゅうにおしてるやなにわすがかさおきふるし


後 ハ誰 きん笠 な

のち 多可゛

のちはたがきむかさな


ら奈くに又 延 喜式 尓摂 津 国 笠 縫 氏とあり

      ゑんぎしき         ぬひ

らあくにまたえんぎしきにせっつのくにかさぬいしとあり


今 大 坂 玉 造  の東  深 江村 の

      多まつくり ひ可しふ可えむら

いまおおさかたまつくりのひがしふかえむらの


民 も川者ら菅 笠 をぬひて家業  と須い尓しへの伝 来 な類遍゛し

多ミ            可け う       でんらひ

たみもっぱらすげがさをぬいてかぎょうとすいにしえのでんらいなるべ し

(大意)

(補足)

「菅」、「艹」と「宮」で、「宮」のくずし字がちゃんと「友」のようになっています。

「押てるや〜」、『おしてる難波菅笠置き古し後は誰が着む笠ならなくに(おしてるなにはすがかさおきふるしのちはたがきむかさならなくに)。照り渡る難波の菅で作った笠を着けもせず古びさせて、後に誰か着ける人がいるような笠でしょうか』

 子どもが猫をなでています。この本で猫はめずらしい。菅笠をおさめる竹籠、これを編むのも(菅笠より)大変だったはず。黒い着物を端折っている人の脚は相変わらずかえる脚で下手くそだけど、御婦人三人の線はやわらく描かれています。脇には針山と糸があり、縫い台もあって、こうやって一日中働いていたのでしょう。台の上にあるへの字の黒いものは菅笠の頭に取り付ける飾りかもしれません。

 

2026年5月18日月曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

松  煙 取  図

せ うゑんとりのづ

しょうえんとりのず


肥 松 の由ゑん奈り又 ハ灰 墨 とも云 これを取 尓ハ四方 障  紙

こへまつ         者いすミ       とる  し本うしやうじ

こえまつのゆえんなりまたははいずみともいうこれをとるにはしほうしょうじ


尓て可こひ其 中 尓ハ棚 を可き其 上 を土 尓てぬりて肥 松 尓火を

     その奈か  多奈     うへ つち

にてかこいそのなかにはたなをかきそのうえをつちにてぬりてこえまつにひを


つけてまどゟ 入 其 かゞりの个ふり上 の方 尓たまるを者きて取 也

                  うへ

つけてまどよりいれそのかがりのけぶりうえのほうにたまるをはきてとるなり


是 を松  煙 と云 本

           本ん

これをしょうえんというほん


油煙 といふハ油  火のかゞりの个ふり也

由ゑん    あふらひ

ゆえんというはあぶらひのかがりのけぶりなり


是 も棚 をこしらへ多 く油  火をともし障  紙

これもたなをこしらえおおくあぶらびをともししょうじ


尓てかこひて其 上 尓たまるを取 也◯又 太 平 墨 奈ど尓春る

                     多いへいずミ

にてかこいてそのうえにたまるをとるなりまたたいへいずみなどにする


下品  能松  煙 ハ肥 松 の煙  尓

げ本゛ん            个ふり

げぼ んのしょうえんはこえまつのけぶりに


あら須゛瓦  やきの竃 のごときに志つらひて松 の雑 木をたきて

    かハら   可ま             ざうき

あらず かわらやきのかまのごときにしつらいてまつのぞうきをたきて


其 上 尓たまる煤 を者らひ取 也

        すゝ

そのうえにたまるすすをはらいとるなり

(大意)

(補足)

 インクや鉛筆などが出現するまでは、紙と墨はなくてはならない必需品というものをこえた存在でした。墨は後半の説明にある竃の中で松を燃やしてその天井にできる煤をはらって作るものとばかりおもっていましたが、障子で囲った中からつくる製法は初耳で、ちょっと驚きです。

 今でも竃の中での製法は僅かですが続けられていて、それが「太平墨奈ど尓春る下品」の墨であるとは、現在では高級品扱いです。

 黒い着物の職人さんは鳥の羽毛のようなもので煤をはらっています。

 

2026年5月17日日曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

松 前 昆 布

まつまへこんぶ

まるまえこんぶ


奥 州  松 前 の海 中  の石 尓つきて生  須゛長 さ数丈  海 上  尓

をうし うまつまへ 可いち う いし    せ う  奈可゛すしやう可いしやう

おうしゅうまつまえのかいちゅうのいしにつきてしょうず ながさすじょうかいじょうに


う可び出るを長  柄の鎌 尓て舟 より是 を切 て取 阿げ

      奈可゛ゑ 可ま  ふ年  これ きり とり

うかびでるをなが えのかまにてふねよりこれをきりてとりあげ


人 家のや袮尓本す也 又 家 のや袮を昆 布尓てもふく也 ◯若 狭昆 布

しん可          いゑ               王可さ

じんかのやねにほすなりまたいえのやねをこんぶにてもふくなり わかさこんぶ


王可さ能海 より出 る尓あら須゛松 前 より伝 へて古ゝ尓てこしらへて売 也

    うミ                徒多           うる

わかさのうみよりいずるにあらず まつまえよりつたえてここにてこしらえてうるなり


名 物 と奈れり◯松 前 より乾 鱖 鯡  干海鼡串 鮑 ホ 多 くい徒゛る

               可らざけ尓しんい里こくし可い

めいぶつとなれり まつまえよりからざけにしんいりこくしがいなどおおくいず る

(大意)

(補足)

「乾鱖」、『からざけ【乾鮭】サケの腹を裂いて内臓を除き,塩をふらずに陰干しにしたもの』。

「ホ」はもちろん「等」の略字。

 ある日の浜の風景をきりとった画、現在でもかわってません。子どもをあやしておばあさんに見せています。その奥の部屋には小さな竈(かまど)があります。

 若かりし頃、何度か北海道を旅しました。霧多布だったかなぁ、どこだろう、切り立った岬に打ち寄せる波に2,30メートルくらいある長い身をまかせるように、たゆたゆとゆれる昆布を見たときは驚き、感動したものでありました。