2026年6月21日日曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その22

P38 国文学研究資料館蔵

(読み)

得多る所  能現 在 の圖な里證  とするに足れ

えたるところのげんざいのずなりあかしとするにたれ


里越よそ人 其 職  分 の本 を知らハをの川可ら

りおよそひとそのしょくぶんのもとをしらばおのずから


財 宝 を得る能便 とならん此 書 世能ため尓

ざいほうをえるのびんとならんこのしょよのために


益 なしとい者んや猶 こゝに毛れ多るハ追 ゝ 尓見

えきなしといわんやなおここにもれたるはおいおいにけん


聞 し天物 産 能大 成 を期するのミ

ぶんしてぶっさんのたいせいをきするのみ


 赤 松  閣 平 瀬光 雪 書

 せきしょうかくひらせこうせつしょ

(大意)

得たものの現在の姿であり、実在のものである証としては充分なものである。およそ人は自身の本分を知ればおのずから財産をなす手立てを得るものである。この書が世のために役に立たないなどということはない。ここにかき尽くせなかったことどもは少しずつ見聞して物産についてなおいっそうの充実をめざすのみである。

(補足)

 全5巻完了しました。日本全国の諸物産を記し、また描き、それらはとうになくなってしまっているものもあれば、現在でも同じ場所や異なった場所で引き継がれているものもありました。

 この日本山海名物圖の成り立ちについてはよくわからないことが多いのだそうですが、それにしてもなぜ下手くそな絵師長谷川光信にまかせたのか一番の疑問でもあります。かれよりもっともっとましな絵師はたくさんいたはずで、実際ほぼ同時期に出版されている日本山海名産図会では見事な画がたくさん描かれていますし、名所図会などでもたくさんの絵師たちが腕をふるっています。

 愚想するに、出版するに当たって金がからんでいたのではないかと、なんの証拠もありませんが、そのあたりに落ち着くのが腑に落ちるところなのであります。金をだすから、この金がなけれな出版できまい、わたしにまかせてくれればよい。そのかわり画を描かせてくれ、どうじゃ。

 さて次回からは明治十年に出版された「大日本物産圖會」となります。

 

2026年6月20日土曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その21

P37 国文学研究資料館蔵

(読み)

皮 を特 鼻褌 尓用 由己登王 充  可説 尓出

かわをとくびこんにもちゆことおうじゅうがせつにいず


僧 正  坊 の像 ハ古法 眼 の着  想 尓鼻 能高 き

そうじょうぼうのぞうはこほうげんのちゃくそうにはなのたかき


山 僧 を見しより始  れ里とそ繪空 言 と天

さんそうをみしよりはじまれりとぞえそらごととて


信 せられ怒事 多 し今 此 圖せる所  能山 海

しんぜられぬことおおしいまこのずせるところのさんかい


名 物 ハ左尓あら須諸 国 山 川 海 濱 の物 産 尓

めいぶつはさにあらずしょこくさんせんかいひんのぶっさんに


世をは可なむものを尋  毛とめて價  を施  して

よをはかなむものをたずねもとめてあたいをほどこして

(大意)

 ふんどしをしている。このことは王充の本にある。鞍馬の天狗の画は元信が鼻の高い山僧を見て着想を得たのが始まりと言われている。金剛力士立像も僧正坊も絵空事でとても信じられることではなくまたそのようなことは多い。しかしながらここに描かれた山海名物の画はそのようなものではない。諸国山川海浜をめぐり求め、とりたてて目立たぬ産物の価値をみつけ、

(補足)

「特鼻褌」、『「特鼻褌」は誤変換や古い当て字で、正しくは「犢鼻褌(とくびこん)」または「たふさぎ」と読みます。古代から日本で着用されていた男性用の下着(褌)の一種で、陰部を覆うための布を指します。「犢(とく)」は子牛を意味し、局部を覆う布が子牛の鼻に似ていることから名付けられました』。ようするにふんどしのこと。

「王充」、『おうじゅう わう― 【王充】[27〜100頃]中国,後漢の思想家。字(あざな)は仲任。「論衡(ろんこう)」を著し,合理的・実証的な批判精神で,当時の儒家の尚古主義や俗論を攻撃した』。

「僧正坊」、『そうじょう‐ぼうソウジャウバウ① 京都の鞍馬山に住んでいたという天狗の名。② 京都の鞍馬寺の僧坊をいう』

「古法眼」、『こほうげん ―ほふげん。父子ともに法眼の位を授けられている時,その父の方をいう称。特に,狩野元信をいう。』

 たくさん変体仮名が出てきています。これを学ぶのがこのBlogの目的です。

 

2026年6月19日金曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その20

 

P36 国文学研究資料館蔵

(読み)

か多し其 金 銀 銅 鉄 能出  所 其 外 諸 国

がたしそのきんぎんどうてつのしゅっしょそのほかしょこく


山 海 の土産 世人 の阿まね久志らさる所  也

さんかいのみやげせじんのあまねくしらざるところなり


先 考 平 瀬鉄 斎 子孫 耳志らしめん多め

せんこうひらせてっさいしそんにしらしめんため


綴  置 しを繪師長谷川 光 信 尓画図を

つずりおきしをえしはせがわみつのぶにがずを


求  て五巻 と那し怒雷   をゑかく毛のハ力士

もとめてごかんとなしぬいかずちをえがくものはりきし


左  尓連 鼓を携  へ右 に鞭 を毛川て多 くハ豹  虎の

ひだりにれんこをたずさえみぎにむちをもっておおくはひょうこの

(大意)

 それら金銀銅鉄の産出地や諸国の山海の産物について世の人々は詳しくは知られていない。亡き父、平瀬鉄斎はのちの人々にそれらのことを伝えんと書きためていたものに、絵師長谷川光信に絵図を頼み全五巻とした。怪人を描くものとして金剛力士があり、左に連鼓を携え右に鞭を持って、多くは虎の皮の

(補足)

「先考」、『せんこう ―かう【先考】死んだ父。亡父。 ↔先妣(せんぴ)。「慈母の口から―の平生を聞くことを」〈渋江抽斎•鷗外〉』

「子孫」、『しそん【子孫】① 子と孫。② 子・孫・曽孫と血筋をひいて生まれる人々。また広く,のちの世代の人々。後裔(こうえい)。』

「雷」、『いかずち いかづち 【雷】〔「厳(いか)つ霊(ち)」の意。「つ」は助詞〕① かみなり。なるかみ。季夏「鼓の音は―の声と聞くまで」〈万葉集•199〉 ② 魔物。「上に八色(やくさ)の―あり」〈日本書紀•神代上訓〉』

「力士」、『ちからびと 【力人・力士・〈健児〉 】力の強い人。強健な者。また,勇猛な兵士。「軍士(いくさびと)の中の―軽く捷(はや)きを選り聚めて」〈古事記•中訓〉 →健児(こんでい)』or『りきし【力士】〔古くは「りきじ」〕① 相撲取り。② 力の強い人。「長者の家を守る一人の―あり」〈今昔物語集•2〉 ③ 「金剛力士」の略。』


 

2026年6月18日木曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その19

P35 国文学研究資料館蔵

(読み)

ばつ


誹 人 許 六 可曰末 能代 尓阿川て和歌の道 に

はいじんきょろくがひすえのだいにあってわかのみちに


對 する毛のハ金 銀 な里目尓見エ怒鬼神 を

たいするものはきんぎんなりめにみえぬきじんを


なりしめ於とこ越ん奈能中 をやハらけたけき

なりしめおとこおんなのなかをやわらけたけき


毛のゝふ能心  をなくさむるものハ是 な里と誠  に

もののふのこころをなぐさむるものはこれなりとまことに


是 尓にくまるゝ者 ハ此 界 尓一 日 能逗 畄  も成

これににくまるるものはこのかいにいちにちのとうりゅうもなり(がたし)

(大意)

俳人の許六の時代には和歌の素養が重要だったが、

現在それに変わるものは金銀の財貨である。

[以下意味不明ですがフィクションで記しておきます。]

目に見えぬ鬼神をなだめ、男と女の中をやわらげ、猛き

武士の心を慰めるものはこれ財貨であることを誠に

憎んでいるものがいるとすれば、この世に一日も生活は

できまい。

(補足)

「跋」、『ばつ【跋】書物・文章などの末尾にしるす文。後書き。 ↔序』

「誹人」、俳人。

「許六」、『もりかわきょりく もりかは―【森川許六】[1656〜1715]江戸前・中期の俳人。彦根藩士。名は百仲(ももなか),別号を五老井・菊阿仏など。松尾芭蕉晩年の門人。絵をよくし,芭蕉が師と仰いだ。蕉門十哲の一人で屈指の論客。編著「韻塞(いんふたぎ)」「篇突(へんつき)」「宇陀法師」など。きょろく。』

 この跋は平瀬徹齋の息子である平瀬光雪が記しています。

 

2026年6月17日水曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その18

P34奥付 国文学研究資料館蔵

(読み)

畫工 松翠軒長谷川光信

寶暦四年甲戌初夏吉日

寛政九年丁己初春求板 平瀬徹齋撰


日本

萬物 山 海 名 産 図會 法橋月画 完五冊

     さん可いめいさんづゑ

此 編 尓もれ多る諸 国 能名 物 名 産 を集 め悉    く図を阿らハし

このへん     しよこく めいぶつめいさん あ川 こと\゛/ づ

く王しく其 業 を文 尓濱 海 内  能産 物 多 きを知らしむ

    その王ざ ぶん のべ可い多゛い さんぶつお本  し

浪蕐書林

梶木町渡辺筋

 播磨屋幸兵衛

心齋𣘺通南久太良町

 鹽屋長兵衛

 鹽屋卯兵衛

(大意)

(補足)

この奥付はこの本の宣伝となっています。

「寶暦四年甲戌初夏吉日」、1754年きのえいぬ旧暦4月頃。

「寛政九年丁己初春」、1797年ひとのみ旧暦1月頃。求版は現在の再版と同じようなもので、初版から43年後に出版されているのは何かわけがありそうです。

 「日本山海名産名物図会 註解 千葉徳爾 社会思想社」昭和54年7月30日初版第三刷発行の巻末解題にこの本の成り立ちが記されていて、その部分を読み終わってもやはり謎につつまれた感じをぬぐいきれませんでした。

 

2026年6月16日火曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その17

P32P33 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  引 寄  図

くじらひきよせるづ

くじらひきよせるず


徒きとめ多る鯨  尓真綱 を徒けろくろ尓て地方 へ引

          まづ奈        ぢ可多 ひき

つきとめたるくじらにまづなをつけろくろにてじかたへひき


よする也 此 ろくろをかぐらさんと云 其 肉 を切 て油  を取 也

     この              尓く きり あふら とる

よするなりこのろくろをかぐらさんというそのにくをきりてあぶらをとるなり


惣 じてくじら皮 ハ黒 く其 内 尓白 肉 有 白 肉 の下 尓赤 肉 阿り皮

そう     可ハ    そのうち しろ尓く阿り        あ可

そうじてくじらかわはくろくそのうちにしろにくありしろにくのしたにあかにくありかわ


くじらとて賣 買 春るハ尾とひれとの間   也 是 を尾者せ於つ者゜と云

     うり可い   を     あい多゛

くじらとてうりかいするはおとひれとのあいだ なりこれをおはせおっぱ という


也 又 くじらのひげといふハ咽 下 奈る出?也 是 細 工尓用 由世尓くじら

              のど          さいく もち よ

なりまたくじらのひげというはのどもとなる??なりこれさいくにもちゆよにくじら


細 工といふ俗 説 尓鯨  一 疋 とれハ七 浦 尓ぎ者うと云

      ぞくせつ    いつひき   奈ゝうら

ざいくというぞくせつにくじらいっぴきとればななうらにぎわうという


浦 人 大 尓いさミ悦  ぶこと也

          よろこ

うらびとだいにいさみよろこぶことなり

(大意)

(補足)

「尾者せ於つ者゜」、鯨の部位で尾肉の部分を「尾羽(おば)」というとありましたが、これと関係しているのでしょうか。

「咽 下奈る出?也」、あれこれ悩みましたが不明です。

 鼻の短い象のような顔。でも頭のてっぺんに鼻の穴があります。

 

2026年6月15日月曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その16

P30P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  突 舩

くじらつきふ年

くじらつきふね


くじらつき舟 十  六 艘 舟 ごと尓一 のもり三 本  数 もり

            そう     いち     本゛ん可ず

くじらつきふねじゅうろくそうふねごとにいちのもりさんぼ んかずもり


十  二本 大 もり五本 けん壱 挺  徒ゝ阿り一 の毛りを

                 て う

じゅうにほんおおもりごほんけんいっちょうずつありいちのもりを


徒き多る舟 ハの本゛りの外 尓ふきぬきを立 る也 鯨  手をおひて

            本可

つきたるふねはのぼ りのほかにふきぬきをたてるなりくじらてをおいて


則   動 揺 春ること夥   しく五三 里可間  も

す奈ハちどうやう    おび多ゝ     り あい多

すなわちどうようすることおびただしくごさんりがあいだも


者年まハるといへ共 次㐧  尓

          し多゛い

はねまわるといえどもしだ いに


よハりて死春る時 尓至 りてハもと能手をおひ多る所  へ

    し  とき い多            ところ

よわりてしするときにいたりてはもとのてをおいたるところへ


立 可へ里て死春ると也

たちかえりてしするとなり

(大意)

(補足)

「けん」は「剣」でとどめの剣。

「五三里可間」、五里、三里の間も。あちらこちらの意味でしょう。