2026年9月13日日曜日

大日本物産圖會その84

P84 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P84_1

(読み)

下   野國 養蠶(ヤウサン)圖三

しもつけのくに   ようさん ずさん


蚕(カヒコ)の養(ヤシナ)ひ方 其 國 の寒暖(カンタン)尓

  かいこ の  やしな いかたそのくにの   かんだん に


よりて大同小異(タイトウセ ウイ)ありと雖 ども

よりて     だいどうしょうい ありといえども


先 一 枚 の種子(タネ)半 分 も生  ぜし

まずいちまいの   たね はんぶんもしょうぜし


時 折敷(ヲシキ)へ入連𥸮(クハ)の葉(ハ)を細(コマ)

とき   おしき へいれ  くわ の  は を  こま


可尓きざミてあ多ふ之(コレ)を黒(クロ)

かにきざみてあたう  これ を  くろ


子(コ)といふ其 黒蚕(クロコ)𥸮 の葉尓取

  こ というその   くろこ くわのはにとり


あ可゛るを細(ホソ)き箸(ハシ)尓て挟(ハサ)ミ別(ヘツ)の

あが るを  ほそ き  はし にて  はさ み  べつ の


噐(ウツハ)尓配(クバ)り入ること凡  種 一 枚 の

  うつわ に  くば りいることおよそたねいちまいの


蚕  を三 尺  四方 位  尓薄(ウス)くちらし

かいこをさんじゃくしほうくらいに  うす くちらし


二 日目よりハ羽 王けとて前 の如 く

ふつかめよりははねわけとてまえのごとく


日尓三 度ツゝ蚕下(コシカ)切 て養  ふ奈り

ひにさんどずつ   こしか きりてやしなうなり

(大意)

(補足)

「下野國」、〔「しもつけの(下毛野)」の略〕① 旧国名の一。栃木県全域にあたる。野州(やしゆう)。

「一枚の種子(タネ)半分も生ぜし」、蚕卵紙で孵化するので一枚と云っている?

「𥸮」、桑ですけど、さがしたらフォントがありました。

「蚕下」、『こした【蚕下】カイコの糞(ふん)。蚕糞(さんふん)』。

 詞書きの内容がそのまま画となっています。①とってきた桑の葉を②大きな桶のなかで庖丁で細かく切り③それを四角い箱、折敷の中のまだ小さい蚕に与えます④部屋では蚕棚で蚕を育て⑤食べ残した桑の葉や蚕の糞を箸で取り除きつつ別の噐に移しています。

 働いているのは全員女性で、よく見ると眉を剃っている(既婚)御婦人と、まだ未婚で緑色っぽい蝶々の簪を挿して桃割れの娘さんがいます。

 ちょうど詞書きの巻物にかくれてしまってますが、大きな桑の木があって、登ってとるためでしょう、はしごがかけられています。

 全員がたすき掛け姿で、昔の人はこれを男女関係なくササッと手早くしたものです。子どものときにこれが手早くできれば大人の仲間入りになるとおもって何度も練習したものです。それを見ていたばあちゃんが大笑いしていたの思い出しました。

 

2026年9月12日土曜日

大日本物産圖會その83

P83 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P83_1

(読み)

飛州  猪   捕 之圖

ひしゅういのししとりのず


野猪(ヤチヨ)ハ當 国 諸 郡 より

   やちょ はとうごくしょぐんより


出ると雖(イヘト)も大 野郡 加賀(カゝ)

でると  いえど もおおのぐん   かが


の國 との境(サカヒ)奈る白 山 の近 辺

のくにとの  さかい なるはくさんのきんぺん


最(モツト)も多 し大 勢 の人 夫鉦(カネ)

  もっと もおおしおおぜいのにんぷ  かね


太鼓(タイコ)竹 本らホ 尓て山 々

   たいこ たけぼらなどにてやまやま


より猪(しゝ)鹿(シカ)熊(クマ)奈とを狩(カリ)

より  しし   しか   くま などを  かり


出す猟師(リヤウシ)丘(オカ)尓ありて

だす   りょうし   おか にありて


獣(ジ ウ)るゐの逃(ニゲ)由くところを

  じゅう るいの  にげ ゆくところを


鉄砲(テツハウ)尓て打(ウチ)とめる那り

   てっぽう にて  うち とめるなり

(大意)

(補足)

「野猪」、『やちょ【野猪】いのしし』。野鳥は普段使われる単語。でも「野猪」というのがあるとは知りませんでした。

「竹本ら」、『たけ‐ぼら【竹法螺】. 〘 名詞 〙 竹を切って管(くだ)として吹き鳴らすもの。筒貝(つつがい)』

 右側の猟師は猪をねらい、左の二人は鹿を撃たんとしています。猪が全身の毛並みを逆立てて逃げる様のなんと細かい描写。目が必死そのもの、ひらいた口から真っ赤な舌と白い牙が目立ちます。うしろの二頭の鹿は、猪にくらべるとどこかのんびりで表情も笑っているようになごやか。

 山々の様子がどこも濃淡をつけてまるで狩りなど行われていないような雰囲気できれいです。ちょろちょろ流れる小川があって、これは山を描くときの絵師のお約束。

 

2026年9月11日金曜日

大日本物産圖會その82

P82 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P82_1

(読み)

飛騨 國 養 蠶 之圖二

ひだのくにようさんのずに


何(イヅ)連の年 尓ても八 十  八 夜前 後

  いず れのとしにてもはちじゅうはちやぜんご


尓ハ蚕(カヒコ)生 連出る奈り蚕  少 し出

には  かいこ うまれでるなりかいこすこしで


加ゝらハ正  午十  二時頃 暖(アタゝ)可なる

かからばしょうごじゅうにじごろ  あたた かなる


時 を見合 せ種 を取 出し白 紙

ときをみあわせたねをとりだしはくし


五六 枚 本ど尓て包(ツゝ)ミその上 を

ごろくまいほどにて  つつ みそのうえを


抜出綿(ヌキデワタ)やう奈る物 尓さつとつゝミ

    ぬきでわた ようなるものにさっとつつみ


或  ハ骨柳(コリ)王ら多゛やうの物 尓入

あるいは   こり わらだ ようのものにいれ


暖  可奈る処  へ上ゲおき日尓二三 度

あたたかなるところへあげおきひににさんど


づゝ種 を取 ひろけまた元 の如 く

ずつたねをとりひろげまたもとのごとく


奈すなりすべて蚕  を手掛 る

なすなりすべてかいこをてがける


尓ハ手を洗(アラ)ひ清浄(セイジヤウ)を旨(ムネ)と須

にはてを  あら い   せいじょう を  むね とす

(大意)

(補足)

「飛騨國」、岐阜県北部に当たる。飛州。

「抜出綿」、『古くなった衣服や布団などから抜き取った古い綿(わた)のこと。単に「抜綿(ぬきわた)『ぬきわた【抜き綿】古着・古布団などから抜き取った綿。ぬきでわた。』」や「抜出(ぬきで)」とも呼ばれる』。

「骨柳」、『(こつごおり/こつやなぎ)は、コリヤナギなどの枝を使って編んだ「柳行李(やなぎごうり)」の古い呼び名』。

 天井から吊るしているのは「常陸國養蠶之圖一その80」でもでてきた「蚕卵紙(さんらんし)」。庭にある脚立で吊り下げたのでしょうね。木にのぼっている人は桑の葉をとっているよう。桑の木は葉をとりやすく管理しやすいように背丈ぐらいの高さにしますが、当時は普通の樹木のようにしていたのでしょうか。

 右側では蚕卵紙の裏を箸でたたいています。卵から孵化した蚕を落としているようです。床柱に枝がついていておしゃれです。お茶を運ぶ娘さんの裾にじゃれつく🐱がいて、暖かい縁側です。右奥の家屋内でも同じ作業をしていて、村中でお蚕さんをやっている様子です。

 わたしは子どものころよく母の実家に預けられていました。埼玉県北部にある実家ではお蚕さんもやる農家で、その地域の農家の裏の畑は桑畑がずっと広がっていました。桑の葉を背中の籠に入れてとってくるのは子どもたちの仕事でよく手伝ったものです。その葉をすごい勢いで体半分を振り回すようにしてむしゃむしゃと食べていくさまは見ていて飽きませんでした。蚕棚があって、その部屋から蚕たちが食べる音がするくらいなのです。そしてその部屋はほんのりと暖かった。すぐに桑の葉はなくなってしまうので、新鮮な葉をとってきて、おやつに手作りのまんじゅうをほおばったものでした。

 

大日本物産圖會その81

P81 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P81_1

(読み)

常  州  鯉 ヲ抱 取ル圖

じょうしゅうこいをだきとるず


鯉(コイ)ハ上  州  武州  利根(トネ)川 尓多 く

  こい はじょうしゅうぶしゅう   とね がわにおおく


就中(ナカンツク)當 國 の川 々 尓て漁(リヤウ)す

   なかんずく とうごくのかわかわにて  りょう す


るものを佳味(カミ)と須網(アミ)を川

るものを   かみ とす  あみ をかわ


中 尓張(ハリ)まハし漁者(ギヨシヤ)水 中

なかに  はり まわし   ぎょしゃ すいちゅう


に飛(トビ)入 鯉 を抱(イダ)き阿げる尓

に  とび いりこいを  いだ きあげるに


水 ぎハまで浮 あ可゛り籮篭(ビク)

みずぎわまでうきあが り   びく


へ収(オサ)め或  ハ舟 中  へ抛(ナケ)あ个゛る

へ  おさ めあるいはせんちゅうへ  なげ あげ る


水 中  鯉 を加ゝへ奈可゛ら㔫 り

すいちゅうこいをかかえなが らひだり


の手尓て鯉 の目をおさへふさ

のてにてこいのめをおさえふさ


ぎ抛 あ个゛る也 水 者奈連の際(キハ)

ぎなげあげ るなりみずばなれの  きわ


大  尓手練(シユレン)安りといふ

おおいに   しゅれん ありという

(大意)

(補足)

「㔫」、「左」のエがヒになった漢字、フォントがないかと探したらありました。

 水中のザンバラ髪になってうしろになびく髪の毛一本一本が水の勢いも流れもあらわし、また髪の毛を透かして月代や肩甲骨をみせて、絵師・彫師・摺師のなせる業。水の濃淡も勢いや深さを変化させていて、かれらの画への強い意志を感じます。力を存分にふるった一枚であります。

<<20260911記>>

 昨日急に画像がアップロードできなくなり、昨日分を本日アップロードします。

 

2026年9月9日水曜日

大日本物産圖會その80

P80 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P80_1

(読み)

常陸  國 養 蠶 之圖一

ひたちのくにようさんのずいち


蚕(カヒコ)ハ本邦(ホンハウ)諸 國 尓製(セイ)春と雖(イヘト)

  かいこ は   ほんぽう しょこくに  せい すと  いえど


も當 國 最   多 しと須種子(タネ)随(ズイ)

もとうごくもっともおおしとす   たね   ずい


分(ブン)揃(ソロヒ)よく面(オモテ)一 様 尓して生 気強(ツヨ)

  ぶん   そろい よく  おもて いちようにしてせいき  つよ


く卵(タマゴ)の中 少 し凹(クボ)ミ種 の地合

く  たまご のなかすこし  くぼ みたねのじあい


よく志満り蛾の者多らき種

よくしまりがのはたらきしゅ


子のちらしよくあし起臭(ニホ)ひ

しのちらしよくあしき  にお い


なく取 あつ可ひ尓落(オチ)ざるを

なくとりあつかいに  おち ざるを


最(サイ)上  と須第 一 其 年 上  〃  の桑(クハ)

  さい じょうとすだいいちそのとしじょうじょうの  くわ


を喰 せ上  作 の蚕  尓てとりし種

をくわせじょうさくのかいこにてとりしたね


を極 上  と須随 分 種 元 を吟

をごくじょうとすずいぶんたねもとをぎん


味して上  種 を求(モト)むべし

みしてじょうしゅを  もと むべし


(大意)

(補足)

「常陸」、ほぼ茨城県北東部に当たる。常州(じようしゆう)。

「蠶」、『もともと「蚕」の字はミミズを意味する別の漢字でしたが、古くから「蠶(かいこ)」の略字として使われていたため、現在の新字体に採用された』とあって、この「蠶」は初めてみました。「旡」+「旡」+「日」+「虫」+「虫」。「旡」は「すでのつくり」or「むにょう」というのだそうです。

「蚕」、『チョウ目カイコガ科の蛾。開張約4センチメートル。全身灰白色,はねに褐色の帯の入る品種もある。胴の太い割にははねが小さく,飛べない。幼虫は体長7センチメートルほどの白いイモムシで,桑の葉を食べる。繭から絹糸をとるため数千年前から中国で飼育され,のちに世界中に広まり多くの改良品種ができた。日本では春蚕(はるご)をはじめ夏蚕(なつご)・秋蚕(あきご)などと称して農家での養蚕が盛んであった。カイコガ。家蚕(かさん)。季春』。成虫になっても品種改良が何千年も続けられて飛べないんですね。

 画の上部、竿にぶら下げているのが「蚕卵紙(さんらんし)『カイコの蛾(が)に卵を産みつけさせる厚紙。たねがみ。蚕紙。季春』」。紙に糸をとおしてそれを竿にかけているようです。

 

2026年9月8日火曜日

大日本物産圖會その79

P79 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P79_1

(読み)

下 総  國 醤  油製 造 之圖

しもうさのくにしょうゆせいぞうのず


醤  油盤葛飾郡(カツシカコホリ)野田

しょうゆは    かつしかこおり のだ


海 上  銚  子等 より出すこと

かいじょうちょうしとうよりだすこと


夥(オビタゞ)し小麥 を炒り大 豆

  おびただ しこむぎをいりだいず


尓和して麹(カウシ)を徒くり塩

にわして  こうじ をつくりしお


を咊(クワ)し天大 桶 尓いれ天

を  か  しておおおけにいれて


熟(シユク)せしと起布 の袋  に

  じゅく せしときぬののふくろに


包 ミて〆 器に入 て搾(シボ)り樽

つつみてしめきにいれて  しぼ りたる


尓詰 天諸 國 尓出す就中

につめてしょこくにだすなかんづく


野田の「萬」ハ上  品 尓して八 升  六

のだの亀甲万はじょうひんにしてはっしょうろく


合 入 を一 樽 と定 む

ごういりをひとたるとさだむ

(大意)

(補足)

「咊(クワ)し」、『(か、わ)。「和」の古字(昔使われていた漢字)or異体字』。

「布の袋に包ミて〆器に入て搾(シボ)り」、右の大きな箱が〆器。箱の丈夫に竿があって、その左端に何本もの綱網に重しの石がたくさん見えています。

「八升六合入を一樽」、一樽で約16kg。樽の側面には亀甲(きっこう)印の中に「万」。現在のキッコーマンです。樽が積んであるところは壁に濃淡を付けて薄暗がりの表現が見事です。左奥には積み出し船と川面が見えています。

 この画は現在でも大手のキッコーマン醤油の明治初期の工場のようです。利根川と江戸川にはさまれて絶好の立地に恵まれた野田は醤油で繁栄し、現在でも一大生産地です。そしてもうひとつ、煎餅が野田の名物でもあります。

 この画が出版された13年後の明治23年に利根川と江戸川を結ぶ利根運河が開通しました。もともと江戸時代初期、江戸川は利根川の上流の関宿で東京湾に至るように大工事で分流されましたが、貨物など交通量増加のため(浅瀬もあって不便でもあった)、もっと手前でむすぶこの運河が作られました。

 若かりし頃、この運河がどんなふうになっているか、何度か江戸川と利根川をいったりきたりしたことを思い出しました。小さな竹竿ですすめる和船があるとどこか江戸情緒を感じたものです。

 この画を見ているだけで、醤油の香りを感じてしまい、口の中がジュワッとしてしまいます。

 

2026年9月7日月曜日

大日本物産圖會その78

P78 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P78_1

(読み)

上総  國 建 干 網 之圖

かずさのくにたてぼしあみのず


當 國 望陀(マウダ)郡 木更 津海 濱

とうごく   もうだ ぐんきさらずかいひん


より吾妻 川 尼 の濱 尓て建

よりあずまがわあまのはまにてたて


干 網 とと奈へて満 潮  のとき

ぼしあみととなえてまんちょうのとき


沖 へ出ること一 里余  尓して六 尺

おきへでることいちりあまりにしてろくしゃく


毎 尓杭 を打 これへ網 を張 廻 ス

ごとにくいをうちこれへあみをはりまわす


こと凡  一 千 尺  志可して潮 の引くに

ことおよそいっせんしゃくしかしてしおのひくに


從  ひ磯 辺の魚 皆 此 網 中 ニ集

したがいいそべのうおみなこのあみなかにあつま


里漁 人 これをひらふ多漁  の時

りぎょじんこれをひろうたりょうのとき


交 魚 何 千 頭 と云 を志ら須゛

こうぎょなんぜんとうというをしらず


又 客  ありて網 を求  ると起ハ

またきゃくありてあみをもとめるときは


潮 の引 多るとき其 魚  をミ奈

しおのひきたるときそのさかなをみな


自  ら客  尓とらするそのさ満東

みずからきゃくにとらするそのさまとう


京  の潮 干狩 のごとし

きょうのしおひがりのごとし

(大意)

(補足)

「建干網」、『たてぼしあみ。干満の差を利用した伝統的な沿岸漁法、またはそのために用いる網のこと。満潮時に浅瀬や入り江の口に網を張っておき、引き潮で取り残された魚介類をタモ網や素手で捕まる』。

「望陀(マウダ)郡」、『千葉県(上総国)にあった古代からの郡で、現在の木更津市や袖ケ浦市、君津市などの小櫃川流域にあたる』。

「多漁の時交魚何千頭と云を志ら須゛」、『魚がたくさん獲れるときには、交じり合う魚の数が何千匹にのぼるか分からないほどである』。

「こと」、いままでもたくさんでてきていました。「こ」と「と」をくっつけたような字です。合字(ごうじ)といいます。「より」のごうじ「ゟ」はフォントがあるのですが、「こと」はありませんので、画像ではこれ。

詞書き最後の「ごとし」は濁点がついただけです。

 いままでの画の左右の枠外には画工と出版人の住所名前はありましたが、日付はありませんでした。右枠外に「御届明治十年八月十日」とあります。

『青淵』No.671 2005年(平成17)2月号(実業史研究情報センター長 小出 いずみ)に

『上野で開催された第1回の内国勧業博覧会の始まる10日あまり前のことでした。博覧会の出品には掲載されておらず、また、博覧会場で今日のミュージアムショップのようにして販売されていたのか、確かめられませんが、博覧会目当てに発売された、と考えてよい』とあります。

 屋形船のように大げさでなく、漁師が使う小舟にお茶席で使う緋毛氈のような敷物で即席の宴会席をしつらえて飲んで歌って踊ってご機嫌ご機嫌♫

 その小舟の舳先の先におしりを見せて魚を手づかみしていて、わざと大きくこれみよがしにお尻を見せているのはこの人だけです。明治政府の裸をみせるなというお達しなんぞ、クソくれぇだとケツをまくっているのです。

 木更津から望む富士山はほぼ真西に見えます。でっかいです。ほぼこの画のとおりかな。