2026年6月19日金曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その20

 

P36 国文学研究資料館蔵

(読み)

か多し其 金 銀 銅 鉄 能出  所 其 外 諸 国

がたしそのきんぎんどうてつのしゅっしょそのほかしょこく


山 海 の土産 世人 の阿まね久志らさる所  也

さんかいのみやげせじんのあまねくしらざるところなり


先 考 平 瀬鉄 斎 子孫 耳志らしめん多め

せんこうひらせてっさいしそんにしらしめんため


綴  置 しを繪師長谷川 光 信 尓画図を

つずりおきしをえしはせがわみつのぶにがずを


求  て五巻 と那し怒雷   をゑかく毛のハ力士

もとめてごかんとなしぬいかずちをえがくものはりきし


左  尓連 鼓を携  へ右 に鞭 を毛川て多 くハ豹  虎の

ひだりにれんこをたずさえみぎにむちをもっておおくはひょうこの

(大意)

 それら金銀銅鉄の産出地や諸国の山海の産物について世の人々は詳しくは知られていない。亡き父、平瀬鉄斎はのちの人々にそれらのことを伝えんと書きためていたものに、絵師長谷川光信に絵図を頼み全五巻とした。怪人を描くものとして金剛力士があり、左に連鼓を携え右に鞭を持って、多くは虎の皮の

(補足)

「先考」、『せんこう ―かう【先考】死んだ父。亡父。 ↔先妣(せんぴ)。「慈母の口から―の平生を聞くことを」〈渋江抽斎•鷗外〉』

「子孫」、『しそん【子孫】① 子と孫。② 子・孫・曽孫と血筋をひいて生まれる人々。また広く,のちの世代の人々。後裔(こうえい)。』

「雷」、『いかずち いかづち 【雷】〔「厳(いか)つ霊(ち)」の意。「つ」は助詞〕① かみなり。なるかみ。季夏「鼓の音は―の声と聞くまで」〈万葉集•199〉 ② 魔物。「上に八色(やくさ)の―あり」〈日本書紀•神代上訓〉』

「力士」、『ちからびと 【力人・力士・〈健児〉 】力の強い人。強健な者。また,勇猛な兵士。「軍士(いくさびと)の中の―軽く捷(はや)きを選り聚めて」〈古事記•中訓〉 →健児(こんでい)』or『りきし【力士】〔古くは「りきじ」〕① 相撲取り。② 力の強い人。「長者の家を守る一人の―あり」〈今昔物語集•2〉 ③ 「金剛力士」の略。』


 

2026年6月18日木曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その19

P35 国文学研究資料館蔵

(読み)

ばつ


誹 人 許 六 可曰末 能代 尓阿川て和歌の道 に

はいじんきょろくがひすえのだいにあってわかのみちに


對 する毛のハ金 銀 な里目尓見エ怒鬼神 を

たいするものはきんぎんなりめにみえぬきじんを


なりしめ於とこ越ん奈能中 をやハらけたけき

なりしめおとこおんなのなかをやわらけたけき


毛のゝふ能心  をなくさむるものハ是 な里と誠  に

もののふのこころをなぐさむるものはこれなりとまことに


是 尓にくまるゝ者 ハ此 界 尓一 日 能逗 畄  も成

これににくまるるものはこのかいにいちにちのとうりゅうもなり(がたし)

(大意)

俳人の許六の時代には和歌の素養が重要だったが、

現在それに変わるものは金銀の財貨である。

[以下意味不明ですがフィクションで記しておきます。]

目に見えぬ鬼神をなだめ、男と女の中をやわらげ、猛き

武士の心を慰めるものはこれ財貨であることを誠に

憎んでいるものがいるとすれば、この世に一日も生活は

できまい。

(補足)

「跋」、『ばつ【跋】書物・文章などの末尾にしるす文。後書き。 ↔序』

「誹人」、俳人。

「許六」、『もりかわきょりく もりかは―【森川許六】[1656〜1715]江戸前・中期の俳人。彦根藩士。名は百仲(ももなか),別号を五老井・菊阿仏など。松尾芭蕉晩年の門人。絵をよくし,芭蕉が師と仰いだ。蕉門十哲の一人で屈指の論客。編著「韻塞(いんふたぎ)」「篇突(へんつき)」「宇陀法師」など。きょろく。』

 この跋は平瀬徹齋の息子である平瀬光雪が記しています。

 

2026年6月17日水曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その18

P34奥付 国文学研究資料館蔵

(読み)

畫工 松翠軒長谷川光信

寶暦四年甲戌初夏吉日

寛政九年丁己初春求板 平瀬徹齋撰


日本

萬物 山 海 名 産 図會 法橋月画 完五冊

     さん可いめいさんづゑ

此 編 尓もれ多る諸 国 能名 物 名 産 を集 め悉    く図を阿らハし

このへん     しよこく めいぶつめいさん あ川 こと\゛/ づ

く王しく其 業 を文 尓濱 海 内  能産 物 多 きを知らしむ

    その王ざ ぶん のべ可い多゛い さんぶつお本  し

浪蕐書林

梶木町渡辺筋

 播磨屋幸兵衛

心齋𣘺通南久太良町

 鹽屋長兵衛

 鹽屋卯兵衛

(大意)

(補足)

この奥付はこの本の宣伝となっています。

「寶暦四年甲戌初夏吉日」、1754年きのえいぬ旧暦4月頃。

「寛政九年丁己初春」、1797年ひとのみ旧暦1月頃。求版は現在の再版と同じようなもので、初版から43年後に出版されているのは何かわけがありそうです。

 「日本山海名産名物図会 註解 千葉徳爾 社会思想社」昭和54年7月30日初版第三刷発行の巻末解題にこの本の成り立ちが記されていて、その部分を読み終わってもやはり謎につつまれた感じをぬぐいきれませんでした。

 

2026年6月16日火曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その17

P32P33 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  引 寄  図

くじらひきよせるづ

くじらひきよせるず


徒きとめ多る鯨  尓真綱 を徒けろくろ尓て地方 へ引

          まづ奈        ぢ可多 ひき

つきとめたるくじらにまづなをつけろくろにてじかたへひき


よする也 此 ろくろをかぐらさんと云 其 肉 を切 て油  を取 也

     この              尓く きり あふら とる

よするなりこのろくろをかぐらさんというそのにくをきりてあぶらをとるなり


惣 じてくじら皮 ハ黒 く其 内 尓白 肉 有 白 肉 の下 尓赤 肉 阿り皮

そう     可ハ    そのうち しろ尓く阿り        あ可

そうじてくじらかわはくろくそのうちにしろにくありしろにくのしたにあかにくありかわ


くじらとて賣 買 春るハ尾とひれとの間   也 是 を尾者せ於つ者゜と云

     うり可い   を     あい多゛

くじらとてうりかいするはおとひれとのあいだ なりこれをおはせおっぱ という


也 又 くじらのひげといふハ咽 下 奈る出?也 是 細 工尓用 由世尓くじら

              のど          さいく もち よ

なりまたくじらのひげというはのどもとなる??なりこれさいくにもちゆよにくじら


細 工といふ俗 説 尓鯨  一 疋 とれハ七 浦 尓ぎ者うと云

      ぞくせつ    いつひき   奈ゝうら

ざいくというぞくせつにくじらいっぴきとればななうらにぎわうという


浦 人 大 尓いさミ悦  ぶこと也

          よろこ

うらびとだいにいさみよろこぶことなり

(大意)

(補足)

「尾者せ於つ者゜」、鯨の部位で尾肉の部分を「尾羽(おば)」というとありましたが、これと関係しているのでしょうか。

「咽 下奈る出?也」、あれこれ悩みましたが不明です。

 鼻の短い象のような顔。でも頭のてっぺんに鼻の穴があります。

 

2026年6月15日月曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その16

P30P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  突 舩

くじらつきふ年

くじらつきふね


くじらつき舟 十  六 艘 舟 ごと尓一 のもり三 本  数 もり

            そう     いち     本゛ん可ず

くじらつきふねじゅうろくそうふねごとにいちのもりさんぼ んかずもり


十  二本 大 もり五本 けん壱 挺  徒ゝ阿り一 の毛りを

                 て う

じゅうにほんおおもりごほんけんいっちょうずつありいちのもりを


徒き多る舟 ハの本゛りの外 尓ふきぬきを立 る也 鯨  手をおひて

            本可

つきたるふねはのぼ りのほかにふきぬきをたてるなりくじらてをおいて


則   動 揺 春ること夥   しく五三 里可間  も

す奈ハちどうやう    おび多ゝ     り あい多

すなわちどうようすることおびただしくごさんりがあいだも


者年まハるといへ共 次㐧  尓

          し多゛い

はねまわるといえどもしだ いに


よハりて死春る時 尓至 りてハもと能手をおひ多る所  へ

    し  とき い多            ところ

よわりてしするときにいたりてはもとのてをおいたるところへ


立 可へ里て死春ると也

たちかえりてしするとなり

(大意)

(補足)

「けん」は「剣」でとどめの剣。

「五三里可間」、五里、三里の間も。あちらこちらの意味でしょう。

 

2026年6月14日日曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  置 網

くじらおき阿ミ

くじらおきあみ


くじら鯨  鯢 の字を用 由るハ誤   也 海 編 と書 可゛正 字也 

                あやまり

くじらくじらげいのじをもちゆるはあやまりなりうみへんとかくが せいじなり


くじら大 奈る

くじらだいなる


舟 をものむ也 日に光  尓其 鰭 をひらめ可するハ旗 をふる可゛古゛とく

ふ年        ひ可り そのひれ        者多

ふねをものむなりひにひかりにそのひれをひらめかするははたをふるが ご とく


沫 を吹けハ雨 のごとし其 海 上  尓あらハるゝ時ハ

あハ ふ  あめ      可いしやう      とき

あわをふけばあめのごとしそのかいじょうにあらわるるときは


あ多可も山 のごとし往来 の舟

    やま    ゆきゝ

あたかもやまのごとしゆききのふね


これ尓あへハ必    さい奈んあり鯨  の口 の下 あご尓

      可奈ら須゛          くち

これにあえばかならず さいなんありくじらのくちのしたあごに


大 鰭 阿り椶   木の皮 尓似て小松 を

  ひ連  し由ろのき 可ハ   こまつ

おおひれありしゅろのきのかわににてこまつを


植 奈らべ多るごとく尓見由る也 網 舟 十  二艘 人 数 十  五人 づゝ

うえ              あミ      そう

うえならべたるごときにみゆるなりあみぶねじゅうにそうにんずうじゅうごにんずつ


是 ハ先 へまハりて網 を

これ さき

これはさきへまわりてあみを


おろし置 也 くじら此 あミ尓さま多げられてよハる也

   於く

おろしおくなりくじらこのあみにさまたげられてよわるなり


舟 ハ何 れも平 徒゛くり川 御座能可多ち也

   いづ  ひら    可ハござ

ふねはいずれもひらづ くりかわござのかたちなり

(大意)

(補足)

「海?」、?は魚+鬲でしょうか。一日おいて間違いに気づきました。「海」編(正しくは偏)でしょうね。

「川御座」、『かわござぶね かは―【川御座船】① 江戸時代,幕府や諸大名が河川で使用した豪華な大形の屋形船。② 町方の船遊山などに賃貸しする屋形つきの川船。大坂界隈での呼称で,江戸では町御座船・借御座船がこれに相当する』

 網の周囲には浮として比較的大きな樽がいくつも結びつけられています。。

鯨の髭は現在では貴重品となってしまっていますが、工芸品やバネなどいろいろ使われているようです。

 

2026年6月13日土曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その14

P26P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  吹 レ氣 図

くしらふく きをつ

くじらきをふくず


鯨  潮 を吹 をけを吹 と云 也 是 を遠 見より見つけて相 図の

くしらし本 ふく             とをみ      あいづ

くじらしおをふくをけをふくというなりこれをとおみよりみつけてあいずの


志らせ阿れバ鯨  つき舟 を出してもり尓て突 とむる也 もりに

                     つき

しらせあればくじらつきふねをだしてもりにてつきとむるなりもりに


両  刃阿り一 方 ハ短  く一 方 ハ長 し上 へむけて奈ぐる時

里やう者                            とき

りょうばありいっぽうはみじかくいっぽうはながしうえへむけてなぐるとき


下 へ於ちさ満尓鯨  尓阿多る

したへおちざまにくじらにあたる


也 鯨  驚  きて者袮まハる尓従  ひてもりハ深 く者いると也

     おとろ        し多可     ふ可

なりくじらおどろきてはねまわるにしたがいてもりはふかくはいるとなり


鯨  舟 十  六 艘 頭  舟

          そう可しらふね

くじらふねじゅうろくそうかしらふね


二そう先 尓立 也 舟 一 艘 尓人 数 十  四人 づゝ頭  を於き

にそうさきにたつなりふねいっそうににんずうじゅうよにんずつかしらをおき


やいと云 もりつきを者多゛しと云

やいというもりつきをはだ しという


舟 一 そう尓ともろ一 丁  王きろ一 丁  其 外 一 方 に

ふねいっそうにともろいっちょうわきろいっちょうそのほかいっぽうに


三 丁  徒゛ゝ以上  八 丁  一 丁  尓二 人可ゝり也

さんちょうず ついじょうはっちょういっちょうにふたりがかりなり

(大意)

(補足)

 表題の「吹」と「氣」の間にある「レ」はレ点。

鯨のお目々がかわいらしい。潮吹きの画は見事!そのまま植木鉢に入れれば何か植物の画にもなりそうです。

 以前、米国のサンノゼからすぐのところモンレーの港で、ホエールウオッチングツアーに参加したことがります。ツアー前日まで数日間嵐で、当日は絶好のツアー日和。ブルーホエール(シロナガスクジラ)を何頭も間近で見ることができました。なにしろデカイ!ちょうど25mプールくらいの長さがあります。そして潮吹きの迫力がこれまたすごかった。あたりに悪臭とまではいかないけど、磯の匂いが腐ったような臭気が当たり一面に漂いました。あんな巨大な生き物を小型舟と銛でしとめるのだから、命がいくつあってもたりません。