2026年8月2日日曜日

大日本物産圖會その42

P42 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P42_1

(読み)

千島  國 海 獺採 之図

ちしまのくにらっことりのず


海獺(ラツコ)ハ其 毛柔(ヤワラ)尓して指(ユビ)をもつて

   らっこ はそのけ  やわら にして  ゆび をもって


画(モシヲカク)する尓少時(ザンジ)其 形 ちを存(ノコ)す

  もじをかく するに   ざんじ そのかたちを  のこ す


皮(カハ)を帽(バウ)尓造(ツク)りて人 の賞(シヨウ)する

  かわ は  ぼう に  つく りてひとの  しょう する


所  也 千(チ)島得撫島(ウルツプシマ)尓多 く

ところなり  ち しま   うるっぷしま におおく


産(サン)ず土人 全体(ゼンタイ)革(カハ)を以 て造(つくリ)し

  さん すどじん   ぜんたい   かわ をもって  つくり し


鰹節形(カツヲフシカタ)奈る船 尓體(カラダ)の入るべき

    かつおぶしがた なるふねに  からだ のいるべき


程(ホト)の穴 を三 ヶ所 穿(ア)け舟 乃

  ほど のあなをさんかしょ  あ けふねの


中 へ水 の入 らぬやう穴 よりつゞ

なかへみずのはいらぬようあなよりつづ


く革 を可らだ尓結(ユヒ)付 一 人ハ

くかわをからだに  ゆい つけひとりは


櫂(カイ)をもち両  人 もり尓て海 上

  かい をもちりょうにんもりにてかいじょう


尓浮(ウカ)む海獺(ラツコ)を突(ツキ)とる奈り

に  うか む   らっこ を  つき とるなり

(大意)

 海獺の毛は柔らかく、その毛皮に指で文字をなぞるとしばらくその文字が残るほどである。皮から帽子をつくるがそれらは人々に重宝されて人気がある。海獺は千島ウルップ島に多く生息する。土地の人々は鰹節形の舟を皮で覆うようにして造り、三人の躰が入るようそれぞれ三つの穴をあけ、舟の中へ水が入らぬようにしてあり、穴よりつづく皮を躰に巻き付けている。一人は櫂をもち、二人はもりを持って、海上に浮かぶ海獺を突きとるのである。

(補足)

「獺」、これ「獺」一文字で、カワウソです。なので海獺はうみかわうそ🦦。

 30年近く前のことになりますが、アラスカを旅したことがあります。丸一日を氷河ツアーに参加しました。船旅をする途中、白頭鷲や海獺を観察しました。ラッコはのんびりプカプカ毛づくろいをしながら、ときたまクルッとからだを回転させまた腹を見せてプカプカしてました。これじゃ簡単に捕まってしまうなとおもったものです。

 水族館もいくつか訪れましたが、たいていラッコがいて、運良く学芸員の方がいろいろ説明してくれました。かれらは「my stone」をそれぞれ持っていて、それを使って貝を腹の上に乗せて叩き割ります。おなじみの光景です。自分の石は脇の下に挟んで落とさないようにしているのだそうです。

 波間に浮かぶラッコの色が薄茶色ですが実物は黒です。絵師・彫師・摺師は見たことがなかったのかも。

 

2026年8月1日土曜日

大日本物産圖會その41

P41 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P41_1

(読み)

北 海 道 函 館 氷  輸出  之圖

ほっかいどうはこだてこおりゆしゅつのず


氷  ハ厳寒(ゲンカン)の節(セツ)北 海 道五陵岳(コレ ウカク)

こおりは   げんかん の  せつ ほっかいどう   ごりょうかく


の堀(ホリ)水 の氷  たるを鋸(ノコギリ)を以 て

の  ほり みずのこおりたるを  のこぎり をもって


凡 そ目方 二十 〆 目者゛かりに

およそめかたにじっかんめば かりに


引(ヒキ)王り二個(フタツ)合 して雪車(ソリ)ニ

  ひき わり   ふたつ あわして   そり に


乗(ノ)せ函館湊(ハコダテミナト)を運轉(ウンテン)なし

  の せ    はこだてみなと を   うんてん なし


大鋸屑(オガクズ)尓て覆(オホ)ひ箱 尓入レ

    おがくず にて  おお いはこにいれ


密封(フウ)して横 濱 東 京  その外

   ふう してよこはまとうきょうそのほか


諸国(シヨコク)へ輸出(ユシユツ)して氷  蔵 耳

   しょこく へ   ゆしゅつ してこおりくらに


納(オサ)め暑(シヨ)中  尓いだして販(ハン)

  おさ め  しょ ちゅうにいだして  はん


賣(バイ)ス

  ばい す

(大意)

(補足)

「貫」、『かん くわん【貫】① 尺貫法における目方の単位。時代によって相違があるが,メートル条約加入後,1891年(明治24)に15キログラムを四貫(一貫=3.75キログラム)と定め,尺貫法の基本単位の一つとした。一〇〇〇匁(もんめ)。貫目。』

「二十〆目」、約75kg。

「運轉」、車編のくずし字は「爿」or「丬」、「斗」に似ています。

 日本で氷が生産されるようになったのは「明治16年(1887年)に東京・京橋新富町に日本初の製氷会社「東京製氷会社」が設立され、機械での氷の生産が始まりました」。なのでこの図会が出版された明治10年頃は天然氷か米国からの輸入氷しかありませんでした。

 ここのは「北海道五陵岳の堀水の氷たる」氷なので、氷は透明でガラスのように向こう側がゆがみながらも透けて見えるはずですが、絵師は網のように透ける工夫はしなかったようです。ちょっと残念😢。でもって、氷のかたまりは白くというか直方体の箱のように線で表現しています。

 ほとんどの人が洋装で暖かそう。右側の山から流れてくる川のように見えるのは、小屋からあがるお茶を沸かしている竈の煙でしょうか。

 わたしが子どもの頃は、電気で稼働する冷蔵庫は普及してなくて、氷屋さんが配達する氷を断熱された冷蔵庫の中に入れて冷やすというものでした。我が家にはそれすらなかったのですが、お隣さんが使っていて、氷屋さんがやってきて氷を鋸で切る音を聞きつけると近所中の子どもが群がってきて、飛び散った氷のかけらの奪い合いとなりました。透明で冷たいかたまり、これを口にするとなんともいえぬうまさでおいしかったなぁ。

 

2026年7月31日金曜日

大日本物産圖會その40

P40 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P40_1

(読み)

對馬  國 海鼠 製 之図

つしまのくになまこせいのず


熟海鼠(イリコ)を製 する尓ハ腹 中

    いりこ をせいするにははらなか


三 條  の腸 をぬき空(カラ)鍋 尓入

さんじょうのわたをぬき  から なべにいれ


てつよき火尓て煮(ニ)ること

てつよきひにて  に ること


一 日 一 夜尓してとりいだし

いちにちいちやにしてとりいだし


冷 るを候(ウカゞ)ひ糸 尓てつ奈ぎ

さめるを  うかが いいとにてつなぎ


て乾  す又 竹 尓さして本し

てかわかすまたたけにさしてほし


多るを串海鼠(くしこ)といふ海鼠腸(このわた)

たるを    くしこ という    このわた


ハぬきたる王たを海 水 尓て

はぬいたるわたをかいすいにて


数 へんあらひ塩 尓和して

すうへんあたいしおにわして


収 むる奈り黄色 にひかり

おさむるなりきいろにひかり


ありて琥珀(コハク)のごと起ものを

ありて   こはく のごときものを


上  品 とす黒 ミあるハ下ひん

じょうひんとすくろみあるはげひん


奈り

なり

(大意)

(補足)

 いっとき海鼠(なまこ)の酢の物をよく食べていました。コリコリしてちょっとしびれる感じがしておいしい。栄養なんて考えたこともなかったけど、調べてみた。

 AI による概要です。

「海鼠(なまこ)は、高タンパクで低カロリーな食材であり、コラーゲン、サポニン、マグネシウムなどの栄養素を豊富含んでいます。約90%が水分で、生100gあたり約23キロカロリーです。

主な栄養成分と特徴

高タンパク・低脂質: 脂質が非常に少なく、ヘルシーに良質なタンパク質を補給できます。サポニン: 強い抗酸化作用や滋養強壮効果が期待される成分で、「海の朝鮮人参」と呼ばれる由来の一つです。

コラーゲン・コンドロイチン: 美容や関節の健康維持に役立つ成分が含まれています。

ミネラル類: 骨の健康に大切なカルシウムやマグネシウム、代謝を助けるビタミンB12が含まれています」。

 いやいや驚きました。あんなものといってはよろしくないけど、見てくれはわるいし、食指が動く生き物ではありません。でも、食い物としては優秀なのですね。

 釜で煮ている火力が半端ない、大釜をグラグラ煮立てるぐらいの勢いで煮ないとダメみたいです。それも「一日一夜尓して」ずっとです。

 

2026年7月30日木曜日

大日本物産圖會その39

P39 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P39_1

(読み)

對馬  國 海鼠 取 之図

つしまのくになまことりのず


生海鼠(ナマコ)熟海鼠(イリコ)金海鼠(キンコ)海

    なまこ     いりこ     きんこ


鼠腸(コノワタ)種 数の製 法 あり天

   このわた しゅすのせいほうありて


皇 国 諸 洲  より出すといヘ

こうこくしょしゅうよりだすといえ


ども支那尓ハ甚   稀 尓して

どもしなにははなはだまれにして


最  も珍 重  すといへり沖 中

もっともちんちょうすといえりおきなか


尓て漁  する尓ハ舩 の舳(トモ)耳

にてりょうするにはふねの  とも に


あミをつけて者し連バ自

あみをつけてはしればし


然 と入  奈り海 底 の石 に

ぜんとはいるなりかいていのいしに


つ起多るをとる尓ハ熟生鼠

つきたるをとるにはいりこ


の汁 又 は鯨  のあぶらを水

のしるまたはくじらのあぶらをすい


面 尓流 せバ水 底 透明(スキトホ)りて

めんにながせばみずぞこ   すきとお りて


見える然 して多満あミ尓

みえるしかしてたまあみに


て是 をすくふ奈り

てこれをすくふなり

(大意)

(補足)

「然して」、『しかして【然して・而して】(接続)〔副詞「しか」に動詞「す」の連用形「し」,助詞「て」の付いた語〕そうして。こうして。それから。文章に用いる。「大いに破壊して―改修せざるべからざるもの多々あるなり」〈偽悪醜日本人•雪嶺〉』

「日本史の宝箱」(中公新書)P68[能登名産ナマコの小桶]に『十六世紀半ば成立の故実書「年中恒例記」では、能登守護から将軍への恒例の献上品として確認される。』とあります。また海鼠腸50桶を年賀としていたとも別の史料に記されているとあります。

 おもしろいのは海鼠腸を「桶」と数えることです。なぜなのか?先程の本をお読みください。

 このような漁では箱メガネがこの当時、すでに出回っていたとおもうのですが、竹筒に「鯨のあぶらを水面尓流」すほうが手っ取り早かったのでしょうか。

 漁師たちがみな海鼠とりに集中しているさまがちょっと愉快(命をかけた漁なのに不謹慎でゴメンナサイ)でもあります。手前三人の中央の漁師の茶色の濃淡のついた着物がおしゃれです。籠の感じもそのまま手にできそうでうまいなぁ。

 小浪たつ舟まわりの沖中の海面の青藍の濃淡が本物のようにみえて、摺師の技ですね。さらに沖には帆掛け船がどこやら出かけるところであります。

 

2026年7月29日水曜日

大日本物産圖會その38

P38 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P38_1

(読み)

同 煙草 葉製 造 之圖

どうたばこはせいぞうのず


八 九月 頃 種 を下 し三 月 尓至 り

はちくがつごろたねをくだしさんがつにいたり


て移植(ウツシウヱ)六 月 頃 葉薄 黄と奈る

て   うつしかえ ろくがつごろはうすきとなる


尓随  ひて根尓近 き葉を二三 枚

にしたがいてねにちかきはをにさんまい


摘(ツミ)とるこれを元 葉といふ中  品

  つみ とるこれをもとばというちゅうひん


なり後 中  真 の二葉 をつむ

なりのちちゅうしんのにようをつむ


これを中  葉 といひて上  品 也

これをちゅうようといいてじょうひんなり


残 り枝 茎 を挍(はかり)てをりと里

のこりえだくきを  はかり ておりとり


陰乾(カケホシ)尓するもの下品 なり

   かげぼし にするものげひんなり


つミとりたる薬を揃(ソロ)へて薦(コモ)を

つみとりたるはを  そろ えて  こも を


被(オホ)ひ黄色 尓変 するを度(ド)とし

  おお いきいろにへんするを  ど とし


て二三 葉 づゝ縄(ナハ)尓可け又 日尓本し

てにさんようずつ  なわ にかけまたひにほし


夜つ由尓さらし後 巻 て細刻(キザム)奈り

よつゆにさらしのちまきて   きうざ なり

(大意)

(補足)

「同」、『大隅国』。鹿児島県。

「度とし」、詞書きに何度も出てきている表現です。目処(めど)にしての(漢字は異なりますが)度。

 とてもにぎやかで楽しさあふれる画、登場人物がそれぞれの仕事をしていてその動きの一瞬をとらえている絵師のうまさもさることながら、左の「ぜんまい刻み機」(ネットで調べると実物の写真があります)という器具を正確に、まるで営業マンが説明で使う見取り図のよう描いています。

 奥の庭に干してあるのは魚のひらきではなく、たばこの葉。暖簾に裏返しの「萬屋」はすでにでてきた画のおなじような暖簾に使われていました。版元錦栄堂(萬屋)の大倉孫兵衛の屋号です。

 ひとつひとつの品物や作業、人物の表情を細かに見ていて、飽きませんね。

 

2026年7月28日火曜日

大日本物産圖會その37

P37 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P37_1

(読み)

大 隅  國 煙草 培 養 之圖

おおすみのくにたばこばいようのず


煙草(タバコ)ハ元 南  アメリカの産 尓し

   たばこ はもとみなみあめりかのさんにし


て我 国 慶 長  十  年 ホルトガル人

てわがくにけいちょうじゅうねんぽるとがるじん


持 来 りて長 嵜 へ植(ウヱ)附 たるを

もちきたりてながさきへ  うえ つけたるを


初 として培養(ハイヤウ)せざる国 奈しと

はつとして   ばいよう せざるくになしと


雖(イヘ)とも就中   大 隅 ノ國 部上

  いえ どもなんかずくおおすみのこくぶこう


野 の舘(タテ)薩 摩の出水(イツミ)摂 州  石

ずけの  たて さつまの   いずみ せっしゅういし


津武蔵 の秩 父丹 波山 本 上 総の小糸 等 より出す物 を尤

ずむさしのちちぶたんばやまもとかずさのこいととうよりだすものをもっとも


上  等 と須此 草 性 辛(カラ)くして

じょうとうとすこのそうせい  から くして


収採(シ ユサイ)の後 虫 の付 患(ウレヒ)奈しと雖 とも

   しゅうさい ののちむしのつく  うれい なしといえども


成 長  乃時 ハ却(カヘツ)て虫 の付 事 夥(オヒタゝ)しく

せいちょうのときは  かへっ てむしのつくこと  おびただ しく


毎 朝 虫 をとらされバ其 葉を網(アミ)のごとく奈すもの也

まいあさむしをとらざればそのはを  あみ のごとくなすものなり

(大意)

(補足)

「大隅国」、鹿児島県。隅州(ぐうしゅう)。

「慶長十年」、1605年。日本にいつ頃から喫煙の習慣が広まったかは不明確なのだそうですが、16世紀末の南蛮人渡来以降というのが有力な説のようです。

「就中」、『なかんずく ―づく【就中】(副)〔「中(なか)に就(つ)く」の転。漢文訓読に由来する語〕』。なんども使われてますが、確認のため。

「大隅ノ國部」、大隅の国分か。

 日清戦争(1894‐1898)の戦費調達のため1898年政府はたばこの専売制を開始しました。さらに日露戦争(1904-1908)では1904年に完全専売制へと移行しました。驚くことに日露戦争期の国家予算(歳出)に占める軍事費の割合は82.3%(1905年時点)に達していました。たばこ売買はそれら軍事費のいったんを大きく支えていたのです。

 母の実家は農家でした。多くの農家が隠れてたばこを自家用のために栽培していて、母のおじいさん(あたまは丁髷のままでした)は刻みたばこを煙管につめて一服していたとのことです。ちょうど日露戦争頃のことでした。

 画の構図は何度か出てきているものと同じで定番といっても差し支えないとおもいます。小さな百合のようなきれいな白い花が咲くのですね。


 

2026年7月27日月曜日

大日本物産圖會その36

P36 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P36_1

(読み)

日  向 國 樟  脳 製 之圖

ひゅうがのくにしょうのうせいのず


樟脳(シヨウノウ)ハ當 國 宮 崎 郡  諸 村

   しょうのう はとうごくみやざきこおりしょそん


尓て製 す楠(クス)尓楠(クス)と樟(クス)の二

にてせいす  くす に  くす と  くす のに


種(シユ)有り則  チ樟 の根を細(サイ)末

  しゅ ありすなわちくすのねを  さい まつ 


尓者すり釜(カマ)尓入 て煎(セン)じ出

にはすり  かま にいれて  せん じだ


春釜 の上 に冷水(ヒヤミツ)を入連多る

すかまのうえに   ひやみず をいれたる


箱 をお起釜 中 湯の騰(ワク)尓

はこをおきかまなかゆの  わく に


随(シタガ)ひ蒸発(ジヨウハツ)して箱(ハコ)の底(ソコ)ニ凝(コ)

  したが い   じょうはつ して  はこ の  そこ に  こ


着(チヤク)春是 則   樟  脳 也 支那(シナ)人 是 を

  ちゃく すこれすなわちしょうのうなり   しな じんこれを


精製(セイ\/)して龍脳(リ ウノウ)と奈須といふ

   せいせい して   りゅうのう となすという

(大意)

(補足)

「日向国」、宮崎県。

 画全体の色の配置がきれいです。山から流れてくる川の水、それを引き入れている釜の上の箱の中の水、また山の茶色の濃淡が凹凸の感じをうまく出し、そのなかに川の水の色と同じ職人たちの半纏、籠をかつぐ人たちにも同じ水色をつかってます。籠の黄色や山の土の茶色が水色と補色になっていて、うきあがってみえて映えます。釜からあがる煙はあまり丁寧に描いてなさそう。

 居間に楠の一枚板を2枚おいてあります。たまにお客さんがやってくると、檜の香りがしますねといわれることがあって、楠なんですよと伝えると、どっちもいい匂いと納得してくれます。

 樟脳といえば箪笥の中に入れる防虫剤をすぐにおもいだします。しかしもうひとつあります。縁日で小さな水を張ったプールに、小さな船の後ろに樟脳をくっつけて浮かべると勢いよく進んでいくのです。スクリューもなにも動力がないのに、とても不思議でした。