P24P25 国文学研究資料館蔵
(読み)
焙 籠
本いろ
ほいろ
上 の繪尓見え多る茶 の葉を湯出て日尓本し多るを
由で
うえのえにみえたるちゃのはをゆでてひにほしたるを
本いろ尓可けてあぶる也 此 後 ハ煎 春る時 のほいろ尓ハ阿ら須
ほいろにかけてあぶるなりこののちはせんずるときのほいろにはあらず
宇治御茶 師御通 御用 凡 三 十 三 人 上林味卜 上林春松
うじおちゃしおとおりごようおよそさんじゅうさんにん
上林平入 上林三入 長井貞甫 酒多宗有 尾崎有庵
星野宗以 堀真朔 長茶宗味 辻善徳
茶 ノ保育炉 保育 又 ハ雪 洞 共 云 俗 尓助 炭 と云
本いろ 本いろ せつとう じよたん
ちゃのほいろ ほいろまたはせつどうともいうぞくにじょたんという
抹 茶 臼 図
ひきちやうすのづ
(大意)
略
(補足)
「宇治御茶師御通御用」、『江戸幕府の制度で、宇治の茶師(碾茶生産者)が将軍家へ献上する新茶の運搬・御用を務める「御茶師」のうち、江戸城で用いる雑用や、西の丸用などの日常的なお茶を調達・納入した下位の茶師階級、またはその役割を指す』。
「凡三十三人」、『御茶師の人数は増減がありますが、18世紀頃の記録では御物御茶師が11家、御袋御茶師が 9 家、御通御茶師 13 家とされています』。なるほど33になります。
絵に動きがあっておもしろい。臼でゴリゴリした挽茶の細かいものがつぶつぶで描かれていますけど、彫師・摺師泣かせかもしれません。
わたしの育った街の商店街にお茶屋さんが数軒ありました。そのうちの一軒がいつもドラム缶を横にしたような器具でほうじ茶を炒っていたのですが、その香りがあたりにただよっていて、あれはたまりませんでした。なんどもなんどもスーハースーハーしたものでありました♫
詳しい内容が「学習院大学学術成果リポジトリhttps://glim-re.repo.nii.ac.jp › shigaku_8_47_70『江戸時代の宇治茶師』」にあります。






