2026年8月8日土曜日

大日本物産圖會その48

P48 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P48_1

(読み)

同 廣 島 牡蠣蓄 養 之圖

どうひろしまかきちくようのず


蛎(カキ)は貝 中  の一 等 尓して人 身 に

  かき はかいちゅうのいっとうにしてじんしんに


もつとも滋養(ジヤウ)の物 奈り海 中

もっとも   じよう のものなりかいちゅう


自然 尓生  ずるもの尓して大 奈る

しぜんにしょうずるものにしてだいなる


ものハ岩 の如 く集  合 し天

ものはいわのごとくしゅうごうして


一 二丈  尓及 ぶ藝 刕  尓畜養(チクヤウ)す

いちにじょうにおよぶげいしゅうに   ちくよう す


るものハ小  奈りと雖  もその味  ひ

すものはしょうなりといえどもそのあじわい


美(ビ)奈り干潮(ヒシホ)のとき砂上  尓竹 木

  び なり   ひしお のときさじょうにたけぎ


尓て垣(カキ)をつらね潮 のき多る毎(ごと)

にて  かき をつらねしおのきたる  ごと


にちひさ起蛎 のつ起たるを

にちいさきかきのつきたるを


とり別(ヘツ)尓いけすのうちの砂

とり  べつ にいけすのうちのすな


中 尓畜養(チクヤウ)し三 年 目尓し

なかに   ちくよう しさんねんめにし


て取 出し食用(シヨクヨウ)尓そ奈ふ

てとりだし   しょくよう にそなう

(大意)

(補足)

「藝刕」、ここでは「州」の異体字は下の部分が「冫」+「冫」の裏返し、ですが「刕」というのもあって、かたちの近いものを採用。

 手前の竹木についた「ちひさ起蛎」を左奥の「いけすのうちの砂中尓畜養し」て3年目に食用になるとあります。その竹林の左下隅に蛸、右下隅では魚をタモですくっています。

 籠に入れた蛎が見えるように仕上げていて、それらを舟にあけている描写では籠網をとおして、海の青色が丁寧に描かれています。漁師たちが生き生き動いているよう。また紫色の半纏はよく見ると濃淡で柄が入っていて、なんとも細かい。

 

2026年8月7日金曜日

大日本物産圖會その47

P47 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P47_1

(読み)

安藝 國 厳  嶋 楊 枝ヲ鬻  圖

あきのくにいつくしまようじをひさぐず


藝 州  厳島(イツクシマ)明  神 ハ日本 三 景 のうち

げいしゅう   いつくしま みょうじんはにほんさんけいのうち


尓して堂 社 の創建(サウコン)景色 目を

にしてどうしゃの   そうけん けしきめを


驚  す就中   大 經  堂 ハ関 白 秀 吉 公

きょうすなかんずくだいきょうどうはかんぱくひでよしこう


の創 建 尓して桁(ケタ)廿  間 梁(ウツハリ)十 間 五尺

のそうけんにして  けた にじっけん  うつはり じっけんごしゃく


余  椽(エン)幅 八 尺  四方 らん可んを付 多り

あまり  えん はばはっしゃくしほうらんかんをつけたり


俗 尓千 畳  敷 といふ前 面 海 を望

ぞくにせんじょうじきというぜんめんうみをのぞ


ミ尤  も絶 景 多り堂 中  尓商  ふ

みもっともぜっけいたりどうちゅうにあきなう


楊 枝ハ柳  尓てつくり五色  の色

ようじはやなぎにてつくりごしょくのいろ


をそめて者奈ハ多゛美尓して

をそめてはなはだ びにして


島 中  の名 産 と須又 数 千 の

しまじゅうのめいさんとすまたすうせんの


猿鹿(サルシカ)群遊(クンユウ)してよく人 尓奈れ

   さるしか    ぐんゆう してよくひとになれ


人 尓乞ふて餅 を食  す

ひとにこうてもちをしょくす

(大意)

(補足)

「安芸」、『あき 【安芸】① 旧国名の一。広島県西半分に当たる。芸州』

「鬻」、『ひさ・ぐ【鬻ぐ・販ぐ】(動ガ五[四])〔近世初期までは「ひさく」と清音〕

売る。あきなう。「春を―・ぐ」「人情といふ品物をば其本店(だな)にて―・ぎながら」〈小説神髄•逍遥〉「棺を―・くもの,作りてうち置くほどなし」〈徒然草•137〉』。漢字は「粥」+「鬲」。

「梁」、『うつばり【梁】棟(むね)の重みを支えるために,棟と直角に柱と柱の間に渡した横木。うちばり。はり。うつはり』。

 お土産屋さん「名物色よう枝」の台は清水の舞台のような縁(えん)にあります(「堂中」とあるので千畳敷と言われる内部)が、旅人の足元は裸足でして、当時はこのような縁側ところ(堂中なので)は土足禁止だったのかもしれません。うしろの太い柱には落書きも。

 鹿の頭部が馬のよう 

2026年8月6日木曜日

大日本物産圖會その46

P46 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P46_1

(読み)

備 後 國 畳  表  ヲ製 圖

びんごのくにたたみおもてをせいず


藺(ヰ)は六 月 芟(カリ)とりて後 その根

  い はろくがつ  かり とりてのちそのね


より生  じ多る新 芽(メ)を秋 尓

よりしょうじたるしん  め をあきに


至(イタ)りて他(ホカ)の田尓うつし度 々 肥(コヤシ)を

  いた りて  ほか のたにうつしたびたび  こやし を


入 て翌(ヨク)六 月 土用 過 尓芟 とる也

いりて  よく ろくがつどようすぎにかりとるなり


さて土中  尓穴 を本りて右 の藺

さてどちゅうにあなをほりてみぎのい


尓白 土 を水 尓和しその内 尓て

にしろつちをみずにわしそのうちにて


度 々 すりこミ日尓さらし長

たびたびすりこみひにさらしちょう


短 をえらびふめ糸 を経 糸

たんをえらびふめいとをたていと


として機(ハタ)尓可けており上ケ

として  はた にかけておりあげ


立 毛を去り天壱 枚 づゝ

たちげをさりていちまいずつ


白 つちをふりてよくすり

しろつちをふりてよくすり


込ミ荷つく里をして諸

こみにづくりをしてしょ


国 尓い多゛す也

こくにいだ すなり

(大意)

(補足)

「備前(びぜん)」、岡山県南東部。「備中(びっちゅう)」、岡山県西部。「備後(びんご)」、広島県東部。

「ふめ糸」、『畳表(たたみおもて)の「経糸(たていと)」とは、い草を固定して織り上げるための縦方向の糸のことです。「ふめ糸(踏め糸)」は、古くからの文献や地方の製織用語において、畳表を織る際に使われる経糸(またはその一種、あるいは足踏み機で操作する関連の糸)を指す表現として使われてきました』。『緯糸(よこいと):表面に並ぶい草。経糸(たていと):い草をしっかり留めるための縦糸。素材の違い:綿糸(めんし)、麻糸(あさし)、マニラ麻(麻の一種)などが使われ、麻糸のほうが太くて丈夫なため、たくさんのい草を深く織り込めます』。

 左の二人の御婦人が機織りしてます。経糸に緯糸である藺草を差し込んで一枚にしていきます。なぜか右側では台の上で畳表に縁を取り付けていてこれが子どものころ見ていた職人さんの仕事風景、左肘で縫い込んだところをグイっグイっとこすりつけます。右手にはぶっとい畳針がみえます。プハ〜ッてやるやかんがないなぁ。

 画の発色がいいですね、鮮やかです。俵に入れて締め込んでいる職人さんの半纏に何か屋号のようなものがありますが、さてう〜ん🤔・・・。

 

2026年8月5日水曜日

大日本物産圖會その45

P45 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P45_1

(読み)

備 後 國 藺を植 ル圖

びんごのくにいをうえるず


畳  表  ハ備前 備 中  丹 波近

たたみおもてはびぜんびっちゅうたんばおう


江尾張 加賀等 より出すと

みおわりかがなどよりだすと


いへども備 後を最(サイ)上  とす表  を

いえどもびんごを  さい じょうとすおもてを


織艸(おりくさ)耳燈艸(トウシンサフ)石龍芻(コヒゲ)乃両

   おりくさ に   とうしんそう     こひげ のりょう


種 あり共 尓藺(ヰ)と名づく燈

しゅありともに  い となづくとう


艸 ハ葉大 きし故 尓表  尓織

そうははおおきしゆえにおもてにおり


て粗(アラク)して弱(ヨワ)しあるひハ蒸

て  あらく して  よわ しあるいはむし


て燈 心 と奈す石龍芻盤

てとうしんとなすこひげは


葉細 くして表  尓織 て強 し

はほそくしておもてにおりてつよし


上  品 と須丈 短  きものを中 続

じょうひんとすたけみじかきものをなかつづき


として其 長 きを引 通 しと

としてそのながきをひきとおしと


す別 ニ七 島 藺奈るものあり又

すべつにしちとういなるものありまた


琉  球  藺とも云 則   琉  球  表  也

りゅうきゅういともいうすなわちりゅうきゅうおもてなり

(大意)

(補足)

「備後国」、広島県東部。

「畳」、詞書きの出だし1文字目から読めません。くずし字辞典で調べるとたしかに「畳(たたみ)」。古文書読解初心者ですが、この漢字ははじめてのような気がします。

「燈艸(トウシンサフ)」、『とうしんぐさ【灯心草】藺(い)の異名。季夏』。『燈草(とうそん / とうくさ)標準和名「イ(藺)」の別名およびその茎の総称。茎の内部にある白い髄を取り出して、行灯や和蝋燭の灯芯(燈心)として用いたことに由来する。茎が太いものは畳表や「むしろ」に織られたが、粗くて弱いとされた』。

「石龍芻(コヒゲ)」、『石龍芻(せきりょうすう)中国の古典『本草綱目』に記載される水草の名で、日本古来の和名抄では「うしのひたい」や「こひげ」などに当てられた。日本の近世の本草学(小野蘭山の『本草綱目啓蒙』など)や諸国物産図録においては、細くて強靭な上質の畳表の原料となるイグサの栽培品種(小髭:コヒゲ)を指す言葉として扱われてきた。茎が細く締まっていて、燈草(太いもの・粗いもの)に比べて畳表を織るのに適した「上品」なものと区別された。』

「盤」、変体仮名「盤」(は)。たまにでてきます。ほとんどは変体仮名「者」(は)。

「七島藺(しちとうい)」、『七島藺は、いぐさと同じく畳表の材料となる植物ですが、いぐさはイグサ科、七島藺はカヤツリグサ科の異なる植物です。人気の琉球畳は、元はこの七島藺の畳表を使用した畳のことを指していました。また、昔は柔道畳としても全国各地で使われており、1964年に行われた東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の柔道会場でも使用されました』。農林水産省HPより無断借用しました💦。

 畳表については畳屋さんがやってきて道端に台を作ってそこで張替えをする、というところからしか見たことがありません。(職人さんがやかんをくの字に曲げた肘の上にのせて、その注ぎ口からじかに口に水をいれて、畳表にプハ〜って勢いよく吹き付けるのを見るのが大好きで、よく真似をして母にしかられました。あれかっこよかったなぁ)それ以前の畳表の藺草(いくさ)がどのように植え付けられ生産されているのかはまったく知りませんでした。

 かっては日本はちょっと前まで身分階層社会で、畳はある程度の階層以上で使われていて、藺草栽培は大変に重要な一次産業であったはずです。現在でも栽培されているようですが、日本産畳表は高級品になりつつあるようです。

 画を見るとやはり手がかかるんだなぁと見入ってしまいます。

 

2026年8月4日火曜日

大日本物産圖會その44

P44 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P44_1

(読み)

備前  國 白 魚 漁  之圖

びぜんのくにしらうおりょうのず


白 魚 ハ當 国 児島(コシマ)郡  福

しらうおはとうごく   こじま こおりふく


島 の湊(ミナト)藤 戸の渡 し辺  より

しまの  みなと ふじとのわたしあたりより


産 ずる小魚  にして夜中

さんするこざかなにしてよなか


数多(アマタ)の漁 舟  篝火(カゞリビ)を焼(タ)き

   あまた のりょしゅう   かがりび を  た き


罾網(ヨツテアミ)をおろして之 を漁(ト)る

   よつであみ をおろしてこれを  と る


その景況(アリサマ)陸 より遠(トホ)く望(ノゾ)

その   ありさま おかより  とお く  のぞ


む時 ハ篝  火海水(カイスイ)尓映(ヱイ)し宛(サ)

むときはかがりび   かいすい に  えい し  さ


奈可゛ら筑紫(ツクシ)の不知火(シラヌヒ)の如 く

なが ら   つくし の    しらぬい のごとく


なりといふ網(アミ)尓かゝ里多る魚 ハ

なりという  あみ にかかりたるうおは


クマを以 てとり干(ホシ)て他國 へ出須

くまをもってとり  ほし てたこくへだす

(大意)

(補足)

「罾網」、『罾網(そうえん)とは、魚を捕まえるための四角形や四つ手の網(四つ手網・敷網の一種)のことです。四隅を支えて水中に沈め、エサで魚をおびき寄せて引き上げて使います』。

 初代広重「江戸名所百景」で使われた、題材を極端に前面に大きく描く図法です。十八番ですね。

 四つ手網の青い竹竿(節ごとに濃淡をほどこしている)の張り具合が素晴らしい、上部の枠をはみ出さん勢い。篝火がどんなふうになっているかがわかりにくいですが、網の向こうに見える漁舟を見ると舳先に据え付けているのがわかります。網の中に入っている白魚、小魚、海老、蟹などの重みでその部分が沈んでいるようにも見えます。右手でタモですくっていますが、詞書きではクマとなっています。

 満月がのぼって網にかけているところがにくい演出、そして月明かりが海面に映えています。漁師の獲物を見る目が鋭い!網目がややモアレに見える(ような気がする)のは摺師の技か?水平線は赤色で区切りをつけていたが、ここではめずらしく紫色の濃淡です。

 

2026年8月3日月曜日

大日本物産圖會その43

P43 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P43_1

(読み)

備前 岡 山 石 筆 製  圖

びぜんおかやませきひつせいのず


當 國 和気郡(ワケコホリ)伊部(インベ)近傍(キンバウ)

とうごく    わけごおり    いんべ    きんぼう


の山 中  より産(サン)春る土石 ハ

のさんちゅうより  さん するどせきは


その質(シツ)堅剛(カタク)尓して白 色

その  しつ    かたく にしてはくしょく


奈りこれを挽(ヒキ)王り石筆(セキヒツ)

なりこれを  ひき わり   せきひつ


に製(セイ)春る尓殆(ホトン)と舶来(ハクライ)の

に  せい するに  ほとん ど   はくらい の


品 と比(ヒト)しきを以(モツ)て専(モツハ)ら

しなと  ひと しきを  もっ て  もっぱ ら


これを用 由依(ヨツ)て多 く之(コレ)

これをもちゆ  よっ ておおく  これ


を製造(セイサウ)して諸 國 へ輸(ユ)

を   せいぞう してしょこくへ  ゆ


出(シユツ)なすといふ

  しゅつ なすという

(大意)

(補足)

「備前岡山和気郡伊部」、現在は備前市を代表する備前焼の里です。日本六古窯の一つ、JR伊部駅があります。

 看板に「石盤石筆學校用」とあって、今で言う文房具屋さんみたいなお店かもしれませんが、このお店は石筆専門店かな。明治政府は小学校を全国津々浦々に設立しました。ほどほどの大きな街にはそれに付随して個人経営の文房具屋が必ずといってよいほどあって、それは現在まで引き継がれています。なのでこのお店の近くにも学校があったのようで、店先の通りに小学生が石盤を手にしています。

 店の中では右手に庖丁らしきものを持って何かを削っている店員がいます。石筆でしょう。その手前では店先に腰掛けて店員と商談中、手に何本もの石筆を持って掛け合っています。洋傘に洋帽、着物に羽織、それに下駄、なんともハイカラです。近くの学校の教師でしょうね。店中にある箱の側板には「石筆」とあります。

 わたしが小学校に上がる前後までは、文房具屋や雑貨店や駄菓子屋で蝋石(ろうせき)を売っていました。直方体の細長い墨のような形です。道路などにいろいろなものを書いて怒られたりもしましたが、文字をおぼえる練習もしたものです。

 

2026年8月2日日曜日

大日本物産圖會その42

P42 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P42_1

(読み)

千島  國 海 獺採 之図

ちしまのくにらっことりのず


海獺(ラツコ)ハ其 毛柔(ヤワラ)尓して指(ユビ)をもつて

   らっこ はそのけ  やわら にして  ゆび をもって


画(モシヲカク)する尓少時(ザンジ)其 形 ちを存(ノコ)す

  もじをかく するに   ざんじ そのかたちを  のこ す


皮(カハ)を帽(バウ)尓造(ツク)りて人 の賞(シヨウ)する

  かわ は  ぼう に  つく りてひとの  しょう する


所  也 千(チ)島得撫島(ウルツプシマ)尓多 く

ところなり  ち しま   うるっぷしま におおく


産(サン)ず土人 全体(ゼンタイ)革(カハ)を以 て造(つくリ)し

  さん すどじん   ぜんたい   かわ をもって  つくり し


鰹節形(カツヲフシカタ)奈る船 尓體(カラダ)の入るべき

    かつおぶしがた なるふねに  からだ のいるべき


程(ホト)の穴 を三 ヶ所 穿(ア)け舟 乃

  ほど のあなをさんかしょ  あ けふねの


中 へ水 の入 らぬやう穴 よりつゞ

なかへみずのはいらぬようあなよりつづ


く革 を可らだ尓結(ユヒ)付 一 人ハ

くかわをからだに  ゆい つけひとりは


櫂(カイ)をもち両  人 もり尓て海 上

  かい をもちりょうにんもりにてかいじょう


尓浮(ウカ)む海獺(ラツコ)を突(ツキ)とる奈り

に  うか む   らっこ を  つき とるなり

(大意)

 海獺の毛は柔らかく、その毛皮に指で文字をなぞるとしばらくその文字が残るほどである。皮から帽子をつくるがそれらは人々に重宝されて人気がある。海獺は千島ウルップ島に多く生息する。土地の人々は鰹節形の舟を皮で覆うようにして造り、三人の躰が入るようそれぞれ三つの穴をあけ、舟の中へ水が入らぬようにしてあり、穴よりつづく皮を躰に巻き付けている。一人は櫂をもち、二人はもりを持って、海上に浮かぶ海獺を突きとるのである。

(補足)

「獺」、これ「獺」一文字で、カワウソです。なので海獺はうみかわうそ🦦。

 30年近く前のことになりますが、アラスカを旅したことがあります。丸一日を氷河ツアーに参加しました。船旅をする途中、白頭鷲や海獺を観察しました。ラッコはのんびりプカプカ毛づくろいをしながら、ときたまクルッとからだを回転させまた腹を見せてプカプカしてました。これじゃ簡単に捕まってしまうなとおもったものです。

 水族館もいくつか訪れましたが、たいていラッコがいて、運良く学芸員の方がいろいろ説明してくれました。かれらは「my stone」をそれぞれ持っていて、それを使って貝を腹の上に乗せて叩き割ります。おなじみの光景です。自分の石は脇の下に挟んで落とさないようにしているのだそうです。

 波間に浮かぶラッコの色が薄茶色ですが実物は黒です。絵師・彫師・摺師は見たことがなかったのかも。