2026年9月15日火曜日

大日本物産圖會その86

P86 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P86_1

(読み)

磐 城 國 養 蠶 之圖四

いわきのくにようさんのずよん


蚕掃立(カヒコハキタテ)与り七 八 日 目頃 𥸮(クハ)

    かいこはきたて よりしちはちにちめころ  くわ


を喰止(クヒヤ)ミ色 少 し白 くかしら

を   くいや みいろすこししろくかしら


太(フト)く奈る之 を獅子の居休(イヤスミ)と

  ふと くなるこれをししの   いやすみ と


いふ此 時 早 く居可らを取 可へ

いうこのときはやくいがらをとりかえ


て与し明  朝  八 時尓可へんと思 ハゝ

てよしみょうちょうはちじにかえんとおもわば


前 夜𥸮 を喰 せて居可らを

ぜんやくわをくわせていがらを


取 替  べし此 時 縁(ヘリ)通 り尓居多る

とりかえるべしこのとき  へり とおりにいたる


蚕  を中 尓置(オキ)中 尓在りしを縁(ヘリ)へ

かいこをなかに  おき なかにありしを  へり へ


入 可へ棚(タナ)も上  下へ入 可へ連盤゛

いれかえ  たな もじょうげへいれかえれば


蚕  一 調(テ ウ)尓与く揃(ソロ)ふと云

かいこいっ  ちょう によく  そろ うという

(大意)

(補足)

「磐城國」、『旧国名の一。1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分割して成立。福島県東部と宮城県南部に相当する』。

「蚕掃立(カヒコハキタテ)」、『はきたて【掃き立て】② 養蚕で,孵化(ふか)したばかりの毛蚕(けご)を,羽箒(はぼうき)(脚立の左脇にある)などを使って集め,新しい蚕座(さんざ)に移し広げること。季春』。

「明朝八時」、ちょっと前なら「明けの辰刻」だったでしょうけど、明治で時刻も洋式になりました。

 蚕棚の構造がこれ以上簡単なものがないほどです。藁の丸いお盆のようなものが蚕座(さんざ)、子どものころ手伝ったものは四角いものでした。

 庭の作業はこのあと「陸中国養蚕之図六」にでてきますが、これも蚕を育てる道具です。

藁の垣根から裏門へは遠近法が使われていてます。

 忙しくしている皆さんの藍色の着物がきれいです。

 

2026年9月14日月曜日

大日本物産圖會その85

 

P85 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P85_1

(読み)

下 野 足 利 辺 高 機 之圖

しもつけあしかがへんたかはたのず


當 国 足利(アシカゝ)又 ハ上  州  桐生(キリ フ)

とうごく   あしかが またはじょうしゅう   きりゅう


辺  尓て高 機(ハタ)を以 て繻子(シユス)

あたりにてたか  はた をもって   しゅす


純子(ドンス)ホ の帯(ヲビ)地を織(オリ)出須

   どんす などの  おび ぢを  おり だす


図の如 く一 人高 きところ尓

ずのごとくひとりたかきところに


ありて綾(アヤ)をとり種々(イロ\/)の模(モ)

ありて  あや をとり   いろいろ の  も


様(ヤウ)を織(オリ)い多゛須その業(ワザ)精(セイ)

  よう を  おり いだ すその  わざ   せい


妙(メ ウ)奈りまた當 処 より織 出す

  みょう なりまたとうしょよりおりだす


絹(キヌ)ハ地多ひら尓して美麗(ビレイ)也

  きぬ はじたいらにして   びれい なり


之(コレ)足 利 絹 と云(イヒ)て名産(メイサン)と須

  これ あしかがきぬと  いい て   めいさん とす

(大意)

(補足)

「繻子」、『しゅす【繻子】繻子織りにした織物。絹を用いた本繻子のほか,綿繻子・毛繻子などの種類がある。天正年間(1573〜1592)に京都で中国の製法にならって初めて織られた。サテン』

「繻子織り」、『しゅすおり【繻子織り】織物の基本組織の一。たて糸とよこ糸の交わる点を少なくし,布面にたて糸あるいはよこ糸のみが現れるようにした織物。布面に,たてまたはよこのうきが密に並び,光沢があって肌ざわりがよい』

「緞子」、『どんす【緞子】〔「どん」「す」ともに唐音〕繻子(しゆす)織りの一。経(たて)繻子の地にその裏組織の緯(よこ)繻子で文様を表した光沢のある絹織物。室町中期,中国から渡来』

「綾」、『あや【文・綾】① 物の表面に表れたいろいろの形・色合い。模様。特に,斜交する線によって表された模様をいう。「―を描く」⑥ 斜文組織で文様を織り出した絹の紋織物。光沢があり,模様が浮き出て美しい。綾織物』

「足利絹」、『足利織物(あしかがおりもの)栃木県足利市およびその付近で生産される織物の総称。この地方では古くから農家の副業として足利絹、足利木綿が織られていたが、宝永(ほうえい)年間(1704~1711)に西陣から高機(たかばた)が導入され、紗綾(さや)絹が織れるようになり、桐生(きりゅう)と対抗しながら風通(ふうつう)、緞子(どんす)、紋織り朱子(しゅす)など多品種にわたる生産がみられた。1888年(明治21)にジャカード機が輸入され、輸出絹布などが織られたが、代表的製品は桐生の帯地に対し、足利は銘仙(めいせん)であった。銘仙は、絹の先染(さきぞめ)織物の一つで、縞(しま)、格子、絣(かすり)などの文様銘仙、本銘仙があった』。

 日本山海名物図会巻三に「京西陣織屋」の画があります。

 画の角度が異なっているので、参考にしたかもしれませんけど、絵師独自のもののよう。

高機の織面が斜めになっているのは、日本山海名物図会のものを見ると、器械自体が傾いているようです。

 織り糸の細かさを一本一本目でおってしまいます。拡大してみても切れることなくちゃんとつながっていました。お見事。

 高機のてっぺんで仕事中の小僧を母娘が指さして何か話しかけています。こういったちょっとした間をいれるのがうまいですね。奥の部屋では「蚕卵紙(さんらんし)」の商談中。


2026年9月13日日曜日

大日本物産圖會その84

P84 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P84_1

(読み)

下   野國 養蠶(ヤウサン)圖三

しもつけのくに   ようさん ずさん


蚕(カヒコ)の養(ヤシナ)ひ方 其 國 の寒暖(カンタン)尓

  かいこ の  やしな いかたそのくにの   かんだん に


よりて大同小異(タイトウセ ウイ)ありと雖 ども

よりて     だいどうしょうい ありといえども


先 一 枚 の種子(タネ)半 分 も生  ぜし

まずいちまいの   たね はんぶんもしょうぜし


時 折敷(ヲシキ)へ入連𥸮(クハ)の葉(ハ)を細(コマ)

とき   おしき へいれ  くわ の  は を  こま


可尓きざミてあ多ふ之(コレ)を黒(クロ)

かにきざみてあたう  これ を  くろ


子(コ)といふ其 黒蚕(クロコ)𥸮 の葉尓取

  こ というその   くろこ くわのはにとり


あ可゛るを細(ホソ)き箸(ハシ)尓て挟(ハサ)ミ別(ヘツ)の

あが るを  ほそ き  はし にて  はさ み  べつ の


噐(ウツハ)尓配(クバ)り入ること凡  種 一 枚 の

  うつわ に  くば りいることおよそたねいちまいの


蚕  を三 尺  四方 位  尓薄(ウス)くちらし

かいこをさんじゃくしほうくらいに  うす くちらし


二 日目よりハ羽 王けとて前 の如 く

ふつかめよりははねわけとてまえのごとく


日尓三 度ツゝ蚕下(コシカ)切 て養  ふ奈り

ひにさんどずつ   こしか きりてやしなうなり

(大意)

(補足)

「下野國」、〔「しもつけの(下毛野)」の略〕① 旧国名の一。栃木県全域にあたる。野州(やしゆう)。

「一枚の種子(タネ)半分も生ぜし」、蚕卵紙で孵化するので一枚と云っている?

「𥸮」、桑ですけど、さがしたらフォントがありました。

「蚕下」、『こした【蚕下】カイコの糞(ふん)。蚕糞(さんふん)』。

 詞書きの内容がそのまま画となっています。①とってきた桑の葉を②大きな桶のなかで庖丁で細かく切り③それを四角い箱、折敷の中のまだ小さい蚕に与えます④部屋では蚕棚で蚕を育て⑤食べ残した桑の葉や蚕の糞を箸で取り除きつつ別の噐に移しています。

 働いているのは全員女性で、よく見ると眉を剃っている(既婚)御婦人と、まだ未婚で緑色っぽい蝶々の簪を挿して桃割れの娘さんがいます。

 ちょうど詞書きの巻物にかくれてしまってますが、大きな桑の木があって、登ってとるためでしょう、はしごがかけられています。

 全員がたすき掛け姿で、昔の人はこれを男女関係なくササッと手早くしたものです。子どものときにこれが手早くできれば大人の仲間入りになるとおもって何度も練習したものです。それを見ていたばあちゃんが大笑いしていたの思い出しました。

 

2026年9月12日土曜日

大日本物産圖會その83

P83 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P83_1

(読み)

飛州  猪   捕 之圖

ひしゅういのししとりのず


野猪(ヤチヨ)ハ當 国 諸 郡 より

   やちょ はとうごくしょぐんより


出ると雖(イヘト)も大 野郡 加賀(カゝ)

でると  いえど もおおのぐん   かが


の國 との境(サカヒ)奈る白 山 の近 辺

のくにとの  さかい なるはくさんのきんぺん


最(モツト)も多 し大 勢 の人 夫鉦(カネ)

  もっと もおおしおおぜいのにんぷ  かね


太鼓(タイコ)竹 本らホ 尓て山 々

   たいこ たけぼらなどにてやまやま


より猪(しゝ)鹿(シカ)熊(クマ)奈とを狩(カリ)

より  しし   しか   くま などを  かり


出す猟師(リヤウシ)丘(オカ)尓ありて

だす   りょうし   おか にありて


獣(ジ ウ)るゐの逃(ニゲ)由くところを

  じゅう るいの  にげ ゆくところを


鉄砲(テツハウ)尓て打(ウチ)とめる那り

   てっぽう にて  うち とめるなり

(大意)

(補足)

「野猪」、『やちょ【野猪】いのしし』。野鳥は普段使われる単語。でも「野猪」というのがあるとは知りませんでした。

「竹本ら」、『たけ‐ぼら【竹法螺】. 〘 名詞 〙 竹を切って管(くだ)として吹き鳴らすもの。筒貝(つつがい)』

 右側の猟師は猪をねらい、左の二人は鹿を撃たんとしています。猪が全身の毛並みを逆立てて逃げる様のなんと細かい描写。目が必死そのもの、ひらいた口から真っ赤な舌と白い牙が目立ちます。うしろの二頭の鹿は、猪にくらべるとどこかのんびりで表情も笑っているようになごやか。

 山々の様子がどこも濃淡をつけてまるで狩りなど行われていないような雰囲気できれいです。ちょろちょろ流れる小川があって、これは山を描くときの絵師のお約束。

 

2026年9月11日金曜日

大日本物産圖會その82

P82 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P82_1

(読み)

飛騨 國 養 蠶 之圖二

ひだのくにようさんのずに


何(イヅ)連の年 尓ても八 十  八 夜前 後

  いず れのとしにてもはちじゅうはちやぜんご


尓ハ蚕(カヒコ)生 連出る奈り蚕  少 し出

には  かいこ うまれでるなりかいこすこしで


加ゝらハ正  午十  二時頃 暖(アタゝ)可なる

かからばしょうごじゅうにじごろ  あたた かなる


時 を見合 せ種 を取 出し白 紙

ときをみあわせたねをとりだしはくし


五六 枚 本ど尓て包(ツゝ)ミその上 を

ごろくまいほどにて  つつ みそのうえを


抜出綿(ヌキデワタ)やう奈る物 尓さつとつゝミ

    ぬきでわた ようなるものにさっとつつみ


或  ハ骨柳(コリ)王ら多゛やうの物 尓入

あるいは   こり わらだ ようのものにいれ


暖  可奈る処  へ上ゲおき日尓二三 度

あたたかなるところへあげおきひににさんど


づゝ種 を取 ひろけまた元 の如 く

ずつたねをとりひろげまたもとのごとく


奈すなりすべて蚕  を手掛 る

なすなりすべてかいこをてがける


尓ハ手を洗(アラ)ひ清浄(セイジヤウ)を旨(ムネ)と須

にはてを  あら い   せいじょう を  むね とす

(大意)

(補足)

「飛騨國」、岐阜県北部に当たる。飛州。

「抜出綿」、『古くなった衣服や布団などから抜き取った古い綿(わた)のこと。単に「抜綿(ぬきわた)『ぬきわた【抜き綿】古着・古布団などから抜き取った綿。ぬきでわた。』」や「抜出(ぬきで)」とも呼ばれる』。

「骨柳」、『(こつごおり/こつやなぎ)は、コリヤナギなどの枝を使って編んだ「柳行李(やなぎごうり)」の古い呼び名』。

 天井から吊るしているのは「常陸國養蠶之圖一その80」でもでてきた「蚕卵紙(さんらんし)」。庭にある脚立で吊り下げたのでしょうね。木にのぼっている人は桑の葉をとっているよう。桑の木は葉をとりやすく管理しやすいように背丈ぐらいの高さにしますが、当時は普通の樹木のようにしていたのでしょうか。

 右側では蚕卵紙の裏を箸でたたいています。卵から孵化した蚕を落としているようです。床柱に枝がついていておしゃれです。お茶を運ぶ娘さんの裾にじゃれつく🐱がいて、暖かい縁側です。右奥の家屋内でも同じ作業をしていて、村中でお蚕さんをやっている様子です。

 わたしは子どものころよく母の実家に預けられていました。埼玉県北部にある実家ではお蚕さんもやる農家で、その地域の農家の裏の畑は桑畑がずっと広がっていました。桑の葉を背中の籠に入れてとってくるのは子どもたちの仕事でよく手伝ったものです。その葉をすごい勢いで体半分を振り回すようにしてむしゃむしゃと食べていくさまは見ていて飽きませんでした。蚕棚があって、その部屋から蚕たちが食べる音がするくらいなのです。そしてその部屋はほんのりと暖かった。すぐに桑の葉はなくなってしまうので、新鮮な葉をとってきて、おやつに手作りのまんじゅうをほおばったものでした。

 

大日本物産圖會その81

P81 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P81_1

(読み)

常  州  鯉 ヲ抱 取ル圖

じょうしゅうこいをだきとるず


鯉(コイ)ハ上  州  武州  利根(トネ)川 尓多 く

  こい はじょうしゅうぶしゅう   とね がわにおおく


就中(ナカンツク)當 國 の川 々 尓て漁(リヤウ)す

   なかんずく とうごくのかわかわにて  りょう す


るものを佳味(カミ)と須網(アミ)を川

るものを   かみ とす  あみ をかわ


中 尓張(ハリ)まハし漁者(ギヨシヤ)水 中

なかに  はり まわし   ぎょしゃ すいちゅう


に飛(トビ)入 鯉 を抱(イダ)き阿げる尓

に  とび いりこいを  いだ きあげるに


水 ぎハまで浮 あ可゛り籮篭(ビク)

みずぎわまでうきあが り   びく


へ収(オサ)め或  ハ舟 中  へ抛(ナケ)あ个゛る

へ  おさ めあるいはせんちゅうへ  なげ あげ る


水 中  鯉 を加ゝへ奈可゛ら㔫 り

すいちゅうこいをかかえなが らひだり


の手尓て鯉 の目をおさへふさ

のてにてこいのめをおさえふさ


ぎ抛 あ个゛る也 水 者奈連の際(キハ)

ぎなげあげ るなりみずばなれの  きわ


大  尓手練(シユレン)安りといふ

おおいに   しゅれん ありという

(大意)

(補足)

「㔫」、「左」のエがヒになった漢字、フォントがないかと探したらありました。

 水中のザンバラ髪になってうしろになびく髪の毛一本一本が水の勢いも流れもあらわし、また髪の毛を透かして月代や肩甲骨をみせて、絵師・彫師・摺師のなせる業。水の濃淡も勢いや深さを変化させていて、かれらの画への強い意志を感じます。力を存分にふるった一枚であります。

<<20260911記>>

 昨日急に画像がアップロードできなくなり、昨日分を本日アップロードします。

 

2026年9月9日水曜日

大日本物産圖會その80

P80 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P80_1

(読み)

常陸  國 養 蠶 之圖一

ひたちのくにようさんのずいち


蚕(カヒコ)ハ本邦(ホンハウ)諸 國 尓製(セイ)春と雖(イヘト)

  かいこ は   ほんぽう しょこくに  せい すと  いえど


も當 國 最   多 しと須種子(タネ)随(ズイ)

もとうごくもっともおおしとす   たね   ずい


分(ブン)揃(ソロヒ)よく面(オモテ)一 様 尓して生 気強(ツヨ)

  ぶん   そろい よく  おもて いちようにしてせいき  つよ


く卵(タマゴ)の中 少 し凹(クボ)ミ種 の地合

く  たまご のなかすこし  くぼ みたねのじあい


よく志満り蛾の者多らき種

よくしまりがのはたらきしゅ


子のちらしよくあし起臭(ニホ)ひ

しのちらしよくあしき  にお い


なく取 あつ可ひ尓落(オチ)ざるを

なくとりあつかいに  おち ざるを


最(サイ)上  と須第 一 其 年 上  〃  の桑(クハ)

  さい じょうとすだいいちそのとしじょうじょうの  くわ


を喰 せ上  作 の蚕  尓てとりし種

をくわせじょうさくのかいこにてとりしたね


を極 上  と須随 分 種 元 を吟

をごくじょうとすずいぶんたねもとをぎん


味して上  種 を求(モト)むべし

みしてじょうしゅを  もと むべし


(大意)

(補足)

「常陸」、ほぼ茨城県北東部に当たる。常州(じようしゆう)。

「蠶」、『もともと「蚕」の字はミミズを意味する別の漢字でしたが、古くから「蠶(かいこ)」の略字として使われていたため、現在の新字体に採用された』とあって、この「蠶」は初めてみました。「旡」+「旡」+「日」+「虫」+「虫」。「旡」は「すでのつくり」or「むにょう」というのだそうです。

「蚕」、『チョウ目カイコガ科の蛾。開張約4センチメートル。全身灰白色,はねに褐色の帯の入る品種もある。胴の太い割にははねが小さく,飛べない。幼虫は体長7センチメートルほどの白いイモムシで,桑の葉を食べる。繭から絹糸をとるため数千年前から中国で飼育され,のちに世界中に広まり多くの改良品種ができた。日本では春蚕(はるご)をはじめ夏蚕(なつご)・秋蚕(あきご)などと称して農家での養蚕が盛んであった。カイコガ。家蚕(かさん)。季春』。成虫になっても品種改良が何千年も続けられて飛べないんですね。

 画の上部、竿にぶら下げているのが「蚕卵紙(さんらんし)『カイコの蛾(が)に卵を産みつけさせる厚紙。たねがみ。蚕紙。季春』」。紙に糸をとおしてそれを竿にかけているようです。