2026年9月18日金曜日

大日本物産圖會その89

P89 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P89_1

(読み)

同 國 松 島 景 並   埋  木細 工之図

どうこくまつしまけいならびにうもれぎざいくのず


松 島 ハ日本 三 景(ケイ)の一  塩竃(シオカマ)より

まつしまはにほんさん  けい のひとつ   しおがま より


舟 路二里余  左  ハ磯(イク)つゞき右 ハ

ふなじにりあまりひだりは  いく つづきみぎは


海(カイ)口尓して島 ゝ の数(カズ)を尽(ツク)し後(シリヘ)ニ

  かい ろにしてしまじまの  かず を  つく し  しりえ に


峙(ソバタ)ち前 尓匍(ハラ)ひ或  ハ向 ひま多ハ

  そばだ ちまえに  はら いあるいはむかいまたは


うそむきて松(シヤ)樹 枝 を伸 屈

うそむきて  しゃ じゅえだをのびくっ


て其 首尾(シユヒ)を粧(ヨソホ)ふて風 色  最  も

てその   しゅび を  よそお うてふうしょくもっとも


濃 奈り又 埋  木ハ名取 郡 名取

こくなりまたうもれぎはなとりぐんなとり


川 より産(サンズ)此 ハ年 久 敷 水 中  尓沈

がわより  さんず これはとしひさしくすいちゅうにしず


ミし木尓て純黒(シユンコク)或   白斑(ハクハン)ありその

みしきにて   じゅんこく あるいは   はくはん ありその


質(シツ)ハ烏木 の如 く多 く硯筥枝(スゝリハコシ)

  しつ はうぼくのごとくおおく    すずりばこし


折 菓子皿 其 他(タ)種々(イロ\/)の細 工を奈須

おりかしざらその  た    いろいろ のさいくをなす

(大意)

(補足)

「同國」、陸前国。

「埋木細工」、『約500万年前(地質時代)の樹木が地中で炭化した「埋れ木」を削り出して作る、宮城・仙台・松島地域の伝統工芸品。仙台の青葉山から、約500万年もの歳月をかけて炭化した「埋木」が発見されたのは,1822年(江戸・文政5年)』。

「烏木」、『うぼく【烏木】黒檀(こくたん)の異名』。

 沖に見える山に金花山の札書きあり。これら島々、松の樹の枝々の様を詞書きで形容しているのですが、どうもゴツゴツして文章としては下手くそに感じます。

 黒の埋れ木が欄干に7枚、ガラス障子の腰板に1枚そして欄間の上に1枚あって、当時はこんなに大きいものがあったようです。赤い毛氈のうえにある小さなお盆や小物なども埋れ木のよう。ガラス障子のガラスの表現がうまいですね、埋れ木がガラスをとおしてみえているところは灰色っぽくなっています。

 ここに描かれている御婦人二人は、いままでとことなって日本画風になっています。お二人とも日本髪が丁寧に描かれています。立ち姿の御婦人は十頭身くらい、縦縞の着物のひだを濃淡だけで表現していて上手。

 松島は何度かいきましたが、やはりきれいでした。

 

2026年9月17日木曜日

大日本物産圖會その88

P88 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P88_1

(読み)

陸 前  國 養 蠶  図五

りくぜんのくにようさんのずご


蚕  生 連出てより四度の居起(ヰオキ)あり

かいこうまれでてよりしどの   いおき あり


最 初 獅子(シゝ)の居起 より鷹 の眠

さいしょ   しし のいおきよりたかのねむり


起舟(オキフネ)の居起 庭(ニハ)の眠  ホ 也 右 居起

   おきふね のいおき  にわ のねむりなどなりみぎいおき


の二 日目毎(ゴト)尓尻(シリ)取 可へ𥸮 拵(あつらえ)ハ

のふつかめ  ごと に  しり とりかえくわ  あつらえ は


蚕  尓見合 せ少 しづ   あらく切 て

かいこにみあわせすこしず(つ)あらくきりて


箕(ミ)尓て埃  を去り能(ヨホ)本ど尓して

  み にてほこりをさり  よほ ほどにして


むら奈く喰(クハ)すべしすべて蚕  ハ可ら

むらなく  くわ すべしすべてかいこはから


飼 尓するをよしと須厚(アツ)飼 尓すれ

がいにするをよしとす  あつ がいにすれ


バ虫 少 さくしてま由も少 さしずい

ばむしちいさくしてまゆもちいさしずい


ぶん沢 山 尓𥸮 をくハせし蚕  ハ大

ぶんたくさんにくわをくわせしかいこはおお


ぶり尓して糸 の正  味多 しと云

ぶりにしていとのしょうみおおしという

(大意)

(補足)

「陸前」、1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分轄して設置。宮城県の大部分と岩手県の一部に相当。

「四度の居起(ヰオキ)」、それぞれに獅子・鷹・舟・庭とでてきて不思議です。『養蚕秘録』(著者上垣守国。享和3(1803)年)に『天竺霖異大王の事』というのがあります。

少し長いけどこんな話。

『むかし天竺舊中國に霖異(りんゐ)大王といへるあり。后を光契(くわうけい)夫人といふ。一人の姫あり。金色姫(こんじきひめ)といふ。后薨じ給ふて後、大王新たに后妃(こううひ)を具し給ふ。此后妬(ねたみ)ふかく、姫をにくみて父大王に讒言(ざんげん)し、姫を獅子吼山(ししくざん)といふ所に捨(すて)させ給ふ。しかるに天の加護にや有(あり)けん、つゝがなくましまして獅子に乘りて中國に帰らせ給ふ。よつて、また鷹群山(ようぐんざん)といふ所へ捨(すて)給ふ。此時多くの鷹ども來り、肉を供(くう)じて姫を育みける。大王の臣下、此よし遙(はるか)に傳へ聞(きき)、密(ひそか)に姫を供奉して都に帰る。后、又姫の帰るを惡(にく)み、海眼山(かいがんざん)といふ嶋へ流し給ふ。此時、漁夫姫を助けてもとの都に送(おくり)ける。后大きに怒(いかつ)て、臣下に命じ御殿の庭を深く堀(ほり)て姫を埋(うづ)め殺させけるに、其後土中より光明赫(かゝ)やきけるをあやしみ大王堀らせ見給ふに、』。

「能(ヨホ)本ど尓して」、(ヨホ)は(ヨキ)でしょうか。良い具合にといった意味。

 働いているご婦人方、朗らかで楽しそうです。

背景の背の高い竹の垣根、こんな高さのものは見たことがありません。その左脇の葦簀(よしず)はどこでも使われていました。魚屋さんや八百屋さん、商店街では必須の日除けでした。

 奥に蚕棚がみえます。わたしが子どものころ手伝った母の実家ではこんな光景でありました。

 

2026年9月16日水曜日

大日本物産圖會その87

P87 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P87_1

(読み)

磐 城 國 野馬 捕 之圖

いわきのくにのうまとりのず


馬 ハ當 国 相馬(サウマ)三春 の諸 所

うまはとうこく   そうま みはるのしょしょ


尓牧場(マキバ)ありて産(サン)春゛春 秋 両  度

に   まきば ありて  さん ず はるあきりょうど


馬 とり阿り狩(カリ)の十 日も前 より

うまとりあり  かり のとおかもまえより


追寄(オヒヨセ)尓可ゝ里三 四 日以前 よりハ

   おいよせ にかかりさんよっかいぜんよりは


人 歩七 八 百  人 も出堤(ツゝミ)の上 尓

にんぷしちはっぴゃくにんもで  つつみ のうえに


立て声 を可ける原 中 尓牧士(ボクシ)

たてごえをかけるはらなかに   ぼくし


野馬 を追 立 漸〃(ゼン\/)挟(セマ)き野へ

のうまをおいたて   ぜんぜん   せま きのへ


追詰(ツメ)追巡(マハ)し大 勢 可ゝ里尓て

おい つめ おい まわ しおおぜいかかりにて


おひ伏(フセ)せ王ら轡(クツワ)を可け首(クビ)ゟ

おい  ふせ せわら  くつわ をかけ  くび より


尾へ太縄(フトナハ)を可けて引 出すこの

おへ   ふとなわ をかけてひきだすこの


時 近在(ザイ)与り見 物 群集(クンシ ウ)す

とききん ざい よりけんぶつ   ぐんしゅう す

(大意)

(補足)

「両度」、『りょうど りやう―【両度】二度。ふたたび。「―の合戦」』

「挟(セマ)き」、ふりがなに「セマ」きとあるので「狭い」の「犭」でしょうけど、「木」にも「扌」にもみえます。よくわかりません。

 今年2026年はそういえば午年で、それも丙午です。昔は丙午年生まれを避けたため出生数が減少したということもあったそうですが、いまでもそんな迷信が生きているのかしら。

 諸外国のカウボーイ(これは牛だけど)やガウチョ(これも牛だっけ)たちはロープなど使って捕まえてますが、ここでは素手‼️なんとも荒っぽい。

桜の堤脇ではおしゃれなカンカン帽に紫の羽織、この方は元締めでしょうね。


 

2026年9月15日火曜日

大日本物産圖會その86

P86 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P86_1

(読み)

磐 城 國 養 蠶 之圖四

いわきのくにようさんのずよん


蚕掃立(カヒコハキタテ)与り七 八 日 目頃 𥸮(クハ)

    かいこはきたて よりしちはちにちめころ  くわ


を喰止(クヒヤ)ミ色 少 し白 くかしら

を   くいや みいろすこししろくかしら


太(フト)く奈る之 を獅子の居休(イヤスミ)と

  ふと くなるこれをししの   いやすみ と


いふ此 時 早 く居可らを取 可へ

いうこのときはやくいがらをとりかえ


て与し明  朝  八 時尓可へんと思 ハゝ

てよしみょうちょうはちじにかえんとおもわば


前 夜𥸮 を喰 せて居可らを

ぜんやくわをくわせていがらを


取 替  べし此 時 縁(ヘリ)通 り尓居多る

とりかえるべしこのとき  へり とおりにいたる


蚕  を中 尓置(オキ)中 尓在りしを縁(ヘリ)へ

かいこをなかに  おき なかにありしを  へり へ


入 可へ棚(タナ)も上  下へ入 可へ連盤゛

いれかえ  たな もじょうげへいれかえれば


蚕  一 調(テ ウ)尓与く揃(ソロ)ふと云

かいこいっ  ちょう によく  そろ うという

(大意)

(補足)

「磐城國」、『旧国名の一。1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分割して成立。福島県東部と宮城県南部に相当する』。

「蚕掃立(カヒコハキタテ)」、『はきたて【掃き立て】② 養蚕で,孵化(ふか)したばかりの毛蚕(けご)を,羽箒(はぼうき)(脚立の左脇にある)などを使って集め,新しい蚕座(さんざ)に移し広げること。季春』。

「明朝八時」、ちょっと前なら「明けの辰刻」だったでしょうけど、明治で時刻も洋式になりました。

 蚕棚の構造がこれ以上簡単なものがないほどです。藁の丸いお盆のようなものが蚕座(さんざ)、子どものころ手伝ったものは四角いものでした。

 庭の作業はこのあと「陸中国養蚕之図六」にでてきますが、これも蚕を育てる道具です。

藁の垣根から裏門へは遠近法が使われていてます。

 忙しくしている皆さんの藍色の着物がきれいです。

 

2026年9月14日月曜日

大日本物産圖會その85

 

P85 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P85_1

(読み)

下 野 足 利 辺 高 機 之圖

しもつけあしかがへんたかはたのず


當 国 足利(アシカゝ)又 ハ上  州  桐生(キリ フ)

とうごく   あしかが またはじょうしゅう   きりゅう


辺  尓て高 機(ハタ)を以 て繻子(シユス)

あたりにてたか  はた をもって   しゅす


純子(ドンス)ホ の帯(ヲビ)地を織(オリ)出須

   どんす などの  おび ぢを  おり だす


図の如 く一 人高 きところ尓

ずのごとくひとりたかきところに


ありて綾(アヤ)をとり種々(イロ\/)の模(モ)

ありて  あや をとり   いろいろ の  も


様(ヤウ)を織(オリ)い多゛須その業(ワザ)精(セイ)

  よう を  おり いだ すその  わざ   せい


妙(メ ウ)奈りまた當 処 より織 出す

  みょう なりまたとうしょよりおりだす


絹(キヌ)ハ地多ひら尓して美麗(ビレイ)也

  きぬ はじたいらにして   びれい なり


之(コレ)足 利 絹 と云(イヒ)て名産(メイサン)と須

  これ あしかがきぬと  いい て   めいさん とす

(大意)

(補足)

「繻子」、『しゅす【繻子】繻子織りにした織物。絹を用いた本繻子のほか,綿繻子・毛繻子などの種類がある。天正年間(1573〜1592)に京都で中国の製法にならって初めて織られた。サテン』

「繻子織り」、『しゅすおり【繻子織り】織物の基本組織の一。たて糸とよこ糸の交わる点を少なくし,布面にたて糸あるいはよこ糸のみが現れるようにした織物。布面に,たてまたはよこのうきが密に並び,光沢があって肌ざわりがよい』

「緞子」、『どんす【緞子】〔「どん」「す」ともに唐音〕繻子(しゆす)織りの一。経(たて)繻子の地にその裏組織の緯(よこ)繻子で文様を表した光沢のある絹織物。室町中期,中国から渡来』

「綾」、『あや【文・綾】① 物の表面に表れたいろいろの形・色合い。模様。特に,斜交する線によって表された模様をいう。「―を描く」⑥ 斜文組織で文様を織り出した絹の紋織物。光沢があり,模様が浮き出て美しい。綾織物』

「足利絹」、『足利織物(あしかがおりもの)栃木県足利市およびその付近で生産される織物の総称。この地方では古くから農家の副業として足利絹、足利木綿が織られていたが、宝永(ほうえい)年間(1704~1711)に西陣から高機(たかばた)が導入され、紗綾(さや)絹が織れるようになり、桐生(きりゅう)と対抗しながら風通(ふうつう)、緞子(どんす)、紋織り朱子(しゅす)など多品種にわたる生産がみられた。1888年(明治21)にジャカード機が輸入され、輸出絹布などが織られたが、代表的製品は桐生の帯地に対し、足利は銘仙(めいせん)であった。銘仙は、絹の先染(さきぞめ)織物の一つで、縞(しま)、格子、絣(かすり)などの文様銘仙、本銘仙があった』。

 日本山海名物図会巻三に「京西陣織屋」の画があります。

 画の角度が異なっているので、参考にしたかもしれませんけど、絵師独自のもののよう。

高機の織面が斜めになっているのは、日本山海名物図会のものを見ると、器械自体が傾いているようです。

 織り糸の細かさを一本一本目でおってしまいます。拡大してみても切れることなくちゃんとつながっていました。お見事。

 高機のてっぺんで仕事中の小僧を母娘が指さして何か話しかけています。こういったちょっとした間をいれるのがうまいですね。奥の部屋では「蚕卵紙(さんらんし)」の商談中。


2026年9月13日日曜日

大日本物産圖會その84

P84 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P84_1

(読み)

下   野國 養蠶(ヤウサン)圖三

しもつけのくに   ようさん ずさん


蚕(カヒコ)の養(ヤシナ)ひ方 其 國 の寒暖(カンタン)尓

  かいこ の  やしな いかたそのくにの   かんだん に


よりて大同小異(タイトウセ ウイ)ありと雖 ども

よりて     だいどうしょうい ありといえども


先 一 枚 の種子(タネ)半 分 も生  ぜし

まずいちまいの   たね はんぶんもしょうぜし


時 折敷(ヲシキ)へ入連𥸮(クハ)の葉(ハ)を細(コマ)

とき   おしき へいれ  くわ の  は を  こま


可尓きざミてあ多ふ之(コレ)を黒(クロ)

かにきざみてあたう  これ を  くろ


子(コ)といふ其 黒蚕(クロコ)𥸮 の葉尓取

  こ というその   くろこ くわのはにとり


あ可゛るを細(ホソ)き箸(ハシ)尓て挟(ハサ)ミ別(ヘツ)の

あが るを  ほそ き  はし にて  はさ み  べつ の


噐(ウツハ)尓配(クバ)り入ること凡  種 一 枚 の

  うつわ に  くば りいることおよそたねいちまいの


蚕  を三 尺  四方 位  尓薄(ウス)くちらし

かいこをさんじゃくしほうくらいに  うす くちらし


二 日目よりハ羽 王けとて前 の如 く

ふつかめよりははねわけとてまえのごとく


日尓三 度ツゝ蚕下(コシカ)切 て養  ふ奈り

ひにさんどずつ   こしか きりてやしなうなり

(大意)

(補足)

「下野國」、〔「しもつけの(下毛野)」の略〕① 旧国名の一。栃木県全域にあたる。野州(やしゆう)。

「一枚の種子(タネ)半分も生ぜし」、蚕卵紙で孵化するので一枚と云っている?

「𥸮」、桑ですけど、さがしたらフォントがありました。

「蚕下」、『こした【蚕下】カイコの糞(ふん)。蚕糞(さんふん)』。

 詞書きの内容がそのまま画となっています。①とってきた桑の葉を②大きな桶のなかで庖丁で細かく切り③それを四角い箱、折敷の中のまだ小さい蚕に与えます④部屋では蚕棚で蚕を育て⑤食べ残した桑の葉や蚕の糞を箸で取り除きつつ別の噐に移しています。

 働いているのは全員女性で、よく見ると眉を剃っている(既婚)御婦人と、まだ未婚で緑色っぽい蝶々の簪を挿して桃割れの娘さんがいます。

 ちょうど詞書きの巻物にかくれてしまってますが、大きな桑の木があって、登ってとるためでしょう、はしごがかけられています。

 全員がたすき掛け姿で、昔の人はこれを男女関係なくササッと手早くしたものです。子どものときにこれが手早くできれば大人の仲間入りになるとおもって何度も練習したものです。それを見ていたばあちゃんが大笑いしていたの思い出しました。

 

2026年9月12日土曜日

大日本物産圖會その83

P83 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P83_1

(読み)

飛州  猪   捕 之圖

ひしゅういのししとりのず


野猪(ヤチヨ)ハ當 国 諸 郡 より

   やちょ はとうごくしょぐんより


出ると雖(イヘト)も大 野郡 加賀(カゝ)

でると  いえど もおおのぐん   かが


の國 との境(サカヒ)奈る白 山 の近 辺

のくにとの  さかい なるはくさんのきんぺん


最(モツト)も多 し大 勢 の人 夫鉦(カネ)

  もっと もおおしおおぜいのにんぷ  かね


太鼓(タイコ)竹 本らホ 尓て山 々

   たいこ たけぼらなどにてやまやま


より猪(しゝ)鹿(シカ)熊(クマ)奈とを狩(カリ)

より  しし   しか   くま などを  かり


出す猟師(リヤウシ)丘(オカ)尓ありて

だす   りょうし   おか にありて


獣(ジ ウ)るゐの逃(ニゲ)由くところを

  じゅう るいの  にげ ゆくところを


鉄砲(テツハウ)尓て打(ウチ)とめる那り

   てっぽう にて  うち とめるなり

(大意)

(補足)

「野猪」、『やちょ【野猪】いのしし』。野鳥は普段使われる単語。でも「野猪」というのがあるとは知りませんでした。

「竹本ら」、『たけ‐ぼら【竹法螺】. 〘 名詞 〙 竹を切って管(くだ)として吹き鳴らすもの。筒貝(つつがい)』

 右側の猟師は猪をねらい、左の二人は鹿を撃たんとしています。猪が全身の毛並みを逆立てて逃げる様のなんと細かい描写。目が必死そのもの、ひらいた口から真っ赤な舌と白い牙が目立ちます。うしろの二頭の鹿は、猪にくらべるとどこかのんびりで表情も笑っているようになごやか。

 山々の様子がどこも濃淡をつけてまるで狩りなど行われていないような雰囲気できれいです。ちょろちょろ流れる小川があって、これは山を描くときの絵師のお約束。