2026年5月7日木曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

豊 後 河 太郎

ぶんごの可王


形  五六 歳 の小  児のごとく遍 身尓毛阿りて猿 尓似て眼春る

                 そうミ

かたちごろくさいのしょうじのごとくそうみにけありてさるににてめする


どし常 尓濱 邊へ出て相撲 を取 也 人 を恐 るゝこと奈しされ

           すもう

どしつねにはまべへでてすもうをとるなりひとをおそるることなしされ


共 間ぢ可くよれバ水 の中 に飛 入 也 時 としてハ

どもまじかくよればみずのなかにとびいるなりときとしては


人 にとりつきて水 中  へ引 入レて其

ひとにとりつきてすいちゅうへひきいれてその


人 を殺 春事 阿り河 太郎 と相撲 を取 多る人 ハ

ひとをころすことありかわたろうとすもうをとりたるひとは


たとへ勝 ても正  氣を失  ひ

たとえかちてもしょうきをうしない


大 病  をうくると云 志きミ能抹 香 水 尓てのましむれバ

                まつ可う

たいびょうをうくるというしきみのまっこうみずにてのましむれば


正  氣尓成 と也 河太郎

しょうきになるとなりかわたろう


豊 後 国 尓多 し其 外 九  州  の中 所  々  尓有 関 東 尓多 し

ぶんごのくににおおしそのほかきゅうしゅうのうちところどころにありかんとうにおおし


関 東 尓てハ河 童  と云 也

       可ハ王らハ

かんとうにてはかわわらわというなり

(大意)

(補足)

「开」+「久」のフォントはありませんでした。

「志きミ能抹香水尓てのましむれバ」、『シキミ(樒)はアニサチンなどの毒を含み、特に猛毒である果実が中華料理で多用される八角に似ているため、誤食されやすい危険な有毒植物である』ので、この文章を信じてはいけません。

 川の土手に流れ留めの杭をつけた籠があります。川漁にも見えますが、これは土手の擁護のためで、中に石がはいっているはずです。

 河童(かっぱ)は明治になっても、広く信じられている生き物でした。昔は河で命を失う人たちが多く、亡骸が行方不明になり、それらは河童の仕業と信じられていたことと無関係ではないとおもいます。

 

2026年5月6日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その14

P26P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

天 王 寺干 蕪

     本し可ぶら

てんのうじほしかぶら


摂 州  東  成 郡 天 王 寺領  内 かぶらの名 産 也 百  姓

せっしゅうひがしなりぐんてんのうじりょうないかぶらのめいさんなりひゃくしょう


おほく可ぶらを植 て奈ま奈るをも市 尓出 須

                   い多

おおくかぶらをうえてなまなるをもいちにいだす


然 し専   本し可ぶらとと奈して是 を賣 極 月 より正  月

し可 もつ者ら

しかしもっぱらほしかぶらととなしてこれをうるごくげつよりしょうがつ


までの間  ハ竹 垣 を高 くこしらへて是 を本春也 又 此 を所  木津

までのあいだはたけがきをたかくこしらえてこれをほすなりまたこれをところきづ


今 宮 といふあ多り専   干 蕪 を出す木津今 宮 のかぶらハ真 丸 く

                                まんまる

いまみやというあたりもっぱらほしかぶをだすきづいまみやのかぶらはまんまるく


天 王 寺ハ少 し細 長 し木津今 宮 ハ天 王 寺能可ぶら尓ハ及 バ須゛

         本そ

てんのうじはすこしほそながしきづいまみやはてんのうじのかぶらにはおよばず

(大意)

(補足)

「極月」、12月の異名。1月から11月まで、それぞれきいたこともないような異名がついています。

「宮」のくずし字はよくでてきて特徴的。「宀」or「亠」+「五のくずし字」のような形です。

 この本の絵師、長谷川光信は人物や生き物の描写はとんでもなく下手くそですが、細かいところの描写は執拗で得意なようです。ここでは竹竿に干してある蕪、まるで蕪ひとつを判子にしたものをポンポンポンと竹竿にそって押していったように(ほんとうにそうしたかも)描いています。

 何もかも手作業だけしかなかった時代、今でも基本的農作業は同じです。

 干蕪はおじやおかゆにいれたらおいしそう♫

 

2026年5月5日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その13

P24P25 国文学研究資料館蔵

(読み)

摂 刕  平 野飴

     ひらのあめ

せっしゅうひらのあめ


大 坂 天 王 寺の東  平 野ノ町 より出る飴 名 物 也

                       あめ

おおさかてんのうじのひがしひらののまちよりでるあめめいぶつなり


風 味よし小  児尓

ふうみよししょうじに


用 ひて毒 奈し薬  地黄 煎 奈り◯飴 の製 法 ハもち米 をこハ

        く春りぢ王うせん

もちいてどくなしくすりじおうせんなり あめのせいほうはもちごめをこわ


めし尓むし米 一 升  尓水 一 升  のつもり尓て

めしにむしまいいっしょうにみずいっしょうのつもりにて


右 の強 めしを水 尓つけ置 大 麦 の

   こハ

みぎのこわめしをみずにつけおきおおむぎの


もやしの粉 米 一 升  尓六 合 のつもりを以 て

もやすのこなこめいっしょうにろくごうのつもりをもって


右 のめし能上 尓ふり可け棒 尓て

みぎのめしのうえにふりかけぼうにて


よくつきませ翌  日布 袋  尓てこれをこし釜 尓入 てぬるき火尓て袮り

      あくる

よくつきまぜあくるひぬのぶくろにてこれをこしかまにいれてぬるきひにてねり


つめる也 袮り前 可多なるハ志るあめ也 袮りつめ多るを地黄 煎 といふ

つめるなりねりまえかたなるはしるあめなりねりつめたるをじおうせんという

(大意)

(補足)

「地黄煎」、『じおうせん ぢわう―【地黄煎】① 地黄の根を煎じた汁。薬用。② 地黄を加えて練った水飴(みずあめ)。くだり飴。「摺粉に―入れて焼(たき)かへし」〈浮世草子・世間胸算用3〉』

 浅草に見世前でトントコトントコ拍子よく飴を切って販売している飴屋さんがあります。どうやらその起源がこの平野飴だそうです。

 近所の二人組がお土産に買ったのでしょうか、飴を経木(きょうぎ)に包んでいます。

 

2026年5月4日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その12

P22P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

漆   製 法

うるしのせい本う

うるしのせいほう


漆  の木尓鎌 尓て切 目をつくれバ其 切 目より汁 ふき出るを竹

うるしのきにかまにてきれめをつくればそのきれめよりしるふきでるをたけ


遍゛ら尓てこそげ取 也 こそげ入れるうつ者物 尓茶 の濃きせんし汁 を

べ らにてこそげとるなりこそげいれるうつわものにちゃのこきせんじじるを


入 くるミ能油  を加 えて其 上 へ漆  をこそげいるれバ

いれくるみのあぶらをくわえてそのうえへうるしをこそげいるれば


漆  やけ春゛してよしといへり

うるしやけず してよしといえり


凡  漆  を取 尓ハ至  て本そき木ハ汁 奈し

およそうるしをとるにはいたってほそききはしるなしまたかくべつのろうぼくも


又 格 別 の老 木 も王るし和州  吉 野

またかくべつのろうぼくもわるしわしゅうよしの


紀州  熊 野うるし能名 所 也 其 外 諸 国 より出 うるし能木の実ハ

きしゅうくまのうるしのめいしょなりそのほかしょこくよりでるうるしのきのみは


取 て蝋 尓春る也

とりてろうにするなり

(大意)

(補足)

 国産漆を維持または増産に向けて植林をすすめているそうですが、現状はほぼ100%中国産です。国産漆は目玉がとびでるほどに高価です。

 日本には昔から漆のように日本の気候に適したすぐれた塗料が使われていました。漆や柿渋や米糠油などなど。しかしウレタンなど化学塗料が大量に廉価で(しかもそのれらの性能はすぐれていて)輸入され出回ると、その手軽さからあっというまに、国産塗料を駆逐してしまいました。

 化学塗料が安価に大量に販売されている中にあって、なんとか自然塗料を絶えさせないためには、塗料の使い分けを積極的にすすめていくしかないとおもいます。

 当時はこの画のように小さな切れ目を入れて汁をとっていたようでうが、その後は幹に螺旋になるように切れ目を入れていたようです。

 

2026年5月3日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その11

P20P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

京  西 陣 織 屋

   尓しぢんおりや

きょうにしじんおりや


京  都尓て織 出須織 物 甚  多゛功 奢 尓て唐 織 尓まけ須゛

                   可うしや

きょうとにておりだすおりものはなはだ こうしゃにてからおりにまけず


中 尓も羽二 重ハもろこし尓もまさりてこまや可也 其 品ゝ

なかにもはぶたえはもろこしにもまさりてこまやかなりそのしなじな


大概   緞 子 繻 珍  金 襴  縮 緬  紗綾  綸 子

 可゛い どんす しゆちん きんらん ちりめん さあや 里んず

たいがい どんす しゅちん きんらん ちりめん さあや りんず


繻 子 毛 織 紋絹   光後 茶宇  光絹   竜  紋  熨斗目

し由す もうる もん个ん ぬめ ちやう 者ぶ多へ 里 うもん のしめ

しゅす もうる もんけん ぬめ ちゃう はぶたえ りゅうもん のしめ


天鵞 絨 錦   綾  紗  茶 丸  白 呂 兜羅綿

びろうど 尓しき あや しや ちやまる しろろ とろめん

びろうど にしき あや しゃ ちゃまる しろろ とろめん


片 色  練  絵絹  篩  絹

可多いろ 袮り ゑきぬ ふるひきぬ

かたいろ ねり えきぬ ふるいきぬ


高 機

た可者多

たかばた


金 緞 今

きんいり

きんいりいま


織 の類  此 機

おりのたぐいこのはた


尓ておる也 空

      そら

にておるなりそら


引 とて上 の方

びきとてうえのほう


尓て地紋を

にてじもんを


あやどる奈り

あやどるなり

(大意)

(補足)

「空」のくずし字はすっかり忘れていたのか、はじめてのような気もします。

「空引」、『空引機(そらびきばた)は、複雑な紋織物を織るために古代から明治時代まで使われた日本の伝統的な手織機です。高機(たかばた)の上部に鳥居状の大きな枠(綜絖:そうこう)を持ち、紋を出すために糸を引き上げる操作が特徴です。ジャカード機が普及する前に、西陣織などで用いられた高度な機です』とAIの概要です。

 説明文にもあるように、小僧が上にのって紋を出しているようです。機織りの職人と二人一組で織り出すのでしょうか。

 緯糸をバンバンと打ち込む大きな櫛みたいのは「筬(おさ)」というそうです。それを吊り下げている上部のところが位置を変えられるように出っ張りが6個あるのがわかります。

 職人の膝下に、織りだしている生地の柄ができあがりつつあります。

 膨大な張ってある経糸ととおして、向こう側が透けて見える箇所があって、彫師、摺師の腕の見せ所です。

 とんでもなく精巧な織り機です。

 

2026年5月2日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その10

 

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

江戸浅 草 紫菜

  あさくさのり

えどあさくさのり


此 のり元ト武州  品 川 の海 尓生  春゛品 川 の町 尓て製 多るを

こののりもとぶしゅうしながわのうみにしょうず しながわのまちにてせいたるを


品 川 のりと云 浅 草 のりハ品 川 尓て取 多るを此 所  尓て

しながわのりというあさくさのりはしながわにてとりたるをこのところにて


製 し多る也 浅 草 のり仕上ケ宜 しくきよら可尓して名 物 也 

せいしたるなりあさくさのりしあげよろしくきよらかにしてめいぶつなり


其 外 下 総 の

そのほかしもうさの


葛西 のり出雲 の十六島  皆 々 名 物 也

かさい      うつぶるい

かさいのりいずものうっぷるいみなみなめいぶつなり


猶 餘国 よりも多 く出ツ通 して紫 菜 と云

                 あまのり

なおよこくよりもおおくいずつうじてあまのりという


又 河 苔 と云 も有 駿 府冨士川 より出るを冨士のりと云

  可ハのり

またかわのりというもありすんぷふじがわよりでるをふじのりという


下 野 日 光 山 の川 ゟ

しもつけにっこうさんのかわより


出るを日 光 のりと云 肥後の菊 地川 ゟ 出ルを菊 池のり

でるをにっこうのりというひごのきくちがわよりでるをきくちのり


同 国 水 前 寺のり何 れも河 のり也

どうこくすいぜんじのりいずれもかわのりなり


品 川 の沖 尓て取

しながわのおきにてとる


のりのち起゛れて

のりのちぎ れて


磯 へ打 よするを

いそへうちよするを


子共 の仕事 尓

こどものしごとに


是 を春くひ取 て

これをすくいとりて


浅 草 能商  人 へ賣 也

あさくさのしょうにんへうるなり

(大意)

(補足)

 「のり」はもちろん「海苔」ですが、ここの「紫菜」は当て字でも雰囲気があります。

「あまのり」とも読ませています。

「水前寺」のくずし字がすぐに読めたら、もう超初心者卒業まじか♫

 まだ養殖は行われてなかったようで、すべて天然海苔でした。

 

2026年5月1日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

堺  庖  丁

さ可ひ本゛うちやう

さかいぼ うちょう


泉 州  堺  の津山 上 文 珠 四郎 庖 丁  鍛冶の名 人 也 正  銘

せんしゅうさかいのつやまがみもんじゅしろうぼうちょうかじのめいじんなりしょうめい


黒 打 と云 刃金 のき多ひよく切 あぢ格 別 よし出刃

       者可年                で者゛

くろうちというはがねのきたいよくきれあじかくべつよしでば


薄 刃 指 身庖 丁  ま奈箸  た者゛こ庖 丁

うす者゛さしミ       者゛し

うすば さしみぼうちょうまなば したば こぼうちょう


何 れも皆 名 物 也◯荘 子尓いハく

            そうじ

いずれもみなめいぶつなりそうじにいわく


庖 丁  能 解 牛  庖 丁  ハもと料  理人 の名也

     よくとくうしを

ほうちょうよくとくうしをほうちょうはもとりょうりにんのななり


其 人 つ可ひ多る刃物 奈れバ

         者

そのひとつかいたるはものなれば


とてつゐ尓庖 丁  を刃物 の名と奈せりむ可し何 人 可さ可しくもろこし能

           者

とてついにほうちょうをはもののなとなせりむかしなんびとかさかしくもろこしの


故事をとりて名付 そめけん今 ハ俗 尓通 して其 名ひろま礼り

こじをとりてなずけそめけんいまはぞくにつうじてそのなひろまれり


(大意)

(補足)

「正銘」、『しょうめい しやう―【正銘】〔由緒正しい銘がある意〕ほんもの。「正真―のダイヤモンド」』

「庖丁解牛」、『『荘子』養生主篇に登場する寓話「庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)」は、料理人の丁(てい)が文恵君(ぶんけいくん)のために、牛の骨と肉の隙間を見極めて自在に牛を解体する話。技術を超えた「道(どう)」の境地に達することで、刃を傷めることなく、余裕を持って物事を成し遂げ、生を養う(養生)知恵を伝えている』とAIの概要より。

 看板は「黒折 山上文殊四郎 正銘」。