2026年3月19日木曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その6

P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

銅  山 諸 色 渡  方 の圖

あ可ねやま志よしき王多し可多 づ

あかねやましょしきわたしかたのず


山 口 尓可り屋をかまへ金 銀 米 銭 炭 薪  味噌塩

やまぐち   や    きんぎんこめぜにすミたきゝミそし本

やまぐちにかりやをかまえきんぎんこめぜにすみたきぎみそしお


油  醤  油 一 さい所 帯 方 の入 用 物 をとゝのへ

あぶら志やうゆう    せ たい可多 いりやう毛の

あぶらしょうゆ いっさいしょたいかたのいりようものをととのへ


置 山 の者多らき人 尓割 賦し遣つ春也

おき          王つふ

おきやまのはたらきにんにわっぷしけっすなり


東 国 尓てハ古連を臺 所  といひ西 国 尓てハ勘 場と

とうこく      だいところ   さいこく   可ん者゛

とうごくにてはこれをだいどころといいさいごくにてはかんばと


いふ銅  山 一 切 の入 用 物 此 所  より和多春奈里

  あ可ねやまい川さい  

いうあかねやまいっさいのいりようものこのところよりわたすなり


これ尓よ川て諸 商 人 お本く入 来 り

      志よあきひと

これによってしょあきひとおおくいりきたり


その尓きハひ市 のごとく下 者多らき春る毛のゝ妻 子ハ

            し多         さいし

そのにぎわいいちのごとくしたばららきするもののさいしは


古れよりぜ尓可ねを可けとりてそのいと奈ミを

これよりぜにかねをかけとりてそのいとなみを


弁 春゛るなり

べん

べんず るなり


薪 賣  野菜 賣  元 方 へ銭 を取 尓ゆくてい

まきうり やさいうり もとかたへぜにをとりにゆくてい


(大意)

(補足)

「銭」のくずし字は頻出。「釒」+「お」のようなかたち。

「遣つ春」、「け」の変体仮名「遣」はあまりでてきません。遣わす(つかわす)のくずし字で、でてくるほうが多いとおもいます。

「割賦」、『わっぷ【割賦】〔「わりふ」の転〕

① 借金の返済・代金の支払いなどを月賦・年賦など,何回かに分けて行うこと。かっぷ。割賦償還。

② 割り当てること。配当。』

「弁春゛る」、『べん・ずる【弁ずる・辨ずる】② ものごとをうまく処理する。すませる。「多々(たた)益々(ますます)―・ず」』

「野菜」、「野」のくずし字はあらかじめ学んでないと読めません。

 女性二人は前帯になってますね。また手ぬぐいで髪の毛をおおっています。

 米俵、薪、野菜、帳場の帳面やその奥の品々、醤油樽とその薦(こも)、などなどひとつひとつをこれでもかと丁寧に省略することなく描いています。

 

2026年3月18日水曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その5

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

金 山 堀 口 の圖

可奈やま本りくち づ

かなやまほりぐちのず


金 山 の堀 口 を鋪 口 とも

可奈やま 本りくち しきくち

かなやまのほりくちをしきくちとも


又 ハ真府ともいふ吉 日 をゑらび

ま多 まぶ

またはまぶともいうきちじつをえらび


神 まつりをして普請 尓とりかゝる也

かみあつりをしてふしんにとりかかるなり


可奈山 の者多ら起人を

かなやまはたらきびとを


下財 といふ凡  金 銀 銅 鉄 通 して金 山 といふ

げざい   およそきんぎんとうてつ川う  可奈

げざいというおよそきんぎんどうてつつうしてかなやまという


我 朝  尓金 の出ることハ

和可て う 可ね

わがちょうにかねのでることは


人 王 四十  六 代 孝 謙 天 皇 天 平 勝  宝 年 中 尓

尓ん王う        こう个んてん王うてんへいせ う本うねんちう

にんおうしじゅうろくだいこうけんてんのうてんぺいしょうほうねんじゅうに


者じめて陸奥の国 より本り

    むつ く尓

はじめてむつのくによりほり


出春白 銀 ハ人 皇 四十  代 天 武天 皇 の御時

  志ろ可ね 尓ん王う      てんむてん王う おんとき

だすしろがねはにんのうしじゅうだいてんむてんのうのおんとき


者じめて対馬 の国 よりほり

    つしま く尓

はじめてつしまのくによりほり


出春銅 鉄 ハ神 代より有 と云 伝 へ多り

  登うて川 可ミよ  あり いゝつ多

だすどうてつはかみよよりありといいつたへたり


とめ木

とめぎ


志きより土 を持 出春てい

しきよりつちをもちだすてい


山 口 寸 法 本る所

やまくちすんぽうほるところ

(大意)

(補足)

 序文と本文のあいだに目次がありましたが、本文とほとんど重なっているところが多かったので省略しました。

 5巻の内容は、1巻に鉱山、2巻に農林系加工品、3・4巻に物産、5巻に水産に関することが記されています。

 「堀口」の掘に部品として出があります。ちょうど本文の最後の2行の文頭に「出春」があって、「出」のくずし字がならんでいます。右側の「出」が「掘」の中の出とおなじくずし字になっています。また土と出の形がにているので注意です。

 この本の絵師長谷川光信は、どう贔屓目に見ても、腕はイマイチ、稚拙です。この鉱山で働いている人々をみてもそれはあきらか、どこか小学生の絵日記をおもわせます。

 この本の価値は、本の題名通り、日本各地の名産を上手い下手は勘案しないで、描写したことにありそうです。

 画面の中央付近で丸太の皮を剥いでいる人の道具は手斧(ちょうな)というもの、現在ではあまり使われなくなりましたが、それでも宮大工さんたちにはなくてはならない道具です。

 

2026年3月17日火曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その4

P04 国文学研究資料館蔵

(読み)

知之者旦暮遇」之


 一箇 事 辞ス尓日阿里主 人 只 恁   乞ふに

 ひとつことじすにひありしゅじんただひたすらこうに

 心  裏 おろ\/蒲 柳  欝\/  と撓  天

 こころうちおろおろはくりゅううつうつとたわみて

八十一叟半時庵

時寶曆四年季夏一旬


(大意)

 この序をおわるにあたって、わたしがただただ読者にお願いすることは

自身の心うちはおろおろして、柳の細い枝がたわんでいるように、

心もとないということである。

八十一老人 半時庵にて

宝暦4年初夏

(補足)

 平瀬鉄斎の生没は不明なようです。

本書は宝暦4年(1754)に出版。43年後の寛政9年(1797)に求板で再版されています。それなりに根強く読者がいたものとおもわれます。

 

2026年3月16日月曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その3

P03 国文学研究資料館蔵

(読み)

之心  を継 天両  意を毅  春借  閲 し帝

のこころをつぎてりょういをつよくすしゃくえつして

たとしへなし風 月 之道 清 起流 れも片 とし天

たとしえなしふうげつのみちきよきながれもへんとして

月  也 又 思 ふ雙 林 ノ一 僧 茗  種 之妙  与里陸 氏を

しょうなりまたおもうそうりんのいっそうみょうしゅのみょうよりりくしを

欺  き宴 弗 募  天禅 指空 シ貞  徳 句幸 二記之

あざむきたゆまずつのりてぜんしむなしじょうとくくこうにこれをしるす

千 世 萬 代 飛ら可ん桃 の今年 より且 天 平  二十  一 年

せんせいまんだいひらかんもものことしよりかつてんぴょうにじゅういちねん

二月 丁 巳東 方 異邦 ノ官 人 不賑福-達一-機

にがつていしとうほういほうのかんじんにぎわず????

一以千有余載扶桑時今治治世世不啻

????????????????

(大意)

 AIの概要の現代語訳(大意)でも、意味不明でした。

わたしもよくわかりませんでした。

(補足)

 読みはいい加減なので、間違いだらけだとおもいます。

 

2026年3月15日日曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その2

P02 国文学研究資料館蔵

(読み)

聖 帝 之武起御ン徳 十千世を頂   さ類盤阿

せんていのぶきおんとくとちせをいただかさるはあ

らし民 侶 之営 日 尓当 類有 又 好 而楽 而

らじみんりょのえいじつにあたるありまたこうじらくじ

耽 類有 耽  てなら須と云 事 なし既 尓成 怒

ひたるありひたってならずということなしすでになりぬ

日本 山 海 名 物 圖繪ト号  リ這之平 瀬氏鉄 齋 翁

にほんさんかいめいぶつずえとなずけりこのひらせ てっさいおう

日ゝ尓編ミ夜ゝに緝 ムおもへ者古人 古人 之一 癖

ひびにあみよよにあつむおもへばこじんこじんのいっぺき

を愛 せ類可古とし強 て子之手を執 天

をあいせるがごとししいてこのてをとりて

是 をといひ残 須尓も阿らされと母孝 子先 考

これをといいのこすにもあらざれどもこうしせんこう

(大意)

AIの概要のおおよその現代語訳を試してみました。

『聖帝(平和な世をもたらす天子)の武力や徳によって十千世(長い年月)も(安泰な世を)頂戴している。世の民の営みは日々に満ち溢れ、また(趣味などを)好み楽しんでふけっている者もいるが、ふけりすぎてどうにもならなくなるということはない。

(そういう太平の時代に)既に成し、怒(いか)る(※ここは「成る」の強調、あるいは崩しの読み違いの可能性あり)日本山海名物図絵と号(名づ)け、この平瀬鉄斎翁が、日々編み、夜々にならべまとめる。

思えば、古人が(名画や特産物といった)一癖(こだわりのある癖)を愛した(古風を)倣いとして、無理やり我が子のように(この本を)手にとって、これを言い残す(伝え残す)ということではないけれど、亡き父(母)や、亡き父(先考)へ』

(補足)

 AIの概要の大意、大したもんですね。変体仮名の読みに苦労してます(し間違いもあります)けど、まぁ全体の意味ははずしていません。まずは何が記されているかがわかることですから、この程度でも目的は充分に達せられています。

 文章自体は楷書ですから、くずし文字に悩まされることもありません。変体仮名は学ばなければなりませんけど。

 AIをちょっとけなしましたが、わたしの読みも間違っているところはあるはず、謙虚に学ばなければと心しています。

 

2026年3月13日金曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その1

表紙 国文学研究資料館蔵

P01

(読み)

画工 長谷川 光 信

がこうはせがわみつのぶ

編 者 平 瀬鉄 齋

へんしゃひらせてっさい

日本 山 海 名 物 圖繪

にほんさんかいめいぶつずえ

P01

陸奥  守   従 五位  上    百濟王         敬   福  カ郡

むつのかみ じゅごいのじょう くだらのこにきし きょうふくがぐん

内 少田郡 仁黄金 在 ト奏 氏獻  此遠聞  食 驚  伎

ないおだぐんにこがねありとほうじけんぜしをきこしめしおどろき

悦  波世給 布

よろこばせたもう

 大 伴  宿 禰家 持

 おおとものすくねやかもち

皇   能御代さ可へんと東  なるみち能く山 耳

すめろぎのみよさかえんとあずまなるみちのくやまに

古可年花 咲  金 寶 之盡 さ類姫 氏 国 ノ神 邦

こがねはなさく きんぽうのつくさるひめじのくにのしんぽう

(大意)

(聖武天皇が奈良の大仏を建立していましたが、大仏を鍍金する黄金が不足してました)ちょうどそのとき、奥州で敬福が金鉱山発見し産出して献上したところ、大変に喜ばれたという。その内容を大伴家持が歌にしています。

(補足)

 約1ヶ月弱、次は何を読もうかとあれこれ探し回り準備しておりました。

今回から日本山海名物圖繪巻之一から巻之五まで全五巻を読んでいきます。

 巻之五の奥付に

『画工 松翠軒長谷川光信

寶暦四年甲戌初夏吉日

寛政九年丁己初春求板 平瀬徹齋撰』 

とあります。

 宝暦4年は1758年、寛政9年は1806年。しばらく前に司馬江漢の西遊日記をアップしましたが、年代的には司馬江漢の活躍した時代と重なって、江漢も目を通しているはずです。

 このBlogをはじめたのは「変体仮名を読めるようにする」ということからで、それは今でも変わることはありません。

 変体仮名の学習者として、翻刻などした文章はほとんどが現代仮名遣いにされてしまっていて、どの音がまたは字が変体仮名のどれにあたるのかが不明確で変体仮名を学ぶのには不都合であります。

 なので、原文で使われている変体仮名の元字をそのまま、わたしのBlogでは表記するようにしています。

 表紙絵は笹の上を飛ぶ丹頂鶴。これから日本のあちこち飛んで見て回りましょうとの意でしょうけど、洒落るつもりはありませんが、絵が単調です。

 P01では軸のように絵があります。山海なので海に帆掛舟二艘、奥に山とは、出だしの絵としてはこれまた寂しすぎ、なんか文句ばかりですけど・・・

 

2026年2月19日木曜日

繪本寶能縷 その15

P12 国文学研究資料館蔵

(読み)後半

朝 大己貴    神

て うをあ奈むちの

ちょうおあなむちのかみ


活 玉依 姫 尓

いく満よりひめ

いくまよりひめに


通  給 ふ時 父

可よひ

かよいたもうときふ


母志らんとて

ぼしらんとて


績 麻を針

うミを

うみおをはり


を以 て神 人 の

をもってしんじんの


短裳 に係 て

もすそ 可け

もすそにかけて


旦  糸 のすじを

あし多いと

あしたいとのすじを


尋  もこめし尓

多づね

たずねもこめしに


三諸 山 尓畄  ると

ミもろ

みもろやまにとどまると


いへり

いえり


勝 川 春  章  画

かつかわしゅんしょうえ

(大意)

(我が)国では大己貴神が活玉依姫に通われる時

父母は相手が誰であるか知ろうとして

績麻を針にとおし、神の短裳に縫い付けた。

翌朝、糸のあとをたぐっていくと

三諸山にたどりついたいう

(補足)

「大己貴神」『おおあなむちのかみ おほあなむち― 【大己貴神・大穴牟遅神】

大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。おおなむちのかみ』

「活玉依姫」、『活玉依媛 いくたまよりひめ. 記・紀にみえる美女。 陶津耳(すえつみみ)の娘。「古事記」では活玉依毘売とかく

「績麻」、『うみお ―を【績麻】青麻(あおそ)を裂いてつなぎ,糸としたもの。うみそ。』

「旦」、『あした。あさ。あけがた』

「三諸山(みもろやま)」、『奈良県大和三輪山(みわやま)』

 娘さんは横座りのようですが、右の御婦人は立膝のようにみえます。当時、女性は立膝であってもお行儀が悪いということはなかったようです。娘さんは長煙管で先につめているところのようです。反物に臭いや汚れがついてしまいそうですけどねぇ、心配。

 御婦人が反物を広げて検分してます。反物の巻いてある方、左手にしている方、は裏地になります。絵師・彫師・摺師はちゃんと裏地のようにかき分けているところが、たいしたものだなと感心させられます。

 現在の生糸産業を調べてみました。「AIの概要」によると、

『現在の日本の生糸(きいと)産業は、かつての主要産業としての面影はなく、極めて厳しい存続危機的状況にあります。かつて世界一を誇った生産量は激減し、国内に流通する生糸のほとんどは輸入に頼っているのが現状』

とあって、詳しく調べれば調べるほど、危機的ではなく、もう終わっているという状況で「5年後に蚕糸業はなくなる」というほどでありました。

 興味のある方は「蚕糸業をめぐる事情令和8年1月農林水産省」という冊子で最新の状況が報告されています。