2026年4月11日土曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

炭 焼  圖

春ミやきのづ

すみやきのず


炭 諸 国 より多 く出る中 尓日  向 國 ト紀州  熊 野より

すみしょこくよりおおくでるなかにひゅうがのくにときしゅうくまのより


出る毛の其 性  よろし摂 州  池 田奥 山 より出る毛の炭 の

でるものそのしょうよろしせっしゅういけだおくやまよりでるものすみの


名 物 也 又 和泉 の横 山 炭 名 品 也 

めいぶつなりまたいずみのよこやますみめいひんなり


是 ハ枝 炭 也 い徒゛連も山 尓炭 竈 を

                   可ま

これはえだすみなりいず れもやまにすみがまを


春えてやく也 春ミ可゛満ハ木薪 の出シ入 勝 手よ起所  尓す由る也

すえてやくなりすみが まはきまきのだしいれかってよきところにすゆるなり


哥 尓ハ小野能すミ可゛満をよめり小野ハ山 城 の国 愛宕 郡 なり

                          をたぎ

うたにはおののすみが まをよめりおのはやましろのくにおたぎぐんなり


此 穴 を四ツめと云  可まへすミ木をくべこむてい せいらう石

このあなをよつめという かまへすみぎをくべこむてい せいろうせき


炭 木を出須てい うハ屋

すみぎをだすてい うわや

(大意)

(補足)

 この説明文でも「品」と「所」のくずし字が使われています。やはりそっくりでまぎらわしいです。

「哥尓ハ」の歌を検索するとAIの概要が得られました。

『山城国愛宕郡小野(現在の京都市左京区上高野・八瀬周辺)は、平安時代から炭の産地(炭竈の里)として知られ、和歌や物語にその風景が詠まれています。代表的な歌は、曾禰好忠(そねのよしただ)が『新古今和歌集』などで詠んだものです。

「おのの原 たなびくくもは 炭かまの けぶりならね けふもふる雪」

(小野の原にたなびく雲は、炭竈の煙ではない、今日も降る雪よ)』。

「此穴を四ツめと云」、どこに穴があるか探してしまいますが、軒の下にある煙の出ている四つの穴。

 

2026年4月10日金曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

美濃釣  柿

ミの徒るし

みのつるしかき


志ぶ柿 のいま多゛熟  せぬうち尓取 て皮 をむき糸 を付

              じ由く

しぶがきのいまだ じゅくせぬうちにとりてかわをむきいとをつけ


て竿 尓可け日尓本春也 安藝 国 西 条  きおん坊 其味

 さ本         あき              あち

てさおにかけひにほすなりあきのくにさいじょうぎおんぼうそのあじ


春ぐれ多りといへと毛美濃徒゛るしよりちいさし美濃ハ味 ハひよき

                         あち

すぐれたりといえどもみのづ るしよりちいさしみのはあじわいよき


のミ尓阿ら須其 形  甚  多大 奈り本し上ケて三 寸 者゛可りの長 さなる

                     あ

のみにあらずそのかたちはなはだだいなりほしあげてさんすんば かりのながさなる


柿 あり其 生 の時 の大  さ思 ひやるへし◯くし柿 ころ柿 も皆 志ぶ柿 を

      奈ま    おゝき

かきありそのなまのときのおおきさおもいやるべし くしがきころがきもみなしぶがきを


以 て拵  由る也 串 柿 ハ丹 波よりお本く出 古ろ柿 ハ山 城

   こしら    くし

もってこしらゆるなりくしがきはたんばよりおおくでるころがきはやましろ


宇治名 物 也

うじめいぶつなり

(大意)

(補足)

「美濃」、「美」のくずし字は「る」+「欠」のようなかたち。

「糸を付て竿尓可け」、挿絵では糸ではなく縄のようなものを、螺旋にして柿のヘタをくくりつけています。うまい付け方です。付けおわった竿を二人で掛けている絵で、右側の男の人の脚の描き方がこの絵師の特徴で、上手ではありません。

「大さ思ひやるへし」、干しあがって三寸(約9cm)ぐらいですから、手のひらいっぱいくらいの大きさで、生でしたらもっと大きい。確かにでかいです。絵の中の柿も手のひらより大きく描かれています。

 柿の皮むき作業場は4本柱の壁なし藁葺き屋根の小屋ですが、屋根の妻部分に空気抜き(風で屋根が持ち上がらないように)があります。ここの部分といい、柿のザル、踏み台などこのようなところはとても丁寧です。

 

2026年4月9日木曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

大 和御所 柿

やまとごしよ可き

やまとごしょがき


和州  御所 村 より出 柿 の極 品 奈り餘国 尓も此 種

                             た年

わしゅうごしょむらよりでるかきのごくひんなりよこくにもこのたね


ひろまりて多 し御所 より出る物 名 物 奈る故 尓御所 柿 といふ

ひろまりておおしごしょよりでるものめいぶつなるゆえにごしょがきという


京  木練 柿

   こ袮り

きょうこねりかき


山 城 の国 より出 これ柿 の上  品 なり其 外 諸 国 尓毛木練

やましろのくによりでるこれかきのじょうひんなりそのほかしょこくにもこねり


有 近 江美濃甲斐信 濃殊 尓お本し九  州  の地

                         

ありおおみみのかいしなのことにおおしきゅうしゅうのち


柿 の熟  春ること上 方 ゟ

          可ミ可多

かきのじゅくすることかみかたより


も早 し渋 柿 尓上  品 阿りさハし柿 と奈して甚  多よ起風 味なり

もはやししぶがきにじょうひんありさわしがきとなしてはなはだよきふうみなり


大 和椑

   志ふかき

やまとしぶがき


小柿 なり臼 尓て徒きて柿漆を取 て紙 ざいく尓用 由

            しぶ

こがきなりうすにてつきてしぶをとりてかみざいくにもちゆ

(大意)

(補足)

「御所柿」、『ごしょがき【御所柿・五所柿】カキの品種の一。奈良県御所(ごせ)の原産という。果実は扁球形で,種が少なく,甘みが強い。大和(やまと)柿』

「木練」、『こねり 【木練り】① 木になったまま熟すこと。② 「木練り柿(がき)」の略』

「さハし柿」、『さわしがき さはし―【醂し柿】渋を抜いた柿。湯や焼酎(しようちゆう)につけて渋を取り去る。たるがき』

「渋柿」、『しぶがき【渋柿】柿の品種のうち,実が熟しても甘くならず,味の渋いもの。醂(さわ)したり干したりして渋を抜いて食用とする。また,柿渋を採る原料とする。季秋』

 柿の種類が辞書にこんなにのっているとは驚きました。それほど日本ではたくさんの種類の柿が実り、食されていたということなのでしょう。最近では高値ですっかり高級品となって早々簡単に買うことができなくなってしまいました。

 柿の木に二人登って収穫しています。柿の木はゴルフのヘッドになるくらい緻密で硬い樹木で、粘りもそこそこあり何人かが登っても折れることはありません。

 

2026年4月8日水曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

黐    製 方

とりもちのせい者う

とりもちのせいほう


細葉冬青樹と云 木の皮 をけづりて池 水 尓徒け置

奈ゝミのき

ななみのきというきのかわをけずりていけみずにつけおき


久 しくして取 出し湯尓たきて黐   と春る也 本 薬

               とりもち

ひさしくしてとりだしゆにたきてとりもちとするなりほんやく


必 読 尓其 事 見え多り紀州  熊 野山 尓此 木お本し土人 取 てとり

ひつとく

ひつどくにそのことみえたりきしゅうくまのさんにこのきおおしどじんとりてとり


もちを製 し家 業 と春る也 其 木の者細  柔   にして青 く其 実ハ赤

   せい 可 けう          本そくやハら可        ミ

もちをせいしかぎょうとするなりそのきのはほそくやわらかにしてあおくそのみはあか


くして南 天 の子尓似多り木立 うるハしくして籬 奈ど尓して見事 也

        ミ    こ多ち       可き

くしてなんてんのみににたりこだちうるわしくしてかきなどにしてみごとなり


木の皮 を者ぐ所   とりもちの木池 尓つける所

きのかわをはぐところ とりもちのきいけにつけるところ

(大意)

(補足)

「黐」、『とりもちのき【鳥黐の木】① モチノキの別名。② ヤマグルマの別名』『とりもち【鳥黐】小鳥や昆虫を捕らえるため竿の先などに塗って用いる粘り気の強いもの。モチノキ・クロガネモチ・ヤマグルマなどの樹皮から採る』

「熊野山」、ここの「野」は「埜」になっています。

「籬」、『まがき【籬】① 竹・柴などを粗く編んで作った垣。ませ。ませがき』

 小学校6年生の時の思い出です。学年中いや学校中から嫌われている中年の女の音楽教師の授業のこと。歌の練習のとき(卒業式で歌う歌の練習だったようにおもいます)、ピアノの上においてある指揮棒を必ず使うのが癖でした。

 指揮棒の端をとって振ろうとしたそのとき、なんかおかしいことに先生は気づきました。反対の手で指揮棒の先をつかんで、もう一方の握っている手から指揮棒をはなそうとするのですが、とれません。だんだん取り乱してきて激しく振るようにして指揮棒がはなれたのはいいものの、右手のネバネバが今度はとれません。

 先生いらいらして、振り乱れた髪の毛をすくためにその右手をつい使ってしまいました。髪の毛から右手をはなそうとするのですが、離れるわけがありません。手ぐしのようにして髪の毛のなかに指を突っ込んでしまっているのですから。

 大声で何かわめきながら音楽室を出ていってしまいました。われら悪童たちは大声で気持ちよく卒業式で歌う歌を自分たちだけで歌ったのでした。

 とりもちというと、このことをどうしても思い出してしまいます。わたしの世代がとりもちを子どもの頃に使ったのが最後であるような気がします。蝉とりや、他の昆虫・小鳥など捕まえるのによく使いました。

 とりもちを産業として生産者がいたことに驚いています。使う人がそのたびに自分で作るものだとおもっていました。

 

2026年4月7日火曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その2

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

綠 礬製 法

ろう者せい本う

ろうはせいほう


礬  石 白 きハ明  者゛んと奈りあお起ハろう者と奈る

者゛んせき

ば んせきしろきはみょうば んとなりあおきはろうはとなる


山 より堀 出し多る石 をく多゛起小屋能中 尓て水 を可け

    本り

やまよりほりだしたるいしをくだ きこやのなかにてみずをかけ


くさら可してこれを釜 尓てたき其 あ王を本しふ多尓入 て本春也 中 尓毛

くさらかしてこれをかまにてたきそのあわをほしふたにいれてほすなりなかにも


性  のよ起を紺 手といふ丹 礬 の色 のごとし

       こんで   多ん者ん

しょうのよきをこんでというたんはんのいろのごとし


其 次 をあさぎ手と云 色 真青

              まあを

そのつぎをあさぎてといういろまあお


奈り下品 ハくろミなり紺 出浅 黄出のろう者ハ外科 の膏 薬 尓用 由る也 下

           こんであさぎで     げくハ

なりげひんはくろみなりこんであさぎでのろうははげか のこうやくにもちゆるなりげ


品 のろう者ハ染 物 尓用 由染 汁 尓是 を加  連ハくろミを出須といへども

ひんのろうははそめものにもちゆそめしるにこれをくわえればくろみをだすといえども


染 地よハるなり

そめぢ

そめじよわるなり

(大意)

(補足)

「綠礬」、『りょくばん【緑礬】硫酸鉄(Ⅱ)の七水和物の通称。硫酸鉄のこと』。『硫酸鉄、天然には緑礬(りよくばん)として産出。媒染剤・還元剤・防腐剤として用いるほか,青色顔料(紺青)・インクの原料に用いる』

「丹礬」、『たんばん【胆礬】〔「たんぱん」とも〕銅の硫酸塩鉱物。三斜晶系に属し,青色,半透明。化学的には,結晶水を五分子もった硫酸銅の結晶。板状または塊状・葡萄(ぶどう)状などを呈する。銅鉱山などに産する』

 緑礬(りょくばん)は薄緑色の半透明なきれいな色の鉱石です。石なのに水に溶けるのですね。顔料・外科の膏薬・染料と幅広く使われていたことがわかります。

女性が4人いて、うち3人が前帯、1人は後帯でこの方は歳が若そうです。江戸中期頃、未婚女性は後ろ結び、既婚女性は前結びとなっていたようで、後期になると区別なく後ろ結びが主流になったとありました。


 

2026年4月6日月曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その1

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

紺 青  緑 青 製 法

こんしやうろくせ うせい本う

こんじょうろくしょうせいほう


銀 山 銅 山 の精 氣より出  生  春る也 慶 長  年 中

         せいき

ぎんざんどうさんのせいきよりしゅっしょうするなりけいちょうねんじゅう


摂 州  多田の銀 山 より

せっしゅうただのぎんざんより


本り出須それよりして諸 国 尓お本く本り出須也 其 以前 ハ唐 より

ほりだすそれよりしてしょこくにおおくほりだすなりそれいぜんはとうより


王多る者゛可り尓て日本 尓ハ堀 出須事 なし

わたるば かりにてにほんにはほりだすことなし


然 シ元 明 天 皇 和銅 六 年

しかしげんめいてんのうわどうろくねん


上野  国 より紺 青  を献 上  し朱 雀院 長  久  二年 尓

かずさのくによりこんじょうをけんじょうしすざくいんちょうきゅうにねんに


摂 津 国 より紺 青  を献 上  春ること

せっつのくによりこんじょうをけんじょうすること


扶桑 略  記尓見え多れハ昔  より我 国 尓あること知 べし製 法 ハ山 より

ふそう里やくき

ふそうりゃくきにみえたればむかしよりわがくににあることしるべしせいほうはやまより 


掘 出し多るをうす尓てつきく多゛起水 飛春る也

ほりだしたるをうすにてつきくだ きすいひするなり

(大意)

(補足)

「紺青」、『① 鮮やかな明るい藍(あい)色。濃く深みのある青色。② 青色顔料の一。。日光や酸に強い。ベルリン青。ベレンス。プルシアン-ブルー。』

「元明天皇」、『げんめいてんのう ―てんわう 【元明天皇】[661〜721]第四三代天皇(在位[707〜715])。名は安閇(あべ)。天智天皇の皇女。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘。草壁皇子の妃。文武・元正両天皇の母。在位中に,和同開珎鋳造,平城遷都や「古事記」「風土記」の編纂が行われた』

「朱雀院」、『すざくいん ―ゐん 【朱雀院】平安時代の後院の一。嵯峨天皇以後,代々の天皇が譲位後に住んだ御所。朱雀大路の西,三条の南に八町を占めていた』

「扶桑略記」、『ふそうりゃっき ふさうりやくき 【扶桑略記】歴史書。三〇巻,うち一六巻分と抄本とが現存。皇円著。平安末期成立。神武天皇から堀河天皇までを漢文・編年体で記す。六国史以下の国史・記録類,諸寺の僧伝・縁起などを抄録する。仏教関係の記事が多い』

「水飛」、『すいひ【水簸】土粒子の大きさによって水中での沈降速度が異なるのを利用して,大きさの違う土粒子群に分ける操作。陶土を細粉と粗粉に分けたり,砂金を採集する場合などに用いる』

 おもに日本画に用いられている紺青の製法についての説明です。

しかし、18世紀中頃に輸入されたベルリン藍ことベロ藍、歌川広重をはじめ北斎や同時代の絵師たちがさかんに使いました。

 

2026年4月5日日曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その23

P37 国文学研究資料館蔵

(読み)

銅 山 ふ起金 渡 し方

可奈やま  可ね

かねやまふきがねわたしかた


ふ起あげ多る金 をこり尓作 りて荷物 とし京  大 坂

            つく

ふきあげたるかねをこりにつくりてにもつとしきょうおおさか


等 へ出春也 銅 鉄 皆 同 し◯鋼鉄 ハ鉄 をよくきたひ

                 者可ね

とうへだすなりどうてつみなおなじ はがねはてつをよくきたい


多る也 五車 韻 瑞 尓鋼  ハ堅 鉄 なりとあり刀 釼 をつくるゆえ耳

たるなりごしゃいんずいにはがねはけんてつなりとありとうじんをつくるゆえに


刃金 といふ

はがねという


むしろ包  便  る所

むしろつつみべんずるところ

(大意)

(補足)

「五車韻瑞」、『ごしゃいんずい ―ゐんずい 【五車韻瑞】

中国の韻書。一六〇巻。明の凌稚隆の撰。「韻府群玉」にならって経・史・子・集・賦の五部に分け,熟語と出典を示す』

「むしろ包便る所」、便は使のようにもみえますが、おくりがなが「る」なのでどうかと。

 ずいぶん大きな竿天秤です。ちゃんと目盛りが手を抜くことなく刻んであります。

 第一巻はこれで終わりです。

ことあるごとに絵師の人物等が稚拙であることを述べてきましたが、これはこのBlogの直前の「繪本寶能縷」の絵がきわめて美しかったからでもあります。

この絵師の役割は、鉱山で働く人々や職人さんたちがどのように協働しているのか、諸道具をどのように使っているのかがわかるように描き記したものと考えれば、充分にその役割ははたされているようにおもわれます。

 さて、第二巻は農林系加工品となります。