江戸期頃文献読楽
2026年4月16日木曜日
日本山海名物圖繪巻之二 その11
2026年4月15日水曜日
日本山海名物圖繪巻之二 その10
P18P19 国文学研究資料館蔵
(読み)
宇治茶 摘
うじちやつミ
うじちゃつみ
日本 尓茶 をう由ることハ人 王 八 十 二代 後鳥羽院 の御 宇
う
にほんにちゃをうゆることはにんのうはちじゅうにだいごとばいんのぎょう
に始 まる京 建 仁 寺の開 山 栄 西 和尚 渡唐 の時
けん尓んじ ゑゝさい
にはじまるきょうけんにんじのかいざんえいさいおしょうととうのとき
茶 の種 を毛ろこしゟ 取 可へ里て筑 前 国 脊振 山 に植 らる是 を岩
せふり
ちゃのたねをもろこしよりとりかえりてちくぜんのくにせふりやまにうえらるこれをいわ
上 茶 と云 又 栂 尾明 恵上 人 尓其 種 を
可ミ と可゛のをめいゑ
かみちゃというまたとが のをめいえしょうにんにそのたねを
まいらせられ多るを上 人
まいらせられたるをしょうにん
山 城 の宇治と梶 尾と尓植 らる今 梶 ノ尾尓ハ茶 多えて宇治の
やましろのうじととがのおとにうえらるいまとがのおにはちゃたえてうじの
茶 甚 多゛者びこ連り四月 尓葉を徒ミて煎 茶 を製 須
ちゃはなはだ はびこれりしがつにはをつみてせんちゃをせいす
(大意)
略
(補足)
「人王」、『にん-わう 【人皇・人王】神代に対し、人代になってからの天皇のこと。神武天皇以後の天皇』
「後鳥羽院」、『ごとばてんのう ―てんわう 【後鳥羽天皇】[1180〜1239]第八二代天皇(在位[1183〜1198])。名は尊成(たかひら)。高倉天皇の皇子。土御門(つちみかど)天皇に譲位後,三代にわたって院政を行う。1221年(承久3)北条義時追討の院宣を発して鎌倉幕府打倒を試みたが失敗(承久の乱)。隠岐(おき)に配流され,その地で没した』
「御宇」、『ぎょう 1【御宇】〔宇内(うだい)を統御するの意〕
天子の治世の期間。御代(みよ)。「宇多天皇の―」』
「栄西」、『えいさい 【栄西】〔「ようさい」とも〕[1141〜1215]鎌倉初期の禅僧。日本の臨済宗の開祖。備中の人。字(あざな)は明庵。葉上房・千光国師と号す。比叡山で天台の教義を学び,二度入宋し,臨済禅を伝え帰る。幕府の帰依をうけ鎌倉に寿福寺を建立。京に建仁寺を創建して天台・真言・禅の三宗兼学の道場とし禅宗の拡大に努めた。また,茶を宋より移入し「喫茶養生記」を著した。著「興禅護国論」など』
「煎茶」、文中では「前」+「火」です。「㷙」のフォントはあるのですが。
「栂尾」、漢字変換「とがのお」ででてきます。「栂」の読み「つが」がなまったものでしょうか。
現在の茶摘み風景とはまったくことなります。お茶の木の育て方も果実を育てているみたい。椅子に腰掛けてなんとなく優美。女性の仕事だったんですね。お茶をするお盆を頭にのせてます。茶摘みの葉は胸の前の小さな籠に入れてます。
日よけの葦簀(よしず)が大きな屋根になってます。質感が出ていて上手です。
2026年4月14日火曜日
日本山海名物圖繪巻之二 その9
P16P17 国文学研究資料館蔵
(読み)
摂 州 木津 干 瓢
きつの可んへう
せっしゅうきつのかんぴょう
む可しハ大 坂 三津寺 前 より於本く干 瓢 を出
むかしはおおさかみつでらまえよりおおくかんぴょうをだ
須今 ハ其 地町 家と奈りぬ其 南 能一 村 を
すいまはそのちちょうかとなりぬそのみなみのいっそんを
木津と云 里 人 これを作 り実の里多る時 取 て輪切 尓し皮 を
ミ 王
きつというさとびとこれをつくりみのりたるときとりてわぎりにしかわを
去 て細 くむきあげ竿 尓可けて日尓本須其 白 きこと雪
さ本
さりてほそくむきあげさおにかけてにひほすそのしろきことゆき
のことし木津ハ可ん飛やうの名 物 也 凡 こ連をむく尓ハ剃 刀
およそ 可ミそり
のごとしきつはかんぴょうのめいぶつなりおよそこれをむくにはかみそり
を左 の手尓持 右 の手尓て輪切 の可んひやうをまハしてむく也
をひだりのてにもちみぎのてにてわぎりのかんぴょうをまわしてむくなり
(大意)
略
(補足)
「大坂三津寺」、『大阪市中央区心斎橋筋にある真言宗御室派の準別格本山の寺院。山号は七宝山。本尊は十一面観音菩薩。御堂筋に面しており、地元では「みってらさん」あるいは「ミナミの観音さん」の通称で親しまれている』。
絵の構図がどこかでみたなとおもって数頁戻ってみたら、「美濃釣柿」でした。ピッタリ重ね合わせられるくらいそっくりです。
輪切りにむいた干瓢を干す場所、竿につるしてあるものや、地面の筵(むしろ)の上のものなど、とても丁寧に(干す竿を引っ張り上げる綱にはちゃんとより目がはいってる)描かれています。こういったものは得意としているようですけど、干している右側の職人さんの脚の構えが逆ハの字になっていて、痛そう。
おんぶされている赤ちゃん、アップにしてみると笑ってます。
2026年4月13日月曜日
日本山海名物圖繪巻之二 その8
P14P15 国文学研究資料館蔵
(読み)
材 木 流 し能圖
ざいもくながしのず
山 より材 木 を切 出須尓ハ谷 川 へ落 して
やまよりざいもくをきりだすにはたにがわへおとして
奈可゛れ尓乗 して運 び出須杣 人 鳶 口 を
しやう 者こ
なが れにじょうじてはこびだすそまびととびぐちを
も川てこれを引 まハし山 川 の早 起流 をとびまハること其
もってこれをひきまわしやまかわのはやきながれをとびまわることその
軽捷 あ多可も猿 のごとし或 ハ高 き可゛けより下 へ木を徒き
可る王ざ さる
かるわざあたかもさるのごとしあるいはたかきが けよりしたへきをつき
おとし阿るひハ谷 川 の瀧 つせを自由 尓引 まハしてそ能
多き
おとしあるいはたにがわのたきつせをじゆうにひきまわしてその
材 木 を筏 として乗 まハ須よく修 練 したる者多ら起也
い可多゛ し由連ん
ざいもくをいかだ としてのりまわすよくしゅれんしたるはたらきなり
(大意)
略
(補足)
「瀧つせ」、『たきつせ 【滝つ瀬】〔「つ」は「の」の意の格助詞〕滝のように急な流れ。滝。「夕立の―うくる元の谷川」〈拾遺愚草〉』
「軽捷」、「軽」の偏「車」は「忄」や「丩」のようなかたち。
わたしの住居のすぐ近所は、江戸時代江戸の町へ西川材(江戸の西の方からきた材木)という材木(杉・松・檜など)を名栗川、入間川を流して運んでいました。市立博物館にはそれらに関する詳しい史料・物品が展示されています。
上流から下流に流すにあたって、川幅も広くなり、また天候の状況によってはおもいどおりにあやつれなかったりして、川岸の土手を壊してしまったり、農地に流木が入ってあらしてしまったりと、たくさん揉め事があったようです。それら裁判の記録が古文書として残っています。
流れの速い川の中で丸太一本に乗っている人が二人描かれています。こんなことをしたら命がいくつあってもたりません。貯木場や川岸の静かなところで丸太をそろえるときにはこのようにのることもあったでしょうけど、材木を流すときは筏を組んで行うのがほとんどのようでした。または大雨を待ち、増水するときをねらっていっきに丸太を流すこともあったようです。
2026年4月12日日曜日
日本山海名物圖繪巻之二 その7
P12P13 国文学研究資料館蔵
(読み)
杣 人
そまびと
山 中 尓て木を切 て渡世春る者 を杣 といふおよそ奥 山 尓てハ
さんちゅうにてきをきりてとせするものをそまというおよそおくやまにては
い可奈る大 木 を切 たを須とても枝 奈ど打 ことハなく只
いかなるたいぼくをきりたおすとてもえだなどうつことはなくただ
者しめより根の所 をまさ可り尓て切 たを春奈り和哥尓ハ木曽能
はじめよりねのところをまさかりにてきりたおすなりわかにはきその
杣 人 を専 尓よ免り木曽ハ信 濃 国 尓て奥 ふ可起大 山 奈り杣 人 の
せん
そまびとをせんによめりきそはしなののくににておくふかきおおやまなりそまびとの
分 入 山 の道 志るべ尓ハ小木 を切 可けて目印 と須古れ枝折 といふ
王けいる しおり
わけいるやまのみちしるべにはこぼくをきりかけてめじるしとすこれしおりという
和哥尓もよめり栞 の字杣 人 の道 志るべの事 奈る由 設 文 尓見え多り
可ん
わかにもよめりかんのじそまびとのみちしるべのことなるよしせつぶんにみえたり
(大意)
略
(補足)
「」、『しおり しをり【栞・枝折り】〔動詞「枝折る」の連用形から〕
① 本の読みかけのところに挟んでしるしとする,細幅の紙片やひも。
③ 山道などで,木の枝を折っておいて道しるべとすること。また,その道しるべ。「―を尋ねつつも登り給ひなまし」〈今昔物語集28〉』
なるほど、「栞」は「枝折り」からきているのですね、ひとつ賢くなりました。
二人一組で横挽鋸を使い切り倒した木を切っています。裸足でこの作業はしなかったとおもいます。また左上、斧で松を切り倒そうとしてますが、切り口をこんなふうにすることはありません。絵師は実際に見てなかったようです。
2026年4月11日土曜日
日本山海名物圖繪巻之二 その6
P10P11 国文学研究資料館蔵
(読み)
炭 焼 圖
春ミやきのづ
すみやきのず
炭 諸 国 より多 く出る中 尓日 向 國 ト紀州 熊 野より
すみしょこくよりおおくでるなかにひゅうがのくにときしゅうくまのより
出る毛の其 性 よろし摂 州 池 田奥 山 より出る毛の炭 の
でるものそのしょうよろしせっしゅういけだおくやまよりでるものすみの
名 物 也 又 和泉 の横 山 炭 名 品 也
めいぶつなりまたいずみのよこやますみめいひんなり
是 ハ枝 炭 也 い徒゛連も山 尓炭 竈 を
可ま
これはえだすみなりいず れもやまにすみがまを
春えてやく也 春ミ可゛満ハ木薪 の出シ入 勝 手よ起所 尓す由る也
すえてやくなりすみが まはきまきのだしいれかってよきところにすゆるなり
哥 尓ハ小野能すミ可゛満をよめり小野ハ山 城 の国 愛宕 郡 なり
をたぎ
うたにはおののすみが まをよめりおのはやましろのくにおたぎぐんなり
此 穴 を四ツめと云 可まへすミ木をくべこむてい せいらう石
このあなをよつめという かまへすみぎをくべこむてい せいろうせき
炭 木を出須てい うハ屋
すみぎをだすてい うわや
(大意)
略
(補足)
この説明文でも「品」と「所」のくずし字が使われています。やはりそっくりでまぎらわしいです。
「哥尓ハ」の歌を検索するとAIの概要が得られました。
『山城国愛宕郡小野(現在の京都市左京区上高野・八瀬周辺)は、平安時代から炭の産地(炭竈の里)として知られ、和歌や物語にその風景が詠まれています。代表的な歌は、曾禰好忠(そねのよしただ)が『新古今和歌集』などで詠んだものです。
「おのの原 たなびくくもは 炭かまの けぶりならね けふもふる雪」
(小野の原にたなびく雲は、炭竈の煙ではない、今日も降る雪よ)』。
「此穴を四ツめと云」、どこに穴があるか探してしまいますが、軒の下にある煙の出ている四つの穴。
2026年4月10日金曜日
日本山海名物圖繪巻之二 その5
P8P9 国文学研究資料館蔵
(読み)
美濃釣 柿
ミの徒るし
みのつるしかき
志ぶ柿 のいま多゛熟 せぬうち尓取 て皮 をむき糸 を付
じ由く
しぶがきのいまだ じゅくせぬうちにとりてかわをむきいとをつけ
て竿 尓可け日尓本春也 安藝 国 西 条 きおん坊 其味
さ本 あき あち
てさおにかけひにほすなりあきのくにさいじょうぎおんぼうそのあじ
春ぐれ多りといへと毛美濃徒゛るしよりちいさし美濃ハ味 ハひよき
あち
すぐれたりといえどもみのづ るしよりちいさしみのはあじわいよき
のミ尓阿ら須其 形 甚 多大 奈り本し上ケて三 寸 者゛可りの長 さなる
あ
のみにあらずそのかたちはなはだだいなりほしあげてさんすんば かりのながさなる
柿 あり其 生 の時 の大 さ思 ひやるへし◯くし柿 ころ柿 も皆 志ぶ柿 を
奈ま おゝき
かきありそのなまのときのおおきさおもいやるべし くしがきころがきもみなしぶがきを
以 て拵 由る也 串 柿 ハ丹 波よりお本く出 古ろ柿 ハ山 城
こしら くし
もってこしらゆるなりくしがきはたんばよりおおくでるころがきはやましろ
宇治名 物 也
うじめいぶつなり
(大意)
略
(補足)
「美濃」、「美」のくずし字は「る」+「欠」のようなかたち。
「糸を付て竿尓可け」、挿絵では糸ではなく縄のようなものを、螺旋にして柿のヘタをくくりつけています。うまい付け方です。付けおわった竿を二人で掛けている絵で、右側の男の人の脚の描き方がこの絵師の特徴で、上手ではありません。
「大さ思ひやるへし」、干しあがって三寸(約9cm)ぐらいですから、手のひらいっぱいくらいの大きさで、生でしたらもっと大きい。確かにでかいです。絵の中の柿も手のひらより大きく描かれています。
柿の皮むき作業場は4本柱の壁なし藁葺き屋根の小屋ですが、屋根の妻部分に空気抜き(風で屋根が持ち上がらないように)があります。ここの部分といい、柿のザル、踏み台などこのようなところはとても丁寧です。






