2019年1月31日木曜日

変事出来二付心得覚記 その77




 P.28 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
申  、其 内 又 々 松 太郎 参 り、
もうす、そのうちまたまたまつたろうまいり、

先 の御噺 し申  上 候   者小前 もの、
さきのおはなしもうしあげそうろうはこまえもの、

志゛やうたん二も有之  遍く蛭 子
じょう だんにもこれあるべくえびす

講 の様 成 事 あて古とも那以、
こうのさまなることあてこともない、

只 今 私  に用 向 有之  と申  事 二付
ただいまわたしにようむきこれありともうすことにつき


(大意)
(もうす、)そうこうするうちに再度松太郎がやってきた。
先程の小前百姓がお話をいたしました件ですが
冗談にしたって、まさか蛭子講のようなことになって
とんでもないことをしてしまいました。
私に用事があるということなのでまいりましたが、


(補足)
 この頁全体から漂っている雰囲気(筆圧、筆の細さ、とめやはらい、ながれ具合、墨汁の量など)はもう源左衛門さんのものではありません。女性でしょう。奥様でしょうか。
とてもきれいで筆の運びが手に取るようにわかります。

「志゛やうたん」、冗談(だとおもいます)。
「蛭子講」(えびすこう)。「ひるこ」としても間違いではないようです。
「あて古とも那以」(当て事も無い)、とんでもない、途方もない、見込みはずれだ。

この部分の大意は上記のとおりとしましたが「蛭子講の様成事」が??です。

 とても丁寧に書かれていて、くずし字の部分も流れるように、ごちゃごちゃして文字がつぶれるということもなく筆先をなぞることができてしまいます。


2019年1月30日水曜日

変事出来二付心得覚記 その76




 P.27 8行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
右 二付 太次郎 殿 申  様 、古組 人
みぎにつきたじろうどのもうすさま、こぐみにん

私  世話致 スといふ事 不相成  候   、
わたしせわいたすということあいならずそうろう、

先 々 御立 腹 なく御世話被下  と 申  、
さきざきごりっぷくなくおせわくだされと(もうす、)


(大意)
そのような話をしている中で太次郎殿が言うには、古組の者を
(新組の名主である)私が面倒を見るということはできません。
この先も腹を立てずにかれらの面倒をみてやってくだされと
いうのであった。


(補足)
 頭に血が上ってしまっている滝之助をなだめる場面が続きます。

 丸山美季 氏による次の史料がダウンロードできます。
「武州一揆関係史料 ―上名栗村名主町田瀧之助より江戸で材木問屋を営む父への書状―」

 滝之助は十代の大半を江戸で過ごしたとのことで、喧嘩っ早いことも肌に染み込んだのかもしれません。

 特に難しい字はないようにおもいます。
読みやすいきれいな頁でした。


2019年1月29日火曜日

変事出来二付心得覚記 その75




 P.27 4〜8行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
森 川原
もりがわら

前 通 りゟ 御製 札 前 通 リニ
まえどおりよりごせいさつまえどおりに

居 候   者 下モヘ引 取 世話被下  、
おりそうろうものしもへひきとりせわくだされ、

太次郎 さん聞 人 だよと度々
たじろうさんぶんじんだよとたびたび

噺、
はなし、


(大意)
森川原前通りから御製札前通りの
者たちを下へ引き取って面倒を見てやって下さい、
太次郎さんは地元の名士じゃないですかと何度か
繰り返し話した。


(補足)
 大意をまとめるのに何度も前後を読みました。フィクションの可能性大であります。
滝之助がもう勝手にしろとキレまくっての続きの噺だとおもいます。
「聞人」(ぶんじん)、名の聞こえた人。有名人。

古組名主滝之助の管理するあたりが森川原前通りから御製札前通りで、
そこを、新組名主の有名人の太次郎さんが世話してくれよと、滝之助がクダをまいている
場面なのでしょうか。

「森川原」が行末につめられていて二文字のように見えます。

「被下」(くだされ)、二文字セットで覚えます。

2019年1月28日月曜日

変事出来二付心得覚記 その74




 P.27 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
夜 四ツ頃 、右 之趣   滝 之助 殿 江
よるよつごろ、みぎのおもむきたきのすけどのへ

噺 し候   処  、大 立 腹 、名主 世話も今 者゛ん
はなしそうろうところ、だいりっぷく、なぬしせわもこんば ん

より以多し不申  候   、家 も古王し
よりいたしもうさずそうろう、いえもこわし

度 盤勝 手二以多させ申  候
たくはかってにいたさせもうしそうろう


(大意)
夜四ツ(22時)頃、ここまでの事情を滝之助殿へ
説明したところ、大激怒された。名主のお役目も今晩より
しないと言い、家も壊したければ
勝手にそうすればよいと申された。


(補足)
 この頁も書き手は源左衛門さんではなさそうです。
変体仮名の箇所が目立ちます。
「今者゛ん」(こんばん)、「以多し」(いたし)、「古王し」(こわし)、「盤」(は)、
「以多させ」(いたさせ)。

「夜」、「亠」が偏の一部になってしまってます。

「候処」、「処」はじっと見るとなるほど元の字が見えてきますが、ほとんど「m」です。

 滝之助さんはこのとき、33才でした。まだまだ血気盛んです。
またちょうど、体の具合が悪いときでもあったようです。
あっちの村からこっちの村へと数十キロも歩き、体力的にも精神的にもまいってしまっていたはずです。そんなところへ、夜の10時をすぎて、施金内容をつめなければなりません。

「大立腹」とありますから、口角泡飛ばしの様子だったのではないでしょうか。
「名主なんかもうやってられません。家も壊しかったら一揆勢の好きにさせればいい。」
周りの村役人たちが、まぁまぁとこれまたなだめる様子が見てとれるようです。

 しかし、滝之助さんが強気に怒った背景には、飯能からの文書に一揆勢はこちらまで押しかけて来ることはなさそうだとの連絡が入っていたともいわれています。

 確かなことは真っ赤になってか真っ青になってかはわかりませんが、「大立腹」したのだけは事実であるようです。

 それにしても、きれいな筆跡です。

2019年1月27日日曜日

変事出来二付心得覚記 その73




 P.26 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
太次郎 殿 申  様 、是 二而ハ新 立 江
たじろうどのもうすさま、これにてはにったちへ

帰 り噺 し天見遍しと、源 左衛門
かえりはなしてみべしと、げんざえもん

二も同 道 致  可参   様 申  候   二付 、無拠
にもどうどういたしまいりべくようもうしそうろうにつき、よんどころなく

新 立 迄 立 帰 り、是 二而者小殿・
にったちまでたちかえり、これにてはこどの

秋 津へも沙汰致 し、新 立 ま天゛
あきづへもさたいたし、にったちまで

可参   様 申  事 二付 、御迎  ニ私  し
まいりべくようもうすことにつき、おむかえにわたくし

可参   と良  助 参 り、小殿 之儀者
まいりべくとりょうすけまいり、こどののぎは

酒 二酔 候   間  今 晩 者不参  と之
さけによいそうろうあいだこんばんはまいらずとの

噺 し、秋 津勇 蔵 新 立 へ参 る、
はなし、あきずゆうぞうにったちへまいる、


(大意)
太次郎殿が言うには、このようなことならば新立へ
戻り相談すべきである。源左衛門にも
一緒に来てはくださらぬかとのことで、仕方なく
新立まで帰った。それならばと小殿や
秋津へも連絡して新立まで
来てもらおうと、良助が私が迎えにゆくと出かけた。小殿については
酒を飲み酔っているので今晩は出かけられずとの
はなしで、秋津勇蔵が新立へ来た。


(補足)
 この頁は特にきれいに書かれているようにおもわれます。
源左衛門自身のやや太めで小さめの筆跡とは明らかに異なり、女性の字ではないかと想像してしまいます。何度か述べていますが、この覚記は源左衛門が記録したものに間違いはないとおもいますが、書き手は数人(男女)いるようにおもわれます。この後のP.28、P.29では平仮名が女性っぽく感じてしまいます。

 同じ漢字や表現が何度もあらわれます。
「新立」「帰り」「噺」「可参」「様」「是ニ而ハ」

「無拠」(よんどころなく)、行末に押し込められてますが、ちゃんと読み取れます。

「御迎」、「卯」の偏と旁が上下に位置してます。

「今晩」、やさしそうで難しい。


2019年1月26日土曜日

変事出来二付心得覚記 その72




 P.25 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一 金五千両    代 八
          だいはち

一 金三千両    幸 次郎
          こうじろう

一 金千両     武 助
          たけすけ

一 金五百両    庄  右衛門
          しょうえもん

一 金三百両    惣 次郎
          そうじろう

一 金三百両    良  硯
          りょうけん

一 金百両也    角 太郎
          かくたろう

(大意)


(補足)
 引き続き、金額と署名が記されます。

千両、百両と日本の記数法では壱が省略されてます。
「両」がこれだけ出てくると、しっかり覚えられてよし。
最後の行は、「也」があります。

 名前は難しい。
しかし、ここでは丁寧に書かれているとおもいます。
「良硯」(りょうけん)としましたが、わかりません。

 村役人たちの資産状況に応じて(「振合」)、施金の持ち分を決めたのでしょう。

合計すると23200両となりました。

2019年1月25日金曜日

変事出来二付心得覚記 その71




 P.24 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
返 ス、此 振 合 二而者上 名栗 村 分
かえす、このふりあいにてはかみなぐりむらぶん

弐万 両  余  と申  事 二付 、私  し義者
にまんりょうあまりともうすことにつき、わたくしぎは

あき連帝酒 ぐらへ入  、多葉粉
あきれてさかぐらへはいり、たばこ

呑 居 候   所  へ松 太郎 参 り申  様 、
のみおりそうろうところへまつたろうまいりもうすさま、

大 勢 見込 二者弐万 三 千 両  余  と申  事
たいせいみこみにはにまんさんぜんりょうあまりともうすこと

一   金 五千 両   源 左衛門
ひとつ きんごせんりょう げんざえもん

一   金 四 千 両   滝 之助
ひとつ きんよんせんりょう たきのすけ

一   金 四 千 両   伴 次郎
ひとつ きんよんせんりょう はんじろう


(大意)
返却、この割合で考えれば上名栗村の分は
およそ二万両ということになるから、わたくしなどは
あきれて酒蔵へ入り、タバコを
吸っていたところ、松太郎がやって来てこんなことを言った。
大体のところは見込みで二万三千両あまりになります。

一 金五千両 源左衛門
一 金四千両 滝之助
一 金四千両 伴次郎


(補足)
最初の二行に出てくる「者」(は)のくずし字の形が今までとは異なっています。

「私し義」、「儀」を使ってません。

「あき連帝」(あきれて)、変体仮名。
「多葉粉」、こんなあて字ははじめて見ました。「粉」の旁が「分」のくずし字にちゃんとなってます。

「大勢」(たいせい)としましたが、?。意味は「現状では、現在の情勢では」でしょう。

「両」、楷書のような字体とくずし字が混在しています。

「五」は特徴的で、これが読むことができるとなんか自信がつきます。

「伴次郎」の「半」、「手」と同じ書き順です。「|」を書いてから上に戻ってのこり二本の横棒を書いてます。

2019年1月24日木曜日

変事出来二付心得覚記 その70




 P.23 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
松 太郎 申  様 、先 聞 べし、
まつたろうもうすさま、まずきくべし、

上 名栗 村 ハ漸  くこの位  ま天゛
かみなぐりむらはようやくこのくらいまで

取 詰 拵   、此 書 付 を見遍しと
とりつめこしらえ、このかきつけをみべしと

申  掛 合 候 得 共 、周  吉 ・艮  助 外二 両  人
もうしかけあいそうらえども、しゅうきち・りょうすけほかにりょうにん

申  様 、上 名栗 ハどふして此 位  で
もうすさま、かみなぐりはどうしてこのくらいで

聞遍し、浅 海 戸ハ後家二而さへ
きべし、あさかいどはごけにてさへ

一 軒 天゛弐千両   、時 かし帳  消 、質 物 者
いっけんで にせんりょう、ときかしちょうけし、しちものは


(大意)
まずは聞いてくれ、と松太郎は言いながら
ようやく上名栗村は交渉してこれくらいまで詰めることができたのだと
書付を示した。しかし、周吉や良助と他の二人が言うには
上名栗村はどうしてこのくらいで受け入れてしまったのだ。浅海戸では後家さんでさへ
一軒で2千両、当座の貸しは帳消し、質者は(返却)


(補足)
「聞べし」が2度出てきます。「聞」のくずし字は特徴的です。また「見遍し」を入れて「べし」が3回使われてます。

「天゛」(で)、変体仮名。これは2度使われてます。「この位ま天゛」、「一軒天゛」。

「取詰拵」(とりつめこしらえる)、施金などの内容を詰めて、書付し署名したものをやっと拵えた、ということでしょう。

「弐千両」、ここの「両」は筆の運びがとてもよくわかります。「ち」をかいてそのまま左回りに
「∞」の右側の部分をかき、さらにそのまま左側の部分をやはり左回りにかく。

「時かし」、3行目のものは分かりづらかったですが、ここでは「可し」とわかりやすい。


 今日で70回となりました。
昨年11月16日から始めて2019年1月24日までほぼ毎日投稿しています。
このペースでゆくと、5月下旬か6月中には終了することになるはずです。


2019年1月23日水曜日

変事出来二付心得覚記 その69




 P.23 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
下 名栗 ゟ 人 が参 り、浅 海 戸
しもなぐりよりひとがまいり、あさかいど

之儀者取 極 り金 弐千 両  外 二
のぎはとりきまりきんにせんりょうほかに

外 二時 かし分 帳  消 、質 物 者不残
ほかにときかしぶんちょうけし、しちものはのこらず

置 主 江可返   、小作 金 是 迄 之分
おきぬしへかえすべく、こさくきんこれまでのぶん

拂  那し、
はらいなし、


(大意)
下名栗より人がやってきて、浅海戸
のほうは決まったよ。金2千両の他に
当座の貸しは帳消し、質者は残らず
持ち主へ返す、小作金(地主からの土地の借り賃)のこれまでの分は
払わなくてよい。


(補足)
浅海戸、下名栗の加藤家。

「時かし分」、「時」と「分」は読めるが、「かし」が悩む。
「質」、何度か続けて出てきているので大丈夫です。
「不残」、「不」はほとんど「ふ」、「残」も頻出、特徴があるくずし字。

「置」、「直」のくずし字をしっかり覚えておけば読めます。

「小作」、「作」の「乍」が特徴的。「乍恐」(おそれながら)の定番で頻出です。

「拂那し」、「那」(な)、変体仮名。これ一文字だと読めません。前後から判断。


2019年1月22日火曜日

変事出来二付心得覚記 その68





 P.22 10〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
大 急 き二而大 工周  吉 ・下 出良  助 ・
おおいそぎにてだいくしゅうきち・しもでりょうすけ・

栃 谷海 忠 次郎 ・穴 沢 徳 次郎
とちやうみただじろう・あなざわとくじろう

(貼紙)「此 弐 人跡 二而尋  候   処  、栃 谷海 忠 次郎 ・穴 沢
     このふたりあとにてたずねそうろうところ、とちやうみただじろう・あなざわ

徳 次郎 二御座候   、松 太郎 申  口」
とくじろうにござそうろう、まつたろうもうしぐち

四人 参 り申  様 、松 さん只 今
よにんまいりもうすさま、まつさんただいま


(大意)
あわてて大工の周吉、下出良助、
栃谷海忠次郎、穴沢徳次郎
(貼紙)「この二人にあとで尋ね確かめたところ、栃谷海忠次郎、穴沢徳次郎
であった。松太郎談。」
の4人がやってきて言うには、松さんたった今、


(補足)
 4人の名前が出てきます。名前のくずし字は難しいのですが、ここでは丁寧に書かれています。
「跡」、難しい。
「尋」、「ヨ」の下部分が大きく一つになってます。「エ」はそのままですが、「口」と「寸」がひとかたまりになってます。

「御座候」の部分が折り目になってしまっています。このようなときは、勝手に折り目を元に戻してはいけません。ここから切れたり破れたりすることもあります。専門家に任せます。

「松さん只今」から始まる部分は、口語体で次の頁に続きます。当時の人たちの日常会話の様子がわかる貴重なところです。この覚記では数箇所にそのような記述があり、それぞれの場面が時代劇のように臨場感あふれます。


2019年1月21日月曜日

変事出来二付心得覚記 その67




 P.22 6行目〜9行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
然 ら者゛小物 ゟ 上ミニ而十  人 、下モニ而
しからば こものよりかみにてじゅうにん、しもにて

拾  人 、都合 廿   人 も可参   と書 付 ハ
じゅうにん、つごうにじゅうにんもまいるべくとかきつけは

松 太郎 請 取 持 出し、太次郎 殿 同 道 二而
まつたろううけとりもちだし、たじろうどのどうどうにて

手前 酒 ぐらの前 迄 参  候   處
てまえさけぐらのまえまでまいりそうろうところ


(大意)
ということで、上名栗より10人、下名栗より
10人の村民あわせて20人で行こうと、書付は
松太郎が受け取り持ち出した。太次郎殿が一緒で
わたし(源左衛門)の酒蔵の前まで来たところ、


(補足)
 書付は一揆勢に手渡され、村に戻る途中酒蔵の手前まで来ましたが・・・。
平沼源左衛門さんは酒造業も営んでいて「いるまや」という酒屋を開いてました。

「十人」「拾人」、異なる漢字を使うのがオシャレだったのでしょうか。
「都合」、「者」+「阝」ですが、偏の「者」が右隣の「者゛」とは違います。
「書」がくずしてなく、きれい。

「請」がわかりずらい。

「前」、これ一文字だと?。


2019年1月20日日曜日

変事出来二付心得覚記 その66




 P.22 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一   金 弐千 両                鳥 居 源 左衛門
ひとつ きんにせんりょう              とりい げんざえもん

                          小殿  伴 次郎
                          こどの はんじろう

                          秋 津 幸 次郎
                          あきず こうじろう

外 二質 物 者返 し可遣    候、       新 立  滝 之助
ほかにしちものはかえしつかわすべきそうろう、    しんだて たきのすけ

証  文 金 者質 物 振 合           柏  屋 代 八
しょうもんきんはしちものふりあい          かしわや だいはち

是 ハロ 上  二而申  、是 へ書 二不及    
これはこうじょうにてもうし、これへしょにおよばず


(大意)
ひとつ 金二千両 を施金する。
他に質物は返すようにする。
証文の金額は質物とのつり合いによる。
これらのことは口頭で伝え、書面にはしない。

鳥居源左衛門
小殿判次郎
秋津幸次郎
新立瀧之助
柏屋代八


(補足)
 五人の連名で施金などをすることになり、書面におこし、交渉を始めます。

「金」の字は、何度見ても「合」に見えてしまいます。

「可遣候」、3文字セットで覚えたほうが簡単です。
「質」、「斤」「斤」の左側がいつも気になります。

「振合」、この後も何度か出てきます。割合・都合・状況・他とのつり合いなどの意味ですが、ここでは兼ね合いといった感じでしょうか。

5人の名前の中ではやはり「鳥」が一番特徴的です。


2019年1月19日土曜日

変事出来二付心得覚記 その65




 P.21 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
下モでも
しもでも

申  が上 名栗 ハ有 徳 成 者 多  分
もうすがかみなぐりはゆうとくせいじゃおおいぶん

有之  候   間  三 倍 位  と申  、先 程 二而ハ
これありそうろうあいださんばいくらいともうし、さきほどにては

春く那し、然 ら者゛千 両  増 て
すくなし、しからば せんりょうまして

金 弐千 両  、左二候  得ば早 く
きんにせんりょう、さにそうらえばはやく

書 遍しといふ事 二付 、久二郎 殿
かくべしということにつき、くじろうどの

硯  箱 西 之内 紙 持 出し、医王 寺
すずりばこにしのうちがみもちだし、いおうじ

方 丈  認   、下モよりと申  事 二付 鳥 居始
ほうじょうしたため、しもよりともうすことにつきとりいはじめ


(大意)
下もの村でも言っている通り、上名栗は富裕な人たちが多いだろうということで3倍位が適当なので、先程の内容では少ないでしょう。ならばもう千両増やして
金2千両とし、それで良いということならばすぐにでも
書付にすべきであるということで、久二郎殿が
硯箱と西の内紙を用意し、醫王寺の
住職が文章にした。住職は下もの村役人から署名をするようにということで、鳥居(源左衛門)から始めた。


(補足)
 ようやく一揆勢との交渉内容がまとまり書面にするところまできました。

「下も」という表現がよくでてきます。ここでは自分たちが住んでいるところより、下流域(飯能により近い)の村のことになります。具体的には、下名栗の下もとなるのは久林・茶内・唐竹・中屋敷・扇ヶ谷・新寺(にってら)などとなります。

「三倍位」、以前の「倍」は少し間違えたのを上書きして鮮明ではありませんでしたが、ここのはよくわかります。

「春く那し」(すくなし)、変体仮名。「奈」はよく出てくるし、くずし字は「な」に近いのですぐに読めますが、たまに出てくる「那」は前後の文章を読んでから推量してという手順でようやく読める。
「然らば」(しからば)、頻出。
「両」、ここではくずしています。「ち」+「∞」。

「西の内紙」、現在の茨城県常陸大宮市で生産される和紙。このブログでは「名栗村史研究 那栗郷1」の翻刻を参考にしています。単純な印刷ミスで「酉」→「西」です。

「方丈」、住職の俗称。
「鳥」、特徴的なので覚えやすかも。「广」+角ばった「る」。


2019年1月18日金曜日

変事出来二付心得覚記 その64




 P.21 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
申  候  得者゛、松 太郎 夫 二而者間二
もうしそうらえば 、まつたろうそれにてはまに

合 不申  、少 しも早 く最早 下 二而ハ
あいもうさず、すこしもはやくもはやしもにては

久林  江出向 申  候   哉も難計    申事
くばやしへでむきもうしそうろうやもはかりがたくもうすこと

ゆへ、滝 之助 殿 申  二者、楚之天
ゆへ、たきのすけどのもうすには、そのてん

どのくらいと申  候  得者゛
どのくらいともうしそうらえば


(大意)
言ったところ、松太郎はそんなことをしていては
間に合わないと述べた。少しでも早く対処し、もう隣の村では
久林へ出かけ(一揆勢と交渉する)ることも難しくなっていると
いうので、滝之助殿が言うには、その点
(施金の割合は)どのくらいなのかと言ったところ


(補足)
 この頁は平仮名が多く、女性っぽさを感じます。

「候得者゛」(そうらえば)、3点セット。
「間」、頻出ですが、ここのくずし字は「召」のよう。

「少し」、簡単な字なのですが、えーとっと考えてしまいます。
「早く最早」、「早」が続きます。「最」、「取」のくずし字から類推すると覚えやすい。

「難計」(はかりがたく)、頻出です。

「楚之天」(そのてん)と読みましたが、他の読み方が思い浮かびません。

「申候得者゛」、2度目です。


 どうも大意をうまく表現できません。フィクションになっている可能性大であります。
一揆勢との交渉内容をどうするかという村役人たちの話し合いの場面であることは理解できてます。
このあとは、施金額と割合も決定し書面にしてゆきます。



2019年1月17日木曜日

変事出来二付心得覚記 その63




 P.20 9行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
其 節 居合 セしもの醫王 寺・
そのせついあわせしものいおうじ・

太次郎 殿 ・軍 蔵 殿 ・清 八 殿 ・
たじろうどの・ぐんぞうどの・せいはちどの・

源 左衛門 ・滝 之助 殿 、夫 奈ら者゛
げんざえもん・たきのすけどの、それならば

外 有 徳 成 者 江も沙汰可致   と
ほかゆうとくせいしゃへもさたいたすべきと


(大意)
このときの話し合いにいたものは、医王寺住職・
太次郎殿・軍蔵殿・清八殿
源左衛門・滝之助殿であった。そのようにするのならば
他の富裕な人たちにも呼びかけるべきだろうと


(補足)
「其節」、「節」の「竹」冠が難しい。
「殿」はどこでも当たり前にでてきます。くずし字はどうしても偏や旁など漢字の部品から推測して見てしまうのですが、この「殿」のくずし字などは、もう新しい漢字として覚えたほうが簡単です。

「奈ら者゛」(ならば)、変体仮名。

「有徳」(うとく、ゆうとく)、金持ち・富裕な人。「有」が「有之」のときのくずし字とは異なっています。


2019年1月16日水曜日

変事出来二付心得覚記 その62




 P.20 4〜8行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
松 太郎 申  様 、
まつたろうもうすさま、

私 しにも何 程 とも不申  、下 名栗 ゟ も
わたしにもなにほどとももうさず、しもなぐりよりも

上 名栗 者物 持 多 し、下 名栗 之
かみなぐりはものもちおおし、しもなぐりの

三 倍 位  二而も案 心 奈らす、是 迄
さんばいくらいにてもあんしんならず、これまで

上 名栗 二而千 両  と申  置 候   事
かみなぐりにてせんりょうともうしおきそうろうこと


(大意)
松太郎が言うには、
私にもどれくらいがよいかわかりませんが、下名栗より
上名栗は裕福な家が多いので、下名栗の
3倍位出したとしても安心はできません。今のところ
上名栗では千両ということになっております。


(補足)
 どれくらいの額を施金すべきか、細かく談義しています。

本日の部分は楷書と言ってもよいくらいくずし字が少なく、現代の手紙と変わりません。

「倍」、上書きして間違いを直しているようです。



2019年1月15日火曜日

変事出来二付心得覚記 その61




 P.20 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
上 名栗 村 も急 き早 々 認  メ、
かみなぐらむらもいそぎそうそうしたため、

一 同 二而久林  江持 出ス遍しと急 き
いちどうにてくばやしへもちだすべしといそぎ

申  事 二付 、滝 之助 殿 申  様 、何 程 と
もうすことにつき、たきのすけどのもうすさま、なにほどと

割 合 を附 可申出    と申  聞 セ
わりあいをつけもうしだすべくともうしきかせ、


(大意)
上名栗村でも急いで(施しの内容を文章に)したため
一同で久林へもってゆくべきであること至急だと
言うことになった。滝之助殿は、どれくらいの
割合で提示したらよいのか説明された。


(補足)
 この頁は前の頁と筆跡の雰囲気が変わりました。
筆を新しくしただけなのかもしれません。
それにしても読みやすくきれいな字です。

「認」、「言」+「忍」なのだが、当時のくずし字の流儀通り、「心」が全体の下部(脚)に位置してます。

「聞」、久しぶりに出てきました。「門」が上部に、「耳」が「夕」or「又」みたいにして下部へ。

「様」は超頻出です。くずし字はたくさん種類があるようですが、この覚記ではほとんど変化はなくここにあるような字体です。



2019年1月14日月曜日

変事出来二付心得覚記 その60




 P.19 8行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
久林  二待 請 打 毀
くばやしにまちうけうちこわし

参 り候  ハヽ、下 名栗 者物 持 ゟ 是 程
まいりそうらわば、しもなぐりはものもちよりこれほど

村 方 江施  し致  候   間  、打 毀  候   事 ハ
むらかたへほどこしいたしそうろうあいだ、うちこわしそうろうことは

勘 弁 以多し呉 候   様 此 書 付 ヲ
かんべんいたしくれそうろうようこのかきつけを

見せ、一 同 手を置 願  いふ事 二御座候、
みせ、いちどうてをおきねがいいうことにござそうろう


(大意)
久林で一揆勢が打ち壊しに
やってくるのを待っていると、下名栗の資産家がこれ程
村へ施しをしているのに、(まだ)打ち壊し続けようとしていることは
(もう)勘弁してくれとこの書付を一揆勢に
見せ、村役人たちは全員手をつき、お願い説得をしました。


(補足)
「久林」、浅海戸をもう少し下った付近。
「待請」「物持」、ちょうど同じ位置に「待」と「持」が並んでいる。旁の「寺」がほとんど同じくずし字になってます。
「是程」、「程」の旁が独特です。

「勘弁」、「勘」の偏が「舌」に似てます。
「以多し」(いたし)、変体仮名。「致」が何度か出てきているのに、この部分はかな文字です。

「手を置く」、辞書には「手をこまぬく、施すすべがない、思案にあまる」とあります。
手をついて勘弁してもらうということではなさそうです。

「願」、偏の「原」がこんな形になるのですね。



2019年1月13日日曜日

変事出来二付心得覚記 その59




 P.19 4〜8行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一   浅 海 戸倉 之助 儀者、質 物 者
ひとつ あさかいどくらのすけぎは、しちものは

札 ヲ切 く連遣  ス遍゛し、其 外
ふだをきりくれつかわすべ し、そのほか

村 方 へ米 六 拾  俵  、時 貸 之分 帳  消
むらかたへこめろくじゅっぴょう、ときがしのぶんちょうけし

いま多゛掛 合 中  二御座候   、夫 ゟ 下モ江
いまだ かけあいちゅうにござそうろう、それよりしもへ

段 々 右 之通 り致  、
だんだんみぎのとおりいたし、


(大意)
浅海戸の倉之助については、質物は
それらの質札は破り捨てて、その他
村へ米60俵を施し、当座の貸しは帳消しにし、
との内容でいまだ交渉中である。
同じような交渉が段々拡がっていった。


(補足)
「浅海戸」、鍛冶屋橋南1キロ弱付近。
「質物」、「質」の「斤斤」が難しい。
「連」(れ)、「遍゛」(べ)、変体仮名。

「六拾」、「拾」だけでは難しいが、漢数字のあとにくるので推測しやすい。
「分」、「彡」+「`」です。(「彡」はさんづくり)

 ようやく村役人と一揆勢とで細かい内容を交渉(掛合)し始めました。
まず第一は生きていくための米、次に今後の生活で重く負担になる金銭的な借金など
どれも切実なものばかりです。



2019年1月12日土曜日

変事出来二付心得覚記 その58




 P.19 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
施し、承知事ならば手筆
ほどこし、しょうちことならばしゅひつ

二而書付致し、印形致渡べしと
にてかきつけいたし、いんぎょういたしわたすべしと

申事二付、取極り候様子
もうすことにつき、とりきまりそうろうようす


(大意)
施し、承知したのならば自筆
にて書面に書きあらわし押印して渡せと
述べるので、そのように決定した様子である。


(補足)
 P.14の3行目から字下げしてあるのはここまでとなってます。
今ひとつ、字下げした意味がよくわかりません。その部分の内容は村役人たちが集まり騒動を振り返り今後の対応をどうするかということになろうかとおもいます。
源左衛門さんの個人的な見方や意見とは異なる部分になるからということもあるに違いありません。
それでも、うーん・・・。

「施し」、前後の文章の意味がわからないと読めません。
「奈ら者゛」(ならば)、変体仮名。
「手筆」、「筆」が難しい。

「書付」、「書」のくずし字はいくつもありわかりにくが、この字は高層ビルのようです。
「印形」、「印」はかたちで覚える。横並びの部品が、上下になる。似たようなくずし方に「仰」があります。

「極り」、旁のくずし方に注意。

2019年1月11日金曜日

変事出来二付心得覚記 その57




 P.18 8〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
若 違変 申  者 ハ村 方 二而打 毀  と
もしいへんもうすものはむらかたにてうちこわすと

申 して、川 又 江参 り安 兵衛殿 へ
もうして、かわまたへまいりやすべえどのへ

掛 合 、是 ゟ 段々  小沢 迄 掛 合 、
かけあい、これよりだんだんおざわまでかけあい、

依之    安 兵衛殿 米 四 拾  俵  ・同
これによってやすべえどのこめよんじゅっぴょう・どう

金 左衛門 米 四 拾  俵  申付   、
きんざえもんこめよんじゅっぴょうもうしつけ、

都合 両  人 二而米 八 拾  俵  村 江
つごうりょうにんにてこめはちじゅっぴょうむらへ


(大意)
もし約束を守らない者は村民が打ち壊すと
言って、川又の安兵衛殿と
交渉し、それから南へ下って小沢で交渉した。
この交渉によって安兵衛殿は米40俵、同じく
金左衛門米40俵ときまり、
あわせて両人で米80俵を村へ


(補足)
川又、鍛冶屋橋から南へ少し下ったところ、龍泉寺付近。
小沢、さらにずっと南へ下った延命寺付近、そのまま山道を進むと小沢峠。

「違変」、契約・約束にそむくこと。「変」のくずし字が難しい。

「依之」(これによりて、これによって)
「米」がここから3度出てくる。よく知った字だが、どうしても3画目までが「艹」に見えてしまう。

「両人」、この「両」は巾が細身で分かりづらい。

「而」(て)「江」(へ)「登」(と)「与」(と)など助詞が頻繁にでてきます。
「江」(へ)と「登」(と)の区別が要注意です。


2019年1月10日木曜日

変事出来二付心得覚記 その56




 P.18 最初〜7行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
下 筋 飯 能 迄 も宜 敷 御願  と
しもすじはんのうまでもよろしくおねがいと

申  候   而帰 し申  候   、其 日暮
もうしそうろうてかえしもうしそうろう、そのひぐれ

一   六ツ時 頃 、原 松 太郎 殿 参 り
ひとつ むつどきごろ、はらまつたろうどのまいり

申  様 、此 度 之打 毀  二付 、下 名栗
もうすさま、このたびのうちこわしにつき、しもなぐり

二而者此 度 之事 ハ村 役 人 二不掛、
にてはこのたびのことはむらやくにんにかけず、

小前 者 二而物 持 江直 掛ケ合
こまえものにてものもちへじかがけあい

以多し、申  付 ヲだせばよし
いたし、もうしつけをだせばよし


(大意)
飯能村の方までよろしくお願いしますと
伝えたと述べて帰宅されました。その日暮
六ツ(夕方6)時頃、原松太郎殿が来宅し
言うには、この度の打ち壊しの件ですが、下名栗村
ではこの度のことは村役人の扱いとはせずに
小前百姓が裕福な家と直接に交渉し
今後のことを決めればよい。


(補足)
行下げがこの頁でも続いています。

「下筋飯能」、「筋」は今までどおり「竹」冠が離れている感じ。「飯能」は何度も出てきているのにやはり読みづらい。
「宜敷御願」もじっと見てしまう。

「日暮」、「暮」が2文字分くらいある。「艹」が今と書き順が異なり、くずし字が特徴的。

「物持」(ものもち)、そのまんまの表現で、金持ち・資産家。
「直」、頻出で重要。漢字の部品としても使われので、しっかり形として覚えます。

「以多し」(いたし)、変体仮名。
「だせばよし」、平仮名の連続は珍しいかも。



2019年1月9日水曜日

変事出来二付心得覚記 その55




 P.17 10行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
此 者 弐 人黨 取りと相 見へ申  候
このものふたりとうどりとあいみえもうしそうろう

下 名栗 村 共 談 事之上 、其 御村 方 江
しもなぐりむらどもだんじのうえ、そのおむらかたへ

明日二も罷  出御談 事を請、
あすにもまかれでごだんぎをこい


(大意)
この二人が首謀者だろうと申しておりました。

 下名栗村の村民たちで相談の上、その村役人たちへ
明日にでも届け出てご判断を仰ぎ、


(補足)
「黨」、「党」の旧字体。周りに比べて大きい。
「弐人」(ふたり)、「弐」のくずし字が前行に出ている「哉」に似てます。

「其御村方江」、行末に字を小さくして詰め込むなら、前行で空白をあけなければとくだらぬことを考えてしまいます。

「明日」、「明」の旁「月」のくずし字が重要です。
「請」、頻出ですが読みづらい。


2019年1月8日火曜日

変事出来二付心得覚記 その54




 P.17 5〜9行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
太次郎 殿 罷  出申  様 、各々  様 方
たじろうどのまかりでもうすさま、おのおのさまがた

本 と被仰  致  方 無之  、村 方 之者
ほんとおおされいたしかたこれなく、むらかたのもの

十  五日 帰宅 仕    候  得共 、いま多゛両  人 程
じゅうごにちきたくつかまつりそうらえども、いまだ りょうにんほど

不帰   、定 目而此 者 弐人 岩 鼻 表  江
かえらず、さだめてこのものふたりいわはなおもてへ

欠 込 候   哉、又 ハ欠 落 致  候   哉、
かけこみそうろうや、またはかけおちいたしそうろうや、


(大意)
(滝之助殿に先んじて)太次郎殿が申すには、皆様が
本当の気持ちをおっしゃられて(お互いの立場上)どうしようもございません。村民は
15日に帰宅致しましたが、いまだに二人程が
戻っておりません。きっとこの二人は岩鼻代官所へ
駆け込み訴えているのでしょうか、または逃走してしまっているのでしょうか。

(補足)
「申様、各々様方」、「様」の偏と旁がはなれて、今までの筆跡となんか異なっている感じがします。

「致方無之」、「無之」をたよりにさかのぼって「致方」(いたしかた)と読めたが、「致」だけだとわからなかったはずです。この三行目後の「致」はすぐわかるのですが。

「十五日」、「五」の一画目がない。それでもこの字はわかりやすいほう。
「いま多゛」(いまだ)、「多」(た)変体仮名。

「両人」(りょうにん)二人。「両」「当」「留」などくずし字がにてます。「帰」の旁も似てる。

「定目而」(さだめて)、3文字セット。
「弐人」(ふたり)、「弐」がわかりずらいが一から十までマスターしなければならないくずし字です。この二行後にも出てくる。

「欠込」(かけこむ)、「駆け込む」は今でも使われます。
「欠落」(かけおち)は今で言う男女の「駆け落ち」の意味ではありません。農民が食っていけなくなって村から逃げること。武士では出奔(しゅっぽん)。欠落が出ると、村役人や親族は行方を探索しなければならなかった。

 江戸時代の農民の生活が書かれている本は多数ありますが、
速水融氏「江戸農民の暮らしと人生 歴史人口学入門」が大変に興味深く読書できます。




2019年1月7日月曜日

変事出来二付心得覚記 その53




 P.17 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
御沙汰二有之  候  ハヽ、私 し村 方 迄 も
ごさたにこれありそうらわば、わたしむらかたまでも

御沙汰二被下  者 役 に多らず共、
ごさたにくだされものやくにたらずとも

御差 留 可申   、さし畄  らんとも
おさしとめもうすべく、さしとどまらんとも

村 方 之者 ハ出し不申  候   、此 儀如何 と
むらかたのものはだしもうさずそうろう、このぎいかがと

滝  之助 殿 江申  掛 候
りゅうのすけどのへもうしかけそうろう


(大意)
おさばきがあるのならば、わたしの村でも
おさばきを下される者がいることでしょう。しかし
(村民から探し出して)捕まえよとは言いますが、(首謀者が)わかったとしても
村民は(かばいあって)、(その者を)出すことはしないでしょう。この件についてはどうでしょうかと、龍之介殿へ話しかけました。


(補足)
 この頁は2箇所で行の途中で文章を終わらせています。これ以前ではどの頁でも行末までびっしり書き、無理やり一行に収めようと字を小さくしたり行間にすべりこませたりしていました。この頁でも行末で小さい字で押し込めている箇所があるのにです。
どういう心境の変化なのでしょう。

 さて、この段落でもわかるところを拠点に想像力を働かせて大意としました。読み誤っている可能性大であります。

「私し」、一人称の「私」はでてきそうで意外と使われません。珍しい。

「御沙汰二被下者役に多らず共」、わかりません。降参です。

「さし畄らんとも」、『終止形・連体形の「らむ」は「らん」と発音されるようになり、「らん」とも書かれる。推量の助動詞』。「畄」は「留」の俗字。この行の上にも「御差留」と漢字だがこの部分はひらがな。

「此儀」はわかりやすい。
「如何」、「如」が極端につぶれてわかりにく。2文字セット形で覚える。

「申掛候」、「掛」がわかりそうで読めませんでした。


2019年1月6日日曜日

変事出来二付心得覚記 その52




 P.16 10行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
下 名栗 村 江も村 役 人 衆  へ其 段
しもなぐりむらへもむらやくにんしゅうへそのだん

御頼  、若 隠 連参 り候   者 有之  候ハヽ  、
おたより、もしかくれまいりそうろうものこれありそうらわば、

御差 留 置 御沙汰被下  候   趣   ヲ
おさしとめおきごさたくだされそうろうおもむきを

申  遣  し候   登申  候  得者゛、茶 内
もうしつかわしそうろうともうしそうらえば 、ちゃない

善 太郎 申  様 、下 名栗 村 迄
ぜんたろうもうすさま、しもなぐりむらまで


(大意)
下名栗村の村役人たちへもその件については
お願いお頼りし、もし隠れて帰村する者がいたら
身柄を押さえおさばきが下されるだろうことを
申し伝えたとお話した。そうしたところ茶内の
善太郎が言うには、下名栗村まで


(補足)
「下名栗村」、「栗」の字が長く、2文字のよう。
「村役人衆」、「衆」が「人」の中に入ってしまいわかりにくが、何度も出てきているので大丈夫?

「御沙汰」、「沙」の旁が「少」のくずし字で、「汰」の旁が「尤」のくずし字に似ている。
「被下候」(くだされそうろう)、3文字セット。何度も出てきました。



2019年1月5日土曜日

変事出来二付心得覚記 その51




 P.16 6〜9行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
尤   我 野へも通 達 之人
もっともあがのへもつうたつのひと

遣  し、村 役 人 も御頼  置 隠 連
つかわし、むらやくにんもおたよりおきかくれ

罷  通 り候   哉、左様 之者 一 向 二
まかりとおりそうろうや、さようのものいっこうに

通 り不申  趣   、使  もの申  口 御座候
とおりもうさずおもむき、つかいものもうすくちござそうろう


(大意)
もっとも、吾野へも(お役所からの)通達をもたせて
連絡しているし、吾野の村役人にも頼んでいて、(首謀者が)隠れて
村を通ったというようなことがあるだろうか。そのような者はまったく
通っていないようであると、使いのものは申しておりました。


(補足)
 またフィクションをやっちまったかもしれません。

 この場面は、打ち壊しなどの騒乱がまったく収拾したわけではありませんが、役人衆が膝を突き合わせての相談をする余裕ができたところです。下名栗村が発火点となり近在の村々へ広がっていったことは確かなことです。それぞれの村の村役人たちは今後のことをお役所へ報告するにあたって誰がどのようなことをして首謀者はと村民を尋問しました。この頁に記されている文面の同時進行で進んでいる裏の状況がわからないと、正確に大意をつかめません。

「尤」(もっとも)、頻出です。
「通達」、ほとんど楷書で、小学生でも100%大丈夫。

「遣し」(つかわし)、漢字の一部分「中」が名残で、あとは「辶」の「と」がある。
「御頼」、この4行後文頭にも出てきます。形で覚えるしかなさそう。
「置」、「直」の部分がこのようなくずし字になり特徴的。
「隠連」(かくれ)。

「罷通り」、「罷」はわかりやすいくずし字なので読める。「通り」が次の行頭にあり並んでいる。



2019年1月4日金曜日

変事出来二付心得覚記 その50




 P.16 最初〜6行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」

(読み)
村 役 人 一 同 寺院 方 迄 罷  出
むらやくにんいちどうじいんがたまでまかりで

差 留 候  得共 、大 勢 之事 故 に
さしとめそうらえども、おおぜいのことゆへに

承  知も不致  、我 野江も王かり
しょうちもいたさず、あがのへもわかり

我 野谷ツも下 り候  ハヽ、所諭
あがのやつもくだりそうらわば、いわゆる

此 度 之事 ハ私  共 計 りと申  事 二
このたびのことはわたしどもばかりともうすことに

不相成  と申
あいならずともうす


(大意)
村役人たち全員で寺まで出向き
押し止めようとはしましたが、大勢であったために
説得も聞き入れられませんでした。吾野でも(騒動が起こっていることが)わかり
吾野谷戸でも騒ぎがおきているので、いわゆる
今回の騒動はわたしらの村だけでおこったと言うことは
できないと申しました。


(補足)
「我野江も王かり我野谷ツも下り候ハヽ」、これとほとんど同じ言い回しがP.6に出てきてます。
村役人たちが一揆衆の集合場所に出かけ、説得に失敗して、一揆衆が村役人衆を振り切る場面です。
そこの場面の大意は前後の関係からわからないながらも、あてはまりそうな表現でまとめました。

 しかし、ここの同じような表現が、どうもよく理解できません。なので大意を間違えているかもしれません。
わからないときは、前後の段落を読み込むしかありませんが、この後の段落もよくわからないときては、得意のフィクションでお話を作るしかありません。情けないことです。うーん・・・。

わからないまま続けます。

文章の文字は明瞭でとてもきれいで読みやすい。

「事故」(ことゆえ)、「故」の旁が下部分にきてます。

「不致」、2文字セットで覚える。「致」の「攵」と「故」の「攵」は同じ字だが、くずし字は似ても似つきません。
「我野」と次行の「我」、同じ地名なのにずいぶんと違う。
「谷ツ」、「谷」のくずし字が意外とわかりにくく難しい。
「所論」(しょろん)と記されていますが「所謂」(いわゆる)の書き間違いでしょうか。意味はどちらにしても通じるとおもいます。

どうもこの頁は理解できないところが多いです。


2019年1月3日木曜日

変事出来二付心得覚記 その49




 P.15 9行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
滝 之助 殿 ・太次郎 殿
たきのすけどの・たじろうどの

申  様 、被仰 候   通 り是 ゟ 壱 里半 も
もうすさま、おおせそうろうとおりこれよりいちりはんも

奥 、御案 内 二も可有之   慥  之村 役 人 と
おく、ごあんないにもこれあるべきたしかのむらやくにんと

申  者 も無之  、百  姓  代 ・組 番 二而御用 先
もうすものもこれなく、ひゃくしょうだい・くみばんにてごようさき

者 事 為相勤   候   処  、正  覚 寺旦 中
ものごとあいつめさせそうろうところ、しょうかくじだんちゅう

凡  百  軒 二不足 村 二而起 り候   始末 、
およそひゃっけんにたらずむらにておこりそうろうしまつ、


(大意)
滝之助殿、太次郎殿が言われるには、
(源左衛門さん)が仰る通り、(下名栗村は)ここから1里半も
奥で、案内ができるような信頼できる村役人もおりません。
百姓代や組番で、役所の諸仕事をさせているような状況でした。
そのような中、正覚寺の檀家衆、
およそ百軒もない村で起こった出来事に


(補足)
「被仰候通り」、「被」は「候」と同じように頻繁に使われるので、くずされ方が激しい。小さな「ら」の感じです。「仰」は「卩」が右側ではなく下部にくる。ここの「通」の「辶」が次の「り」につながって間違えそう。
「壱里半も」、「里」が「厘」のように見える。書き間違いか?

「奥」、このくずし字は他の古文書のときに散々出てきたので間違えません。
「慥か」(たしか)。
「凡百軒」、すべて頻出の漢字。
「不足」、ここの「不」は少し今までとはちがう感じのくずし字。
「起」=「走」+「己」、くずし字は原型をとどめています。


2019年1月2日水曜日

変事出来二付心得覚記 その48




 P.15 5〜9行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
猶 又 農 間之
なおまたのうまの

暇 二筏  之少  々  宛 も仕    候  得ども、
ひまにいかだのしょうしょうあてもつかまつりそうらえども

平 日 二而も六 ケ敷 川 筋 、此 度 之
へいじつにてもむつかしきかわすじ、このたびの

乱 二取 掛  候ハヽ  、猶 亦 通 行 も六 ケ敷
らんにとりかかりそうらわば、なおまたつうこうもむつかしき

推 察 仕    候   、
すいさつつかまつりそうろう、


(大意)
また、農作業の間の
あいた時間に筏からの収入も少々あてにはしてましたが、
普段より(筏を操るには)難しい川の流れで、今回の
ような騒乱になってしまっては、今まで以上に川を下ることが難しいと
推察致します。


(補足)
下名栗村の窮状を切々と述べています。

「猶又」、頻出です。2文字セットで覚えます。
「農間」、「農」はほとんど楷書。「間」は頻繁に使われるので読めます。

「暇」、読めません。形で覚えます。
「筏」、「竹」冠がやはり「伐」から浮いています。
「少々」、読めるはずなのですが、えぇーっとと考えてしまう。
「候得ども」、「ども」がひらがなです。たいていは「共」。

「六ケ敷」(むつかしく)、あて字。類例として「ある間敷(あるまじく)」、「委敷(くわしく)」
「宜敷(よろしく)」、「嘆敷(なげかわしく)」など。
「川筋」、「筋」の「竹」冠が先の「筏」と同じで浮いています。

「取掛」、このあたりがスラスラ読めれば、楽勝なんだろうなとおもいます。
「猶亦」(なおまた)、先程は「又」でした。「猶」はほとんど同じです。
「通行」、「行」のくずし字はこんな形と知ってはいても難しい。
「六ケ敷」、また出てきました。「敷」のくずし字は原型をとどめていません。偏旁より冠脚の上下に部品が分かれてしまった感じです。

「推察」、「察」がちゃんと「宀」+「祭」になっているようには見えますが。


2019年1月1日火曜日

変事出来二付心得覚記 その47




 P.15 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
我 等村 方 ハ困 窮  之多 し、
われらむらかたはこんきゅうのおおし、

日々飯 能 二而当 地売 買 無之  候ハヽ
ひびはんのうにてとうちうりかいこれなくそうらわば

貯   無之  候   間  難 渋  仕    候   、此 度 之
たくわえこれなくそうろうあいだなんじゅうつかまつりそうろう、このたびの

一 条  元 村 だ可ら御難 渋  申  と云
いちじょうもとむらだからごなんじゅうもうすといい

訳 合 二而者無之、
わけあいにてはこれなく


(大意)
わたしたちの(下名栗)村は貧乏人が多く、
毎日飯能での村の商売の売り買いはなかったので
蓄えががなくて困りきっておりました。今回の
騒動の原因がこの村からだから、(皆様に)ご迷惑をかけていることで
言い訳をするつもりはございません。


(補足)
 新立様は町田瀧之助ですから、その家に集まり会議をしてます。
誰が誰に話しかけ、その言葉はどこからどこまでなのか、また源左衛門がそれらの意見を聞いた感想を述べているところなのかなど、難しい箇所が多いところが続きます。

 なんとなく辻褄が合うように大意を書きましたが、わたしの得意なフィクションになっているかもしれません。

「我等」、何度か出てきているのですぐに読めます。
「困窮」、画数の多い文字が含まれていると、比較的丁寧に書く傾向があるように感じます。

「当地」、あとから追加して記しています。下名栗村のこと。
「候ハヽ」(そうらわば)、「ハヽ」が1文字に見えるが候の後なので「候ハヽ」となる。

「一条元村」、けっこう悩みました。ふりがなも大意も間違えているかもしれません。
「一条」、ある事柄の成り行き。一件。一事。
「御難渋」、「難」は特徴のあるくずし字なので読める。「渋」が?だが「難」
に続く可能性のある漢字はと推測します。

「一条元村」から「云訳合二而者無之」がよくわかりません。
平沼源左衛門が他の役人たちに述べている箇所であることは確かそうなので、
このような大意にしてみました。