2019年4月30日火曜日

変事出来二付心得覚記 その166




 P.82 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一   右 此 度 御出  役
ひとつ みぎこのたびごしゅつやく

吉 岡 静 助 様
よしおかせいすけさま

宇佐美藤 一 郎 様
うさみとういちろうさま


七 月 二 日御出  立 二相 成 、横 瀬村 継 立 、
しちがつふつかごしゅったつにあいなり、よこぜむらつぎたち、

三 日源 左衛門 儀持病  差 起り 、代  兵 三 郎
みっかげんざえもんぎじびょうさしおこり、かわりへいさぶろう

差 遣  し、新 立 江新 古両  組 村 役 人 組 々 二而
さしつかわし、にったちへしんこりょうぐみむらやくにんくみぐみにて

小前 共 集  ル
こまえどもあつまる

差 出 申  一 札 之事
さしだしもうしいっさつのこと

当 村 之内
とうそんのうち

新 組
しんぐみ

百  姓
ひゃくしょう


(大意)
このたび(こちらに廻村に来られた)ご出役の
吉岡静助様と
宇佐美藤一郎様は
7月2日にご出発になられ、横瀬村を経由して帰られました。
3日、源左衛門は持病を発し、代わりに兵三郎を
出向かせ、新立に新古両組の村役人たちがそれぞれの組ごとに
小前どもが集まった。

差し出した書状について

当村の
新組
百姓


(補足)
 この二人のご出役がこちらについたのは7月2日四ツ半頃でした。
村役人たちは、彼らが到着するやすぐに、二人を探しに山狩りをして村としての姿勢を示しますが、ご出役から、いまさらながら白々しいことをすると叱責をうけました。
 村では、とんでもないことをしでかした首謀者を自分たちの村からだしてしまい、咎めは本人たちだけではなく、村全体に及ぶと恐れ、首謀者をかくまっていたのだろうとおもわれます。
 ご出役は村役人叱責後、上名栗村方面へと出かけました。
一方村役人たちはもはやここまでと観念し、二人を捉えたと出かけたばかりのご出役へ使いを送り、すぐにこちらへ戻ってきて、二人への尋問を始めました。

 一通りの調べ等が終わり、「七月二日御出立二相成」の次第となります。

 ここまでの内容は、7月2日の半日と少しの出来事となります。
どうも半日だけで、片がつくような出来事ではないような気がします。

「持病差起り」、何度か字面を繰り返しながめてからやっと読めました。
「兵三郎」、「兵」がつぶれてしまって?。源左衛門さんの息子さんです。

源左衛門さんは文化11年(1814)〜明治19年(1886)。
兵三郎さんは天保10(1839)〜年明治35年(1902)。

 もう一つの書状の内容が始まります。


2019年4月29日月曜日

変事出来二付心得覚記 その165




 P.81 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
被仰付       候     間   相  慎   、都而ハ異変
おおせつけられそうろうあいだあいつつしみ、とてはいへん

無之  様 心  附 可申   、追 而御沙汰
これなきようこころつけもうすべく、おってごさた

有之  次第 、村 役 人 差 添 早 速
これありしだい、むらやくにんさしそえさっそく

召 連 可罷出   旨 被仰渡    、承  知
めしつれまかりでべくむねおおせわたされ、しょうち

奉畏      候   、依之 奥 継 を以  御請 奉申上       候   、
おそれたてまつりそうろう、よっておくつぎをもっておうけもうしあげたてまつりそうろう、

以上
いじょう

            右村
            みぎむら

寅 七 月 二 日   年 寄 軍 蔵
とらしちがつふつか   としよりぐんぞう

            組 頭  代 八
            くみがしらだいはち

岩 鼻         名主 太次郎
いわはな        なぬしたじろう

御役 人 中  様   名主 町 田滝 之助
おやくにんちゅうさま  なぬしまちだたきのすけ


(大意)
を申し渡されましたので、行動を控え問題を
起こさずに心得るよう言ってきかせます。今後の裁定が
下され次第、村役人が直ちに彼らを引き連れて
出頭するようにとのご指示は承知いたしました。
よって奥継をもちまして了承いたしましたこと申し上げます。

寅7月2日

以下略


(補足)
「都而ハ」、わかりません。
「異」、「己」+「大」。異体字。

「被 仰渡」、一文字分空白がありますが、闕字でしょうか。
「奥継」、辞書にはありませんでした。「奥書」(おくがき)、「奥印」(おくいん)はあります。


2019年4月28日日曜日

変事出来二付心得覚記 その164




 P.80 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
組 頭   代 八
くみがしら だいはち

名主  太次郎
なぬし たじろう

名主  町 田瀧 之助
なぬし まちだたきのすけ

岩 鼻
いわはな

  御役 人 中  様
  おやくにんちゅうさま

  別 段 二此 文 言 出 候
  べつだんにこのもんごんだしそうろう

前 書 之通  奉願      候   所  、猶 御糾
ぜんしょのとおりねがいたてまつりそうろうところ、なおおただし

之上右両人共腰縄村御預ケ
のうえみぎりょうにんどもこしなわむらおあずけ


(大意)
組頭 代八
名主 太次郎
名主 町田瀧之助

岩鼻お役人中様


別段に以下の文言を出しました。

前書のようにお願いしましたところではありますが、さらなるご尋問
の結果、先の両人は腰縄村預かりを


(補足)
ここの「様」は、旁の下部分が「次」のように見えます。

「腰縄」、「軽い罪の囚人を護送する際などに,腰の部分に縄をかけること」とあります。


2019年4月27日土曜日

変事出来二付心得覚記 その163




 P.79 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
組 合  伴 次郎
くみあい はんじろう

同  長兵衛
どう ちょうべい

百  姓  代  覚 蔵
ひゃくしょうだい かくぞう

同  亀 太郎
どう かめたろう

同  冨 五郎
どう とみごろう

組 頭  見習
くみがしらみならい

徳 三 郎
とくさぶろう

組 頭   仙 太郎
くみがしら せんたろう

同  忠  太郎
どう ちゅうたろう

同  平 沼 源 左衛門
どう ひらぬまげんざえもん

年 寄  軍 蔵
としより ぐんぞう


(大意)


(補足)
 前回に続き連名の署名です。

 先日購入した「名栗の歴史 上」に役職と名前が整理された一覧がありました。
ここの署名の方々のものを表形式にしたものとなります。


慶應2年村役人一覧 名前の後の括弧の中は、組名・当時の年齢

古組

役職
名主   町田滝之助(新立・33)
組頭   代八(柏木・50)、半次郎(伊倉・37)
組合見習 清八(柏屋代八倅・21)、徳三郎(小出・25)
組番   庄左衛門(柏木・46)、和助(名郷・43)、菊八(八人・39)、多吉(八人・72)
     喜重郎(八人・31)、茂八(端ケ原・58)、安五郎(端ケ原・62)、
     庄八(白岩・35、増吉(白岩・46)
百姓代  市五郎(人見・75)、亀太郎(伊倉・46)
年寄   軍蔵(新立・25)


新組

役職
名主   原田太次郎(槙下・67)
組頭   久吉(槙下・39)、仙太郎(津辺曽・54)、忠太郎(井戸入・56)、
     吉田伴次郎(小殿・36)、平沼源左衛門(鳥居・53)
組合見習 なし
組番   長兵衛、倉次郎、織之助、林蔵、亀次郎
百姓代  覚蔵(鳥居・30)、冨五郎(?・64)
年寄   なし


 またこの本の巻末付図1に「名栗地域の旧行政区と主な地名」」があります。


2019年4月26日金曜日

変事出来二付心得覚記 その162




 P.78 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
慶 應 二年 寅 七 月   親 類  清 五郎
けいおうにねんとらしちがつ  しんるい せいごろう

五人 組  惣 次郎
ごにんぐみ そうじろう

 政 次郎
どう まさじろう

同 組
どうくみ

 百  姓  紋 次郎
 ひゃくしょうもんじろう

親 類  久太郎
しんるい くたろう

五人 組  倉 次郎
ごにんぐみ くらじろう

五人 組  弥次郎
ごにんぐみ やじろう

同  梅 八
どう うめはち

同 組
どうくみ

 百  姓   豊 五郎
 ひゃくしょう とよごろう

親類   茂助
しんるい もすけ


(大意)


(補足)
 おもだった村人全員の連名で岩鼻お役所へ「御慈悲之御沙汰奉願上」っています。

「慶應」、「广」がともに冠のように小さく上部にあります。
「七月」のような場合はくずし字になってません。「有」のように部品のときはくずし字になってます。
「親類」、「親」があるので次の字が「類」と推測できますが、単体なら読めません。
「五人組」、「五」は難しいです。「組」はなんとなくわかります。
「同」、何度もでてきてます。とても簡略化されたくずし字。「同断」の表現でもよく出てきます。

名前は難しい。
翻刻された資料があるので、それを頼りに読んでます。


2019年4月25日木曜日

変事出来二付心得覚記 その161




 P.77 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
罷  在 少  々  快 方 相 成 候   二付 、
まかりありしょうしょうかいほうあいなりそうろうにつき、

立 帰 り候   儀之旨 申之 、再   應
たちかえりそうろうぎのむねもうし、ふたたびおうじ

相 糾  候   処  、全  於出先    病  氣二而
あいただしそうろうところ、すべてでさきにおいてびょうきにて

帰村 延 引 罷  成 候   段 相 違  無御座 候
きそんのびびきまかりなりそうろうだんあいちがいござなくそうろう

様 子二而、平 常  者如何 之及所業
ようすにて、へいじょうはいかがのしょぎょうとうおよび

等 候   風 聞 も無之  者 共 二付 、何 卒
  そうろうふうぶんもこれなくものどもにつき、なにとぞ

御慈悲之御沙汰奉願上候
ごじひのおさたねがいあげたてまつりそうろう

武州  秩 父郡 上 名栗 村
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむら

新 組
しんぐみ

 百  姓  畄 吉
 ひゃくしょうとめきち


(大意)
したところ、少し良くなったので
帰宅したとのことで、再度
尋問しました。そうしたところ出先で病気になってしまい
帰村が遅れてしまったことに相違いない様子でございます。
普段の生活では何か良からぬことを
するということを聞くような者どもでもありませんので、何卒
御慈悲をおかけくださるようお願い申し上げます。

武州秩父郡上名栗村
新組
 百姓 畄吉


(補足)
「在」、何度出てきても?です。
「全於出先」、大意のようにはしましたがよくわわかりません。意味はわかりますが正しい読み方はどうなのでしょうか。
「平常」、「常」がなんともすごいくずし字です。

「乍恐〜」のところでも同じですが、「御慈悲」の「悲」がこの当時は「非」になっています。


 昨日2019年4月24日に飯能市立博物館にて「名栗の歴史 上  飯能市教育委員会 ¥2000」を購入しました。この本のP422〜P446にこの覚記の詳しい解説があります。

 この解説を頼りに、ここまでの大意で曖昧な箇所や明らかな誤読などを再度読み、修正し、更新しました。これでいくらかは正確になったことだろうとホッしましたが、まだまだおかしなところがたくさんあるのではないかとヒヤヒヤしています。



2019年4月24日水曜日

変事出来二付心得覚記 その160




 P.76 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
無誰彼と   飯 能 村 邊  人 家打 毀
だれかれとなくはんのうむらあたりじんかうちこわし

及騒動     、混 雑 之中 江入 交  居り、
そうどうにおよび、こんざつのなかへいりまじりおり、

漸   間合 ヲ見斗  ひ逃 去 帰 り
しばらくまあいをみはからいにげさりかえり

途中  暑 邪 二当 り、薬用
とちゅうしょじゃにあたり、やくよう

(大意)
誰彼となく、飯能村周辺の人家を打ち壊し
乱暴をはたらきました。そのような混雑の中を動き回り
様子を見計らって逃げ去って帰ってくる
途中、暑さにやられ薬を飲み治療(したところ)


(補足)
「逃」、「兆」のくずし字が「外」に似ています。
「暑」、読めません。
「邪」、「阝」のくずし字の最後にどうして「一」があるのでしょう。

わたしの目が特に慣れてきたわけではなく、このあたりの手跡は、楷書に近く読みやすく感じます。


2019年4月23日火曜日

変事出来二付心得覚記 その159




 P.76 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
三 四人 飯 能 邊  迄 罷  出遍く、不参
さんよにんはんのうあたりまでまかりでべく、まいらず

之者者家 ・土蔵 焼 拂  、或  者打 毀
ものはいえ・どぞうやきはらい、あるいはうちこわし

候   旨 申  罵   候   二恐  怖以多し、事 柄 ハ
そうろうむねもうしののしりそうろうにきょうふいたし、ことがらは

不弁   候得  共 銘 々 立 出 候   中 、追 々
わきまえずそうらえどもめいめいたちいでそうろうなか、おいおい

無何方と   人 数 差 加  多人 数 二 相 成、
いずかたとなくにんずうさしくわえたにんずうに あいなり、


(大意)
3,4人が飯能あたりまで出かけようとしてました。一緒に
来ないものは、家・土蔵を焼き払う或いは打ち壊す
と脅かされ、恐ろしくなってしまいました。詳しい事柄は
わかりませんでしたけれども、ひとりまた一人と加わり始め
どこからともなくその人数がふくれあがってました。


(補足)
「不参之者」(まいらずもの)or(まいらずのもの)、この部分の「之」は調子を整えるものでしょうか。わかりませんが、読んでも読まなくてもよいような気がします。
「土蔵」、「土」のくずし字がどうも苦手で、すぐに読めません。
「柄」、「丙」のくずし字がどうしてこんなに複雑になるのでしょう。

 この覚記の書き始めの頁にくらべて、このあたりになるとだいぶくだけてきてます。
最初の頃は律儀にかしっこまって小さめの字で整然と記してました。


2019年4月22日月曜日

変事出来二付心得覚記 その158




 P.75 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
者 共 ハ追 々 立 帰 り候   中 、村 方
ものどもはおいおいたちかえりそうろうなか、むらかた

新 組 百  姓  紋 次郎 ・豊 五郎 ・
しんぐみひゃくしょうもんじろう・とよごろう

畄 吉 儀如何 致  候   哉、立 戻  不申
とめきちぎいかがいたしそうろうか、たちもどりもうさず

二付 、其 段  岩 鼻 御役 所 江
につき、そのだん いわはなおやくしょへ

御訴   奉申上       置 、一 同 二而諸 々
おうったえもうしあげたてまつりおき、いちどうにてもろもろ

尋   中 、三 人  者 共 一 昨 夜迄 追 々
たずねるなか、さんにんのものどもいっさくやまでおいおい

銘 々 宅 江立 戻 り申  出候   二付 、
めいめいたくへたちもどりもうしでそうろうにつき、

出先 様 子承     糾  候   所  、去ル十  三 日
でさきようすうけたまわりただしそうろうところ、さるじゅうさんにち

夜中 、何 方 之者 共 不存  男
よなか、いずかたのものどもぞんぜずおとこ


(大意)
少しずつ村に帰ってきたようでしたが、村の
新組百姓である紋次郎・豊五郎
留吉はどうしたことでしょうか、戻って
来ませんでしたので、そのことについては岩鼻お役所へ
ご報告しておきました、村役人たちでいろいろ
尋ね探し回っていると、3人のものたちは一昨日の夜までに徐々に
それぞれ自宅へ帰宅したとの連絡がありましたので、
出かけていって彼らの様子をうかがい、聞きただしました。そうしました所、先月の13日
夜中に、どこのものかわからない男


(補足)
 今までこの覚記にかかれている事柄の繰り返しなってますが、この数頁は岩鼻役所へ出した書付の内容の控えなのでそのまま記しています。

 村役人であった名主さんたちの重要な役目として、このような書付や物・金銭・土地の貸し借りや、役所からの様々な文書などを書き写して、次の名主さんへ回覧してゆくという仕事がありました。
大変に急ぎの回覧物であった場合は書き写す時間がないので、要点だけ箇条書きにして控えるか、または見たという印だけつけて次に回しました。現在の回覧板にその慣習が残ってます。

「中」、3回出てきます。どれも筆順は、横長の右回りの楕円をクルッと書いて縦棒です。
「岩鼻」の上に一文字分の空白があります。闕字(けつじ)という敬意を表す慣習です。
改行して行頭から書き出すこともありますがそれは平出(へいしゅつ)。

「一昨夜」、「作」の「乍」は「乍恐」と同じくずし字でとても特徴的。

「追々」「諸々」「銘々」、似たような表現がいろいろ出てきます。
「立帰り」「立戻り」、「立〜」のような表現はたくさんありますが、この場合は特に意味のない接頭語だとおもいます。


2019年4月21日日曜日

変事出来二付心得覚記 その157





 P.74 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
乍恐    以書付     御慈悲奉願      候
おそれながらかきつけをもってごじひねがいたてまつりそうろう

武州  秩 父郡 上 名栗 村 新 古両  組 之
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむらしんこりょうぐみの

村 役 人 其 外 一 同 奉申上       候   、当 六 月 十  三 日
むらやくにんそのほかいちどうもうしあげたてまつりそうろう、とうろくがつじゅうさんにち

夜中 、村 方 小前 者 共 子細 不訳
よなか、むらかたこまえものどもしさいわからず

俄  騒  立 、思  々  飯 能 筋 江押 出し、
にわかさわぎたち、おもいおもいはんのうすじへおしだし、

追 々 近  村 々 ゟ も多人 数 罷  出一 同 二
おいおいちかいむらむらよりもたにんずうまかりでいちどうに

相 成 、先 々 二而及乱妨二    候   由 、村 方 之
あいなり、さきざきにてらんぼうにおよびそうろうよし、むらかたの


(大意)
恐れながら書付をもって御慈悲をお願い申し上げます。
武州秩父郡上名栗村新古両組の
村役人とその外一同よりお願い申し上げます。この6月13日
夜中に、村の小前者たちが詳しいことはわからずに
急に騒ぎはじめ、それぞれが勝手に飯能方面へ大勢で繰り出しました。
みちみち近くの村々からもたくさんの者が加わり多人数と
なってしまいました。押しかけた所で物を壊し暴れまわったようであります。村の者たちは


(補足)
「乍恐・・・」、典型的な口上。この表現がいつ頃から使われなくなったのか興味のあるところです。
「騒」、このくずし字の「虫」の部分はそれらしく見えます。先に出てきた「触」の「虫」のくずし字とはずいぶんと異なっています。
「飯能」、何度も出てきてますが、「能」のくずし字はこれ一文字だけだと読めません。

 岩鼻お役所へお慈悲の書付を村役人とその他一同で出した、その内容です。
しばらくこの内容が続きます。


2019年4月20日土曜日

変事出来二付心得覚記 その156




 P.73 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
申   聞  、当  六 月  十   三  日  朝 、右  悪惣   ゟ
もうしきき、とうろくがつじゅうさんにちあさ、みぎあくそうより

使者  之由 二而名面  不知  者
ししゃのよしにてなめんしらずもの

三 四人 罷越   、当 十  三 日 夜 二
さんよにんまかりこし、とうじゅうさんにちよるに

飯 能 川 原可詰合   、不出合
はんのうかわらつめあうべく、であわず

者 ハ後日 仇 を可成  旨 断   置
ものはごじつあだをなすべくむねことわりおき

立 去り候   二付 、両  人 之者 ゟ
たちさりそうろうにつき、りょうにんのものより

右 之段 高声  二申  触 候   趣   、申口
みぎのだんこうせいにもうしふれそうろうおもむき、もうしぐち


(大意)
この話を聞かせました。6月13日朝、先日の悪惣からの
使者だという名前を知らない
3,4人のものがやって来ました。13日夜に
飯能河原へ集まれとのこと、もし来なかった
者は後日仕返しをするぞと断り、
立ち去りました。そのために両人は
そのことを大声で周りに声をかけ誘ったようである、との証言でした。


(補足)
「朝」「夜」と出てきます。「昼」はここには出てきてませんが、この3文字は基本中の基本。
「使者之由」、「之」が右側にあります。ちょっとミスっちゃたのかも。
「名面」(なめん)、名前と顔のことかとおもったら、「名前」と辞書にありました。
「詰」、「吉」はともかく「言」がわかりません。
「断」、難しい。読めません。

「高声」、この二文字の間にもう一文字ありますが、なんでしょう。
「触」、以前にも数度でてきてます。「虫」がどうしても?がついてしまいます。

 この覚記では頁の変わり目など無視して連綿と書き連ねているのですが、この頁では
最後の3行分くらいの余白を残して終わっています。
次頁が「乍恐〜」の口上で始まることがあらかじめわかっていたので、区切りよくしたのでしょう。


2019年4月19日金曜日

変事出来二付心得覚記 その155




 P.72 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
成 木村 ニ而字  悪 惣 と申  者 二
なるきむらにてあざなあくそうともうすものに

出合 、右 悪 惣 申  聞 候   ハ、米 穀
であい、みごあくそうもうしききそうろうは、べいこく

高 直二付 名栗 邊  も難 渋
たかねにつきなぐりあたりもなんじゅう

可致   旨 、我 等共 へ申  合 セ米 直下ケ
いたすべきむね、われらどもへもうしあわせこめねさげ

飯 能 江近 々 罷  出候   間  、当 方 ゟ
はんのうへちかじかまかりでそうろうあいだ、とうかたより

沙汰次 第飯 能 川 原へ可罷出
さたしだいはんのうかわらへまかりでべく

旨 申  聞 候   二付 、困 窮  之餘 リニ
むねもうしききそうろうにつき、こんきゅうのあまりに

忝     儀と存  、帰宅 之上 豊 五郎 へ
かたじけなきぎとぞんじ、きたくのうえとよごろうへ


(大意)
成木村の悪惣と申すものに
出会いました。この悪惣から聞いたところでは、米穀物が
値上がりし名栗村あたりでも難渋
しているとのこと、われわれと一緒に米値下げを
要求しに飯能へ出かけようではないかとので、こちらから
指示があり次第飯能河原へ出かける
という話でありましたので、困窮のあまり
ありがたいことだと感じました。帰宅して豊五郎へ

(補足)
「名栗の歴史2008」P29によると、悪惣とは「下成木村下分の組頭で青梅の特産物石灰を『あく』と読んだことから」とあります。成木は現在でもある地名です。
 この人物に誘われたのだと、二人は強調しているわけです。

 この頁、読みやすくスッキリ整然と書かれています。
「我等」、「我」のくずし字は特徴的。形で覚えるしかなさそうです。

「当方」、何度も出てきてます。「ヨ」の部分のなかが「∟」+「十」。
「沙汰」、ともに「氵」がありますが、異なってます。
「餘リニ」、旧字のくずし字、難しい。
「忝」(かたじけない)、読めませんでしたが、右側に「、」が2つちゃんとあります。

「帰」、「巾」の部分がクルクルっとまわる。「両」も同じような感じです。


2019年4月18日木曜日

変事出来二付心得覚記 その154




 P.71 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
両  人 申  口
りょうにんもうしぐち

紋 次郎
もんじろう

豊 五郎
とよごろう

御吟 味中  村 役 人 江御預 ケ
ごぎんみちゅうむらやくにんへおあずけ

相 成 、猶 村 役 共 ゟ 両  人 者 共 へ
あいなり、なおむらやくどもよりりょうにんものどもへ

得 と申  諭  正  路二申  立 方 可
とくともうしさとししょうろにもうしたてかた

致    旨 申  聞 候   所  、全 六 月 十 日、右
いたすべきむねもうしききそうろうところ、ぜんろくがつとおか、みぎ

紋 次郎 儀飯 能 市 場江用 事有之
もんじろうぎはんのういちばへようじこれあり

罷  出候   所  、飯 能 川 原と申  所  二而
まかりでそうろうところ、はんのうかわらともうすところにて


(大意)
両人の証言
紋次郎
豊五郎

取調べ中は村役人の預かりと
なりました。なお村役人から両人へ
正直に証言するようにしっかりと言い聞かせました。そうしたところ6月10日、
紋次郎が飯能市場に用事があって
出かけ、飯能河原というところで


(補足)
 両人の証言内容が明らかになります。

「村役共」、「人」を書き忘れたのかもしれません。
「得と」、当て字でしょう。
「正路」(しょうろ)、正道をはずれないこと、正直なさま。正道。

「全」、わかりません。「先の」という意でしょうか。

すいません。「成木村悪惣」については次の頁になります。


2019年4月17日水曜日

変事出来二付心得覚記 その153




 P.70 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
十  三 日 夜 非人 体  者 共
じゅうさんにちよるひにんていのものども

三 四人 と申  上 候
さんよにんともうしあげそうろう

御吟 味別 段 二相 か王る
ごぎんみべつだんにあいかわる

ことなし
ことなし

紋 次郎 ・豊 五郎 村 役 人 并   組 合
もんじろう・とよごろうむらやくにんならびにくみあい

御預 ケ相 成 候   、村 役 人 取 調  候   所  、
おあずけあいなりそうろう、むらやくにんとりしらべそうろうところ、

成 木村 悪 惣 と申  者 ゟ 頼  二付 、
なるきむらあくそうともうすものよりたよりにつき、

此 度 一 条  右 之始末 二相 成 候   由
このたびいちじょうみぎのしまつにあいなりそうろうよし

申  候   二付 、其 段 書 付 致 し申  上 候
もうしそうろうにつき、そのだんかきつけいたしもうしあげそうろう


(大意)
13日夜乞食のような者どもが
3,4人来たと言っていましたが
取り調べが特別に変わることは
ありませんでした。
紋次郎・豊五郎は村役人と組合の
預かりとなりました。村役人の取り調べによると
成木村の悪惣という者のつてで
この度の一件は先に申し上げた通りの次第であると
言うので、その内容を書状にして申し上げます。


(補足)
 5行目から書き手が変わっているようです。
「相か王ること奈し」(あいかわることなし)、変体仮名。前頁からの続きで同じ女性の手跡でしょう。

「組合」、「合」の字がなんか変です。
「頼」、うーん、悩んでも読めなかった。何度か出てきているのですが。

「成木村悪惣」については、次の頁の補足で紹介します。


2019年4月16日火曜日

変事出来二付心得覚記 その152




 P.69 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
若 不承  知なら打 毀  と
もしふしょうちならうちこわすと

申  而も其 方 打 毀 さ連帝
もうしてもそのほううちこわされて

いるふう可、出  役 先 江吟 味
いるふうか、しゅつやくさきへぎんみ

あ連者゛こ越いおうと腹 の
あれば こをいおうとはらの

中 に考   居る、正  直 二白 状  致
なかにかんがえおる、しょうじきにはくじょういた

さぬ二於 帝ハ、血ヲ吐 程 打  擲
さぬにおいては、ちをはくほどちょうちゃく

以多しても仲間 多゛させるとの
いたしてもなかまだ させるとの

御吟 味、尤   御吟 味中  御下ケニ
ごぎんみ、もっともごぎんみちゅうおさげに

相 成 候
あいなりそうろう

紋 次郎 儀同 様 、尤   紋 二郎 義
もんじろうぎどうよう、もっとももんじろうぎ


(大意)
もし承知しなかったら打ち壊すとの
ことであったが、(実際に)お前の家が打ち壊された
のかどうか、出役様の取り調べが
あったら、あれこれ言い逃れようと
腹の中では考えていたのではないか。正直に白状
しなければ、血を吐くほど打ち据えても
仲間を出させるとの尋問でありました。もっともその尋問中に
そのようになることはありませんでした。
紋次郎についても同様にお取り調べがありました。もっとも紋次郎の場合は


(補足)
 平仮名や変体仮名が多く、手跡も女性のようです。

こちらの「打毀」ははっきりとしていますが「毀」がやはり読みにくい。一方「打擲」では楷書のように丁寧に書いています。「毀」はそれほど頻繁に使われることはなかった漢字だとおもうのですが。
「腹」、基本的な漢字のはずですが、うーん・・・、読めない。
「吟」が2度続け出てきます。最初のはわかりやすい。
最終行「儀」と「義」これも使い分けは気分次第のようです。

 肩肘張らない、素直な手跡はどこかホッとさせられます。


2019年4月15日月曜日

変事出来二付心得覚記 その151




 P.68 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
若 違変 二おゐてハ打 毀
もしいへんにおいてはうちこわし

杯 と申  て事 荒 々 敷 申  二付 、
などともうしてことあらあらしくもうすにつき、

無拠     罷  出候
よんどころなくまかりでそうろう

猶 御呵  有之  候   、何 国  者 哉
なおおしかりこれありそうろう、いずくにのものか

面 体 不知 者 物 借り参 り、
めんていしらずものものかりまいり、


(大意)
もし約束を守らなければ家を打ち壊す
などと申し、荒々しく脅されたので
仕方なく出かけてしまいました。
なおさらにお叱りがあるかもしれませんが、どこの村のものか
見かけぬ者たちが物品を借りにやって来て、


(補足)
「違変」、「亦」のくずし字が「衣」に見えます。
「おゐ天ハ」(おいては)、かなですが、慣れないと素直に上から下へと読めません。
「打壊」、何度も出てきてます。「打」、「扌」の3画目がそのまま「丁」の一画目に流れて読みづらい。「壊」、このくずし字は読みづらく難しい。「土」はどこにいったのでしょうか。

 この頁の手跡は体調が良くなかったのか、なんとなく不安定さが感じられます。


2019年4月14日日曜日

変事出来二付心得覚記 その150




 P.68 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
面 体 不知 者 三、四人
めんていしらずものさんよにん

我 宅 前 江立 寄 、今 者゛ん
わがたくまえへたちより、こんば ん

飯 能 村 へ米 穀 直下ケ無心 二
はんのうむらへべいこくねさげむしんに

罷 出 候   間  同 道 致  遍し
まかりでそうろうあいだどうどういたすべし


(大意)
見かけたことのない者たち3,4人が
わたしの家に立ち寄り、今晩
飯能村へ米穀物値下げを要求しに
出かけるので、一緒に来るよう言われました。


(補足)
「今者゛ん」(こんばん)、このまままとめて覚えたほうがよさそうです。
「無心」、この「心」も1,2画目が偏で、他が旁のような書き方です。


2019年4月13日土曜日

変事出来二付心得覚記 その149




 P.67 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一   下 名栗 村 ゟ 早 速 立 戻 り
ひとつ しもなぐりむらよりさっそくたちもどり

相 成 候   、紋 二郎 ・豊 五郎 本 縄
あいなりそうろう、もんじろう・とよごろうほんじょう

早 速 被召出  御吟 味之事
さっそくめしだされごぎんみのこと

豊 五郎  四十  四歳
とよごろう しじゅうしさい

其 方 儀、飯 能 村 江米 穀 直下ケ
そのほうぎ、はんのうむらへべいこくねさげ

無心 二頭 取 致  罷  出候   趣   、外 二も
むしんにとうどりいたしまかりでそうろうおもむき、ほかにも

頭 取 可有之   間  不慎   委細
とうどりこれあるべくあいだつつしまずいさい

可申上    、豊 五郎 答
もうしあげべく、とよごろうこたえ

乍恐    奉申上       候   、六 月 十  三 日 夜 、
おそれながらもうしあげたてまつりそうろう、ろくがつじゅうさんにちよる、


(大意)
ひとつ 下名栗村より急いで戻って
まいりました。紋次郎・豊五郎は綱に繋がれ
早速尋問の場へと連れ出されてきました。

豊五郎 44歳
お前は、飯能村へ米穀物値下げの
無心をする首謀者として出向いたようである。その他にも
陣頭にたった事柄があるようであるが、包み隠さずすべて
述べよ。豊五郎答えて
恐れながら申し上げます。6月13日夜、


(補足)
 紋次郎・豊五郎は捕まりました。
豊五郎の尋問が始まります。

「早速」が2回出てきます。「速」は同じですが、「早」が異なっています。いつもながら感じることなのですが、わずか1,2行の間に気分で字体まで変わってしまうものでしょうか。
「本縄」(ほんじょう)としました。辞書には「捕縄」(ほじょう)はありましたが「本縄」はありません。
「歳」、読めません。漢数字の次にきているので、推測はできますが。

「其方儀」、ここからは、映画・TVのお白州の場面となり、本文から離れてそれらお白州でのやり取りの会話が思い出されて、フィクションになってしまいます。

 また内容は、すでに何度も出てきていることの繰り返しなので復習するにはよい箇所になります。
「乍恐奉申上候」、典型的な口上です。6文字セットで覚えます。出だしの「乍恐」はしっかりと覚えます。


2019年4月12日金曜日

変事出来二付心得覚記 その148




 P.66 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
両  人 之者 召 捕  仕    候   二付
りょうにんのものめしとらえつかまつりそうろうにつき

御届 ヶ仕    候   、夫 ゟ 以多し
おとどけつかまつりそうろう、それよりいたし

早 速 下 名栗 村 御出  役 様 江
さっそくしもなぐりむらごしゅつやくさまへ

御注  進 申  上 候    代 八 殿
ごちゅうしんもうしあげそうろう だいはちどの

       武 助 殿
       たけすけどの


(大意)
両人を召し捕らえましたので
(下名栗村へ出かけた御出役様へ)ご連絡を差し上げました。そのように致してから
早速下名栗村へでかけた御出役様へ
急ぎ報告しました。代八殿
         武助殿


(補足)
「御届」、「御」のくずし字が「い」のよう、読めません。
「夫ゟ以多し」、よく意味がわかりませんでしたが、(大意)は前後の流れからの推測です
「注進」、「注」が難しい。

 前回の最後のところで、「其跡ゟ武助殿参ル」とありますので、文末の「代八殿 武助殿」は
この部分の話はこの二人から聞き取った内容ということでしょうか。


2019年4月11日木曜日

変事出来二付心得覚記 その147




 P.66 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
此 儀如何 と被仰  候  得共 、誰
このぎいかがとおおされそうらえども、だれ

壱人 も御答  無之  候
ひとりもおこたえこれなくそうろう

下 名栗 村 江早 速 御出  立 二
しもなぐりむらへさっそくごしゅったつに

相 成 候   、其 跡 ゟ 武 助 殿 参 ル、
あいなりそうろう、そのあとよりたけすけどのまいる、


(大意)
このことについてどうなのだ、と聞かれたのだが、誰
一人として答えるものはいませんでした。
(御出役様は)下名栗村へ早速お立ちになられました。
そのあとに武助殿がやって来ました。


(補足)
 手跡が変わりました。書き手は女性のようです。

「如何」、二文字セットです。平仮名の「め」のように筆を運びそのまま「る」のように流します。
「登」(と)、変体仮名
「候得共」、三文字セット。
「答」、意外と読みづらい。「竹」冠が「筋」などのものとは異なります。

「跡」、読めません。この前の「其」のつながりから推測するのでしょうか。

 名主たちを、叱りまくった御出役は下名栗村へ行ってしまいました。

 上名栗村も下名栗村も、この地域からしたらどう贔屓目に見ても貧しい山村です。
山奥にあって田舎の中でもさらに山深いところにある村々でした。
御出役の態度にはきっと、このど田舎の名主立ちめ、お前たちがしっかり監督しないからこのようなことが起きてしまったのだと、どこか蔑んだものがあらわれていたことでしょう。

 しかし、実際は日本中をこの前後数年の間、似たような変事があちらこちらで起きていました。
とうとう、こんな山奥の田舎まで打ち壊しや一揆のようなことがやってきてしまったというのが
実情だったのです。


2019年4月10日水曜日

変事出来二付心得覚記 その146




 P.65 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
此方 出  役 いたさぬ前 二も
こちらしゅつやくいたさぬまえにも

召 捕  置 遍き事 、猪   猿
めしとらえおくべきこと、いのししさる

二而ハある満以し山 の中 に
にてはあるまいしやまのなかに

住 居 致  筋 無之  、第 一 者
すみおりいたすすじこれなく、だいいちは

喰  事二差 支  、村 役 人 共
しょくじにさしつかえ、むらやくにんども


(大意)
わたしがこちらに出向いてくる前に
捕らえておくべきことではないか。猪や猿
ではあるまいし、山の中に
住んでいる訳がないではないか。だいいち
食事が出来ぬではないか。村役人よ


(補足)
 吉岡静助様のお叱りの度合いが高まってきてます。
名主さんたちは吉岡様の前で畳を見つめ、かしこまってこうべをたれていた場面が浮かびます。
時代劇の見過ぎかもしれませんが、きっとそうだったにちがいありません。

この前の行の「所存」の「所」と、「いたさぬ前」の「前」が「艹」の点々以外ほとんど同じ。
「猪猿」、「犭」の筆の運びがわかります。
「ある満以し」(あるまいし)、変体仮名。
「住居」(すみおり)としましたが、素直に(じゅうきょ)かもしれません。


2019年4月9日火曜日

変事出来二付心得覚記 その145




 P.65 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
見請 、頭 取 者 為召捕    杯 と
みうけ、とうどりものめしとらえさせなどと

大 勢 鳶 口 其 外 六 尺  棒 持
おおぜいとびぐちそのほかろくしゃくぼうもち

罷  出あ連ハ何 之事 、余 夕
まかりであればなんのこと、あまた

頭 取 召 捕  候   所 存 有之 ハ 、
とうどりめしとらえそうろうしょぞんこれありは、


(大意)
見たところ、首謀者を捕まえようなどと
大勢が鳶口やその他六尺棒を持って
出ていったが、あれは一体何事なのだ、その上
(今さらになって)首謀者を捕らえようとしていることは


(補足)
「頭取」、「豆」偏は独特です。
「鳶口」、「鳶」が難しい。

「余タ」、当て字だとすると「数多」になりますが、そうすると意味がちょっとおかしくなります。
(取り逃がす)という意味もありますが、それもなんとなく変。この前の部分で「あ連ハ何之事」と怒り、その上わたしが来てから今さらになって捕まえようとするなどとは、一体全体何をやっているのだ。という流れがよろしいかとおもいます。

「頭取」、ここの「取」はちゃんと「耳」+「又」に見えます。


2019年4月8日月曜日

変事出来二付心得覚記 その144




 P.64 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
吉 岡 静 助 様 御着 二相 成 、直  二
よしおかせいすけさまおつきにあいなり、ただちに

村 役 人 御呼 込 御叱  ヲ請 、
むらやくにんおよびこみおしかりをうけ、

猶 又 今日 此方 廻 村 先 ヲ
なおまたきょうこちらかいそんさきを


(大意)
吉岡静助様が到着され、直ちに
村役人が呼ばれお叱りを受けました。
さらに今日わたしが巡回する村を


(補足)
 ここから吉岡静助様のお叱りが次の頁へと続きます。

「直」のくずし字は特徴的。「ホ」+「一」。
「叱」、「口」の次に「し」へと筆が流れて「ノ」。

最後の行の文字の横幅が狭まってますが、とじ込み部分で平らでないためです。

「此方」(こちら)、いままで(読み)間違えていたかもしれません。


2019年4月7日日曜日

変事出来二付心得覚記 その143




 P.64 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
可致   事 、尤   御出  役 様 出迎
いたすべきこと、もっともごしゅつやくさまでむかえ

村 役 人 ゟ 申  達 し、今日 紋二郎・
むらやくにんよりもうしたっし、きょう紋次郎・

豊 五郎 山 狩 致 し尋  出し
とよごろうやまがりいたしたずねだし

可申   と大 勢 罷  出候   間  、御不審
もうしべくとおおぜいまかりでそうろうあいだ、ごふしん

二者決  而思  召 被下  間敷 旨 申  上 候
にはけっしておぼしめしくだされまじくむねもうしあげそうろう


(大意)
なければなりません。もっとも御出役様を出迎えるよう
村役人より言われてます。今日、紋次郎と
豊五郎を山狩りし見つけて尋問
しようと大勢が出向いていますが、ご心配には
決して思いませぬように申し上げました。


(補足)
前半4行と後半4行、明らかに手跡が異なります。
この覚記は、源左衛門さんが下書きを書き、彼の身近な信頼できる人たちが源左衛門さんも含めて代わる代わる記していったのではないでしょうか。
この前半は女性が書いているようです。奥様かもしれません。

「迎」、「辶」は何もくずしてありません。そのままです。「卩」が右に来るべきところが下にきてます。
「今日」、二文字セットで覚えます。知ってるつもりでも読めませんでした。
「紋次郎」、「紋」が難しい。
「狩」、「犭」には見えませんが筆順はやはり「犭」です。一画目「ノ」、そのまま右上にいって、
下へ、三画目の「ノ」。
「尋出し」、ここの「出」と1行目の「出迎」の「出」が、書き順も形も異なってます。
「罷出候間」、「候」は「、」になってしまってます。
「決而」(けっして)、「夬」は旁ですが、下半分の「人」が、全体の脚部分にきています。
「思召」、「思」があるので、「召」がなんとなくわかりますが、これ1字だとわかりません。
「間敷」(まじく)、二文字セットです。

「申上候」、「候」は「、」。
この次の行から書き手が変わります。この「申上候」までが頼まれたところで、この次のところからは次の人が書くので、区切りよく行替えしないで行末に押し込んだように見えます。


2019年4月6日土曜日

変事出来二付心得覚記 その142




 P.63 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一   七 月 朔日  、御支配 様 ゟ 御出  役
ひとつ しちがつついたち、おしはいさまよりごしゅつやく

吉 岡 静 助 様 ・宇佐美藤 一 郎 様
よしおかせいすけさま・うさみとういちろうさま

七 月 二 日四ツ半 頃 御着 二相 成
しちがつふつかよつはんごろおつきにあいなり

右 紋 二郎 ・豊 五郎 村 方 二帰 り山 二
みぎもんじろう・とよごろうむらかたにかえりやまに

籠 り居 候   様 風 聞 二付 、大 勢 二而
こもりおりそうろうようふうぶんにつき、おおぜいにて

山 かり両  人 家之家 さ可゛し
やまかりりょうじんかのいえさが し


(大意)
ひとつ 7月1日御支配様より御出役の
吉岡静助様・宇佐美藤一郎様が
7月2日の四ツ半(11時)頃にお着きになると知らせがあった。
うわさでは紋次郎と豊五郎は村に帰り山に
籠もっていると聞いて居りますので、大勢で
山狩りをして二人の住んでいるところを見つけ


(補足)
 一つ書きから字下げがなくなりました。どのような判断で行っているのかがよくわかりません。

「朔日」(ついたちorさくじつ)、「朔」が難しい。
うっかり「御」を忘れてしまったようです。脇に小さく後から書き加えています。
「宇佐美藤一郎」、辞書に「美」のくずし字はありませんでした。また「美」を部品にする漢字がほとんどありません。今回調べてはじめて気づきました。なんでだろう?
「藤」、難しい。
「着」、これも難しい。

「籠リ」、うーん・・・、わからないが続きます。


2019年4月5日金曜日

変事出来二付心得覚記 その141




 P.63 最初〜3行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
廿   八 日 、氏 子聖  天 祭 り
にじゅうはちにち、うじこしょうてんまつり

廿   九日 、組 合 丑 松 七 日忌二而
にじゅうくにち、くみあいうしまつなぬかきにて

参 り候
まいりそうろう


(大意)
28日 氏子聖天祭り
29日 組合丑松七日忌のため
出かけました。


(補足)
「祭り」、二文字に見えますが、これで一文字。

 打ち壊しなど、世情騒乱の中、普段の生活は出来ていたのでしょうか。
聖天祭りとありますが、ただの暦の上の事柄だけだったのでしょうか。


2019年4月4日木曜日

変事出来二付心得覚記 その140




 P.62 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
三 段 二も致 し、金 銭 二而者
さんだんにもいたし、きんせんにては

よ路しから須、麦 ・米 穀 ヲ
よろしからず、むぎ・べいこくを

買 揚 施  し可為致   候   、
かいあげほどこしいたさせべくそうろう、

金 銭 二而者無益  二使  候   而ハ
きんせんにてはえきなしにつかいそうろうては

夫 喰  助  二ならす趣
これしょくたすけにならずおもむき

被仰聞    、難有   御口 達
おおせきかされ、ありがたきごこうたつ

二付 一 同 案 心 仕    候
につきいちどうあんしんつかまつりそうろう

太次郎 殿 夜中 帰 り、翌 日
たじろうどのよなかかえり、よくじつ

廿   八 日 新 立 江集  ル
にじゅうはちにちにったちへあつまる


(大意)
(念には念をいれてよくよく選び)、金銭での助けは
よろしくなく、麦や米穀を
買い上げてそれらを施させることです。
金銭での施しは無駄になっってしまうので
それでは食料の施しとはならないだろうと
仰られて、ありがたいお達しで
あると皆安心することとなりました。
太次郎殿は夜中に(名栗へ)帰宅し、翌日の
28日に新立へ来ました。


(補足)
「金銭」、この3行あとの「金銭」はなんとか読めましたが、この「金銭」は難しい。また「金」はいつもながら「令」に見えてしまいます。

「よ路しから須」、変体仮名。この頁の書き手は女性でしょうか。
「可為致候」、この「候」はデカイ!
「無益」、「益」はひどく崩しているわけではないのですが、全体のバランスが上部・下部とはっきり分かれている感じです。

「難有」、この「有」のくずし字も頻出です。形で覚えるしかありません。
「案心」、「心」のくずし字は頻出ですが、1画目と2画目が強いつながりで一体となってます。

「夜」、久しぶりに出てきました。「亠」+「亻」が一つとなって偏のようになります。


2019年4月3日水曜日

変事出来二付心得覚記 その139




 P.61 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
どの村 々 二も困 窮  人 斗 りと
どのむらむらにもこんきゅうにんばかりと

いふ者 斗 り無之  、有 徳 成る
いうものばかりこれなく、ゆうとくなる

もの茂有之  、何 程 二而も施  し
ものもこれあり、なにほどにてもほどこし

を為致  、極 貧窮   成 ものヲ
をいたさせ、ごくひんきゅうなるものを

撰  、又 其 上 之撰 ミニ段 二も
えらび、またそのうえのえりみにだんにも


(大意)
どの村にも困窮している人
ばかりではなく、資産家である
人もいる。どのような方法でもよいから施しを
させ、極めて貧しい人たちを
選び、念には念をいれてよくよく選び、


(補足)
 この頁あたりからまた手跡が変わってきました。
この頁でもこの後の頁でも、途中で段落ごとに雰囲気が変化してると感じます。

「有徳成る」、何度か出てきているので読めました。
「極貧窮」、「貧」が難しいが、「分」のくずし字が読めれば、下部は「貝」なので、「貧」とわかる。

「撰」(えらぶ)が続けて出てきます。「撰ミ」(えりみ)としましたが?

頁をまたぎますが、「二段ニも三段ニも」と続きます。(念には念をいれて)。


2019年4月2日火曜日

変事出来二付心得覚記 その138




 P.61 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
五拾  四 ケ村 江御用 状  三 通 渡 り、
ごじゅうよんかそんへごようじょうさんつうわたり、

村 々 大 惣 代 ・小惣 代 是 那き
むらむらおおそうだい・こそうだいこれなき

村盤 名主 ・村 役 人 一 村 宛 二
むらはなぬし・むらやくにんいっそんあてに

呼 出し、無相違    附 送 る遍く
よびだし、あいちがいなくつけおくるべく

よし被仰渡    候
よしおおせわたされそうろう


(大意)
54ヶ村へ命令書が3通届いた。
それぞれの村に大惣代・小惣代がいない
村は名主・村役人をひとつの村ごとに
呼び出し、間違いのなく手元に届くよう
申し下された。


(補足)
 大意についてですが、「〜です、〜ます、〜である」などの文体は(その1)からずっとそろっていません。
それほどの余裕がないというのが正直なところです。
それえられれば、それにこしたことはありません。

「三通渡り」、行末で読みにくい。でもジッと見てるとわかりそう。
「是那き村盤」、「那」(な)は「奈」もある。「盤」(は)は「者」のほうが圧倒的に多い。
使い分けは、ほとんど筆の流れと気分次第だと、理解しています。
「与し」(よし)、「与」のくずし字が、「登」(と)や「者」(は)に少し似ています。


 54ヶ村と村の数が出てきてますが、そんなにすぐ村の総数がでてくるものでしょうか。村役人たちはそういった手引きを持っていたのかもしれません。

「御用状」の内容が記されてません。どんなものだったのでしょうか。
前後の流れからすると、米穀類を施米したり販売できるようにせよということ?




2019年4月1日月曜日

変事出来二付心得覚記 その137




 P.60 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
関 口 斧 四郎 ヲ以  川 越 大和守   殿
せきぐちおのしろうをもってかわごえやまとのかみどの

江米 千 俵  拝 借  致  候   間  、飯 能
へこめせんぴょうはいしゃくいたしそうろうあいだ、はんのう

扇  町 谷・所  沢 割 合 致 し
おおぎまちや・ところざわわりあいいたし

売 出し可申   事 、坪 方 者
うりだしもうしべくこと、つぼかたは

飯 能 江穀 物 附 出し候   場所
はんのうへこくもつつけだしそうろうばしょ


(大意)
関口斧四郎から川越大和守殿
へ米千俵を拝借しているので、飯能
扇町谷・所沢で分け合い
売り出すよう伝えました。坪方は
飯能へ穀物を出荷する場所です。


(補足)
 数ページ前では「御出役関口斧四郎様」と書かれてましたが、ここでは名前のみで「様」もありません。?です。

「ヲ以」、よく見ると「ヲ」と読めます。
「拝借」、既出ですが、すぐには読めませんでした。
「所沢」、この「所」と2行先の「場所」の「所」が全く異なってます。

「坪方」、これについては先日の投稿でも触れました。この部分の文章が前後とどうつながるのかが今ひとつわかりません。どこからか解釈がはずれてきてしまっているかもしれません。