P.63 最初〜3行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
廿 八 日 、氏 子聖 天 祭 り
にじゅうはちにち、うじこしょうてんまつり
廿 九日 、組 合 丑 松 七 日忌二而
にじゅうくにち、くみあいうしまつなぬかきにて
参 り候
まいりそうろう
(大意)
28日 氏子聖天祭り
29日 組合丑松七日忌のため
出かけました。
(補足)
「祭り」、二文字に見えますが、これで一文字。
打ち壊しなど、世情騒乱の中、普段の生活は出来ていたのでしょうか。
聖天祭りとありますが、ただの暦の上の事柄だけだったのでしょうか。
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