P.77 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
罷 在 少 々 快 方 相 成 候 二付 、
まかりありしょうしょうかいほうあいなりそうろうにつき、
立 帰 り候 儀之旨 申之 、再 應
たちかえりそうろうぎのむねもうし、ふたたびおうじ
相 糾 候 処 、全 於出先 病 氣二而
あいただしそうろうところ、すべてでさきにおいてびょうきにて
帰村 延 引 罷 成 候 段 相 違 無御座 候
きそんのびびきまかりなりそうろうだんあいちがいござなくそうろう
様 子二而、平 常 者如何 之及所業
ようすにて、へいじょうはいかがのしょぎょうとうおよび
等 候 風 聞 も無之 者 共 二付 、何 卒
そうろうふうぶんもこれなくものどもにつき、なにとぞ
御慈悲之御沙汰奉願上候
ごじひのおさたねがいあげたてまつりそうろう
武州 秩 父郡 上 名栗 村
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむら
新 組
しんぐみ
百 姓 畄 吉
ひゃくしょうとめきち
(大意)
したところ、少し良くなったので
帰宅したとのことで、再度
尋問しました。そうしたところ出先で病気になってしまい
帰村が遅れてしまったことに相違いない様子でございます。
普段の生活では何か良からぬことを
するということを聞くような者どもでもありませんので、何卒
御慈悲をおかけくださるようお願い申し上げます。
武州秩父郡上名栗村
新組
百姓 畄吉
(補足)
「在」、何度出てきても?です。
「全於出先」、大意のようにはしましたがよくわわかりません。意味はわかりますが正しい読み方はどうなのでしょうか。
「平常」、「常」がなんともすごいくずし字です。
「乍恐〜」のところでも同じですが、「御慈悲」の「悲」がこの当時は「非」になっています。
昨日2019年4月24日に飯能市立博物館にて「名栗の歴史 上 飯能市教育委員会 ¥2000」を購入しました。この本のP422〜P446にこの覚記の詳しい解説があります。
この解説を頼りに、ここまでの大意で曖昧な箇所や明らかな誤読などを再度読み、修正し、更新しました。これでいくらかは正確になったことだろうとホッしましたが、まだまだおかしなところがたくさんあるのではないかとヒヤヒヤしています。
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