2019年8月31日土曜日

乍恐以書付御訴奉申上候 中村家文書No380 その3




 11行目〜15行目。「飯能市立博物館所蔵中村家文書」

(読み)
同 村 百  姓  半兵衛 同 清兵衛 右 四人 穀 渡世 之
どうそんひゃくしょうはんべえどうせえべえみぎよにんこくとせいの

者 共 打 毀 し夫 ゟ 同 村 名主 伝 三 同 百  姓  善兵衛
ものどもうちこわしそれよりどんそんなぬしでんぞうどうひゃくしょうぜんべえ

久下分 村 儀次郎 真 能 寺村 百  姓  嘉兵衛右 四人
くげぶんむらぎじろうしんのうじむらひゃくしょうかへいみぎよにん

酒 食  焚 出シ申  付 右 差 出シ不申  候ハバ  打 毀  可申
しゅしょくたきだしもうしつけみぎさしだしもうさずそうらわばうちこわしもうしべく

旨 申  断   ニ付 無拠     焚 出シ致 し右 食  事致 シ夫 ゟ
むねもうしことわりにつきよんどころなくたきだしいたしみぎしょくじいたしそれより


(大意)
同村百姓半兵衛と同清兵衛の右四人、穀物商の
店を打毀し、それより同村名主伝三と同百姓善兵衛
久下分村儀次郎と真能寺村百姓嘉兵衛の右四人が
酒や飯を要求し、断ったならば打ち壊すぞと
おどされたので、やむなく従い食事させました。続けて


(補足)
前回最終行「夫ゟ飯能村名主文右衛門」と今回の1行目「同村百姓半兵衛同清兵衛右四人」とありますが、「右四人」にはなりません。そしてこの3人が「穀渡世之者共打毀し」となるに及ぶのですが、「飯能村名主文右衛門」がつまり、名主さんが打毀しに加担したんですか。そんな訳あろうはずがありません。わたしの解釈がおかしいのでしょう。よくわかりません。
飯能村で名主をやっている文右衛門の村民の者共がという意味ならなんとなく意味は通じます。


 次に続く文章もなんかおかしい。
「夫ゟ同村名主伝三同百姓善兵衛久下分村儀次郎真能寺村百姓嘉兵衛右四人」と確かに今度は4人ですが、またしても「同村名主伝三」が人数に入っています。名主さんが飯や酒を出せと迫る訳がありません。
こちらも上記と同じく、同村で名主をしている伝三さんの村の者共が、と解釈すればよいのでしょうか。でもなんとなくやはり変だなぁ。

「久下分村儀次郎」、「儀」や「義」はよく出てきますが、このくずし字はどうもそうではないような気がします。名前は難しい。

「不申候ハバ」、「ハバ」が読めませんが、上下の文章の流れからの推測です。




2019年8月30日金曜日

乍恐以書付御訴奉申上候 中村家文書N0380 その2




 6行目〜10行目。「飯能市立博物館所蔵中村家文書」

(読み)
可申   旨 申  觸 同 意無之  村 方 ハ早 速 打 壊  候   趣
もうしべくむねもうしふれどういこれなくむらかたはさっそくうちこわしそうろうおもむき

ニ而追々  村々  相 集  リ名栗 谷ツ村々  不残  中 富 谷ツ
にておいおいむらむらあいあつまりなぐりやつむらむらのこらずなかとみやつ

成 木谷ツ右 三 ヶ谷ツ村 数 凡  三 拾  ヶ村 人 数 弐千
なるきやつみぎさんけやつむらすうおよそさんじゅうかそんにんずうにせん

程 ニ而十  四 日暁   飯 能 宿  江押 寄セ無二無三 久下
ほどにてじゅうよっかあかつきはんのうしゅくへおしよせむにむざんくげ

分 村 名主 国 三 郎 打 毀 シ夫 ゟ 飯 能 村 名主 文右衛門
ぶんむらなぬしくにさぶろううちこわしそれよりはんのうむらなぬしぶんえもん


(大意)
と触れ回り同意しなければ村はすぐに打ち壊すことになろう。
そして次々に村々から人が集まり名栗村からは全員が、中富村
成木村の3ヵ村を含めて凡そ30の村から二千人
程が14日明け方飯能宿へ押寄せ、がむしゃらに久下分村
名主国三郎の家を打毀し、続けて飯能村名主文右衛門


(補足)
「弐千」、漢数字「弐」のくずし字はたいてい小さくてわかりずらい。先の覚記では人数は記されていなかったような気がしました。「弐千」と出てくるのは施金交渉のときの金額の箇所だけです。

「暁」、この表現も覚記では使われていませんでした。
「無二無三」、ひたすらに、がむしゃらに。



2019年8月29日木曜日

乍恐以書付御訴奉申上候中村家文書No380 その1




 1行目〜5行目。「飯能市立博物館所蔵中村家文書」

(読み)
  乍恐      以書付        御訴      奉申上           候
  おそれながらかきつけをもっておうったえもうしあげたてまつりそうろう


一   御領    分 高麗郡  飯 能  村 久下分 村 真 飯 寺村
ひとつ ごりょうぶんこまぐんはんのうむらくげぶんむらしんのうじむら

中  の村 役 人 一 同奉申上候           今 般 米 價高 直之
じゅうのむらやくにんいちどうもうしあげたてまつりそうろうこんぱんべいかたかねの

折 柄 江戸表  打 壊 し有之  候   風聞  之○ニ乗  し
おりがらえどおもてうちこわしこれありそうろうふうぶんの○にじょうじ

秩 父郡 上 名栗 村 ゟ 相 催   今 十  三 日 昼 七 ツ時 頃 ゟ
ちちぶぐんかみなぐりむらよりあいもよおしこんじゅうさんにちひるななつどきころより

人 数 相 集 メ夫 々 村 々 人 足 催 足 致 シ所  々  打 壊 シ
にんずうあいあつめそれぞれむらむらにんそくさいそくいたしところどころうちこわし


(大意)
 恐れながら書付を以て申し上げ奉り候
一つ ご領地高麗郡飯能村、久下分村、真飯寺村
中の村役人一同が申し上げ奉ります。今般米価の値上がりの
折、江戸より打毀しが起こっているとの噂が聞こえてきていることに乗じ
秩父郡上名栗村でもその企てがあり今日13日昼4時頃
人數を集め村中の人々を促しそこここを打毀す


(補足)
 飯能市博物館で2019年6月「今月の一品」として展示されていた「地域に残る武州世直し一揆の記録」です。

 説明文に「武州世直し一揆を伝える史料は各地に存在していますが、実は、最初に打ち毀しがおきた飯能村周辺には関連文書がほとんど残っていません。本史料は写しでしかも後ろが途切れてはいるものの、事件の現場となった村の住人によって書かれた現存する数少ない文書の一つであり、内容の信憑性も高い貴重なものといえます」
とあり、意外ではありますが、前回のまとめでもふれましたとおり、地元の村々の人たちにとってはお上に逆らいたてつき、飯能宿などの打毀しに関わったことはとても恥づべきことで、後世の人たちにとっては封印しておきたい事柄であったことも確かなことのようにおもわれます。

 飯能博物館からは文書掲載の許可を頂いておりますので、4回にわたってアップします。


 前回の覚記では「久下分村、真飯寺村」の村名は出てきませんでした。地名や村名の読みはなかなか難しいものがあります。
「風聞之○ニ乗し」、○は「尋」のようでもありますが、辞書で調べても?です。
「十三日昼七ツ時頃」、覚記では「七ツ半頃」とありました。


2019年8月28日水曜日

変事出来二付心得覚記 その286 まとめ2

 武州一揆関係の書籍・論文などは多数研究発表されています。
階級闘争的民衆蜂起の萌芽であったなどと大上段に構えたものもあります。
別段否定する気もありません。

 私見はもっと単純です。
国家転覆や村役人やさらにその上役たちを滅ぼし自分たち百姓の天下を築くのだなどという考えはこれっぽっちもなく、その日の米をなんとかしてくれ、毎日働いて暮らしてゆけるようにしてくれという、まことに切羽詰った餓死の回避をお願いしていたものと強く感じます。村役人たちはその職をもっとしっかりやってくれとの抗議ととらえてもよさそうです。

 約1年この覚記と関わってきました。
白黒8ミリフィルムを見ているような錯覚を何度かしました。
これから徒党に加わろうと川の淵に集まっている百姓たちを説得押し止めようとする村役人たちとの小競り合い、あぁーこれはあそこの以前の旧道の川のそばの道や土手あたりのできごとなんだな、とおもったり、村役人の家の土間での押しかけた百姓と名主との怒鳴り合い、名主たちの話し合いの場で、滝之助がキレまくっている様子、などなど具体例をあげたらきりがありません。

 わたしはとっくに還暦をすぎています。わたしの母の実家は埼玉県北部代々百姓でした。母はそこの長女です。その母のおじいさんはチョンマゲを亡くなるまでしていたそうです。わたしのおばあさんがそのひいばあさんからきいた話はちょうど源左衛門さんの頃の話になるでしょう。慶応2年はそれほど昔のことではなく、ちょっと手を伸ばせば届くところなのです。

 世の中外国語ばやりです。
それはそれで結構なことなのですが、膨大な過去の記録である古文書を忘れてはいけないとおもいます。今につながる古文書を少しでも小中高校の学生たちが親しんでほしい。
 また、博物館、大学、研究機関や資料館などは保存されている大量の古文書類をネットで原文を読めるよう一層はかってほしい。
 古文書を保存させているだけでは、埋もれてゆくだけです。
積極的に公開していってほしい。

 最後にあらためて貴重なこの覚記を写真撮影させて頂いた飯能市立博物館に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

おわり

2019年8月27日火曜日

変事出来二付心得覚記 その285 まとめ1




 P.188 裏表紙。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)

(大意)

(補足)
 裏表紙。紙こよりの縛り方を拡大してみると、独特です。
このような冊子をまとめるときに使われる縛り方なのでしょう。

 本ブログを記すにあたって、次の2冊をおもに参考にしました。

「名栗村史研究 那栗郷 1」 名栗村教育委員会2000年3月31日発行
この覚記の翻刻全文がありますので、これを頼りに読みすすめました。
古文書初心者なのでこれなくしては手も足もでませんでした。

「名栗の歴史 上」飯能市教育委員会2008年3月31日発行
P.425以降にこの覚記の詳細があります。現代語訳にとても助けられました。
速水融さんが「宗門改帳」をもとにある村の人口動態を一人ひとり調査し、その村の興亡を明らかにしてゆく歴史人口学とい切り口があります。さらにそこから勤勉革命と名づけた江戸時代農民の姿を示しました。小さなたくさんの残された資料をもとに大きな一つの考え方を導きいくつかの書籍にされてます。

 この「名栗の歴史 上」を調べ読み、上記速水融さんの何冊かの本を思い浮かべました。
それほどに名栗村の事柄に詳しい。どなたか研究者の方がすでに歴史人口学的手法ですでに明らかにされていることだとはおもいますが、その論文を読むこと無く、この本だけで名栗村の経済・教育・文化などほとんどが網羅されており、本の題名通り名栗の歴史をたどることができます。


 この覚記の出だし表題2行目は「手前心得覚左二記し置候」とあります。
「手前」とあると、平沼源左衛門お一人でこの覚記すべてを残したことになると考えますが、
この一冊の原文を読んでみての結論は、異なりました。

 源左衛門さんがいわば編集人となって、あるきまった人たち数人と編集会議をもち、書き連ねていったものだろうと考えます。
 かかわった人は数人としましたが、約100頁ある覚記の手跡を調べれば何名かを確定させることは可能でしょう。
女性の手跡とおもわれる頁もありましたので、誰であるか気になるところです。

 村役人たちの仕事ですから、この覚記の控えが必ずあるとおもうのですが、発見されていません。
不思議なことではありますが、名栗村にとっては変事出来とはいへ、恥には違いありません。
一冊ありそれを隠すように保存したと考えれば、控えがなかったことは理解ができます。
しかし村役人のサガというものがあります。どんなことでも人間筆写器のように写し残してしまう習性はそうそう変えられるものではありません。

つづく


2019年8月26日月曜日

変事出来二付心得覚記 その284




 P.187 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
行  之者 ハ昼 四ツ雲 一 天 も
ぎょうのものはひるよつくもいってんも

無之  折 柄 夫 江向 江祈  茶 王ん江
これなくおりがらそれへむかへいのりちゃわんへ

水 ヲ請 其 水 二而飯 ヲたき
みずをうけそのみずにてめしをたき

進(志んぜ)度 候   二付 下 名栗 二而五人 上 名栗 二而
しんぜ   たくそうろうにつきしもなぐりにてごにんかみなぐりにて

三 人 招 キ候   様 御噺 し下 名栗 者
さんにんまねきそうろうようおはなししもなぐりは

両  名主 栄 助 駒 吉 壁 宗 吉 〆  五人
りょうなぬしえいすけこまきちかべそうきちしめてごにん

上 名栗 ハ村 境  之事 ゆへ世話二も相 成
かみなぐりはむらざかいのことゆへせわにもあいなり

候   故 両  名主 小殿 〆  三 人 と駒 吉 噺 し以多し候
そうろうゆへりょうなぬしこどのしめてさんにんとこまきちはなしいたしそうろう

壁 宗 吉 二者其 水 二而飯 ヲた可せ申  候   様 噺し
かべそうきちにはそのみずにてめしをたかせもうしそうろうようはなし

まじない之事 稀代 病  人
まじないのこときたいびょうにん

全 快 次第 迄 噺し 申  候
ぜんかいしだいまではなしもうしそうろう



(大意)
行の者が昼10時空に雲
ひとつなく、天に向かって祈り、茶碗へ
水を受け、その水で飯を炊き
差し上げたくとのことで、下名栗村より5人、上名栗村より
3人招きたいとのおはなしでした。下名栗村からは
両名主栄助駒吉壁宗吉合わせて5人、
上名栗村からは村境のため世話にもなって
いるので、両名主小殿合わせて3人であったと駒吉が話していました。
壁宗吉にはその水で飯を炊くようにとのおはなしでした。
(病気平癒の)祈り願い事は不思議なことに病人が
全快したとのお話でした。


(補足)
 変事出来ニ付心得覚記の最終頁です。
この覚記にふさわしい話なのかどうか、この一連の話の前に数頁の空白があったので、この話はおまけ程度のつもりで、まぁ変事があって数年後村の近くでこんなことがあったよというくらいのお噺申候のような気がします。

「昼」、「尺」が「冖」のようになります。
「向」、簡単な漢字ですが難しい。
「茶王ん」、じっと見つめてようやく読めました。

「水」、楷書です。ところが終わりから3行目小文字の「其水ニ而」のところでは、難しいくずし字になってます。

「まじない」以下がよくわからなかったのですが、フィクションでまとめました。


2019年8月25日日曜日

変事出来二付心得覚記 その283




 P.186 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
候   間  何 国 成 共 出 行 遍し壱 人二而
そうろうあいだいずくになりともいでゆくべしひとりにて

よ路しと被申  夫 ゟ 詫 入
よろしともうされそれよりわびいれ

駒 吉 帰り 掛ケニ申  様 先 ケ様 二
こまきちかえりがけにもうすさまさきかように

相 成 候   間  御噺 し申  可゛先 生 被申
あいなりそうろうあいだおはなしもうすが せんせいもうされ

候   二者名主 村 役 人 二而も命  ほし可゛里
そうろうにはなぬしむらやくにんにてもいのちほしが り

古満り入 候   先 達 而も廿   五日 廿   六 日 両  日
こまりいりそうろうせんだってもにじゅうごにちにじゅうろくにちりょうじつ

之内 先 生 行  を以多し候   を村 方
のうちせんせいぎょうをいたしそうろうをむらかた

重 立 衆  へ御見せ申  度 是 ヲ御覧
おもだちしゅうへおみせもうしたくこれをごらん

有之  候ハヽ  私  し身分 怪 敷 ものか、
これありそうらわばわたくしみぶんあやしきものか

又者 一 同 御案 心 被下  候   様 致  度
またはいちどうごあんしんくだされそうろうよういたしたく

候   間  廿   六 日 二有 間岩 穴 へ登山
そうろうあいだにじゅうろくにちにありまいわあなへとざん

被下  候   様 引 合 候得共   御 出無 之
くだされそうろうようひきあいそうらえどもおいでこれなく


(大意)
なので、どこかの国へ行ってしまうべきです。ひとりで
かまいませんと申され、それからご迷惑をおかけしたこと詫びられました。
駒吉が帰りがけに申すには、先方があのように
なってしまっているのでおはなししますが、先生がおっしゃるには
名主村役人でも命は惜しく
困りいっているでしょう。先だっても25日26日両日
のうち、先生が行を行っているところを村の
主だった人たちへお見せしたく、ご覧入れようと
しました。ところが私の信用がなかったものなのか
または皆様の心配事がなくなるようにしたい
ので26日に有間の岩穴へ登って
くださるようにとりもちましたが、いらっしゃいませんでした。



(補足)
 外国語を翻訳するときと同様に、文章の一字一句を正確に日本語に置き換えてゆくだけの作業では、いわゆる逐語訳では、だめなのは古文書の翻訳でも同じことです。
 文章全体の情景や流れがとらえられなければ、ただの文字の羅列になるだけです。

 大意のように記しはしましたが、われながら困った状況で、どうもうまくこの頁の内容をつかんでいません。なのでフィクションにもなってなく、うーん、情けない。

「国」のくずし字は特徴的。
「路」(ろ)、変体仮名。
「ほし可゛里古満り」(ほしがりこまり)、変体仮名の連続。
「行」、頻出くずし字ですが、どうも苦手。
「重立衆へ」、(ヲモ)とフリガナがあります。
「怪敷」(マキラシキ)とふってありますが、なんのことでしょうか?
「引合」、「引」のくずし字、形で覚えるしかありません。


2019年8月24日土曜日

変事出来二付心得覚記 その282




 P.185 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
者多゛し二而経  文 を唱 ひ、
はだ しにてきょうもんをとない

六日 一日  其外其外    二日 都合 九日
むいかいちにちそのほかそのほかふつかつごうここのか

喰  事不致  候   趣   行  之砌  下拙
しょくじいたさずそうろうおもむきぎょうのみぎりげせつ

先 生 送 り参 り見届 ヶ候   処
せんせいおくりまいりみとどけそうろうところ

青 く相 成 寝帝居 候   処  へ先 生
あおくあいなりねておりそうろうところへせんせい

被帰  候   様 下拙 申  候   處  起 上 り一 礼
かえられそうろうようげせつもうしそうろうところおきあがりいちれい

被述  其 時 壁 ゟ 古うせんの粉
のべられそのときかべよりこうせんのこな

こ本゛連有之  候   を見帝先 生
こぼ れこれありそうろうをみてせんせい

被申候     五穀 古本゛連有之  五穀 ヲ
もうされそうろうごこくこぼ れこれありごこくを

ケ様 二致 し候而ハ   行  も何 程 以多し候   共
かようにいたしそうらいてはぎょうもなにほどいたしそうろうとも

無益 之事 日立 候ハヽ  暇 遣 し
むえきのことひたちそうらわばひまつぶし

(候間)
そうろうあいだ


(大意)
裸足で経文を唱え
6日と1日、その他に2日合わせて都合9日
食事をしていなかったようであります。行を行うときにわたくしが
先生を送り見届けて来ました。そこで
青い顔で横になっているところへ、先生に
帰るようにわたくしが申し上げたところ、起き上がり一礼して
述べられました。そのときに壁より光線の粉が
表れる出るのをみて、先生が
申されました。後光が表れる出ている。後光が
かように射してしまっては行をどんなにつんだとしても
無駄なことである。日が経ってしまえばただの暇つぶし
(なので)


(補足)
「五穀」(ごこく)を勝手に「後光」(ごこう)と読み替えました。五穀ではなんとも意味が通じません。フィクションにしてしまったかもしれませんが、埃が立ち込めるボロ小屋の中で隙間から光がさしこみ、それが後光のように光の筋になって見えた。そのような情景を想像するとこのあたりの文章がしっくりきます。

 まぁ、はずれていたら笑って下さい。
わたしの高校のときの古文の訳の試験は、満点か零点でした。
満点のときは花丸がくるくるくるっと、零点のときは赤鉛筆でFictionと大書きされてました。


「二日」、この部分だけを見ると、一文字に見えてしまい何の字かとおもいますが、上下の文章のつながりから二日とわかります。
「行」の偏「彳」が潰れてます。なぜか同じように終わりから2行目中程もそう。
「帝」(て)、変体仮名。
「壁」、この漢字はこことこの後の壁宗吉として2箇所のみです。
「粉」=「米」+「分」。「分」のくずし字は「彡」+「、」
「こ本゛連有之候を見帝」、「五穀古本゛連有之」、変体仮名が続きます。

「益」、「無益」や「ご利益」と頻出です。くずしていると「貢」のようにみえます。


2019年8月23日金曜日

変事出来二付心得覚記 その281




 P.184 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
御公 儀与り立 退 と被仰  候   而ハ
ごこうぎよりたちのきとおおされそうろうては

中 々 立 退不申候      村 方 ゟ 立 退 と
なかなかたちのきもうさずそうろうむらかたよりたちのきと

被申  候   而ハ小供 被申  候   而も早 速
もうされそうろうてはこどももうされそうろうてもさっそく

立 退 申  候   御噺 し御座候   中 々
たちのきもうしそうろうおはなしござそうろうなかなか

おしき人 二御座候   先 生 と被申  候
おしきひとにござそうろうせんせいともうされそうろう

仁 盤飛のヘ午 二而廿   二才 与申  事
ひとはひのへうまにてにじゅうにさいともうすこと

又 壱人 ハ廿   六 才 其 外 壱人 国 元 へ
またひとりはにじゅうろくさいそのほかひとりくにもとへ

諸 物 とリニ出候   人 者十  八 才 と
しょもつとりにでそうろうひとはじゅうはっさいと

申  事 廿   六 才 二相 成 候   人 行  之義者
もうすことにじゅうろくさいにあいなりそうろうひとぎょうのぎは

岩 穴 ゟ 十 丁  程 も行 丸 山 有之
いわあなよりじっちょうほどもゆきまるやまこれあり

是 へ夕 方 登り 其 夜中
これへゆうがたのぼりそのよなか


(大意)
御公儀より立ち退けと言われても
なかなか立ち退くと言わなかったのですが、村役人より立ち退けと
言われると、(小供被申候而も)さっそく
立ち退くとのおはなしで御座いました。なかなか
おしい人でございます。先生と言われる
方は丙午(ひのえうま)生まれで22才とのこと、
もうひとりは26歳、そしてもうひとりは国元へ
いろいろな物を取りに出かけている18才との
ことです。26才になる人は行の修行のとき
岩穴より10町(約1km)程も行くと丸山があり
そこへ夕方登り、その夜中に


(補足)
「小供被申候而も」、前後の文章の流れから大意を考えるのですが、うまくつなげる文章が思い浮かびません。(まだ子どもと言われていても)でしょうか。
「中々おしき人二御座候」、なかなか好感の持てる人であります。
「盤」(は)、変体仮名。「春盤゛」のくずし字がよく暖簾や看板で見かけるそば(蕎麦)。

「飛」はこの覚記には二箇所出てきます。P13「女共飛上候」ではくずし字辞典にある字体ですが、ここの「芸」に似たような字体は辞書にありませんでした。

「登」のくずし字、「癶」をくずした感じが目安。「と」の変体仮名。

 3人の若者が村のはずれの岩穴に住んでしまい、行者のような生活をしてしまっているようです。
この覚記とどのような関わりがあるのか、わかりません。



2019年8月22日木曜日

変事出来二付心得覚記 その280




 P.183 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
御役 所 江罷  出申  そくないヲ
おやくしょへまかりでもうしそくないを

以多し夫 ゟ 出  立 候   様 被仰付候
いたしそれよりしゅったつそうろうようおおせつけられそうろう

御届 ヶ書 計 り御座候ハヽ  何 も
おとどけしょばかりござそうらわばなにも

子細 無之  萬 一 御尋  等 有之  候ハヽ
しさいこれなくまんいちおたずねとうこれありそうらわば

私   共 之内 壱 人罷 出 其 段 申  入 候ハヽ
わたくしどものうちひとりまかりでそんだんもうしいれそうらわば

其 儘 二相 成 候   處  只 今 二相 成
そのままにあいなりそうろうところただいまにあいなり

岩 鼻 へ罷 出 其 旨 申  入 候ハヽ
いわはなへまかりでそのむねもうしいれそうらわば

栄 助 義者首 ハ無之  武家
えいすけぎはくびはこれなくぶけ

なら者゛右之 由 百  姓  之事 なら者
ならば みぎのよしひゃくしょうのことならば

古満り入 候   只 今 二相 成 候ハヽ  岩
こまりいりそうろうただいまにあいなりそうらわばいわ

鼻 へ罷  出候   事 も不相成  候
はなへまかりでそうろうこともあいならずそうろう


(大意)
お役所へ出かけ申し上げ損なって
しまい、そのまま出立するよう申し付けられました。
お届けの書付ばかりで御座いましたので何も
細かいことはわからず、万一お尋ねなどがありましたならば
私どもの内のひとりが出かけ事情を説明申し上げれば
そのままで済んでしまったところでありますが、今になって
岩鼻へ出かけ事情をお話申し上げれば
栄助殿は首がなく、武家
ならばそのような事になり、百姓の事ならば
困り果ててしまうでしょう。今となっては
岩鼻へ出かけることもできることではありません。


(補足)
 我なが読解力のなさに呆れ果てます。想像力と妄想力は衰えてはないようですが。

 栄助殿は行者が有間に滞在していることは承知しているのだが、その行者がいうには
栄助殿が岩鼻へ出かけたときに、このことをお上へ言いそびれてしまった。
「夫ゟ出立候様被仰付候」はお上が誰に言ったのかがよくわかりません。
栄助にもう下がって良いと言っただけなのか?うーん。

 お届け書ばかりで細かいことはわからず、こちらから出向いて説明することもできず、
何かお尋ねのことがあれば出向いたおりに申し上げることもできました。しかし今さら
お上に申し上げても武士ならば首がとぶところですし、百姓でも困りいってしまうことです。
有間に腰を落ち着けてしまった行者、どうしたものか・・・。

 まぁ、こんな感じに想像したのですが、フィクションかもしれません。


出だし、「御」と7行目「岩」が潰れています。書き間違いで上書きした感じです。
この頁、「罷出」が3回、「候ハヽ」が5回も繰り返し出てきてます。1つの頁で今まではこのようなことはありませんでした。
「そくない」、損なう、だとおもいます。
「被仰付候」、「候」は「、」
「萬一」、このまま覚えるのがよさそう。
「御尋等」、「尋」がわかりずらい。


2019年8月21日水曜日

変事出来二付心得覚記 その279




 P.182 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
七 月 十  一 日
しちがつじゅういちにち

下 名栗 村 湯 木駒 吉 申  候   様
しもなぐりむらとうぎこまきちもうしそうろうさま

酒 蔵 江立 寄 我 等儀我 野
さけぐらへたちよりわれらぎあがの

舅   病  氣二付 人 ヲ請 罷  越 候
しゅうとびょうきにつきひとをこいまかりこしそうろう

一 夜泊 り今日 帰 り申  候   有 間二
いちやとまりきょうかえりもうしそうろうありまに

罷  居 候   行者   之儀二付 村 方
まかりおりそうろうぎょうじゃのぎにつきむらかた

栄 助 殿 一 昨 日 夜 遅 く帰 り
えいすけどのいっさくじつよるおそくかえり

候   趣   承  知以多し委 敷 義者
そうろうおもむきしょうちいたしくわしきぎは

畄主二以多し存  居 候   二付 存  不申
るすにいたしぞんじおりそうろうにつきぞんじもうさず

行  人 被申  候   ニハ栄 助 殿 岩 鼻
ぎょうにんもうされそうろうにはえいすけどのいわはな


(大意)
7月11日
下名栗村湯木の駒吉が申し述べたことです。
酒蔵へ立ち寄ったところ、我らの吾野の
舅が病気ということで、人を頼み見舞いに行かせました。
一泊して今日帰宅しました。有間に
滞在している行者については、村の
栄助殿一昨日夜遅く帰宅
したたようだが承知はしている。詳しいことは
留守にしていたということで、存じていない。
行者が申すには、栄助殿が岩鼻(お役所へ)


(補足)
 この頁のまえに2,3頁の空白頁がありました。
今まで話は、いったんこれで終わったという意味なのかどうかはわかりませんが、ここまででそのようなことはありませんでしたから、ここから先は少し別の件となるのかもしれません。

 日付が7月11日になってます。
前頁の入札一件が慶応3年8月のことですから、同じ慶応3年ならばここの記述は1ヶ月前の出来事となります。

「湯木」、行政区名には「湯基」(とうぎ)とあります。
「駒吉」、読めませんでした。
「等」のくずし字はいろいろあって、ここでは「ホ」。
「我野」、吾野。何度も出てきてます。
「舅」、男の部分がわかれば、なんとなく読めます。
「罷越候」、候が「、」。
「今日」、「今」が???。
「有間」、現在の名栗湖、有間ダム。「湯基」はそこより約2キロ下った所。
「遅く」、「迷」でないことはわかるのですが、難しい。
「委敷」(くわしき)
「畄主」、「畄」をみてしまうと、すぐに「留吉」と読んでしまいます。

 この頁だけを読むと、話が見えてこないのですが、この先を読みすすめると、
(少しは)どういう状況なのかがわかってきます。


2019年8月20日火曜日

変事出来二付心得覚記 その278




 P.181 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
武州秩父郡上名栗村
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむら

 慶應三卯年八月 組頭 仙太郎
 けいおうさんうどしはちがつ くみがしら せんたろう

             同  代八
             どう だいはち

             年寄 軍蔵
             としより ぐんぞう

             当名主 太次郎
             とうなぬし たじろう

             名主 町田瀧之助
             なぬし まちだたきのすけ

 関東在方御役
 かんとうざいかたおやく

  田中佐与太郎殿
  たなかさよたろうどの


(大意)
略


(補足)
「秩」、この禾偏は通常。
「年」、年月を表すときは丸印のようで、「年寄」のようなときは通常なのでしょうか。
「郎」、今頃になって気づいたのですが、このくずし字も偏と旁の左右の位置を上下にしたようが気がしてきました。
「当名主」、古組 原田太次郎 槇下 、この村の名主。
「名主」、新組 町田瀧之助 新立。


2019年8月19日月曜日

変事出来二付心得覚記 その277




 P.180 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
様 無之  取 崩 し薪 二可用立
さまこれなくとりくずしまきにようだてべく

候   処  是以    薪 沢 山 之場所 故
そうろうところここをもってまきたくさんのばしょゆへ

望  候   もの無之  増 永 難儀 ニハ
のぞみそうろうものこれなくぞうえいなんぎには

候得共   再 應 御利解 之趣
そうらえどもさいおうごりかいのおもむき

難 點 止 書 面 之通 り相 増
なんてんやめしょめんのとおりあいまし

都合 永 四 貫 四 拾  七 文 二而
つごうえいよんかんよんじゅうななもんにて

御拂  被仰付    候   様 仕    度 奉存候、
おはらいおおせつけられそうろうようつかまつりたくぞんじたてまつりそうろう

依之 一 同 連 印 を以  申  上 候   以上
よっていちどうれんいんをもってもうしあげそうろういじょう

    岩 鼻 附 御料  所
    いわはなつきごりょうしょ


(大意)
様子もなく取り壊して薪にしようにも
ここはもともと薪が沢山あるところなので
買い取る者もおりません。金額が増えることは困ったこと
ですが、再度ご理解していただきたく
わがままはやめ、書面の通り
都合4貫47文にて
売却していただきたく申し渡されるよう存じます。
以上一同承認の連印にてお願い申し上げます。

岩鼻附御料所


(補足)
 村役人たちは3貫871文が希望でしたが、結局は役人が見積もった4貫47文となりました。
村役人は今回の騒動でお叱りや急度お叱りの罰を受けながらも、値引き交渉をしたわけで
現在の感覚でなくても、そのような経緯と事情があれば、お上の提示した価格にははぁ~と
ひれ伏し、言い値で決定となりそうなところです。
 当時の村役人たちに聞けば、それとこれとは違うのです、名栗村の生活は厳しいのですぞ、と
一喝されて引っ込むしかなさそうです。

「崩し」、下部は「月」ふたつなのに、左右でくずし字が異なります。同じ「月」に見えるだけで異なる字なのでしょうか。
「望」、前回も出てきましたが、3つの部品を縦に並べた感じのくずし字。
部品を縦に並べるのくずし字によくあるようで、「野」「仰」「印」などがあります。
「難點止」、読み方がわかりません。意味も前後の流れからの推測です。
「奉存候」、三文字を一文字のように押しまとめてしまい読めませんが、文章の流れから予想がつきます。


2019年8月18日日曜日

変事出来二付心得覚記 その276




 P.179 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
当 村 之義者秩 父郡 名栗 谷
とうそんのぎはちちぶぐんなぐりやつ

と唱 ひ候   程 之山 間 二而夏中
ととないそうろうほどのさんかんにてかちゅう

迚 も兎角 冷 氣勝  二而作 物
とてもとかくれいきまさりにてさくもつ

実 法 無甲斐 殊 二右 畑  之義
じっぽうかいなくことにみぎはたけのぎ

入 間川 水 源 端 二而石 砂 交 り
いるまがわすいげんはしにていしすなまじり

之薄 地故 差 当  引 請 人 も
のうすちゆえさしあたりひきうけにんも

無之  建 家之儀も困 窮  人 故
これなくたてやのぎもこんきゅうにんゆえ

年 来 修  復 も不差加   朽 腐
ねんらいしゅうふくもさしくわえずくちくさり

候   儘 悉   ク住 荒 此 上 手入 可致
そうろうままことごとくすみあれこのうえていれいたすべき

(様 無 之)
 さまこれなく


(大意)
当村については秩父郡名栗谷(なぐりやつ)
といわれるほどの山奥にあり、夏の間
でも気温が低いことが多いため作物を
育てようにもその甲斐がありません。特に畑については
入間川の水源近くのため石砂が混じり
耕作に適さぬためそこを当面引き受けようと
する人もいません。家屋についても貧乏人のため
一年を通じて手入れすることもなく朽ち
果てるままほとんど荒れている状況です。もはや手入れをする
(様子もなく)


(補足)
 今まで使われてこなかった初見の漢字がたくさんあります。
「唱い」(とない)としましたが、(いい)でもよさそう。
「夏中」、春夏秋冬は重要くずし字ですが、「夏」のくずし字が難しい。辞書をのぞくともっとくずされた字があってますます難。
「兎角」、セットで覚える。
「冷気」、「冷」で悩んでしまいました。
「実法」(じっぽう)、実際の方法、様子。
「水源端」、「源」が「冫」になってますがそんなこと気にしないのでしょう。「端」もジッっと見ているとそれらしく見えてくるのですが。
「薄」、辞書をみるとありました。ちょっとわかりずらい。
「修復」、「復」の名残があるくずし字と、ここのように右側が「甘」+「又」のようなくずし字もあります。
「加」、「口」が「、、」のよう。
「窮」「腐」「毀」などはたいてい楷書にちかい字体のことが多い。画数がおおいのと、普段使われない漢字だからでしょうか?
「悉く」、辞書のくずし字は読めるのですが、ここのは「憲」のように見えてしまいます。

 山奥の名栗村の生活状況を垣間見ることができます。
その生活の厳しさは、その状況に我が身を置いてみないとわからないくらいのものだったろうとおもいます。想像すらできない生活の毎日、言葉をなくします。



2019年8月17日土曜日

変事出来二付心得覚記 その275




 P.178 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
為御取調     被成御越  御見 分 之上
おとりしらべのためおこしなされごけんぶんのうえ

御拂 之 積  近  村々  江入 札 被仰
おはらいのつもりちかくむらむらへいれふだおおせ

觸   候得共   望  人 無之  村 買 請
ふれさせそうらえどものぞむひとこれなくむらかいうけ

被仰付候       二付 夫々  二直段 仕
おおせつけられそうろうにつきそれぞれにねだんつかまつり

合 永 三 貫 八 百  七 拾  壱 文 二而御拂
ごうえいさんかんはっぴゃくななじゅういちもんにておはらい

被仰付度     段 申  上 候   処  畑地 之
おおそつけられたくだんもうしあげそうろうところはたちの

儀者所質入直段      江御見合
ぎはしちいれねだんのところへおみあい

御調  有之  建 家其 外 之儀も
おしらべこれありたてやそのほかのぎも

増 永 可仕     旨 御吟 味御座候得共
ぞうえいつかまつるべきむねごぎんみござそうらえども


(大意)
お取り調べのためこちらに来られご検分のうえ
売り払う予定である。近々村々へ入札をおこなう
だろうが、買おうとする人はなく村で買うよう
申し渡されている。そのためそれぞれに価格を聞き
合計3貫871文にて売り払っていただける
よう申し渡されたいと申し上げましたところ、畑地に
ついては質入れの値段に釣り合うよう
お調べがあり、建屋その他についても
金額割増していただける旨のご吟味が御座いました。しかしながら


(補足)
 入札をしても誰も参加するものはなく、結局村で買い上げよとのお上のご意向、
村役人たちも困っています。

「御調」でも意味は通じ間違ってはいないはずですが、あとから「取」を加えてます。
「積」、禾偏が火に見えます。
「望」、形で覚えるしかなさそうです。「亡」「月」「王」を縦に並べたようなくずし字。
「直段」、値段のこと。
「畑地之儀者所質入直段江御見合」、「所〜」がわかりません。「見合」は価格が適正かどうか判断することだろうとおもいます。この「所」はどこにつながるというかかかるのでしょうか。



2019年8月16日金曜日

変事出来二付心得覚記 その274




 P.177 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
合 永 四 貫 四 拾  七 文
ごうえいよんかんよんじゅうしちもん

 内  永 百  七 拾  六 文  御吟 味増
 うち えいひゃくななじゅうろくもん ごぎんみぞう

右 者当 村 百  姓  紋 次郎 豊 五郎
みぎはとうそんひゃくしょうもんじろうとよごろう

儀徒黨 を企   候   一 件 不届  二付
ぎととうをくわだてそうろういっけんふとどきにつき

存 命 二候得者  紋 次郎 者死罪
ぞんめいにそうらえばもんじろうはしざい

豊 五郎 者遠 島 可被仰付      処
とよごろうはえんとうおおせつけられるべきところ

病  死い多し所 持之田畑 家
びょうしいたししょじのたはたいえ

屋敷 家財 欠 所 被仰付    候   二付
やしきかざいけっしょおおせつけられそうろうにつき


(大意)
合計 永四貫四拾七文
 内 永百七拾六文 調査費

右は当村の百姓紋次郎と豊五郎が
人を集め騒ぎを企てたこと、法に背くことである。したがって
存命ならば紋次郎は死罪
豊五郎は遠島を申し渡されるべきところであるが
(すでに)病死している。所持していた田畑家屋敷
家財は没収を命じられているので、


(補足)
 検算します。
紋次郎分が2貫399文5分
豊五郎分が1貫647文5分
合わせて、3貫1046文10分ですが1000文=1貫、10分=1文なので、4貫47文となります。

また御吟味増のほうは 71文5分 + 104文5分 = 176文 となり、正しい。当たり前ですね。

「貫」がつぶれているだけでなく、書き間違えたのを上書きしている感じです。
「死罪」、「病死」の「死」のくずし字を比較すると一画目の「一」の違いで見た目が結構異なるのに気づきます。

「遠嶋」、「嶋」が難しい。セットで覚えたほうがよさそうです。

「可被仰付処」、「被仰付候二付」、「被」のくずし字は頻出だけにいろいろです。


2019年8月15日木曜日

変事出来二付心得覚記 その273




 P.176 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
萱葺家壱軒    但 梁間三間半
かやぶきいえいっけん ただしはりまさんげんはん

           桁行六間半
           けたゆきろっけんはん

 但 戸拾八本
 ただし とじゅうはっぽん

   障子四本
   しょうじよんほん

 代永壱貫五拾文
 だいえいいっかんごじゅうもん

   内永五拾文  御吟味増
   うちえいごじゅうもん ごぎんみぞう

諸道具
しょどうぐ

品書
しながき

 代永
 だいえい


(大意)
略


(補足)
 紋次郎のときと同じ書式で金額だけが異なるので大意は省略しました。

あと約12回くらいで、この覚記も終了となる予定です。

飯能市立博物館「今月の一品」の2019年6月に「地域に残る武州世直し一揆の記録」が紹介されています。
その中の説明に
『武州世直し一揆を伝える史料は各地に存在していますが、実は、最初に打ち毀しがおきた飯能村周辺には関連文書がほとんど残っていません。』
とあり、とても意外に思いました。


2019年8月14日水曜日

変事出来二付心得覚記 その272




 P.175 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一 永壱貫六百四拾七文五分   百姓豊五郎
                所持畑家財
                欠所御拂代
   内
    永七拾壱文五分 御吟味増
    内訳
   畑
    此反別
     代永
     内永      御吟味増


(大意)
略

(補足)
 紋次郎のときと同じ書式で永の金額が異なるだけですので大意は略しました。

ここに使われている漢数字は壱六四七五と他に拾文分、簡単なようで難しい。


2019年8月13日火曜日

変事出来二付心得覚記 その271




 P.174 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
萱葺家壱軒      但 梁間四間半
かやぶきいえいっけん ただしはりまよんけんはん

             桁行六間半
             けたゆきろっけんはん

  但 戸拾五本
  ただし とじゅうごほん

    障子五本
    しょうじごほん

 代永壱貫五拾文
 だいえいいっかんごじゅうもん

  内永五拾文      御吟味増
  うちえいごじゅうもん ごぎんみぞう

諸道具品書
しょどうぐしながき

 代
 だい


(大意)
萱葺家壱軒 但し 梁行(梁に平行な方向の長さ)は約8.1m
         桁行(梁行に垂直な方向の長さ)は約11.7m
但し 戸15本
   障子5本
代永(現金換算)1貫50文
 内永(その内の)50文は調査費をうわのせ

諸道具品書
 代


(補足)
 前頁と同じ書式です。
「名栗の歴史 上」P186 年貢と村の負担 の節に「永」の説明が詳しく記されています。
この箇所を読んでも今ひとつ?なのです。

 この後にお上が両名の財産の入札(いれふだ)を行います。
ここではその金額が 永1貫50文=1両50文 なのだとおもいます。

「桁」が難しい。
「壱貫五拾文」、「貫」が「〆」になってます。
「品」と「所」のくずし字がそっくりでまぎらわしい。


2019年8月12日月曜日

変事出来二付心得覚記 その270




 P.173 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
覚
おぼえ

武州秩父郡上名栗村
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむら

一 永弐貫三百九拾九文五分
ひとつ えいにかんさんびゃくきゅうじゅうきゅうもんごぶ

             百姓紋次郎所持畑
             ひゃくしょうもんじろうしょじはたけ

             家屋敷家財欠所
             いえやしきかざいけっしょ

                  御拂代
                  おはらいだい

  内
  うち

   永百四文五分御吟味増
   えいひゃくよんもんごぶごぎんみぞう

   内訳
   うちわけ

  畑
  はたけ

   此反別
   このたんべつ

    代永
    だいえい

     内永 御吟味増
     うちえい  ごぎんみぞう


(大意)
 覚
  武州秩父郡上名栗村
一 永(現金)換算すると2貫399文5分 百姓紋次郎が所持した畑
                   家屋敷家財を没収し
                           その売値
   内
    永104文5分御吟味増
    内訳
   畑
    此反別
     代永
      内永 御吟味増


(補足)
永は永楽銭が永高制(えいだかせい)という徴租法で年貢支払い貨幣とされていた頃の名残。
金1両が永1貫文。要するに物納ではなく現金のときの単位。

「御吟味増」の意味がよくわかりません。没取する内容の調査費用を加えた金額ということでしょうか。

「畑」以下の「此反別」「代永」が空白なのはそれらに該当する事柄と金額がなかったからなのか、これもわかりません。

「永弐貫三百九拾九文五分」「永百四文五分」、永はわかりますが、その続きが簡単なようで難しい。

 わからないことだらけになってしまいました。



2019年8月11日日曜日

変事出来二付心得覚記 その269




 P.172 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
白紙

(大意)

(補足)
 白紙で1頁とばしています。
前頁がやや濃く裏うつりしてしまったためでしょうか。
しかし、今までにも裏うつりなど関係なく書いてきた頁はたくさんありました。
いよいよこの覚記の先が見えてきて、1頁くらい余白があっても大丈夫そうだと心の余裕ができたのかもしれません。

 この覚記の帳面は、当時販売されていたものを使用しているようです。
商人たちは大福帳などをつけなければなりませんでしたから、紙問屋では各種帳面を販売していました。村役人たちも同様でたくさんの控えや記録を残すのが仕事です。いろいろな大きさの帳面をとりそろえていたはずです。

 大変に薄い和紙で半紙を四つ折りくらいにしたものを重ねて一冊としています。
一枚の半紙の裏に書いているのではなく、一枚を折ったものを一頁としているので、表の墨が裏に滲んでしまうということはないのですが、和紙が大変に薄いので透けて見えてしまうのです。

 和紙は素晴らしいの一言につきます。
世界中のどこをみても同じものが存在せず、世界中で唯一日本の特産品としてその優秀性は自慢に値します。

 しかし、この和紙も生産者がほとんどいない状況です。
さらに悪いことに、生産に不可欠なトロロアオイ農家が老齢のためもう続けられないと報道されていました。原料がなくなれば、もうおしまいです。



 一度絶えてしまうと、再生するには今までの和紙生産技術を維持してきた仕事の何倍もの力が必要になってしまいます。田んぼと同じです。一度つぶしてしまった田んぼは再び米ができるようにするには10年以上かかってしまうといいます。

 各方面に陳情するしか窮状を救う方法はないのでしょうか。
なんとかしなくてはと、切実に考えます。



2019年8月10日土曜日

変事出来二付心得覚記 その268




 P.171 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
屋敷 成 可相願    旨被
やしきなりあいねがいべきむね

仰渡     承  知奉畏      候   仍 而御
おおせわたされしょうちおそれたてまつりそうろうよってお

請 印 形  差 上 申  処  如件
うけいんぎょうさしあげもうすところくだんのごとし

    岩鼻附御料所
     武州秩父郡上名栗村
             組頭
 慶應三卯年八月    仙太郎
             同  代八
             年寄 軍蔵
            当名主 太次郎
            名主 町田滝之助
関東在方御役
 田中佐与太郎殿



(大意)
屋敷なりは(役所の)願いの通りにするべく旨
申し渡され承知致しました。よって
認めの押印を致しましてかような次第であります。

    岩鼻附御料所
     武州秩父郡上名栗村
             組頭
 慶應三卯年八月    仙太郎
             同  代八
             年寄 軍蔵
            当名主 太次郎
            名主 町田瀧之助
関東在方御役
 田中佐与太郎殿


(補足)
「屋敷成」(やしきなり)、ネットで調べると「年々損地起し返し、屋敷成、田畑成、畑田成、其他地所変更の儀有之候ても」のような例がいくつかありました。

「可相願旨」の理解がフィクションかもしれません。

「屋」のくずし字が「道」のそれに似ているかもしれません。
「敷」の旁は下側にきます。
「仰」の旁、「印」のくずし字はほとんど同じで、「卩」(わりふ)が下にきます。

 紋次郎と豊五郎の財産処分の話がしばらく続きます。


2019年8月9日金曜日

変事出来二付心得覚記 その267




 P.170 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
可相成   処  両  人 共 病  死致 し
あいなるべきところりょうにんどもびょうしいたし

田畑 家 屋敷家財 欠 所被
たはたいえやきかざいけっしょ

仰付     今 般 御払  御取 調
おおせつけられこんぱんおはらいおとりしらべ

として御出役 二付 前 書 通
としてごでやくにつきぜんしょとおり

申  上 候   処  豊 五郎 欠 所 畑
もうしあげそうろうところとよごろうけっしょはたけ

廿   八 歩之儀者往 古ゟ とハ乍
にじゅうはちぶのぎはおうこよりとはもうしながら

申、畑 地江自儘 二家作 補
  はたちへじままにかさくほ

理置 候   者不相成  儀二付 引
りおきそうろうはあいならずぎにつきひき

請 人 有之  向 後是 迄 之通
うけにんこれありこうごこれまでのとおり

家作 取 建 置 候ハヽ 右  地所
かさくとりたておきそうらわばみぎじしょ



(大意)
うけるべきところであるが、両人とも病死している。
田畑家屋敷家財は没収を
申し渡され、今回それらの処分の調査検討を
するためにご出役が来られ、前書の通り
申し上げましたところ、豊五郎の没収した畑
28歩については代々昔よりとはいえ
畑地であるところに勝手に家作(貸家)を構え
ていたことについてはそのようにはできない事柄なので
引受人が決まったら、今後これまで通り
家作は建てたままにして置くので、この地所




(補足)
「病死」、死がわかりずらい。
「家財」、「財」もわかりずらい。
「欠所」、2頁前では「闕所」でした。
「乍申」、下から返って読むのに、改行して書きづらくはないのでしょうか。読むのにだって大変。
「自儘」、このまま覚える。
「家作」、「家」の筆順がよくわかります。一画目は「一」で続いて「宀」の「、」。
「補理」(ほり)、(しつらい)、読みはどちらでも良さそうです。構え作ること。ととのえ準備すること。しつらえ。補い修理すること。
「置候者」、「置」のくずし字の最後の「一」が次の「候」につながって「不」のように見えてしまってます。
「取建」、当時の建築行為に用いられていた用語のようです。他に「取繕」「取崩」「建替」
「引移」、「囲置」など。


2019年8月8日木曜日

変事出来二付心得覚記 その266




 P.169 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
差 上 申  御請 證  文 之事
さしあげもうしごせいしょうもんのこと

当 村 百  姓  紋 次郎 豊 五郎
とうそんひゃくしょうもんじろうとよごろう

家作 之義者何 連も寛 文 八
かさくのぎはいずれもかんぶんはち

酉 年 御縄 請 二而紋 次郎 分 ハ
とりどしおなわうけにてもんじろうぶんは

下 畑 廿   四 歩之内 拾  歩者安 政 度
しもはたにじゅうよんぶのうちじゅうぶはあんせいど

屋敷 成 請 被仰付    候   場所 二
やしきなりうけおおせつけられそうろうばしょに

有 之 豊 五郎 分 者往 古ゟ
これありとよごろうぶんはおうこより

中 畑 廿   八 歩之場所 江家作
なかはたにじゅうはちぶのばしょへかさく

出来是 迄 相 続  罷  在 候   処
できこれまであいつづけまかりありそうろうところ

不届  之筋 有之  御仕置 二
ふとどきのすじこれありおしおきに



(大意)
提出した御請證文の事
当村百姓紋次郎と豊五郎の
家作については寛文八年(1668)
酉年の田畑の測量によって紋次郎分は
下畑24歩のうち10歩は安政年間に
家屋用として使用する土地
である。豊五郎分については、ずっと昔より
中畑28歩の場所へ家作(貸家)
を持ちこれまで代々相続してきたところであるが
法に背くことありその罰を


(補足)
 寛文8年の今で言う土地台帳や登記書類が当時の村役人の書類庫に残っていることに驚きますが村役人の仕事を代々引き継、ちゃんと仕事をしていたことになります。この書付が慶応3年ですからおよそ200年前の台帳が保存されていたということになります。

「御縄」、縄入れのことだとおもいます。いわゆる検地で間縄(けんなわ)で田畑を測量すること。
出だしの「差」が「乍」に似ていますが、次にくるのが「恐」でなく「上」なので、「差上」とわかります。
「紋次郎豊五郎」の字が前頁と異なってます。書き手が代わってそうです。「豊」のくずし字が独特です。
「酉」、わかりにくい。
「分」は「彡」+「、」。
「歩」は長っぽそい「ト」。

古文書の漢数字を見ていつも思います。ここでも「廿四歩之内拾歩」「廿八歩之場所」と出てきますが、こんなにわかりにくいくずし字で、あとで悶着がおきなかったのだろうかと不思議でなりません。読み間違いがあっただろうと余計な心配をしてしまいます。
まぁ当時はこれが普通の数字のやりとりであったわけですからなんら問題はなかったのだとは想像するのですが・・・。

「往古」(おうこ)、ずっと昔。
「家作」が2回でてきますが、「作」が異なります。



2019年8月7日水曜日

変事出来二付心得覚記 その265




 P.168 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
岩鼻
いわはな

  御役所
  おやくしょ

慶 應 二寅 年 六 月 十  三 日 打 毀  一 件
けいおうにとらどしろくがつじゅうさんにちうちこわしいっけん

御裁 許 写   慶 應 三 年 卯八 月
ごさいきょうつし けいおうさんねんうはちがつ

当 八 月 廿   五日 在 方 御廻 り
とうはちがつにじゅうごにちざいかたおまわり

田中 佐与太郎 様 御廻  村 二而
たなかさよたろうさまおまわりむらにて

紋 次郎 豊 五郎 両  人 共
もんじろうとよごろうりょうにんども

闕 所 被仰付    候   書 付 写
けっしょおおせつけられそうろうかきつけうつし


(大意)
 岩鼻
  御役所
慶應二寅年六月十三日打毀一件
御裁許(判決文)写 慶應三年卯八月
今月8月25日 当地区お廻り担当
田中佐与太郎様がいらっしゃって
紋次郎豊五郎両人の
闕所を申し渡された文書の写し


(補足)
「闕所」、罪人の地所財産を没収すること。

 この後は、両人の財産をどうするかの話になります。



2019年8月6日火曜日

変事出来二付心得覚記 その264




 P.167 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
同  代八
           同  半次郎
           同  重兵衛
           同  弥平
           同  栄太郎
           同見習 徳三郎
           同見習 清八
           右惣代
 慶應三卯年八月廿二日   太次郎
              徳三郎


(大意)
略


(補足)
 これらの名前の中で難しかったのが「重兵衛」の「重」。形で覚えるしかなさそう。

再度「名栗の歴史 上」P426 慶応2年村役人一覧から引用します。

     古組                 新組
名主   町田瀧之助(新立33)         原田太次郎(槇下67)
組頭   代八(柏木50)半次郎(伊倉37)    吉田伴次郎(小殿36)平沼源左衛門(鳥居53)
組頭見習 清八(柏屋代八倅21)徳三郎(小出25)
年寄   軍蔵(新立25)

重兵衛、弥平、栄太郎3名の名前はありません。日付が慶応3年ですので新たに加わったのかもしれません。


2019年8月5日月曜日

変事出来二付心得覚記 その263




 P.168 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
右被 仰渡之趣      一 同 承知
みぎおおせわたされおもむきいちどうしょうち

奉畏候         依之 御請 證  文 差 上
おそれたてますりそうろうよってごせいしょうもんさしあげ

申  処  如件
もうすところくだんのごとし

    当 御料  所
    とうごりょうしょ

      武州秩父郡上名栗村
      ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむら

           名主 町田瀧之助
           当名主 太次郎
               軍蔵
           組頭 平沼源左衛門


(大意)
以上申し渡された事柄、一同恐れ入って
承知致しました。依って御請證文(確かに伺い承知したことの證文)を差し出し
ますことこのとおりでございます。

以下略


(補足)
この箇所の「趣」は珍しく、走偏の形が残っています。通常は二文字上の「渡」の偏のようになります。

 署名は名主町田瀧之助から4名、次頁に9名が続きます。


2019年8月4日日曜日

変事出来二付心得覚記 その262




 P.167 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
弥 増 多勢 二相 成 終  誰 頭 取 と
いやましたぜいにあいなりついにだれとうどりと

申  儀も無之  人 氣二乗  し一 同 二而
もうすぎもこれなくひとけにじょうじいちどうにて

同 村 穀 屋共 居 宅 打 毀   及
どうそんこくやどもきょたくうちこわしにおよび

狼 藉 候   次第  至 り候   段 畢 竟
ろうぜきそうろうしだいにいたりそうろうだんひっきょう

右 体 不容易   致企     候   故 之義
みぎていよういならぬくわだていたしそうろうゆへのぎ

右 始末 不届 キニ付 紋 二郎 者
みぎしまつふとどきにつきもんじろうは

死罪 豊 五郎 遠 嶋 可被仰
しざいとよごろうえんとうおおせつけられべく

付處  右 両  人 共 病  死以多し
 ところみぎりょうにんどもびょうしいたし

候   二付 其 旨 可存   段 被仰渡候
そうろうにつきそのむねぞんじべくだんおおせわたされそうろう



(大意)
いよいよ多勢になり、誰が首謀者であるかも
わからないようになり、混乱に乗じ全員で
同じ村の穀物店住居を打ち壊しに及んだ。
狼藉を行った様子の経過については、結局
以上のような重大な事を企てたことによるものである。
このようなことは法に背くことであるがゆえに、紋二郎は
死罪、豊五郎は遠島になるべき
ところであるが、両人とも(獄中で)病死している
ため、その旨承知しておくことと申し渡されました。


(補足)
「乗し」、くずし文字では、一文字を上下ふたつに、冠と脚のようにすることがよくあります。
「狼藉」、楷書です。「打毀」もほとんど楷書です。普段使用頻度が少なくて画数の多い漢字は楷書にするのでしょうか。でも「居宅」も楷書だし、よくわかりませんね。
「畢竟」、「畢」のくずし字が「異」の異体字「己」+「大」ににています。
「遠嶋」、「遠」の辶は底辺の「一」。「嶋」の山が W で、鳥の下部は「る」。
「死」が2回あり、筆順がよくわかります。

 字のバランスがよく整った頁です。

 当時獄中でお裁きを待つ間に死んでしまう人は結構いたようです。
獄中での暴行や、極端に不衛生で食事もひどかったという事情やまたは役人の強引な取り調べなど様々なことによるものだったのだとおもいます。

 同じような例で、シーボルト事件の高橋至時が有名です。かれはお裁きをまたずに獄中で死んでしまいますが、お役所は彼を壺の中に塩漬けにして保存しました。
判決は斬首でしたのでそのミイラ化した屍体の首をはねたと記録されています。
 死んでも猶幕府の判決を下し斬首する、お上の面子のコダワリは異常ともみえます。

 江戸幕府の政権が安定した中期以降、武士が武力を行使する場面はなくなりました。
役人化するわけですが、武士たちから武力を引き算して残ったもの、体面や面子や家を守ることや武士は食わねど高楊枝的な振る舞いなど、それらの維持に金がかかりました。武士たちも生き延びるには必死ですから、あれこれカネを稼ぐ算段はしたはずですが、時代はすすみ豊かになった商人たちからの借金がかさみました。この流れは幕末までかわることなくひどくなるだけでしたから武家社会は滅びるべくして滅んだことになります。
 楊枝をくわえたまま死んでしまいました。




2019年8月3日土曜日

変事出来二付心得覚記 その261




 P.166 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
高 直二付 難 儀致  候   迚 困 窮
たかねにつきなんぎいたしそうろうとてこんきゅう

之者 共 徒黨 を結ひ兼 而夫 食
のものどもととうをゆひかねてそのしょく

買 入 候   武   州 飯能村 穀 屋共 へ
かいいれそうろうぶしゅうはんのうむらこくやどもへ

押 参 り強 談 之上 米 穀 可借
おしまいりごうだんのうえべいこくかりうけべく

請旨 紋 二郎 發 意二豊 五郎
 むねもんじろうはついにとよごろう

同 意い多し終 二右 之趣   觸 歩  行
どういいたしついにみぎのおもむきふれあるきゆき

人 数 相 集 メ猶 人 氣を可引立と
にんずうあいあつめなおひとけをひきたてべくと

竹 螺 吹 鳴 し村 々 者 共 何 連茂
たけぼらふきならしむらむらものどもいずれも

黨 二可加    若 不罷出  者 共 ハ居
とうにくわわるべしもしまかりでずものどもはきょ

宅 可焼拂    杯 大 音 二呼  り候   ゟ
たくやきはらうべしなどだいおんによばわりそうろうより



(大意)
が高額のため生活に困難をきたしていたとはいえ、生活困窮者
の者共が徒党をなし、以前より食料を
買い入れていた武州飯能村の穀物店へ
押し入り、強引に談判し無理やり米穀物を借り
受けることができるようにと紋二郎の考えに豊吾郎が
同意した。その結果そのことを触れ歩きまわり
人数を集め、さらには衆人の注目をひこうと
竹螺(たけぼら)を吹き鳴らした。村のものたちの誰もが
徒党に加われと、もしそうしない者たちがいたら
家を焼き払うぞなどと大声で叫んでいた。そして



(補足)
 さすがというか、お役人さんの文章は、判決文だからなおさらのこと、格調高く威厳があるように書かれているような、平伏させ恐れおののくとまではいかないかもしれないけど、そんな雰囲気がひたひたと押し寄せてくる内容です。

「結」、難しい。
「兼而」、「而」が小さい上に、次の「夫」の方にくっついてそちらの字になってしまっているようで難。
「買」、難しい。
「發」、はつがしら(癶)だけで一文字のように見えてしまいます。
「終」、このいとへん(糸)は先の「結」のものと比べるとわかりやすい。
「猶」、犭の1画目は右から左へですが3画目は左から右になってます。
「竹螺(たけぼら)」、法螺貝のように、竹の筒を上手にボォーボォーと吹き鳴らした?

 律儀にしっかりと記されている頁です。


2019年8月2日金曜日

変事出来二付心得覚記 その260




 P.165 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
御吟 味之上 左之通  被仰渡候
ごぎんみのうえさのとおりおおせわたされそうろう

一   名主 組 頭  年 寄 共儀 村 内
ひとつ なぬしくみがしらとしよりどもぎそんない

紋 二郎 外 壱 人米 價高 直二付
もんじろうほかひとりべいかたかねにつき

難 儀致  候   迚 徒黨 を企   人 家
なんぎいたしそうろうとてととうをくわだてじんか

打 毀  候   次第 二至 り候   段 平 日
うちこわしそうろうしだいにいたりそうろうだんへいじつ

心  附 方 不行届   右 妹末 一 同 不
こころづけがたゆきととかずみぎしまついちどうふ

埒 二付 名主 急度 御叱 り年 寄
らちにつきなぬしきっとおしかりとしより

組 頭 者 叱  被置候
くみがしらはしかりおかされそうろう

一   紋 二郎 豊 五郎 儀米 價
ひとつ もんじろうとよごろうぎべいか



(大意)
ご吟味の上、次のように申し渡されました。
一 名主組頭年寄どもについては、村の
紋二郎ほか一名が米価高額のため
生活が苦しくなったとしても、徒党を計画し人家を
打ち壊すことに至ったことについては、普段の生活の
気遣いが行き届かなかったことにある。右の結果一同
罪あることにつき、名主は急度御叱り、年寄
組頭は叱りとする。
一 紋二郎、豊五郎については、米価



(補足)
 この手跡が調子が良いときの源左衛門さん(のはず)です。

「通」、この一文字だけをにらんでも、読むのは難しいですが、上からの文章の流れで読めてきます。
「年寄」、「年」いつも丸印○かとおもっていると、最後から3行目文末ではくずしていません。
「右妹末」、単純に妹⇒始の間違いでしょう。
「埒」、このくずし字もこの一文字だけを見ていても?。「不埒」として納得。

 一年後の御代官よりの判決文です。
口頭で名主は厳しく注意され、年寄と組頭は注意です。
そして首謀者二名の判決と続きます。


2019年8月1日木曜日

変事出来二付心得覚記 その259




 P.164 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
御出 被遊   候
おいであそばされそうろう

  岩 鼻 江差 出 候   書 付 扣
  いわはなへさしだしそうろうかきつけひかえ

  差 上 申  一 札 之事
  さしあげもうしいっさつのこと

一   関 東 在 々 為御取締     御廻 村
ひとつ かんとうざいざいおとりしまりのためごかいそん

被成 候   御代 官 御手附 御手代 衆  二
なされそうろうおだいかんおてつきおてだいしゅうに

被召捕    江戸表  江御差 出 相 成 候
めしとらえさせえどおもてへおさしだしあいなりそうろう

当 村 百  姓  紋 二郎 外 壱人 徒黨
とうそんひゃくしょうもんじろうほかひとりととう

を企   人 家打 毀  候   一 件 為引合
をくわだてじんかうちこわしそうろういっけんひきあいのため

当 御役 所 江被召出  再應
とうおやくしょへめしだされさいおう


(大意)
がおいでになられました。
 岩鼻へ提出した書付の控え
 提出した一通の文書のこと
関東一円お取締ご廻村
されている御代官、御手附、御手代の方々に
捕らえられ、江戸表へ引き連れることになりました
当村百姓紋二郎ほか一名、徒党
を企て、人家を打ち壊しました一件について召喚され
当お役所へ呼ばれました。再度



(補足)
 この頁は筆圧強くにじみが数箇所、ゴツゴツ感あふれてますが几帳面でもあります。

「遊」、読めません。形で覚える。
「在々」(ざいざい、さいさい)、あちらこちら。「在々所々」のようにも使うようです。
「官」、くずしていません。
「衆」、形で覚える。
「被召捕」、すぐ右の「被成」のくずし字と異なります。使用される言葉の組み合わせでくずし字も変わっているみたい。
「再応」、「再」既出ですが、筆運びがちょっとダイナミック。