2019年8月8日木曜日

変事出来二付心得覚記 その266




 P.169 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
差 上 申  御請 證  文 之事
さしあげもうしごせいしょうもんのこと

当 村 百  姓  紋 次郎 豊 五郎
とうそんひゃくしょうもんじろうとよごろう

家作 之義者何 連も寛 文 八
かさくのぎはいずれもかんぶんはち

酉 年 御縄 請 二而紋 次郎 分 ハ
とりどしおなわうけにてもんじろうぶんは

下 畑 廿   四 歩之内 拾  歩者安 政 度
しもはたにじゅうよんぶのうちじゅうぶはあんせいど

屋敷 成 請 被仰付    候   場所 二
やしきなりうけおおせつけられそうろうばしょに

有 之 豊 五郎 分 者往 古ゟ
これありとよごろうぶんはおうこより

中 畑 廿   八 歩之場所 江家作
なかはたにじゅうはちぶのばしょへかさく

出来是 迄 相 続  罷  在 候   処
できこれまであいつづけまかりありそうろうところ

不届  之筋 有之  御仕置 二
ふとどきのすじこれありおしおきに



(大意)
提出した御請證文の事
当村百姓紋次郎と豊五郎の
家作については寛文八年(1668)
酉年の田畑の測量によって紋次郎分は
下畑24歩のうち10歩は安政年間に
家屋用として使用する土地
である。豊五郎分については、ずっと昔より
中畑28歩の場所へ家作(貸家)
を持ちこれまで代々相続してきたところであるが
法に背くことありその罰を


(補足)
 寛文8年の今で言う土地台帳や登記書類が当時の村役人の書類庫に残っていることに驚きますが村役人の仕事を代々引き継、ちゃんと仕事をしていたことになります。この書付が慶応3年ですからおよそ200年前の台帳が保存されていたということになります。

「御縄」、縄入れのことだとおもいます。いわゆる検地で間縄(けんなわ)で田畑を測量すること。
出だしの「差」が「乍」に似ていますが、次にくるのが「恐」でなく「上」なので、「差上」とわかります。
「紋次郎豊五郎」の字が前頁と異なってます。書き手が代わってそうです。「豊」のくずし字が独特です。
「酉」、わかりにくい。
「分」は「彡」+「、」。
「歩」は長っぽそい「ト」。

古文書の漢数字を見ていつも思います。ここでも「廿四歩之内拾歩」「廿八歩之場所」と出てきますが、こんなにわかりにくいくずし字で、あとで悶着がおきなかったのだろうかと不思議でなりません。読み間違いがあっただろうと余計な心配をしてしまいます。
まぁ当時はこれが普通の数字のやりとりであったわけですからなんら問題はなかったのだとは想像するのですが・・・。

「往古」(おうこ)、ずっと昔。
「家作」が2回でてきますが、「作」が異なります。



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