2019年8月29日木曜日

乍恐以書付御訴奉申上候中村家文書No380 その1




 1行目〜5行目。「飯能市立博物館所蔵中村家文書」

(読み)
  乍恐      以書付        御訴      奉申上           候
  おそれながらかきつけをもっておうったえもうしあげたてまつりそうろう


一   御領    分 高麗郡  飯 能  村 久下分 村 真 飯 寺村
ひとつ ごりょうぶんこまぐんはんのうむらくげぶんむらしんのうじむら

中  の村 役 人 一 同奉申上候           今 般 米 價高 直之
じゅうのむらやくにんいちどうもうしあげたてまつりそうろうこんぱんべいかたかねの

折 柄 江戸表  打 壊 し有之  候   風聞  之○ニ乗  し
おりがらえどおもてうちこわしこれありそうろうふうぶんの○にじょうじ

秩 父郡 上 名栗 村 ゟ 相 催   今 十  三 日 昼 七 ツ時 頃 ゟ
ちちぶぐんかみなぐりむらよりあいもよおしこんじゅうさんにちひるななつどきころより

人 数 相 集 メ夫 々 村 々 人 足 催 足 致 シ所  々  打 壊 シ
にんずうあいあつめそれぞれむらむらにんそくさいそくいたしところどころうちこわし


(大意)
 恐れながら書付を以て申し上げ奉り候
一つ ご領地高麗郡飯能村、久下分村、真飯寺村
中の村役人一同が申し上げ奉ります。今般米価の値上がりの
折、江戸より打毀しが起こっているとの噂が聞こえてきていることに乗じ
秩父郡上名栗村でもその企てがあり今日13日昼4時頃
人數を集め村中の人々を促しそこここを打毀す


(補足)
 飯能市博物館で2019年6月「今月の一品」として展示されていた「地域に残る武州世直し一揆の記録」です。

 説明文に「武州世直し一揆を伝える史料は各地に存在していますが、実は、最初に打ち毀しがおきた飯能村周辺には関連文書がほとんど残っていません。本史料は写しでしかも後ろが途切れてはいるものの、事件の現場となった村の住人によって書かれた現存する数少ない文書の一つであり、内容の信憑性も高い貴重なものといえます」
とあり、意外ではありますが、前回のまとめでもふれましたとおり、地元の村々の人たちにとってはお上に逆らいたてつき、飯能宿などの打毀しに関わったことはとても恥づべきことで、後世の人たちにとっては封印しておきたい事柄であったことも確かなことのようにおもわれます。

 飯能博物館からは文書掲載の許可を頂いておりますので、4回にわたってアップします。


 前回の覚記では「久下分村、真飯寺村」の村名は出てきませんでした。地名や村名の読みはなかなか難しいものがあります。
「風聞之○ニ乗し」、○は「尋」のようでもありますが、辞書で調べても?です。
「十三日昼七ツ時頃」、覚記では「七ツ半頃」とありました。


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