2019年3月31日日曜日

変事出来二付心得覚記 その136




 P.60 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
基 ひ、山 方 あ連者゛宿  も
もとい、やまかたあれば しゅくも

あり里 も有 帝賣 買 二も
ありさともありてうりかいにも

およ婦゛、廿   九日 者市 之
およぶ 、にじゅうくにちはいちの

事 、穀 屋共 も間二合 兼 候ハヽ  、
こと、こくやどももまにあいかねそうらわば、


(大意)
もとになるでしょう。山村もあれば宿場も
山里もあります。そこでは売り買いが
行われます。29日は市が開かれます。
穀物屋は(売り買いする穀物の用意に)間に合わないでしょうから、


(補足)
「基」、はじめての漢字です。なんとなく読めます。
「あ連者゛」「有帝」「およ婦゛」、変体仮名が続きます。
「候ハヽ」、3文字セットでひとつの漢字のよう。

 この頁も整然と書かれていて読みやすいです。


2019年3月30日土曜日

変事出来二付心得覚記 その135




 P.59 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
猶 又
なおまた

坪 方 ゟ 米 穀 馬 二附 出したるヲ
つぼかたよりべいこくうまにつけだしたるを

差 畄  多る様子 、是  以  心 得 違  之
さしとどめたるようす、これをもってこころえちがいの

事 、百  姓  杯 ハ何 も存 セす物 、
こと、ひゃくしょうなどはなにもぞんぜずもの、

此 儘 捨 置 ハ又 再 帰混 雑 之
このまますておくはまたさいきこんざつの


(大意)
さらに
(坪方で米や穀物を馬に乗せて出荷を
差し止めている様子で)、こんなことをするのは考え違いというもので
百姓たちはこんなことは何も知らず
このままにしておいては、また再び混乱の

(補足)
「坪方」が?です。
この次のページに「坪方者
飯能江穀物附出し候場所」とあります。このままの理解ならば、飯能へ穀物を馬に乗せて出荷する場所ということでしょうか?
うーん・・・、よくわからない。

「猶又」、頻出です。2文字セットで形から覚える。
「坪方」、「土」偏のはずですが「十」。
「捨置」、「捨」はいつも難しいです。

「再帰」、「異」にカタカナで(サイ)とふりがなが振ってあります。


2019年3月29日金曜日

変事出来二付心得覚記 その134




 P.59 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
売 買 畄  り候而者   是 以之
うりかいとどまりそうらいてはこれをもって

難 渋  之次第 、宿  内 迚 も左之通
なんじゅうのしだい、しゅくないとてもさのとおり

困 窮  成 者 及差支二     も、又
こんきゅうなるものさしつかえにおよぶも、また

往 来 も村 々 関 門 ヲ建 、牛  馬ヲ
おうらいもむらむらかんもんをたて、ぎゅうばを

差 畄 候   村 方 も有之  風聞
さしとめそうろうむらかたもこれあるふうぶん


(大意)
売り買いが滞っては、これがまた
困り不便なことになりますし、(飯能)宿内でもそのような
貧乏で生活に困っている者にも影響があります。また
街道では村々がそれぞれに門を建て、牛馬が
往来出来ないようにしているところもあるようだと聞き及びます。


(補足)
 見事な筆使いだとおもいます。墨汁の付け過ぎもにじみもなく、どの字も筆の運びの流れまでよくわかります。

「左之通」、「通」はとても特徴的。形で覚える。
「及差支ニも」、「差」がちょっと?。この2行あとの「差畄」はよくわかります。
読み方は(さしつかえおよぶにも)or(さしつかえにおよぶも)、どちらなのかよくわかりません。

「関門」、門構えが現在と変わりありません。このあとに「風聞」が出てきますが、
こちらの「聞」は原型がありません。「風聞」という熟語として使われるとこのようなくずし字になるのかもしれません。

「建」の旁が「隶」になってます。
「牛馬」、読めますが、「馬」は特徴的。


2019年3月28日木曜日

変事出来二付心得覚記 その133




 P.58 すべて。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
廿   七 日 及休足二     、太次郎 殿 義ハ
にじゅうしちにちきゅうそくにおよび、たじろうどのぎは

飯 能 村 へ御出  役 関 口 斧 四郎 様
はんのうむらへごしゅつやくせきぐちかましろうさま

御廻  村 二付 出向 、
おまわりむらにつきでむき、

御代 官 松 村 忠 四郎 様 同 宿
おだいかんまつむらただしろうさまどうしゅく

御回  達  之趣   、太次郎 殿 ゟ 、
おまわりたっしのおもむき、たじろうどのより、

此 度 之儀者打 毀  候   而者飯 能 村
このたびのぎはうちこわしそうらいてははんのうむら

穀 屋共 二おゐても難 渋  之儀、
こくやどもにおいてもなんじゅうのぎ

山 方 百  姓  共 於 帝も、米 穀 其 外
やまかたひゃくしょうどもおいても、べいこくそのほか


(大意)
27日は体を休ませた。太次郎殿は
飯能村へ御出役関口斧四郎様の
村内巡回案内のために出かけた。
御代官松村忠四郎様は飯能村の巡回を
終わられたようであった。太次郎殿の話では
今回の打ち壊しについては、飯能村の
穀物店でも苦しみ困っていること、
山の百姓たちについても、米穀や他の物品の


(補足)
 3行目の途中が空白になってます。次の行の行頭から御代官と書き出してます。
「平出」(へいしゅつ)といって、尊敬・敬意を表す人の名前を書くときにおこないます。
行頭に持ってこずに、文中で一文字分あけるのは「闕字」(けつじ)といいます。

「御回」「御廻」と2通りでてます。
「義」「儀」も2通りです。
「候而者」(そうらいては)、読み方が間違えやすい、そのまま(そうろうては)と読んでしまいます。
「おゐ天も」、初見だと、ジッとながめてしまいます。くずし字なのか変体仮名なのか悩みます。
「於帝も」(おいても)、変体仮名。


 この頁より1字の字下げがなくなりました。
前ページまでが「廿六日、新立江行、御取締様ゟ
被仰渡候一条」の内容だったわけです、だとおもいます。


2019年3月27日水曜日

変事出来二付心得覚記 その132




 P.57 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
其 村 方 ゟ 何 人 罷  出、
そのむらかたよりなんにんまかりで、

いまだ何 人 不戻  趣   、早 々
いまだなんにんもどらずおもむき、そうそう

惣 代 ゟ 書 記 し旅 宿
そうだいよりかきしるしたびやど

先 江相 遣  し可申   趣   被仰聞
さきへあいつかわしもうしべくおもむきおおせきかされ

候   二付 、小前 一 同 打 寄 申  渡 し
そうろうにつき、こまえいちどううちよせもうしわたし


(大意)
その村より何人が出かけ
現在何人が戻ってないのか、急いで
惣代は調べて記録し、宿泊先の宿へ
持って来るようにとのことを仰られている
ので、小前全員を寄り集まらせ伝えた。


(補足)
この覚記でもそうですが、古文書を読んでいると次のような点に困惑します。
・書き手が自分の意見、考え、感想を述べているのか、
・誰々がこう言っていたなどの聞き書きなのか、
・誰が誰に向かって言っているのか
これらが混じってくると結構混乱してしまいます。
 
 また、時制がはっきりせず、時間の前後関係も取り違えてしまうとやはり、
頭の中は???だらけになります。
 
 句読点がないのは慣れてくればどうにかなりますが、上記のいくつかの点だけは話の前後関係から類推して判断するしかないので、やはり難しい。

「被仰聞」(おおせきかされ)、似たような表現は頻出ですが、セットで覚えると楽ちんです。
「小前」が2度でてきてます。「前」が特徴的です。
「寄」、「可」のくずし字を書いてから、右隣りへ「、」。これは筆運びのリズムでしょう。
「渡」と「趣」のくずし字がちょっと似てますが、「趣」の方は「取」のくずし字からすぐにわかります。


2019年3月26日火曜日

変事出来二付心得覚記 その131




 P.57 最初〜6行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
何 様 成 事 申  来  候   迚 も、
なにようなることもうしきたりそうろうとても、

徒當 致  罷  出候  ハヽ、当 人 者
ととういたしまかりでそうらわば、とうにんは

不及申    、村 役 人 迄 厳 重  之
およびもうさず、むらやくにんまでげんじゅうの

御咎  被仰付    候   間  、此 段 惣 代
おとがめおおせつけられそうろうあいだ、このだんそうだい

ものより村 役 人 小前 迄 不残
ものよりむらやくにんこまえまでのこらず

申  諭  、
もうしさとす、


(大意)
どのようなことが起こったとしても
集団で押しかけに出かけたりするようなことがあれば、当人
だけではなく、村役人まで厳重に
お咎めが下されるであろう。よってこの事を惣代
の者から村役人小前まで全員に
言い聞かせた。


(補足)
「徒當致罷出候」、何度もこれまでに出てきた言い回しです。
「厳重」、なんとなく読めます。
「咎」、この一文字だけでは?ですが、前後関係から推量できます。
「前」、これも前後から。


2019年3月25日月曜日

変事出来二付心得覚記 その130




 P.56 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
廿   六 日 、新 立 江行 、御取 締  様 ゟ
にじゅうろくにち、にったちへゆき、おとりしまりさまより

被仰渡    候   一 条
おおせわたされそうろういちじょう

一   是 迄 之事 ハ出来多る
ひとつ これまでのことはできたる

事 奈連者゛無拠     、いまだ立 戻 り
ことなれば よんどころなく、いまだたちもどり

不申  者 も有之  間  、此 末 に
もうさずものもこれあるあいだ、このすえに


(大意)
26日、新立へ行き、お取締様より
申し渡されました内容です。

ひとつ これまでのことはもう済んでしまった
事なのでどうにも仕方がないが、いまだに帰らない
者がいるので、今後は


(補足)
 後半3行から、源左衛門さんの手跡でしょうか、元に戻っています。

「被仰渡」、ここの「被仰」は、元の漢字の原型が残っている感じです。
「奈連者゛」(なれば)、変体仮名。
「多る」、「いま多゛」、同じ変体仮名の(た)ですが、形は別物です。

 御取締様が村に来ているわけですが、当然宿泊の手配や接待で名主さんたちはただ忙しいというだけではなく、どのようなお咎めがあるのかと戦々恐々だったはずです。
そのような心情がどこかに記されてないか興味があるのですが、今のところはなさそうです。


2019年3月24日日曜日

変事出来二付心得覚記 その129




 P.56 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
其 砌  下 名栗 村 迄 も御
そのみぎりしもなぐりむらまでもお

沙汰二及  候   間  、其 砌  御隣 村
さたにおよびそうろうあいだ、そのみぎりごりんそん

之事 ゆへ上 名栗 江も御志らせ
のことゆへかみなぐりえもおしらせ

可被下   候   、い奈之事 二而帰 り、
くださるべくそうろう、いなのことにてかえり、

新 立 二而安 五郎 殿 噺 し
にったちにてやすごろうどのはなし


(大意)
そのときに下名栗村でも
ご裁定があるでしょうから、そのときはお隣の村の
ことですから上名栗村へもお知らせ
下されるようにしました。(い奈之事)で帰り、
新立で安五郎殿と話した。


(補足)
 この5行の筆跡はこの後のものと異なってます。どことなく御婦人っぽいです。

「砌」(みぎり)、とき、ころ。2度続けて用いられてますが、場所、場面の意もあるので、使い分けているのかどうかわかりません?。
「御志らせ」「ら」が小さいのは、「志」の心の最後の画の流れに続けたからでしょうか。
「可被下」(くださるべく)、3文字セット。

「い奈之事」、辞書で調べてもわかりません。当てはまりそうな大意は、別の用事で、急な用事で、などの感じがよさそうです。

「帰り」、きれいなくずし字で、筆順がよくわかります。「リ」の次に「る」の最後のクルッと回すところでもう一周横に細く回転させて下方向へ流し、平仮名「り」につなげています。


2019年3月23日土曜日

変事出来二付心得覚記 その128




 P.55 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
此 度 之事 者
このたびのことは

本 も末 も無御座 、誰 の情
もともすえもござなく、だれのなさけ

と申  事 も無之  、只 天 災 二
ともうすこともこれなく、ただてんさいに

御座候   、中藤  江も右 の筋 ヲ
ござそうろう、なかとうへもみぎのすじを

申  遣  し、茂左衛門 殿 宅 二而も
もうしつかわし、もざえもんどのたくにても

一 同 打 寄 、飯 能 迄 罷  出遍 、
いちどううちより、はんのうまでまかりでべく、


(大意)
この度のことは
不運なめぐり合わせの出来事で、誰かの義理立て
で行ったということでもなく、ただの天災で
御座います。中藤へもこのようなお話を
とうしてあります。茂左衛門殿宅でも
一同集まりお話をしました。飯能まで出かける、


(補足)
「本も末も無御座」、(原因と結果があっての事ではない)ということなので、このような言い回しにしました。
「誰の情」、(だれのじょう)かもしれません。誰かの事をおもっての感情に流されてであるとか義理立てをしてということではないということでしょうか。
「と申事も」、この「と」の変体仮名は「者」(は)のそれとそっくりです。こちらは「登」(と)の変体仮名でしょう。
「災」、やさしそうで難しい。

「中藤」、「藤」難しい。

 何故、字下げの部分が続くのか? 考えているのですが、うーん・・・。


2019年3月22日金曜日

変事出来二付心得覚記 その127




 P.55 最初〜6行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
神 主 之事 二付 相模 殿
かんぬしのことにつきさがみどの

遣  し、下 名栗 村 ゟ 村 役 人
つかわし、しもなぐりむらよりむらやくにん

立 越 、廿   七 日 参 り候   与 し、
たちこし、にじゅうしちにちまいりそうろうくみし、

棒 谷戸新 右衛門殿 迄 行 、
つえやどしんえもんどのまでゆき、

同 人 申  様 、御叮 寧 二是 迄
どうにんもうすさま、ごていねいにこれまで

御出 被下
おいでくだされ


(大意)
神主でもありますので、相模殿を
向かわせました。下名栗村より村役人が
来て、27日に一緒に出かけました。
棒谷戸新右衛門殿迄行き、
本人より話がありました。ご丁寧にここまで
お出でくだされ


(補足)
「遣し」、形で覚えます。「半」の3画目まで書いてから「と」を重ね書きする感じ。
「参り」、ごく普通に使われますが、「ノ」「一」としてから「未」。
「与し」(くみし)としましたが、さて?。誰々と(くみ)やすいのような使われ方?

「棒谷戸」、辞書では「棒」(つえ、ほう)とありました。読み方が?です。
「叮嚀」、勿論「丁寧」の古い表現でしょう。

 打ち壊し騒動が落ち着きを見せ、村民たちもそれぞれの村へ戻ってきました。
村役人たちは各々村同士のその後の対応や挨拶をするために、お互い連絡を取りあちこちへ忙しく廻り始めました。


2019年3月21日木曜日

変事出来二付心得覚記 その126




 P.54 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
上 名栗 村 ゟ 先 江罷  出候   間  、
かみなぐりむらよりさきへまかりでそうろうあいだ、

村 役 人 平 日 不取締   筋 二
むらやくにんへいじつとりしまらずすじに

当 り申  訳 無之  、下 名栗 村 ハ
あたりもうしわけこれなく、しもなぐりむらは

隣 村 之事 ゆへ相 頼  、何 卒
りんそんのことゆへあいたのみ、なにとぞ

村 々 江御詫 被下度   相 頼  、
むらむらへおわびくだされたくあいたのみ、

上 名栗 村 村 役 人 代 として
かみなぐりむらむらやくにんだいとして


(大意)
上名栗村より(わざわざこちらへ)出かけてきているので、
(また)村役人は普段は取締を行わないことになっているのに
申し訳ないことであります。下名栗村は
隣村なのでなんとか頼み、どうか
村々へお詫びをしていただけないかと頼み込みました。
上名栗村の村役人の代理として


(補足)
 ここから、字下げになりますが、何故なのかがわかりません。

「先」の字が立派。
「平日」、普段。
「取締」、「締」の糸が読めません。「掃」に見えてしまいます。
「当」、筆運びがよくわかります。
「隣村」、「隣」がていねい。
「被下度」(くだされたく)、ここもわかりやすい。
「として」、原文は「登し天」、変体仮名。


2019年3月20日水曜日

変事出来二付心得覚記 その125





 P.54 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
代  兼 新立  江行 無別条
かわりかねにったちへゆきべつじょうなく

廿   四 日、組 合 丑 太郎 病  死二付
にじゅうよっか、くみあいうしたろうびょうしにつき

是 江詰 居 、廿   五日 、柏  屋代 八 殿 ・
これへつめおり、にじゅうごにち、かしわやだいはちどの・

太次郎 殿 ・徳 二郎 殿 ・相模 殿 ・源 左衛門
たじろうどの・とくじろうどの・さがみどの・げんざえもん

都合 五人 下 名栗 村 立越し
つごうごにんしもなぐりむらたちこし

(貼り紙)「廿   五日 朝 畄 吉 ヲ連 、新 立 ・柏  屋両  家江
      にじゅうごにちあさとめきちをつれ、にったち・かしわやりょうけへ

太次郎 殿 同 道 二而、十  八 日 帰 り候   趣   ヲ相 届 ヶ」
たじろうどのどうどうにて、じゅうはちにちかえりそうろうおもむきをあいとどけ


(大意)
ついでに新立へよってもらったところ特に問題はなかった。
24日、組合の丑太郎が病死したため
そこに詰めていた。25日、柏屋代八殿・
太次郎殿・徳二郎殿・相模殿・源左衛門
都合5人で下名栗村へ出かけ、
(貼り紙)「25日朝留吉を連れて、新立・柏屋両家へ
太次郎殿と一緒に出かけ、18日に帰ってきたようであることを届けた。」


(補足)
日にちを記し、日記風なところです。

「徳次郎」、「徳」が難しい。「相模」も悩みます。
「五人」、「五」が確実に読めたら◎。


2019年3月19日火曜日

変事出来二付心得覚記 その124




 P.53 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一 同  者
いちどうのもの

驚   入 、無餘義 何 之心  得も無之
おどろきいり、よぎなくなんのこころえもこれなく

罷  出、先 々 多人 数 相 集  り、
まかりで、さきざきたにんずうあいあつまり、

飯 能 穀 屋四 軒 打 毀  有之  候
はんのうこくやよんけんうちこわしこれありそうろう

始末 二御座候
しまつにござそうろう

廿   三 日 、太次郎 殿 我 野江行 二付 、
にじゅうさんにち、たじろうどのあがのへゆきにつき、


(大意)
そのような訳で、全員
驚いてしまい、仕方なく何の考えもなく
出かけました。先に進む連れて人はどんどんふくれあがり、
飯能の穀物屋4軒を打ち壊ししてしまった
という顛末でございます。
23日、太次郎殿が吾野へ行くということで、


(補足)
「心得」、表紙にも文中にもたくさん出てきてます。どうも昔の方は、「心」という漢字を、最初の2画を偏、残りを旁として書いているような気がしてなりません。

 文章の後半が、前半と異なり、墨の付け具合が少なくなったのか細くとがってきてます。
「我野」、「野」のくずし字は特徴的。形で覚えます。
「行」も形で覚えます。



2019年3月18日月曜日

変事出来二付心得覚記 その123




 P.53 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
若 不出合 者 ハ後日 難 可有之
もしであわずものはごじつなんこれあるべく

趣   申  置 立 去 候   間  、一 同 今 夜
おもむきもうしおきたちさりそうろうあいだ、いちどうこんや

中  飯 能 川 原へ詰 合 可申   候   由 、
じゅうはんのうかわらへつめあいもうしべくそうろうよし、

右 紋 二郎 ・豊 五郎 両  人 ゟ 俄  大 音
みぎもんじろう・とよごろうりょうにんよりにわかだいおん

声 二而申  触 歩  行 候   二付
せいにてもうしふれあるきゆきそうろうにつき


(大意)
もし一緒に押しかけない者は後日ひどい目にあうだろう
ことを言い置いて立ち去っていった。そのため村民全員は今夜中に
飯能河原へ寄り集まったほうがよいだろうということで
先の紋次郎と豊五郎の二人が急に大声で
その事を歩きながら触れ回りました。

(補足)
「可有之」、「可申候」の「可」は「マ」のような感じです。
「今夜」、楷書風。
「歩行」、「行」は特徴的、形で覚えるしかありません。大きな「り」に左側に「、」。

「触」がまた出てきました。旧字は「虫」が「蜀」です。入門古文書小辞典で調べると「虫」はのっていませんでしたが「触」はあります。ここのようなくずし字はなく例としてあったのは旁が「る」のような感じのものでした。

 辞書の「触」の上に「解」があり、これを見ると、あれれ、ここのくずし字とそっくりというかほとんど同じではありませんか。ということは源左衛門さんうっかり「解」と間違えた可能性大であります。でも前の頁でもそのくずし字がありますから、誤って覚えてしまった可能性も否定できません。


2019年3月17日日曜日

変事出来二付心得覚記 その122




 P.52 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
当 月 十  三 日 夜 、何 国  
とうげつじゅうさんにちよる、いずくにの

者 とも面 体  不訳 者 三 人 、当 村 新 組
ものともめんていわからずものさんにん、とうそんしんぐみ

百  姓  紋 次郎 ・豊 五郎 宅 江罷  越 、
ひゃくしょうもんじろう・とよごろうたくへまかりこし、

諸 色 高 直二付 世上  一 統 難 儀 致
しょしきたかねにつきせじょういっとうなんぎにいたり

候   間  、飯 能 町 へ米 穀 直下ケ無心
そうろうあいだ、はんのうまちへべいこくねさげむしん

罷  出候   積  、一 同 可罷出   旨 申  触 、
まかりでそうろうつもり、いちどうまかりでべくむねもうしふれ、


(大意)
当月13日夜、どこに住んでいるのかわからず
見知らぬ者3人が、我々の村の新組の
百姓紋次郎・豊五郎の家へやって来ました。
物価は上がり世の中はどこでも暮らしにくくなってきている
ので、飯能町へ米穀の値下げをお願いに
行くつもりである。皆も一緒に行くのだと言いふらし、


(補足)
 前段の「今晩実正之事申上候」のその実正の内容が、この部分から始まります。

「夜」、ほとんど楷書で、「亠」がちゃんと上部にある。
「何国」、読み方が?。「国」は特徴的。
「不訳者」、「不」がつぶれてにじんでしまっています。
「新組」、行末にくるとどうしても押し込めようとして書くので小さくなってしまいます。この3行先の「無心」もそう。

「罷越」、この「罷」はうっかり筆がすべったか?、3行先の2箇所の「罷出」ではちゃんと書いています。「走」の最後のところは伸びない。
「積」、「禾」はいつもながら、「ノ」がない。
「一同可罷出旨」、この「可」は分かりづらいが、前後のつながりから読む。「旨」も同じ。
「触」、「虫」のくずし字がなんとなく中途半端に感じます。



2019年3月16日土曜日

変事出来二付心得覚記 その121




 P.52 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
右 之者 共 申  様 、先 達 而十  七 日 申  上 候   事 、
みぎのものどももうすさま、せんだってじゅうしちにちもうしあげそうろうこと、

取 の本せ乱 氣同 様 之事 故 何 様
とりのぼせらんきどうようのことゆへなによう

申  哉心 得 不申  、猶又  今 晩 実 正  之事
もうすかこころえもうさず、なおまたこんばんじっしょうのこと

申  上 候   間  、御聞 届 ケ被下  候   様
もうしあげそうろうあいだ、おききとどけくだされそうろうよう

一 同 頼  入 候
いちどうたのみいりそうろう


(大意)
彼らが言うには、先日17日申し上げたことは
頭に血が上り何をしているのか自分でもわからないような状態だったので
何を申し上げたかわかりませんでした。なお、今晩は本当のことを
申し上げますので、どうかお聞き入れ下さいますように
一同心から頼みこんでいました。


(補足)
 この頁はクセ字もひどいくずし字もなく実直さが感じられて、読みやすい。

「猶又」、頻出で「猶亦」とも書く。
「今晩」、慣れてくるとすぐ読めるようになります。
「被下」、二文字セットです。


2019年3月15日金曜日

変事出来二付心得覚記 その120




 P.51 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
兵 三 郎 ・覚 五郎 儀者
へいざぶろう・かくごろうぎは

新 立 江参 り御用 向 等 有之  候  ハヽ
にったちへまいりごようむきとうこれありそうらわば

承     置 遍し、廿   一 日 、持病  二而代  兵 三 郎
うけたまわりおくべし、にじゅういちにち、じびょうにてかわりへいさぶろう

遣  し、小物 ゟ 穴 沢 ・森 川原 通 り
つかわし、こものよりあなざわ・もりがわらどおり

再   調  、廿   二日 、兵 三 郎 遣  し申  候   、
ふたたびしらべ、にじゅうににち、へいざぶろうつかわしもうしそうろう、

浜 井場ゟ 八 ケ原 ・山 中 ・白 岩 不残
はまいばよりはちかばら・やまなか・しらいわのこらず


(大意)
兵三郎と覚五郎が
新立へ来て、ご用向などがあったので
いろいろ聞き置いておいた。21日、(源左衛門は)持病のため代わりに(息子の)兵三郎
をやり、小物たちから穴沢・森川原通りの者たちを
再度調べた。22日(も)、兵三郎を行かせた。
浜井場より八ケ原・山中・白岩まで残らず


(補足)
 この覚記を記している平沼源左衛門(1814〜1886)は幼名は助次郎・隠居名は源左衛門、
息子(1839〜1902)の幼名は兵三郎・隠居名は源左衛門、その息子(1861〜1929)幼名は喜平次・隠居名は源左衛門でした。また3人とも当主名は同じで源一郎でした。

 源左衛門さんの代わりに出かけた兵三郎さんは当時27才となります。また喜平次さんは5歳で
源左衛門さんの孫になるのでしょうか。


名前の「郎」が異なってます。「戸」+「巾」のようなくずし字と「ら」のようなものです。
しかし、次の「兵三郎」の「郎」は「ら」になってますが、その次では「戸」+「巾」。いろいろです。
「等」のくずし字は「ホ」。

「穴沢」、「八」に見えません。
「森」が「木」+「林」に見えてしまう。


2019年3月14日木曜日

変事出来二付心得覚記 その119




 P.51 最初〜6行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
組 合 者 明  朝  呼 寄 尋  申  附 候   間  、其 砌
くみあいものみょうちょうよびよせたずねもうしつけそうろうあいだ、そのみぎり

立 會 呉 候   様 申  候   、廿 日朝 、太次郎 殿
たちあいくれそうろうようもうしそうろう、はつかあさ、たじろうどの

宅 江組 番 倉 次郎 外 壱 人参 り候   、
たくへくみばんくらじろうほかひとりまいりそうろう、

紋 二郎 ・豊 五郎 両  人 者 如何 と尋  候   処  、
もんじろう・とよごろうりょうにんものいかがとたずねそうろうところ、

いまだ帰宅 不仕    候   、夫 二付 候   而ハ尋  遍し、
いまだきたくつかまつらずそうろう、それにつきそうろうてはたずねべし、

尋ヲ申附候
たずねをもうしつけそうろう


(大意)
組合の者を明朝呼び寄せて尋ねるよう申しつけましたので、そのとき
一緒に立ち会ってくれるように言っておりました。20日朝、太次郎殿
宅へ組番倉次郎と他一人が来ました。
紋次郎・豊五郎両人はどうなっているのかと尋ねたところ
いまだ帰宅しておらず、そのことについては尋ねなければとならぬとのこと、
尋問するよう言いつけました。


(補足)
「候」がたくさん出てきてます。縦棒二本に「、」のような形と、「И」+「、」のような形です。
「明朝」、二文字とも「月」のくずし字が同じ。

「尋」が4箇所あります。「寸」がはっきりしているのはわかりやすが、そうでないのはわかりにくい。
「砌」、行末でわかりにくい。

「立會呉」、この「會」は旧字。「呉」が二文字のようで最後の「ハ」までが一文字。
「組番」、「番」一文字だけだと?


 村人への尋問が続きます。紋次郎・豊五郎の行方がまだわかりません。


2019年3月13日水曜日

変事出来二付心得覚記 その118




 P.50 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
夫 二而ハ引 合 人 早 速 出候   間  、左様
それにてはひきあいにんさっそくでそうろうあいだ、さよう

那くと申  事 二付 、其 趣   太次郎 殿
なくともうすことにつき、そのおもむきたじろうどの

取 調  書 認   、十  九日 新 立 持 参  致  、
とりしらべかきしたため、じゅうくにちにったちもちまいりいたし、

十  九日 、太次郎 殿 申  様 、紋 二郎 義
じゅうくにち、たじろうどのもうすさま、もんじろうぎ

豊 五郎 両  人 未 夕帰宅 不致  、右 二付
とよごろうりょうにんいまだきたくいたさず、みぎにつき


(大意)
そのことに関しては証人がすぐに見つかっているので、そのような
事はなかった申していました。太次郎殿はその概略を
調べて書き記し、19日に新立へ持ってきました。
19日に太次郎殿が申すには、紋次郎と
豊五郎の両人がいまだ帰宅せず、そのことについて


(補足)
 草書体やくずし字は現代の書き順と異なります。ハネやトメなど細かく、書き順のテストなど
昔の人達が見たらバカバカしいの一言で片付いてしまいそうです。

「左様」と「右ニ付」に「左右」があります。今の学校で習うのは「右」は「ノ」、「左」は「一」を先に書くのが正しい書き順となってます。
しかし、源左衛門さんの筆の運びを見てみると、両方共「一」が一画目になってます。

 筆運びのしやすい、カッコよく書く昔のほうが伸びやかでとらわれずにかけてよかったともいえますが、その分誰もが読めるものにはならなかった。うーん・・・、誰もが読めることのほうがやはり重要ということに軍配が上がるのでしょうね。

「那く」(なく)、変体仮名。
「太次郎」、「左様」。「太」と「左」のくずし字が同じです。
「認」、「心」の部分が下部にきてます。


2019年3月12日火曜日

変事出来二付心得覚記 その117




 P.50 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
壱 軒 二付 壱 人宛 出連者゛よし、
いっけんにつきひとりあてでれば よし、

不参之 者 ハ帰 り掛ケに打 毀
まいらずものはかえりがけにうちこわし

又 者焼 払  と申  候   二付 、無餘儀
またはやきはらうともうしそうろうにつき、よぎなく

跡 ゟ 出向 候   趣   申  、松 太郎 ゟ 口 上  、
あとよりでむきそうろうおもむきもうし、まつたろうよりこうじょう、

増 太郎 ・勇 蔵 ・愛 次郎 申  様
ますたろう・ゆうぞう・あいじろうもうすさま


(大意)
一軒につき一人出ればよい、
参加しないものは帰りがけに家を打ち壊す、
または焼き払うというので、仕方なく
後から出かけたようであると松太郎の話の内容であった。
増太郎・勇蔵・愛次郎が言うには


(補足)
「出連者゛与し」、変体仮名が続きます。
「無餘儀」、「餘」の「食」偏が「飯能」とほとんど同じです。
「跡」、難しい。
なぜか「出」は潰れることが多い字です。どうしてなのでしょうか。書き順はきっと、縦棒「l」の次に「ろ」のように筆を運んで最後に右へ「、」。「わ」のような感じでもあります。

下(名栗)の惣代として松太郎が村のものたちを取り調べているので、彼が聞き取った内容を源左衛門が記しているということで、「松太郎ゟ口上」となっているのでしょう。
松太郎が聞き取った内容は、これまでに何度か出てきたものと同じになってます。

「愛」のくずし字ははじめてです。入門古文書小辞典でも調べました。形から覚えるしかなさそうな字です。パッと見た目、「電」・「雲」のような感じ。


2019年3月11日月曜日

変事出来二付心得覚記 その116




 P.49 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
今 者゛ん
こんば ん

飯 能 江穀 借りに出向 様 子、
はんのうへこくがりにでむきようす、

猶 承    り候  ハヽ留  ら連る風 聞 二候   、
なおうけたまわりそうらわばとどまられるふうぶんにそうろう、

差 留 ら連てハ迷 惑 候   、私   村 方
さしとめられてはめいわくそうろう、わたくしむらかた

支度 以多し待 居 候   と申  候   内 、
したくいたしまちおりそうろうともうしそうろううち、

面 体 不知 者 大 勢 大 声 に而
めんていしらずものおおぜいおおごえにて


(大意)
今晩
飯能へ米穀を借りに出かけるらしく
もう少し詳しく聞いてみたところ、(???)
(???)、わたくし村方は
準備をして待っていようと言っているうちに、
どこの誰だかわからない者が大勢大声で


{20190320記}
村民はどこかに集まるという噂があり、
行く手をふさがれては困ることになるので、


(補足)
 前後の文章を何度も読んでみたのですが、よくわからない箇所を(???)としました。
あとで、うまく解釈できたら書き加えます。

「今者゛ん」、「今」のくずし字は「彡」のような感じ。「ば」は変体仮名。
「借りに」、「昔」がわかりにくい。
「出向」、頻出ですがここの「出」は潰れてしまってます。
「猶」も何度も出てきてます。偏は「犭」らしくありません。
「風聞」、「聞」は形で覚える字。
「私」、今では普通ですが、この時代の文書にはあまり見られないような気がします。
「大声」、「声」の旧字体は「聲」です。くずし字の下部が「聞」の「耳」部分と同じなのが気になります。

 わからない(???)部分ですが、いつもならフィクションでつなぎ合わせて何とかするところです。しかしそのフィクションが2つ3つあってうまくまとまらないのです。困りました。
しばらく、進めてからどうにか、うーん・・・したい・・・。

{20190320記}
とりあえず、こんな大意としました。
どうでしょうか。






2019年3月10日日曜日

変事出来二付心得覚記 その115




 P.49 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
有之  候  ハヽ、手強之 者 四五人
これありそうらわば、てごわしものしごにん

罷  出差 留 遍くと差 図有之  、
まかりでさしとめべくとさしずこれあり、

右 二付 寅 次郎 殿 参 ル馬頭 堂 二
みぎにつきとらじろうどのまいるばとうどうに

待 居 候   處  、下 名栗 村 ゟ 栄 五郎・
まちおりそうろうところ、しもなぐりむらよりえいごろう

助 次郎 両  人 参 り申  様
すけじろうりょうにんまいりもうすさま


(大意)
がいれば、屈強な者4,5人を
向かわせ押し止めるようにとの指示があった。
そのような訳で寅次郎殿が馬頭堂に出向き
待機していると、下名栗村より栄五郎と
助次郎の両人がやって来て言うには


(補足)
「手強之者」、「強」はじっと見ていると、それらしくみえてきます。
「差図」、「図」のくずし字がどうしてこうなるのか、見た目は格好いい。

「寅次郎」、翻刻では「次」となってますが、原文では「二」にみえます。
「馬頭堂」、「堂」が難しい。場所は源左衛門宅よりやや南のところ。
「待」、「寺」のくずし字は読めるとおもったのですが、このくずし字は?
「栄五郎」、「五」が小さい。


2019年3月9日土曜日

変事出来二付心得覚記 その114




 P.48 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
下モニ而ハ松 太郎 、上ミニ而者北 組
しもにてはまつたろう、かみにてはきたぐみ

丑 松 両  人 と相 極  、松 太郎 申  様 、
うしまつりょうにんとあいきわめ、まつたろうもうすさま、

役 本 ゟ 申  附 者上ミ村 ゟ 飯 能 へ
やくもとよりもうしつけはかみむらよりはんのうへ

米 穀 無心 二参 り、村 役 人 二而差
べいこくむしんにまいり、むらやくにんにてさし

畄 候  得共 、若 隠連 抜 行 もの
とめそうらえども、もしかくれぬけゆくもの


(大意)
下では松太郎、上では北組の
丑松の両人と決めた。松太郎が言うには
先の村役人からの引き継ぎでは上名栗村より飯能へ
米穀を無心に行き、村役人に押し
止められたが、もし隠れて逃れ行くもの


(補足)
「北組」、しばらくぶりの「北」が読めませんでした。東西南北は朝昼晩暮と同様に重要です。
「役本」、読み方も意味もわかりません。この覚記ではここだけでしか使われていません。
なのでこの部分「役本ゟ申附者」は前後の流れからの推測です。

「抜」、「扌」がいつもながら「禾」っぽい。
「行」、難しい。

2019年3月8日金曜日

変事出来二付心得覚記 その113




 P.48 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
小前 前 書 之名前 者 十  六 日 二
こまえぜんしょのなまえものじゅうろくにちに

村 方 妙  見 社 二集   相 談 之事 、
むらかたみょうけんしゃにあつまりそうだんのこと、

此 末 御廻  村 有之  御取 調  之節 ハ、
このすえおまわりむらこれありおとりしらべのせつは、

惣 代 下 四 拾  軒 二而壱 人、上ミ
そうだいしもよんじゅっけんにてひとり、かみ

四 拾  軒 二而壱 人、但  惣 代 之者
よっじゅっけんにてひとり、ただしそうだいのもの


(大意)
小前の先に記した名前の者が16日に
村の妙見社に集まり相談したとのことである。
この結果村内を見回り、取り調べるときには
惣代が下の村40軒について一人、上の
40軒について一人(が担当するが)、しかし惣代は


(補足)
 ゴメンナサイ。
一行目右側に重しの黄色い部分が写り込んでしまいました。

「小前前書之名前者」、「前」という漢字が3つあります。最初と最後は同じようなくずし字ですが、真ん中のは異なってます。やはり使われる単語の中で書体が決まる感じです。

「者」も助詞の「は」のときと「者」(もの)のときの区別をはっきりさせてます。
また助詞「者」(は)とカタカナ「ハ」が混在しています。

「節ハ」、なんとなくわかりますが、?
「四拾軒」、「拾」はいつも難しい。

「妙見社」、明治5年に星宮神社と改めた。唐竹の川向うあたりにある。



2019年3月7日木曜日

変事出来二付心得覚記 その112




 P.47 9行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
十  八 日 、机  ゟ 栃 谷海 迄 八 十  五軒 之者
じゅうはちにち、つくえよりとちやうみまではちじゅうごけんのもの

不残  当 名主 太次郎 殿 宅 江集   候   、
のこらずとうなぬしたじろうどのたくへあつまりそうろう、

村 役 人 不残  立 入 候   様 昼 頃 申  遣  ス處  、
むらやくにんのこらずたちいりそうろうようひるごろもうしつかわすところ、

(大意)
18日机から栃谷海までの85軒の者たち
全員が当村名主太次郎殿宅へ集まりました。
村役人全員で詳しく聞きただし昼頃になった。


(補足)
机・栃谷海は下図参照。



最後の行がよくわかりません。雰囲気で意訳しておきました。

「集候」、翻刻されたものは「候」となってますが、「集ル」ではないかとおもいます。
この頁の2行目「参ル」とあり、この「ル」と同じです。

「昼」が相変わらず読みづらい。


2019年3月6日水曜日

変事出来二付心得覚記 その111


 P.47 最初〜8行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
少 し宜 敷 二付 、道 筋 も案 心
すこしよろしきにつき、みちすじもあんしん

不相成  候   故 、母 送 り参 ル、
あいならずそうろうゆえ、ははおくりまいる、

鹿山 村 江十  五日 何時参  趣   ヲ
かやまむらへじゅうごにちいつまいるおもむきを

相 尋  候  得者゛、くとくとと申  事 、
あいたずねそうらえば 、くとくとともうすこと、

其 段 組 合 福 松 ヲ以
そのだんくみあいふくまつをもって

当 名主 太次郎 殿 江相 届 ケ
とうなぬしたじろうどのへあいとどけ

申  候   、猶 亦 翌 朝 十  九日 、源 左衛門 ゟ も
もうしそうろう、なおまたよくあさじゅうくにち、げんざえもんよりも

此 段 届 ケ申  候
このだんとどけもうしそうろう


(大意)
少し良くなりましたが、(一人で)戻るには道中に
まだ不安がありましたので、母に送ってもらいました。
鹿山村へ15日のいつ頃来たのかを
尋ねたところ、ハキハキと答えておりました。
以上のような経緯を組合の福松が
当村の名主太次郎殿へ届け出
致しました。なおこの件については、翌朝19日、源左衛門からも
届け出致しております。


(補足)
留吉の事情の記録の続きです。

「少し宜敷」、「少」が難しい。「し」の最後と「宀」の点がくっついてしまったのか「冖」に見えます。
「道筋」、「道」はいつもながら特徴的。「筋」の「力」がなんでこんな形になるのだろう。
「故」、もっとくずすと「m」になります。
「候得者゛」、「候」は「、」になってます。

「不相成」「相尋」「相届ケ」と「相」が出てきてますが、特段意味はなく語調を整えたり強調したりする接頭語みたいなもの。

「くとくと」、辞書には「くと」があり、すばやく・すぐに・さっとの意とあります。それに習えば「くと」を重ねてますから、今風なら「ハキハキ」と解釈したわけです。しかし留吉は病み上がりで道中も母親に送ってきてもらわなければ体調でしたから、この解釈は間違ってそうです。
最初の直感では「あぁでもなくこぉでもなく」「だらだら」「ねちねち」などかったるそうな雰囲気ととらえたのですが、こちらのほうがどうも良さそうな気がします。

「猶亦」、頻出。「犭」が「木」のようです。
「翌朝」、簡単そうですが意外と悩まされてしまいます。



2019年3月5日火曜日

変事出来二付心得覚記 その110




 P.46 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一   畄 吉 儀十  八 日 暮 六ツ時 立 戻 る、
ひとつ とめきちぎじゅうはちにちくれむつどきたちもどる、

武州  高麗郡 下 鹿山 村 百  姓  倉 吉 母
ぶしゅうこまぐんしもかやまむらひゃくしょうくらきちはは

同 道 二而参 ル、両  人 共 相 調  候   處  、
どうどうにてまいる、りょうにんともあいしらべそうろうところ、

十  五日 広 瀬か王らゟ 病  氣と而
じゅうごにちひろせかわらよりびょうきとて

実 家罷  越 、母 并  兄 女  房 二
じっかまかりこし、ははならびあににょうぼうに

薬 用 手当 之世話致貰    、
やくようてあてのせわもらいいたし、


(大意)
ひとつ 留吉については18日夕方6時に帰宅しました。
武州高麗郡下鹿山村百姓倉吉の母親が
一緒に付き添って来ました。二人とも調べたところ
15日(狭山の)広瀬河原で病気となり
実家へ行き、母と兄嫁に
薬を飲み看病してもらっていました。


(補足)
 字下げをして一つ書きで、留吉の動静について取り調べたことを記してます。

「暮」、「艹」から「日」までが長い。形で覚えるしかなさそう。
「高麗」、「下鹿山」、「鹿」が同じくずし字になってます。

「薬」、こちらの「艹」は「暮」のとは異なりわかりやすい。「暮」のほうは、「艹」の「一」が「冖」のように書いているからかと今気づきました。

全般にわかりやすい手跡です。


2019年3月4日月曜日

変事出来二付心得覚記 その109




 P.46 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
右 両  人 儀十  八 日 昼 出  立 、大 宮 泊 り
みぎりょうにんぎじゅうはちにちひるしゅったつ、おおみやどまり

罷  出候   所  、大 宮 殊 の外 騒  ニ付 無余義
まかりでそうろうところ、おおみやことのほかさわぎにつきよぎなく

跡 江立 戻 り、大 指 之湯場二泊 り候   由 、
あとへたちもどり、おおざすのゆばにとまりそうろうよし、

源 左衛門 新 立 江此 日者不参候
げんざえもんにったちへこのひはまいらずそうろう

(大意)
 先の(書状届け出の)両人(軍蔵・亀太郎)は18日に出発して、大宮(秩父市)に泊まる
予定であったが、大宮はことのほか騒がしかったため、あとに戻るほかなく
大指の湯治場へ宿泊したそうである。
源左衛門はこの日は新立へは行かなかった。


(補足)
「昼」、「旦」の部分が立派すぎて、読み取れません。「朝・昼・夜・明・暮」などは基本中の基本ですが、なかなか難しい。
「大宮」、「宮」のくずし字が特徴的です。「呂」が「五」のくずし字そっくりです。
この「大宮」は現在のさいたま市の大宮ではなく、秩父市のこと。

「殊の外」、よくでてきます。
「無余儀」、文末に押し込んで詰めたためか、読めません。

「跡」、読めません。「言」+「頁」に見えますが、こんな漢字ありましたっけ?
「大指(おおざす)の湯」、秩父七湯の一つだったそうですが、現在では枯れてしまったそうです。

秩父市は17日に打ち壊しがあり18日には小鹿野諸方面に移動していきました。
両人はその翌日18日秩父大宮(忍藩陣屋もありました)に来たのですから、まだまだ騒乱状態であったのは当然でした。



2019年3月3日日曜日

変事出来二付心得覚記 その108




 P.45 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
之段 一同  恐  入 候  得共 、如何 とも
のだんいちどうおそれいりそうらえども、いかんとも

詮 方 無御座 、当 惑 難 渋  之
せんかたござなく、とうわくなんじゅうの

余 り無拠     此 段 奉申上       候   、以上
あまりよんどころなくこのだんもうしあげたてまつりそうろう、いじょう

武州  秩 父郡 上 名栗 村 新 古両  組
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむらしんこりょうぐみ

役 人 惣 代
やくにんそうだい

  寅       年 寄
  とら      としより

  六 月 廿 日 軍 蔵
  ろくがつはつか     ぐんぞう

  百  姓  代
        ひゃくしょうだい

          亀 太郎
          かめたろう

岩 鼻
いわはな

 御役 所
 おやくしょ

(大意)
一同恐れ入っている次第でございますが、どうにも
対処のしようがなかったことでございまして、ほとほと困り果ててしまい
どうしてよいかわからず今回の件を申し上げ奉ります。以上

以下略


(補足)
 変事が出来してからちょうど1週間後の日付です。
名栗地区から岩鼻代官所のある高崎まで何度か往復して書状を提出してます。途中は秩父の険しい山道です。現在のハイキングコースよりもっと厳しい道中だったろうと想像されます。

 現在、わたしたちの住居では自治会がたいていあって、そこから回覧板が順繰りに回ってきます。
また自治会館前や役所前には掲示物を公示する立て看板のような場所があります。
どちらも、前の時代の名残そのものです。

 回覧板の役目は名主である村役人の大切な仕事でした。自分のところに回ってくると、まず写しをとり、見たという署名をして、次の名主へ運びます。そして自分の管轄の村の者に知らせます。
急ぎの回覧の場合は写しをとっている時間がありませんから、自分の名前のところに印だけ入れて急ぎ次に回します。

 村の者に知らせるのも、簡単な掲示物を貼る場所があったようで、そこで字の読めるものが他の村の者に伝えていたようです。

「一同」、頻出です。今でもちょうどこの時期、卒業式や入学式で「一同起立」などと使われています。
「如何とも」(いかんとも)、このまま覚えるます。「と」は「登」の変体仮名。
「當惑」、この「當」も筆の運びがよくわかります。
「無拠」、全ページ2行目にある「拠」は「扌」+「処」。ここのは「扌」+「處」です。いつもながら同じ字を異なる字体で記すのは前後の文章の流れや単語のつながりなど気分次第でしょうか。

「上名栗村」、「栗」が読めません。
「両組」、「両」はわかるけど「組」は無理。

ここまでが、「乍恐奉申上」った書状の内容となります。


2019年3月2日土曜日

変事出来二付心得覚記 その107




 P.44 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
利解 等 可取用    体 更 二無御座候、
りかいとうとりもちいべくていさらにござなくそうろう、

右 者村 方 之者 共 不容易   儀
みぎはむらかたのものどもよういならぬぎ

仕    出し、役 人 共 二於  平 日 申  諭  方
つかまつりだし、やくにんどもにおいてへいじつもうしさとしかた

不行届   之姿  二相 当 、不調  法
ゆきとどかずのすがたにそうとう、ふちょうほう


(大意)
理解しようと努めてみてもできないことでございました。
村のものがたちが起こしたかような重大事件は
普段の村役人たちの村人たちへの交流や接し方が
行き届かなかったことによります。(今回の)不始末については


(補足)
「利解等」(りかいとう)、当て字。「等」が「ホ」にみえる。
「体」の「亻」は旧字の「骨」か?
「於」、「方」がなんとなく?。

「不容易」、「不調法」の「不」はもう平仮名の「ふ」そのものです。「不容易」は
すなおに(ふようい)かもしれません。

でも「不行届」ではしっかりと「不」。「行」が難しい。
「当」の旧字「當」、「ヨ」の部分ですが、右角下のところから右回りにクルッと筆記体のLを書いて、最後にちょっと点を打ちそのまま「一」、筆運びはこんな感じでしょうか。

 名主たち村役人は、日頃の百姓たちへの指導管理が行き届かなったと平身低頭です。


2019年3月1日金曜日

変事出来二付心得覚記 その106




 P.44 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
且 今 般 之儀、飯 能 村 江不罷出
かつこんぱんのぎ、はんのうむらへまかりでず

候   而者村 方不残   焼 払  候   趣   二付 、
そうろうてはむらかたのこらずやきはらいそうろうおもむきにつき、

無拠     罷  出候   趣   申之 候  得共 、只 今
よんどころなくまかりでそうろうおもむきもうしそうらえども、ただいま

人 氣騒  立居  、迚 も役 人 共 何 様
ひとけさわぎたちおり、とてもやくにんどもなにさま

取 調  候   而も事実 之儀申  聞 、
とりしらべそうろうてもじじつのぎもうしきき、

(大意)
その上、今回の騒ぎは、飯能村へ押し出さなければ
村すべてを焼き払われそうだとのことでしたので、
仕方なく騒動に加わったようであります。しかしながら、今でも
村民たちは動揺しており、とても村役人たちがどのように
調べようとも事実を聞き出すことは、


(補足)
「今般」、こちらはいつものくずし字ですが、2行あとの行末の「只今」では楷書になってます。
「趣」と次行中程「趣」を比べると、微妙に異なってます。
「無拠」、何度か出てきてます。2文字セットで覚えたほうが読み取りやすいです。
「候得共」の「得」の「彳」のくずし字と「趣」の「走」のくずし字が同じです。漢字どうしの組み合わせや、文章の流れから、読むのがよさそうです。最初の行の「飯能村」の「能」は「触」にも見えますが、上が「飯」とわかっているので、「飯能」とわかります。というかこの場合はもう何度も出てきてるからわかりますが。

「取調」、「取」のくずし字は、「趣」右側と同じです。
「事実」、見事な楷書です。
「聞」、いつもながら特徴的なくずし字です。