P.45 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
之段 一同 恐 入 候 得共 、如何 とも
のだんいちどうおそれいりそうらえども、いかんとも
詮 方 無御座 、当 惑 難 渋 之
せんかたござなく、とうわくなんじゅうの
余 り無拠 此 段 奉申上 候 、以上
あまりよんどころなくこのだんもうしあげたてまつりそうろう、いじょう
武州 秩 父郡 上 名栗 村 新 古両 組
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむらしんこりょうぐみ
役 人 惣 代
やくにんそうだい
寅 年 寄
とら としより
六 月 廿 日 軍 蔵
ろくがつはつか ぐんぞう
百 姓 代
ひゃくしょうだい
亀 太郎
かめたろう
岩 鼻
いわはな
御役 所
おやくしょ
(大意)
一同恐れ入っている次第でございますが、どうにも
対処のしようがなかったことでございまして、ほとほと困り果ててしまい
どうしてよいかわからず今回の件を申し上げ奉ります。以上
以下略
(補足)
変事が出来してからちょうど1週間後の日付です。
名栗地区から岩鼻代官所のある高崎まで何度か往復して書状を提出してます。途中は秩父の険しい山道です。現在のハイキングコースよりもっと厳しい道中だったろうと想像されます。
現在、わたしたちの住居では自治会がたいていあって、そこから回覧板が順繰りに回ってきます。
また自治会館前や役所前には掲示物を公示する立て看板のような場所があります。
どちらも、前の時代の名残そのものです。
回覧板の役目は名主である村役人の大切な仕事でした。自分のところに回ってくると、まず写しをとり、見たという署名をして、次の名主へ運びます。そして自分の管轄の村の者に知らせます。
急ぎの回覧の場合は写しをとっている時間がありませんから、自分の名前のところに印だけ入れて急ぎ次に回します。
村の者に知らせるのも、簡単な掲示物を貼る場所があったようで、そこで字の読めるものが他の村の者に伝えていたようです。
「一同」、頻出です。今でもちょうどこの時期、卒業式や入学式で「一同起立」などと使われています。
「如何とも」(いかんとも)、このまま覚えるます。「と」は「登」の変体仮名。
「當惑」、この「當」も筆の運びがよくわかります。
「無拠」、全ページ2行目にある「拠」は「扌」+「処」。ここのは「扌」+「處」です。いつもながら同じ字を異なる字体で記すのは前後の文章の流れや単語のつながりなど気分次第でしょうか。
「上名栗村」、「栗」が読めません。
「両組」、「両」はわかるけど「組」は無理。
ここまでが、「乍恐奉申上」った書状の内容となります。
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