P.54 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
代 兼 新立 江行 無別条
かわりかねにったちへゆきべつじょうなく
廿 四 日、組 合 丑 太郎 病 死二付
にじゅうよっか、くみあいうしたろうびょうしにつき
是 江詰 居 、廿 五日 、柏 屋代 八 殿 ・
これへつめおり、にじゅうごにち、かしわやだいはちどの・
太次郎 殿 ・徳 二郎 殿 ・相模 殿 ・源 左衛門
たじろうどの・とくじろうどの・さがみどの・げんざえもん
都合 五人 下 名栗 村 立越し
つごうごにんしもなぐりむらたちこし
(貼り紙)「廿 五日 朝 畄 吉 ヲ連 、新 立 ・柏 屋両 家江
にじゅうごにちあさとめきちをつれ、にったち・かしわやりょうけへ
太次郎 殿 同 道 二而、十 八 日 帰 り候 趣 ヲ相 届 ヶ」
たじろうどのどうどうにて、じゅうはちにちかえりそうろうおもむきをあいとどけ
(大意)
ついでに新立へよってもらったところ特に問題はなかった。
24日、組合の丑太郎が病死したため
そこに詰めていた。25日、柏屋代八殿・
太次郎殿・徳二郎殿・相模殿・源左衛門
都合5人で下名栗村へ出かけ、
(貼り紙)「25日朝留吉を連れて、新立・柏屋両家へ
太次郎殿と一緒に出かけ、18日に帰ってきたようであることを届けた。」
(補足)
日にちを記し、日記風なところです。
「徳次郎」、「徳」が難しい。「相模」も悩みます。
「五人」、「五」が確実に読めたら◎。
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