P.50 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
夫 二而ハ引 合 人 早 速 出候 間 、左様
それにてはひきあいにんさっそくでそうろうあいだ、さよう
那くと申 事 二付 、其 趣 太次郎 殿
なくともうすことにつき、そのおもむきたじろうどの
取 調 書 認 、十 九日 新 立 持 参 致 、
とりしらべかきしたため、じゅうくにちにったちもちまいりいたし、
十 九日 、太次郎 殿 申 様 、紋 二郎 義
じゅうくにち、たじろうどのもうすさま、もんじろうぎ
豊 五郎 両 人 未 夕帰宅 不致 、右 二付
とよごろうりょうにんいまだきたくいたさず、みぎにつき
(大意)
そのことに関しては証人がすぐに見つかっているので、そのような
事はなかった申していました。太次郎殿はその概略を
調べて書き記し、19日に新立へ持ってきました。
19日に太次郎殿が申すには、紋次郎と
豊五郎の両人がいまだ帰宅せず、そのことについて
(補足)
草書体やくずし字は現代の書き順と異なります。ハネやトメなど細かく、書き順のテストなど
昔の人達が見たらバカバカしいの一言で片付いてしまいそうです。
「左様」と「右ニ付」に「左右」があります。今の学校で習うのは「右」は「ノ」、「左」は「一」を先に書くのが正しい書き順となってます。
しかし、源左衛門さんの筆の運びを見てみると、両方共「一」が一画目になってます。
筆運びのしやすい、カッコよく書く昔のほうが伸びやかでとらわれずにかけてよかったともいえますが、その分誰もが読めるものにはならなかった。うーん・・・、誰もが読めることのほうがやはり重要ということに軍配が上がるのでしょうね。
「那く」(なく)、変体仮名。
「太次郎」、「左様」。「太」と「左」のくずし字が同じです。
「認」、「心」の部分が下部にきてます。
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