P.46 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
右 両 人 儀十 八 日 昼 出 立 、大 宮 泊 り
みぎりょうにんぎじゅうはちにちひるしゅったつ、おおみやどまり
罷 出候 所 、大 宮 殊 の外 騒 ニ付 無余義
まかりでそうろうところ、おおみやことのほかさわぎにつきよぎなく
跡 江立 戻 り、大 指 之湯場二泊 り候 由 、
あとへたちもどり、おおざすのゆばにとまりそうろうよし、
源 左衛門 新 立 江此 日者不参候
げんざえもんにったちへこのひはまいらずそうろう
(大意)
先の(書状届け出の)両人(軍蔵・亀太郎)は18日に出発して、大宮(秩父市)に泊まる
予定であったが、大宮はことのほか騒がしかったため、あとに戻るほかなく
大指の湯治場へ宿泊したそうである。
源左衛門はこの日は新立へは行かなかった。
(補足)
「昼」、「旦」の部分が立派すぎて、読み取れません。「朝・昼・夜・明・暮」などは基本中の基本ですが、なかなか難しい。
「大宮」、「宮」のくずし字が特徴的です。「呂」が「五」のくずし字そっくりです。
この「大宮」は現在のさいたま市の大宮ではなく、秩父市のこと。
「殊の外」、よくでてきます。
「無余儀」、文末に押し込んで詰めたためか、読めません。
「跡」、読めません。「言」+「頁」に見えますが、こんな漢字ありましたっけ?
「大指(おおざす)の湯」、秩父七湯の一つだったそうですが、現在では枯れてしまったそうです。
秩父市は17日に打ち壊しがあり18日には小鹿野諸方面に移動していきました。
両人はその翌日18日秩父大宮(忍藩陣屋もありました)に来たのですから、まだまだ騒乱状態であったのは当然でした。
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