2019年3月7日木曜日

変事出来二付心得覚記 その112




 P.47 9行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
十  八 日 、机  ゟ 栃 谷海 迄 八 十  五軒 之者
じゅうはちにち、つくえよりとちやうみまではちじゅうごけんのもの

不残  当 名主 太次郎 殿 宅 江集   候   、
のこらずとうなぬしたじろうどのたくへあつまりそうろう、

村 役 人 不残  立 入 候   様 昼 頃 申  遣  ス處  、
むらやくにんのこらずたちいりそうろうようひるごろもうしつかわすところ、

(大意)
18日机から栃谷海までの85軒の者たち
全員が当村名主太次郎殿宅へ集まりました。
村役人全員で詳しく聞きただし昼頃になった。


(補足)
机・栃谷海は下図参照。



最後の行がよくわかりません。雰囲気で意訳しておきました。

「集候」、翻刻されたものは「候」となってますが、「集ル」ではないかとおもいます。
この頁の2行目「参ル」とあり、この「ル」と同じです。

「昼」が相変わらず読みづらい。


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