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2020年1月6日月曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その18




 P.13

(読み)
合いへとミ
 いえとみ

さ可へ
さかえ

ま須ゝ
ますます

者んしやう奈し
はんじょうなし

けるめで
けるめで

多しゝゝ
たしめでたしめでたし


めでたし


御届明治十九年九月廿九日
おとどけめいじじゅうきゅうねんくがつにじゅうくにち

日本橋區馬喰町二丁目十四バンチ
にほんばしくばくろうちょうにちょうめじゅうよんばんち

編輯人
へんしゅうにん

出版人 綱島亀吉
しゅっぱんにん つなしまかめきち

定價弐銭
ていかにせん



(大意)
家は富み栄えますます繁盛しました。
めでたしめでたしめでたしめでたし


(補足)
「者んしやう奈し」、現在では「はんじょう」と読みの発音と文字が一致しますが、当時は「じょう」を「しやう」と書きました。明治時代の言文一致と文部省の指導の結果です。
「けるめで」、「めでたし」と連続して書いてほしいところですが、うーん、当時の人の頭の中はどうなっているんだろう。

 ここでも欲張り爺はしっかり白足袋を履いています。
3人のお侍さんたち全員右利きです。
欲張り爺さん、見事な落ちっぷり。

P12P13の見開きです。



 明治19年は西暦1886年。九月の次が読みづらいですが、刷り上がった後で書き加えたからでしょう。「日本橋區」もあとから芋版か何かで押印したようにみえます。「バンチ」も何か変ですが、よくわかりません。
「編輯」(へんしゅう)
一番左側には裏表紙の柄がまわってきてしまってます。

 裏表紙です。



浴衣柄にしてもよいくらい。
和綴じの紙小よりはあとで付け替えたのでしょう、きれいです。



2020年1月5日日曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その17




 P.12

(読み)
多゛満し多ると可゛
だ ましたるとが

尓てい満志められ
にていましめられ

多り正  じき
たりしょうじき

ぢゝいハ 合
じじいは



(大意)
騙した罪に問われ罰せられてしまいました。
正直爺は


(補足)
 いつもながら「多゛満し多ると可゛」「尓てい満志められ」、のつながりが困ってしまいます。
文章の意味を考慮して改行もそれを反映してくれれば理解しやすいのですが、そうはなってません。

「尓てい満志められ」、この本の中で「志」(し)は、はじめてです

「ぢゝいハ」、ここでは、「ぢゝ」ではなく「ぢゝい」と「い」を足してます。

同じページ内でのつながりを示す「合」のような記号、この形になった元が何か気になります。


2020年1月4日土曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その16




 P.12

(読み)
[つゞき]
 つづき

与く者゛りぢゝ
よくば りじじ

このま年を奈せ
このまねをなせ

し尓者奈ハさ可須゛
しにはなはさかず

おともの人 〃 のめ
おとものひとびとのめ

尓者い可゛者いりしゆへ
にはいが はいりしゆへ


(大意)
つづき
欲張り爺はこの真似をしたところ
花は咲かず、お供の人々の目に
灰が入ってしまったため


(補足)
 最後のページになりました。
「与く者゛りぢゝ」、「与」が「ふ」に見えてしまって、でもそれでは文意が変なので「よ」とわかった次第。
「このま年を」、「年」(ね)ですが、古文書ではほとんど「○」(丸)になります。
「し尓者奈ハさ可須゛」、「尓」は助詞として文章の切れ目の目安になります。カタカナ「ハ」は助詞につかって、くずし字の「者」(は)と区別してます。「須」、漢字に「゛」は変ですが、変体仮名「す」なので「ず」となります。このあと「者い可゛」の「可゛」(が)も同様。

「おともの人〃のめ」「尓者い可゛者いりしゆへ」、行頭の「尓」は前行の行末に書く余白は十分にあるとおもうのですが、現代から見ると理解できません。「ゆ」は「由」の変体仮名。

 お供のお侍さん、さすがに刀を抜いてません。棍棒でこらしめています。



2020年1月3日金曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その15




 P.11

(読み)
者奈のさ起ける
はなのさきける

ゆへそのところ
ゆへそのところ

をおと本りの
をおとほりの

とのさ満ごらん
とのさまごらん

ありていろゝ
ありていろいろ

のご本う
のごほう

ひを
びを

い多ゞ
いただ

きける
きける

[つぎへ]
 つぎへ



(大意)
花が咲いたので、そこをお通りになった殿様がご覧になられて
いろいろなご褒美を頂戴しました。


(補足)
 江戸時代は頁(ページ)のことを丁(ちょう)といいました。一枚の丁を二つ折りにして綴じ込みますので、このP.11は七丁表となります。
お爺さんの腰の左側欄外に「七」の右半分が見えます。P.10は六丁裏です。

「ゆへそのところ」、次行の行頭の「を」に続くのですが、「ゆへそのところ【を】」と書くことができる余白があるのに、そうしない訳が何かあるはずと考えても、???です。
「ありていろゝ」についても同様で「ありていろゝ【の】」としないのは、なぜなのでしょうか?

 正直爺様は紫色の着物です。紫は僧侶では位の高い人、または高貴な人などしか着ることは許されません。身だしなみよく平伏しています。

 木の幹の色が、普通なら茶色系統などで塗ってしまうところですが、水墨画のように描いているところがなかなかです。

 P.10,P.11の見開きです。



 たくさんのいろいろなご褒美を中心に、両側の人物配置、明るく豊かさを感じられる場面です。


2020年1月2日木曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その14




 P.10

(読み)
[つゞ起]
 つづき

多り
たり


しょう

じ起
じき

ぢゝいいよゝ
じじいいよいよ

可奈しミその
かなしみその

者いをもら
はいをもら

ひて可れ木尓
いてかれきに

の本り者いを
のぼりはいを

まきし尓ふしぎや
まきしにふしぎや


(大意)
しまいました。
正直爺さんはますます悲しみ
その灰をもらって枯れ木に登り
灰をまいたところ、不思議なことに


(補足)
 絵の殿様やおつきの侍を避けて文字を配置しているので、文章の区切りが不規則です。
「いよゝ」、繰り返し記号は大きく長い「く」です。適当なフォントがないので「ゝ」で代用。
「可奈しミ」、ふつうの「し」のときには、その上の文字を左側から包み込むようにしますが、
「正じ起」の「し」+「゛」では他の文字と同じ配置になってます。
「可れ木尓」、ここの「尓」は筆記体の「y」に似てます。
助詞「尓」が文章の区切りの目安になっているのがよくわかります。

この頁の「い」は今まで出てきた「い」と比べて、わかりやすく現在の「い」と同じです。

 色ズレなど目立ちますが、手のひらにのってしまう豆本とはいえ、この場面は特に歌舞伎の一場面のようで、大きな広い舞台のような趣があります。
P.4の殿様の太刀の鞘の柄は紅白でしたが、ここでは青。
家紋は丸抜きで、わかりませんね。
殿様の表情が柔和でうれしそう。


2020年1月1日水曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その13




 P.9

(読み)
ま須ゝ
ますます

者らを
はらを

多ちう春
たちうす

をこ王しいろ
をこわしいろ

りへくべ(たり)
りへくべ(たり)

[つぎへ]
 つぎへ


(大意)
ますます腹を立て、臼をこわし
囲炉裏へくべて(しまいました。)


(補足)
 文章が読みやすいように絵の隙間をねらって書いているためか、助詞や単語の区切りがわかりにくくなってます。

「者らを」(はらを)、「多ちう春」(たち/うす)、見た目は異なるのに、わたしの苦手意識かやはり間違えそう。「者(は)」は筆記体の「t」に似て、「春(す)」は「十」+「て」。

「をこ王しいろ」、ここの「い」は「以」でしょうか。

 欲張り爺さん腰をぬかしています。
婆さんは裸足だったのに、爺さんは白足袋をはいてます。前のページでもそうでした。何かわけでもあるのでしょうか。

 P.8,P.9の見開きです。



 臼から汚き物がビチャビチャ飛び散っている様を画面のど真ん中にもってきて、その効果絶大であります。

 また画面構成も、婆さんの両手は2時方向、水桶は4時方向、杵が5時方向、
そして爺さんは8時方向、大きく飛び散っている汚き物は11時方向と全方向に表現し
空間を広げています。




2019年12月31日火曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その12




 P.8

(読み)
又 よく
またよく

者゛りぢゝ
ば りじじ

可りてもちを
かりてもちを

つ起ける尓ミ奈
つきけるにみな

き多奈起
きたなき

ものと奈りし可バ
ものとなりしかば



(大意)
又、欲張り爺が借りて餅をついたところ
全部汚い物になってしまったので


(補足)
「者(は)」と「春(す)」のくずし字をよく間違えてしまいます。
「者(は)」のくずし字は「む」の下側が流れて右下がりになるような感じ、
「春(す)」のくずし字は「十」+「て」のような感じです。

句読点もなくまた不自然に行をまたいで言葉が続いたりでわかりにくのですが、助詞としてつかわれる「尓(に)」が文章の区切れであることが多いようです。
「いぬ【尓】そ奈へんとせし【尓】」、「可りてもちをつ起ける【尓】ミ奈」など。

またカタカナの「バ」(〜すれば、〜したので)も区切りの目安になります。


 うん十年前、高校生のとき、京都は宇治、萬福寺で一切経の版木を見たときの感動は今も忘れません。桜の版木に整然と少しもすり減ってなく勢いと力がり、文字に触れる指先が切れそうなくらいキレのあるものでした。鉄眼和尚の執念です。

 この豆本は木版多色刷りで5色くらいつかってます。5枚彫らなければならないことになります。
豆本の版木はきっとよく目にする錦絵の大きさの板に2,3頁分くらいいっぺんに彫るのでしょうか、見てみたいものです。


2019年12月30日月曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その11




 P.8

(読み)
[つゞき]
 つづき

いぬ尓そ奈へんと
いぬにそなえんと

せし尓
せしに

のこら須゛
のこらず

こ者゛んと
こば んと

奈りこの
なりこの

う春を
うすを


(大意)
犬に供えようとしたところ
残らず小判になりました。
この臼を


(補足)
最初に2行に「尓」があります。「不」や「ふ」のようにみえます。
「のこら須゛」、「す」がここでは「須」ですが、「う春を」では「春」です。
「奈りこの」、「奈り」で「。」。

 この婆さんは、すでにP.2で出てきています。着物の柄が異なっていること以外他は同じものを着ています。ここでもやはり裸足です。でもタスキはして餅をつく準備はしています。
水桶は倒れて流れこぼれ、臼からはほんとに汚さそうなものが飛び散っています。

 ここの小判があふれる内容は、前頁の絵なのですが、見開きの左側のP.9ではこの絵の内容の記述となります。小判と汚なき物の対比を、読者が前頁に戻ってその絵を見比べながら、効果的に配置したのでしょう。



2019年12月29日日曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その10




 P.7

(読み)
多り正  じ起ぢゞハ可奈しミきを 合
たりしょうじきじじはかなしみきを

合きりう春となして
 きりうすとなして

もちをつ起
もちをつき


[つぎへ]


(大意)
正直じじは悲しみ、木を
きって臼をこしらえ
餅をつき


(補足)
「多り正じ起ぢゞハ」、「多り」で句点「。」です。
「可奈しミきを」、「可奈しミ」で読点「、」です。「可」は「う」にそっくりなのですが、左下の文章「う寿となして」の「う」をみると、そっくりではなく同じになってます。
「合」に似た記号が右上左下にあります。このマークはなんの図案なのでしょうか。「春」の変体仮名は「十」+「て」のような感じ。

 正直爺さん満面の笑み、かかとをそろえ左手をいっぱいに広げてやや引き加減、右手に杵を下げて、歌舞伎一場面で見栄を切っているよう。

 臼からあふれているのは小判です。
爺さんのほうは婆さんにくらべると、餅つきの格好をしていません。ちゃんちゃんこ着てるし。
ちゃんちゃんこと小判の色使いが同じなのがおかしいです。
婆さんは裸足なのに、爺さんは上等な足袋をはいて雪駄みたいのを履いてる。ずいぶんと違う。
うしろの真ん中左側に半分白いかたまりがありますが、つきおわったお餅かもしれません。

 P.6、P.7の見開きです。



2019年12月28日土曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その9




 P.6

(読み)
[つゞき]
つづき

ゆ起て
ゆきて

本りてミれ
ほりてみれ

バき多奈起ものいで
ばきたなきものいで

多る尓者らを多ち
たるにはらをたち

いぬをふちころしきのし多へうめ
いぬをふちころしきのしたへうめ


(大意)
て行って掘ってみましたところ
きたない物が出てきてしまいましたので腹が立ち
犬をぶち殺して木下に埋めました。


(補足)
 その6 P.3からのつづきです。
その7、その8の見開きがどうしてその箇所にはさまれているのかがよくわかりません。
物語のつながりとしては、このP.6で間違いはないのですが、どうも釈然としません。
 でも、昔話にはそれぞれいろいろな版があり、はなしの筋もそれぞれです。
この花咲か爺でもこの綱島蔵版ではこうなのでしょう。

「バき多奈起ものいで」、ここの変体仮名の「い」の元の漢字がわかりません。それとも「の」と「い」の間にある「〃」のようにみえるのは「可゛(が)」なのでしょうか。
意味は「きたなきもの【が】いでたるに」で通じます。
他の頁の「い」をしらべると現在のひらがな「い」と同じですので、「い」の上に「可゛(が)」があると見たほうがよさそうです。

「者らを多ち」、現在なら「腹がたち」と助詞「が」になるか、「腹をたて」になるでしょう。
「いぬをふちころし」、「ふ」に濁点がついていませんが、あるとしたほうが意味が通じます。

 物語の内容とこの頁の絵が一致していませんが、この次の頁の話の内容になってます。
餅つきをしている場面です。おばあさんはホッカムリをし、たもとはタスキをかけてまとめ、裾は端折り、小さな前掛けをしてます。湯気が白いのでもち米を蒸しているのでしょうか。。水桶もちゃんと脇にあります。表情は幸せそう、両手をあげて喜んでいます。


2019年12月27日金曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その8




 P.5

(読み)
正じ起ぢゝ
しょうじきじじ

可れき尓
かれきに

者奈をさ
はなをさ

可せてあ
かせてあ

ま多の本
またのほ

ふびを多
うびをた

もう
もう


(大意)
正直な爺は枯れ木に花を咲かせて
たくさんの褒美を(殿様は)お与えくださいました。


(補足)
 絵は横画面の見開きなのでパノラマ感がより引き立ちます。



 このあたりまで読みすすめてくると、変体仮名などはだいたい出尽くしてきました。
むしろ、文章の区切りや改行による単語のつながりの不自然さなどのほうがやっかいです。

「者奈をさ」、最後の「さ」は次行につながり、「さかせて」。
「可せてあ」、最後の「あ」も次行につながり、「あまたの」。
「ま多の本」、最後の「本」も次行につながり、「ほふびを」。
文末も「たもう」。

 お侍さんの頭の部分の色刷りがずれてしまってます。その上の山の端も空の紅色が重なってます。
このお侍さん、「殿、ご覧なされ。見事にございますなぁ」といってるような感じ。
正直爺の右手がヒトデみたいで指先がみなとんがってます。

 色ズレも目立ちますが、豆本でも全く手をぬいてません。
色使いがやはりきれい。

【20191229追記】
 ここのP4P5が急にこの部分にあるのがよくわかりませんでした。
何度も全体の話を読み返しました。

 この物語は誰でもがよく知っている話で、最後に見事に花を咲かせる結末を意識的に最初の方に持ってきて、読者の皆さんはこの話が最後にこうなるのをご存知ですよねと惹きつける効果をねらってのことだろうと考えるようになりました。

 P4P5ともによくみると、それぞれの絵の中央に折りジワがあります。半分に折ってそれを開いて横長の大きい絵になるようにしています。画面は2倍になってさらに横長ですからパノラマ感はいっそうの広がりをもって、読者の目は左右に移動します。

 これを見せておいて、さぁそれではこうなるまでの物語を続けましょうという凝ったつくりにしたのでしょう。心憎いですね。







2019年12月26日木曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その7




 P.4

(読み)
なし

(大意)
なし

(補足)
 その6の[つづき]はP.6へとつながって、P.4とP.5は別場面のようです。
P.5は正直爺が枯れ木に花を咲かせて、殿様から褒美をもらっている場面なのですが、P.4ではその殿様御一行の絵だけとなってます。P.4、P.5は見開きの頁になります。

 殿様は脇差をさし、扇をふって「あっぱれあっぱれ、見事じゃ」とでも褒めているようです。
小姓は大太刀を直接手にすることなく、ちゃんと布をあてています。他の家来たち5人の衣装も裃姿もあれば羽織姿もいます。そして松の木の下には駕籠が置かれています。

 小姓はまだ月代にしてません。ちょんまげは3名、羽織を着ている方の頭髪がよくわかりません。


2019年12月23日月曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その6




 P.3

(読み)
それをミてうらや満
それをみてうらやま

しくおもひてい
しくおもいてい

ぬを可りて
ぬをかりて

や満へつれ
やまへつれ

[つぎへ]
 つぎへ


(大意)
それを見てうらやましくおもい
犬を借りて山へ連れ


(補足)
P.2とP.3が見開きになっていて、この頁はその左側部分。
見開きにしてみると、こんな感じになります。



 豆本とはいえ、なかなかのパノラマ感があります。
一番左側の木が右側に丸く反り、枝葉が右頁の左上まで描きこまれ、空の空間のつながりも強調されてます。

「それをミて」、「そ」が「た」のように見えてしまいます。この「そ」は「曽」の変体仮名。
「しくおもひてい」、行末の「い」は次行につながって「いぬ(犬)」です。
長方形の中は「つぎへ」と右上から左下に記されています。このあとの頁の[つづき]につながります。

 欲張り爺は鋤を振り上げ、右足でワンコの首を押さえつけ殴りつけています。
ワンコは苦悶の表情。

 この欲張り爺、どうやら左利きのようです。錦絵の画面効果を考えてのことだと思います。
右利きで描いてしまうと体が右前になりどうしても体や顔の表情などが左腕に隠れてしまいます。
体の正面をこちらに見せるにはこの構えしかないので、結果左腕を上部に持ってきたのでしょう。


2019年12月22日日曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その5




 P.2 7行目〜

(読み)
そのところ
そのところ

を本り
をほり

てミれバいろ
てみればいろ

ゝの多可らもの
いろのたからもの

いで多りと奈り
いでたりとなり

の与く
のよく

者゛りぢゝい
ばりじじい


(大意)
その場所を掘ってみたところ、いろいろな宝物が出てきました。
隣の欲張り爺は


(補足)
「そのところ」、「ろ」が下部の丸いところだけのようにみえますが、よくみるとちゃんと上の部分もあります。
「を本り」、「本」は「ほ」。見た目は「不」にそっくり。
「てミれバいろ」、「ミ」としましたが?。「み」は「美」や「見」があてられますが、この「ミ」の一画目のところに斜め棒があります。よくわかりません。
「バ」のところで文章の区切りになります。

「いろ」の繰り返し記号「く」が次行につながっているのでわかりにくです。
「ゝの多可らもの」、「も」は「毛」「茂」「裳」などがります。ここの「も」はどれでしょう?
「いで多りと奈り」、句点がないのでどころで切れるか前後を読まないとわかりません。「いで多り」できれます。
「の与く」、「の」は助詞です。「与く」は次行にかかります。「の」の上に「一」がありますが挿絵の木の枝の一部でしょうか。

 挿絵の隙間に文章を連ねているので、文章の区切りがいっそうわかりにくくなってます。
ひとまずは全体を読んでみるしかありません。

 おばあさんの顔を拡大してみると、なんか見てはいけないもの、とんでもないものをみてしまったというような、怖い目つきになってます。

 山裾の茅葺き農家数軒はのどかです。


2019年12月21日土曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その4




 P.2 6行目まで

(読み)
ちゝい
じじい

や満へ
やまへ

つれ由起
つれゆき

し尓いぬ
しにいぬ

こゝ尓とゞ満り
ここにとどまり

うご可ぬ由へ
うごかぬゆへ



(大意)
爺(じじい)が山へ犬を連れて行ったところ
犬がここだよととどまり動かなくなりましたので


(補足)
「ちゝい」、濁点がありません。
「や満へ」、「ま」の変体仮名は「未」「万」「満」などがありますが、ここでは「満」だとおもいます。
「し尓いぬ」、「し尓」(しに)で文章は切れます。「いぬ」は次の行にかかります。
「うご可ぬ由へ」、「ぬ」は「奴」で、ひらがなの「ぬ」と「奴」の筆順は同じです。

この頁P.2と次頁P.3は見開きになってます。
この人物は正直婆(ばば)でしょうが、裸足で裾を端折りなんとも言えぬ雰囲気をただよわせてます。

 山向の空の景色を赤と黄茶色or黄檗色のような渋い色で横縞に表現しています。斬新です。


2019年12月20日金曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その3




 P.1 8行目〜最後

(読み)
可いてあり
かいてあり

个る可゛ぢゝ者゛ゝとも
けるが ぢゝば ゝとも

このいぬをこの与ふ
このいぬをこのよふ

尓可王由可゛り个れハいぬも
にかわゆが りけれハいぬも

与く奈じミ个るあると起
よくなじミけるあるとき

(大意)
飼っていたのですが、爺婆ともに
この犬を自分の子どものようにかわいがっていました。
犬もとてもなついていました。ある時

(補足)
「可いて」と「このいぬを」の「い」が異なってますが、両方とも「以」の変体仮名でしょう。
「王」(わ)、変体仮名は「己」のようなかたち。
「由」(ゆ)、これは由の書き順通りに筆を運ぶとなんとなく「ゆ」になります。
「个れハ」、「け」には「計」「介」「个」などがあります。「n」に似てます。「ハ」は「ば」です。「〜すれば」の「ば」とおなじ用法です。「者」(は)と区別のためカタカナの「ハ」を使っているのだとおもいます。
「与」(よ)、「よ」はほとんど「与」がもとです。これも「与」の書き順どおりに運筆すると「よ」になります。
「与く奈じミ个る」、「ミ」がカタカナになってます。「し」はその上の字に重なることがほとんどで「な」の左側にかぶっています。濁点が「奈」の下にあります。
物語の最初、「む可しゝ」のところでも、「可」の左側に「し」がかぶっていて、「可」が「し」の内側にきてしまっています。
文章はここできれます。

 現在では文章の区切りは句読点(句点「。」、読点「、」)で読みやすくしたり意味を間違えないようにしてます。明治以前では句読点はありませんでした。分かち書きという文章作法もありましたが、たいていはべた書きです。

「あると起」、「起」(き)。「畿」が使われることも多く、こちらのほうがくずしてゆくと「き」のかたちに近いようです。


 爺が鋤(すき)で土を掘ったらお宝がたくさん出てきました。喜びで踊っているようです。金銀それに赤い木の枝みたいなのは赤珊瑚です。過去もお宝でしたが、現代ではもっともっと希少で貴重なものになってます。


2019年12月19日木曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その2




 P.1 最初〜7行目

(読み)
む可しゝ
むかしむかし

ある可多い奈可
あるかたいなか

尓正じ起
に正じき

奈ぢゝ
なぢぢ

者゛ゝあり
ば ばあり

このうち尓いつ
このうちにいつ

ひ起のこいぬ
ひきのこいぬ




(大意)
むかしむかし、ある片田舎に正直な爺と婆がおりました。
この家で一匹の子犬を


(補足)
 変体仮名がたくさん出てきますが、使われる字はそれほどたくさんあるわけではないので
すぐに慣れるはずです。

「か」(可)の変体仮名はひらがなの「ろ」や「う」のようになります。そしてまわりの字より小さい。
「た」(多)の変体仮名は独特で、似ているひらがなはなさそう。「さ」の一画目を除いたのに似てないこともない。
「な」(奈)、変体仮名に使われる漢字は通例ふたつみっつあって、なおさらこんがらがるのですが、そのつど調べるのが一番です。
「に」(尓)、助詞の「に」はほとんどの場合「尓」が使われいます。
「正」、ここでは漢字「正」のくずし字。
「き」(起)、「紀」のように見えますが、「糸」偏ではなく「走」偏です。
「は」(者)、「者」のくずし字は助詞の「は」として頻出ですので、一層簡略化されてます。
「ぢぢばば」、「゛」がなければ「ちちはは」となってしまいます。「ちちはは」にシワ(濁点)がふえれば「ぢぢばば」になるのです。
「いつひ起の」、「つ」は促音になるので小さくなるはずですがこの時代ではそのままです。「ひ」は「ぴ」と「°」がつくはずですが、これもこの時代はそのまま。

 それにしてもきれいな色使いです。
歌舞伎の舞台や役者の衣装の色模様は錦絵の色使いの元になるもので、歌舞伎役者が見得を切ったときをそのまま錦絵にして当時は写真やブロマイドの代わりとして販売していたのでしょう。
歌舞伎は動く錦絵です。

 ワンコはちっとも子犬ではなく丸々肉付きよくとても可愛がられているようです。


2019年12月18日水曜日

豆本 昔咄し花咲ぢゝい その1




 P.0 表紙

(読み)
昔  咄 し花 咲 ぢゝい
むかしばなしはなさかじじい

綱 島 蔵 版
つなしまぞうはん


(大意)
むかしばなしはなさかじじい
つなしまぞうはん

(補足)
 世界中に手のひらにのるようなものから切手くらいまでのいろいろな豆本があります。
ここでは明治19年の豆本。およそ12cm✕9cmほどの手のひらサイズの大きさです。
国立国会図書館からダウンロードしました。

 表紙は錦絵摺りとあり、殿様が小姓を連れ満開の桜を見上げています。
作画者は綱島亀吉編集、版元は綱島亀吉出版です。

「ぢぢ」はいまでは「じじ」と書きますが、わたしの明治生まれの爺様は
お年玉の表書きには「ぢぢ」と書いてありました。

それにしても分類ラベルをなんで殿様の頭に貼るのかね。