P50 東京国立博物館蔵
(読み)
布(シキ)可へ舟 六 艘 ニてかこ武時 尓鮪 誠 尓小
しき かえふねろくそうにてかこむときにしびまことにこ
魚 を掌(テノヒラ)尓春くゐ多る如 し夫 を鳶口(トビクチ)能様
ざかなを てのひら にすくいたるごとしそれを とびぐち のよう
なるかぎ尓て引(ヒキ)揚(アケ)る海 血(チ)能波 立ツ誠 ニ
なるかぎにて ひき あげ るうみ ち のなみたつまことに
め川らしき見 物 なり之(コレ)を見終(ヲハ)里て陸(ヲカ)尓
めずらしきけんぶつなり これ をみ おわ りて おか に
納屋尓至 りして其 時 四国 阿波より力 持
なやにいたりしてそのときしこくあわよりちからもち
曲 持 など春る藝 者 来 リて爰 尓居ル故 尓
きょくもちなどするげいしゃきたりてここにおるゆえに
又 之助 其 藝 を好 ミ个連ハ色 \/藝 をし个り
またのすけそのげいをこのみければいろいろげいをしけり
其 処 能者 肝 を津ぶして見 物 春夫 よりして
そのところのものきもをつぶしてけんぶつすそれよりして
宿 へ帰 りぬ往 来 皆 舟
やどへかえりぬおうらいみなふね
九 日亦 時雨 雪 霰 風 吹キ此 日絹 地尓画
ここのかまたしぐれゆきあられかぜふきこのひきぬじにえ
(大意)
略
(補足)
「力持」、『② 重い物を持ち上げる武芸,また見世物。また,その人』
「曲持」、『きょくもち【曲持ち】曲芸として,手・足・肩・腹などで,樽(たる)・臼(うす)・米俵・人などを持ち上げて自由にあやつる芸』
「九日」、天明8年12月9日。西暦1789年1月4日。
「誠ニめ川らしき見物なり」、「鮪冬網(志びふ由あミ)」の画のように、激しい漁をそれほど離れていない小舟から見物したのでしょうけど、それでも小舟からの見物も同じようなものだったとおもわれます。同じ小舟に亦之助や新四郎も乗っていたのかもしれません。
「西遊旅譚四」に江漢の画があります。『鮪網之圖』です。
こちらは「鮪漁」の画。
前回の画は江漢の画ではなく、こちらが江漢の画。漁師たちは誰一人腰蓑などなく褌一丁にハチマキ、身につけているものはそれだけであとは裸です。こちらが実際の鮪漁の様子。
やはりすごいですね。
「鯱(シャチホコ)又タカマツ 鮪を 喰んと して人を 不恐舟乃 きハま天 き多る」とありますから、舟から落ちたらシャチにやられてしまいます。命がけ!
0 件のコメント:
コメントを投稿