P62 東京国立博物館蔵
(読み)
茸(タケ)酢あへ色 \/切 込ミ酢醤 をあ多ゝめて。か
たけ すあえいろいろきりこみすひしおをあたためて か
ける又 大 根 大 キク切リ胡麻を春里かける外
けるまただいこんおおきくきりごまをすりかけるほか
ニ竒妙 なる事 なし
にきみょうなることなし
十 二日 風 雨寒 し必 ス此 あらし能後 鯨 来ルよし
じゅうににちふううさむしかならずこのあらしののちくじらくるよし
此 節 婦゛里魚 能漁 アリ婦゛里さしミ能如 く
このせつぶ りうおのりょうありぶ りさしみのごとく
切 て箸 尓者さミて下 地をたぎら可して
きりてはしにはさみてしたじをたぎらかして
其 中 へ入 二三ンベンかき囬(マハシ)て喰フなり芹(セリ)
そのなかへいれにさんべんかき まわし てくうなり せり
此 嶋 能名 産 夕 方 新 四郎 方 へ行 小豆 か由
このしまのめいさんゆうがたしんしろうかたへゆくあずきがゆ
を喰フ
をくう
十 三 日 天 氣ニなる鯨 見へると云フ鯨 舟 尓能る
じゅうさんにちてんきになるくじらみえるというくじらふねにのる
(大意)
略
(補足)
ちょうど頁がまたがってしまいましたけど「平皿尓素麺」、いろいろな具をのせ、お酢や醤(ひしお)(魚醤のような、ほかにいろいろ混ぜて発酵させたもの)をかけ、胡麻をすりかけてのごちそう、現在となんらかわりませんし、この時代のほうがうまそう。
「十二日」、天明8年12月12日。1789年1月7日。
素麺の次は、ブリシャブです。この時代からあったんですね。食べ方も今とまったく変わりません。芹(せり)のかおりと食感がこれまたたまりません。
「下地」、『④〔吸い物の土台の意〕醬油。また,醬油を主にしただし汁やつけ汁。「割り―」』
そして、「夕方新四郎方へ行」って、「小豆か由」のデザート。
江漢さん、ごちそう攻めでご機嫌そうです。
さて、「十三日」、いよいよ「鯨舟尓能」って、漁の見物です。
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