P67 東京国立博物館蔵
(読み)
の腹(ハラ)能方 へま和里て鯨 を釣 あけるなり此
の はら のほうへまわりてくじらをつりあげるなりこの
働(ハタラ)き誠 尓危(アヤウ)き事 い王ん方 なし夫 よりして
はたら きまことに あやう きこといわんかたなしそれよりして
舩 二艘 尓丸 太を二本 横 に渡 して鯨 を
ふねにそうにまるたをにほんよこにわたしてくじらを
津里其 舟 を引 船 に春鯨 も未 タ死セ春゛して
つりそのふねをひきぶねにすくじらもいまだしせず して
供(トモ)尓共 尓鰭(ヒレ)を動 カして岸 尓着(ツク)之 を持(モツ)双(ソウ)と
ともにともに ひれ をうごかしてきしに つく これを もつ そう と
云 鯨 沖 尓て死 ル時 ハ沈(シヅミ)て浮(ウカハ)春゛之(コレ)を死も里
いうくじらおきにてしぬるときは しずみ て うかば ず これ をしもり
と云フ故 ニ此 可け引(ヒキ)六 ケ敷 我 等可舩 ハ先 ヘ帰
というゆえにこのかけ ひき むずかしくわれらがふねはさきへかえ
里鯨 ハ夜 の四 時 前 尓着 岸 春爰 ハ三崎 とて
りくじらはよるのよつどきまえにちゃくがんすここはみさきとて
鯨 を解ク所 なり宅 より一 里東 ノ方 なり此 鯨
くじらをとくところなりたくよりいちりひがしのほうなりこのくじら
ハ誠 尓先 生 ニ見せん為 に取レ多ると主 人 又
はまことにせんせいにみせんためにとれたるとしゅじんま
(大意)
略
(補足)
「供(トモ)尓」、この「トモ」は「とも【艫・艉】船尾。船の後部」のことでしょうか。
「持双」、『 江戸時代の捕鯨に用いられた漁船の一種。捕えた鯨を運漕する船で、二艘の船に太い柱を渡して組船とし、その間に捕えた鯨を結びつけて漕ぐもの』。
「六ケ敷」、古文書のくずし字を学ぶときに、必ず出てくるもののひとつ。
「夜の四時」、夜の10時頃。
「三崎」、「西遊旅譚四」に三崎の浜での「鯨切解圖」があります。
若かりし頃、はじめて働き出した職場の大先輩がもとは捕鯨船の通信士でした。戦争に負けて海外に出ることが禁じられていた時代、食糧事情もあったのでしょうが、船団を組んで海外に一番最初に働きでたのが捕鯨船団でした。船首に付いた銛をズドンと撃って鯨をしとめます。
このようなフィルムはいくどとなく見てきましたが、江漢さんが見たような鯨漁はやって見せるにしても、あまりにも危険なので再現もできないのでしょう。
あんなでかい生き物を狩猟しようという人間たちがやはり一番危険な生き物であるようです。
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