P39 東京国立博物館蔵
(読み)
尓渡 ル尓先ツ城 下より一 里野山 を越ヘて薄 香
にわたるにまずじょうかよりいちりのやまをこえてうすか
浦 と云 処 ニ至 ル少 々 人 家アリ爰 ヨリ舩 を出春ニ
うらというところにいたるしょうしょうじんかありここよりふねをだすに
五人 にて艪(ロ)を押(ヲス)風 ありて浪 高 シ夫 故 尓
ごにんにて ろ を おす かぜありてなみたかしそれゆえに
須草 と云 処 へ舩 を入ル爰 ニハ家 なく岩 壁 ニして
すくさというところへふねをいるここにはいえなくいわかべにして
魚 屋アリ之(コレ)ハ生 月 より人 数 を爰 ニ置キ鯨
うおやあり これ はいきつきよりにんずうをここにおきくじら
能来ル時 舩 を出春亦 鮪 漁 をも春先ツ爰
のくるときふねをだすまたしびりょうをもすまずここ
尓あ可里て喰 事などして風(カサ)間(マ)を待ツ尓いよ\/
にあがりてしょくじなどして かざ ま をまつにいよいよ
剛(ツヨシ)爰 ニて鮪 漁 五六 十 アリ其 鮪 舟 ニのりて
つよし ここにてしびりょうごろくじゅうありそのしびぶねにのりて
生 月 ヘ渡 ル尓波 舟 能上 を飛ヒ越へる事 数(ス)
いきつきへわたるになみふねのうえをとびこえること す
度なり表 の方 尓トマを張リ二 人坐春カコ六 人
どなりおもてのほうにとまをはりふたりざすかころくにん
(大意)
略
(補足)
「薄香浦」、地図の中央にあります。
「須草」、現在の地図です。薄香浦を出帆したものの、外洋にでると波高く、須草で風間待ち。
「生月ヘ渡ル尓波舟能上を飛ヒ越へる事数(ス)度なり」、大荒れの海、このような状況も何度か経験してきていて、以前よりいくらか落ち着いているようです。
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