2025年9月25日木曜日

江漢西遊日記五 その61

P68 東京国立博物館蔵

(読み)

之助 云へ里何奈(イカン)となれハ大潮(シヲ)なれハ鯨  此 岸(キシ)

のすけいへり   いかん となればおお しお なればくじらこの  きし


尓より多り亦 夜 ニなり多れハ明  朝  切 解ク事 なり

によりたりまたよるになりたればみょうちょうきりとくことなり


此 時 せつ尓得(ウ)る事 此 嶋 尓両  三 度ニ不過

このときせつに  う ることこのしまにりょうさんどにすぎず


鯨  ハセミとて第 一 番 能上  品 なりとぞ鯨  者゛ん

くじらはせみとてだいいちばんのじょうしななりとぞくじらば ん


尓申  付 今 夜九   時 尓起 春べしと夫 より納屋ニ

にもうしつけこんやここのつどきにおこすべしとそれよりなやに


泊 ル一ト寝(ネ)入 春る将(ハタ)して番 人 声 を揚 て起

とまるひと  ね いりする  はた してばんにんこえをあげておこ  


春出て見るに満 月 照 シて潮 干(ヒイ)て鯨  全

すでてみるにまんげつてらしてしお  ひい てくじらぜん


身(シン)をあら王し大 キサ十  五間 能瀬美(セミ)鯨

  しん をあらわしおおきさじゅうごけんの   せみ くじら


なりき

なりき


十  七 日 明 七 ツ時 より人 足 数 十  人 タイ松 を照 シ

じゅうしちにちあけななつどきよりにんそくすうじゅうにんたいまつをてらし

(大意)

(補足)

「せつ尓得(ウ)る事」、節(せつ)は鯨を解体していくつかの塊にしたそのうちの一つということでしょうか?しかし次の文章にうまくつながらず意味がちと不明であります。

「大キサ十五間」、約27m、大きいです。学校のプールからすこしはみ出すくらいの大きさ。

「十七日」、天明8年12月17日。1789年1月12日。

「明七ツ時」、明け方4時。

 何回か前に江漢さんが鯨の背に登っている圖をアップしてあります。 

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