P46 東京国立博物館蔵
(読み)
尓毛 せんをしき盃 を取 て四方 蒼 海 を
にもうせんをしきさかずきをとりてしほうそうかいを
眺 ミ外 国 尓遊 ヒ多る心 持 ぞ春る番 人 六 十 歳
のぞみがいこくにあそびたるこころもちぞするばんにんろくじゅっさい
位 能者 江戸尓十 年 居多ると云 江戸十 里
くらいのものえどにじゅうねんいたるというえどじゅうり
四方 軒 を並 へて人 家續 キ其 外 ハ田畑 ニて
しほうのきをならべてじんかつづきそのそとはたはたにて
大 根 の太(フト)サさし渡 し七 八 寸 もあると云フ
だいこんの ふと ささしわたししちはっすんもあるという
大 笑 し希り夫 より段 \/と山 を下 り彼ノ
おおわらいしけりそれよりだんだんとやまをくだりかの
老 婆カ処 ニより瑠 球 芋 能蒸(ムシ)多るを喰ヒ
ろうばがところによりりゅうきゅういもの むし たるをくい
益 冨 宅 へ帰 りぬ
ますとみたくへかえりぬ
六 日天 氣亦 之助 尓鯨 を取 比 時節 を聞 ニ冬
むいかてんきまたのすけにくじらをとるこのじせつをきくにふゆ
小 寒 十 日前 鯨 来 ル時 なり之 を小 寒 カグメ
しょうかんとおかまえくじらきたるときなりこれをしょうかんかぐめ
(大意)
略
(補足)
「瑠球芋」、琉球芋。
「六日」、天明8年12月6日。西暦1789年1月1日。
一行が山登りの前に立ち寄った、亦之助の乳母であった老婆宅では、帰りによってくれとたのんだのでしょう、芋を蒸して待っていたようです。温かい心づかい。
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