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2020年8月5日水曜日

的中地本問屋 その53(最終回)




裏表紙

(読み)
帝国図書館蔵


(大意)


(補足)
 陽刻か陰刻かそれとも透かし文字かはわかりませんが「乙」の字の書き順で「帝国図書館蔵」とあるのでこの裏表紙は享和2年のものではありません。

 文中登場人物の口語体の会話が約220年前のものとはおもえないほど、現代にもってきても違和感がありませんでした。またくずし字などもこの後の時代のものより読みやすい印象があったのはどのようなわけでしょうか。

 最終ページにご苦労さんと蕎麦が振る舞われていました。
本屋さんで働く人たちや彫師摺師絵師作家など職人さんの手当についてはふれられていませんが、稼ぎはよくなかったようです。

 江戸時代後期から明治にやってきた外国人たちが一様に、彼らの稼ぎや地位が低いことに驚いていたとあります。

 今後ますます、本屋さんは少なくなり書籍類も紙媒体でなくなってゆくでしょう。
15世紀のグーテンベルクの活版印刷技術の発明は学校で習うところですけど、それ以来約500年以上出版業界は基本的に変化していませんでした。活版印刷技術がそれほどに優れていたためかそれともそれに変わる印刷技術が発明されなかったのかは不明ですが、現在電子出版の台頭で変わろうとしていることだけは確かなようです。
しかし紙媒体は少なくなるでしょうがなくなることは決してないはずです。

 一方で過去の貴重な古文書や書籍は電子アーカイブすることを加速させ、公開してゆくことを願っています。




2020年8月4日火曜日

的中地本問屋 その52




P.19



P.19 後半


(読み)
い多つてのこうぶつ
いたってのこうぶつ

いくらでもくひし多゛い
いくらでもくいしだ い

ことし可ら志ん多゛いも
ことしからしんだ いも

このそ者゛のとふり尓
このそば のとうりに

のびる春゛いそふ
のびるず いそう

まづハめで多く
まずはめでたく

いち可゛さ可へ多
いちが さかえた


者んもと
はんもと

もめで
もめで

多い
たい

おいらも
おいらも

めで多い
めでたい

めでたい


(大意)
大好物の蕎麦を
おおいに食っていると
今年から身代も
この蕎麦のようにのびてゆくのではないかという
瑞相(ずいそう)だ。
まずはめでたく
市が繁盛した。

版元もめでたいし
おいらもめでたい
めでたい


(補足)
やはり「う」や「ら」の区別がなやましいですが、前後からの意味でなんとかなります。

「い多つてのこうぶつ」、今ではこういった言い回しはしませんけど、ちょっと使ってみたい。

「春゛いそふ」、瑞相。吉兆、めでたいことの起こるきざし。辞書であぁそうだったと思い出した。


左の箱は最初、本を入れる箱とおもったのですが、蕎麦のそばにあるので出前箱でしょう。
調べてみるとありました。
文化六年刊 「江戸職人歌合」に天秤棒の出前姿の絵です。



箱がにてますよね。

さらにしつこく検索すると、錦絵がありました。



「そば屋のかつぎ市村羽左衛門」文久二年(1862) 歌川国貞。


 蕎麦はどうやら皿に盛ったぶっかけのようです。
一九さん、目尻を下げてうまそうに食ってます。


2020年8月3日月曜日

的中地本問屋 その51




P.19



P.19 前半


(読み)
くささうしの
くさそうしの

うり多゛し尓ハ
うりだ しには

そ者を可つて
そばをかって

い王ふこと
いわうこと

いづれの者ん
いずれのはん

もと尓ても
もとにても

きハまり多る
きわまりたる

きちれい也
きちれいなり

一九 うり
いっくうり

多゛し尓
だ しに

むら多ヤへ
むらたやへ

よ者゛れて
よば れて

そ者゛の
そば の

ちそう尓あづ可る
ちそうにあずかる


(大意)
草双紙の売出しの日には蕎麦を
買って祝うことは
いずれの版元でも
きまりごとになっている
吉例である。
一九、売出しの日に
村田屋へ呼ばれて
蕎麦の馳走にあずかった。


(補足)
売出しの日に蕎麦を振る舞う。
細くとも草双紙が途切れずに切れることなく売れるようにとの縁起担ぎでありましょう。

 読みにくいところはありません。

 背景はお正月なのでいろいろお飾りが賑やかであります。
当時年越しそばの習慣があったかどうかは不明ですが、ほんの4,5日でまた蕎麦を食う、年明け蕎麦といっても、趣旨は異なりますが、いいもんです。



2020年8月2日日曜日

的中地本問屋 その50




P.18



P.18 下段


(読み)
ヲツト
おっと

こゝへ
ここへ

ここへ


(大意)
おっと
こっち
こっち


(補足)
カタカナの「ヲ」の途中がちょっとかすれているだけで、なんと読むかとちと悩む。
「こゝへ」も「へ」がとても小さくてはてこれはなんだと悩む。普通「へ」は他の字に比べて大きいのだが。

 拡大してみても、御婦人の髪、七つと半分のちょんまげ頭は手抜きなどまったくなし、どれも生え際まで見事です。

P17P18見開き。



 およそ200年前の本屋さんの店頭はもっともっと賑やかだったに違いありません。
現在の本屋さんからは想像もできません。


2020年8月1日土曜日

的中地本問屋 その49




P.18



P.18 上段

(読み)
く多゛されと
くだ されと

もつて行 バ
もってゆけば

これこちらへハ
これこちらへは

どふして
どうして

く多゛さるイヤ
くだ さるいや

今 春つておりま春と
いますっておりますと

いふ尓いヤゝ 春らずと
いうにいやいやすらずと

よふござるそのまゝで
ようござるそのままで

く多゛セへと
くだ せえと


大 き尓
おおきに

もふ可り
もうかり

个るぞ
けるぞ

いさ起゛
いさぎ

よし
よし


(大意)
くだされと
持ってゆけば
これ、こちらへはどうしてくださる
いや、今摺っておりますと言うと
いやいや摺らずともようござる
そのままでくだせえ

大いに儲かってるぞ、
気持ちが良い。


(補足)
 大意は必要なく、原文のままで意味がすべて通じます。
「行バ」、「行」のくずし字を知らないと読めません。

6,7行目に変体仮名「春」(す)が3箇所ありますが、4つ目は「ず」と平仮名に「゛」。

「いさ起゛よし」、大いに売れまくって気分がよいことをいっているのでしょうけど、現代ではピンときません。

 摺らないでいいから、そのままくれとはただの紙をくれといっているわけで、バカバカしいほど売れているということなのでしょう。

 左の丁稚はうれてうれて嬉しくてにこやかですが、その隣のあにさんは顔つきがどこか殺気立って怖い。

 正月店頭販売はほんとにこんな感じだったのかも・・・


2020年7月31日金曜日

的中地本問屋 その48




P.17



P.17 上段後半

(読み)
可いてもセ起
かいてもせき

こんできて
こんできて

さつき可らまつて
さっきからまって

いる尓者やく
いるにはやく

く多゛セへいヤ
くだせえいや

ま多゛とぢま
まだ とじま

せ奴といふ尓
せぬというに

とぢるハこつ
とじるはこっ

ちでとぢよふ
ちでとじよう

可らそのまゝで
からそのままで


五十三次 馬士の哥袋 十返舎作 全五冊出来
     まごのうたぶくろ

夷曲春ゞれ艸 同集 全二冊
いきょくすずれくさ

同東日記 千秋菴撰 十偏舎集
どうあずまにっき 



(大意)
買い手もあせってきて
さっきから待ってるんだ、はやくくだせえ
いえ、綴じてませんのでと言っても
綴るのこっちで綴るからそのままで


(補足)
「セ起こんで」、咳き込むの方ではなく急き込むで、あせって、気持ちがせいて。
ここでは変体仮名「起」(き)を使っていて、このすぐ左の行では平仮名「き」を使ってます。いつもながらなんか納得しません。行き当たりばったり気分次第で使い分けていそう。

「者やくく多゛セへ」、同じ「く」でもずいぶん形が異なります。後のは「乙」そのもの。
「や」もいろいろでカタカナ「ヤ」もまじります。


 店先の宣伝垂れ幕(紙)もにぎやかで売り込んでいます。
それぞれの書籍の内容はネットで検索すると出てきますのでお調べください。

 「曲」のくずし字が、一筆書きのように左の縦線からはじまり、「リ」の2画目から左回りにくるっとまわって下部で「一」。彫師もたいしたもんです。


店頭の日除けには「栄邑堂」(えいきゅうどう)「◯◯町」(日本橋中橋松川町か?)

箱看板には「さうしとんや」「◯村 本問屋」


 店先の殺気立った賑わいをみると、文章にあるように摺ったままの紙と表紙、綴じ糸をそのままひと組にして販売していても不思議ではありません。




2020年7月30日木曜日

的中地本問屋 その47




P.17



P.17 上段前半


(読み)
むら多のさうし
むらたのそうし

大 ひやう者゛ん
だいひょうば ん

尓てミセさ起
にてみせさき

尓ハ人 の山 を
にはひとのやまを

奈しさ春可゛
なしさすが

多くさん尓
たくさんに

志こん多゛る
しこんだ る

さうしミ奈
そうしみな

うりきれて
うりきれて

しまい
しまい

可いてをも
かいてをも

ま多して
またして

おいてとぢる
おいてとじる

やら志多てるやら
やらしたてるやら

大 さ王起゛
おおさわぎ



(大意)
村田屋の草紙は大評判で
店先は人の山となった。
あれほどたくさん仕込んであった草紙はみな
売り切れてしまった。
買い手をまたしておいて綴るやら
仕立てるやら
大騒ぎ。


(補足)
「ら」「う」「可」の区別はなかなか難しいです。
「むら多のさうし」、の「ら」「う」はほとんど同じです。文脈の前後の流れや意味から読み取るしかありません。

いつもながら「ミ」は、2,3画目がつながってます。

「さ春可゛」、現在では期待にたがわずや予想通りという意味で使われています。ここではあれほどの、の意味。

「志こん多゛る」、「こ」の形が上からのつながりがはっきりしているのでわかりにくい。

「とぢるやら志多てるやら」、最初の「や」と後の「や」(は「ゆ」にみえる)の形がことなっていて何度か前後を読んでわかりました。





2020年7月29日水曜日

的中地本問屋 その46




P.16



P.16 中段

(読み)
「いゝ多本゛可゛
 いいたぼ が

こうひつ
こうひっ

者゜つ多ら
ぱ ったら

まんざら
まんざら

でもある
でもある

めへ可゛
めえが

おヤぢ
おやじ

多゛と
だ と

おもつ
おもっ

てそふ
てそう

つれ奈くハセ奴もの多゛
つれなくはせぬものだ


(大意)
「いいタボがこんなふうに引っ張ったら
まんざらでもあるめいが、
おやじだとおもって
そうつれなくはしないものだ


(補足)
 出だしから?です。
「いゝ多本゛可゛」、「多本」(たほ)なのか「多本゛」(たぼ)なのか、少しかすれているのでわかりません。「たほ」で調べてもなし。「たぼ」だとありました。日本髪の後ろに張り出した部分をそういえば「たぼ」というのでした。それから派生して「若い婦人」や「酌婦」とあります。

 上段でも「者゜」(ぱ)の◯がくっきりでした。先端が丸い彫刻刀を使って彫ったようにまん丸になってます。

「おもつて」、この「も」はとても「も」とは読めません。最後の右に持ち上がる部分がすべて左に流れてしまっています。


P15P16見開き



 村田屋売り子、左足先は反り返り、右の手のひらはやめてくれーと言わんばかりにすっかり広がってしまってます。歌舞伎の見得を切ったところみたいです。

 新年で皆さんのウキウキ感が伝わってきます。
子どもを左肩にのせています。
残念ながらたぼは見えませんが、若い女性と男の人が右手で指差し何やらうれしそうにおしゃべりしています。

 売り出し日の街なかの様子の一コマでしょうけど、それにしても人物描写が上手だなぁ。



2020年7月28日火曜日

的中地本問屋 その45




P.16



P.16 上段

(読み)
やうゝ ひ起
ようようひき

春゛つてくると
ず ってくると

あと可らいや
あとからいや

まづこつちの
まずこっちの

本うへさ起へ
ほうへさきへ

きてく多゛セへと
きてくだ せえと

志きり尓ひつ
しきりにひっ

者゜るあつち
ぱ るあっち

こつちと一尓ち
こっちといちにち

ひつ者゜り多゛こ尓
ひっぱ りだ こに

こまり者てる
こまりはてる

くらひ尓て
くらいにて

志こミどんと
しこみどんと

志こんである
しこんである

ゆへあし可ぎり
ゆえあしかぎり

こん可ぎり尓
こんかぎりに

ゑどち うへ
えどじゅうへ

おろして
おろして

まハる
まわる


(大意)
なんとか引きずってくると、後ろの方から
いや、まずこっちの方へ先に来てくだせえと
しきりに引っ張られる。
あっちこっちと一日中引っ張りだこで困り果てる
くらいだったが、仕込みはどんと仕込んであるので、
脚のつづく限り、根のつづく限りに
江戸中へ卸してまわった。


(補足)
「ひつ者゜る」「ひつ者゜り」、半濁点「゜」がはっきりついて「ぱ」です。
大きな看板の左側に書いてあるのは、変体仮名を知らないと読むのは無理です。
変体仮名そのままだと「春川本゜ん」となって「すっぽん」です。「゜」がくっきりはっきりの◯。

「あつちこつちと」、今でもそのまま使っている「あっちこっち」。
「一尓ち」、「一」が漢数字の「一」と読めるのにしばらくかかった。
「ひつ者゜り多゛こ」、いつ頃から使われているかはしらないけれど、現在でも日常的に使われてます。

「あし可ぎりこん可ぎり」、「こん」と読むのに悩みました。でも「可ぎり」があるので、「脚の続く限り」ときたら「根」しかありませんので、「こ」とわかった次第。まだまだ初心者です。


大看板の右側は簡単。「江戸前」「大蒲焼」、次はちょっとなやむけど「附めし」。わざわざ看板に書いてことわるのだから、他店では蒲焼を注文するとお皿に蒲焼だけが出されたということでしょう。

大看板の輪郭は、定規を使って正確に丁寧に描いてます。
その左側のすだれは、定規を使ってるようですけど、流して自然な線にしています。
定規を使うにしてもちゃんと線を描き分けています。



2020年7月27日月曜日

的中地本問屋 その44




P.15



P.15 下段

(読み)
「多つ多今 おいてい可しつ多
 たったいまおいていかしった

そ者゛可らもふ志゛起尓うれて
そば からもうじ きにうれて

志まつ多可ら奈んでも
しまったからなんでも

あり多け可いましやう
ありたけかいましょう

こつちへきて
こっちへきて

く多゛され
くだ され


これハむ多い
これはむたい

奈まづこゝ
なまずここ

を者奈し
をはなし

てくん奈
てくんな

セへ
せえ

いま尓
いまに

まいり
まいり

ま春
ます


(大意)
「たった今、置いて行った
そばから、もうすぐに売れてしまったから
なんでもありったけ買いましょう。
こっちへ来てくだされ。

 これは無体な。
まずここを離してくんなせえ。
いまに、参りますって。


(補足)
「おいてい可しつ多」、置いて行った、でしょうけど、当時の言い回しかそれとも今でも使われているかもしれません。

 時代劇のテレビの一場面のようです。
くだけた口語体の会話ですが、現在とさほど変わりません。

 本屋さんの左腕をとって引っ張っているおじさんの動きの描写の見事なこと。
左足先がそりかえり、力がこもっている様まで描いています。
何度も引っ張ったのでしょう、着物の前がはだけてます。左袖口を二重線で描き、厚みを出しています。

 引っ張られている村田屋売り子はうれしそう。
やはり左足先がそりかえり、草鞋の裏を見せて、これまた力がこもっています。




2020年7月26日日曜日

的中地本問屋 その43




P.15



P.15 上段後半

(読み)
い多゛てんのまもり
いだ てんのまもり

のお可げ尓てゑど
のおかげにてえど

ぢ うを可けあるき
じゅうをかけあるき

个る尓さ起ゞ の
けるにさきざきの

本んヤ尓ても
ほんやにても

可うと
かうと

じ起尓
じきに

うれて
うれて

志もふゆへ
しもうゆえ

セりの
せりの

てやいの
てあいの

あとを
あとを

おつて
おって

あるきこつ
あるきこっ

ちへきてく多゛セへと
ちへきてくだ せいと


(大意)
韋駄天のお守りのおかげで
江戸中をかけ歩いた。
立ち寄った先々の本屋でも
仕入れるとすぐに売り切れてしまうので
売り子たちの
あとを追って歩き、
こっちへ来てくれと


(補足)
「まもり」、「ま」が変体仮名「満」ではありません。
「ゑど」、字面から「江戸」がうかびません。

終わりから2行目3行目に
「おつて」
「あるき」が並んでいます。
「お」と「あ」が「丶」があるかないかの違いであるのがよくわかります。


 競りの格好が正月だからでしょうか、股引をはいています。
でも足は素足みたいでこれじゃ冷えてしまいます。



2020年7月25日土曜日

的中地本問屋 その42




P.15



P.15 上段前半

(読み)
さうしうり多゛しの日ハ
そうしうりだ しのひは

セりのてやい尓
せりのてあいに

い多゛てんさ満のまもり
いだ てんさまのまもり

をも多セてい多゛し个る尓
をもたせていだ しけるに

さく可゛ことの外 よく
さくが ことのほかよく

で起个るゆへうれる
できけるゆえうれる

本ど尓 ゝ      志よつて
ほどに(うれるほどに)しょって

でるとうつてゝ
でるとうってうって

まい日 尓ハいく
まいにちにはいく

どゝ奈く可へつてハ
どとなくかえっては

志よい多゛しゝ
しょいだ ししょいだし


(大意)
草紙売出しの日は
(草紙をしょってる)売り子たちに
韋駄天様のお守りをもたせて
送り出した。
草紙の作がことの外良い出来であったので
売れれば売れるほど(戻って)背負って出た。
売って売って、毎日幾度となく帰っては背負いだし


(補足)
 草紙が出来上がり部数もそろえて、いよいよ発売日です。
◯に村の字の屋号が入った、背負子には山のように草紙が積まれています。
実際、本屋さんはこのような箱に本を入れてそれぞれの卸やお店、個人宅へ販売していたようです。

文章は連綿と区切りなく、「〜し个る尓」や「〜尓」でひたすら息切れせずつないでいきます。


「セりのてやい」、「競り」(せり)。「競りにかける」「競りに出す」。売ること。「てやい」は連中、仲間。

「韋駄天」、御存知走りの神様、とてつもなく速い。天ぷら屋で注文したお馬鹿さんがいたそうな。

 草紙の売出しは新年正月と決まっていました。
正月の楽しみの一つであったことは確かです。


2020年7月24日金曜日

的中地本問屋 その41




P.14



P.14 下段

(読み)
とん多゛
とんだ

この
この

本んハ
ほんは

おもし
おもし

ろい
ろい





(大意)
とんでもなく
この本はおもしろよ


(補足)
「とん多゛この本んハ」、今ではこの「とん多゛」の使い方は見られなくなってしまいましたが、現在では「とんだ美人だ」「とんだやつだ」などがあるくらいでしょうか。

変体仮名「本」のかたちは「不」です。平仮名「ほ」をみることはほとんどありません。

行灯はP10でもありましたが、格子がついていました。
しかし、こちらの行灯もこまいところまで丁寧に仕上げています。
油受けのお皿の縁にまで筆を入れている。

 目打ちのような大きな針で綴じています。
畳屋さんのように台の上での作業かとおもったら、裁縫とおなじような感じなんでね。

 真ん中奥の姉さんの着物柄は雁、左側姉さんのは紅葉に前掛けが花柄、右の姉さんは縦縞、からだの線に合わせて縦縞の具合をちゃんと描き分けています。

内職っていう感じがよく出ています。




2020年7月23日木曜日

的中地本問屋 その40




P.14



P.14 上段後半

(読み)
くちも八 てう
くちもはっちょう

手も八 てう
てもはっちょう

といふおん奈
というおんな

者゛ゝ可ゝ尓
ば ばかかに

とぢさセ
とじさせ

个るゆへ
けるゆえ

まづこれも
まずこれも

ま尓
まに

あひ个る
あひける

よふ春也
ようすなり


「こゝハ何
 ここはなに

も可く
もかく

こと可゛
ことが

奈い
ない

そふ多゛
そうだ


(大意)
口も八丁、手も八丁という女、婆婆、かかに
綴じさせたので、まずはこの仕事も
どうにか間に合いそうな様子である。

「ここは何も書くことがないそうだ


(補足)
「者゛ゝ可ゝ尓」、初見で読むと悩みますが、「可」がわかれば解決です。
「个るゆへ」、この「ゆ」はわかりやすい。
「よふ春也」、「也」が「へ」や「え」に見えますが、それが「也」のくずし字。

「何」、「亻」+「可」で、「可」のくずし字「う」のようになってます。
「こと」は合字。

 背景に目隠し柵が描かれています。
下部の造作なども丁寧に仕上げています。
この柵部分の直線は定規を用いてなく手書きのようです。


2020年7月22日水曜日

的中地本問屋 その39




P.14



P.14 上段前半

(読み)
いで多りこれを
いでたりこれを

ありどふしと
ありどうしと

いふこのごとく尓し
いうこのごとくにし

多らバよ可らんと
たらばよからんと

ありをとらへて
ありをとらえて

いとをつけさうしの
いとをつけそうしの

あ奈をとふ
あなをとう

春つもりの
すつもりの

ところどふも
ところどうも

そふうまく
そううまく

ハい可ずこれ
はいかずこれ

ハやめ尓して
はやめにして



(大意)
でてくる。これを
あり通しという。
このようにすればよいだろうと、蟻をつかまえ糸をつけて、
草紙の穴を通すつもりだったが、どうもそううまくはいかなかった。
そこでこの方法はやめにして、


(補足)
とくに読みにくい字というのはありませんが、
「り」「つ」「ら」「う」「可」に注意して、文章前後の意味から判断して読んでいきます。
また文章の切れ目が分かりづらいところもあるので、そこも注意です。

「このごとく尓」、「ごと」は合字。

「あ」「お」の区別は「お」に「丶」がないのが「あ」としてきましたが、
「さうしのあ奈をとふ春」、ここの「あ」は他の「あ」とは異なってます。

「い可ずこれハやめ尓して」、「ず」が「春゛」になっていません。現在と全く同じ「ず」です。
「や」がこれも現在と全く同じ、他のところでは「や」にそっくりでした。


 穴を通す作業のお姉さんたち、仕事がしやすいよう普段着でゆったりと着ているようです。でも、髷はしっかりオシャレしてますし、生え際なども丁寧に描かれています。




2020年7月21日火曜日

的中地本問屋 その38




P.13



P.13 下段

(読み)
「こいつハ
 こいつは

むつ
むつ

可しい
かしい


(大意)
こいつは難しい。



(補足)
 七つに曲がった玉がのっている台の天板がギザギザになってます。
なにか特定の作業工程で使う作業台のようです。
何でしょう?

2020年7月20日月曜日

的中地本問屋 その37




P.13



P.13 上段後半

(読み)
あ奈の
あなの

くちもと尓
くちもとに

いれこ奈多の
いれこなたの

くちへミつを
くちへみつを

ぬりおき多るを
ぬりおきたるを

可のありミつの
かのありみつの

尓本ひを可起゛つけ
においをかぎ つけ

多゛んゞ と多満の
だ んだんとたまの

うちをこ奈多のくちへぬけ
うちをこなたのくちへぬけ


「ありどうしの
 ありどうしの

あんじハ
あんじは

ちと里尓
ちとりに

おち多
おちた

よふ多゛
ようだ


(大意)
穴の口元に入れ、
出口側の口へ蜜を塗っておく。
そうすると、その蟻は蜜の匂いを嗅ぎつけて
少しずつ玉の内を出口へ抜け、

「蟻通しの工夫は
ちょっと理にはしりすぎたようだ


(補足)
「蟻通し」は文中にもあるとおり唐の故事にちなんだもの。
ネットで調べると枕草子244段にもこの故事の事が詳しく記されれいました。
わたしはちっとも知りませんでした。

「くちもと尓」、「と」が「>」のようにみえてわかりずらい。
「いれこ奈多の」、「いれ」で区切ります。「こ」に濁点があるようでまぎらわし。
「くちへミつを」、「ミ」が小さい「え」のようにみえますが、カタカナ「ミ」の2画目3画目がつながっているだけ。このあとの「ミつ」も同様。

「尓本ひを可起゛つけ」、「多゛んゞと多満の」、変体仮名のよい練習になります。

「案じ」、工夫、計画、考え。
「ちと里尓」、「里」のくずし字、ちょっとわかりずらい。


 実際に蟻通しを試したのかどうか、右下に七つに曲がった玉(絵では7つもない)がありますが
「ちと里尓おち多ようふ」なので、絵だけのことなのでしょう。



2020年7月19日日曜日

的中地本問屋 その36




P.13



P.13 上段前半

(読み)
さて又 さうしを
さてまたそうしを

とじるハおん奈
とじるはおんな

の志ごとこれも
のしごとこれも

らち可゛あくまい
らちが あくまい

といろゝ と
といろいろと

くふう春る尓
くふうするに

む可しもろ
むかしもろ

こしより王多りし
こしよりわたりし

七 ツ尓ま
ななつにま

可゛りし
が りし

多ま尓
たまに

いとを
いとを

とふ春尓
とうすに

あり尓
ありに

いとを
いとを

つけて
つけて


(大意)
さてまた、草紙を綴るのは女の仕事。
これも(子どもの表紙掛けと同じように)なかなかはかどらないだろうから
いろいろと工夫する。
 昔唐土(もろこし)から伝わった話に、七つに曲がった玉に糸を通すために
蟻に糸をつけて、


(補足)
 さて表紙掛けも終わり、次は冊子を綴る工程になりました。
和綴じは現在でも普通に行われています。
わたしの祖父はチラシをある程度の束にしてから和綴じにして、俳句のメモに使っていました。

 5行目出だしの「と」が縦に長い。「いろ」の反復語「く」がかすれている。
前後の内容をつないでいくのに「尓」(形は筆記体の「y」)が何箇所も出てきます。



2020年7月18日土曜日

的中地本問屋 その35




P.12



P.12 下段

(読み)
ちやんち起ゝ    春つ
ちゃんちきちゃんちきすっ

ちやんゝ
ちゃんちゃん


ひやうし
ひょうし

可けハ
かけは

おもし
おもし

ろい
ろい


个さお
けさお

まんまを
まんまを

多べ多
たべた

まゝ
まま

多゛可
だ か

ねつ
ねっ

可ら
から

者ら
はら

可゛


へら
へら





(大意)
ちゃんちき、ちゃんちき、すっちゃんちゃん

表紙掛けはおもしろい

今朝おまんまを食べたままだが
ちっとも腹がへらぬ


(補足)
 好々爺みたいな年齢不詳のおっさんが鉦で賑やかに、もりたてます。
丁稚二人も、もうすっかりはしゃぎ出来上がった表情。

 絵かきも彫師も摺り師もまったく手抜きはみられません。
髪の生え際やどこをみてもキリッと仕上げている。

 丁稚二人の作業台が手前に少し傾くように下に棒をかましています。
摺り師の台では逆に傾けていました。

 文章は読んだそのまま理解できますので大意は不要でした。



2020年7月17日金曜日

的中地本問屋 その34




P.12



P.12 上段

(読み)
可けそりヤゝ
かけそりゃそりゃ

可けるハ
かけるは

ひやうしを
ひょうしを

可个るハひやうし尓
かけるはひょうしに

可ゝつて可けやん
かかってかけやん

志よどこゝ
しょどこどこ

ゝ ゝ どこ
どこどこどこ

春こどんと
すこどんと

者やし个れバ
はやしければ

こどもハミ奈ゝ
こどもはみなみな

う可れ多゛し
うかれだ し

このひやうし
このひょうし

可けハおもし
かけはおもし

ろいとむちう
ろいとむちゅう

尓奈つてめしを
になってめしを

くうこともうち
くうこともうち

王春れよるも
わすれよるも

いつまでも
いつまでも

ねむること
ねむること

奈くセい
なくせい

を多゛して
をだ して

ひやうし
ひょうし

を可个る
をかける


(大意)
(かよい)掛け、そりゃそりゃ
掛けるは表紙を掛けるは表紙に掛かって掛けやんしょ
どこどこ、どこどこ、どこすこどんと
囃子したてたところ
子どもはみなうかれだし
「この表紙掛けはおもしろい」と
夢中になって、飯を食うこともすっかり忘れて
夜になってもいつまでもねむることなく
精をだして表紙を掛けた。


(補足)
 やや長い文章ですが、220年前のものがそのままで意味が通じますし、大意もそのままです。
文字もいくつかの変体仮名を知っていれば、難なく読むことができます。

 後ろの棚に完成した冊子が整然と並んでいます。
定規を使わなければ線を引けなかったはずです。
定規に直接筆をあててしまっては、定規を離すときにかすれたり滲んでしまいます。

 そこで細引きの筆ともう一本、ガイド代わりの棒などを使っていたようです。
定規にそのガイドが滑る溝をまっすぐに掘っておいて、そこをガイド棒の先端を滑らせます。
普段箸を使っていますから、ちょっと練習すればこのような作業は簡単だったはずです。

 このガイド棒は時代が下って、ガラスが身近なものになるとガラス棒といったものが出回りました。ガラス棒の先端は丸くなって定規の溝を滑りやすくなってます。
これなら、子どもの頃に目にしたことがあります。

 今でも使っているはずだとおもいます。