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2024年11月12日火曜日

時代世話二挺鼓 その28

P20 国立国会図書館蔵

(読み)

ひてさとハ奈ん

ひでさとはなん


奈くまさ門 を

なくまさかどを


たいぢせしも

たいじせしも


あさくさく王ん於んの

あさくさか んのんの


里しやう奈りと

りしょうなりと


かのゝこ本う个ん

かののこほうけん


もとのぶ尓つ奈ぎ

もとのぶにつなぎ


馬 をゑ可ゝせ

うまをえがかせ


ゑまを

えまを


本うのう

ほうのう


する

する


又 将 門 可連いをハ

またまさかどがれいをば


かん多゛め うしんといふ

かんだ みょうじんという


そのころ可ん多゛に

そのころかんだ に


与奈\/七 与うの本しの

よなよなしちようのほしの


ひ可りを者奈せしハ

ひかりをはなせしは


此 将 門 の多満しゐ也

このまさかどのたましいなり


二冊 毛の尓

にさつものに


志由びよくこぢつけて

しゅびよくこじつけて


めて多し

めでたし


\/

めでたし


京  傳 作

きょうでんさく


哥 麿 門 人

うたまろもんじん


行 麿 画

ゆきまろが

(大意)

 秀郷は難なく将門を退治したものの、浅草観音のおかげと狩野の古法眼元信につなぎ馬を描かせ、絵馬を奉納した。

 また、将門の霊を祀(まつ)ったのが神田明神というところである。その頃、神田に夜な夜な七曜の星の光を放つは、この将門の魂なのである。

 二冊ものに、首尾よくなんとかまとめられて、めでたしめでたし。

京傳作

哥麿門人

行麿画

(補足)

「里しやう」、『りしょう ―しやう【利生】

〘仏〙 仏神が人々を救済し,悟りに導くこと。祈念などに応じて,利益(りやく)を与えること。また,その利益。仏の恵み』

「も」の変体仮名がここでは3種類かたちをかえてでてます「たいぢせしも」「もとのぶ」「二冊毛の尓」。

「馬」のくずし字は頻出で特徴的なのでしっかりおぼえます。

「かのゝこ本う个んもとのぶ」、狩野元信(1434~1530)。室町時代の御用絵師。狩野派の祖・狩野正信の子(長男または次男とされる)で、狩野派2代目。京都出身。幼名は四郎二郎、大炊助、越前守、さらに法眼に叙せられ、後世「古法眼」(こほうげん)と通称された。

「つ奈ぎ馬」、『つなぎうま【繫ぎ馬】② 家紋の一。杭(くい)につないだ馬の姿を図案化したもの』。将門の家紋。この紋は、先祖である平将門が天から授かった黒馬が暴れ去ろうとするところを家臣総出で繋ぎ止めたという伝説に由来する、ネットから拝借。

 浅草観音堂の中に古法眼元信の筆と俗に伝える絵馬があって、古い時代のものであり、この馬が夜ごとに抜け出して草を食ったという伝説が『江戸名所図会』にのっている。それを奉納したのは秀郷であると、京伝がこじつけているとありました。

 つなぎ馬の絵馬(法眼元信筆)を肩にかつぎ奉納しようとする秀郷、それまではずっと鎧姿でありましたが、熨斗目(のしめ)・麻裃の礼装で威儀をただしています。

 右手が衣装に隠れてしまってますが扇を握っているようにも見えます。

 

2024年11月11日月曜日

時代世話二挺鼓 その27

P18P19 国立国会図書館蔵

P19

(読み)

ひてさと可

ひでさとが


ふせ

ふせ


せい

ぜい


これを

これを


ミて

みて


あいつの

あいずの


のろしと

のろしと


こゝろへ

こころえ


よせ

よせ


き多る

きたる


ミん奈

みんな


いそけ\/

いそげいそげ


あ連\/

あれあれ


あい川の

あいずの


のろし可

のろしが


あ可る

あがる


かう

こう


らち可

らちが


あ可奈いてハ

あかないでは


のろし\/

のろしのろし

(大意)

 秀郷が伏せ勢はこれを見て、合図の狼煙(のろし)とおもい、押し寄せてきた。

伏せ勢「みんな急げいそげ。あれだあれっ、合図の狼煙(のろし)が上がったぞ。こうも決着がつかないとは、遅い遅い(狼煙と鈍(のろ)い洒落)」

(補足)

「伏せ勢」、『伏兵(① 奇襲を目的として,ひそかに隠れている軍勢)に同じ』

提灯の「俵」は何度か出てきていますが、藤原秀郷の異名「俵藤太」。

 伏せ勢二人はどことなく稚拙な感じですけど、髷もちゃんと描いています。

 

2024年11月10日日曜日

時代世話二挺鼓 その26

P18P19 国立国会図書館蔵

P19

(読み)

阿ゝらふしぎや

あぁらふしぎや


ところてんの

ところてんの


可ん者゛んしやア

かんば んじゃぁ


袮へ可

ねぇか


ひでさとハこれをミて

ひでさとはこれをみて


者しめて者奈ひと

はじめてはなびと


いふものをあんじ

いうものをあんじ


出春

だす


こいつ可きん玉 多゛

こいつがきんだまだ


と壱 両  三 分可゛

といちりょうさんぶが


ものハある

ものはある


よひ出しの

よびだしの


女 郎 を

じょろうを


可川ても

かっても


二分のこる

にぶのこる

(大意)

秀郷「あぁら不思議や、心太(ところてん)の看板じゃぁねぇか」

 秀郷はこれを見て花火というものをはじめて考え出した。

秀郷「こいつ(七ツの心)が金玉(一分金)だと、一両三分にはなる。よび出しの女郎を買っても二分残る」

(補足)

「ところてんの可ん者゛ん」、漢字で「心太」とあてるので、「心」と、ところてんの麺の様子が血潮に似てるので看板になりそうだとしたのか?

「よひ出し」、『よびだし【呼び出し】

⑤ 近世後期,吉原の上級の遊女。張見世に並ばず,茶屋へ出て客を待つ。

⑥ 近世,深川の岡場所で,茶屋へ呼ばれて客の相手をする私娼』。価は一両一分なので二分残る。

 なぜ、ここでよび出しについてふれたのかという理由がこのように記されてました。

 田沼一派の勘定組頭、土山宗次郎孝之が、吉原京町大文字屋のよび出し誰が袖を、巨費を投じて身請けして世評に上がったのを暗示するためと思われる。

 誰が袖は政演(京伝)の錦絵にも描かれた有名な遊女だけに、世人の耳をそばだてたのである。

 なお土山は取調べ中に逃亡し捕らわれて死刑に処され、誰が袖が再び遊女になったのを、京伝は黄表紙『奇事中洲話(きじもなかずは)』の題材としている。

 秀郷、刀を左手にして不自然ですが、これは将門にあわせて、見得を切っているのだとおもわれます。両足の指をおもいっきり踏ん張っているのがわかります。

 

2024年11月9日土曜日

時代世話二挺鼓 その25

P18P19 国立国会図書館蔵

P18

(読み)

将 門 ハ大 ひのやさき尓可ゝりて

まさかどはだいひのやさきにかかりて


よハりし所  をひてさと

よはりしところをひでさと


す可さ須立 よ川てくひを

すかさずたちよってくびを


者年个れハふしきやきり口

はねければふしぎやきりくち


よりちしほこくうへ

よりちしおこくうへ


ふきあけ七 ツの

ふきあげななつの


多満しいとひ出る

たましいとびでる


「多満しい

 たましい


七 人

しちにん


つ連尓て

づれにて


とひ行

とびゆき


さき本うの

さきぼうの


多満しゐ

たましい


まちやれ奈

まちやれな


つきゑゝを

つきええを


志ら袮へ

しらねぇ


本゛ん\/

ぼ んぼん

\/\/\/\/

\/

(大意)

 将門は観世音菩薩の矢先にあたって弱っているところを、秀郷すかさず近寄り首をはねると、不思議なことに、切り口より血潮虚空へ吹上げ、七ツの魂が飛び出た。

 魂が七人連れで飛んで行く。

魂「先棒の魂、ちょっと待ってくれや、付きえぇをしらねぇのか」

ボンボンボンボンボンボンボン(「心」の飛び出す音)

(補足)

「大ひ」、『だいひ 1【大悲】〘仏〙

① 衆生の苦しみを救おうとする仏・菩薩の広大な慈悲の心。

② 観世音菩薩の別名』

「七ツの多満しい」、七ツの玉が、田沼の七曜星の紋をいよいよ強く暗示しているとありました。

「さき本う」、『さきぼう ―ばう【先棒】

② 物事を先頭に立って行う人。

③ 駕籠(かご)の棒の前の方を担ぐ人。先肩(さきかた)。 ↔後棒(あとぼう)』

田沼一味の処分に先後のあったことを暗に示しているのだろうとありました。

 将門、首をはねられながらも歌舞伎の見得を決めているような仕草(左手に刀、右手は手のひらがパー)です。そしてはねられた首の将門の目は「にらみ」で、胴体と離れながらも決めています。

 

2024年11月8日金曜日

時代世話二挺鼓 その24

P16P17 国立国会図書館蔵

P17

(読み)

ひてさとハうちもの王ざ

ひでさとはうちものわざ


尓て可奈ふましと日ころ

にてかなうまじとひごろ


袮んするあさくさのく王ん

ねんずるあさくさのか ん


せ於んを袮んし个れハふしきや

ぜおんをねんじければふしぎや


うんち う尓く王ん於んあらハれ給 ひ千

うんちゅうにか んのんあらわれたまいせん


のやさきをそろへてい可け給 ふ

のやさきをそろえていかけたもう


く王ん於んさ満もすゞ可山 この可多

か んおんさまもすずかやまこのかた


久 しくやを者奈ち給 ハぬ由へ

ひさしくやをはなちたまわぬゆえ


千 のやさき九  十  三 すし

せんのやさききゅうじゅうさんすじ


まて者つ連し可のこりの

まではずれしがのこりの


七 すし

ななすじ


七 人 の

ななにんの


まさ可ど可

まさかどが


こめ

こめ


可ミ尓

かみに


あ多る

あたる


とゝん

ととん


可川ちりと

かっちりと


いふ於と可

いうおとが


せぬ可ら者り合 可゛

せぬからはりあいが


ない

ない

(大意)

秀郷は打物業ではかなわないと、日頃信心する浅草の観世音を念ずると、不思議なことに雲中に観音あらわされ、千の矢先をそろえてお射掛けなされた。

 観音様も鈴鹿山以来久しく矢を放たれなかったため、千の矢先のうち九十三(本当は九百九十三)筋までがはずれたが、残りの七筋が七人の将門のこめかみ(将門の急所)に命中した。

観音様「どどん、かっちり、という音がしないから、張り合いがない」

(補足)

「うちもの王ざ尓て可奈ふまし」、謡曲「船弁慶」の「弁慶中を押し隔て、打物業(わざ)にて叶うまじと、珠数さらさらと押しもんで」のもじり。

「うちもの王ざ」、『うちものわざ【打ち物業】刀や槍を持って戦うこと。また,その技術』

「千のやさき」、謡曲「田村(能の一。二番目物。世阿弥作か。旅の僧が清水寺で坂上田村麻呂の霊にあい,その東夷征伐の戦いのさまを見る)」の「一たび放せば千の矢先」をきかせている、とありました。

「すゞ可山」、坂上田村麻呂は伊勢鈴鹿山の悪魔を退治した。

「とゝん可川ちり」、盛り場にある土弓(どきゅう)は、矢が的に当たると「カチリ」、はずれると的の外側に張った皮にあたって「ドドン」と鳴る。

 秀郷の装束の腰回りのヒラヒラ部分は草摺(くさずり)というそうです。細かく描いています。

 秀郷の背後には松の木があります。

 

2024年11月7日木曜日

時代世話二挺鼓 その23

P16P17 国立国会図書館蔵

(読み)

P17

女 郎 やてさへ

じょろうやでさえ


やりときてハきの奈い

やりときてはきのない


もの多尓此 うへ

ものだにこのうえ


とん奈やり可てやうも

どんなやりがでようも


志れぬ

しれぬ

P16

此 とき

このとき


まさ門

まさかど


うへ多

うえだ


そろいの

そろいの


きものを

きものを


ちやくせし由へ

ちゃくせしゆえ


これを

これを


うへ多゛の

うえだ の


七 本ん

しちほん


やりと

やりと


いふ

いう

(大意)

秀郷「女郎屋でさえ、遣りときては気に入らないものなのに、この上どんな槍がでてくるかわかったものじゃない」

このとき将門は上田紬の揃いの着物を着ていたので、これを上田の七本槍という。


(補足)

「女郎やてさへやりときてハ」、遊郭の約束事として①遣手婆の指示②一人の女郎に馴染客が重なって「もらい」(他の客の相手をしている芸者・娼妓などを自分の座敷に呼びとること。「はじめてなれば―もならず」〈浮世草子・好色一代男•7〉)がかかったときは、譲らねばならなかった。

 手もとの本には、なぜここで上田なのかが次のように記されています。

田租を定めるため,田を等級分け(上・中・下田(じょうちゅうげでん))したうちの最上のもの。地味の肥えた田の意で、田沼が何度も加増を受けて五万七千石になるまでを風刺したのだろう。随筆「翁草」によると適当な上田がないときは、権力のない大名の土地を無理に取り上げ、代わりに幕府領地の悪い土地を替え地として与え、「田沼家繁栄について、かやうの表立たぬ他家の難儀あまた有とぞ」とある。田沼の腹心たちはそれを推進し、自分たちも加増を受けて甘い汁を吸ったので、一味を「上田そろい」の共犯者の七本槍としたのだろう。

「七本んやり」、『昔,合戦のとき,槍で巧名を立てた七人の勇士。特に,賤ヶ岳の七本槍は有名』とあるように、この言葉からはあっぱれ見事勇姿たち!の喝采をおくる言葉でしょうけど、ここではもちろん大いに皮肉っています。

 

2024年11月6日水曜日

時代世話二挺鼓 その22

P16P17 国立国会図書館蔵

P16

(読み)

ひで

ひで


さと

さと


いまハ

いまは


やくそく

やくそく


のとを

のとお


里多いり

りだいり


を个川

をけっ


し与し

しょし


うり

うり


すへと

すえと


いふふ多を

いうふだを


者りて

はりて


可へらん

かえらん



のゝ

のの


志り

しり


个れハ

ければ


まさ


かど


大 可ん

だいかん


しやく

しゃく


尓天

にて


七 人 の

しちにんの


す可゛多

すが た


尓於の

におの


\/

おの


やりを

やりを


引ツ

ひっ


さけ

さげ


ひて

ひで


さと尓ついて

さとについて


可ゝる

かかる

(大意)

秀郷「今は約束どおり、内裏からあなたを追い出して、『売据え』という札を貼って帰りましょう」とやかましく言ったので、将門は大激怒して七人の姿になり、おのおの槍を引っさげ、秀郷に突いてかかった。

(補足)

「うりすへ」、『うりすえ ―すゑ 【売り据え】

家屋などを,造作をそのままで売り払うこと。「造作付―ありと」〈滑稽本・浮世床•初〉』

 将門「槍を引っさげて」とありますが、絵にはなく、どうなっているのか・・・ウ~ン🤔。

 

2024年11月5日火曜日

時代世話二挺鼓 その21

P14P15 国立国会図書館蔵

(読み)

P15

なんとどうて

なんとどうで


こさりま春

ござります


き川いもの可へ

きついものかえ


かうし多

こうした


ところハ

ところは


いゝ男  て

いいおとこで


ごさへ

ござえ


しやう

しょう


志ん

しん


そう可゛

ぞうが


ミると

みると


ちき尓

じきに


本れ

ほれ


や春

やす

P14

まさ可ど

まさかど


八 角 め可年尓天

はっかくめがねにて


ひてさとを

ひでさとを


ミれバ

みれば


なる本とハ ッ尓

なるほどやっつに


ミ由る由へ

みゆるゆえ


きもをつぶ春

きもをつぶす

(大意)

秀郷「どうだ、これはどうでござります、見事なもでしょう。こうした姿はいい男でござりましょう。」「新造が見れば、すぐに惚れるやす」

 将門が八角眼鏡で秀郷を見ると、なるほど八つに見えたので、肝をつぶしてしまった。

(補足)

「き川い」、もう何度も出てきた表現です。『⑥ 大したものだ。素晴らしい。「お娘御の三味線は―・いものでござる」〈咄本・鯛の味噌津〉』

 秀郷の煙管をくわえ立膝の仕草は歌舞伎でよく見られるもの、当時の人たちはひいきの歌舞伎役者を思い描いたはず。

 八人の秀郷、判で押したようにそっくりですが、小さな目のほんの少しの違いで大きく表情が変化しているのがおもしろい。

 

2024年11月4日月曜日

時代世話二挺鼓 その20

P14P15 国立国会図書館蔵

(読み)

ひでさと

ひでさと


これを

これを


ミてい王く

みていわく


王れハ

われは


志ん王尓

しんのうに


まさりて

まさりて


す可多可

すがたが


八 ツあり

やっつあり


於まへの

おまえの


目尓ハ

めには


見へまい

みえまい


此 め可年で

このめがねで


ミ給 へと

みたまえと


こま可多の

こまがたの


め可゛年や二て

めが ねやにて


可いし

かいし


八 角 め可゛年

はっかくめが ね


尓天

にて


す可多を

すがたを


ミせる

みせる

(大意)

 秀郷、これを見て曰く「おれは親王より多く、姿が八つある。お前には見えまい。この眼鏡で見てご覧なされ」と、(浅草は)駒形の眼鏡屋で買った八角眼鏡をかけさせて姿を見せた。

(補足)

「こま可多」、浅草寺の雷門の南側、赤茶正方形の小さいお堂。

「め可゛年や」、買物独案内より。出店もあった。

 
 将門の左目ををふさぐ手がなんとも小さくてかわいらしい。

 八角眼鏡は実際にこの絵のようなものだったらし。

 

2024年11月3日日曜日

時代世話二挺鼓 その19

P12P13 国立国会図書館蔵

(読み)

志ん王 の

しんのうの


土用

どよう


本しを

ぼしを


ミるやう多

みるようだ


志ん王

しんのう


いのちを

いのちを


あげ

あげ


まきの

まきの


じやう

じゃぁ(「う」は誤刻?)


袮へ可

ねえか

P13

ことしハくげ可

ことしはくげが


あ多り多ハへ

あたりだわえ


志可し

しかし


奈可尓

なかに


多いふん

だいぶん


あ多り可

あたりが


ミへる

みえる

(大意)

秀郷「土用干しで内裏人形の親王をたくさん見ているようだ。〽親王命を揚げ巻の〜じゃぁねぇか」

将門「今年は公卿が当たり年だわぇ。しかし、公卿の中にはだいぶ腐りかけたものもいるようだ」

(補足)

「出目」ではなく「土用」。「土用本し」、夏の土用の頃に衣類や本を干して風を通し,虫のつくのを防ぐこと。内裏人形も干した。

「志ん王いのちをあげまきの」、河東節「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の終りの部分「しんぞ命をあげ巻の、これ助六が前わたり、風情なりける次第なり」のもじり。

「ことしハくげ可あ多り多」、「ことしや南瓜(かぼちゃ)の当たり年」のもじり。不器量な娘が結婚するのをひやかす言葉、とありました。

「あ多り」、『⑪ 果物などの傷や腐ったところ。「―のある桃」〈滑稽本・浮世風呂•4〉』幕府高官が罪に問われることの多いことを暗示している、とありました。

 秀郷はこれみよがしに「俵」石山人書とある扇をこちらに見せつけています。

天明三(1783)年に羽左衛門が石山人の寿の字の団扇を七千本くばったと伝えられ、このようなことがはやったのだろうと、ありました。

 

2024年11月2日土曜日

時代世話二挺鼓 その18

P12P13 国立国会図書館蔵

(読み)

将 門 ひてさと尓

まさかどひでさとに


志つけられぐ川と

しつけられぐっと


せきこんて

せきこんで


うぬ可゛で尓者゛けを

うぬが でにば けを


あらハし

あらわし


王れまことハ

われまことは


す可゛多可゛七 ツ

すが たが ななつ


ある可らかく

あるからかく


者や王さ也

はやわざなり


なんじハ

なんじは


よもや

よもや


この


ま年ハ

まねは


でき

でき


まいと

まいと


七 ツの

ななつの



可多

がた



あら

あら


ハし

わし






「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 ときめ う可

 なんときみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


(大意)

 将門、秀郷にやり込められ、ひどくあせってしまい、みずから化けている姿をあらわし、

「おれは本当は姿が七ツあるから、このような早業ができるのだ。お前はよもやこのまねはできまい」と七ツの姿をあらわしてみせる。

将門の分身「どうだ見事であろう」以下同台詞六ツ略。

(補足)

「志つけられ」、『しつ・ける【仕付ける・躾ける】⑥ やっつける。「千代歳さまに―・けられて無念な,敵取つて下んせ」〈浄瑠璃・冥途の飛脚•中〉』

「せきこんて」、『せきこ・む【急き込む】ひどく心がせく。あせってことをする。「―・んで話す」』

 ここでも分身たちは微妙に(とくに表情を)変化させていて(左端分身は笏を振り上げている)、単純な分身の術より迫力ありです。

 この黄表紙、ここまで読んできておもったのですけど、この本の摺りはどうやら初版に近いものではないかと。文章もですが、どの彫りも線がくたびれてなく鮮明でクッキリです。

 

2024年11月1日金曜日

時代世話二挺鼓 その17

P11 国立国会図書館蔵

(読み)

や可ら

やがら


むせ う尓

むしょうに


う川可゛

うつが


いゝ

いい


どう

どう


ち う

ちゅう


双 六 と

すごろくと


羽左衛門 可゛

うざえもんが


志よさでハ

しょさでは


ミ多可

みたが


や可ら

やがら


可年ハ

かねは


めの

めの


まハり

まわり


そう奈

そうな


こと多

ことだ

(大意)

将門「八がら(の鉦)無性に打つがいい」

道中双六と羽左衛門の所作では見たことがあるが、八がら鉦は目の回りそうな芸事だ。

(補足)

「や可らむせう尓」、やたら無性に、の洒落。

「どうちう双六」、手もとの本には、東海道道中双六の袋井の絵に、両手に撥を持って立つ者と、坐して太鼓を打つ者が描いてあるとあります。

「羽左衛門」、九代目市川羽左衛門(1724〜85)。所作事の名人とされた。

 八がら鉦には、「八がらがねよくよくみれば手が弐本」、「八がらがねただ見てとおるものでなし」などがあります。また「八がら鉦」で検索するとたくさんヒットします。

 

2024年10月31日木曜日

時代世話二挺鼓 その16

P11 国立国会図書館蔵

(読み)

と起尓まさ門 文字の者や可き

ときにまさかどもじのはやがき


尓ハ可奈ハせまじと

にはかなわせまじと


七 ツ

ななつ


いろは

いろは


をいちど

をいちど


尓可いて

にかいて


ミせる

みせる


ひでさとそれも可奈ハ

ひでさとそれもかなわ


せじと者や引 せ川

せしとはやびきせつ


やう二て八 ツのもじを

ようにてやっつのもじを


いちど尓ひい天ミせ

いちどにひいてみせ


そのうへ

そのうえ


や可らの

やがらの


可年を

かねを


一 ど尓

いちどに


う川て

うって


ミせる

みせる

(大意)

 さて(今度は)将門、文字の早書きでは勝たせてなるものかと、七ツいろはを一度に書いてみせた。

 秀郷、それも勝たせてなるものかと、早引節用をつかって、八つの文字を一度に引いてみせ、その上、八がらの鉦を一度に打ってみせた。


(補足)

「七ツいろは」、『【七ついろは】

片仮名・平仮名など,七種の字体・書体で書いたいろは歌。近世,手習いの手本とした。「六つで寺入り上げる手本の数々は,―の年弱七つ」〈浄瑠璃・栬狩剣本地〉』。

将門の前にあるのは、「い 以 伊 意 畏 委 異」。

「者や引せ川やう」、早引節用(集)、いろは引きの字典。大衆み向きの実用的な辞書。

 八がら鉦が腰から棒で支えられているように見えてしまいますが、棒ではなく紐で腰に結んであって、腰を左右に勢いよく振り回し、両手の撥で叩く。

 ここの六つの将門の影も(今度は右側の顔)、ひとつの型をハンコのように押したのではなく、みな彫ってます。影のうち、一人だけに筆を持たせている。

 

2024年10月30日水曜日

時代世話二挺鼓 その15

P10 国立国会図書館蔵

(読み)

将 門 志よさ

まさかどしょさ


事 尓天

ごとにて


飛げを

ひげを


なて

なで


个れハ

ければ


ひてさと

ひでさと


可年て

かねて


ならい

ならい


いし

いし


八 人 けい尓て

はちにんげいにて


ミせ付 る

みせつける


ちんつん

ちんつん


チャン\/

ちゃんちゃん


トン\/

とんとん


ビイラリ

ぴいらり


ヒヤウ

ひゅう


なる本ど

なるほど


きやう奈

きような


や川多

やつだ


ま多一 人まへ

またひとりまえ


まけ多

まけた


けち

けち


い満\/

いまいま


しひ

しい

(大意)

 将門は七人芸の所作をやって得意満面になっていたので、秀郷は以前より習っていた八人芸を見せつけた。

 ちんつん、チャンチャントントンピイラリヒュウ

将門「なるほど、器用なやつだ。また一人前負けた。ちぇっ、いまいましい」

(補足)

「飛げをなて」、『髭を撫(な)・でる。得意気なようすをする』

「けち」、『(接頭)近世語〕形容詞に付いて,卑しめののしる意を添える。「―ふとい二才野郎ぢやな」〈歌舞伎・幼稚子敵討〉』という理解もありそうです。

 秀郷、襖越しに見せつける八人芸のうち、小鼓・笛・三味線・鉦・太鼓の五つが見えています。撥のもとには鈴もあります。

 将門は笏を膝に立て、負けてくやしい様子。

 

2024年10月29日火曜日

時代世話二挺鼓 その14

P8P9 国立国会図書館蔵

(読み)

P9

将 門 里やう

まさかどりょう


里尓ハまけ

りにはまけ


多連ども

たれども


由うげい尓

ゆうげいに


可けてハ

かけては


可奈ハ

かなわ


せじと

せじと


七 へんげの

しちへんげの


志よさ

しょさ


ごとを

ごとを


いちど尓

いちどに


して

して


ミせる

みせる

P8

なんと

なんと


志 う

しゅう


く王く尓

か くに


とじやくを

とじゃくを


可年多

かねた


ミぶりハ

みぶりは


き川い可

きついか


\/

きついか

P9

此 ところ

このところ


大 てけぬ\/ と

おおでけぬでけぬと


可き多い

かいたい


あんまり

あんまり


うぬを

うぬを


いゝ

いい


奈さん奈

なさんな


ふら連

ふられ


やうと

ようと


於も川て

おもって

(大意)

 将門は料理(勝負)には負けたけれども、遊芸にかけては勝たせてなるものかと、七変化の所作ごとを一度にしてみせた。

将門「どうだ、秀鶴に杜若の両方あわせた身ぶりはたいしたものだろう」

 ここのところは大出来ぬ大出来ぬと書きたい。

秀郷「あんまりうぬぼれたことを言いなさんな。(女郎に)ふられてしまうとおもうぞ」 

(補足)

「秀鶴」、『初代中村仲蔵(1746〜90)の俳名。『歌舞伎年代記』に天明五(1785)年中村座の顔見世で「六人所作大でき」だったとある』

「杜若」、『四代目岩井半四郎(1745〜1800)の俳名。天明七(1787)年五月の桐座では、ここの絵の左側から、かきつばたの簪をさした官女、石橋、春駒、座頭、傾城、草刈童、関寺小町の七変化を演じた』

石橋、しゃっきょう しやくけう【石橋】能の一。五番目物。作者未詳。出家した大江定基が入唐して清涼山の石橋で童子に会う。童子は橋のいわれと文殊の浄土の奇特を教えて去る。やがて,獅子が現れ,牡丹の花に戯れながら壮絶華麗な舞をみせる。

春駒、はるごま【春駒】③ 新春に来る門付(かどづけ)芸人。また,その芸能。駒の首形を手にもち,また胴の前後に首と尾をつけて,三味線・太鼓などで囃(はや)しつつ祝言の歌を歌い,舞う。

関寺小町、せきでらこまち 【関寺小町】能の一。三番目物。世阿弥作か。年老いて近江国に庵居する小野小町は関寺の僧の訪問をうける。寺の七夕祭に案内され,稚児の舞にひかれて往事の夢を追うが,老いの無残を思い知らされる。「姨捨(おばすて)」「檜垣(ひがき)」とあわせて「三老女」という。

「ミぶり」、『歌舞伎役者の演技の特徴をとらえてまねをする大衆芸能』

「此ところ」、「此ところ大出来\/」は芝居の評判記のきまり文句。それをつかって、大出来の反対だと皮肉った、とありました。

「ふら連やうと」、うぬぼれ客はとかくふられる。

 この場面は、七人芸のみせどころ。文章はわずか。塗り絵をしたくなります。

 

2024年10月28日月曜日

時代世話二挺鼓 その13

P7 国立国会図書館蔵

(読み)

和多くし可゛

わたくしが


里やう里ハ

りょうりは


於まへの

おまえの


やう尓

ように


でバ本う

でばぼう


て うハ

ちょうは


いりませぬ

いりませぬ


でばと

でばと


いふものハ

いうものは


者゛くち者゛の

ば くちば の


个んく王尓

けんか に


ふり

ふり


まハすものさ

まわすものさ


大 根ハ里 う\/

だいこはりゅうりゅう


志あげを

しあげを


ごろうじ路

ごろうじろ

(大意)

秀郷「わたくしの料理はお前様のように、出刃包丁はいりませぬ。出刃というものは、博打場の喧嘩に振りまわすものさ。大根(だいこ)はりゅうりゅう仕上げを御覧じろ」

(補足)

「大根〜」、「細工は流流仕上げを御覧じろ」の洒落。『十分工夫をこらしてあるから,心配せずに仕上がりを待って,それから批判してくれ。細工は流々』

 将門の使う出刃は綴じのところにかくれてしまってます。

大根のなます刻むなら菜切り包丁でよいのに、わざわざ出刃を使っているのは、「出羽守」つまり水野出羽守忠友を暗示するためだろうと、ありました。

 また「博打場の喧嘩」とは、田沼失脚後の松平定信の老中就任に対する反対運動のゴタゴタをにおわせているのではとありました。

 

2024年10月27日日曜日

時代世話二挺鼓 その12

P6P7 国立国会図書館蔵

(読み)

なんときつい

なんときつい


もの可これでハ

ものかこれでは


仕出しやの

しだしやの


里やうり

りょうり


者゛ん尓

ば んに


い川ても

いっても


よ可らふ

よかろう

P7

そのとき

そのとき


ひでさと

ひでさと


すこしも

すこしも


さ王可゛須

さわが ず


く王い中

か いちゅう


より

より


神 明 まへの

しんめいまえの


なこや

なごや



可川多

かった


者や

はや


王ざ

わざ


八 人 まへを

はちにんまえを


出し

だし


さんじ尓

ざんじに


八 人 まへの

はちにんまえの


なますを

なますを


こしらへ

こしらえ


个れハ

ければ


将 門 よりハ

まさかどよりは


一 人 まへ

いちにんまえ


於ゝき由へ

おおきゆえ


大 き尓

おおきに


へこませる

へこませる

(大意)

将門「どうだ、たいしたものだろう。この腕前ならば仕出し屋の料理番にいってもつとまろう」

 そのとき秀衡少しもあわてずに、ふところより神明前のなこ屋で買った早業八人前を出し、あっという間に八人前のなますをこしらえてしまった。将門よりは一人前多かったので、大いにへこませた。

(補足)

「なんときついもの可」、助六劇(助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら))のせりふに「なんときついものか、大門へぬっとつらを出すと、仲の町の両がわから、なじみの女郎の吸付煙草で・・・」とあって、読者をニヤリとさせる。

「きつい」、『⑥ 大したものだ。素晴らしい。「お娘御の三味線は―・いものでござる」〈咄本・鯛の味噌津』

「そのときひでさとすこしもさ王可゛須」、謡曲「船弁慶」の「そのとき義経すこしもさわがず」をふまえて、やはり読者をにっこりさせる。

「神明まへの」、飯倉神明社のこと。芝増上寺の東にあった。

「なこや」、神明前の有名な刃物店。

「者や王ざ八人まへ」、絵を見ると、百均でも販売しているような野菜千切り器か。京傳はなこ屋で販売しているこれをみて、秀郷が早業の達人という設定を思いついたのだろう、とありました。

「将門よりハ」、ここだけ読めと言われても、ちょっとムリです。

 約230年前に大根スライサーが販売されていたなんて、驚きです。

 

2024年10月26日土曜日

時代世話二挺鼓 その11

P6P7 国立国会図書館蔵

P6

(読み)

まさ門 ハ

まさかどは


ひでさと可゛

ひでさとが


ミ可多尓

みかたに


つ可んといふを

つかんというを


まことゝ

まことと


於もひ

おもい


王可゛者や

わが はや


王ざを

わざを


ミせん

みせん


ずと天

ずとて


一 人尓て

ひとりにて


七 人 まへの

しちにんまえの


なますを

なますを


う川て

うって


ミせる

みせる


六 人 の

ろくにんの


可げ本゛うし

かげぼ うし


うしろ尓て

うしろにて


てつ多゛ふ

てつだ う


人 尓ハ

ひとには


い川可う

いっこう


ミへ須゛

みえず

(大意)

 将門は秀郷が(負けたら)味方につこうというのを本当のこととおもい、自分の早業を見せようと、一人で七人前のなますを作ってみせた。

 六人の影法師が後ろで手伝っているのだが、まわりの人には少しも見えることはない。

(補足)

「う川」、『う・つ【打つ】⑨→1の動作によって物を作るなどの仕事をする。㋖ 刃物でたたくような動作で切る。また,そうして作る。』

 将門の影武者六名(一人は綴じ代に半分かくれてます)、まるで間違いさがしの絵のようです。版画なのでひとりの型を彫ってあとはペタンぺたんと押したわけではなく、六名をそっくりに彫っています。

 まな板の脚板がちゃんとアリをきってとめてあるのが細かい。このまな板中央が少し持ち上がっていて凸面になってます。当時のまな板はこのような作りだったのかもしれません。現在でもそのようなまな板は販売されています。

 

2024年10月25日金曜日

時代世話二挺鼓 その10

P4P5 国立国会図書館蔵

(読み)

P5

此 ごろひやうハんの

このごろひょうばんの


多和ら藤 太とハ

たわらとうたとは


きさ満の事 可王しハ

きさまのことかわしは


こん尓やく志満の

こんにゃくしまの


つう多゛可ら奈を

つうだ からなを


なん里やうの

なんりょうの


於多いじんと申

おだいじんともうす


いごハ

いごは


於ミ

おみ


志り

しり


く多゛

くだ


され

され


P4

どれもミん奈

どれもみんな


へん奈名多゛

へんななだ


大 もん

だいもん


じやの

じやの


帳  者の

ちょうばの


ぬりふ多゛尓

ぬりふだ に


あろうと

あろうと


いふ奈多゛

いうなだ

(大意)

替え玉二「この頃評判の俵藤太とはおぬしのことか。わしはこんにゃく島の通だから、名を南鐐のお大尽と申す。以後お見知りおきくだされ」

秀郷「どれもみんな変な名だ。大文字屋の帳場の塗札にあるような名だ」

(補足)

「此ごろひやうハんの多和ら」、当時、「評判の俵」という、俵が斜面をころがる玩具があったのに掛けた、とありました。

「こん尓やく志満」、霊岸島(現在の中央区日本橋)の埋立地の俗称。

「なん里やう」、『なんりょう ―れう【南鐐】

② 二朱銀の通称。表面に「以南鐐八片換小判一両」と刻まれていた』。こんにゃく島の私娼の枕代は二朱なので南鐐一枚で買える。つまりわずか二朱という安上がりで大臣ぶって大きな顔をする客という意味、とありました。

「大もんじや」、吉原京町一丁目の大文字屋市兵衛。吉原連狂歌の中心人物。先代以来の狂名は加保茶元成(かぼちゃのもとなり)。したがって吉原の狂歌連中の名前が帳場にでも掛けてあったのかもしれない、とありました。


 

2024年10月24日木曜日

時代世話二挺鼓 その9

P4P5 国立国会図書館蔵

(読み)

こい川ハ

こいつは


よ可ろう

よかろう


なんち

なんじ


まけ多

まけた


とき

とき


志゛ぶくりツこ

じ ぶくりっこ


なし多゛

なしだ


ぞよ

ぞよ

P4

王連ら両  人 ハ

われらりょうにんは


た王らの

たわらの


きよくもち

きょくもち


かりのうへの

かりのうえの


うハぬりと申

うわぬりともうす


いごハ

いごは


於ミしり

おみしり


く多゛され

くだ され

(大意)

将門「そいつはよかろう。お前が負けたときには、グズグズ文句を云うのはなしだぞよ」

替え玉一「われら両人は、俵曲持、借上上塗ともうす。以後おみしりおきくだされ」

(補足)

「志゛ぶくりツこ」、『じぶく・る(動ラ五[四])

ぐずぐずと文句をいう。すねて理屈をこねる。「『どうせ私は意久地が有りませんのさ』とお勢は―・りだした」〈浮雲•四迷〉』。辞書には何でものってますねぇ。

「きよくもち」、『きょくもち【曲持ち】

曲芸として,手・足・肩・腹などで,樽(たる)・臼(うす)・米俵・人などを持ち上げて自由にあやつる芸』。ここでは、田沼一味が米問屋と結託して悪さをしたことの暗示か、とありました。

「かりのうへのうハぬり」、これはそのままで「恥の上塗り」を掛けている。田沼一味が御用金貸付の名目で私服をこやしたことをにおわせている、とありました。

 この三人の替え玉の顔はやけに現実感があって、実際の誰かの似顔絵のように見えてしょうがありません。右側の偽公家の着物柄はひょうたんのようなものも見えます。ひょうたんには酒を入れることもありますから、呑み助をどこかから連れてきたのかも。