P16P17 国立国会図書館蔵
(読み)
P17
女 郎 やてさへ
じょろうやでさえ
やりときてハきの奈い
やりときてはきのない
もの多尓此 うへ
ものだにこのうえ
とん奈やり可てやうも
どんなやりがでようも
志れぬ
しれぬ
P16
此 とき
このとき
まさ門
まさかど
うへ多
うえだ
そろいの
そろいの
きものを
きものを
ちやくせし由へ
ちゃくせしゆえ
これを
これを
うへ多゛の
うえだ の
七 本ん
しちほん
やりと
やりと
いふ
いう
(大意)
秀郷「女郎屋でさえ、遣りときては気に入らないものなのに、この上どんな槍がでてくるかわかったものじゃない」
このとき将門は上田紬の揃いの着物を着ていたので、これを上田の七本槍という。
(補足)
「女郎やてさへやりときてハ」、遊郭の約束事として①遣手婆の指示②一人の女郎に馴染客が重なって「もらい」(他の客の相手をしている芸者・娼妓などを自分の座敷に呼びとること。「はじめてなれば―もならず」〈浮世草子・好色一代男•7〉)がかかったときは、譲らねばならなかった。
手もとの本には、なぜここで上田なのかが次のように記されています。
田租を定めるため,田を等級分け(上・中・下田(じょうちゅうげでん))したうちの最上のもの。地味の肥えた田の意で、田沼が何度も加増を受けて五万七千石になるまでを風刺したのだろう。随筆「翁草」によると適当な上田がないときは、権力のない大名の土地を無理に取り上げ、代わりに幕府領地の悪い土地を替え地として与え、「田沼家繁栄について、かやうの表立たぬ他家の難儀あまた有とぞ」とある。田沼の腹心たちはそれを推進し、自分たちも加増を受けて甘い汁を吸ったので、一味を「上田そろい」の共犯者の七本槍としたのだろう。
「七本んやり」、『昔,合戦のとき,槍で巧名を立てた七人の勇士。特に,賤ヶ岳の七本槍は有名』とあるように、この言葉からはあっぱれ見事勇姿たち!の喝采をおくる言葉でしょうけど、ここではもちろん大いに皮肉っています。
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