P10P11 東京国立博物館蔵
(読み)
生 して木なし
しょうじてきなし
熱 海より日金 地蔵 堂
あたみよりひがねじぞうどう
まて五十 町 登 ル亦 爰
までごじゅっちょうのぼるまたここ
より五六 町 能ほりて
よりごろくちょうのぼりて
圓(マル)山 アリ
まる やまあり
坊 舎 三 軒 肉 喰
ぼうしゃさんげんにくじき
妻 躰 なり
さいたいなり
地蔵 堂 昔 シハ六 角
じぞうどうむかしはろっかく
今 ハ四角 トナル
いまはしかくとなる
二十 八 年 過 ルうち尓
にじゅうはちねんすぐるうちに
山 奥 まても
やまおくまでも
開 け多り
ひらけたり
P11
坊 舎 立 場
ぼうしゃたてば
<冨士の画>
(大意)
略
(補足)
今でいえばちょうど梅雨時六月上旬。
冨士の眺めがよい。
「二十八年過ルうち尓」、この旅は天明8(1788)年4月中旬出発で、その後江漢は4,5回この近辺を旅していて、頭注(やフリガナもきっとそうだろうと考えます。手もとにあるこの日記を読み返すたびに加えていったという雰囲気)は文化12(1815)年頃に書かれているので、約28年過ぎている。江漢さんは計算間違いや誤字脱字や思い込みが激しい人柄だったようですけど、この部分は正しそう。
やわらかい線でやさしい絵になっています。うす〜く彩色したらきれいだろうな、とは素人の所見。
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