P18P19 国立国会図書館蔵
P19
(読み)
阿ゝらふしぎや
あぁらふしぎや
ところてんの
ところてんの
可ん者゛んしやア
かんば んじゃぁ
袮へ可
ねぇか
ひでさとハこれをミて
ひでさとはこれをみて
者しめて者奈ひと
はじめてはなびと
いふものをあんじ
いうものをあんじ
出春
だす
こいつ可きん玉 多゛
こいつがきんだまだ
と壱 両 三 分可゛
といちりょうさんぶが
ものハある
ものはある
よひ出しの
よびだしの
女 郎 を
じょろうを
可川ても
かっても
二分のこる
にぶのこる
(大意)
秀郷「あぁら不思議や、心太(ところてん)の看板じゃぁねぇか」
秀郷はこれを見て花火というものをはじめて考え出した。
秀郷「こいつ(七ツの心)が金玉(一分金)だと、一両三分にはなる。よび出しの女郎を買っても二分残る」
(補足)
「ところてんの可ん者゛ん」、漢字で「心太」とあてるので、「心」と、ところてんの麺の様子が血潮に似てるので看板になりそうだとしたのか?
「よひ出し」、『よびだし【呼び出し】
⑤ 近世後期,吉原の上級の遊女。張見世に並ばず,茶屋へ出て客を待つ。
⑥ 近世,深川の岡場所で,茶屋へ呼ばれて客の相手をする私娼』。価は一両一分なので二分残る。
なぜ、ここでよび出しについてふれたのかという理由がこのように記されてました。
田沼一派の勘定組頭、土山宗次郎孝之が、吉原京町大文字屋のよび出し誰が袖を、巨費を投じて身請けして世評に上がったのを暗示するためと思われる。
誰が袖は政演(京伝)の錦絵にも描かれた有名な遊女だけに、世人の耳をそばだてたのである。
なお土山は取調べ中に逃亡し捕らわれて死刑に処され、誰が袖が再び遊女になったのを、京伝は黄表紙『奇事中洲話(きじもなかずは)』の題材としている。
秀郷、刀を左手にして不自然ですが、これは将門にあわせて、見得を切っているのだとおもわれます。両足の指をおもいっきり踏ん張っているのがわかります。
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