P5 東京国立博物館蔵
(読み)
昼 夜三 度宛 半 太夫 庭 ヨリ湧 出て一 村 ニ樋
ちゅうやさんどずつはんだゆうにわよりわきでていっそんにひ
を以 テかける塩 氣あつて熱 湯 なり江戸へ快 く
をもってかけるしおけあってねっとうなりえどへこころよく
して長 﨑 の方 へおも武く事 を申 遣 ス湯入 の者
してながさきのほうへおもむくことをもうしつかわすゆいりのもの
浅 草 へかへる人 尓多能武
あさくさへかえるひとにたのむ
頭注[熱 海ヘハ其 後四五度モ行ク一 昨 年 半 太 夫方
あたみへはそのごしごどもゆくいっさくねんはんだゆうかた
ニて入 湯 セし時 二代 目也 前 の半 太夫 ハ甚 タおもしろ
にてにゅうとうせしときにだいめなりまえのはんだゆうははなはだおもしろ
き人 なりき]
きひとなりき
廿 八 日 曇 て少 々 雨 此日初 て海 岸 を歩ス不
にじゅうはちにちくもりてしょうしょうあめこのひはじめてかいがんをほすふ
漁 とて魚 春くなし
りょうとてさかなすくなし
廿 九日 朝 雨 七 時比 天 氣トナル今 井ニ一 碧 桜 ト
にじゅうくにちあさあめしちじころてんきとなるいまいにいっぺきろうと
云 有 画など認 メ持参 し多る蘭 器蘭 書 ナト
いうありがなどしたためじさんしたるらんきらんしょなど
取 出し皆 々 尓見せける尓事(コウ)好(ヅ)なる者 もなし
とりだしみなみなにみせけるに こう ず なるものもなし
見 物 山 の如 jし
けんぶつやまのごとし
(大意)駄文の続き
4月27日
朝から雨だ。
江漢、湯治場は初めてで興味津々である。
「塩気ありて熱湯なり」」
湯に指を突っ込んでぺろっと舐めたのだろう。
これより27年後文化12年に、此の日の日記の頭注に次のように書き込んでいる。
「熱海へは其後四五度も行く。一昨年半太夫方にて入湯せし時、二代目也。前の半太夫は、甚だおもしろき人なりき。」
よっぽど気に入ったとみえ、4,5回も行っている。
江戸から約108Km、駕籠に乗ることもあったろうが、基本は歩きだ。
いやはや、当時の人達のなんと健脚なこと、真似はできない。
湯につかり隣の人と、とりとめのないはなしをしてたときのことだ。
その人どうやら浅草に帰るらしい。
申し訳ないが、ひとつ手紙を書くので江戸までお願いできますかと云い終わらない内に
おやすいことでと、はなしはまとまった。
手紙は「快くして長崎の方へおもむく事を遣す。」
3年経たねば帰国せずとの固い決心なぞどこ吹く風、おもいっきり優柔不断・朝令暮改、揺れに揺れる心境だったが、やっとやっとやぁ〜っと、西へ向かう決心がついたようである。
さぁゆくぞと決心を繰り返し、約2週間後に手紙で其の決心を伝えているわけだが、
受け取った奥方、どんな気持ちだったろう。
しょうがない人ねぇ、か。
まぁ、とにかく江漢先生、手紙を書くことによって退路をふさぎ、
今度こそ決心を固めたようだ。
4月28日
昨日に引き続き、曇って小雨降るなか、初めて海岸を散歩した。
地元の漁師さんか、魚屋さんとでも世間話をしたのだろうか
不漁で魚が少ないと記している。
4月29日(西暦6月3日)
朝から雨がまだ降っていたが、夕方4時頃やっと天気になった。
一碧楼という宿の離れに出かけて、画を描いたり、
天秤棒で担いできたオランダの品々を自慢げに、
江漢先生たくさんの湯治客などに見せびらかすのだが、
どうも興味深げに見てくれる人はなく、がっかり。
旅に出て、初めてウンチクをたれようとしたのに出鼻をくじかれたが、
熱海の湯と付近の景色に好奇心全開する。
(補足)
頭注「一昨年」、文化十(1813)年のこと。
「一碧桜」、延宝年間(1673〜1680)に建てられた湯店の離れで、茶人向きに数寄をこらしたうえ、熱海の眺望をほしいままにするように造られていた。
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