2024年11月21日木曜日

江漢西遊日記一 その8

P8 東京国立博物館蔵

(読み)

湯の権 現 来能宮 へ参  夫 より渚  邊を歩

ゆのごんげんきのみやへまいりそれよりなぎさべをほ


春熱 海一 村 所  々  尓湯涌く処  あり海 中  ニ

すあたみいっそんところどころにゆわくところありかいちゅうに


湧 処  アリ故 尓名ツク

わくところありゆえになづく


七 日天 氣自楽(ジラク)亭 ニ居ル婦人 従  者 と吾

なのかてんき   じらく ていにいるふじんじゅうしゃとわれ


従  者 と七 八 人 して日金 山 の頂   ニ圓 山 アリ

じゅうしゃとしちはちにんしてひがねさんのいただきにえんざんあり


之 ヱ登  ン事 を約 し即 五十  町  登 り峠  尓

これえのぼらんことをやくしそくごじゅっちょうのぼりとうげに


地蔵 堂 アリ坊 舎 三 軒 肉 食 妻 躰 なり

じぞうどうありぼうしゃさんげんにくじきさいたいなり


地蔵 ハ丈 六 の坐像 にして銅 佛 也 坊 舎 誠  尓

じぞうはたけろくのざぞうにしてどうぶつなりぼうしゃまことに


キタナキ処  然  共 夫 へ毛 せんなどしき遍んとう

きたなきところしかれどもそれへもうせんなどしきべんとう


を開 き彼 婦人 と共 尓食  事春亦 爰 より

をひらきかのふじんとともにしょくじすまたここより


頭注[廿   八 年 以前 ト違 ヒ坊 舎 一 軒 ハヱンガワ

   にじゅうはちねんいぜんとちがいぼうしゃいっけんはえんがわ


折 回 シ甚   ヨシ花 コザナドシキ茶 等 ヲ出ス]

おりまわしはなはだよしはなござなどしきちゃなどをだす


(大意)駄文のつづき

湯の権現来の宮へお参りし、その後は熱海の浜を散歩した。

浜のあちこちで湯が湧き出し、海中で湧いているところもあって

江漢先生、熱海の名前の由来に納得した様子である。


 この来の宮神社、現在でも熱海から一駅のJR来宮駅の裏にある。


5月7日(西暦6月10日)

 晴天。

先日から自楽亭に宿泊しているご婦人とお供のもの、江漢さんと従者あわせて7,8人で日金山の頂きにある円山へ登ろうということになった。

50町というから、約5.4Kmの険しい山路を登った


 正確には日金山地蔵堂まで50町、さらにここから5,6町登って円山である。

28年前と比べると、ずいぶん開けたものだと江漢、挿絵の中に記している。


 そして、28年以前とは違って、誠にキタナキ坊舎のうち一軒は、建物のまわりに縁側があり、雰囲気がよいではないか。それに花ゴザなんて敷いているし、お茶など出している。ここはもう箱根越えの駕籠かき人の休憩所になっている。日金越え駕籠が往来して当時とはずいぶん変わってしまったものだ、と日記に頭注がある。


 江漢は41歳で体力は心配ないだろうが、ご婦人は50歳ぐらいである。

地図で確認するとやはり山奥。

たいしたものだ。

(補足)

「渚邊」、読み不明。

「妻躰」、妻帯。

「遍んとう」、ちょっと読みを悩みましたが、変体仮名「遍」(へ)でべんとう(弁当)。

 

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