2024年11月18日月曜日

江漢西遊日記一 その6

P6 東京国立博物館蔵

(読み)

廿   九日 朝 ヨリ雨 降ル後 天 氣熱 海より十  八

にじゅうくにちあさよりあめふるのちてんきあたみよりじゅうはっ


町  小田原 ノ方 山 路 ヲ越ヘて瀧 の湯あり同

ちょうおだわらのほうやまみちをこえてたきのゆありどう


宿  の者 と行ク誠  尓此 様 なる深 山 幽 谷 ニ至 ル

しゅくのものとゆくまことにこのようなるしんざんゆうこくにいたる


事 初 メテなり故 尓め川らしくおもしろし

ことはじめてなりゆえにめずらしくおもしろし


五月 朔  日朝(アサ)雨 晩 天 氣脇 本 陣 渡 辺 彦 左

ごがつついたち  あさ あめばんてんきわきほんじんわたなべひこざ


衛門 方 へ行ク爰 ニモ一 色 桜 あり海 を望 ム日金

えもんかたへゆくここにもいっしきろうありうみをのぞむひがね


山 へ登 らん事 を話 ス

さんへのぼらんことをはなす


二 日曇 ル終  日 画を認   ル半 太夫 幷   同 宿  能

ふつかくもるしゅうじつえをしたためるはんだゆうならびにどうしゅくの


者 集  リ吾カ話 シを聞ク氣候 寒 シ綿 入 ニ

ものあつまりわがはなしをきくきこうさむしわたいれに


袷  を重  テきる

あわせをかさねてきる


(大意)駄文の続き

 昨日は、旅に出て、初めてウンチクをたれようとしたのに出鼻をくじかれたが、

熱海の湯と付近の景色に好奇心全開する。


4月29日

 前日と同じ日付になっているが、日記はこうなっている。

日記を書いていると日付の間違いは誰でもあることだ。


 しかし江漢先生、漢字をよく間違える。

そして、其の間違えた漢字をずっと使っている。

間違えたのではなく、間違えて覚えてしまいそれが正しい漢字だと信じている。


 いったん回復したとおもった天気は、また朝から雨である。

しかし後に晴れ。


 湯治場で顔見知りになった者と、山路を越えて滝の湯と云うところへ出かけた。

熱海から小田原の方へ十八町というから、約2Km弱。


「誠に此様なる深山幽谷に至る事初めてなり。故にめずらしくおもしろし」

きっと現在の奥湯河原だろう。

何度か行ったことがあるが、江漢ならずとも良いところだ。


5月1日(西暦1788年6月4日)

 朝方は雨降り、晩に晴れた。

「脇本陣渡辺彦左衛門方へ行く」とある。

この方、熱海温泉を開発したいわば地元の名士。


 先日の今井氏のところの離れは一碧楼だったが

渡辺氏のところにも「爰にも一色桜あり」であった。

そこから海を望み、初島を眺めたことだろう。

江漢さん、VIP待遇されているのだ。


 当主と近くの日金山(十国峠)からの眺めが絶景であることをきき、そこに登ってみたいなど歓談した。


5月2日

 曇りである。

湯疲れがでたのか、天気のせいか此の日は終日画を描いていたようだ。

渡辺氏や今井氏に所望されたのかもしれない。


 今井半太夫さんや湯治客が集まって、江漢の話しを聞いた。

此の日は寒く、江漢さん綿入れに袷を重ねてきて、話した。

次第に顔面紅潮し、鼻高々って感じで得意満面だったに違いない。


(補足)

「十八町」、江漢は「町」を、「可」に似たくずし字をずっと使っています。

「朝(アサ)」、こんな漢字にまでフリガナをふっているのは、上の「朔」にひきずられて間違えてしまったからだろうとおもわれます。このようなかたちの訂正がこのあと何度もでてきます。

「望ム」、くずし字がとても「望」に見えません。このあとでもでてきます。

「聞ク」、「聞」のくずし字は特徴的、「冖」+「夕」のようなかたち。

「渡辺彦左衛門」、熱海を開拓し、その基礎を築いた草分けは今井半大夫、渡邉彦左衛門、芥川五郎右衛門の3軒といわれた。

「日金山」、前回のブログの熱海の画像にのっています。

 「氣候寒シ綿入ニ袷を重テきる」、現在の6月上旬頃にもかかわらず着込んでいる。この異常気象は世界的なもので、翌年7月のフランス革命もこのことがその原因のひとつといわれています。

 

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