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2018年11月15日木曜日

紙漉重宝記 その97




P.41


(読み)
文 政 七 甲  申 年 二月 補刻
ぶんせいしちきのえさるとしにがつほこく

日本 橋 南  壱 丁  目
にほんばしみなみいっちょうめ

江都
えど

須原 屋茂兵衛
すはらやもへい

心 斎 橋 通  安 堂 寺町
しんさいばしとおりあんどうじまち

大 坂
おおさか

秋 田屋太右衛門
あきたやたえ もん


(大意)


(補足)
文政七年、1824年。
甲申、こうしん。

 投稿にあたっては以下文献を用いました。
国立国会図書館 タイトル「紙漉重宝記」請求番号 特1−3415
日本農書全集53 
和紙多彩な用と美
ケンペル 廻国奇観
ケンペル 日本誌

「紙漉重宝記」 おわり。



2018年11月14日水曜日

紙漉重宝記 その96




P.40


(読み)
國 東 治兵衛選
くにさきじへいせん

靖 中  庵 桃 渓 画
せいちゅうあんとうけいが

寛 政 十  戊   午 四月 吉 旦
かんせいじゅうつちのえうましがつきちにち

浪 華書 林
なにわしょりん

大 野木市 兵衛
おおのぎいちべえ

海 部屋勘 兵衛
かいふやかんべえ

(大意)


(補足)
戊午(つちのえうま)ですが、または「ぼご」。
吉旦(きちにち)、または「きったん」。
寛政十年は西暦1798年。

国東治兵衛、著者。
丹羽桃渓、絵師。本書の挿絵画家。
最後の2名は本書の版元。

 約100回近くにわたり毎日投稿を続けてきました。
その原動力は、何よりも国東治兵衛と丹羽桃渓、お二人の共著の素晴らしさに感嘆したからに他ありません。

 読み終わって、改めて自序を読み返してみました。
精読したからこそ、その一行一行の決意と重みに感動します。
その思いは十分すぎるくらいに達成されています。

 友人の求めに応じたものであることを、2度も記して強調しています。
当時の人達にとっても胸深く訴えるものがあったからでしょう。
「文字に拙く後笑の必然なること越志類」とありますが、220年前に出版されて以来「後笑」は
「笑賛」にかわり、海外でも翻訳されるほどになっています。
国東治兵衛の篤い想いは本人も予想だにしない程に世界中に広がったのでした。



2018年11月13日火曜日

紙漉重宝記 その95




P.39 石州高角 正一位人丸大明神社圖


(読み)
人 丸 出  生  の地
ひとまるしゅっしょうのち

戸田村  か多らひ
とだむら かたらひ

本 社  拝 殿
ほんしゃ はいでん

画馬堂 
えまどう

二王 門
におうもん

筆 柿
ふでがき

真 福 寺
しんぷくじ

(大意)


(補足)
 本社殿の裏に御神体に相当するものをもってくることが多いとおもうのですが、
「人丸出生の地」の山は左方向になってしまっています。

 作者の国東治兵衛も挿絵の丹羽桃渓も、柿本人麻呂を敬い、紙を粗末に扱う事なく大切にするのだぞと最後の頁は余白もほとんどなく見開きいっぱいに「正一位人丸大明神社圖」を描き込んで読者に訴えて終わっています。

2頁分を合わせた画像で締めくくります。






2018年11月12日月曜日

紙漉重宝記 その94




P.38 石州高角 正一位人丸大明神社圖


(読み)
石 州  高 角  正  一 位人 丸 大 明  神 社 圖
せきしゅうたかつの しょういちいひとまるだいみょうじんじゃづ

吹 上 濱  湖水
ふきあげはま こすい

くまの松  高 津川  た可つの 長 門可い道
くまのまつ たかつがわ たかつの ながとかいどう

中 の嶋  社 家
なかのしま しゃけ

高 角 町  渡 し場
たかつのまち わたしば


(大意)
地図の地名等なので省略します。


(補足)
見出しの「高角」の「高」は「髙」(はしごだか)ですが、
「高津川」、「高角町」では「亠」+「る」のようになってます。
「中の嶋」、「嶋」のくずし字の山偏は「W」のような感じです。

「高角」の読み方が迷いますが、中段に「た可つの」とありました。
「長門可い道」、「道」のくずし字は特徴的です。


 最後の地図絵図で、最初にあった「人麻呂の像」から、紙漉重宝記の締めを飾るにふさわしい「人丸大明神社」に戻ってきました。

 この頁と次頁はつながっていて、絵師は紙一杯に絵筆をふるっています。
吹上浜の帆の上に広がる狭い空だけを余白として、描き込めるもの何でも、描き残しがないよう
悔いを残さず細かく細かく描いています。米粒のような人も町人・武士・荷を運ぶ人・旅人とわかります。

 「くまの松」が大きく立派です。その前を流れる「高津川」は次頁の山間から流れ、蛇行して「吹上濱」の河口へと向かっています。
前頁の「濱出し」はこの「吹上濱」まで運んでいたのでしょう。

 下部には民家が密集して賑わっている村であることがわかります。
川が賑わっている街のすぐ側を流れているのに橋がありません。
よく見ると一番下のところに「渡し場」がありました。


2018年11月11日日曜日

紙漉重宝記 その93




P.37 濱出し乃図


(読み)
濱 出 し乃図
者ま多゛しのづ

三 里の所   おら二可へりめじや
さんりのところ おらにかへりめじや

アゝ志んどや ゝ
アアしんどや しんどや

おそう出や川多の うらゝ
おそうでやつたの うらら

志保を一 俵  可ふ天き多
しほをいちへう かふてきた

(大意)
三里の道のりをおれは二往復目だ。ああしんどい、しんどい。
遅くでかけたなのだな。おれは塩を一俵買ってきた。


(補足)
「うら」、自分のこと、おれ、わたし。

 険しい山の雪道を自分よりも大きそうな紙束の荷物を港まで運んでいくところでしょう。
藁靴を履き三度笠の下に手ぬぐいを襟巻きにしています。
大きな荷物の中身は紙束ですから、濡れてしまっては商品価値がなくなります。
藁で厳重にくるむだけで大丈夫だったのでしょうか。

 丸太を渡しただけの橋を渡っている人は濱出しの帰りに手ぶらで帰るのはもったいないですから
生活に必要な塩を買って帰るところでしょう。
小川の流れは水量もあり速さもあって落ちたら大変です。
丸太を岸に固定している仕方も描いています。
丸太に穴を開け、太い紐を通し両端を杭に結んでいます。

 丸太を渡っている人は濱出しがすみ、ホッとした表情が印象的です。
塩と一緒に、左手に持っている酒も買って、村で仕事終わりの一杯が待っているのです。

 頁全体に隙間なく描きいよいよ最後のまとめに向け、熱を込めて筆をふるっています。

2018年11月10日土曜日

紙漉重宝記 その92




P.36 俵作くり能圖 下段


(読み)
大 坂 へいて見い 銀 をふ可゛うで
おおさかへいてみい ぎんをふが うで

クハンゝ  と可けてをる。
くはんくはんとかけてをる。

をらハいつさい 可゛てん可゛行 ぬ
をらはいつさい が てんが いかぬ

ど可゛あ こ可゛あ
どが あ こが あ

春流可 志らぬ
するか しらぬ


(大意)
大坂に行ってみろ 銀をかごに入れて
ガンガン目方を量っているぞ。
おれには一切ガテンがゆかない。
どうしたら、こんなことになるのかわからん。


(補足)
 この箇所の文意がいまひとつつかみきれません。
「ふがう」。畚(ふご)。もっこ。竹や藁で編んだかご。
「クハンクハン」は読みにすると「カンカン」ですが、「カンカンと掛けてをる」では何のことかわかりません。大都市大坂では銀を量るのも小皿なんかでまどろっこしいことはせずに、大きなザルでガンガン量っているぞ、ということでしょうか。

 自分たちのしている作業とそこから得るわずかの収入のことをおもうと、そんな大坂商人の派手な金回り具合なんて、これっぽっちも理解が出来ないし、一体全体どうしたらこんなことになっているのか理解できない。ここの部分はどうも???ばかりです。

 文章はともかく、俵作りの二人はせっせとハチマキを巻き、もろ肌脱いではりきっている様子です。賃金には不満がありそうですが、体の状況は至って健康なようです。


Reports on the manufacture of paper in Japan.
20_Mode of making paper cloth warranted to washi ("shifu")





2018年11月9日金曜日

紙漉重宝記 その91




P.36 俵作くり能圖 上段


(読み)
俵 作くり能圖
へうつくりのづ

おらハ酒 越のもふと
おらはさけをのもふと

思 ふ天、阿この月 可ら
おもふて、あこのつきから

可ミを十  枚 おして
かみをじゅうまいおして

おい多。おや可多へ
おいた。おやかたへ

志れ袮バ よひ可゛
しれねば よひが


(大意)
おれは酒を飲もうとおもって、先月から
紙を十枚隠しておいた。
親方へ知られなければよいが


(補足)
「俵作くり能圖」、「たわらづくり」と読んでしまいそうですが「へう(ひょう)つくり」でした。
「圖」に振り仮名「づ」がありますが、「作」に振り仮名「つ」を振ってほしかった。
「乍」、のくずし字は特徴的でわかりやすいのですが、ここの「十」+「て」は簡単ですがわかりづらい。

「於」(お)が4回でてきます。「可」も4回で字も小さくわかりづらい。
「あこの月」、「こ」は「と」の誤植でしょう。「後の月」、前の月、先月。

 この上部の絵図はムシロを編んでいる様子です。
両側の馬に棒を渡し、編み紐を4箇所鼓状の重しに結んだ紐を交互に前後に振り分けて藁を足して編み上げます。両側の棒の支えは、形の良い二股に枝分かれした木をそのまま使っています。

 先月から紙を10枚抜いていたとしていますが、ひと月で10枚隠してもそれだけで酒にありつけたたはおもえません。かといって毎日だとして200枚以上、それではすぐに見つかってしまう。
お酒をちょこっとやるくらい、親方の目を盗んで紙を抜いていたのでしょう。

 紙漉きだけでなく、出荷する工程とその様子がよくわかる絵図になっています。

2018年11月8日木曜日

紙漉重宝記 その90




P.35 半紙仕立類図 下段


(読み)
この紙 ハよ以 可ミじや
このかみはよい かみじゃ

御見とりにも 者やう納  るろう
おみとりにも はやうおさまるろう

(大意)
この紙は良い紙じゃ。
御見取りでも早く納められるだろ。


(補足)
「御見とり」、紙を年貢として納めるための検査のこと。

年貢として納められる物品は、米でも地域の特産物でも役所の検査に合格しなければなりませんでした。
御見取りでは、年貢の紙はいったん村の収集場所に集められ役人の検査があったのでしょう。
良い品物なので、すぐに合格して早く納められると、爺様が独り言のように子どもに言っている絵図です。

Reports on the manufacture of paper in Japan ,
19_半紙を仕立てる



模写は後半になるにつれ、正確になぞろうとか絵図の雰囲気も描こうという気持ちが
失せてきているような気がします。


2018年11月7日水曜日

紙漉重宝記 その89




P.35 半紙仕立類図 上段


(読み)
半 紙仕立 類図
はんしし多つるづ

さんよ 紙 可い可゛ 可う可も
さんよ かみかいが  かうかも

志れぬ。さうし可ミでまど越者れ
しれぬ。さうしかみであどをはれ


(大意)
さんよ、紙買いが買いに来るかもしれない。
草紙紙を貼って、障子の破れをふさいでおけ。


(補足)
半紙仕立類図、「したてる」ではなく「したつる」でした。
「紙可い可゛可う可も」、最後の「可も」がわかりにくいです。

「さんよ」を日本農書全集53では「子どもの名前」としていますが、どうも不自然におもわれます。
「浜田の方言集」にはのってませんでしたが、子どもへの呼びかけ「おい」「なぁ」、または独り言「そうだ」などのような気がします。

 子どもに指示しながら紙を束ねている爺様が、
今までの人物のなかでも、特に念入りに描かれています。
顔の皺・目・鼻、簡素ではありますが手元に集中しているのがわかり、
口元は開いていて、子どもに話しかけている様が表されています。
半纏の背には大きな継ぎ接ぎが4箇所あります。
室内の作業着でしょうか。
左側の膝下には、煙管一式でしょうか、仕事の合間の一服が目に浮かびます。

 子どもは手慣れた様子で作業を進めています。
数束ごとに藁を付箋代わりに挟んでいるように見えます。


2018年11月6日火曜日

紙漉重宝記 その88




P.34 半紙裁切図 9行目〜最後


(読み)
御上  納 あるひハ売 紙 にも
ごじょうのうあるいはうりかみにも

出須  なり
い多゛すなり

左二各   図を以 て
さにをのをのづをもって

其 苦越志ら須
そのくをしらす


(大意)
御上納あるいは販売したりする。
次頁にそれぞれ絵図をもちいて、その苦労を知ってもらおう。


(補足)
「図」、ここでは「口」「方」、その両脇に点々のくずし字です。

いつもながら丁寧な描き方、熟練した職人の趣です。
左足のくるぶしあたりの輪っかは何でしょう。
股引の裾を折っている?

Reports on the manufacture of paper in Japan ,
18_Cutting "hanshi" into proper sizes



 熟練した職人とは程遠い。
恐る恐る、ギコギコギコ・・・。
半紙の切り口はささくれだっていそう。


2018年11月5日月曜日

紙漉重宝記 その87




P.34 半紙裁切図 5行目〜8行目


(読み)
右 の足 尓て踏 付 左   の手に
みぎのあしにてふミつけひ多゛りのてに

鎌 を持 て、これを多ち切る也
可まをもちて、これをたちきるなり

是 を十 可さ年一 〆 とし天
これをじっかさねひとしめとして

六 〆 合 せ一 丸 と成し
ろくしめあハせひとまると奈し


(大意)
右足で踏みつけ、左手に鎌を持ち、これを裁ち切る。
この一束を十束重ねたものを一締めとして、
それを六締めあわせたものを一丸として


(補足)
「足」、わかりずらいです。
「踏」、「足」「水」「口」から成り立ってますが、うーん・・・。
「鎌」、「金」偏はよいとして、「兼」がわかりずらい。
「年」、くずし字は「○」のようになります。とても特徴的なくずし字です。

 文中では「左の手に鎌を」とありますが、絵図では右の手に持っています。
木工などでこういった加工の経験がある方ならすぐにわかるとおもいますが、
こういった作業は台木の右辺を使って行います。

 つまり、左足で踏みつけ右手に鎌を持ち(左手で裁ち切られる端部分を持ち)、裁ち切る。
しかし、右手と左手が交差して作業しづらいのです。
そこで左手に鎌を持ち、右手で落とす部分を持ち、断ち切れば問題はありません。
なのですが、昔から刃物はほとんどすべてが右利き用に作られており、この作業は大変に難しかったはずです。鎌でなく包丁なら片刃が両刃を選べばもう少し現実的になります。

 台木の右辺にこだわらず、正確な作業をするには台木の左辺を使うとよさそうです。
絵図のままです。右足で踏みつけ右手で鎌を持ち左手で落とされる部分を持つ。
作業の流れもよく合理的で安全な流れとなります。

 重宝記説明文のとおりですと、右手があいてしまうことになります。しかし端を落とす紙を持たねばならないので、この右手は必ずその部分を持っていなければなりません。こうすると左右の手が交差することになり、作業はしにくくなります。

「日本農書全集53」の注には「本文のように左手で鎌を持って切るには、きわめて巧みな者しかできなかったであろう」としてますが、わたし自身は単に重宝記筆者の勘違いだろうと考えてます。
左手で切ることも可能だったでしょうが、左右の手が交差すること、当時も今も刃物は右利き用に作られていることなどから、どこの紙漉き農家でも行われるには左手に鎌を持っての作業はありえません。

 半紙を裁ち切るには、結論はこの絵図の通りということになります。

2018年11月4日日曜日

紙漉重宝記 その86




P.34 半紙裁切図 1行目〜4行目


(読み)
半 紙裁 切 図
はんし多ちきるづ

半 紙一 折 二十  枚 づゝに、間へ
はんしひとをりにじゅうまいづつに、あいへ

藁 を入 、十  折 (國 尓てハ是 を一 束 と云 。都  にてハ是 を五帖  と云 )
王らをいれ、じゅうおり(くににてはこれをいっそくという。みやこにてはこれをごじょうという)

右 の紙 を台 木へのせ、角 の
みぎのかみをだいぎへのせ、可くの

寸 法 極 めし定 規を阿て
すんぽうきはめしでうぎをあて


(大意)
半紙裁ち切る図
半紙一折、つまり20枚ずつの間に藁をはさむ。10折にしたものを(ここ地元では一束といい、都では五帖という)台木にのせ、四隅が直角で寸法が正確な(型)定規をあて、


(補足)
「折」がわかりにくい。
「間」、「あいだ」ではなく「あい」と振っています。
「國」、「都」、虫眼鏡で拡大してやっとわかりました。
「台」の旧字は「臺」ですが、ここでは「其」+「至」です。

 定規の板は、半紙の右上にのっているまな板のような板でしょうか。
決まった形に切り出す作業は昔も今も、型紙や型板を正確に作ってそれをもとにして切ります。
わたしは工作大好き人間で、この工程の作業をあれこれ考えます。
いろいろどうなんだろうとおもうところがあり、それらは次回に記します。

 裁ち切って使いみちのない紙は紙こよりなどにして再利用したのかもしれません。


2018年11月3日土曜日

紙漉重宝記 その85




P.33 中段


(読み)
どひやうしもの可゛


可ミをちらし


おらに奈んぎをさ春流の



(大意)
「とんでもない事をする風が紙をちらして、オレに難儀をさせやがる」


(補足)
 ネットの「浜田の方言集」の中に、「どひょうしもの」⇒とんでもない事する(重宝記) とあります。この紙漉重宝記はすでにいくつか見てきましたが方言もそのまま記して郷土色をだしています。

 絵師は山々の木々を描きわけています。
手前下部は、松葉のような木、筆をのせるように描いているのは広葉樹かもしれません。
中段では、桧や杉など針葉樹のように先が尖っている樹木と枝や葉を横に平たく描いているものもあります。奥の山々は細かく筆をいれてはいませんが、近景から遠景へと樹木の描き方を変化させています。

 それにしても、こんな険しい崖を紙漉き父さんは裸足で、本当に上り下りしたのでしょうか、そんなことできるわけがありません。

 見開きの頁にはなっていないのですが、前頁と絵がつながっています。
こんな険しい山里で紙漉きを行っている村もあったのでしょう。



2018年11月2日金曜日

紙漉重宝記 その84




P.33 上段


(読み)
本し多流紙  壱 枚 風 尓天
ほしたるかみ いちまいかぜにて

谷 へふ起ちりし をとりに行
多尓へふきちりし をとりにゆく

尓も一 時 計  リ 可ゝ類。竹 を
にもいっとき者゛可り かかる。たけを

王り、ちりたる紙 を者さミ
わり、ちりたるかみをはさみ

持 可へるなり
もちかへるなり


(大意)
干していた紙が一枚、風で谷へ吹き飛ばされたのを取りに行くのも
二時間ほどもかかる。竹の先を割ってその飛ばされた紙を挟み持ち帰る。


(補足)
変体仮名がたくさん出てきています。あれっとおもったら調べるのが一番です。

とんでもない崖、谷のところで紙を干していたものです。
何もこんなところを選んで干さなくてもよいとおもうのですが、それなりの事情があったのかもしれません。紙漉き家業の農家がすべてこんな崖っぷちのところだったはずはありません。

 父親は左隅の木に引っかかっている紙をめざし谷へ用心深く降りてゆきます。
左手は崖途中の小枝をつかんでいますが、右手は紙の方向に向けられているものの、紙を挟みとる竹の棒は持っていません。腰にも差してはいないようです。

 遥か下には川が流れてました。

2018年11月1日木曜日

紙漉重宝記 その83




P.32


(読み)
可ん遍゛んして
かんべ んして

おろそ可に紙
おろそかにかみ

つ可ふべ可ら須゛
つかうべからず

此 図を見て
このづをみて

その苦越
そのくを

志流べし
しるべし


(大意)
 紙漉きの大変さをよく考え、おろそかに紙を使ってはいけない。
この絵図をみて、その苦労を知るとよい。


(補足)
「かんべんして」、「かんべん」というとどうしても「勘弁」(許しを請う、やめてほしい)の意がまずおもいうかびます。もう一つの意味をすでにジジイの仲間のわたしは知りませんでした、お恥ずかしい。「十分に考えること。わきまえること。」

 急斜面の地盤の良さそうなところを、開墾してなだらかにしたようにみえます。
数軒の茅葺屋根が山側によりそうように建っています。

 一人で紙を漉くと干し板が40枚必要とありましたが、
ここにはそれほどの広さはなさそうです。
集落へ荷を運ぶ人が描かれ、狭い広場で干し、紙床もあります。

 谷へ飛ばされた紙を取りに行っている父親は崖を見渡してもいません。
このような場所で作業をしていれば、ちょっとした風で紙が飛ばされるにきまっています。
風が吹く様子を描くのは難しいようです。


2018年10月31日水曜日

紙漉重宝記 その82




P.31


(読み)
だあよ、とゝうハ
だあよ、とゝうは

多尓へ可ミを
たにへかみを

取 にいきやつ多けへ
とりにいきやつたけへ

ついもどりや
ついもどりや

志やるまあ
しやるまあ

こん奈こよ
こんなこよ

おちやあるな
おちやあるな

(大意)
「おっかぁ、とうちゃんは谷へ紙を取りに行ったよ。すぐには戻ってきはしないよ」
「息子よ、落ちんじゃないよ」


(補足)
母と息子の会話です。

「奈」(な)と「留」(る)の変体仮名がくずし方にもよりますが、わかりにくといえばわかりにくい。

 全頁の紙干しをしながら左側を見ていた御婦人は子守をする母と息子を見ていたのでした。
母親も子ども二人も裸足です。
子どもの着物には継当てがあります。山里では実際はもっと継当てだらけの着物だったのでしょうか。それともそこそこ継ぎのない着物だったのでしょうか。母親には継ぎが見当たりません。
気になってこれまでの絵図を見直してみました。
継当てのある着物はこの子どもだけでした。

子は谷へ行った父を、母は谷へ落ちるなと子を心配しています。
いったいどんなところで紙を干しているのでしょうか、次頁でわかります。

Reports on the manufacture of paper in Japan にこの頁の絵はありませんでした。
このレポートは紙原料の植物や紙漉きの作業に関係のないこういった場面の絵は描いていないのです。


2018年10月30日火曜日

紙漉重宝記 その81




P.30 紙干之圖 11行目〜最後まで


(読み)
一 人漉 、板 四十  枚 程 用 意有 べし
ひとり春き、いたしじゅうまい本どもちいあるべし

板 へ者りし方
い多へはりしかた

紙 のおもてなり
かみのおもてなり

此 板 を床 といふ
このいたをとこといふ


(大意)
一人で漉くのに、干し板は40枚ほど用意する必要がある。
(干し)板へ貼った方の面が
紙の表になる

この板を「床」といふ


(補足)
「有」、頻出です。このくずし字も確実に読めるようになると自信がつきます。
「おもてなり」の「も」が「り」になっています。間違いでしょう。

「紙床」の絵、重ねてある様子、直線はまっすぐに四隅をきちんとそろえて、が細かく描きこまれています。

 頭の手ぬぐい、たすき掛けや、前掛けがいい感じです。


さて、英国議会版です。



どうでしょうか。



2018年10月29日月曜日

紙漉重宝記 その80




P.30 紙干之圖 5行目〜10行目


(読み)
右 の手に志べ本゛うき
みぎのてにしべぼ うき

を持 て奈で付 る也 。上  手入 べし、
をもちてなでつくるなり。じょうづいるべし、

心  得あり。日より奈れバ早 く
こころえあり。ひよりなれば者やく

可王くなり。雨天 なれバ
かわくなり。うてんなれば

火に可け可ハか春る事 あり。
ひにかけかはかすることあり。


(大意)
右手にしべぼうきを持ってなでつける。上手に行うには
コツがいる。天気がよければ早く乾く。
雨天のときは火をたいて乾かす事もある。


(補足)
「心得」、何度もでてきてます。「心」がこれだけだとわかりにくい。「得」の旁が「月」のくずし字にそっくりです。
「日より」、よい天気・晴れ。
「可王くなり」、「王」、「わ」の変体仮名。

 「紙干之圖」の説明では左手に竹の棒、右手にしべぼうきと、右利きを前提としています。
左利きの人はきっと、普段の生活では左利きでも、仲間と一緒の仕事では、親方に直されたに違いありません。

 御婦人はここでも裸足です。この時代これが普通だったのでしょうか。



2018年10月28日日曜日

紙漉重宝記 その79




P.30 紙干之圖 1行目〜5行目


(読み)
紙 干 之圖
可ミ本しのづ

壱 間 板 尓
いっ个んい多に

表  へ五まい裏 五枚 圖の
をもてへごまいうらごまいづの

古゛とし。紙 一 方 少  厚 し。其 方 へ
ご とし。かみいっぽうすこしあつし。そのほうへ

者じめ、圖能ごと起竹 を以 て
はじめ、づのごときたけをもって

まき取。
まきとる。


(大意)
紙干しの図。
長さ一間の(干し)板に、表へ5枚、裏へ5枚、図のようにはる。
紙の一方は少し厚くなっているのでそちら側の厚い方から
図のような竹の棒で巻き取る。


(補足)
 この箇所は読み方で難しいところはないようにおもいます。
この作業も腰に負担がかかりそうです。

 干し板の長さが一間ですから畳と同じです。図では短めに描かれていて、
半紙3枚目を手にしている位置が低すぎます。あと2枚これでは貼れません。

 この図も丁寧に描かれ、顔が作業の手元を注視せずに、ふと手を止め左のほうを見ています。
何を見ているのでしょうか。
この頁は、冊子の見開き左側の頁にあるので、次の頁をめくらないと御婦人の左側に何があるのかわかりません。



2018年10月27日土曜日

紙漉重宝記 その78




P.29 8行目〜9行目


(読み)
勿 論 、女 子共 ノ手間
もちろん、じょしどものてま

一 向 算 用 二入 不申  候   。此 外 、たきゝ゛代 四分程 、
いつ可うさんようにいれもうさずそうろう。このほか、たきぎ だいしぶほど、

可ゝ里候  へども、山 里 能事 故 算 用 二入 不申  候。
かかりそうらえども、やまざとのことゆへさんようにいれもうさずそうろう。

(大意)
勿論、女や子どもの手間賃は
まったく勘定に入れていない。このほかに、薪代(銀)が4分程
かかるが、ここは山里なので(薪はたくさんあり)勘定に入れていない。


(補足)
「候」が3箇所でてます。古文書では候文は頻出ですが、この重宝記では珍しい。
「候」はごく普通に使われるので、それだけたくさんのくずし字があります。「、」で済ましている場合もあります。
「間」、「門」が冠のようになり、その下部に「日」です。「門」の漢字は同じようにくずします。
「故」、頻出です。「+」+「m」のような感じ。

 1873年ウィーン万博に明治政府として初めて参加しました。そのときに和紙類が大量に展示即売されてます。また万博終了後も日本が展示したものはほぼすべて現地で売りつくされました。
それに先立つこと、1862年のロンドン万博、1867年のパリ万博にも参加しており、同じように和紙類が人気の的でした。ジャポニズムの時代でした。
 わたしのパリの親戚の家には、1867年パリ万博で購入したアラブの木造建築置物があります。
ウィーン・ロンドン・パリなどには万博のときに購入し代々受け継がれてきた日本の品々がたくさんあるはずです。