P.29 8行目〜9行目
(読み)
勿 論 、女 子共 ノ手間
もちろん、じょしどものてま
一 向 算 用 二入 不申 候 。此 外 、たきゝ゛代 四分程 、
いつ可うさんようにいれもうさずそうろう。このほか、たきぎ だいしぶほど、
可ゝ里候 へども、山 里 能事 故 算 用 二入 不申 候。
かかりそうらえども、やまざとのことゆへさんようにいれもうさずそうろう。
(大意)
勿論、女や子どもの手間賃は
まったく勘定に入れていない。このほかに、薪代(銀)が4分程
かかるが、ここは山里なので(薪はたくさんあり)勘定に入れていない。
(補足)
「候」が3箇所でてます。古文書では候文は頻出ですが、この重宝記では珍しい。
「候」はごく普通に使われるので、それだけたくさんのくずし字があります。「、」で済ましている場合もあります。
「間」、「門」が冠のようになり、その下部に「日」です。「門」の漢字は同じようにくずします。
「故」、頻出です。「+」+「m」のような感じ。
1873年ウィーン万博に明治政府として初めて参加しました。そのときに和紙類が大量に展示即売されてます。また万博終了後も日本が展示したものはほぼすべて現地で売りつくされました。
それに先立つこと、1862年のロンドン万博、1867年のパリ万博にも参加しており、同じように和紙類が人気の的でした。ジャポニズムの時代でした。
わたしのパリの親戚の家には、1867年パリ万博で購入したアラブの木造建築置物があります。
ウィーン・ロンドン・パリなどには万博のときに購入し代々受け継がれてきた日本の品々がたくさんあるはずです。
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