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2021年4月10日土曜日

豆本 開化地獄論前編 その13

P12

(読み)

奈んといふ人 可゛

なんというひとが


さん起゛で奈んと

さんぎ でなんと


いふひと可゛右大 臣 を

いうひとが うだいじんを


して

して


国 の

くにの


あ可゛

あが



多゛可ゞ

だ かが


奈尓本ど

なにほど


あつて国 の者ゞ可゛

あってくにのはばが


奈ん里で多て可゛

なんりでたてが


奈尓本どある可それを▲

なにほどあるかそれを


▲うけ多まハり

 うけたまわり


多いと

たいと


といかけられて

といかけられて


ゑんまハへんじの■

えんまはへんじの


■志可多尓

 しかたに


こまりしとぞ

こまりしとぞ


第 二号 江つゞく

だいにごうへつづく


(大意)

何という人が参議で、

何という人が右大臣をして

国の収入がどれくらいあって

国の幅が何里で縦が

どれほどあるのか

それを承りたいと

質問されて

閻魔大王は返事の仕方に

困ってしまった。


第二号へつづく


(補足)

 子どもは連射砲のように次から次へと質問で攻めたてます。

「といかけられて」、平仮名「か」がつかわれる頻度も増えてきた感じがします。

「へんじ」、初見では読めませんでした。「へ」が小さな「ハ」に見えるし、「ん」と「じ」の重なりようも今まで目にしたことのないもの。前後の文章を何度か音読してやっと読めました。

「第二号江」、「い」のようにみえるのは変体仮名「江」(え)だとおもいます。

ポックリを履いた少女が突然現れましたが、さてなにか意味があるのかとあれこれ考えましたがわかりません。何でしょうねぇ。

赤い提灯の右半分の文字は?提灯の下には「卍」があります。

どの頁も全体に赤と淡黄色がが使われていて、明るい色調になってます。旧弊を捨て開化の世の中へと希望をみているのかもしれません。 

2021年4月9日金曜日

豆本 開化地獄論前編 その12

P10P11

(読み)

本可

ほか


尓ハ

には


く尓ハ

くには


あります

あります


まいたとへ

まいたとえ


五大 州  を

ごだいしゅうを


ひとまとめ尓

ひとまとめに


志ても十  まん

してもじゅうまん


おく里ハとても

おくりはとても


およバす

およばず


いづれの国 尓

いずれのくにに


地ごくといふ

じごくという


く尓可゛あつて

くにが あって


(大意)

他には国は

ありますまい。たとえ

五大州をひとまとめにしても

十万億里にはとてもなりません。

どこの国に地獄という国があって


(補足)

「尓ハ」二文字の間に「ノ」のようにあるのは、次の文字へ筆が流れているからですが、書き手の癖なのか、彫師の癖なのか、他の部分でもこのようになっています。

 閻魔大王は「こわっぱ言うじゃねえか」と余裕の笑み。子ども新しく学んだばかりの知識で果敢に攻め立てます。まさしく地獄「論」。

この頁も全体の色調は明るい。

 

2021年4月8日木曜日

豆本 開化地獄論前編 その11

P10P11

(読み)

奈ん里本ど者奈れておりますと

なんりほどはなれておりますと


いへバ可多ハら尓い多る三 途の者゛ゞア可゛

いえばかたわらにいたるさんずのば ばあが


「それハおろ可ものゝいふ

「それはおろかもののいう


こと奈りか奈らず

ことなりかならず


ある尓ち可い奈しこゝより

あるにちがいなしここより


十  万 おくど者奈れて

じゅうまんおくどはなれて


極  東 のと奈りの

きょくとうのとなりの


く尓奈り

くになり


「それでも

「それでも


世界 尓ハ

せかいには


五大

ごだい


州  より▲

しゅうより


(大意)

何里ほど離れておりますと言うと

そばに居座る三途のババアが

「それは愚かも者の言うことであるぞ。

必ずあるに違いないのだ。

ここより非常に遠く離れた極東の

隣にある国である」

「それでも世界には五大州より


(補足)

変体仮名「本」(ほ)もしつこく使われ続けたひとつです。変体仮名「奈」(な)もそうですけど、これは形が「な」にもともと近い。

「おろ可もの」、「ろ」と変体仮名「可」はほとんど同じ形です。

「か奈らず」、平仮名「か」も使われてきはじめています。

「十万億土」、今ではすっかり死語になりました。もともとは極楽浄土のこと。転じて非常にの意。

「それでも」、ここの「も」と3行目の「も」の形と筆順が異なっています。

「州」のくずし字はいろいろあります。

三途のババアは長煙管を振り回して、子どもに反論中。閻魔大王は小僧言いたいことを言ってみろと余裕の笑顔、くっくっくっと押し殺した笑い声が聞こえてきそう。「王」様ワッペンが復活してる。

 

2021年4月7日水曜日

豆本 開化地獄論前編 その10


P8P9見開き

(読み)

心  尓もやしまよい

こころにもやしまよい


くるしむことを

くるしむことを


焔 魔といふと可

えんまというとか


それ由へ地獄 とハ

それゆえじごくとは


国 の奈でハあります

くにのなではあります


まい▲

まい


▲もしま多く尓の

 もしまたくにの


名奈らバこの

なならばこの


日本 可ら奈んの

にほんからなんの


可多にあ多つて

かたにあたつて


(大意)

心に燃やし迷い

苦しむことを

焔魔(えんま)というのだそうです。

それゆえ地獄とは

国の名であるということは

ないのです。


もしまた、国の

名であるならば

この日本からどちらの

方角にあって


(補足)

 子どもが片腕まくってげんこつ握って、口はへの字、大王にひるむことなく挑む。たのもしい。

古文書を読み始めたとき「心」のくずし字が読めませんでした。もう読める字になっていたはずですけど、これは何と読むのだろうとおもってしまうていたらく、情けない。

「こと」、合字です。「ゟ」(より)のようなフォントがありません。

「国」のくずし字はいろいろあります。ここでは「乙」の途中で筆をクルッとまわして、仕上げに両側に点ゝ。

 子どもの背景は血の海、そのまわりはトゲトゲだらけ。

場所は地獄なのでしょうけど、全体の色調はやけに明るい。

 

2021年4月6日火曜日

豆本 開化地獄論前編 その9

P8P9見開き

(読み)

それ多゛可ら

それだ から


ゑんま

えんま


とハ

とは


まける奈

まけるな


\/\/

まけるなまけるな


どつこい

どっこい


\/

どっこい


(大意)

ですので

閻魔とは


「まけるな

まけるなまけるな

どっこい

どっこい」


(補足)

 部屋を替え、大王と子どものやりとりが続きます。「まけるな、どっこい」は集まった鬼たちの掛け声でしょうか。大王の額の「王」様ワッペンがありません。キン肉マンみたいで格好いいんですけど。鬼たちのはいているパンツはキャンプでよく歌う「鬼のパンツ」、めったに本物をみることはできません。

 

2021年4月5日月曜日

豆本 開化地獄論前編 その8

P6P7見開き

(読み)

わ多し可゛

わたしが


あると起

あるとき


学 校 の

がっこうの


きやうし

きょうし


さん尓

さんに


きゝ

きき


まし多可゛

ましたが


地ごくとハ

じごくとは


世界 尓奈き

せかいになき


もの奈り

ものなり


其 身尓くるしミを

そのみにくるしみを


うくる者 をぢごくの

うくるものをじごくの


くるしミといゝ

くるしみといい


(大意)

わたしがあるときに

学校の教師さんに

ききましたが、

地獄とは世界にはないものです。

人のその身に苦しみを受けている者を

地獄の苦しみといい、


(補足)

 読みづらいところはなさそうです。

しかめっつらで子どもの話に耳を傾けている閻魔様、恐れる素振りが微塵も感じられず、大王にからだを傾けながら学んだばかりのことを語る子どもの姿。二者の視線は空中で火花をちらしています。閻魔様の背後には立派な浄玻璃の鏡があります。襖の廻り縁や部屋の柱や敷居には朱塗りできっと漆でしょうか、さすがに大王の部屋、立派であります。頭に巻いている鉢巻に「王」の飾りがなかったら五月人形にならんで飾る、鍾馗様になってしまいます。

 

2021年4月4日日曜日

豆本 開化地獄論前編 その7

P6

(読み)

者ゝアこ多へて

ばばあこたえて


青 お尓

あおおに


あ可鬼 者しめとして

あかおにはじめとして


春まんの鬼 ども

すまんのおにども


たちいでゝゑんま可゛

たちいでてえんまが


まへ尓い奈らべバ●

まえにいならべば


●子供 ハ

 こどもは


春こし

すこし


こひざを

こひざを


春ゝめて

すすめて


(大意)

ばばあは答えて、青鬼や赤鬼をはじめとして

数万(すまん)の鬼どもがたちまちあらわれ

閻魔様の前に居並びました。

子どもは小膝を少し

すすめて


(補足)

「青お尓」、「青」が読めませんでした、お恥ずかしい・・・、しかし次の行の「あ可鬼」は読めましたので、ならば「青鬼」と推測できました。

変体仮名「春」(す)はここでは「十」+「て」のようなかたち。「す」+「て」のようなものもあります。

 小膝をすすめた子どもの反撃がはじまります。

 

2021年4月3日土曜日

豆本 開化地獄論前編 その6

P5

P4P5見開き

(読み)

▲世尓

 よに


つミ

つみ


ふ可き

ふかき


ものを

ものを


者゛つする

ば っする


を王可゛

をわが


つとめと

つとめと


奈す由へ尓

なすゆへに


奈んぢ

なんじ


失 礼 の●

しつれいの


●こと者゛を

 ことば を


由う

ゆう


と起ハ

ときは


八 大

はちだい


ぢごくの

じごくの


くるしミを

くるしみを


させん

させん


やア\/

やあやあ


鬼 ども

おにども


き多れと

きたれと


よバ

よば


王れバ

われば


(大意)

世に罪深き者を罰することが

我が勤めである。それ故

汝(なんじ)、失礼の言葉を

言うならば、八大地獄の苦しみを

させようぞ。

やぁやぁ鬼どもよ来たれ」と

呼ぶと、


(補足)

「世尓つミふ可き」、「つ」が「わ」になってますし、「ふ」に「亠」がありますけど、それでは意味が通じません。

「八大ぢごく」、「ぢ」がつぶれてしまってますが、ながれで「八大」につづくのは「ぢごく」。

襖絵のトゲトゲの山々は針山でしょうか。

閻魔様の顔は真っ赤か、ババアは真っ白け、なにか意味のある対比があるやもしれません。

 

2021年4月2日金曜日

豆本 開化地獄論前編 その5

P4

(読み)

みてい奈せへとめをむ起多゛して

みていなせえとめをむきだ して


もちまへの大 口 をあいて小供 尓向 ひ

もちまえのおおくちをあいてこどもにむかい


「やをれ小  児よくうけた満王れ

「やおれしょうによくうけたまわれ


ま多゛ちゝくさきこどもの

まだ ちちくさきこどもの


くせ尓志つれいの

くせにしつれいの


ことをいふもの可奈

ことをいうものかな


王れハぢごく尓

われはじごくに


尓んべつ

にんべつ


ありて

ありて


地獄 の王 奈り

じごくのおうなり


奈んぞさいせん奈ぞを

なんぞさいせんなぞを


もらいく王つ可けいを

もらいか   けいを


多つ可もの

たつかもの


奈らんや▲

ならんや


(大意)

みていなせえ」と目をむき出して

持ち前の大口を開いて子どもに向かい

「おい子ども、よく聞くがよい。

まだ乳臭い子どものくせに

失礼なことを言うものではないぞ。

わしは地獄に住み、

地獄の王であるぞ。

どうして賽銭などをもらい

それで生計を立てている者である

ことがあろうか


(補足)

 字がかすれているところもあり読みづらいし、出てくる言葉も子どもだけではちょっと難しいところもあって、当時は年長のものに教えてもらいながら読みすすめたような気がします。

でだしの「み」が平仮名です。

2行目「もちまえの」、4行目「こどもの」の「も」の書き順が異なり形が違います。また「ち」が悩みます。このあとの「ちゝくさき」の「ち」も同様。

「向ひ」、すぐには読めませんでした。「ひ」なのか「い」なのかも迷います。

「やをれ」、おい、おまえ。人に呼びかける語。

「志つれいの」、「志」がかすれています。「い」が「ひ」にもみえます。3行前の「ひ」とそっくりです。

「尓んべつ」、「尓」が難しい。

「もらい」、「ら」は「う」ににていることがあって迷います。

「く王つ可けい」、「家計」(かけい)。旧仮名遣いでしょうけど「つ」がはいるのかどうか?

 閻魔様の言い回しが分かりづらいところが多く、やや難しい。

三途の川のはこんな婆さんが待っていて、亡者をそれぞれの河に振り分けるのだそうです。

今までの豆本のお伽噺に出てきた意地悪ばあさんの顔立ちと同じであります。

 

2021年4月1日木曜日

豆本 開化地獄論前編 その4

P3

P2P3

(読み)

そのことを

そのことを


きゝ志ようつ可の者゛ゝア尓

ききしょうつかのば ばあに


む可い「のう者゛ゝアどん

むかい「のうば ばあどん


子 供のくせ尓奈まいき奈

こどものくせになまいきな


ことをゆうもの可奈おれ可゛

ことをゆうものかなおれが


おどろ可せてやる可ら

おどろかせてやるから


(大意)

そのことを聞き

三途川(そうずがわ)のばばあに向かい

「のう、ばばあどん

子供のくせに生意気な

ことを言うものだ。俺が

驚かせてやるから


(補足)

「志ようつ可」(しようつか)、調べても出てきませんでした。三途の川で調べると「そうづがわ」(さうづがわ)とあり漢字では「葬頭川」でした。また「そうず」は「さんず」の転ともありました。

「う」、「ろ」、変体仮名「可」の区別がやっかいです。昔の人はパット見でわかったのだろうかと疑問です。

「も」は2通りの書き順があります。終わりから2行目の「も」は、「し」のあとに左上に横切ってから右上に向きを変えて「し」の出だしあたりでクルッとやや右下に流れます。

 ともになで肩の後ろ姿のご婦人、右側は日本髪で江戸時代のまま、左側は髪を切って開化の趣。銅鑼(どら)ならして何を唱えているのか?そのうしろには大きなお賽銭箱。現在まできっと千年以上かもっと変わってない風景のはずです。


 

2021年3月31日水曜日

豆本 開化地獄論前編 その3

P2

(読み)

がんせ奈起十  一 二ともお本゛しき可゛

がんぜなきじゅういちにともおぼ しきが


さいせんあげてお可゛ミいし可゛

さいせんあげておが みいしが


ゑんま尓む可いあ奈多ハ

えんまにむかいあなたは


そん奈尓春ミ尓

そんなにすみに


奈つて王づ可

なってわずか


ねん尓尓どの

ねんににどの


おさいせん位  で

おさいせんぐらいで


可くけいを

か けいを


たてるのハ

たてるのは


おやめ尓して

おやめにして


開 化の国 で

かいかのくにで


商  法 を奈さい奈と

しょうほうをなさいなと


いへバゑんまハ

いへばえんまは


大 張 の

おおはりの


うちで

うちで


(大意)

まだ無邪気な十一二歳とも思われる子が

賽銭を上げて拝んでいましたが、

閻魔にむかって

「あなたはそんな片隅に居て

わずか年に二度のお賽銭くらいで家計をたてるのは

おやめになって

開化の国で商法をなさいな」

と言えば

閻魔は大張の内で


(補足)

 普通なら恐ろしくて口もきけない閻魔大王に向かって、

頑是なき子どもが屈託なく話しかけます。子どもの立ち姿と大人のそれとは描き方が

違っているのがよくわかります。首の傾げ方も子どもっぽく描いているところがやはりプロ。

「がんぜ奈起」「たてるのハ」、平仮名「か」「た」。

「そん奈尓春ミ尓奈つて」、「春ミ」は「隅」としました。

「ねん尓尓どの」、変体仮名「尓」は「尓」のかたちと、英文筆記体の小文字「y」のようなかたちがあり、ここでは連続してその2つがでています。

「可くけいを」、「家計」としましたが、さて?

「大張」、辞書などで調べてもヒットしませんでしたが、閻魔大王は奥まったところに鎮座しているので、その場所のことでしょう。

 

2021年3月30日火曜日

豆本 開化地獄論前編 その2

P1

(読み)

げ尓こう

げにこう


いんハやの

いんはやの


ごとく

ごとく


めくり

めくり


\/

めくり



ひと

ひと


とせ尓

とせに


尓どゝきまりし

にどときまりし


大 王 王十  六 日 を

だいおうはじゅうろくにちを


さい日 と奈せバ

さいじつとなせば


東 京  区中  の

とうきょうくちゅうの


奈ん女 老 若

なんにょろうにゃく


おし奈へて

おしなへて


おゑんまさ満へ

おえんまさまへ


さんけい奈す

さんけいなす


奈可尓

なかに


小  児の

しょうにの


(大意)

じつに光陰矢の如く、めぐりめぐって

一年に二度と決まっている

閻魔大王の十六日の祭日となれば、

東京市中の老若男女は

皆々、お閻魔様へ参詣する。

その中に子どもの


(補足)

 文章が今までのお伽噺などの出だしとは異なり、少し格調高く語りだしています。講談調なのかもしれません。声を出して読むとリズムも調子よくハリセンでペペンペンペンとしたくなる。

「大王王」(大王は)、変体仮名「王」(わ)のところは、現在では「は」ですし、当時も「ハ」のほうが多く使われています。しかし現在では助詞「は」や「を」のところが「わ」、「お」となっている豆本もあります。

 現在の表記になるのは明治より何十年もかかっていて、大正から昭和はじめにやっと現在に近づき、終戦後にようやくといったところではないでしょうか。いくら国が音頭を取ってもかっての教育を受けた人々が亡くならないかぎり、変化は難しいということです。

 参詣にはつきものの出店の風景。着物姿ではありますが今と変わるところはありません。たった8人しか描いてないのに賑わいを感じます。上手ですね。

 

2021年3月29日月曜日

豆本 開化地獄論前編 その1

表紙

見返し

(読み)

表紙の題名のところにラベルがあります。「開化地獄論前編」でしょうけど。

 見返しには「開化地獄ろん前編」。やっとこは歯を抜くのではなく舌を引っこ抜くため。丸い鏡は浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)というもの、亡者(もうじゃ)の生前のすべてのおこないを映し出すというすぐれもの。子どもたちはこの見返しで少し顔がひきつりビビりそう。やっとこのサキッチョがやけにリアルでパチパチと音がきこえてきそうです。鏡の周囲の飾りはどこか毒々しくて不気味です。

(大意)

(補足)

 前回の「朝日奈嶋逥り」と同じく出版人勝木吉勝の豆本。御届も価格も同じです。

前編と後編の表紙を並べてみます。

 いやはや迫力満点。本屋の店頭にはこうして2冊を並べたのでしょうね。うちのせがれたちは最近ナマいうようになりやがったからこれでチトびびらっせかなナンテいって、これなら売れそう。閻魔大王をにらみ返す小僧の面構えが負けてない。少し体を引きつつも「なにぉ〜っ」てむかっていく気持ちがあふれている。豆本の内容はこの小僧の気概がたのもしい。