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(読み)
げ尓こう
げにこう
いんハやの
いんはやの
ごとく
ごとく
めくり
めくり
\/
めくり
て
て
ひと
ひと
とせ尓
とせに
尓どゝきまりし
にどときまりし
大 王 王十 六 日 を
だいおうはじゅうろくにちを
さい日 と奈せバ
さいじつとなせば
東 京 区中 の
とうきょうくちゅうの
奈ん女 老 若
なんにょろうにゃく
おし奈へて
おしなへて
おゑんまさ満へ
おえんまさまへ
さんけい奈す
さんけいなす
奈可尓
なかに
小 児の
しょうにの
(大意)
じつに光陰矢の如く、めぐりめぐって
一年に二度と決まっている
閻魔大王の十六日の祭日となれば、
東京市中の老若男女は
皆々、お閻魔様へ参詣する。
その中に子どもの
(補足)
文章が今までのお伽噺などの出だしとは異なり、少し格調高く語りだしています。講談調なのかもしれません。声を出して読むとリズムも調子よくハリセンでペペンペンペンとしたくなる。
「大王王」(大王は)、変体仮名「王」(わ)のところは、現在では「は」ですし、当時も「ハ」のほうが多く使われています。しかし現在では助詞「は」や「を」のところが「わ」、「お」となっている豆本もあります。
現在の表記になるのは明治より何十年もかかっていて、大正から昭和はじめにやっと現在に近づき、終戦後にようやくといったところではないでしょうか。いくら国が音頭を取ってもかっての教育を受けた人々が亡くならないかぎり、変化は難しいということです。
参詣にはつきものの出店の風景。着物姿ではありますが今と変わるところはありません。たった8人しか描いてないのに賑わいを感じます。上手ですね。
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