2019年11月30日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その62




 P.37 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
間  此 段 奉申上       候   幾 重二も無證據   二而内 済 仕   候
あいだこのだんもうしあげたてまつりそうろういくえにもしょうこなきにてないさいつかまつりそうろう

儀者当 惑 仕    候   間   何 卒 格 別 之以
ぎはとうわくつかまつりそうろうあいあだなにとぞかくべつの

御憐慇      前 書 之次第 乍恐    御賢 察 被成下
ごれんびんをもってぜんしょのしだいおそれながらごけんさつなしくだされ


(大意)
これらのことを申し上げました。何度も申し上げますが証拠もなく内々で済ましてしまう
ことは当惑してしまいますのでなにとぞ格別の
お情けをくだされること前述したとおりでございます。熟慮していただき


(補足)
「此」、このくずし字だけをみていると「無」にみえてしまいます。しかしこの10文字下に「無」があり、比べるとやはり違いますね。

3,4行目はお役所に向けての定型文です。


2019年11月29日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その61




 P.36 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
御奉行  所 様 御吟 味二可相成   品々  之由 ニ而御糺  二
おぶぎょうしょさまごぎんみにあいなるべくしなじなのよしにておただしに

不相成  旨 御道 御案 内 相勤   候   者 ゟ 聢 与承  知仕
あいならずむねおみちごあんないあいつとめそうろうものよりしかとしょうちつかまつり

依而 ハ右 等 之儀慥  之證  據与可相成   与奉存候(間)
よってはみぎとうのぎたしかのしょうことあいなるべきとぞんじたてまつりそうろう


(大意)
御奉行所様が念入りに調べるべき証拠の品々でしょうから、これらの証拠品について問い調べる
ことはされないと道案内をした者からはっきりと承りました。
したがって、これらの品々は確かな証拠となるとおもわれますので


(補足)
「御奉行所様御吟味」、「御糺二」はよいとしても、「御道御案内」と「御」のオンパレード。
「御道」、ここの「道」はごく普通の字になってます。くずし字になると原型をとどめません。
「聢与」(しかと)、「耳」偏ですがそうはみえません。
「承」、くずし字は「様」の右半分みたいな感じ。「羊」+「水」のようでもあります。
「依而如件」(よってくだんのごとし)のように定型文で頻出。ここでは「依而ハ」と「ハ」がついているので(よりては)としたいのですが、通常の読みにしました。

 河原に筏の丸太や材木などの品々が散らかったままになっているのを証拠として戸口村の者どもを取り調べとっちめてやってください。ということを訴えているのですが、前半2行の言い回しがどうもしっくりきません。筏や諸材木が散乱していることを糺されることはないと理解しました。


2019年11月28日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その60




 P.36 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
未 夕有之  其 上 右 乱 妨 之砌 り関 東 御取 締  御
いまだこれありそのうえみぎらんぼうのみぎりかんとうおとりしまりご

出役 様 方 最寄 村 方 御廻  村 先 二而御聞 込 ミニ
でやくさまがたもよりむらかたおまわりむらさきにておききこみにて

相 成 御手入 可相成   所  戸口 村 ゟ 送訴 二罷  出候  上  ハ
あいなりおていれあいなるべくところとぐちむらよりそうそにまかりでそうろううえは



(大意)
いまだあり、その上前述の乱暴の際に関東御取締御
出役様方がもよりの村を見廻り聞き込みをし
調査されるべきところ、戸口村よりも訴えが出されてしまいました。そうなってしまった以上



(補足)
「出役」(しゅつやく、でやく)、読みをいつも悩むのですが、どちらでもよさそうです。
「最寄」、「最」のくずし字は「日」が「宀」、下部はそのまま「取」になってます。
「聞込ミニ」、「ミニ」がとても小さく、この2行後の「御糺二」の「二」はもっと小さい。
「聞」のくずし字はとても特徴的なので読み間違えません。
役職に「御」がつくのはよいとしても、そのあと「御」が3つもあります。


 戸口村からも訴え状が出ていたのでした。
坂口村の均平さんから訴えられて、戸口村の七左衛門さんが答弁書を提出しました。
その後に、七兵衛さんが均平さんを訴えでたようです。
それに対する答弁書がこの書状ということなるのでしょうか。


2019年11月27日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その59




 P.35 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
之一 件 無證據   二相 成 内 済 仕    候而者   弥   以  此上  桴
のいっけんしょうこなきにあいなりないさいつかまつりそうらいてはいよいよもってこのうえいかだ

川 下 難相成    当 惑 之餘 り御利解 不顧   御愁
かわさげあいなりがたくとうわくのあまりごりかいかえりみずごしゅう

訴奉申上       候   ハ前 書 散 乱 之材 木 右 場所 二
そもうしあげたてまつりそうろうはぜんしょさんらんのざいもくみぎばしょに



(大意)
の一件については証拠なく内々にて済ましてしまってはいよいよこの先
筏川下げが困難になってしまいます。当惑のあまりご理解を顧みず私どもの苦しみを
訴え出てしまいました。といいますのも、以前に申し上げた散乱した材木は以前のまま同じ場所に



(補足)
「證據」、「證」は証の「據」は拠の旧字。
「内済」、表ざたにせず内々にことを済ますこと。「済」のくずし字がわかりにくいので、2文字セットで覚えたほうがよさそう。旧字の「濟」のようですが?
「餘り」、「余」のくずし字がわかりにくい。
「愁訴」、同情を求めて苦しみや悲しみを訴えること。
「奉申上候ハ」、「候ハ」と以下の文章に続け、前述したその理由を続けて述べます。

 この頁でも、自分たちのしてしまった事柄の合理的な理由を述べることはなく、ひたすら心情的に自分たちの村の窮状を訴えたりしています。内済にされることを恐れていますが、筏の川下げをするにはまた同じところで同じようにする可能性が高いからでしょう。

 それならば、そうなってしまわざる理由をのべ、戸口村との妥協点を探すという現実的な方策を探れば良いことです。心情的にお役所に解決をお願いすることは双方にとってよろしくありません。

 均平さんの後ろ盾には筏組合があったはずですが、今ひとつ頼りにはなっていなかったようです。


2019年11月26日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その58




 P.35 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
候   二隨  ひ自然 与山 元 仕入 方 杣 木挽 二至  迄 利潤 二 相
そうろうにしたがいしぜんとやまもとしいれかたそまこびきにいたるまでりじゅんにあい

闇 私   共 四 ヶ村 二不限  秩 父高麗両  郡 之内 数 十  ヶ村
やみわたくしどもよんかそんにかぎらずちちぶこまりょうぐんのうちすうじゅっかそん

一 同 衰 微之基 二相 成 難 儀至極 之折 柄 今 般
いちどうすいびのもとにあいなりなんぎしごくのおりがらこんぱん



(大意)
したがって、おのずと山稼ぎや杣(そま)木挽(こび)きにいたるまで利潤の
見通しは暗く、私共の4ヶ村に限らず秩父高麗両郡のうち数10ヶ村
では村が衰える原因となり、非常に苦労しているところであります。今回の


(補足)
「隨」、「随」の旧字体。
「杣」、ここの「山」の筆の運びをその上の「山元」と比べるとおなじになってます。
「闇」、「門」は冠のようになって、「音」が下部にきてます。「門」のくずし字はだいたいこんな感じになってます。
「折柄」、「折」一文字では?ですが「柄」があるので、なんとか読めました。


2019年11月25日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その57




 P.34 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
人 足 之費其 外 多分 損 金 相 立 候   を厭 ひ乍心外
にんそくのひそのほかたぶんそんきんあいたちそうろうをいといしんがいながら

酒 代 等 差 出し相 宥  候   二付 追々  風 儀押 移 り川
さかだいとうさしだしあいなだめそうろうにつきおいおいふうぎおしうつりかわ

丈 村々  之内 数 ヶ所 右 村 柄 出来諸 雑 費相 嵩
たけむらむらのうちすうかしょみぎむらがらできしょざっぴあいかさみ


(大意)
人足の費用やその他いろいろな出費が重なることを憂慮し、心外ながら
酒代など与えなだめております。少しずつ村のならわしは変化してきていますが
川丈の村々のうち数か所では村の景気や諸雑費はかさむに


(補足)
「費」、(ついえ)とも読みますが、どちらでもよさそう。
「損」、異体字なのか「員」が「ム」+「貝」の形もあるようです。
「厭」、あまり目にしませんが、ほぼ楷書です。
「宥」、「宀」+「有」。ちゃんと「有」のくずし字になってます。

「川丈」、悩みました。部落名であったのかもしれません。
「右村柄出来諸雑費相嵩」、ここも悩みました。素直に読んで、(ここの村柄(むらがら)の出来(でき)は悪く、諸々の支出もかさんでいる)のような意味合いだろうとおもいます。

 文章の言い回しがどうも堅苦しく感じます。



2019年11月24日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その56




 P.34 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
候得共   前々  申  上 候   通 り我 野郷 ゟ 流  出  候   小川
そうらえどもまえまえもうしあげそうろうとおりあがのごうよりりゅうしゅつそうろうおがわ

二而平 日 水 細 く桴  川 下ケ難相成    大 雨 出  水 を相 待
にてへいじつみずほそくいかだかわさげあいなりがたくおおあめしゅっすいをあいまち

火急  二川 下 二仕    候   儀二付 手間取 候而者   忽   水 落
かきゅうにかわさげにつかまつりそうろうぎにつきてまどりそうらいてはたちまちみずおち


(大意)
ですが、前々から申し上げている通り(高麗川は)吾野郷より流れ出ている小川
ですので、普段は水量が少なく筏の川下げができず大雨を待ち出水のときに
急いで川下げを行っています。そのときに手間取っていてはたちまち水量がなくなり
(川下げができなくなり)


(補足)
「水細く」「出水」、ここの「水」のくずし字は平仮名の「み」のように書いて最後のところは
ちいさな「く」をグニャグニャっとした感じ。
「水落」、こちらは普段目にする「水」。
「手間取」、「間」と「取」の間に小さな文字があるような気がするのですがわかりません。


2019年11月23日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その55




 P.33 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
然  所  近 来 引 續  村々  人 氣不宜    無謂   川 中 へ杭
しかるところきんらいひきつづきむらむらにんきよろしくなくいわれなきかわなかへくい

木等 打 立 桴  通 路差 障 り又 ハ無筋 之難 渋  等
きなどうちたていかだつうろさしさわりまたはむすじのなんじゅうとう

申  掛 桴  川 下ケ之度々  荷主 共 必 至与及難渋ニ
もうしかけいかだかわさげのたびたびにぬしどもひっしとなんじゅうにおよび


(大意)
しかしながら近頃は引き続き戸口村の人たちの評判はよくなく、謂われなく川の中へ杭や木などを打ち立て、筏の通り道を妨げたりまたは理屈の通らない言いがかりなどを
よこしたりしてます。荷主たちは筏の川下げのたびごとに非常に困っています。


(補足)
「人氣」(じんき、にんき、ひとけ)読みはいろいろあります。村の人達の評判・様子と理解しました。
「气(きがまえ)」が冠のようになってます。
「不宜」(むべなく)とも読めるでしょうが、普通に(よろしくなく、よろしからず)としました。
「通路」、二文字セットで覚えたほうがよさそう。

 どちらかの肩を持つわけではありませんが、均平さん側の言い分は具体的ではなく説得性に欠けます。
「近来引續村々人氣不宜」→ 情緒に流れ今回の筏の一件とは関係が遠い。
「無謂川中へ杭木等打立」→ どのようにどの程度杭木など打ち立てられているのか不明。
「無謂」→ 本当に謂われなくなのかどうか、理由をちゃんと戸口村から聞いたのか不明。
「無筋之難渋等」→ 具体的にどのような言いがかりでどのようにかけられ、それは継続的であったのか無かったのか不明。
 などなど、どうも均平さん側の言い分は大雑把です。



2019年11月22日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その54




 P.33 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
乍恐    以書付     奉願上候
おそれながらかきつけをもってねがいあげたてまつりそうろう

武州  秩 父郡 坂 石 村 一 件 訴訟  方 均 平 奉申上
ぶしゅうちちぶぐんさかいしむらいっけんそしょうがたきんぺいもうしあげたてまつり

候   私   共 出入 追 々 厚  御利解 之趣   難有   奉承伏候
そうろうわたくしどもでいりおいおいあつくごりかいのおもむきありがたくしょうふくたてまつりそうろう


(大意)
恐れながら書付をもって願い上げ奉ります。
武州秩父郡坂石村一件、訴訟方の均平が申上げ奉ります。
私共の訴訟を引き続き深くご理解くださり有り難く承伏する次第です。


(補足)
 坂石村の均平さんの反論が始まりました。
戸口村の返答書が8月で、この反論の日付は同年10月になります。

「州」、ここのくずし字は「リ」が三つのような形。「渋」の右側のような形のくずし字もよくあります。
「訴訟」、「訟」一文字だったら悩みます。
「申上候」、「候」が改行されて行頭にきてます。マス目のある原稿用紙に記しているみたいで几帳面な性格だったのかもしれません。
「難有」、「有」が今まで見てきたくずし字と少し異なって見えます。


2019年11月21日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その53




 P.32 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
百姓
ひゃくしょう

七左衛門
しちざえもん

佐左衛門
ささえもん

御奉行所様
おぶぎょうしょさま


(大意)



(補足)
 前頁からの続きで、九人惣代として百姓の七左衛門と佐左衛門の名前が記されてます。
「様」がこの時代のくずし字やふだんの字体とかけ離れて、現代の楷書そのものです。畏まっているわけではないとおもうのですが。

 さてさて、お奉行所はどう裁くのでしょうか。
素人目には戸口村に軍配をあげたい。


2019年11月20日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その52




 P.31 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
平岡對馬守知行所
ひらおかつしまのかみちぎょうじょ

武州入間郡
ぶしゅういるまぐん

弘化三午年
こうかさんうまとし

八月
はちがつ

戸口村
とぐちむら

九人惣代
きゅうにんそうだい


(大意)


(補足)
知行所とありますから、戸口村は旗本平岡対馬守の領地で、次頁の七左衛門と佐左衛門はそこの百姓となります。

「対馬守」、三文字セットで覚えます。

 ここの弘化年間も含めて、それ以前数十年前より対外的には毎年のうように異国船があらわれ、
幕府は慌てふためくわけですが、国内ではこのようなとても身近な訴訟があり、その落差になんとも言えぬ感慨があります。


2019年11月19日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その51




 P.31 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
聊    損 失 無之  候   間  早 々 引 取 已来 右 躰 当 村 内
いささかもそんしつこれなくそうろうあいだそうそうひきとりいらいみぎていとうそんない

田畑 居 屋敷 添 之場所 へ一 切 桴  繋 畄  不申様
たはたきょやしきそいのばしょへいっさいいかだけいりゅうもうさずよう

被仰付    被下  置 度 偏  二奉願上       候   以上
おおせつけられくだされおきたくひとえにねがいあげたてまつりそうろういじょう


(大意)
少しも損害の無いようにしておきますので、早々に引取これ以降このような当村内で
田畑や家屋敷沿いのところへ決して筏を繋ぎ留めることがないように
申し付け守らせるようにしていただきたく、ひとえにお願い申し上げます。


(補足)
「引取」、「引」のくずし字は「弓」と「|」のあいだがなぜか大きくはなれます。「取」はここでも小さい。
「居屋敷」、よみは(きょやしき)(いやしき)どちらでしょう。
「偏二」、右半分は「戸」+「冊」です。くずし字はもとの形を保っているようですが筆運びを見ると独特です。

 「名栗の歴史 上」に筏の訴訟例がたくさんのっています。筏の川下げが行われるようになってからその仕事がなくなる明治頃まで、ずっとあったようです。

 ここの例ではここまで読んだ限りでは、筏側が不利に感じます。
しかし、訴訟内容には筏の川下げでバラけてしまった材木を内緒で販売していた下流の百姓の例もあり、一般的な傾向はないようです。

 筏は大水など水量が増さないと船団を組んで川下げできません。ところが大水になると堤防決壊など水防に下流の田畑を持つ百姓たちは当然神経質になります。利害がぶつかるのでこの訴訟はずっとたえることがなかったのです。



2019年11月18日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その50




 P.30 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
候   杯 其 外 品 々 訴   書 へ書 載 候   段 難 渋  申  懸ケニ而
そうろうなどそのほかしなじなうったえしょへかきのせそうろうだんなんじゅうもうしかけにて

難 儀至極 仕    候   間  無是非 右 躰 返 答 書 を以
なんぎしごくつかまつりそうろうあいだぜひなくみぎていへんとうしょをもって

奉申上       候   何 卒 右 桴  之義昼  夜番 附 置
もうしあげたてまつりそうろうなにとぞみぎいかだのぎちゅうやばんつけおき


(大意)
きたしているなどとその他事どもあわせて訴え書に書き連ねていることは、困惑させられ
大変に困ったことですので、仕方なくこのような返答書をもって
申し上げます。なにとぞ右筏については昼夜見張りを付けて置き


(補足)
「難渋申懸ケニ而」、くだけて言えば(難癖を付けて)。
「無是非」、「非」くずし字の右半分が、「乍」と同じように「ヒ」に似た形で右側に流れてます。
2行目「無御座」のところの「無」とは異なったくずし字です。
「返答書」、「返」のくずし字は2行目「通」と似ています。ここの「書」のくずし字はずいぶんと簡略されてる。

 控えだからといって、手抜きすることなく、几帳面そのものの手跡です。この名主さんの性格もきっとそうだったのでしょう。


2019年11月17日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その49




 P.30 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
場所 へ繋  畄 候   桴  而己川 下ケ致  候   上 二而其 余之
ばしょへつなぎとめそうろういかだのみかわさげいたしそうろううえにてそのよの

分 差 障  之儀無御座 今 以  日々通 行 致  候   儀二
ぶんさしさわりのぎござなくいまもってひびつうこういたしそうろうぎに

聊    差 支  無之  然 ルを百  弐拾  艘 余  川 下 桴  障 り
いささかもさしつかえこれなくしかるをひゃくにじゅっそうあまりかわさげいかださわり


(大意)
場所へ繋ぎ留めた筏のみ川下げ致しましただけでその他の
分については差し障りはございません。現在でも毎日の通行については
いささかも差し支えはなく、そうであるのに120艘あまりの筏の川下げに支障を


(補足)
「而己」(のみ)、「己(き)」「巳(み)」「已(い)」の区別は昔から厄介で、いろいろな工夫をして覚えてきました。次頁1行めに「已来(いらい)」が出てきます。
「其余之分」読みはそのまま「そのよのぶん」、その他の分。
「差障」(さしさわり)、「差支」(さしつかえ)、意味的には同じようなことですが使い方に差があるような気もします。
「通行」、「通」のくずし字をよく眺めてみると、「マ」+「用」の部分がどうして「不」のような形になるのでしょう。
「聊」(いささか)、よく出てきます。偏の「耳」が難しい。
「百弐拾」、「百」は十分に大きいのですが、「弐拾」などの漢数字はなぜかほとんど小さくわかりずらい。
「余」、上部の「𠆢」部分を(ひとやね、ひとがしら)というのを今調べて知りました。お恥ずかしい。この部分が「の」に見えてしまって悩みました。



2019年11月16日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その48




 P.29 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
之者 共 者一 図ニ田畑 相 続 専 一 与相 心  得身 命 を
のものどもはいちずにたはたそうぞくせんいつとあいこころえしんめいを

懸ケ水 防 罷  在 候   時節 喧 嘩口 論 等 可致   謂無
かけすいぼうまかりありそうろうじせつけんかこうろんとういたすべきいわれ

御座  候   殊 二右 十  三 日 昼  後ゟ 夕 方 迄 二欠 崩  之
ござなくそうろうことにみぎじゅうさんにちちゅうごよりゆうがたまでにかけくずれの


(大意)
の者たちはひたすら田畑の相続を第一と心得、身命を
かけ水を防いでいる時節であり、喧嘩口論など致すべきわけが
ございません。加えて今月13日昼後より夕方までに崩れ落ちた


(補足)
「一図」(いちず)、辞書には「一途」でのってます。
「専一」、「専」が難しいが、「寸」の部分が「る」のようになっているのがヒントになる。
「懸」は特徴的。
「水防」、この単語のとき「水」は難しいくずし字になるようです。

 整然と几帳面な手跡で読みやすいです。


2019年11月15日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その47




 P.29 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
乗 下ケ候   桴  をも差 畄 杯 無跡形   儀書 餝り 奉
のりさげそうろういかだをもさしとめなどあとかたなくぎかきかざり

出  訴     候得共   逸々  相 違  二而既 二其 節 番 小家杯
しゅっそたてまつりそうらえどもいついつあいちがいにてすでにそのせつばんごやなど

与申  者 無御座 候   間  可打擲     様 無之  候   猶 当村
ともうすものござなくそうろうあいだちょうちゃくべきさまこれなくそうろうなおとうそん

(大意)
乗り下げてきた筏をも差し止めたなど根拠もないことを書き連ね
訴えておりますがすべて違っております。(訴え書がだされた)そのときには既に番小屋など
というものはなかったので、打擲するようなことができようもありません。なお当村


(補足)
「杯」(など)、「等」とともに頻出。
「無跡形」、3文字セットで読める。「跡」一文字だったら悩みます。意味も現在では使われない言い回しになってます。
「餝り」(かざり)、見たこともない漢字です。「飾」の異体字とありました。
「与申者」(ともうすもの)、この「者」は「物」でしょう。助詞の「は」ならちいさくくずし字のはず。

 古文書を読んでいると、時制が現在の文章や文法に比べると不明確です。
しかし、2行目から3行目は時系列がとても明確に記されています。
既に、訴え書が出されたときには、番小屋はなかったので、その番小屋にいるはずの者共を、打擲しようにもすることはできなかった、と鮮やかです。


2019年11月14日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その46




 P.28 4行目〜最後まで「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
附 置 候   所  今 般 右 保兵衛 ゟ 事実 引 違
つけおきそうろうところこんぱんみぎやすべえよりじじつひきちがい

私   共 一 同 條  物 携   番 小家又 者桴  切 流 シ番 人
わたくしどもいちどうじょうぶつたずさえばんごやまたはいかだきりながしばんにん

及打擲二      剰    右 桴  十  三 艘 之外 川 上 ゟ 追々
ちょうちゃくにおよびあまつさえみぎいかだじゅうさんそうのほかかわかみよりおいおい



(大意)
付けて置きましたところ、このたび保兵衛より事実とは異なり
われわれ一同が鎌や鳶口など武器を携え番小屋を襲いまたは筏を切り流し、番人を
打ち据え、あろうことか筏13艘のほか川上より次々に


(補足)
「條物」、調べましたが見つかりません。きっと「得物」の間違いかもしれません。
「剰」(あまつさえ)、漢字一文字で送り仮名もないのですが・・・

 保兵衛さんが訴え出た内容とは、あまりに異なった事実が述べらています。
保兵衛さん方によほど腹に据えかねることが何かあったのでしょうか。


2019年11月13日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その45




 P.28 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
御奉行  所 様 へ御差 出 二相 成 候   所  相 手無之
おぶぎょうしょさまへおさしだしにあいなりそうろうところあいてこれなく

御訴   二付 不及御沙汰二  旨 二而訴   書 御下 ニ相 成 候   間
おうったえにつきおさたにおよばずむねにてうったえしょおさげにあいなりそうろうあいだ

無是非 帰村 仕    桴  之儀昼  夜番 無怠    番 人
ぜひなくきそんつかまつりいかだのぎちゅうやばんおこたりなくばんにん


(大意)
御奉行所へ差し出しました。ところが相手がいない
訴えのため裁定することはできないとのことで訴えは取り下げられてしまいました。そのため
仕方なく村へ帰り筏には昼夜怠りなく番人を


(補足)
 吾野村4ヶ村よりの訴えられる前に、戸口村ではお奉行所へ訴え出ていたのでした。しかし相手方の名前や住所が不明だったために門前払いされてしまいました。名前住所を調べることなどそれほど難しいことではなく、ましてや筏の川下りをするような業者は限られてますから、なぜ調査しなかったか疑問です。

「沙汰」を辞書で調べて小ネタを仕入れました。「沙」は砂で「汰」は選び分ける意味。水中でゆすって、砂を捨て米や砂金を選び分ける意味とありました。

1,2行目「御奉行所様」から始まって、やたらと「御」を付けまくってます。返答書なのでとにかく畏(かしこ)まっているのかもしれません。



2019年11月12日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その44




 P.27 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
得共    荷主 ゟ 断 有之  候   間  難受取    段 申之 是以    名
そうらえどもにぬしよりだんこれありそうろうあいだうけとりがたきだんもうしここをもちてな

住  所 等 不申聞    取 斗   方 二差 支  候   間  無是非 同月
じゅうしょとうもうしきかせずとりはからいがたにさしつかえそうろうあいだぜひなくどうげつ

前 書 之趣   逸々  地頭 所 へ相 届 ケ則 当
ぜんしょのおもむきいちいちじとうしょへあいとどけそくとう


(大意)
荷主より(訴状に対する御奉行所の)判断があるので受け取ることはできないと言い、このようなわけで
名前住所なども教えてもらえずどのように取り計らってよいかわからないので、やむを得ず同月
前述いたしましたとおりすべてを地頭所へ届けるとの同時に



(補足)
 返答書の中で相手の訴えに対してひとつひとつ箇条書きにして反論すれば、わかりやすいとおもうのですが、「〜候間」、「〜候所」、「〜候上ハ」、「〜二而」などひたすらめんめんと述べ続けます。
息つく暇もありません。

「断」、悩みましたが大意のようにしました。
「受取」、どうしてこんなに「取」が小さいのか?
「是以」(ここをもちて)、いろいろ細かい理由などを述べてきて、最後に「このようなわけで」こうしたのです。というような感じで使うようです。
「逸々」(いちいち)。ひとつひとつ、すべて。
「地頭所」、前回にも述べましたが、「頭」の豆偏のくずし字が「断」の偏のくずし字とそっくり。
「当」のあとが空白です。次の語句が次頁「御奉行所様」なので敬意を表すための平出という文章作法です。

2019年11月11日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その43




 P.27 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
尋  候   所  難申聞      旨 申之 然  上 ハ私   共 性名書之儀
たずねそうろうところもうしきかせがたくむねもうししかるうえはわたくしどもせいめいしょのぎ

難差出    旨 申  断   候   所  其 侭 取 帰  候   間  最早 乗
さしだしがたくむねもうしことわりそうろうところそのままとりかえりそうろうあいだもはやのり

下ケ候   桴  乗 子之者 共 引 取 呉 候   様 再 應 掛 合 候(得共)
さげそうろういかだのりこのものどもひきとりくれそうろうようさいおうかけあいそうらえども


(大意)
尋ねたところ教えられないと言われ、それではわれわれの姓名書についても
差し出すことはできないと述べ断ったところ、そのまま帰ってしまいました。すでに乗り
下げられてきてしまった筏と乗子の者たちを引き取ってくれるよう再度要求しても


(補足)
「侭」、よくみるとちゃんと「尺」+「丶」ふたつ になってます。
「断」、偏のくずし字が「頭」の「豆」偏に似ています。
「再應」、再度、再三。

「再應掛合候得共」、筏の荷主たちは自分たちの名前さえ明かさずに、戸口村の姓名書を出せと一方的です。
ここまで読みすすめただけでも、加害者は筏荷主、被害者は戸口村で、その加害者が被害者を訴えてやるとすごんいるのですから、イチャモンをつけているのと同じです。


2019年11月10日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その42




 P.26 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
者川 下ケ難相成    杯 申之 水 際 防  二差 支  候   間
はかわさげあいなりがたくなどもうしみずぎわふせぎにさしつかえそうろうあいだ

乍迷惑    川 下ケ致 番  人 等 迄 附 置 候   を右 躰
めいわくながらかわさげいたしばんにんとうまでつけおきそうろうをみぎてい

之掛 合 を受 候   義難心得    右 之者 共 へも名住  所 相
のかけあいをうけそうろうぎこころえがたくみぎのものどもへもなじゅうしょあい




(大意)
川下げできないなどと申しました。水際を防ぐのに差し支えるので
迷惑ながら川下げをして番人などまでも付けておいたのに、このような
話し合いになってしまっていることは受け入れられることではありません。これら(荷主)の者たちへも名前住所を


(補足)
「乍」のくずし字ははいつみても特徴的です。
「受」、「又」がほとんどをしめ、冠部分はちょこっとあるだけ。

 ますます戸口村側のいきどおりがメラメラと燃え上がります。


2019年11月9日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その41




 P.26 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
訴候   間  性 名 書 相 渡  候   様 申之 二付 案 外 二而
そそうろうあいだせいめいしょあいわたしそうろうようもうしにつきあんがいにて

畢 竟  先 方 二而前 書 堤  急  場之所  相 弁  へ候   上 ハ
ひっきょうせんぽうにてぜんしょつつみきゅうばのところあいわきまえそうろううえは

早々  差 支  無之  様 乗 下ケ可然   所  掛 合 候   而も夜分
そうそうさしつかえこれなくようのりさげしかるべきところかけあいそうろうてもやぶん


(大意)
というので姓名書を渡すよう申し付けられたことは予想外のことでした。
つまり相手方が前述堤防の応急修理について現況をわかってくれれば
すぐにでも差し支えないよう筏を乗り下げてくれるのが当然であろうと理解を求めても、夜は


(補足)
「相渡」、基本的な「渡」が難しい。
「案外」、予想外としましたが、無礼としてもよいでしょう。

 戸口村のじれったさと、筏荷主の態度が心外でジリジリしているのが伝わってきます。



2019年11月8日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その40




 P.25 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
当 村 地内 差 障  無之  場所 へ繋  畄 番 人 附 置 候   所
とうそうちないさしさわりこれなくばしょへつなぎとめばんにんつけおきそうろうところ

同 十  五日 右 桴  荷主 之由 二而四人 当 村 へ罷  越
どうじゅうごにちみぎいかだにぬしのよしにてよにんとうそんへまかりこし

理不尽 二桴  川 下ケ候   而者難捨置    相手取  被及出
りふじんにいかだかわさげそうらいてはすておきがたくあいてどりしゅっそおよばされ


(大意)
当村地内の差し障りのない場所へ繋ぎ留め番人をつけました。
同15日にこれら筏の荷主であるという4人が当村へやってきて、
理不尽に筏川下げされては無視することはできずあなた方を訴え出る


(補足)
 戸口村では田畑を守り水防のため、やむなく筏を移動し番人までつけておきましたが、
筏の荷主たちがそれらの行為を「理不尽二桴川下ケ候而者難捨置」として、訴えるというわけです。

 第3者が見ても、筏側がよその村で断りもなく勝手なことをして、村として緊急避難的にしたことに難癖をつけている筏側が非難をあびること確実ではないでしょうか。

「相手取被及出/訴候間」、「出訴」が頁をまたいでいるので困りました。



2019年11月7日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その39




 P.25 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
当 村 之者 共 手傳 ひ可遣    旨 懸 合 候   所  是  以  取
とうそんのものどもてつだいつかわすべくむねかけあいそうろうところここをもってとり

散   不申  却  而不相 当 之挨 拶 致  勝 手次第 可致   旨
ちらかしもうさずかえってふそうとうのあいさついたしかってしだいいたすべきむね

申之 候   二付 田畑 二者難替   候   間  無是非 川 下ケ致 シ
もうしそうろうにつきたはたにはかえがたくそうろうあいだぜひなくかわさげいたし


(大意)
当村の者たちを手伝いに行かせると交渉しましたが、これでは
まとまらず、かえって話をこじらせてしまったようで、勝手にさせてくれとの
はなしとなってしまいました。田畑が浸水してしまっては大変なのでやむを得ず川下げをして


(補足)
「是以取散不申」、何を言おうとしているかは前後の流れでわかるのですが、適切な訳が難しい。
「伝傳ひ」、旧字「傳」なので、くずし字は「専」や「寺」のときと同じで「る」のような形になってます。
「無是非」、頻出ですがここの「無」がわかりずらい。

 手伝いを申し出ているのに、「却而不相当之挨拶」をして、さらに「勝手次第可致旨申之候」となっては、ますます筏側が不利な状況になってきました。


2019年11月6日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その38




 P.24 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
易儀二付桴  乗 下 候   者 共 江早々  乗下 ケ呉 候   様 懸 合
ぎにつきいかだのりさげそうろうものどもへそうそうのりさげくれそうろうようかけあい

候   所  最早 夜中 二相 成 川 下ケ致  兼 候   趣   申之 候
そうろうところもはやよなかにあいなりかわさげいたしかねそうろうおもむきもうしそうろう

二付 右 様 二而者水 際 手当 差 支  候   二付 然  上 者
につきみぎさまにてはみずぎわてあてさしつかえそうろうにつきしかるうえは


(大意)
そのため筏を乗り下げてきた者たちへすぐにこのまま乗り下げてくれるようもちかけましたが
もう夜中になってしまい川下げすることはできないと申しておりました。
このままでは水際(堤防)の手入れ(修理)に差し支えるため、こうなってしまったからには


(補足)
「乗下候者共」、名詞の「者」のときは楷書、助詞の「は」のときはくずし字(変体仮名)。
「懸合」、「懸」のくずし字は小さな「宀」+「を」のような感じ。
「最早」、「最」のくずし字は「宀」+「取」のくずし字。この行下の「趣」の「取」のくずし字も同じ。

 戸口村ではただでさ大水で田畑が大変なことになっているというのに、そこの筏が下ってきてしまいさらに混乱し、さっさと下っていってくれとお願いしますが・・・


2019年11月5日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その37




 P.24 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
桴  勝 手侭 ニ被繋畄    候而   ハ川 筋 水 行 差支   弥
いかだかってままにつなぎとめられそうらいてはかわすじみずゆきさしつかえいよ

堤  大 破二候   者眼 前 二而左候  得者田畑 一 圓 二亡 所 二相成
つつみたいはにそうろうはがんぜんにてさそうらえばたはたいちえんにぼうしょにあいなり

御年 貢上  納 者勿 論 銘 々 夫食 にも差 支  不容
おねんぐじょうのうはもちろんめいめいぶじきにもさしつかえよういならず



(大意)
筏を勝手し放題に繋ぎ留められては川の流れに差し支えがあり、いよいよ
堤防が大破してしまうのは明らかなことです。そのようなことになれば田畑すべては全滅し
年貢を納めることは勿論、百姓それぞれの食料にも差し支え大変なことになります。


(補足)
「勝手」、頻出ですが「勝」だけみると悩みます。2文字セットで覚えるのがよさそう。
「水行」、ここの「水」はそのまま。
「差支」、「差」は頻出ですが、ここのものは読みづらい。

 返答書の戸口村の反論が始まるわけですが、ここまで読むだけでも時系列に沿って理路整然としています。この調子で反論されては、筏側が負けてしまいそうです。


2019年11月4日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その36




 P.23 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
多分 の桴  乗 下 前 書き欠 崩  候   堤  際 辺 リヘ右 桴
たぶんのいかだのりさげまえがきかけくずれそうろうつつみぎわあたりへみぎいかだ

繋  畄 候   間  驚   入 追々  水 防 二而堤  難保    銘々  一命
つなぎとめそうろうあいだおどろきいりおいおいすいぼうにてつつみたもちがたくめいめいいちめい

を掛ケ土 畄 等 致  罷  在 候   場所 へ右 然  多分 之
をかけつちどめとういたしまかりありそうろうばしょへみぎしかりたぶんの


(大意)
たくさんの筏が乗り下げられて前述の決壊した堤防付近へそれら筏を
繋ぎ留めたので驚きました。このままでは出水を防ぎ堤防を保つことは難しく、百姓それぞれが一命を掛け土留などをしたそのような場所へ、このようにたくさんの


(補足)
「堤際辺リ」、「堤」はわかりますが「際辺」ややわかりにくい。
「驚入」、何度か出てきているのでなんとか読めます。
「土留」(どどめ、つちどめ)
「右然」、ここの「然」は読みづらい。

 淡々と記述されています。筆圧が安定していてどこかで墨汁を含ませているはずですがパッと見た目ではどこで継いでいるのかわかりません。


2019年11月3日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その35




 P.23 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
欠 込 ミ候   二付 其 段 地頭 所 へ訴   出急  破手当 仕
かけこみにそうろうにつきそのだんじとうじょへうったえできゅうはてあてつかまつり

百  姓  寝 食  も忘  昼  夜水 防  罷  在 候   所  七月
ひゃくしょうしんしょくもわすれちゅうやみずふせぎまかりありそうろうところしちがつ

十  三 日 昼 八ツ時 頃 ゟ 暮 六ツ頃 迄 右 川 上 ゟ 追々
じゅうさんにちひるはつどきころよりくれむつころまでみぎかわかみよりおいおい




(大意)
崩れ落ちてしまいました。そのため地頭所へお願いして急破手当(緊急工事)をしました。
百姓たちは寝食も忘れ昼夜出水を防いでいましたところ、7月
13日昼2時頃より夕方6時頃まで高麗川上流より徐々に


(補足)
「急破」、読みがわかりませんが(きゅうは)としました。ネットで調べると、川などの普請で使われ、「当辰春川除急破御普請出来」「丑春波除堤急破御普請仕」「武州神奈川宿土橋急破御普請目論見帳」などの用例が散見されます。
 また簡単な説明として「毎年定期的に春または秋に水路を点検して補修する定式御普、台風などの出水により破損した個所を補修する急破御普請とがあった」がありました。

「寝」、ここでは異体字の「寐」となってます。
「昼夜」の次行に「昼八ツ時頃ゟ暮六ツ頃迄」と出てきますが、「暮六ツ」を「夜六ツ」とはしないのですね。



2019年11月2日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その34




 P.22 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
中  旬  ゟ 大 雨 降 続  右 高麗川 通 り一 圓 二供 水 二而
ちゅうじゅんよりおおあめふりつづきみぎこまがわどおりいちえんにこうずいにて

曽  七 月 上  旬  迄 二前 書 水 除 凡  五拾 間 程 欠 崩
かってしちがつじょうじゅんまでにぜんしょみずよけおよそごじっけんほどかけくずれ

当 村 百  姓  栄 次郎 外 三 人 之居 屋鋪 迄 も追 々
とうそんひゃくしょうえいじろうほかさんにんのきょやしきまでもおいおい


(大意)
中旬より大雨が降り続き、高麗川沿い一帯が洪水になり
7月上旬までにことごとく前述の堤防がおよそ50間(90m)程崩れてしまい、
当村百姓栄次郎ほか3人の住む家までもがだんだんと


(補足)
「一円」、旧字の「圓」のくずし字。
「曽」、読みを(かって)としましたがわかりません。意味は すべて、みな、ことごとく として文意のつじつまをあわせたのですが、どうもよくわかりません。
「水除け」(みずよけ)、なんと読むのだろうと辞書に頼ると、ありました。
「屋鋪」(やしき)、「屋敷」のことですが、ここでは「店舗」「舗装」の「舗」となってます。

 先日の台風19号でも高麗川は危ないところでした。川越あたりでは川が決壊してしまいました。
戸口村は現在の坂戸近辺だとおもいますが、川は同じ箇所が決壊すると云われています。
この当時から補強され続けられているとはいえ、大水時危険なことにはかわりはなく、十分に警戒しなければなりません。


2019年11月1日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その33




 P.22 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
此 段 当 村 之儀ハ高麗川 附 之村 方 二而右 川 流 レ
このだんとうそんのぎはこまがわづきのむらかたにてみぎかわながれ

田畑 長 サ拾 丁  程 有之  候   二付 前 々 ゟ 水 際 防 堤 築
たはたながさじっちょうほどこれありそうろうにつきまえまえよりみずぎわぼうていきずき

立 諸 色 地頭 所 ゟ 相 賄   定  式 普請 仕来  候   所  当 六月
たてしょしきじとうしょよりあいまかないじょうしきふしんしきたりそうろうところとうろくがつ


(大意)
(さて)これらのことについてですが、当村は高麗川沿いにある村ですので、この川の流れにある田畑の長さは10町程(約1090m)になります。そのため以前より水際に堤防を築き立て、諸費用は地頭所がとりしきり定期的に点検工事をしてきました。しかし当6月


(補足)
「拾丁」、一町≒109m。「拾」はいつもながら読みづらい。
「水際防堤築立」、(みずぎわふせぎつつみきずきたて)と読むこともできます。どちらが正しいかわかりません。
「諸色」、いろいろな品物、またその値段。物価。
「定式普請」、定期的な土木工事、建築、修理。