2019年11月20日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その52




 P.31 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
平岡對馬守知行所
ひらおかつしまのかみちぎょうじょ

武州入間郡
ぶしゅういるまぐん

弘化三午年
こうかさんうまとし

八月
はちがつ

戸口村
とぐちむら

九人惣代
きゅうにんそうだい


(大意)


(補足)
知行所とありますから、戸口村は旗本平岡対馬守の領地で、次頁の七左衛門と佐左衛門はそこの百姓となります。

「対馬守」、三文字セットで覚えます。

 ここの弘化年間も含めて、それ以前数十年前より対外的には毎年のうように異国船があらわれ、
幕府は慌てふためくわけですが、国内ではこのようなとても身近な訴訟があり、その落差になんとも言えぬ感慨があります。


0 件のコメント:

コメントを投稿