P.22 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
中 旬 ゟ 大 雨 降 続 右 高麗川 通 り一 圓 二供 水 二而
ちゅうじゅんよりおおあめふりつづきみぎこまがわどおりいちえんにこうずいにて
曽 七 月 上 旬 迄 二前 書 水 除 凡 五拾 間 程 欠 崩
かってしちがつじょうじゅんまでにぜんしょみずよけおよそごじっけんほどかけくずれ
当 村 百 姓 栄 次郎 外 三 人 之居 屋鋪 迄 も追 々
とうそんひゃくしょうえいじろうほかさんにんのきょやしきまでもおいおい
(大意)
中旬より大雨が降り続き、高麗川沿い一帯が洪水になり
7月上旬までにことごとく前述の堤防がおよそ50間(90m)程崩れてしまい、
当村百姓栄次郎ほか3人の住む家までもがだんだんと
(補足)
「一円」、旧字の「圓」のくずし字。
「曽」、読みを(かって)としましたがわかりません。意味は すべて、みな、ことごとく として文意のつじつまをあわせたのですが、どうもよくわかりません。
「水除け」(みずよけ)、なんと読むのだろうと辞書に頼ると、ありました。
「屋鋪」(やしき)、「屋敷」のことですが、ここでは「店舗」「舗装」の「舗」となってます。
先日の台風19号でも高麗川は危ないところでした。川越あたりでは川が決壊してしまいました。
戸口村は現在の坂戸近辺だとおもいますが、川は同じ箇所が決壊すると云われています。
この当時から補強され続けられているとはいえ、大水時危険なことにはかわりはなく、十分に警戒しなければなりません。
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