P.23 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
欠 込 ミ候 二付 其 段 地頭 所 へ訴 出急 破手当 仕
かけこみにそうろうにつきそのだんじとうじょへうったえできゅうはてあてつかまつり
百 姓 寝 食 も忘 昼 夜水 防 罷 在 候 所 七月
ひゃくしょうしんしょくもわすれちゅうやみずふせぎまかりありそうろうところしちがつ
十 三 日 昼 八ツ時 頃 ゟ 暮 六ツ頃 迄 右 川 上 ゟ 追々
じゅうさんにちひるはつどきころよりくれむつころまでみぎかわかみよりおいおい
(大意)
崩れ落ちてしまいました。そのため地頭所へお願いして急破手当(緊急工事)をしました。
百姓たちは寝食も忘れ昼夜出水を防いでいましたところ、7月
13日昼2時頃より夕方6時頃まで高麗川上流より徐々に
(補足)
「急破」、読みがわかりませんが(きゅうは)としました。ネットで調べると、川などの普請で使われ、「当辰春川除急破御普請出来」「丑春波除堤急破御普請仕」「武州神奈川宿土橋急破御普請目論見帳」などの用例が散見されます。
また簡単な説明として「毎年定期的に春または秋に水路を点検して補修する定式御普、台風などの出水により破損した個所を補修する急破御普請とがあった」がありました。
「寝」、ここでは異体字の「寐」となってます。
「昼夜」の次行に「昼八ツ時頃ゟ暮六ツ頃迄」と出てきますが、「暮六ツ」を「夜六ツ」とはしないのですね。
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