P.31 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
聊 損 失 無之 候 間 早 々 引 取 已来 右 躰 当 村 内
いささかもそんしつこれなくそうろうあいだそうそうひきとりいらいみぎていとうそんない
田畑 居 屋敷 添 之場所 へ一 切 桴 繋 畄 不申様
たはたきょやしきそいのばしょへいっさいいかだけいりゅうもうさずよう
被仰付 被下 置 度 偏 二奉願上 候 以上
おおせつけられくだされおきたくひとえにねがいあげたてまつりそうろういじょう
(大意)
少しも損害の無いようにしておきますので、早々に引取これ以降このような当村内で
田畑や家屋敷沿いのところへ決して筏を繋ぎ留めることがないように
申し付け守らせるようにしていただきたく、ひとえにお願い申し上げます。
(補足)
「引取」、「引」のくずし字は「弓」と「|」のあいだがなぜか大きくはなれます。「取」はここでも小さい。
「居屋敷」、よみは(きょやしき)(いやしき)どちらでしょう。
「偏二」、右半分は「戸」+「冊」です。くずし字はもとの形を保っているようですが筆運びを見ると独特です。
「名栗の歴史 上」に筏の訴訟例がたくさんのっています。筏の川下げが行われるようになってからその仕事がなくなる明治頃まで、ずっとあったようです。
ここの例ではここまで読んだ限りでは、筏側が不利に感じます。
しかし、訴訟内容には筏の川下げでバラけてしまった材木を内緒で販売していた下流の百姓の例もあり、一般的な傾向はないようです。
筏は大水など水量が増さないと船団を組んで川下げできません。ところが大水になると堤防決壊など水防に下流の田畑を持つ百姓たちは当然神経質になります。利害がぶつかるのでこの訴訟はずっとたえることがなかったのです。
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