P.40
(読み)
國 東 治兵衛選
くにさきじへいせん
靖 中 庵 桃 渓 画
せいちゅうあんとうけいが
寛 政 十 戊 午 四月 吉 旦
かんせいじゅうつちのえうましがつきちにち
浪 華書 林
なにわしょりん
大 野木市 兵衛
おおのぎいちべえ
海 部屋勘 兵衛
かいふやかんべえ
(大意)
略
(補足)
戊午(つちのえうま)ですが、または「ぼご」。
吉旦(きちにち)、または「きったん」。
寛政十年は西暦1798年。
国東治兵衛、著者。
丹羽桃渓、絵師。本書の挿絵画家。
最後の2名は本書の版元。
約100回近くにわたり毎日投稿を続けてきました。
その原動力は、何よりも国東治兵衛と丹羽桃渓、お二人の共著の素晴らしさに感嘆したからに他ありません。
読み終わって、改めて自序を読み返してみました。
精読したからこそ、その一行一行の決意と重みに感動します。
その思いは十分すぎるくらいに達成されています。
友人の求めに応じたものであることを、2度も記して強調しています。
当時の人達にとっても胸深く訴えるものがあったからでしょう。
「文字に拙く後笑の必然なること越志類」とありますが、220年前に出版されて以来「後笑」は
「笑賛」にかわり、海外でも翻訳されるほどになっています。
国東治兵衛の篤い想いは本人も予想だにしない程に世界中に広がったのでした。
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