2024年11月3日日曜日

時代世話二挺鼓 その19

P12P13 国立国会図書館蔵

(読み)

志ん王 の

しんのうの


土用

どよう


本しを

ぼしを


ミるやう多

みるようだ


志ん王

しんのう


いのちを

いのちを


あげ

あげ


まきの

まきの


じやう

じゃぁ(「う」は誤刻?)


袮へ可

ねえか

P13

ことしハくげ可

ことしはくげが


あ多り多ハへ

あたりだわえ


志可し

しかし


奈可尓

なかに


多いふん

だいぶん


あ多り可

あたりが


ミへる

みえる

(大意)

秀郷「土用干しで内裏人形の親王をたくさん見ているようだ。〽親王命を揚げ巻の〜じゃぁねぇか」

将門「今年は公卿が当たり年だわぇ。しかし、公卿の中にはだいぶ腐りかけたものもいるようだ」

(補足)

「出目」ではなく「土用」。「土用本し」、夏の土用の頃に衣類や本を干して風を通し,虫のつくのを防ぐこと。内裏人形も干した。

「志ん王いのちをあげまきの」、河東節「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の終りの部分「しんぞ命をあげ巻の、これ助六が前わたり、風情なりける次第なり」のもじり。

「ことしハくげ可あ多り多」、「ことしや南瓜(かぼちゃ)の当たり年」のもじり。不器量な娘が結婚するのをひやかす言葉、とありました。

「あ多り」、『⑪ 果物などの傷や腐ったところ。「―のある桃」〈滑稽本・浮世風呂•4〉』幕府高官が罪に問われることの多いことを暗示している、とありました。

 秀郷はこれみよがしに「俵」石山人書とある扇をこちらに見せつけています。

天明三(1783)年に羽左衛門が石山人の寿の字の団扇を七千本くばったと伝えられ、このようなことがはやったのだろうと、ありました。

 

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