P8P9 国立国会図書館蔵
(読み)
P9
将 門 里やう
まさかどりょう
里尓ハまけ
りにはまけ
多連ども
たれども
由うげい尓
ゆうげいに
可けてハ
かけては
可奈ハ
かなわ
せじと
せじと
七 へんげの
しちへんげの
志よさ
しょさ
ごとを
ごとを
いちど尓
いちどに
して
して
ミせる
みせる
P8
なんと
なんと
志 う
しゅう
く王く尓
か くに
とじやくを
とじゃくを
可年多
かねた
ミぶりハ
みぶりは
き川い可
きついか
\/
きついか
P9
此 ところ
このところ
大 てけぬ\/ と
おおでけぬでけぬと
可き多い
かいたい
あんまり
あんまり
うぬを
うぬを
いゝ
いい
奈さん奈
なさんな
ふら連
ふられ
やうと
ようと
於も川て
おもって
(大意)
将門は料理(勝負)には負けたけれども、遊芸にかけては勝たせてなるものかと、七変化の所作ごとを一度にしてみせた。
将門「どうだ、秀鶴に杜若の両方あわせた身ぶりはたいしたものだろう」
ここのところは大出来ぬ大出来ぬと書きたい。
秀郷「あんまりうぬぼれたことを言いなさんな。(女郎に)ふられてしまうとおもうぞ」
(補足)
「秀鶴」、『初代中村仲蔵(1746〜90)の俳名。『歌舞伎年代記』に天明五(1785)年中村座の顔見世で「六人所作大でき」だったとある』
「杜若」、『四代目岩井半四郎(1745〜1800)の俳名。天明七(1787)年五月の桐座では、ここの絵の左側から、かきつばたの簪をさした官女、石橋、春駒、座頭、傾城、草刈童、関寺小町の七変化を演じた』
石橋、しゃっきょう しやくけう【石橋】能の一。五番目物。作者未詳。出家した大江定基が入唐して清涼山の石橋で童子に会う。童子は橋のいわれと文殊の浄土の奇特を教えて去る。やがて,獅子が現れ,牡丹の花に戯れながら壮絶華麗な舞をみせる。
春駒、はるごま【春駒】③ 新春に来る門付(かどづけ)芸人。また,その芸能。駒の首形を手にもち,また胴の前後に首と尾をつけて,三味線・太鼓などで囃(はや)しつつ祝言の歌を歌い,舞う。
関寺小町、せきでらこまち 【関寺小町】能の一。三番目物。世阿弥作か。年老いて近江国に庵居する小野小町は関寺の僧の訪問をうける。寺の七夕祭に案内され,稚児の舞にひかれて往事の夢を追うが,老いの無残を思い知らされる。「姨捨(おばすて)」「檜垣(ひがき)」とあわせて「三老女」という。
「ミぶり」、『歌舞伎役者の演技の特徴をとらえてまねをする大衆芸能』
「此ところ」、「此ところ大出来\/」は芝居の評判記のきまり文句。それをつかって、大出来の反対だと皮肉った、とありました。
「ふら連やうと」、うぬぼれ客はとかくふられる。
この場面は、七人芸のみせどころ。文章はわずか。塗り絵をしたくなります。
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