2024年10月29日火曜日

時代世話二挺鼓 その14

P8P9 国立国会図書館蔵

(読み)

P9

将 門 里やう

まさかどりょう


里尓ハまけ

りにはまけ


多連ども

たれども


由うげい尓

ゆうげいに


可けてハ

かけては


可奈ハ

かなわ


せじと

せじと


七 へんげの

しちへんげの


志よさ

しょさ


ごとを

ごとを


いちど尓

いちどに


して

して


ミせる

みせる

P8

なんと

なんと


志 う

しゅう


く王く尓

か くに


とじやくを

とじゃくを


可年多

かねた


ミぶりハ

みぶりは


き川い可

きついか


\/

きついか

P9

此 ところ

このところ


大 てけぬ\/ と

おおでけぬでけぬと


可き多い

かいたい


あんまり

あんまり


うぬを

うぬを


いゝ

いい


奈さん奈

なさんな


ふら連

ふられ


やうと

ようと


於も川て

おもって

(大意)

 将門は料理(勝負)には負けたけれども、遊芸にかけては勝たせてなるものかと、七変化の所作ごとを一度にしてみせた。

将門「どうだ、秀鶴に杜若の両方あわせた身ぶりはたいしたものだろう」

 ここのところは大出来ぬ大出来ぬと書きたい。

秀郷「あんまりうぬぼれたことを言いなさんな。(女郎に)ふられてしまうとおもうぞ」 

(補足)

「秀鶴」、『初代中村仲蔵(1746〜90)の俳名。『歌舞伎年代記』に天明五(1785)年中村座の顔見世で「六人所作大でき」だったとある』

「杜若」、『四代目岩井半四郎(1745〜1800)の俳名。天明七(1787)年五月の桐座では、ここの絵の左側から、かきつばたの簪をさした官女、石橋、春駒、座頭、傾城、草刈童、関寺小町の七変化を演じた』

石橋、しゃっきょう しやくけう【石橋】能の一。五番目物。作者未詳。出家した大江定基が入唐して清涼山の石橋で童子に会う。童子は橋のいわれと文殊の浄土の奇特を教えて去る。やがて,獅子が現れ,牡丹の花に戯れながら壮絶華麗な舞をみせる。

春駒、はるごま【春駒】③ 新春に来る門付(かどづけ)芸人。また,その芸能。駒の首形を手にもち,また胴の前後に首と尾をつけて,三味線・太鼓などで囃(はや)しつつ祝言の歌を歌い,舞う。

関寺小町、せきでらこまち 【関寺小町】能の一。三番目物。世阿弥作か。年老いて近江国に庵居する小野小町は関寺の僧の訪問をうける。寺の七夕祭に案内され,稚児の舞にひかれて往事の夢を追うが,老いの無残を思い知らされる。「姨捨(おばすて)」「檜垣(ひがき)」とあわせて「三老女」という。

「ミぶり」、『歌舞伎役者の演技の特徴をとらえてまねをする大衆芸能』

「此ところ」、「此ところ大出来\/」は芝居の評判記のきまり文句。それをつかって、大出来の反対だと皮肉った、とありました。

「ふら連やうと」、うぬぼれ客はとかくふられる。

 この場面は、七人芸のみせどころ。文章はわずか。塗り絵をしたくなります。

 

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