P4P5 国立国会図書館蔵
P4
(読み)
平 志ん
へいしん
王う
おう
まさ門 ハ
まさかどは
王 ゐを
おおいを
のぞミ
のぞみ
とうこく尓
とうごくに
多いりを
だいりを
うつし
うつし
これを
これを
於可者゛しよだいりと
おかば しょだいりと
なづけ志しんでん
なづけししんでん
せい里やうでんの
せいりょうでんの
於川可ふせ尓
おっかぶせに
於者゛奈てん
おば なでん
梅 もとでん奈ぞと
うめもとでんなぞと
いふをこしらへ
いうをこしらえ
くげの可へ玉 を
くげのかえだまを
可ゝへきやう可しの
かかえきょうかしの
やう奈名を
ようななを
なのらせ
なのらせ
个る今
けるいま
あづま
あずま
百 く王ん
ひゃっかん
と天
とて
て奈らひ
てならい
子の
この
奈らふハ
ならうは
これ也
これなり
(大意)
平新王将門は王位をのぞみ、東国に内裏をうつし、これを岡場所内裏と名付け、紫宸殿・清涼殿をまねて、尾花殿・梅本殿などという建物をこしらえた。そして公家の替え玉を召しかかえ、狂歌師のような名前をなのらせた。今、「東百官」という手習いで子どもたちが習うのはこの名である。
(補足)
「於川可ふせ」、『おっかぶせ【押っ被せ】
② にせ物。まがい物。「太平記の―,名づけて通人講釈といふ」〈洒落本・弁蒙通人講釈〉』
「於者゛奈てん梅もとでん」、尾花屋と梅本は深川仲町一流の茶屋だが、田沼が浜町に、一味の井上伊織が深川に豪奢な別邸を建てたことを暗示してた、とありました。
「梅」のくずし字はよくでてきます。「木」+「あ」のようなかたち。
「あづま百く王ん」、『あずまひゃっかん あづまひやくくわん 【東百官】
① 天正年間(1573〜1592)以後,関東武士が京都の朝廷の官名をまねて通称として用いたもの。伊織(いおり)・多門・頼母(たのも)・左内・藤馬・数馬・左門・右門など。
② 江戸時代の子供の手習い本で,百種の人名を集めたもの』。将門が制定したと誤り伝えられた。
「也」は「候」と同じく最頻出なので、そのくずし字はたくさんあります。そして出てくる箇所は限られているので、前後の流れからそれらしいくずし字があったら、そのように読むのがよさそうです。
三人の公家は替え玉なので、髭やもみあげがだらしなく品格も何もなさそうな人物に描かれています。しかしそれら髷の生え際や髭などは一本一本丁寧に描かれています。しかし、この三人、かえって身近にいる隣のおじさんといった感じで親しみがある。
一番手前の偽公家の着物(直衣(のうし))の模様は「くくり猿(布に綿を入れて猿の形に縫ったもの。手足をくくられている。)」というもの。猿真似を暗示している、とありました。
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