2024年10月25日金曜日

時代世話二挺鼓 その10

P4P5 国立国会図書館蔵

(読み)

P5

此 ごろひやうハんの

このごろひょうばんの


多和ら藤 太とハ

たわらとうたとは


きさ満の事 可王しハ

きさまのことかわしは


こん尓やく志満の

こんにゃくしまの


つう多゛可ら奈を

つうだ からなを


なん里やうの

なんりょうの


於多いじんと申

おだいじんともうす


いごハ

いごは


於ミ

おみ


志り

しり


く多゛

くだ


され

され


P4

どれもミん奈

どれもみんな


へん奈名多゛

へんななだ


大 もん

だいもん


じやの

じやの


帳  者の

ちょうばの


ぬりふ多゛尓

ぬりふだ に


あろうと

あろうと


いふ奈多゛

いうなだ

(大意)

替え玉二「この頃評判の俵藤太とはおぬしのことか。わしはこんにゃく島の通だから、名を南鐐のお大尽と申す。以後お見知りおきくだされ」

秀郷「どれもみんな変な名だ。大文字屋の帳場の塗札にあるような名だ」

(補足)

「此ごろひやうハんの多和ら」、当時、「評判の俵」という、俵が斜面をころがる玩具があったのに掛けた、とありました。

「こん尓やく志満」、霊岸島(現在の中央区日本橋)の埋立地の俗称。

「なん里やう」、『なんりょう ―れう【南鐐】

② 二朱銀の通称。表面に「以南鐐八片換小判一両」と刻まれていた』。こんにゃく島の私娼の枕代は二朱なので南鐐一枚で買える。つまりわずか二朱という安上がりで大臣ぶって大きな顔をする客という意味、とありました。

「大もんじや」、吉原京町一丁目の大文字屋市兵衛。吉原連狂歌の中心人物。先代以来の狂名は加保茶元成(かぼちゃのもとなり)。したがって吉原の狂歌連中の名前が帳場にでも掛けてあったのかもしれない、とありました。


 

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