2024年10月5日土曜日

江戸生艶氣樺焼 その45

P26P27 東京都立中央図書館蔵

P26 個人蔵書

(読み)

さいごの者゛も

さいごのば も


いき奈者゛つとし多

いきなぱ っとした


ところとの事 尓て

ところとのことにて


三めぐりのどてと

みめぐりのどてと


きめよ可゛ふけてハ

きめよが ふけては


きミ可゛王るい可ら

きみが わるいから


よいのうちの

よいのうちの


つもり尓て

つもりにて


ゑん二郎 尓つとめ

えんじろうにつとめ


多るちややふ奈やど

たるちゃやふなやど


たいこまつしやげい

たいこまっしゃげい


しやども多゛い\/

しゃどもだ いだい


こうのおくりの

こうのおくりの


やふ二者可ま

ようにはかま


者於り尓て

はおりにて


大 川 者゛しまで

おおかわば しまで


於くり申  たゞの

おくりもうすただの

(大意)

 最後の場も粋なパッとしたところにしようと、三囲(稲荷社)の前の土手と決めた。夜がふけては気味が悪いから宵のうちにとのつもりで、艶二郎のためにつくしてきた茶屋・舟宿・太鼓持ちたち・芸者どもが、伊勢太太講の見送りのときのように袴羽織姿で大川橋(吾妻橋)までお見送りした。多田の(薬師の)

(補足)

「三めぐりのどて」、江戸高名会亭尽 三囲之景 絵師 歌川広重。

鳥居の上部が土手越しに見え、市民の遊楽の地であったとありました。

「まつしや」、『まっしゃ【末社】

② 〔大神(大尽)を取り巻く末社,の意から〕遊里で客の機嫌を取り結ぶ人。たいこもち。幇間(ほうかん)。「買手を大神といひ,太鼓を―と名付け」〈浮世草子・元禄太平記〉』

「多゛い\/こう」、『いせだいだいこう ―だいだいかう【伊勢太太講・伊勢代代講】

室町時代以後,無尽のような仕組みで,交代で伊勢参りをして太太神楽(だいだいかぐら)を奉納する費用を積み立てた組合。江戸時代に盛行。伊勢講。太太講』

「大川者゛し」、『あずまばし あづま―【吾妻橋】

隅田川にかかる橋。東京都台東区浅草と墨田区吾妻橋地区を結ぶ。最初の橋は1774年に架橋され,大川橋とも呼ばれた』

 三囲神社の土手を心中場所と決めた艶二郎、その道具立てを確かめると、樒(しきみ)の枝は浮名の腰の後ろにさしてあるよう。数珠はどこだ。小田原提灯はたたんで蝋燭がみえています。辞世の摺物は配らせたのでここにはなし。蛇の目傘は地べたにあります。毛氈(もうせん)の敷物はさてどこに。

 

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