P26P27 東京都立中央図書館蔵
P26 個人蔵書
(読み)
さいごの者゛も
さいごのば も
いき奈者゛つとし多
いきなぱ っとした
ところとの事 尓て
ところとのことにて
三めぐりのどてと
みめぐりのどてと
きめよ可゛ふけてハ
きめよが ふけては
きミ可゛王るい可ら
きみが わるいから
よいのうちの
よいのうちの
つもり尓て
つもりにて
ゑん二郎 尓つとめ
えんじろうにつとめ
多るちややふ奈やど
たるちゃやふなやど
たいこまつしやげい
たいこまっしゃげい
しやども多゛い\/
しゃどもだ いだい
こうのおくりの
こうのおくりの
やふ二者可ま
ようにはかま
者於り尓て
はおりにて
大 川 者゛しまで
おおかわば しまで
於くり申 たゞの
おくりもうすただの
(大意)
最後の場も粋なパッとしたところにしようと、三囲(稲荷社)の前の土手と決めた。夜がふけては気味が悪いから宵のうちにとのつもりで、艶二郎のためにつくしてきた茶屋・舟宿・太鼓持ちたち・芸者どもが、伊勢太太講の見送りのときのように袴羽織姿で大川橋(吾妻橋)までお見送りした。多田の(薬師の)
(補足)
「三めぐりのどて」、江戸高名会亭尽 三囲之景 絵師 歌川広重。
鳥居の上部が土手越しに見え、市民の遊楽の地であったとありました。
「まつしや」、『まっしゃ【末社】
② 〔大神(大尽)を取り巻く末社,の意から〕遊里で客の機嫌を取り結ぶ人。たいこもち。幇間(ほうかん)。「買手を大神といひ,太鼓を―と名付け」〈浮世草子・元禄太平記〉』
「多゛い\/こう」、『いせだいだいこう ―だいだいかう【伊勢太太講・伊勢代代講】
室町時代以後,無尽のような仕組みで,交代で伊勢参りをして太太神楽(だいだいかぐら)を奉納する費用を積み立てた組合。江戸時代に盛行。伊勢講。太太講』
「大川者゛し」、『あずまばし あづま―【吾妻橋】
隅田川にかかる橋。東京都台東区浅草と墨田区吾妻橋地区を結ぶ。最初の橋は1774年に架橋され,大川橋とも呼ばれた』
三囲神社の土手を心中場所と決めた艶二郎、その道具立てを確かめると、樒(しきみ)の枝は浮名の腰の後ろにさしてあるよう。数珠はどこだ。小田原提灯はたたんで蝋燭がみえています。辞世の摺物は配らせたのでここにはなし。蛇の目傘は地べたにあります。毛氈(もうせん)の敷物はさてどこに。
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